エルサレムの聖チリロ(315~386年) エルサレムの司教、教会博士
「教話」
「普遍的」教会とは、私たちの母であり聖なる教会の固有の名前です。この教会は、神のひとり子、私たちの主イエス・キリストの花嫁です。(「キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように・・・※1」と聖書に書かれている通りです。)教会はまた、天のエルサレムの姿、その写しです。この天のエルサレムは、「いわば自由な身の女であって、私たちの母です※2」彼女は、以前は不妊の女でしたが、今は多くの子を産みます。
先の集いが退けられてから、第二の集いである普遍的な教会の中で、神は使徒パウロが言っているように、「第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒す賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者をお立てになりました。※3」 また、神はこの教会にあらゆる種類の徳、すなわち知恵と知識、節制と義、憐れみと人間に対する愛、さらに迫害の中でくじけることのない忍耐をお授けになりました。
この教会は、左右の手に義の武器を持ち、ほめられても、そしられても※4、まず迫害と苦しみの時代に、聖なる殉教者の頭にさまざまな花で編まれた忍耐の冠をかぶせました。そして今、平和が訪れた時代に、教会は神の恵みにより、王達や貴人たち、さらにあらゆる身分の人々からもふさわしい栄誉を受けています。そして、王たちの権限が各国民に住む国土に限られているのに対して、聖なる普遍的教会の権限だけが全世界に及びます。聖書に書かれているように、神が教会の「国境に平和を置いて下さった※5」からです。
私たちは、この聖なる普遍的教会の中でよく教え導かれて、天の国を得、永遠のいのちを継ぐようになります。主が私たちにそれを授けて下さるよう、私たちは全てを堪え忍びます。私たちの目標は取るに足りないものではなく、追い求めているのは永遠の命なのです。ですから、信仰宣言は「肉身のよみがえり」、つまり死者のよみがえりを信じるようにと教え、続いて「永遠のいのち」を信じるようにと教えています。この永遠の命を得るために、キリスト者は戦っているのです。
真実でまことの命は、御父です。この御父は、御子によって、聖霊のうちに、天の賜を皆、泉からのように被造物の上に注いでくださいます。その人間に対する愛によって、御父は私たち人間にも永遠の命を与えることをまさに約束されたのです。※6
年間第十七木曜日 読書
第一朗読 2コリント11:7~29 偽の使徒に対抗する
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教 教話
※1 エフェソ5:25
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
※2 ガラテヤ4:26
他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
※3 1コリント12:28
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
※4 2コリント6:7~8
真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。
※5 詩篇147:14
あなたの国境に平和を置き あなたを最良の麦に飽かせてくださる。
※6 マタイ19:29
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801
ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message224.htm
「教話」

先の集いが退けられてから、第二の集いである普遍的な教会の中で、神は使徒パウロが言っているように、「第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒す賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者をお立てになりました。※3」 また、神はこの教会にあらゆる種類の徳、すなわち知恵と知識、節制と義、憐れみと人間に対する愛、さらに迫害の中でくじけることのない忍耐をお授けになりました。
この教会は、左右の手に義の武器を持ち、ほめられても、そしられても※4、まず迫害と苦しみの時代に、聖なる殉教者の頭にさまざまな花で編まれた忍耐の冠をかぶせました。そして今、平和が訪れた時代に、教会は神の恵みにより、王達や貴人たち、さらにあらゆる身分の人々からもふさわしい栄誉を受けています。そして、王たちの権限が各国民に住む国土に限られているのに対して、聖なる普遍的教会の権限だけが全世界に及びます。聖書に書かれているように、神が教会の「国境に平和を置いて下さった※5」からです。
私たちは、この聖なる普遍的教会の中でよく教え導かれて、天の国を得、永遠のいのちを継ぐようになります。主が私たちにそれを授けて下さるよう、私たちは全てを堪え忍びます。私たちの目標は取るに足りないものではなく、追い求めているのは永遠の命なのです。ですから、信仰宣言は「肉身のよみがえり」、つまり死者のよみがえりを信じるようにと教え、続いて「永遠のいのち」を信じるようにと教えています。この永遠の命を得るために、キリスト者は戦っているのです。
真実でまことの命は、御父です。この御父は、御子によって、聖霊のうちに、天の賜を皆、泉からのように被造物の上に注いでくださいます。その人間に対する愛によって、御父は私たち人間にも永遠の命を与えることをまさに約束されたのです。※6
年間第十七木曜日 読書
第一朗読 2コリント11:7~29 偽の使徒に対抗する
第二朗読 エルサレムの聖チリロ司教 教話
※1 エフェソ5:25
夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。
※2 ガラテヤ4:26
他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です。
※3 1コリント12:28
神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。
※4 2コリント6:7~8
真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、辱めを受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。
※5 詩篇147:14
あなたの国境に平和を置き あなたを最良の麦に飽かせてくださる。
※6 マタイ19:29
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
エルサレムの聖チリロ
315年にキリスト者の両親の間に生まれ、348年 マクシモの後任としてエルサレム教会の司教となる。アレイオス派との論争に参加し、アレイオス派を指示する皇帝によって何度か追放された。正しい教義、聖書、そして伝統的な信仰について説くその説教は、司牧者としての熱意を物語っている。(Wikipediaではエルサレムのキュリロス)
女子パウロ会 聖人カレンダー 聖チリロ(エルサレム)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=031801
ベネディクト十六世が、連続講話で「エルサレムのチリロ」について解説しました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message224.htm