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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

二世紀の著者の説教 終わりに救われるように正義を行おう

2013-11-16 00:00:00 | 日記
二世紀の著者の説教
 感謝する者、神に仕える者の一人になりましょう。断罪される不敬虔な者の一人とならないようにしましょう。私自身、根っからの罪びとで、誘惑を免れるわけにはいきませんが、まだ悪魔の色々な罠に囲まれながらも、少なくとも正義に近づくことができるように、正義を追求しているのです。来るべき裁きを恐れるからです。

 ですから、兄弟姉妹の皆さん、真理の神のことばを聞いた後、私はあなたがたに、書かれたことに注意を払うようにという勧めの言葉を読み上げます。それは、あなたがた自身と、あなたがたのうちで勧めの言葉を読む者とが救われるためです。私があなたがたに求める報いは、あなたがたが心から悔い改め、救いといのちとを手に入れることです。このように行うことによって、神に対する信仰心と神のいつくしみに身を捧げようと望むすべての若い人々に、私たちは一つの目標を定めてあげることができるのです。だれかが愚か者である私たちに注意したり、私たちを悪の道から正しい道へ立ち帰らそうとしてくれるとき、私たちはおもしろくない顔をしたり、腹を立てたりしないようにしましょう。時として、私たちはそれとは気づかずに悪を行っていることがあるからです。。それは二心(ふたごころ)と不信仰な心のせいであり、また虚しい欲望によって「知性が暗くなっている」※1からなのです。

 ですから、終わりに救われるように正義を行いましょう。この教えに従う人たちは幸いです。しばらくの間この世で苦しむことがあるとしても、彼らは復活という不死の実りを借り入れるでしょう。したがって、信仰心のある人は、たとえ今のとき不幸な目に遭っていても、悲しんではなりません。その人には、幸いなときが用意されています。そこでは、祖先たちとともに再びいのちを受け、永遠に喜ぶのです。悲しみはもうありません。

・・・

 目に見えない唯一の神※2、真理の父は、私たちを不滅へ導く救い主を送り、その救い主によって私たちに真理と天の命を現してくださいました。御父に、栄光が世々にありますように。
アーメン


年間第三十二土曜日 読書
第一朗読 ダニエル12:1-13
第二朗読 二世紀の著者の説教

※1 エフェソ4:18
知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。

※2 1テモテ1:17参照
永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

二世紀の著者の説教 私たちを召された神に向き直ろう

2013-11-15 00:00:00 | 日記
二世紀の著者の説教
 自制についての私の勧めは、取るに足りないものではないと思います。これに従う人は、後悔しないばかりか自分自身を救い、この勧めを与えた私をも救うことになります。滅びに向かう迷った魂を救いへ連れ戻すことは、小さな利益ではないからです。語る者も聞く者も、信仰と愛を持ってそうするなら、私たちを造られた神へのお返しとすることができます。

 ですから、正しい者、聖なる者として信じたことを守り続けましょう。それは、「あなたがまだ語っている間に答えよう、『わたしはここにいる※1』」と仰せになる神に、大胆に祈るためです。この言葉は大きな約束を表しています。求める人よりも主が与えるのに早いと、主は言われるからです。私たちはこれほど大きな慈愛にあずかっているのですから、人はあんなに良い物をもらっているなどと言って、互いにねたみ合うことの無いようにしましょう。この言葉は、これを実行に移す人には大きな幸いをもたらしますが、これに従わない人には厳しい裁きをもたらすからです。

 兄弟の皆さん、今は悔い改めるよい機会を得たのですから、神が私たちを受け入れて下さる間、私たちを召された神に向き直りましょう。私たちが快楽を捨て、悪い欲望を満たすことを退けて自分に打ち勝つとき、私たちはイエスのいつくしみにあずかることができます。しかし、次の事を知っておいてください。裁きの日、「炉のように燃える日が来る※2」のです。そのとき、「天の一部は溶けて無くなり※3」全地は鉛が火に溶けるように溶けてしまいます。そのとき隠れた物も公然のものも、人々の行いが明らかになります。施しは罪を悔い改めることのすばらしいしるしです。断食は祈りにまさりますが、施しはその両方に勝ります。「愛は多くの罪を覆います※4。」心からの祈りによって死から救われます。これらについて満点をもらう人は幸いです。施しは罪を取り除くものだからです。


年間第三十二金曜日
第一朗読 ダニエル10:1-21 麻の衣を着た人の幻
第二朗読 二世紀の著者の説教
※1 イザヤ58:9参照
あなたが呼べば主は答えあなたが叫べば「わたしはここにいる」と言われる。軛を負わすこと、指をさすこと呪いの言葉をはくことをあなたの中から取り去るなら、

※2 マラキ3:19
見よ、その日が来る 炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。

※3 イザヤ34:4
天の全軍は衰え天は巻物のように巻き上げられる。ぶどうの葉がしおれいちじくの葉がしおれるようにその全軍は力を失う。

※4 1ペトロ4:8
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

二世紀の著者の説教 生きている教会はキリストのからだ

2013-11-14 00:40:28 | 日記
二世紀の著者の説教
 主は仰せになります。「わたしの名は全ての異邦人の中で絶え間なく侮られている。※1」 また言われます。「わたしの名を侮る者は幸いである。※2」 「どうして侮られるのか。それはわたしの心を、あなたたちが行わないからだ。※3」 事実、異邦人たちは私たちの口から神のことばを聞くとき、その美しさと気高さに感嘆します。しかし、その後、私たちの行いが、私たちの語る言葉と一致していないことが分かると、あれはおとぎ話であり、インチキだと言って、彼らは神を侮ることへと転向するのです。

 その異邦人は、私たちが神のことばとして次のように言うのを聞きます。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。そうではなくて、あなた方は敵を愛し、あなた方を憎む者を愛するなら、あなたがたには恵みがある。※4」 これを聞くとき、異邦人はこの優れた善良さに感嘆します。しかし、私たちが、私たちを憎む者を愛さないだけでなく、愛してくれる者さえ愛さないのを見て、彼らは私たちをあざけり、神の名が侮られるのです。

 こういうわけですから、兄弟の皆さん、私たちが父である神のみ心を行うなら、私たちは第一の教会、すなわち、太陽と月より先に造られた霊の教会に属する者となります。けれども、主の御心を行わないなら、私たちは聖書の次の言葉に当てはまる者となります。「私の家は強盗の巣となった。※5」ですから、私たちは救われるために命の教会に属することを選びましょう。

 生きている「教会はキリストのからだである※6」ということをあなた方が知らないとは思えません。聖書は言っています。「神は人を男と女に創造された※7」男とはキリストです。女とは教会です※8。ところで預言者たちの書と使徒達は、教会は今始まったのではなくて、昔からあったのだと言っています。私たちのイエスと同じように、教会は霊的なものとして存在しましたが、私たちの救いのために終わりの日に現れたのです。

 霊的であった教会は、キリストの肉体のうちに現れました。そして、私たちのうちの誰であれ、肉体のうちに教会を汚さずに守るなら、聖霊においてその教会を受けるのです。この肉体は霊のかたどりだからです。かたどりを汚す者は原型にあずかることはできまん。兄弟の皆さん、このことが意味しているのは、あなたがたは霊にあずかるために肉体を守りなさいということです。ところで、私たちが肉体は教会であり、霊はキリストであると言うのであれば、肉体を侮る者は教会を侮ることになります。そのような者は霊、すなわち、キリストにあずかることはできません。肉体が聖霊と一つになるとき、肉体は、それほどすばらしいいのちと不滅とにあずかることができるのです。選ばれた者のために主が準備してくださった※9ことを、誰一人説明することも語ることもできないのです。


年間第三十二木曜日 読書
第一朗読 ダニエル9:1-27
第二朗読 二世紀の著者の説教

※1 イザヤ52:5参照
そして今、ここで起こっていることは何か、と主は言われる。わたしの民はただ同然で奪い去られ、支配者たちはわめき、わたしの名は常に、そして絶え間なく侮られている、と主は言われる。

※2 引用箇所不明

※3 引用箇所不明

※4 ルカ6:32,27,35参照
32:自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。
27:「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
35:しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。

※5 エレミヤ7:11
わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。

※6 エフェソ1:23
会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。

※7 創世記1:27
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

※8 エフェソ5:22-23参照
22 妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。
23 キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。

※9 1コリント9:2参照
他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです。

二世紀の著者の説教 辛抱強く希望しよう

2013-11-13 00:33:01 | 日記
二世紀の著者の説教
 兄弟の皆さん、父の御心を行いましょう。父は私たちが生きるように、また熱心に徳を追い求めるように招いてくださったのです。私たちの罪の先頭に立つ悪意を捨てましょう。どんな悪にも捕まることがないように、不敬から遠ざかりましょう。私たちが善を行うように努めるとき、平和が私たちと共にあるからです。それゆえ、人間的な恐怖心にかられて、未来の約束よりも現世の快楽を大切にする人々には、平和は見いだされません。この人々は、現世の快楽にどれほどの苦痛が伴うか、また、来世にどれほどの喜びが約束されているかを知らないでいるのです。彼らが自分たちだけでそのようなことをしているのであれば、それはまだ耐えられることです。しかし、彼らは罪のない者たちに、何が何でも悪を教えようとし続けているのです。そうすることによって、彼らが二倍の罰、すなわち、自身の罰と彼らに聞き従う人の罰の原因となることなど考えもしないのです。

 ですから、私たちは清い心で神に仕えましょう。そうすれば私たちは正しい者となるでしょう。けれども、神の約束を信じず、神に仕えないなら、私たちは惨めな者となるでしょう。預言者も次のように述べています。「二心のある者は惨めである。心で疑い、『そのことは私たちの先祖の時代にも聞いており、私たちは来る日も来る日も待ち望みましたが、何一つ見ることはありませんでした』と言う者は惨めである。愚か者よ、あなたがたを木と比べてみなさい。たとえば葡萄の木は、まず葉を落とします。それから芽を出し、続いて青い実がなり、そしてやっと実は熟します。同様に、私の民も苦難と試練を受けました。しかし、後に幸福を受けるでしょう。」※1

 ですから、兄弟の皆さん、二心のないようにしましょう。報いを受けるために辛抱強く希望しましょう。一人一人にその行いに応じて報いを与える※2と約束してくださったのは、真実な方だからです※3。したがって、私たちが神の前に正義を行うなら、私たちは神の国に入り、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかった※4」約束されたものを受けるのです。

 したがって、いつも愛と正義をもって神の国を待ち望んでいましょう。神の現れる日を知らないからです。兄弟の皆さん、今こそ悔い改めましょう。善に目覚めていましょう。私たちは多くの愚かさと悪意に満ちているからです。私たちの以前の罪を消し、心の底から悔い改めて、救いを得ましょう。へつらうことなく、仲間内でだけ気に入られるように努めるのではなく、み名が私たちのために汚されることの無いように、正義の故に外部の人々にも喜んでもらえるようにしましょう。


年間第三十二水曜日 読書
第一朗読 ダニエル5:1-6:1
第二朗読 二世紀の著者の説教

 まだ聖書正典の範囲がきまる過程にある古代教会の説教です。このころ、預言者の言葉として引用されているものは、現在の聖書には見当たりません。失われた書簡、または、三世紀以降に聖書として認められなくなった書簡があるのでしょうか。少なくとも、一部の教会に伝わっていたが全教会にまでは行き渡らなかった書簡なのでしょう。

※1 引用箇所不明

※2 マタイ16:27参照
人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。

※3 ヘブライ10:23参照
約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。

※4 1コリント2:9
しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。

二世紀の著者の説教 心からの誠実な悔い改め

2013-11-12 00:30:20 | 日記
二世紀の著者の説教
 地上で生活している間に悔い改めましょう。私たちは陶工の手の中にある粘土のようなものです。陶工は器を作っているとき、その手の中で器の形がくずれたり壊れたりすると、もう一度作りなおしますが、火のかまどに入れてしまってからは、もはやそのために何もすることはできません。同じように私たちも、この世にいる間に、肉体をもっている人として犯した罪を心の底から悔い改めましょう。悔い改める時間のあるうちに、主によって救われるためです。

 この世を去ってからは、そこでは罪を告白することも、悔い改めることも、もはやできないのです。ですから、兄弟の皆さん、父のみ心を行い、貞潔を守り、主の掟を守るとき、私たちは永遠のいのちをいただくのです。主は福音の中で仰せになります。「小事を守らなかったならば、だれが大事をあなたがたにゆだねるだろう。私はあなたたちに言う。ごく小さなことに忠実な者は、大きな事にも忠実である※1。」ここで言われていることの意味は次の通りです。永遠の命を受けるために肉体を清く守りなさい。洗礼の封印を汚れなく守りなさい。

 あなた方の内に、この肉体は裁かれることも復活することもない、と言う者がだれもいませんように。次のことを思い起こしなさい。あなたかたがこの肉体のうちに生きている間でなければどのようにして救われ、どのようにして目を開かれたのですか。ですから、私たちはこの肉体を神の神殿として守らなければなりません※2。あなたがたは肉体をもって招かれたのと同じように、肉体をもって裁きの場に来ることになっているからです。私たちを救われた主・キリストが初めは霊であったのに、私たちを招くために肉体となられたのですから、私たちもこの肉体において報いを受けるのです。

 ですから、私たちはそろって神の国に行けるように、互いに愛し合いましょう。治療の余地のある間にいやしてくださる神に身をまかせましょう。そしてお返しを差し上げましょう。何を差し上げましょうか。心からの誠実な悔い改めです。神はすべてを前もって知っておられ、私たちの心の中にあるものも全て知っておられるからです。それで、口先ばかりでなく、心から神に賛美をささげましょう。私たちが子として迎え入れていただけますように。主はこう仰せになったからです。「私たちの父の御心を行う人が、私の兄弟である。※3」


年間第三十二火曜日 読書
第一朗読 ダニエル3:8-30
第二朗読 二世紀の著者の説教

※1 ルカ16:12,10参照
12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。
10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。

※2 1コリント3:16参照
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。

※3 マタイ12:50
だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。