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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖クレメンス 手本となった

2011-06-30 23:18:03 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
「コリントの信徒への手紙」
さて、昔の人々の手本を離れて、私たちにごく近しい勇士たちのことに移り、私たちの時代の立派な手本を取り出してみましょう。最も偉大で最も正しい柱であった人たちは、ねたみと恨みのゆえに迫害を受け、死に至るまで戦いました。

立派な使徒達を目の前に思い浮かべてみましょう。まずペトロです。ペトロは不正なねたみの故に、一つや二つではなく多くの労苦を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光の場所へと去って行きました。パウロはねたみと争いのゆえに忍耐の報いにいたる道を示しました。七度も鎖につながれ、追放され、石を投げつけられ、東方においても西方においても宣教者となって、自分の信仰の立派な栄誉を受けました。彼は全世界に義を教え、西の果てに行った後、支配者たちの前で証しを立て、こうして最大の忍耐の手本残して世を去って、聖なる場所へと旅だったのです。

このように尊く生活したこの二人に、選ばれた人達の大群が加わりました。この人達は、ねたみのゆえに受けた多くの責め苦と拷問を忍び、私たちの間で最も美しい手本となったのです。
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6月30日 ローマ教会最初の殉教者たち (任意)
ネロ皇帝によって行われた教会に対する最初の迫害において、64年のローマ焼失の後、きわめて残酷な方法で多くのキリスト者が処刑された。クレメンスはコリントの信徒に宛てた手紙でこの迫害について述べている。

ペトロ、パウロとともに生きたクレメンスは、使徒達を 私たちにごく近しい勇士たちと表現しています。かれにとっての昔の人々の手本とは旧約時代のことであり、近しい人は聖ペトロ、聖パウロなのです。まだ、新約聖書が教会に広まる前の使徒達が身近であった時代の手紙です。


聖クレメンス一世 小道は多いが道は一つ

2011-05-20 22:05:50 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
愛する皆さん、私たちが救いを見いだす道とは、私たちの奉献の大祭司、私たちの諸々の弱さの保護者であり、また助け手であるイエス・キリストです。
キリストを通して私たちは天の高みにじっと目を注ぎ、キリストを通して神の汚れない崇高な顔を鏡に映すかのように眺め、キリストを通して私たちの心の目は開かれ、キリストを通して私たちの鈍く暗い精神も再び開花し、キリストを通して主なる神は不死の知恵を私たちに味わわせてくださいました。キリストは神のみいつの反映であって、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。
・・・

私たちの体の事を取り出してみましょう。頭は足なしにはどうにもなりませんし、足も頭なしにはどうにもなりません。私たちの体の最も小さな部分でも、全体にとってはかけがえのないものであり、役に立っているのです。体の全ての部分は、全身を健康に保つために、意を合わせ、相互に従いながら奉仕しているのです。
それゆえ、イエス・キリストにおける私たちの体の全体が、健全であるようにしましょう。そして一人一人が、自分が受けた賜物に応じて隣人に従うことにしましょう。

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復活節第四金曜日


聖クレメンス一世 悔い改めなさい

2011-03-09 22:39:55 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30~101年) ローマ司教
『コリントの信徒への手紙』
キリストの御血を見つめ、御父にとってどれほど値の高いものであるかを理解しましょう。その血は私たちの救いのために流され、全世界に悔い改めの恵みをもたらしたものだからです。
あらゆる時代に思いを馳せて、主が各時代にそのつど、主のもとに戻ろうとしている人々に「悔い改めの機会をお与えになった」※1ことを学びましょう。

ノアは悔い改めを説き、それに聞き従った人達は救われました。
ヨナはニネベの人々に破滅を説きました。そこで彼らは自分たちの罪を悔い改め、祈りによって神の怒りを和らげて、神から離れていた異邦人であったにもかかわらず救いを得ました。※2

・・・

神は、その愛する者たちが悔い改めにあずかることを望み、全能の意志をもってこのように定めてくださったのです。

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灰の水曜日 第一朗読 イザヤ58:1-12

※1 知恵の書 12:9~10
神を信じない者たちを戦いのさなかに、神に従う人々の手に渡し、獰猛(どうもう)な獣や厳しい言葉で即座に滅ぼすことも、あなたにとって不可能ではなかった。
しかし、あなたは徐々に罰を加えながら、悔い改めの機会を与えておられた

※2 ヨナ 3:4-10
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

※3 エゼキエル 33:11
彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

※4 エゼキエル 18:30
それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。

※5 イザヤ1:16-20
洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り やもめの訴えを弁護せよ。
論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。
お前たちが進んで従うなら大地の実りを食べることができる。かたくなに背くなら、剣の餌食になる。
主の口がこう宣言される。

聖クレメンス 神の愛のきずな

2011-01-18 16:42:33 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30-101年) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
キリストと結ばれて愛をもっている人は、その命令を実行してください。神の愛のきずなを誰が説明し尽くせるのでしょうか。その崇高な美しさを誰が表現できるでしょうか。愛が導き入れる高みは、言い表すことはできません。愛は私たちを神と一致させ、「愛は多くの罪を覆います。」愛はすべてのことに耐え、すべてのことに辛抱強いのです。愛には卑しいところは何一つなく、高ぶるところもありません。愛は分裂を知らず、愛は反抗せず、愛は人々の心を一つにして万事を行うようにさせます。神によって選ばれたすべての人は、愛によって完成させ、愛が無ければ神に喜ばれるものは何一つありません。・・・

わたしたちの主イエス・キリストが、神のみ心のままに、わたしたちのためにその血を流し、わたしたちの体のためにその体を、私たちの命のためにその命を渡してくださったのも、私たちに対する愛ゆえのことです。
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聖クレメンス 神は信仰によって義とされた

2011-01-16 09:08:37 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30-101年) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
わたしたちは神の祝福に心を留め、祝福の道がどのようなものであるか見ることにしましょう。初めからの出来事を早期しましょう。わたしたちの父アブラハムはなぜ祝福されたのでしょうか。アブラハムが信仰によって義とまことを実践したからではありませんが。イサクは・・・。ヤコブは・・・。

・・・それで、彼らがすべて栄光に満たされて偉大な者とされたのは、自分自身によるのでも、その業によるのでも、あるいは自分が行った業の正しさによるのでもなく、ただ神の意志によるのです。したがって、神の意志によってキリスト・イエスのうちに招かれたわたしたちも、自らによって義とされるのでも、わたしたち自身の知恵や理解や敬虔や、清い心で行った業によって義とされるのでもなく、信仰によって義とされるのです。全能の神は、世の初めからすべての人を信仰によって義とされたのです。神に栄光がありますように。 アーメン

それで、兄弟の皆さん、わたしたちはどうしたら良いのでしょうか。善行をやめ、愛を放棄すべきなのでしょうか。いいえ、そのようなことがわたしたちの間に起こるのを、主が決しておゆるしになりませんように。むしろ、ありとあらゆる善行を献身的に、また熱心に行うべきです。創造主であり、一切のものの主である神も、ご自分の行われた業をお喜びになるからです。
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神は、わたしたちを信仰によって義とされました。しかし、善行をやめ、愛を放棄すべきではありません。
神は、私たちの行う善い業をお喜びになります。