矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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<復刻> 21世紀・日本の政治的課題(前編)

2024年10月11日 04時39分02秒 | 政治・外交・防衛

〈以下の記事を復刻します〉

<はじめに>
この記事は14年ほど前に書いたものですが、今でも考えはほとんど変わっていません。21世紀の「日本のあり方」を追求してきたもので、自分の考えを率直に述べたつもりです。(2022年9月6日)

 1)総論・憲法改正の必要性

憲法改正は必然的に高まっている。憲法はわれわれ国民のものであり、われわれ自身が決めなければならない。現行憲法はもう60年以上も変えられずに続いてきたが、いろいろな面で矛盾、ほころび、不備を露呈してきた。
具体的なことは後で述べるが、全体的に見ると早急に改正すべき点がいくつもある。それは「9条」の問題だけではない。時代のニーズに応えなければならないものが数多くあるのだ。 
9条の改正はむしろ“短期的”なものである。自衛力の保持と自衛権の行使を明文化すれば済むことで、あとは平和憲法の精神を堅持すれば良い。
問題は、廃止を含む参議院のあり方(一院制にするかどうか)、道州制の導入による中央と地方の関係、首相公選制もしくは大統領制の実施、象徴天皇のあり方など“長期的”なテーマが数多くあることだ。

以上は、私が一方的に指摘したことで、そんなものは考える必要もないと言う人も大勢いるだろう。それはそれとして、憲法改正には短期的なものと、長期的に考えなければならないものがいくつもあるということを言っておきたい。
つまり、9条の改正などはこの数年内に可能だろうが、道州制や一院制の問題などは検討に長い時間を要するかもしれない。
これらの課題を一挙に全て解決しようとなると、国民的な合意を得るには大変な時間がかかりそうだ。そうなると、短期的なものも解決できないまま、憲法改正そのものが大幅に遅れる恐れが出てくる。
したがって、憲法改正は第1次(短期的なもの)と第2次(中長期的なもの)に区分けするのが自然で、無理がないと思う。その仕分けをするのはもちろん国会の仕事だが、われわれ国民はマスメディアなどを通じて、意見や考えを大いに発表すれば良い。それが国会議員の活動にも反映されるだろう。
私が憲法改正で、あえて第1次・第2次と言ったのは、憲法は国民のものであり“不磨の大典”ではないということだ。 憲法と言うと、まるで未来永劫変わらずに続くものと誤解している人が多い。これは、戦前の「大日本帝国憲法」がそのように理解されていたために生じた“後遺症”と言えるもので、憲法は国民の判断でいくらでも変えられるし、また時代の変化やニーズによって、いつでも変えられるべきものである。
ただし、憲法は国の最高法規だから『根本の精神』は簡単に変えてはならないし、また簡単には変えられないだろう。現行憲法の「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の根本精神は尊いものだと考えるからだ。

以上、私は「21世紀・日本の課題」の初めに、憲法改正の必要性を取り上げたが、21世紀とはまだ90年以上もあるのだ。その間には当然、今から予測できないものが数多くあり、子や孫の世代が解決しなければならない課題が控えている。
それを前提として、いま生きているわれわれは、多くの問題の解決に取り組まなければならない。それは、後世の人たちに対するわれわれの義務である。逃げてはならないのだ。
事は憲法などの法的、政治的な制度問題だけではない。社会、文化、教育、伝統などさまざまな分野で、取り組まなければならない課題は多いのだ。
今日は総論として、憲法改正の必要性を述べたが、以後、具体的な問題を次々に取り上げて論じていきたい。(2008年9月6日)

 

2)「国民主権」を新憲法第1章に明示せよ

現行の憲法は第1章を「天皇」の条文に当てているが、これはおかしい。日本国は天皇のものではない。日本国は日本国民のものである。したがって、新憲法の第1章には「国民主権」を高らかに明示すべきである。
現行憲法は第2次世界大戦の終了後、連合国軍の占領下という異例な事態のもとに、それ以前の大日本帝国憲法の形式を踏まえて制定された。つまり、旧憲法との整合性が求められていたので、第1章に「天皇」の条文を置かざるを得なかったのだ。
しかし、これは主権在民が確立されている今日においては、全く本末転倒のことである。国家の主権は国民にあるのだから、天皇の条文は第2章以下に記し、第1章には「国民主権」をはっきりと明示すべきである。

この件について、私は以前から強く主張してきたのだが、最も興味深いのは、読売新聞が2000年5月3日(憲法記念日)に発表した「憲法改正第2次試案」である。読売新聞は1994年に「憲法改正試案」を発表したが、それを基本的に踏襲する形で「第2次試案」をまとめたのだ。
その中で、第1章第1条『日本国の主権は、国民に存する』となっている。まことに明快で分かりやすい条文だ。もっと単純明快にしたいのなら『・・・国民にある』としても良い。文言はともかく、これは「国民主権」をはっきりと打ち出したものである。

護憲派の人たちは“平和憲法”を守るために、一切の改正を拒もうとしているようだが、「国民主権」を第1章で明示することには反対しないだろう。それは、主権在民の精神が憲法の中にいっそう生かされ、強化されるからである。
問題は、その他の環境権、プライバシー保護、知る権利(情報開示)、アクセス権など護憲派の人たちが関心を持っている課題を、どのように新憲法の中に生かすかである。ただし、それらの課題は後で論じるとして、ここでは、新憲法の冒頭に「国民主権」をはっきりと明示すべきことを強調して次回に移りたい。

なお、読売新聞の憲法改正試案には、私は大いに教えられる所があった。個人的には「安全保障」の面などでまだ不十分な点があると思っているが、その試案に心から敬意を表するものである。2000年5月に発表された「憲法改正第2次試案」は今でも大切に保存している。 こうした憲法改正の声が、いつになったら実現するのだろうか。(2008年9月9日)


 3)『大統領制』を導入せよ

日本の国政は「議院内閣制」によって成り立っているが、戦後、この制度がややもすると不透明で不信を招く事態を生じている。いわゆる“永田町政治”とか“密室での談合”と言われるものだが、国民の預かり知らない所で、一国の総理大臣が決まるというケースが何回か起きてきた。
議院内閣制ではこれは当然のことで、国会に多数を持つ政党・与党が内閣を組織するわけだから、与党内の話し合いや調整でいくらでも首相を決めることができる。もちろん、与党である自民党は総裁選挙を実施して、新総裁を担いで国会での首班指名に臨むこともできる。これらのことは今までさんざん見てきたのだが、ともすると、民意(国民の意思)が反映されているのかと疑いたくなるようなケースも少なくない。
それは、与党内の派閥の合従連衡だったり、違う政党との連立だったり、時には密室での談合で事実上決まったりするなど、民意とはまったく関係ない所で首相が決まっていくのだ。それでも良いと言う人も大勢いるだろうが、私はこうした議院内閣制に非常な疑問を持っている。
こうした「間接民主主義」によって国政のトップを決めるやり方は、アメリカや韓国、フランスなどで行われている「直接民主主義」による大統領選挙とは、余りにもかけ離れているのだ。これで民意がきちんと反映されるのだろうか。
前にも述べたように、国会議員だけの選挙や話し合いによって首相を決めるやり方は、往々にして不透明・不審なことが起こり得る。国民の疑惑を招く事態もあった。従ってもう何十年も前から、こうした不信や疑惑を解消し、政治を本当に国民のものにするために「首相公選制」の実現を求める声が延々と続いている。
6~7年前には、当時の小泉純一郎首相が「首相公選制を考える懇談会」を内閣に設置し、首相公選制を真剣に議論したことがある。その頃は世論調査をすると、国民の圧倒的多数が首相公選制を支持していた。あの頃の熱気はどこへ行ったのだろうか・・・

首相公選制の行き着く先は『大統領制』である。国民の直接投票によって国政のトップを決めるのだ。大統領制を導入するにはもちろん憲法改正が必要だが、この制度は21世紀中に必ず実現すると考える。21世紀のいつ頃実現するかは分からないが、“流れ”は完全に、首相公選制から大統領制へと向かっている。
これは要するに、今の議院内閣制に国民の多くが疑問と不信を抱いているからだ。その理由は前にも言ったが、国民が直接「自己責任」において国政のトップを選ぶというのが最良の方法だからである。
私は昔、首相公選制や大統領制を危険だと思っていたことがある。それは、ヒトラーや横山ノックのような人間が、単なる“人気投票”で選ばれてくる危険性があると思っていたからだ。しかし、今は違う。たとえ、どのような人物が国政のトップに選ばれようが、それは民意を直接反映したものであり、民主主義がより徹底されることを意味するからだ。国民一人一人が「自己責任」において、国政のトップを直接選ぶことにこそ民主主義の真の意義があるのだ。
さて、大統領制を実施すると、大統領が独裁化したり暴走するのではと懸念する声があるが、そんなことは全く“杞憂”である。それこそ、憲法改正において議会と大統領の関係、権限や役割などについて明文化すれば良いのだ。
それよりもむしろ、国民に直接選ばれた大統領は、国家の「元首」かどうかという問題が生じてくるだろう。私は、公選された大統領は当然、日本国の「元首」だと考える。その場合、天皇は“元首”ではなくなる。天皇は“象徴”ではあっても“元首”ではないのだ。
日本の場合、この元首問題が必ず生じてくる。しかし、この問題は後日、天皇制との関係で改めて論じることにしよう。(2008年9月11日)


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