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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖クレメンス一世 神のみ旨から逸脱することの無いように

2012-10-29 22:55:38 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~101年) ローマ司教
『コリントの信徒への手紙』
愛する皆さん、注意しましょう。主にふさわしい生活を送らず、主の御前に善良なこと、そのお望みになることを心を合わせて行うのでなければ、これほどの神の恵みの働きは、私たちの裁きになりかねません。聖書のある箇所でこう言われています。「主の霊は腹のすみずみまで探るともしび」※1 主がどれほど近くにおられるか、そして私たちの思いも、たくらみも、主には隠されていないことを考えましょう。

主がどれほど近くにおられるか、そして私たちの思いも、たくらみも、主には隠されていないことを考えましょう。ですから、私たちが神のみ旨から逸脱しないことが大切です。神を怒らせるよりは、愚かで思慮なく、傲慢で誇り顔で大言壮語している人間どもを怒らせるほうがましです。



年間第三十月曜日
第一朗読 知恵の書 1:16-24
第二朗読 聖クレメンス一世のコリントの信徒への手紙

※1 箴言20:27 七十人訳
主の灯は人間の吸い込む息。腹の隅々まで探る。(新共同訳より)



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がローマ司教となった時、使徒は聖ヨハネを除いて殉教していた。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm

聖クレメンス一世 神は適切に調和のうちに世界を調える

2012-10-28 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~)
『コリントの信徒への手紙』
父であり全世界の創造主である神に注意深く目を注ぎ、偉大にして比類のないその平和の賜物と恩恵に、固く一致しましょう。知性をもって神を眺め、魂の目を持ってその寛容な意志を見つめましょう。神が一切の被造物に対して、どれほど怒らずにふるまっておられるかを考えてみましょう。

天は神の統治によって運行し、平和の内に神に従います。昼と夜は相互に妨害することなく、神によって定められた道を全うしています。太陽と月、もろもろの星の群れは、神の命令のままに、調和のうちに、少しも外れることなく、定められた軌道を走っています。豊穣な大地は神の意志のままに、季節ごとに人間と動物、また地の面に生きているすべてのもののために、豊かな食物を産します。大地は逆らうこともなく、神の定めを一つも変えはしません。

極めがたい深淵と地下の世界の名伏しがたい規定も、神の同じ命令によって保たれています。果てしない大海のくぼみも神の計らいによって水の集まる所※1として構築されます。その大海は、周りにめぐらされた境界線を越えることなく、命じられたとおりのことを行っています。神が「ここまでは来ても良いが、超えてはならない。お前の波はお前の中で打ち砕かれるのだ※2」と言われたからです。人間の渡ることのできない大洋とその向こうにある世界も、主の同じ命令によって治められています。

春、夏、秋、冬の四季も、平和のうちに移り変わってゆきます。四方の風の倉も、それぞれの季節に応じてその奉仕を混乱無く果たしています。こんこんと湧き出る泉は、人々の楽しみと健康のために造られており、人の命のためになる滋養を絶え間なく与えています。最も小さな生き物も、一致して平和のうちに集会を催しています。

これらすべてのものが平和と一致の内にあるようにと、偉大な創造主、万物の主はお命じになりました。神はその恵み有る業をすべてのものに及ぼされますが、特に私たちの主イエス・キリストを通して、そのあわれみにより頼んでいる私たちに対しては、一層豊かにそれを施してくださるのです。この主イエス・キリストに、栄光と威厳が世々にありますように。アーメン。


年間第三十主日
第一朗読 知恵1:1-15
第二朗読 聖クレメンス一世 コリント信徒への手紙

※1 創世記1:9 参照
神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。

※2 ヨブ38:11
「ここまでは来てもよいが越えてはならない。高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がローマ司教となった時、使徒は聖ヨハネを除いて殉教していた。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm

聖クレメンス一世 愛の和合のうちに神の命令を実践

2012-07-13 00:00:40 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30年~101年) ローマ司教
『コリントの信徒への手紙』

愛する皆さん、愛がどれほど偉大で驚くべきものであるかをご覧ください。その完全さは、説明し尽くせるものではありません。愛を心に抱いている人とみなされる者はだれでしょうか。神がそれにふさわしい者としてくださった者だけではないでしょうか。それゆえ人間的な党派心をなくして汚れのない者となり、愛を心に抱いている者とみなされるよう、神の憐れみに祈り求めましょう。アダムから今日に至るまで、一切の世代が過ぎ去って行きましたが、神の恵みによって完全な愛の境地にいたった人達だけが、敬虔な人達の占める場所にとどまります。この敬虔な人達こそ、キリストの国が現れるとき、明らかにされるのです。こう書きしるされています。「わたしの激しい怒りが通り過ぎるまで、しばらくの間、穴に入っていなさい。わたしは祝いの日を思い出し、墓からあなたたちを起き上がらせるだろう。※1」

愛する皆さん、愛によって諸々の罪のゆるしを得るために、愛の和合のうちに神の命令を実践するなら、何と幸いなことでしょう。次のように書きしるされています。「いかに幸いなことでしょう、不法をするされ、罪を覆っていただいた人は。いかに幸いな事でしょう、主に咎を数えられず、口に欺きのない人は。※2」この幸いは、主イエス・キリストを通して神に選ばれた人々の上に降ります。この神に栄光が世々にありますように。

私たちが、反対者〔である悪魔〕の罠にはまって行ったこと、また、犯してしまったすべてのことがらをゆるしていただけるよう、嘆願いたしましょう。そしてあの人たち、すなわち、騒動と分裂の首謀者となった人たちは、〔キリスト者たちの〕共通の希望を優先的に考えなければなりません。それは、畏れと愛を生活の原則としている人は、他の人を苦しみに陥れるよりも、自らが苦しむ方を望むものだからです。そしてこのような人々は、すばらしく、また、誠実に私たちに伝えられた一致和合が損なわれるよりも、自分自身が弾劾される方を優先させるのです。人間にとって、自分の心をかたくなにするよりも、過ちを告白する方が良いからです。

それで、あなたたちの間でだれが寛大な方でしょうか。だれがあわれみ深い方でしょうか。だれが愛に満ちた方でしょうか。その人にはこう言って頂きたいものです。「もし、争乱、不和、分裂の原因が私たちにあるのなら、私は国外に出て、皆さんのお望みになるところへ参りましょう。私は会衆の皆さんがお命じになることを果たします。キリストの羊の群れが、自分たちの上に立てられた長老たちと平和を保つことだけを望みます。」このように行う人は、キリストにおいて大きな誉れを受けるでしょう。そしてどこに行ったとしても、喜んで受け入れられるでしょう。「地とそこに満ちるものは、主のもの※3」だからです。神の国の市民として、立派な市民生活を営む人が行ったこと、また、行うにちがいないことはこのようなことであり、その人たちは自分の行いについて決して悔やむことはないでしょう。



年間第十四金曜日
第一朗読 列王記上 1:11-2:12
第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』

※1
イザヤ26:20
さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ激しい憤りが過ぎ去るまで。

エゼキエル37:12
それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。

※2 詩篇 32:1-2
いかに幸いなことでしょう背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。

※3 詩篇 24:1
地とそこに満ちるもの世界とそこに住むものは、主のもの。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がローマ司教となった時、使徒は聖ヨハネを除いて殉教していた。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。
女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm

聖クレメンス一世 全ての人に共通する利益を求めなければならない

2012-07-09 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
「コリントの信徒への手紙」
[兄弟の皆さん]、こう記されています。「聖なる人達と固く結びつきなさい。彼らと固く結びつく人は聖なる者とされるだろう※1。」また、他の箇所ではこう言っています。「罪のない人とともにいれば、あなたは罪のない者となり、選ばれた人とともにいれば、選ばれた者となり、また、心の曲がった人とともにいれば、心の曲がった者となる。※2」ですから、罪のない人々、正しい人々と固く結びつきましょう。その人達こそ神によって選ばれた人達だからです。なぜあなたたちの間に、争い、怒り、不和、分裂、闘争があるのでしょうか。私たちは唯一の神、唯一のキリスト、そして私たちの上に注がれた唯一の恵みの霊、キリストにおける唯一の召命をもっているのではありませんか※3。なぜキリストのからだの肢体を引き離し、切り裂くのですか。なぜ自分自身の体に対して反乱を起こし、このような狂気に走るのですか。私たちが互いに体の肢体であることを忘れたのですか※4。

私たちの主イエス・キリストの次の言葉を思い起こしなさい。主はこう仰せになりました。「このような人は災いだ。私が選んだ者の一人をつまずかせるよりま、生まれてこなかった方が良かった。私が選んだ者の一人を正しい道からそらせるよりも、石臼を体にかけられて海に投げ込まれる方が良かった※5。」あなたたちの分裂は、多くの人を正しい道から引き離し、多くの人を落胆に、多くの人を疑惑に、私たち皆を悲しみに追いやりました。しかもあなたたちの騒ぎはまだ続いているのです。



年間第十四 月曜日
第一朗読 サムエル下 15:7-16:13
第二朗読 聖クレメンス一世 「コリントの信徒への手紙」

※1 引用箇所不明

※2 詩編18:26-27 (七十人訳)
あなたの慈しみに生きる人にあなたは慈しみを示し無垢な人には無垢に清い人には清くふるまい心の曲がった者には背を向けられる。(参考として 新共同訳から引用)

※3 1コリント8:6 エフェソ4:4-6参照
・わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
・体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

※4 1コリント12:27参照
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

※5 マルコ14:21 マタイ18:6参照
・人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。
・ しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がローマ司教となった時、使徒は聖ヨハネを除いて殉教していた。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

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http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm

聖クレメンス一世 苦しみを忍び、最も美しい手本となった

2012-06-30 07:14:14 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
「コリントの信徒への手紙」
さて、昔の人々の手本を離れて、私たちにごく近しい勇士たちのことに移り、私たちの時代の立派な手本を取り出してみましょう。最も偉大で最も正しい柱であった人たちは、ねたみと恨みのゆえに迫害を受け、死に至るまで戦いました。

立派な使徒達を目の前に思い浮かべてみましょう。まずペトロです。ペトロは不正なねたみの故に、一つや二つではなく多くの労苦を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光の場所へと去って行きました。パウロはねたみと争いのゆえに忍耐の報いにいたる道を示しました。七度も鎖につながれ、追放され、石を投げつけられ、東方においても西方においても宣教者となって※1、自分の信仰の立派な栄誉を受けました。彼は全世界に義を教え、西の果てに行った後、支配者たちの前で証しを立て、こうして最大の忍耐の手本残して世を去って、聖なる場所へと旅だったのです。

このように尊く生活したこの二人に、選ばれた人達の大群が加わりました。この人達は、ねたみのゆえに受けた多くの責め苦と拷問を忍び、私たちの間で最も美しい手本となったのです。婦人たちは、ねたみのゆえに迫害されました。彼女たちは、タナイデスやディルカイ[の装いをさらせれて]、恐るべき汚らわしい責め苦を受けた後、信仰の確固たる歩みを全うし、か弱い肉体を持ちながら、高貴な報いを受けました。ねたみは妻たちを夫から遠ざけ、私たちの父祖アダムが言った「これこそわたしの骨の骨、私の肉の肉※2」という言葉を変えてしまいました。ねたみと争いは大きな町を崩壊させ、偉大な民族を根こそぎにしてしまいました。

愛する皆さん、私たちがこのようなことを書き送るのは、皆さんを戒めるためだけではなく、私たち自身にも思い起こさせるためなのです。私たちも皆さんと同じ闘技場におり、同じ戦いが私たちにも課せられているからです。ですから、役に立たないむなしい考えを捨てて、私たちに伝えられた賞賛すべき尊い戒めを守るようにしましょう。そして、私たちを創造してくださった神の前で、何が良いことなのか、何が喜ばれることなのか、また、何が嘉納されることなのかをよく考えましょう。キリストの流された血にじっと目を注いで、それが御父にとってどれほど値の高いものであったかを、よくわけまえましょう。実に、その血は私たちの救いのために流されて、全世界に悔い改めの恵みをもたらしました。



6月30日 ローマ教会最初の殉教者たち (任意)
ネロ皇帝によって行われた教会に対する最初の迫害において、64年のローマ焼失の後、きわめて残酷な方法で多くのキリスト者が処刑された。古代ローマの歴史家タキトゥスは『年代記』15:44で、さらにローマの司教クレメンスはコリントの信徒に宛てた手紙の中でこの迫害について述べている。

※1 1テモテ2:7
わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。

※2 創世記2:23
人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がローマ司教となった時、使徒は聖ヨハネを除いて殉教していた。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm