ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

昨日今日、未来へ(20230901)

2023年09月01日 | 沖縄暮らし

 2023年9月1日(金)晴れ 台風11号は、西にずれていった。宮古島方面に接近中らしい。昨日夕方、那覇で辺野古裁判を巡る学習会があったので行ってきた。まだ打つ手はあるはずだと講師は言う。ただどう打つかだろう。私に言わせれば、新基地建設反対を「沖縄を戦場にするな」と固く結びつけて取り組まなければ、ダメだと言うことだ。沖縄を平和発信の場にするためには、デモだけやっていれば済む話しではない。個別と全体を考えながらやっていきたいものだ。

 いよいよ私は来週から通常のあり方に戻していく。今月は東京から「客人」(友)も来る。ご案内を請け負っているのだが、これが中々難しいコース。事前に検討して、実地調査して実行しないとならない。嘉手納とキャンプハンセンだ。嘉手納の表側はいいのだが、問題はその裏側とハンセンだ。裏側は弾薬庫地区とキャンプキンザーの兵站地区の移設現場。見にくい上に現在進行形で、形状が変わっているから、これを掴むのは大変だ。ハンセンは広大な上に見にくく、近ずきにくい。そして統合計画が進行中であり、これまたわかりにくい。

 こうしたところに目を付ける彼女は、通だ。沖縄島の「米軍再編」は何も新基地建設と言われているシュワブだけじゃない。ほぼ全部なのだ。それらの全体(グアム再編も含む)がどうなっていくのかをみていかないかぎり、米国の意図はわからないのだ。この機会に私も新たな発見をしたいものだ。

 「ばか国」(=日本国)は米国の提灯持ちだから、「戦う覚悟」とか宣い、好戦意思を煽っている。しかし沖縄は、平和を造る覚悟をもたなければならない。軍事再編との闘いをやるべきだし、平和に生きることなしに人類の未来はないことも示していきたい。若者たちの希望は、ここを置いてはありえない。彼らの30年後、50年後を考えたら分かるだろう。そのとき人が生きていける基盤は沖縄に、日本に、この地球上に残っているのか。

 私たちが若者だった50年前には、そこまで50年後のことなどハッキリと見えていなかった。今はかなりハッキリと見えてきた。より悪い方向にだ。先を見るために今頑張ることが必要だ。思えば、30年前、戦中派の人たちが身近におり、あの戦争を語ってくれ、共に未来をみていてくれた。彼ら彼女らに励まされて私も生きてきた。

 今沖縄に居るのだから、尚更過去と現在、未来を繋げて考える思考が重要だ。「命どぅ宝」をもっとリアルにみなければならない。へたっていられない。

 病気になる前に読みかけていた本が何冊かある。暉峻淑子著「対話する社会へ」(岩波新書)。日本には対話する文化がないから、ダメなのだと言われている。考える力が育まれていないのも其処だろうと。問題に気づかず、スルーしていくのだ。「選挙に行こう」と言っても、対話する社会を築かない限り、徒労だろう(ヤマヒデ)。

 確かに同意。如何に対話を創り出すのか、諦めずにやるしかないのだろう。対話に肝を入れて行くスタイルを確立したい。問題提起を何が問題なのかを示唆するところから。従前の発想に凝り固まらない柔軟な頭を。ちょっとしたことで合点がいく閃き。ちょっとしたことが中々見えてこないのだ。

余談:昨日1冊を救出。25日の嘉手納で私はずぶ濡れになったのだが、本も難を免れていなかった。あの本を読もうと探したら出てきた。濡れたままだ。本が濡れてしまうと、回復は不可能になりかねない。1頁、頁がくっついてしまうからだ。1枚1枚を開いて無事救出。若干の破損は生じたが、ピタリと閉じた箇所はなかった。直射日光にあてなかったから、助かった。お粗末。

 



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