エウセビオ司教(260-339年) カエサリアの司教
「イザヤ書注解」
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。※1』」この言葉は、預言者の告げる出来事がエルサレムではなく、荒れ野で起こることをはっきりと示している。つまり、その出来事は、神の栄光が現れ、すべての人が神の救いを見る※2ということである。
このことは、洗礼者ヨハネが救いをもたらす神の現れをヨルダンの荒れ野で告げ、そこで実際に神の救いが現れたときに、歴史的な出来事として文字通り実現した。すなわち、キリストが洗礼を受け、聖霊は鳩の形で降ってキリストの上にとどまり、「これはわたしの愛する子、これに聞け※3」とい御父の声がキリストを証ししたときに、キリストとその栄光が皆に知らされたのである。
また、[比喩的な意味で]イザヤはこれらの言葉によって、昔から近づきがたい荒れ野のような場所に神が来るであろうということを言い表そうとしたのである。それは、すべての異邦の民が、神の認識に欠けている荒れ野のような寂しい状態にあり、神の正しい人や預言者がだれも近づくことのできなかった状態にあったからである。
したがって、あの声は神の言葉のために道を調え、近づきがたく険しい道を平らにするように命じている。私たちの神が来られて道を進むことのできるようにするためである。「主の道を整えよ。」これこそ、神の救いがすべての人に知らせることを望んでいる福音宣教であり、新しい慰めである。
「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力をふるって声を上げよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ※4。」前に述べられたこととよく一致するこの言葉は、適切にも良い知らせを伝える者達に言及し、荒れ野に叫ぶ声について語った後、神の到来という良い知らせを人々に伝えている。洗礼者ヨハネに関する預言の後に、良い知らせを伝える者に言及するのは、当を得たことである。
待降節第二主日 読書
第一朗読 イザヤ22:8b-23 エルサレムとシェブナへの警告
第二朗読 エウセビオ 『イザヤ書注解』
※1 イザヤ40:3参照
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
※2 ルカ3:6参照
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。
※3 マルコ9:7参照
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
※4 イザヤ40:9
高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。
エウセビオ(260-339年) カエサリアの司教
ベネディクト16世が連続講話の42回目として、「カイサリアのエウセビオス」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message220.htm
>エウセビオスはさまざまな意味で当時のキリスト教文化の優れた代表者でした。エウセビオスの活動分野は神学から聖書釈義まで、歴史からその博識にまで及びます。エウセビオスは何よりも最初のキリスト教史家として有名ですが、古代教会の偉大な文献学者としても知られます。
エウセビオスは最初に教会史を書きました。この『教会史』は、わたしたちが用いることができるように資料を残してくれたおかげで、いつまでも基本的な書物であり続けています。エウセビオスの『教会史』により、古代教会の多くの出来事、人物、書物が忘却されずにすみました。ですから『教会史』は最初の数世紀のキリスト教を知るための第一の源泉資料といえます。
「イザヤ書注解」

このことは、洗礼者ヨハネが救いをもたらす神の現れをヨルダンの荒れ野で告げ、そこで実際に神の救いが現れたときに、歴史的な出来事として文字通り実現した。すなわち、キリストが洗礼を受け、聖霊は鳩の形で降ってキリストの上にとどまり、「これはわたしの愛する子、これに聞け※3」とい御父の声がキリストを証ししたときに、キリストとその栄光が皆に知らされたのである。
また、[比喩的な意味で]イザヤはこれらの言葉によって、昔から近づきがたい荒れ野のような場所に神が来るであろうということを言い表そうとしたのである。それは、すべての異邦の民が、神の認識に欠けている荒れ野のような寂しい状態にあり、神の正しい人や預言者がだれも近づくことのできなかった状態にあったからである。
したがって、あの声は神の言葉のために道を調え、近づきがたく険しい道を平らにするように命じている。私たちの神が来られて道を進むことのできるようにするためである。「主の道を整えよ。」これこそ、神の救いがすべての人に知らせることを望んでいる福音宣教であり、新しい慰めである。
「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力をふるって声を上げよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ※4。」前に述べられたこととよく一致するこの言葉は、適切にも良い知らせを伝える者達に言及し、荒れ野に叫ぶ声について語った後、神の到来という良い知らせを人々に伝えている。洗礼者ヨハネに関する預言の後に、良い知らせを伝える者に言及するのは、当を得たことである。
待降節第二主日 読書
第一朗読 イザヤ22:8b-23 エルサレムとシェブナへの警告
第二朗読 エウセビオ 『イザヤ書注解』
※1 イザヤ40:3参照
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。
※2 ルカ3:6参照
人は皆、神の救いを仰ぎ見る。
※3 マルコ9:7参照
すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
※4 イザヤ40:9
高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。
声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。
エウセビオ(260-339年) カエサリアの司教
ベネディクト16世が連続講話の42回目として、「カイサリアのエウセビオス」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message220.htm
>エウセビオスはさまざまな意味で当時のキリスト教文化の優れた代表者でした。エウセビオスの活動分野は神学から聖書釈義まで、歴史からその博識にまで及びます。エウセビオスは何よりも最初のキリスト教史家として有名ですが、古代教会の偉大な文献学者としても知られます。
エウセビオスは最初に教会史を書きました。この『教会史』は、わたしたちが用いることができるように資料を残してくれたおかげで、いつまでも基本的な書物であり続けています。エウセビオスの『教会史』により、古代教会の多くの出来事、人物、書物が忘却されずにすみました。ですから『教会史』は最初の数世紀のキリスト教を知るための第一の源泉資料といえます。