聖クレメンス一世(30年~101年) ローマ司教
「コリントの信徒への手紙」
謙遜な思いを持ち、節制に励みながら一切の陰口と悪口から遠く離れ、一致の衣を身にまとい、言葉ではなく行いによって正しい生活を送りましょう。次のように言われています。「多く語った人は、次に聞き手にならなければならない。口がうまければそれで正しいと認められると思うのか。※1」
それで、私たちは自ら進んで良いことを行わなければなりません。すべては神から来るからです。神はこう警告しておられます。「見よ、主だ。その報いは主のみ前にある。業に応じて主が報いをお与えになるために。※2」それゆえ、神は、心を尽くして神を信じている私たちが、すべてのよい業に対して怠惰でなおざりにならないように勧めておられるのです。私たちの誉れと確信を神のうちにおき、神のみ旨に服しましょう。神の天使の群れ全体が、そのそばにあって、神のみ旨に奉仕しているさまを考えましょう。聖書は次のように語っています。「幾万人が御前に立ち、幾千人がみ前に仕えていた※3。」そして、「『聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、その栄光はすべての被造物を覆う』と叫んでいた※4。」
それで、私たちも思いを一つにし、良心に導かれて一つの場所に集まり、あたかも一つの口をもってするかのように絶えず神に向かって叫びをあげ、その偉大で誉れ在るもろもろの約束にあずかる者となりましょう。次のように言われているからです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を待ち望んでいる者たちに準備されたのです。※5」
愛する皆さん、神の諸々の賜物は、なんとすばらしく、驚くべきことでしょう。それは、不死の生命、正義の輝き、開かれた心で受け入れたれた真理、確信ある信仰、聖なる節制です。これらすべてのものを、私たちはすでに知っています。待ち望む者達に準備されているものは何でしょうか。世々の創造主、父であるいとも聖なる方、その方だけがそれらのもののありさまと美しさを知っておられます。したがって、約束された賜物にあずかるために、私たちも待ち望んでいる者達の数に加えられるように努力しましょう。
年間第三十水曜日 読書
第一朗読 知恵の書 6:1-25
第二朗読 聖クレメンス一世 コリントの信徒への手紙
※1 ヨブ11:2-3(七十人訳)
これだけまくし立てられては答えないわけにいくまい。口がうまければそれで正しいと認められるだろうか。あなたの無駄口が人々を黙らせるだろうか。嘲りの言葉を吐いて恥をかかずに済むだろうか。(新共同訳)
※2 イザヤ62:11、箴言 24:12 黙示録 22:12 参照
・見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い主の働きの実りは御前を進む。
・「できなかったのだ」などと言っても心を調べる方は見抜いておられる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
・見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
※3 ダニエル7:10
その前から火の川が流れ出ていた。幾千人が御前に仕え幾万人が御前に立った。裁き主は席に着き巻物が繰り広げられた。
※4 イザヤ6:3
彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
※5 1コリント2:9参照
しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。
女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/
「コリントの信徒への手紙」

それで、私たちは自ら進んで良いことを行わなければなりません。すべては神から来るからです。神はこう警告しておられます。「見よ、主だ。その報いは主のみ前にある。業に応じて主が報いをお与えになるために。※2」それゆえ、神は、心を尽くして神を信じている私たちが、すべてのよい業に対して怠惰でなおざりにならないように勧めておられるのです。私たちの誉れと確信を神のうちにおき、神のみ旨に服しましょう。神の天使の群れ全体が、そのそばにあって、神のみ旨に奉仕しているさまを考えましょう。聖書は次のように語っています。「幾万人が御前に立ち、幾千人がみ前に仕えていた※3。」そして、「『聖なる、聖なる、聖なる万軍の主、その栄光はすべての被造物を覆う』と叫んでいた※4。」
それで、私たちも思いを一つにし、良心に導かれて一つの場所に集まり、あたかも一つの口をもってするかのように絶えず神に向かって叫びをあげ、その偉大で誉れ在るもろもろの約束にあずかる者となりましょう。次のように言われているからです。「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神はご自分を待ち望んでいる者たちに準備されたのです。※5」
愛する皆さん、神の諸々の賜物は、なんとすばらしく、驚くべきことでしょう。それは、不死の生命、正義の輝き、開かれた心で受け入れたれた真理、確信ある信仰、聖なる節制です。これらすべてのものを、私たちはすでに知っています。待ち望む者達に準備されているものは何でしょうか。世々の創造主、父であるいとも聖なる方、その方だけがそれらのもののありさまと美しさを知っておられます。したがって、約束された賜物にあずかるために、私たちも待ち望んでいる者達の数に加えられるように努力しましょう。
年間第三十水曜日 読書
第一朗読 知恵の書 6:1-25
第二朗読 聖クレメンス一世 コリントの信徒への手紙
※1 ヨブ11:2-3(七十人訳)
これだけまくし立てられては答えないわけにいくまい。口がうまければそれで正しいと認められるだろうか。あなたの無駄口が人々を黙らせるだろうか。嘲りの言葉を吐いて恥をかかずに済むだろうか。(新共同訳)
※2 イザヤ62:11、箴言 24:12 黙示録 22:12 参照
・見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い主の働きの実りは御前を進む。
・「できなかったのだ」などと言っても心を調べる方は見抜いておられる。魂を見守る方はご存じだ。人の行いに応じて報いを返される。
・見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
※3 ダニエル7:10
その前から火の川が流れ出ていた。幾千人が御前に仕え幾万人が御前に立った。裁き主は席に着き巻物が繰り広げられた。
※4 イザヤ6:3
彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
※5 1コリント2:9参照
しかし、このことは、「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は御自分を愛する者たちに準備された」と書いてあるとおりです。
聖クレメンス一世(紀元30~101年 在位 91~101年)
初代教会時代のローマ司教。使徒パウロ、使徒ペトロから教えを受けた、使徒教父の一人。彼がペトロの三代後のローマ司教として一世紀末のローマ教会を治めた。コリントの教会にあてて、その平和と一致を回復させるための優れて手紙を送った。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会などで聖人。
女子パウロ会 聖人カレンダーへ
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=112301
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」の連続講話で、ローマのクレメンスが紹介されています。エウセビオス(263年ごろ~339年)の時代までは、信者の集会でクレメンスの手紙が読まれていたようです。(アレクサンドリア写本に入っています)
https://www.cbcj.catholic.jp/2007/03/07/3537/