エルサレムの聖チリロ(315~386年) エルサレムの司教、教会博士
教話
「私が与える水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちにいたる生きた水が湧き出る。※1」それは新しい生きた水であり、湧き出る水です。しかも、その水を受けるに相応しい人々のために湧き出る水です。主はなぜ聖霊の恵みを、「水」と呼ばれたのでしょうか。それは、水が万物の根底であるからです。水は草木を生えさせ、いのちを与え、空から雨となって下り、雨というただ一つの姿で下っても様々な姿で働きます。水は、やしの木とぶどうの木の中に別々の姿となります。水は、すべてのものの中にすべてとなります。それでも、そのものの姿は一つであって、それ自体の姿は変わりません。ここに降っても、あそこに降っても、雨の姿は変わりません。しかし、雨を受けるもののありさまに自分を合わせ、それぞれのものに適したものを生じさせます。
これと同様に、聖霊もそれ自体唯一で、その姿はいつも同じで分かたれないものでありながら、望みのままに様々な賜物を一人ひとりに分け与えられるのです※2。 枯れたような木は、水を注がれると芽を出します。同様に、罪深い魂が悔い改めて聖霊を受けることができるようになると、義の実を結びます。いつも同じ姿である聖霊は、神の命令により、キリストの名において数多くの徳を育てます。
すなわち、聖性は知恵を語るためにある人の口を用い、ある人の魂を預言を述べるように照らし、ある人に悪魔を追い出す力を与え、ある人には聖書を解釈する能力を与えます。また、ある人の節制を強め、ある人には施しの仕方を教え、またある人には断食と禁欲を教えます。また、ある人に肉体の利害を軽視することを教え、ある人に殉教する心構えを与えます。つまり聖霊は様々な人のうちで違っていながら、自らは別々のものではありません。「一人ひとりに霊の働きが現れるのは、その利益となるためです※3」と聖書に書かれているとおりです。
聖霊は静かに私たちの中に入って来ます。芳しく感じ取られます。その軛は非常に負いやすいものです※4。聖霊の到来を告げて先に来るのは、光りと知識の光線です。聖霊は真実の保護者としてのいつくしみを持っています。事実、聖霊は、救い、いやし、教え、勧告し、強め、慰め、治世を照らしに来ます。まず聖霊を受け取る本人の中でこれらの働きをし、次いで、聖霊を受けたその人を通して他の人々の中で同じ働きをします。
そして、以前は闇の中にいた人が突然、太陽を見て目に光を受け、それまで見えなかったものをはっきりと見るようになるのと同様に、聖霊を与えられた人の魂は照らされ、彼はそれまで知らなかったものを、人間の力を超えた方法で見るようになります。
復活節第七月曜日
第一朗読 1ヨハネ4:1-10
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教の教話
※1 ヨハネ4:13-14
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
※2 1コリント12:11
これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
※3:1コリント12:7
一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
※4 マタイ11:30
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801
教話

これと同様に、聖霊もそれ自体唯一で、その姿はいつも同じで分かたれないものでありながら、望みのままに様々な賜物を一人ひとりに分け与えられるのです※2。 枯れたような木は、水を注がれると芽を出します。同様に、罪深い魂が悔い改めて聖霊を受けることができるようになると、義の実を結びます。いつも同じ姿である聖霊は、神の命令により、キリストの名において数多くの徳を育てます。
すなわち、聖性は知恵を語るためにある人の口を用い、ある人の魂を預言を述べるように照らし、ある人に悪魔を追い出す力を与え、ある人には聖書を解釈する能力を与えます。また、ある人の節制を強め、ある人には施しの仕方を教え、またある人には断食と禁欲を教えます。また、ある人に肉体の利害を軽視することを教え、ある人に殉教する心構えを与えます。つまり聖霊は様々な人のうちで違っていながら、自らは別々のものではありません。「一人ひとりに霊の働きが現れるのは、その利益となるためです※3」と聖書に書かれているとおりです。
聖霊は静かに私たちの中に入って来ます。芳しく感じ取られます。その軛は非常に負いやすいものです※4。聖霊の到来を告げて先に来るのは、光りと知識の光線です。聖霊は真実の保護者としてのいつくしみを持っています。事実、聖霊は、救い、いやし、教え、勧告し、強め、慰め、治世を照らしに来ます。まず聖霊を受け取る本人の中でこれらの働きをし、次いで、聖霊を受けたその人を通して他の人々の中で同じ働きをします。
そして、以前は闇の中にいた人が突然、太陽を見て目に光を受け、それまで見えなかったものをはっきりと見るようになるのと同様に、聖霊を与えられた人の魂は照らされ、彼はそれまで知らなかったものを、人間の力を超えた方法で見るようになります。
復活節第七月曜日
第一朗読 1ヨハネ4:1-10
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教の教話
※1 ヨハネ4:13-14
イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
※2 1コリント12:11
これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
※3:1コリント12:7
一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
※4 マタイ11:30
わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801