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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖クレメンス 自分自身の利益ではなく、全ての人に共通する利益を求めなければならない

2013-07-08 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
「コリントの信徒への手紙」
 [兄弟の皆さん]、こう記されています。「聖なる人達と固く結びつきなさい。彼らと固く結びつく人は聖なる者とされるだろう※1。」また、他の箇所ではこう言っています。「罪のない人とともにいれば、あなたは罪のない者となり、選ばれた人とともにいれば、選ばれた者となり、また、心の曲がった人とともにいれば、心の曲がった者となる。※2」ですから、罪のない人々、正しい人々と固く結びつきましょう。その人達こそ神によって選ばれた人達だからです。なぜあなたたちの間に、争い、怒り、不和、分裂、闘争があるのでしょうか。私たちは唯一の神、唯一のキリスト、そして私たちの上に注がれた唯一の恵みの霊、キリストにおける唯一の召命をもっているのではありませんか※3。なぜキリストの体の肢体を引き離し、切り裂くのですか。なぜ自分自身の体に対して反乱を起こし、このような狂気に走るのですか。私たちが互いに体の肢体であることを忘れたのですか※4。

 私たちの主イエス・キリストの次の言葉を思い起こしなさい。主はこう仰せになりました。「このような人は災いだ。私が選んだ者の一人をつまずかせるよりま、生まれてこなかった方が良かった。私が選んだ者の一人を正しい道からそらせるよりも、石臼を体にかけられて海に投げ込まれる方が良かった※5。」あなたたちの分裂は、多くの人を正しい道から引き離し、多くの人を落胆に、多くの人を疑惑に、私たち皆を悲しみに追いやりました。しかもあなたたちの騒ぎはまだ続いているのです。

 使徒パウロの手紙をもう一度ひもときなさい。パウロは福音宣教の最初にあなたたちに何と書き送ったでしょうか。実際パウロは、聖霊に促されて、自分自身とケファとアポロのことについて手紙の中で書き送っています。そのときから、すでにあなたたちは党派を組んでいたからです。しかしながら、あの当時の党派はあなたたちにとってまだ罪の軽いものでした。証しされた使徒達と、使徒達によって認められた一人の男を選んで党派を作っていたからです。

 それゆえ、早くこの悪を取り除くことにしましょう。そして、主の足下にひれ伏して、主が私たちをあわれみ、私たちと和解し、昔日の、厳正で清い兄弟愛に満ちた生き方を私たちに回復してくださるよう、嘆願しながら涙しましょう。


年間第十四月曜日 読書 
第一朗読 サムエル下 15:7-16:13
第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』

※1 引用箇所不明
※2 詩編18:26-27 (七十人訳)
あなたの慈しみに生きる人にあなたは慈しみを示し無垢な人には無垢に清い人には清くふるまい心の曲がった者には背を向けられる。(参考として 新共同訳から引用)

※3 1コリント8:6 エフェソ4:4-6参照
・わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
・体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。
主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。

※4 1コリント12:27参照
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。

※5 マルコ14:21 マタイ18:6参照
・人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。
・ しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。
女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス この人達はねたみのゆうに受けた苦しみを忍び、最も美しい手本となった

2013-06-30 07:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
「コリントの信徒への手紙」
 さて、昔の人々の手本を離れて、私たちにごく近しい勇士たちのことに移り、私たちの時代の立派な手本を取り出してみましょう。最も偉大で最も正しい柱であった人たちは、ねたみと恨みのゆえに迫害を受け、死に至るまで戦いました。

 立派な使徒達を目の前に思い浮かべてみましょう。まずペトロです。ペトロは不正なねたみの故に、一つや二つではなく多くの労苦を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光を耐え忍び、こうして証しを立てた上で、彼に値する栄光の場所へと去って行きました。パウロはねたみと争いのゆえに忍耐の報いにいたる道を示しました。七度も鎖につながれ、追放され、石を投げつけられ、東方においても西方においても宣教者となって※1、自分の信仰の立派な栄誉を受けました。彼は全世界に義を教え、西の果てに行った後、支配者たちの前で証しを立て、こうして最大の忍耐の手本残して世を去って、聖なる場所へと旅だったのです。

 このように尊く生活したこの二人に、選ばれた人達の大群が加わりました。この人達は、ねたみのゆえに受けた多くの責め苦と拷問を忍び、私たちの間で最も美しい手本となったのです。婦人たちは、ねたみのゆえに迫害されました。彼女たちは、タナイデスやディルカイ[の装いをさらせれて]、恐るべき汚らわしい責め苦を受けた後、信仰の確固たる歩みを全うし、か弱い肉体を持ちながら、高貴な報いを受けました。ねたみは妻たちを夫から遠ざけ、私たちの父祖アダムが言った「これこそわたしの骨の骨、私の肉の肉※2」という言葉を変えてしまいました。ねたみと争いは大きな町を崩壊させ、偉大な民族を根こそぎにしてしまいました。

 愛する皆さん、私たちがこのようなことを書き送るのは、皆さんを戒めるためだけではなく、私たち自身にも思い起こさせるためなのです。私たちも皆さんと同じ闘技場におり、同じ戦いが私たちにも課せられているからです。ですから、役に立たないむなしい考えを捨てて、私たちに伝えられた賞賛すべき尊い戒めを守るようにしましょう。そして、私たちを創造してくださった神の前で、何が良いことなのか、何が喜ばれることなのか、また、何が嘉納されることなのかをよく考えましょう。キリストの流された血にじっと目を注いで、それが御父にとってどれほど値の高いものであったかを、よくわけまえましょう。実に、その血は私たちの救いのために流されて、全世界に悔い改めの恵みをもたらしました。


6月30日 ローマ教会最初の殉教者たち (任意)
 ネロ皇帝によって行われた教会に対する最初の迫害において、64年のローマ焼失の後、きわめて残酷な方法で多くのキリスト者が処刑された。古代ローマの歴史家タキトゥスは『年代記』15:44で、さらにローマの司教クレメンスはコリントの信徒に宛てた手紙の中でこの迫害について述べている。

第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖クレメンス 「コリントの信徒への手紙」

※1 1テモテ2:7
わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。

※2 創世記2:23
人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」


聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
 初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス一世 小道は多いが、道は一つ

2013-04-26 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(30~101年頃) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
 愛する皆さん、私たちが救いを見いだす道とは、私たちの奉献の大祭司、私たちの諸々の弱さの保護者であり、また助け手であるイエス・キリストです。

 キリストを通して私たちは天の高みにじっと目を注ぎ、キリストを通して神の汚れない崇高な顔を鏡に映すかのように眺め、キリストを通して私たちの心の目は開かれ、キリストを通して私たちの鈍く暗い精神も再び光を受けて開花し、キリストを通して主なる神は不死の知恵を私たちに味わわせてくださいました。キリストは神のみいつの「反映であって※1」、「天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです※2。」

 それで、兄弟の皆さん、非の打ち所のないキリストの命令に従い、全力をあげて私たちの兵役の務めを果たそうではありませんか。

 私たちの司令官たちに仕えている兵士たちのことを考えてごらんなさい。なんと整然と、なんと喜び勇んで、なんと従順に、命じられたことを完全に果たしていることでしょうか。すべての兵士が長官であるわけではなく、すべてが千人隊長、百人隊長、五十人隊長であるわけでもなく、またそれに続く長でもありません。しかしながら、一人一人は自分の序列を守りながら、王や司令官たちによって命じられたことを果たしているのです。

 高い身分の人は低い身分の人なしに存在することはできませんし、低い身分の人も高い身分の人なしに存在することはできません。ありとあらゆるものには一種の混ぜ合わせがあり、それによって利益がもたらされるのです。

 私たちの体の事を取り出してみましょう。頭は足なしにはどうにもなりませんし、足も頭なしにはどうにもなりません。私たちの体の最も小さな部分でも、全体にとってはかけがえのないものであり、役に立っているのです。体の全ての部分は、全身を健康に保つために、意を合わせ、相互に従いながら奉仕しているのです。

 それゆえ、イエス・キリストにおける私たちの体の全体が、健全であるようにしましょう。そして一人一人が、自分が受けた賜物に応じて隣人に従うことにしましょう。強い人は弱い人を配慮し、弱い人は強い人を尊敬しなさい。富む人は貧しい人を助け、貧しい人は自分の欠乏を満たしてくれる人を与えて下さった神に感謝しなさい。知恵のある人は、その知恵の言葉によってではなく善行によって示しなさい。謙遜な人は、自らその正しさを主張するのではなく、他の人が自分について証しするのにまかせなさい。肉体を純潔に保っている人は、節制を支えて下さるのは別の方だということをわきまえて、尊大になってはなりません。

 兄弟の皆さん、私たちがどのような素材で作られ、この世に来たとき、私たちが何者で、どのような本性を持っていたのか、また、私たちを形づくり創造してくださった方が、どのような墓、どのような闇から、ご自分の世界へと私たちを導いて下さったかについて、よく考えてみましょう。神は、私たちが生まれる以前にその恵みをすでに備えておられたのです。

 私たちはこれらすべてを、神からいただいているのですから、すべてについて神に感謝しなければなりません。栄光が神に世々にありますように。アーメン。



復活節第四金曜日 読書
第一朗読 黙示録17:1-18
第二朗読 聖クレメンス1世『コリントの信徒への手紙』

※1 ヘブライ1:3
御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。

※2 ヘブライ1:4
御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス一世 悔い改めなさい

2013-02-13 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年)
『コリントの信徒への手紙』
キリストの御血を見つめ、御父にとってどれほど値の高いものであるかを理解しましょう。その血は私たちの救いのために流され、全世界に悔い改めの恵みをもたらしたものだからです。

あらゆる時代に思いを馳せて、主が各時代にそのつど、主のもとに戻ろうとしている人々に「悔い改めの機会をお与えになった」※1ことを学びましょう。ノアは悔い改めを説き、それに聞き従った人達は救われました。ヨナはニネベの人々に破滅を説きました。そこで彼らは自分たちの罪を悔い改め、祈りによって神の怒りを和らげて、神から離れていた異邦人であったにもかかわらず救いを得ました。※2

神の恵みに仕える人たちは、聖霊に動かされて悔い改めについて語りました。万物の主ご自身も、悔い改めについて誓いをもってこう語られました。「私は生きている、と主は言われる。私は罪人が死ぬのを望まない。むしろ罪人が悔い改めることを望む※3。」そして優しい宣言を付け加えておられます。「イスラエルの家よ、あなたたちの不法を悔い改めよ※4。我が民の子らにこう言いなさい。たとえあなたたちの罪が地から天に達するほどであっても、緋色より赤く、粗布より黒くても、もし真心から私に立ち帰り、『父よ』と言うならば、私はあなたたちの声を聖なる民の声として聞こう※5。」

神は、その愛する者たちが悔い改めにあずかることを望み、全能の意志をもってこのように定めてくださったのです。

・・・



灰の水曜日
第一朗読 イザヤ58:1-12

※1 知恵の書 12:9~10
神を信じない者たちを戦いのさなかに、神に従う人々の手に渡し、獰猛(どうもう)な獣や厳しい言葉で即座に滅ぼすことも、あなたにとって不可能ではなかった。
しかし、あなたは徐々に罰を加えながら、悔い改めの機会を与えておられた

※2 ヨナ 3:4-10
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。

※3 エゼキエル 33:11
彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。

※4 エゼキエル 18:30
それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。

※5 イザヤ1:16-20
洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ善を行うことを学び裁きをどこまでも実行して搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り やもめの訴えを弁護せよ。
論じ合おうではないか、と主は言われる。たとえ、お前たちの罪が緋のようでも雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても/羊の毛のようになることができる。
お前たちが進んで従うなら大地の実りを食べることができる。かたくなに背くなら、剣の餌食になる。
主の口がこう宣言される。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/

聖クレメンス一世 神の愛の絆を、誰が説明し尽くせるであろうか

2013-01-22 00:00:00 | 聖クレメンス一世
聖クレメンス一世(紀元30~101年) ローマ司教、殉教者
『コリントの信徒への手紙』
キリストと結ばれて愛をもっている人は、その命令を実行してください。神の愛の絆(きずな)を誰が説明し尽くせるのでしょうか。その崇高な美しさを誰が表現できるでしょうか。愛が導き入れる高みは、言い表すことはできません。愛は私たちを神と一致させ、「愛は多くの罪を覆います。※1」愛はすべてのことに耐え、すべてのことに辛抱強いのです。愛には卑しいところは何一つなく、高ぶるところもありません。愛は分裂を知らず、愛は反抗せず、愛は人々の心を一つにして万事を行うようにさせます。神によって選ばれた全ての人は、愛によって完成され、愛が無ければ神に喜ばれるものは何一つありません。主が私たちをご自分の方に引き寄せて下さったのも、愛によってでした。私たちの主イエス・キリストが、神のみ心のままに、私たちのためにその血を流し、私たちの体のためにその体を、私たちの命のためにその命を渡してくださったのも、私たちに対する愛ゆえのことです。

愛する皆さん、愛がどれほど偉大で驚くべきものであるかをご覧なさい。その完全さは説明し尽くせるものではありません。愛を心に抱いている人とみなされる人はだれでしょうか。神がそれにふさわしい者としてくださった者たちだけではないでしょうか。それゆえ、人間的な党派心をなくして汚れの無い者となり、愛を心に抱いている者とみなされるよう、神のあわれみに祈り求めましょう。アダムから今日に至るまで、一切の世代が過ぎ去っていきましたが、神の恵みによって完全な愛の境地に達した人たちだけが、敬虔な人たちの占める場所にとどまります。この敬虔な人たちこそ、キリストの国が現れるとき、明らかにされるのです。このように書き記されています。「私の激しい怒りが通り過ぎるまで、しばらくの間、穴に入っていなさい。私は祝いの日を思い出し、墓からあなたたちを起き上がらせるだろう※2。」

愛する皆さん、愛によってもろもろの罪のゆるしを得るため、愛に結ばれて神の命令を実践するなら、なんと幸いなことでしよう。次のように書き記されています。「いかに幸いなことでしょう、不法がゆるされ、罪を覆っていただいた人は。いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、口に欺きのない人は※3。」この幸いは、主イエス・キリストを通して神に選ばれた人々の上に降ります。神に栄光が世々にありますように。アーメン


年間第二火曜日
第一朗読 申命記6:4-25
第二朗読 聖クレメンス一世 『コリントの信徒への手紙』

※1 1ペトロ4:8
何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

※2 イザヤ26:20、エゼキエル37:12-13参照
・さあ、わが民よ、部屋に入れ。戸を堅く閉ざせ。しばらくの間、隠れよ 激しい憤りが過ぎ去るまで。
・それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。

※3 詩編32:1-2
【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう 背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。
いかに幸いなことでしょう 主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。



聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。

女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマの聖クレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代にも、クレメンスの手紙は、信者の集会で公に読まれていました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message194.htm