ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

私が「私と沖縄」と考えることは間違っているようだ(20220323)

2022年03月23日 | 沖縄暮らし

 先日、私の蔵書にダブル本2冊を見つけ出した。「私と沖縄」と題して一筆書いていただければ無償でさしあげますと当ブログに告知した。結果的に2冊とも行き先がきまり、届いたようだ。ひとまず良かったのだが、余りに反応が少なく、私は残念に思っていた。ならば、自分で書いてみようと思い始め、ノートに向かってみたが、沖縄に係わり始めて32年、沖縄に住み始めて9年目の私が「私と沖縄」と題して書くことは無理だと気がついた。

 何故無理かと言えば、接続詞である「と」が問題なのだ。「と」だからこそ、幅広く書けると間口を広げたつもりだった。しかし沖縄に住み、様々な矛盾につきあたっていれば、そんな客観主義で書くのはおかしいし、意味がないと気がついた。

 まだまだ9年目だが、こちらにきた基礎であり、柱だった「辺野古テント村」が消えてしまったのだ。物としてのテント村はあっても、私の心の支えとなり、共同性としてのテント村は消えた。だから「これから何をやっていくのか」などと書いてきたのだが、もっと具体的なものを探しだし、創り出していかない限り、「私と沖縄」のレベルのものしかやれないだろう。

 はっきり言えば、美しいところも醜いところも、臆せずに見る、臆せずに考えることが問われているようだ。「私と沖縄」を脱して、「沖縄の中にいる私」から考えてみたい。身もだえることに躊躇せず、ポジティブに考えるしかないだろう。所詮、私は私。うちなーんちゅではないし、その感覚を今更持つことは不可能だ。島々(シマ)の違いに留意しながら、「ここが、中心」主義を培いたい。

 ウチナー的なものへの感覚を育むためにも、私の好きな分野である沖縄芝居とか、沖展を先入感をもたずに、見てみたい。これまでと違う感覚を感じとれたらいいな。

 そして肝は人と人が繋がることだが、これは極めて難しい。簡単に環になることはできないようだ。「『と』を外した段階」から内側に向くまでの距離は遙かに遠いようだ。浅瀬を歩いているつもりで、いつのまにか、深みにはまってしまったとか。

 柔らかい見方と、ザッハリッヒな見方を併せ持つあり方が問われているのだろう。私はどうしてもサクサクサクッと、何事も切り分けてしまうから、うちなーんちゅの感覚とは合わないのだろう。否、矛盾があるから発展するのだと考えよう。

 ということなので、皆様、色々と教えてくださいませ。

 



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