ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

昨日は、ふーう(20230521)

2023年05月21日 | 沖縄暮らし

おはようございます。昨日は、朝から広島サミットの原稿を書きだしたのだが、途中で「安保3文書」を確認しようと探したが見当たらず、改めて両面コピーした。おかげさまで容量小さ目でまとまった。夕方やっと、書き上げたかと思えば、6月の集会のことで漸く連絡が入ってきた。こちらをまとめて、暫定的にブログに挙げた。等々、個別の対応もあり、基地観察資料作りは開始しただけで、タイムアウト。体がもたない。

 まとめていろいろ入ってくると、一杯いっぱいで、体も心ももちません。基地観察資料の製作は、まだ緒についたばかり。これまで必要に応じてやってきたが、もう少し、方法を含めて、まとめていくつもり。見やすく、話しやすく、聞きやすく、初めての人でもわかるものが、理想。ひとまず試行錯誤しながら取り組む。

 基地という非日常的なものを、浮かび上がらせたい。沖縄でいえば、日常的なものを、リアルに凝視する視点を埋め込みたい。はっとすることを、普段結びついていないことを結びつけたい。

 昨日ある人とメールでやり取りしていて、人はなぜ気が付かないかという。市民も闇のような日常の中に、埋もれているのではないか。はっとする緊張感が失われていると、私は考えている。権力者は自分たちの利益のために、突進しており、その勢いは止まらない。与党はもちろん、野党の少なくない部分もだ。「大政翼賛会」とは1930年代に作られたものだが、これに近い形。このままいけば、ファシズム大衆運動がもっと広範に根を張っていくかもしれない。

 「闇のような日常」を照らし出す視点を私たちが獲得しなければ、この局面を突破できないだろう。ネットはこれこそ多数が勝ちの世界だ。検索数が多いやつが「正しい」かのツール。権力者がこうした機械で世論形成していくことは簡単だ。昔、ナチスはラジオで世論形成していったが、戦後ではテレビ、今ネット。AIとか恐ろしすぎる現代技術であり、やばすぎるだろう。

 私たちは、いかなる社会に生きたいのか、いかなる社会に生きたくないのかを検証しなければならない。夫婦別姓とかLGBTQとか、当事者の皆さんのご尽力で前進してきたことであり、一歩前進を如何に定めて前に向かうか。茫漠としたメジャーシーンを歩いていては、何も前に進まない。あれは関係ない、それは別とやっていては、だめだ。異なることへの意味をかみしめ、異なることが自分の中にいかにあるかを探り出すことは、私たちひとりひとりにとって普遍的な課題だろう。

 私自身、これまで少数派を生きてきたつもりだが、少数派であることを自覚しながら、そこに留まらない、多数派に食い込む努力が改めて必要だろう。ネットやメールといった現代的なツールも使い方だろう。私の基本思考は、やはりアナログのノートに向かう中でやっている。いや、時々歩きながら浮かんだ着想を大いに活用している。頭の働かせ方、頭の置き方が結構重要だ。

 不思議なもので、全然遠方にいて、まったく直接知らない人でも、話が通じることもある。生きてきた時代と地域と関心。

 

 



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