エルサレムの聖チリロ(315-386年) エルサレムの司教
教話
私たちはキリストの到来を告げます。ただ一つの到来ではなく、第2の到来も告げ知らせます。この第2の到来は、先のものより遙かに輝かしいものです。第一の到来は忍耐を示すものでしたが、第二の到来は、王としての支配を表す冠を帯びて来るキリストの到来です。
私たちの主イエス・キリストに関する出来事は、ほとんどの場合、二通りの仕方で起こります。二つの誕生、すなわち、世界が始まる前の[父なる]神からの誕生と、時が満ちたときの乙女[マリア]からの誕生があります。到来にも二つあり、一つは羊の毛の上に降る雨のように※1、音もなく目立たない到来であり、もう一つは将来起こる輝かしい到来です。
・・・
預言者マラキはこれら二つの到来について、次のように語っています。「あなたたちが待ち望んでいる主は、突如その神殿に来られる。※8」これは第一の到来です。
第2の到来について預言者は続けて語っています。「あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、全能の神から来られる。だが、この方の来るに日にだれが耐えられようか。この方の現れるとき、誰が耐えられようか。まことに、この方は精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、精錬よる者、清める者として座に着く。※9」
パウロもテストにあてた手紙の中で、これら二つの到来について次のように書き記しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは私たちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。※10」)パウロがまず第一の到来について語り、そのために感謝し、次に、私たちが待っている第二の到来について語ったということがおわかりになったでしょう。
それで、私たちが宣言する信仰は、今の形で伝えられ、私たちが信じるのは、天に昇って、父の右の座におられる方。その方は栄光のうちに再び来られ、生者と死者を裁き、その支配は終わることがありません、と言うのです。
ですから、わたしたちの主イエス・キリストは天から来られます。この世の終わりに、その最後の日に、栄光を帯びて来られるのです。事実、この世はいつか終わり、造られたこの世は新たにされるのです。
待降節第一主日
第一朗読 イザヤ1:1-18
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話
※1 士師記6:36-38参照
※8 マラキ3:1
※9 マラキ3:1-3
※10 テトス2:11-13
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801
教話

私たちの主イエス・キリストに関する出来事は、ほとんどの場合、二通りの仕方で起こります。二つの誕生、すなわち、世界が始まる前の[父なる]神からの誕生と、時が満ちたときの乙女[マリア]からの誕生があります。到来にも二つあり、一つは羊の毛の上に降る雨のように※1、音もなく目立たない到来であり、もう一つは将来起こる輝かしい到来です。
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預言者マラキはこれら二つの到来について、次のように語っています。「あなたたちが待ち望んでいる主は、突如その神殿に来られる。※8」これは第一の到来です。
第2の到来について預言者は続けて語っています。「あなたたちが喜びとしている契約の使者、見よ、全能の神から来られる。だが、この方の来るに日にだれが耐えられようか。この方の現れるとき、誰が耐えられようか。まことに、この方は精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、精錬よる者、清める者として座に着く。※9」
パウロもテストにあてた手紙の中で、これら二つの到来について次のように書き記しています。「すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは私たちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。※10」)パウロがまず第一の到来について語り、そのために感謝し、次に、私たちが待っている第二の到来について語ったということがおわかりになったでしょう。
それで、私たちが宣言する信仰は、今の形で伝えられ、私たちが信じるのは、天に昇って、父の右の座におられる方。その方は栄光のうちに再び来られ、生者と死者を裁き、その支配は終わることがありません、と言うのです。
ですから、わたしたちの主イエス・キリストは天から来られます。この世の終わりに、その最後の日に、栄光を帯びて来られるのです。事実、この世はいつか終わり、造られたこの世は新たにされるのです。
待降節第一主日
第一朗読 イザヤ1:1-18
第二朗読 エルサレムの聖チリロ 教話
※1 士師記6:36-38参照
※8 マラキ3:1
※9 マラキ3:1-3
※10 テトス2:11-13
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801