ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

広島に原爆が炸裂した朝、思うこと(20240806)

2024年08月06日 | 沖縄暮らし

おはようございます。本日は2024年8月6日(火)曇 広島に原爆が炸裂した日ですね。そして今、再び核攻撃に身構えることを辞さない国家があるのです。ロシア、イスラエル、米国・日本。被害国が加害国になる…かもしれない。

 かっての米国は対独戦を想定して開発に踏み込んだようですが、原爆を生み出す前にナチス・ドイツは降伏していた。そしてターゲットが日本国に絞られた。米国・軍部は作り上げた原爆の威力を確かめたかった。大日本帝国にもはや反撃能力が無いと承知しながら無差別殺人に踏み込んだのが、米国です。そこに隠された魂胆が如何なるモノだったのか、私は知りたい。

 今はどうなのでしょうか? 各地で戦争が起き、軍事緊張が高まっています。だからといって壊滅的な大量殺人兵器を使う根拠はあるのでしょうか? 力には力の対立の果てではないでしょうか。権力者とは恐ろしいものです。自分は安全地帯にいるという奢りの上で、総殲滅(核物質のばらまき)という発想。断じてあってはならないことです。

 そして私たちが考えるべき事は、岸田首相のオツムの構造です。広島選出の議員だと言いながら、核兵器の廃止を掲げながら核大国と連むありかた。欺瞞でしかありません。核大国のお膝元で、米国に「いいね」しながら、核抑止力に暗に頼る二重基準。恫喝とはいざとなれば、実行するから威嚇能力があるのです。つまりその時点ではノーと言えない。言わない。世界を不安定にしているのは、核大国と同調者たちです。軍事力こそ正義だと公言してきた米国。米国にひざまずき「世界平和」を語る(日本)こそ欺瞞です。

 軍事力による対立を克服していかなければ、私たちの未来はありません。あの大戦で、「唯一の地上戦」を強いられた沖縄。沖縄は日本国家に帰属していなかったのでしょうか。都合良く、自滅することを強いられました。皇国日本を守るための無駄死に戦争だった。沖縄とヒロシマ・ナガサキは、自滅を強いられた点で一致しています。敗者は米国に抱きつき、天皇裕仁の命乞いをした。命乞いの腹黒さは、政権内外の連中は、自らの真っ黒な罪状をみない(ない)ことと一体だったところにあります。

 米国もそれを読み解き、アジア(太平洋諸国)の中で、戦後日本国を「使える国」に仕立てていったのです。米日両国は、沖縄を正にその繋ぎ目に置いてきた。1945年から今日まで。何も変わっていない。私たちは変えることができていない。しかし今見てきたように米国に連み、米国に頼りつづければ、沖縄は地獄を見るでしょう。この日本という国に依存すれば、そうなります。地獄は、再び大きな口を開けて待っている。

 私たちは、冷静で大胆な新たな道を探る以外にないでしょう。私は微力ですが、現実をえぐり取る力を沖縄の人々とも、日本の各地の人々と共に、歩き続け、磨き上げたい。ヤマトンチュウの責任を自覚しつつ、言うべきことを言いたい。

 ということで写真展に向けてプリント始めます。

 

 



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