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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

エルサレムの聖チリロ イエス・キリストの二つの到来

2012-12-02 22:00:00 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教
教話
私たちはキリストの到来を告げます。ただ一つの到来ではなく、第2の到来も告げ知らせます。この第2の到来は、先のものより遙かに輝かしいものです。第一の到来は忍耐を示すものでしたが、第二の到来は、王としての支配を表す冠を帯びて来るキリストの到来です。

私たちの主イエス・キリストに関する出来事は、ほとんどの場合、二通りの仕方で起こります。二つの誕生、すなわち、世界が始まる前の[父なる]神からの誕生と、時が満ちたときの乙女[マリア]からの誕生があります。到来にも二つあり、一つは羊の毛の上に降る雨のように※1、音もなく目立たない到来であり、もう一つは将来起こる輝かしい到来です。

・・・

預言者マラキはこれら二つの到来について、次のように語っています。「あなたたちが待ち望んでいる主は、突如その神殿に来られる。※8」これは第一の到来です。

第2の到来について預言者は続けて語っています。「あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、全能の神から来られる。だが、この方の来るに日にだれが耐えられようか。この方の現れるとき、誰が耐えられようか。まことに、この方は精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、精錬よる者、清める者として座に着く。※9」

パウロもテストにあてた手紙の中で、これら二つの到来について次のように書き記しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは私たちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。※10」)パウロがまず第一の到来について語り、そのために感謝し、次に、私たちが待っている第二の到来について語ったということがおわかりになったでしょう。

 それで、私たちが宣言する信仰は、今の形で伝えられ、私たちが信じるのは、天に昇って、父の右の座におられる方。その方は栄光のうちに再び来られ、生者と死者を裁き、その支配は終わることがありません、と言うのです。

ですから、わたしたちの主イエス・キリストは天から来られます。この世の終わりに、その最後の日に、栄光を帯びて来られるのです。事実、この世はいつか終わり、造られたこの世は新たにされるのです。


待降節第一主日
第一朗読 イザヤ1:1-18
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話

※1 士師記6:36-38参照

※8 マラキ3:1
※9 マラキ3:1-3
※10 テトス2:11-13



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

エルサレムの聖チリロ 信条について

2012-11-08 00:00:00 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教、教会博士
教話

信仰を学ぶにせよ信仰を告白するにせよ、教会によってあなたに伝えられたものだけを獲得し、保ちなさい。この信仰こそ、聖書全体によって裏付けられています。ところで、皆が聖書を読むことができるわけではありません。ある人は読み書きができないから、またある人は忙しくて時間がないから、聖書の知識を身につけることができません。それで、この無知のために人の霊魂が滅びないよう、私たちはわずかの言葉の中に信仰の教義全体をまとめています。

生涯、この信条を旅路の糧のように保ち、他のどんな信条も受け入れてはなりません。たとえ私自身が考えを変えて、今教えている信条と違う信条を教えるようなことがあっても、あるいは悪い使いが光の天使を装って※1、あなたを信仰に関する誤りに導こうとしても、受け入れてはなりません。「たとえ私たち自身であれ、天使であれ、私たちが今あなたがたに告げたものに反する福音をづけ知らせようとするなら、呪われるがよい※2」からです。

今のところ、言葉で告げられた信条を聞いて、その信仰の言葉を記憶に留めなさい。時が来れば、それぞれの箇条についての聖書の裏付けを教えられることになります。この信条は、人間の気まぐれによって信仰の内容をまとめたものではなく、聖書全体の中から、最も重要な点を選んで、信仰の教えを一つに要約してものですから。ちょうど、小さなからし種の中に数多くの枝が含まれているように、この信条は、わずかな言葉の中に、旧約聖書と新約聖書に含まれている敬神の知識を全て包み込んでいます。

兄弟たちよ、注意を払い、今伝えられた教えを固く保ち※3、それを心の板に書き記しなさい※4。


年間第三十一木曜日
第一朗読 1マカバイ記4:36-59
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話

※1 2コリント 11:14参照
だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。

※2 ガラテヤ1:8
しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。

※3 2テサロニケ2:15
すから、兄弟たち、しっかり立って、わたしたちが説教や手紙で伝えた教えを固く守り続けなさい。

※4 箴言7:3参照
それをあなたの指に結び、心の中の板に書き記せ。



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)

女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801

エルサレムの聖チリロ 信仰の力は人間の力を超えてゆく

2012-11-07 22:06:37 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教、教会博士
教話
信仰という言葉はただ一つのものでしかありませんが、二つの違った事実を表しています。

【教義】
第1の種類の信仰はは教義に関係するものであり、あることに霊魂が同意することを意味しています。この信仰は、霊魂にとって有益なものです。主は仰せになりました。「私の言葉を聞いて、私がお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることはない。※1」さらに言われます。「御子を信じる者は裁かれない※2。その者は死から命へと移っている※3。」

人々に対して神がもっておられる愛は、なんと大きいことでしょう。[旧約の]正しい人々は、神によしとされる者となるのに長い時間がかかりました。彼らが真剣に長い年月をかけて努力して得たものを、イエス・キリストは一時(いっとき)のうちにあなたに授けてくださいます。実際、イエス・キリストは主であり、神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるならば、あなたは救われ※4、強盗を楽園に入れられた方によって楽園に移されます。それは可能なことであると確信してください。ゴルゴタの上で、一時の間、信じていた強盗を救われた方は、信じているあなたをも救ってくださるのです。

【霊的賜物】
もう一つの種類の信仰があります。これは霊的な賜物としてキリストからある人に分け与えられるものです。「ある人には霊によって知恵の言葉、ある人には同じ霊によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって病気を癒す力が与えられます。※5 」

この聖霊によって賜物として与えられる信仰は、ただ教義に関するものだけではなく、人間の力を超えることを実現します。



※1 ヨハネ5:24
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

※2 ヨハネ3:18
御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

※3 ヨハネ5:24
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。

※4 ローマ10:9参照
口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。

※5 1コリント12:8-9
ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、


エルサレムの聖チリロ キリストの花嫁である教会

2012-08-02 00:00:17 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315~386年) エルサレムの司教
「教話」
「普遍的」教会とは、私たちの母であり聖なる教会の固有の名前です。この教会は、神のひとり子、私たちの主イエス・キリストの花嫁です。(「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように・・・※1」)教会はまた、天のエルサレムの姿、その写しです。この天のエルサレムは、「いわば自由な身の女であって、私たちの母です※2」彼女は、以前は不妊の女でしたが、今は多くの子を産みます。

先の集いが退けられてから、第2の集いである普遍的な教会の中で、神は使徒パウロが言っているように、「第一に使徒、第2に預言者、第3に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒す賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者をお立てになりました。※3」 また、神はこの教会にあらゆる種類の徳、すなわち知恵と知識、節制と義、憐れみと人間に対する愛、さらに迫害の中でくじけることのない忍耐をお授けになりました。

この教会は、左右の手に義の武器を持ち、ほめられても、そしられても※4、まず迫害と苦しみの時代に、聖なる殉教者の頭にさまざまな花で編まれた忍耐の冠をかぶせました。そして今、平和が訪れた時代に、教会は神の恵みにより、王達や貴人たち、さらにあらゆる身分の人々からもふさわしい栄誉を受けています。そして、王たちの権限が各国民に住む国土に限られているのに対して、聖なる普遍的教会の権限だけが全世界に及びます。聖書に書かれているように、神が教会の「国境に平和を置いて下さった※5からです。

私たちは、この聖なる普遍的教会の中でよく教え導かれて、天の国を得、永遠のいのちを継ぐようになります。主が私たちにそれを授けて下さるよう、私たちは全てを堪え忍びます。私たちの目標は取るに足りないものではなく、追い求めているのは永遠の命なのです。ですから、信仰宣言は「肉身のよみがえり」、つまり死者のよみがえりを信じるようにと教え、続いて「永遠のいのち」を信じるようにと教えています。この永遠の命を得るために、キリスト者は戦っているのです。

真実でまことの命は、御父です。この御父は、御子によって、聖霊のうちに、天の賜を皆、泉からのように被造物の上に注いでくださいます。その人間に対する愛によって、御父は私たち人間にも永遠の命を与えることをまさに約束されたのです。※6



年間第十七木曜日
第一朗読 2コリント11:7~29 偽の使徒に対抗する
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教 教話

※1 エフェソ5:25
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。

※2 ガラテヤ4:26
他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。

※3 1コリント12:28
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。

※4 2コリント6:7~8
真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。

※5 詩篇147:14
あなたの国境に平和を置き あなたを最良の麦に飽かせてくださる。

※6 マタイ19:29
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
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エルサレムの聖チリロ 恵みのときに罪を告白しなさい

2012-07-07 00:00:17 | エルサレムの聖チリロ
エルサレムの聖チリロ(315~386年) エルサレムの司教、教会博士
教話
今ここに罪の奴隷となっている者がいれば、その人は自由な人間、神の子とする新しい誕生に向かった、信仰によって準備すべきです。みじめな罪の奴隷の状態を捨て、主の幸いなしもべの身分を獲得し、天の国を受け継ぐにふさわしい者となるべきです。欲情に惑わされる滅びに向かう古い人を、告白によって脱ぎ捨てなさい。造り主の姿にならう新しい人を身に着けるためです※1。信仰によって保証として聖霊を受けなさい※2。永遠の住まいに迎え入れてもらうためです※3。神秘的な証印を受ける※4ように近づきなさい。主によってよく知られた者として認められるためです。キリストの分別ある聖なる羊の群れに加わりなさい。いつか、他の者と分けられてキリストの右に置かれ、あなたたちのために用意されているいのちを受け継ぐ者となるためです※5。

事実、汚れた毛のように罪が身についている者は、そのとき主の左に置かれるでしょう※6。その人たちが、再生の洗い※7によってキリストから与えられる神の恵みに近づかなかったからです。私が言うのは、体が生まれ変わることではなく、魂の霊的な再生のことです。体は目に見える両親から生まれますが、魂は信仰によって再び生まれます。「霊が思いのままに吹く※8」からです。そのとき、あなたがふさわしい者となっているなら、すなわち偽善の汚れでとがめられるところが両親にないなら、「忠実な良い僕(しもべ)だ。よくやった※9」という主の言葉を聞くでしょう。

ここにいる者の中で、だれかが恵みを欺くことができると考えるなら、その人は間違っており、神の力を知らないのです。人よ、あなたは心とはらわたを調べる方※10のことを考えて、偽善のない心を持ちなさい。

今は告白すべき時です。言葉や行いによって、夜、あるいは昼間に犯した罪を告白しなさい。恵みのときに罪を告白し、救いの日に天の宝を受けなさい※11。



年間第十三土曜日
第一朗読 サムエル下11:1-27
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教の教話

※1 エフェソ4:22-24
だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。

※2 2コリント5:5
わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えてくださったのです。

※3 ルカ16:9
そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。

※4 エフェソ1:13
あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。

※5 マタイ25:34
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

※6 マタイ25:33
羊を右に、山羊を左に置く。

※7 テトス3:5
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、御自分の憐れみによって、わたしたちを救ってくださいました。この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

※8 ヨハネ3:8
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

※9 マタイ25:21
主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』

※10 詩篇7:10
あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし/あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方/神は正しくいます。

※11 2コリント6:2
なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた」と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。



エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801