goo blog サービス終了のお知らせ 

毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

バルナバ 私たちの主の新しい掟

2011-08-02 21:00:00 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
神は、これら[旧約の種々の犠牲]を廃止されました。強制という軛のない、私たちの主・キリストの新しい掟が、人間によって作り出された供え物をもたないようにするためでした。主は重ねて彼ら[イスラエル人]に仰せになります。「エジプトから脱出したお前たちの先祖に、『焼き尽くす犠牲やいけにえをささげなさい』と言って私が命じたことがあるだろうか。私が命じたのはこれである。※1 お前達の内の一人でも、隣人に対して心の中で悪をたくらんではならない。また、詐りの近いを好んではならない。※2」

それで悟りの鈍い者ではなく、私たちの父の慈しみに満ちた心をよく悟らなければなりません。神は、私たちが彼らと同じような誤りに陥ることなく、どのようにしてご自分に近づくことができるかを捜し求めるようにとお望みになって、このように語っておられるからです。主はこう仰せになります。「主の求める生贄は打ち砕かれた心。主のもとめる良い香りは、自分の造り主を賛美する心。※3」 それで兄弟の皆さん、私たちは自分の救いについて厳しい注意を払わなければなりません。悪しき者が誤りをもたらして、私たちの命から私たちを突き放すことがないようにするためです。

このようなことに関して、主はまた彼ら[イスラエル人]に次のように仰せになっています。「今日、お前たちの叫び声が[私]に聞き入れられようとして、お前たちが私のために断食しているのは、何のためなのか、と主は言われる。こんな断食を私が選んだことはなく、自分の魂を卑しめる人を私が[喜ぶことはない]と主は言われる。※4」
他方、私たちには次のように仰せになります。「見よ、わたしの選ぶ断食とはこれではないか、と主は言われる。悪による一切の束縛を断ち、無理強いした過酷な契約を放棄しなさい。うちひしがれている人を解放し、不正な一切の証書を引き裂きなさい。飢えた人にあなたのパンを裂き与え、裸の人に会えば衣を着せかけ、家のない人をあなたの家に招き入れなさい。※5」

それで、私たちは一切のむなしいことがらを避け、悪い道の業を徹底的に憎みましょう。すでに正しい者と認められたと思い込んで、自分の内に引きこもって孤立せず、むしろ皆が一所に集まって、共通の利益を求めなさい。聖書に次のように記されています。「災いだ。自分の目には知者であり、うぬぼれて、賢い者と思う者は。※6」私たちは霊的な人となり、神のための新しい神殿となりましょう。力のおよび限り神を畏れ、神の掟を守るように心がけましょう。神の正しい業を、喜ぶためです。主は、公平に世界をお裁きになります。※7 各自は、自分が行った業に従って報いを受けるでしょう。
----------------------------
年間第十八月曜日

主イエスは 旧約の種々の犠牲を廃止されました。そして、新しい掟を私たちに授けてくださいました。主の求める生贄は、旧約の律法に書かれているような種々の犠牲ではなく、打ち砕かれた心。造り主を賛美する心なのです。何のために律法の教える犠牲を行うのでしょうか。主は、無理強いした過酷な契約を破棄しなさいと言います。

※1 エレミヤ7:22-23
わたしはお前たちの先祖をエジプトの地から導き出したとき、わたしは焼き尽くす献げ物やいけにえについて、語ったことも命じたこともない。
むしろ、わたしは次のことを彼らに命じた。「わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしが命じる道にのみ歩むならば、あなたたちは幸いを得る。」

※2 ゼカリヤ8:17
互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしようとするな。これらすべてのことをわたしは憎む」と/主は言われる。

※3 詩編51:19
しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を神よ、あなたは侮られません。

※4 イザヤ58:4-5
見よ お前たちは断食しながら争いといさかいを起こし神に逆らって、こぶしを振るう。お前たちが今しているような断食によってはお前たちの声が天で聞かれることはない。
そのようなものがわたしの選ぶ断食苦行の日であろうか。葦のように頭を垂れ、粗布を敷き、灰をまくことそれを、お前は断食と呼び主に喜ばれる日と呼ぶのか。

※5 イザヤ58:6-7
わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛の結び目をほどいて虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。
更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え さまよう貧しい人を家に招き入れ裸の人に会えば衣を着せかけ同胞に助けを惜しまないこと。

※6 イザヤ 5:21
災いだ、自分の目には知者であり,うぬぼれて、賢いと思う者は。

※7 1ペトロ1:17,ローマ2:11参照
また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。
神は人を分け隔てなさいません。

バルナバ 信仰の初め

2011-07-31 19:30:35 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
息子、娘たとよ、あなたがたを愛してくださった主のみ名によって、あいさつを送ります。

あなたがたに対する神の正しいみ業の偉大さと豊かさによって、あなたがたの霊が幸福で輝かしいのをみて、わたしはこのうえなく喜んでいます。事実、あなたがたは、霊的恵みの賜物を植え付けられたものとして受けています。それゆえ、わたしは救われることを希望しながら、非常に喜んでいます。主の豊かな泉から、霊があなたがたの上に流れ込んでいるのを、実際にこの目で確かめたからです。※1 かねてからあなたがたと会いたいと強く望んでいましたが、実際に会って驚き、圧倒されてしまいました。

それで、皆さんの中で話した結果、わたしは次の確信を抱き、自覚するようになりました。すなわち、主が義の道においてわたしの道連れとなっておられること、また、このためにわたしは自分自身よりも皆さんのほうを一層深く愛する必要があるということです。それは、主のいのちの希望にもとづいて、深い進行と愛が皆さんの間に宿っているからです※2。それで、わたしはいただいたもののある部分を皆さんに分け与えて、このような霊のお役に立つなら、それはわたしにとって報いとなるであろうと考え、皆さんが信仰に合わせて完全な知識をもつことができるように、手短に書き送りたいと思い立ったのです。

主の教えには三つあります。
命への希望が私たちの信仰の始めであり、その行き着く所であること。
正しさが裁きの初めであり、その行き着く所であること。
そして、陽気さと喜びを伴う愛が正しい業の証であることです。

主は預言者たちを通して、私たちに過ぎ去ったことと現在あることを知らせ、またやがて来ることの初穂をわたしたちに味わわせてくださいました。主が語られたとおりに一つひとつのことがらが成就していくのを見て、わたしたちはいっそう豊かに、一層高く、主への畏れを目指して進んで行かなければなりません。わたしは教師としてではなく、あなたがたの一員として、皆さんのお喜びになるようなことがらを、さしあたって教えたいと思いました。

今は悪い時代ですし※3、この世を動かしている者が権力をもっているので、わたしたちは自ら心して、主の正しい業をもとめなければなりません。畏れと堅忍がわたしたちの信仰の助け手であり、寛容と節制が私たちの味方になって戦うのです。これらの諸徳が主のためのものとして清く保たれているなら、知恵、悟り、理解、知識もともに喜ぶでしょう。

なぜなら、主はいけにえも、焼き尽くすささげものも、供え物も全くその必要がないことを、すべての預言者を通して、私たちにしめしてくださいましたから。主はこう言われました。「お前達のささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。焼き尽くすささげものに飽いた。たとえ、お前たちがわたしの顔を仰ぎに来ても、わたしは、子羊の脂肪と雄牛と雄山羊の血を喜ばない。だれがお前たちの手から、そのようなものを求めたのか。わたしの前庭を踏みに、もうやってくるな。最上の小麦を持ってきても、無駄である。香の煙はわたしの忌み嫌うもので、新月祭、安息日にわたしはもう耐えられない。※4」
----------------------------
年間第十八主日

※1 テトス3:5-6
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。
神は、わたしたちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊をわたしたちに豊かに注いでくださいました。

※2 テトス1:2,3:7
これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。
こうしてわたしたちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。

※3 エフェソ5:16
時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。

※4 イザヤ1:11-13
お前たちのささげる多くのいけにえが私にとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に私は飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血を私は喜ばない。
こうして私の顔を仰ぎ見に来るが誰がお前たちにこれらのものを求めたか私の庭を踏み荒らす者よ。
むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙は私の忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など災いを伴う集いに私は耐ええない。



バルナバの手紙

2010-08-04 21:36:37 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
さて、光の道は次の通りです。もし誰かが定められた場所に行き着くまで、この道を歩み通したいなら、その道の業にはげみなさい。この道を歩むために私たちに与えられた知識はこれです。あなたをお造りになった方を愛しなさい。あなたを形づくってくださった方を畏れなさい。あなたを死から救ってくださる方を賛美しなさい。心の素朴な者、霊に富む者となりなさい。死の道を歩いている人たちと交際してはなりません。神のお喜びにならない一切のことを憎みなさい。・・・

あなた自身よりも、あなたの隣人を愛しなさい。堕胎をしたり、新生児を殺してはなりません。あなたの息子や娘を放任せず、むしろ若い頃から主を畏れることを教えなさい。・・・

おしゃべりにならないようにしなさい。口は死の罠だからです。

あなたが受けた教えを大切に守りなさい。それに「何一つ加えたり、減らすことがあってはなりません」悪を徹底的に憎みなさい。正しく裁きなさい。分裂を引き起こさず、むしろ相争う人たちを一カ所に集めて和解させなさい。・・・

以上が光の道です。
----------------------------
カトリック教会では新生児を殺すことも、胎児を殺すことも禁じられています。この教えは、初代教会の頃からの教えだったのですね。少し、認識を新たにしました。
死の道を歩いている人たちとの交際を禁じる一方、分裂を引き起こすことに対しては和解を教えています。
私たちも、異なる信仰の人とは一線を画す一方で、同じ三位一体の信仰を持ちながらも分裂している今の教派については、和解の道を探ってゆきたいと思います。



バルナバの手紙

2010-08-03 21:38:27 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
主は、わたしたちが罪のゆるしによって清められるようにと、ご自分のからだを滅びにわたすことをお忍びになりました。罪のゆるしとは、主の血の注ぎかけを受けることによるのです。・・・「彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた傷によって私たちは癒された。彼は、ほふり場に引かれる羊のようであり、毛を切る者の前に物を言わない子羊のようであった。」(イザヤ53:5,7)それで、私たちは、主に深く感謝しなければなりません。・・・
聖書に次のように記されています。「鳥の前に、網を仕掛けるのは不正なことではない。」(箴言1:17 七十人訳)これはつまり、義の道について知識を持っていながら、自分からすすんで暗闇の道へ向かっていくような人が滅びてしまうのは正統である、という意味です。
----------------------------
バルナバの手紙の書かれた時代、一世紀~二世紀前半のキリスト教会の聖書と言えば七十人訳の旧約聖書でした。ギリシャ語による神の啓示を認めていたキリスト教会は、パウロの手紙を初めとして福音書などが、聖書正典に加えられてゆきます。
イエスの十字架の意味として、バルナバの手紙はイザヤ書を引用します。そして、箴言の言葉から、人が義の道の知識をもっていなかがら、自ら進んで暗闇の道へ向かう人が滅びてしまうのは正統であると教えます。


バルナバの手紙

2010-08-02 21:39:14 | 聖バルナバ
バルナバの手紙 紀元140年以前
今は悪い時代ですし、この世を動かしている者が権力をもっているので、私たちは自ら心して、主の正しい業を求めなければ成りません。・・・
なぜなら、主はいけにえも、焼き尽くす捧げ物も、供え物も全くその必要がないことを、すべての預言者を通して、わたしたちに示して下さいましたから。主はこう言われました。「お前たちのささげる多くのいけにえが、わたしにとって何になろうか、と主は言われる。・・・香の煙はわたしの忌み嫌うもので、新月祭、安息日にわたしはもう耐えられない。」(イザヤ1:11-13)

神は、これら[旧約の種々の犠牲]を廃止されました。強制というくびきのない、私たちの主・キリストの新しい掟が、人間によって作り出された供え物をもたないようにするためでした。主は重ねて彼らに仰せになります。「エジプトから脱出したお前たちの祖先に、『焼き尽くす犠牲やいけにえをささげなさい』と言って私が命じたことがあろうか。わたしが命じたことはこれである。お前たちの内一人でも、隣人に対して心の中で悪をたくらんではならない。また、偽りの誓いを好んではならない。」(エレミヤ7:22-23,ゼカリヤ8:17)
・・・
主はこう仰せになります。「主の求めるいけにえは打ち砕かれた心。主の求めるよい香りは、自分の造り主を賛美する心」(詩篇51:19)
・・・
すでに正しい者と認められたと思い込んで、自分の内に引きこもって孤立せず、むしろ皆が一所に集まって、共通の利益を求めなさい。聖書に次のように記されています。「災いだ。自分の目には知者であり、うぬぼれて、賢い者と思う者は」(イザヤ5:21)
----------------------------
旧約の犠牲は、廃止されました。主が求めるのは、隣人への愛と、神への愛。そして、正しい者であると思って、自分の内に引きこもり孤立してもならないのです。皆が一つに集まり、共通の利益を求めることが大切であるとバルナバの手紙は教えます。