ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

天気が悪いし、気持ちがダウンしている(20240911)

2024年09月11日 | 沖縄暮らし

本日は2024年9月11日(水)雲時々雨だった。昨日10日(曇時々雨)、那覇まで出かけた。8日に買った運動靴を履き下ろした。やはり痛いところがある。まずは2、3回履かないとダメだろう。現状はサンダル以下だということだ。それにしても前の運動靴をよくも履いてきた。底を見ると、ボロボロ。左右のバランスが悪いのは、致し方ない状態だった。思えば去年の10月頃、買い換えを考えたが、果たせないままだった。

 今日はもう一つの懸案、財布の買い換えを果たした。こちらも小銭入れがボロボロで、先日バックの中にぶちまけていた。鍵まで居なくなり、バッグの中を探し回ったのだ。こちらもオーケー。帰宅したら某情報が届いていた。私の気持ちが動く県外の集会の案内であり、どいうしよう。10月の話だ。9月の予定をやっと立てて、支払いを済ませたばかりだが、10月もか。相当の検討を要する。

 9月は21日の呉での集会だが、あの辺りに沖縄から行くのは、不便だ。近くに岩国・広島・松山と飛行場は、あるものの1日、1便のみで、高いのだ。結局往復ともに福岡空港からにした。途中の関門海峡が船好きには最高の魅力。だが今回は、呉・広島・岩国のみとし、福岡~岩国を除けば、それ以外には脇にそれないことにした。

 写真展が終わり、集中していた気持ちが抜けて、まだ平常に戻っていない。貫徹能力が激減。「原発の断りかた」(柴原洋一著 月兎舎刊 2020年)を昨日読了。私は8月23日、この著者に御案内いただいたので、印象深いものだった。三重県熊野灘方面に4カ所の原発予定地が選ばれたが、中電、三重県が押し込めようとした原発をことごとく追い返したのだ。素晴らしい闘いが起こっていたのだ。1960年代と1980年代から2000年代。海と生きる漁民がいれば闘えるし、其れを支持した市民が元気ならば、跳ね返せるようだ。

 今回の御案内では、肝心の芦浜には行かなかった。徒歩2時間(片道)と聞いて、疲労が溜まっていた私は日和ったのだ。でも彼と、原発と基地の話を相互にできた。今後何らかの形で当ブログにも報告したい。

追伸:呉を母港にしている空母「かが」がいよいよ空母としての演習に出るようだ。9月17日呉を出港し、米国に向かう。F-35B戦闘機を載せた演習が始まるのだ。「護衛艦」が対外攻撃の先頭に立つ時代が日本にもやってきたのだ。許せない。これに関門海峡辺りで遭遇しないかな。一縷の望みを託して瀬戸内海に向かう。



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