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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖アンブロジオ すばらしい弁舌によって人々を捕らえなさい

2012-12-07 18:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジ(340頃から397年)ミラノの司教、教会博士
手紙
あなたは祭司の務めを授けられて、教会の船尾に座り、波の中で舟を操ります。信仰の梶棒を握りしめ、この世の激しい嵐によって船路を乱されないようにしなさい。海は実に大きく果てしなく広がっていますが、恐れてはなりません。主ご自身が、教会の基(もとい)を「大海の上に置き、諸々の[潮の]流れの上にそれを築かれた※1」からです。

したがって、使徒の礎の上に立てられた主の教会が、逆巻く荒波の中で動揺することなく、怒り狂う海の中で毅然としているのは不思議ではありません。この世のことがらは、しばしばぶつかり合って大騒ぎを起こしますが、教会は労苦している人々を受け入れる事ができる最も安全な救いの港を持っています。しかし、教会は海で波に揺られているとはいえ、諸々の[潮の]流れと共に走ります。それらはしろ、「諸々の流れは声を上げた※2」と言われているあの流れのことではないのでしょうか。キリストから飲み物を与えられ、神の霊を飲んだ者のうちからあふれ出る諸々の流れがあります※3。これらの流れは、霊の恵みにあふれると、声を上げるのです。

また、洪水の流れのように聖なる人々の中に流れ込む川もあり※4、穏やかで静かな魂に喜びを与える川もあります※5。福音記者ヨハネのように、またペトロとパウロのように、この満ちあふれる川の恵みを受けた者は声を上げます。そして、使徒達が福音宣教の声を世界のすみずみまで鳴り響かせたように、この人もまた主イエスの福音を宣べ伝えます。

あなたの声も響くように、キリストから受けなさい。キリストの水、主を賛美する水を集めなさい※6。預言者をかたどる雲がまき散らす水を、各地から集めなさい。

山々から水を集めて、それを自分の基に寄せる人、泉から水をくむ人は、雲のように水をまき散らすことができます。ですから、あなたの心をこの水で満たしなさい。そうすればあなたの土地は潤いを保ち、自分の泉から水を受けます。

したがって、多くを読み、理解する人は満たされます。満たされた人は他の人々に注ぎかけます。「雨が雲に満ちれば、それは地に滴る※7」と聖書に書かれているとおりです。

あなたの話が豊かで、清らかで、明らかでありますように。道徳の教えに際しては、徴収の耳に快さを吹き入れ、すばらしい弁舌によって人々を捕らえなさい。そうすれば、人々はあなたの導く所にすすんで着いてくるでしょう。

・・・


12月7日 聖アンブロジオ司教 教会博士 記念日
第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖アンブロジオ 手紙

※1 詩編24:2
主は、大海の上に地の基を置き 潮の流れの上に世界を築かれた。

※2 詩編93:3
主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。

※3 ヨハネ7:38-39参照
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

※4 イザヤ66:12参照
主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河のように 国々の栄えを洪水の流れのように。あなたたちは乳房に養われ 抱いて運ばれ、膝の上であやされる。

※5 詩編46:5参照
御言葉におののく人々よ、主の御言葉を聞け。あなたたちの兄弟、あなたたちを憎む者 わたしの名のゆえに あなたたちを追い払った者が言う 主が栄光を現されるように  お前たちの喜ぶところを見せてもらおう、と。彼らは、恥を受ける。

※6 詩編148:4参照、 ダニエル・アザルヤの祈り37、54-55
天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
37 天の上のすべての水よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。
55 海と川よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。
54 泉よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。

※7 コレヘト11:3
雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。南風に倒されても北風に倒されても/木はその倒れたところに横たわる。



聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ キリストとともに生きるために

2012-11-02 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教
『弟サティロの死について』
死は利益で、命は苦しみだ。このことははっきりわかる。だからパウロは、「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのである※1」と言う。キリストは体を死なせる方であり、いのちをもたらす霊なのである。したがって、キリストとともに生きるために、キリストとともに死ぬように努めよう。日ごとに、いわば死ぬことを習い、死の心構えをもとう。それは、こうした離脱によって私たちの魂が肉の欲を脱却し、欲情が近寄ることも引きつけることもできないほどの高みに達して、死の姿を身に受けるためである。そうすれば、その魂は罰としての死を被ることがないだろう。実に、肉の法則は心の法則と戦い※2、心を誤謬の法則に引き渡そうとする。私たちを助けるどんな薬があるのだろうか。「死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるだろうか。私たちの主イエス・キリストによる神の恵みだ※3。」



11月2日 死者の日
諸聖人の祭日の翌日にすべての死者を記念する習慣は998年にクリュニー修道院のオディロンによって始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって十一世紀には広く行われるようになった。ローマ教会には1311年の暦に初めて記されているが、それ以前からローマでもこの記念が行われていたと思われる。

第一朗読 1コリント15:12-34
第二朗読 アンブロジオ 『弟サティロの死について』

※1 フィリピ1:21
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

※2 ローマ7:23
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

※3 ローマ7:24-25
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。



聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 教会全体のために特に祈るべきこと

2012-10-08 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教
「カインとアベルについての講話」
「賛美を神にいけにえとしてささげ、いと高き神に誓いを果たしなさい※1。」神を賛美するとは、誓いをたてることであると同時に、それを果たすことです。だから、主の命令によって他の九人とともにらいをいやされた後、ただ一人キリストのもとに引き返して神をたたえ、感謝をささげたあのサマリア人を、主は他の九人よりも優れた者となされました。イエスは彼について言われました。「『この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』」それからイエスはその人に言われました。『立ち上がって、息なさい。あなたの信仰があなたを救った※2。』」

主イエスは、よいものをお与えになる父※3の善良さについての尊い教えを示して、このよい父によいものを願うよう諭されました。主は心をこめてたびたび祈るよう勧めていますが、長々と退屈な祈りをするのではなく、熱心にしばしば祈るよう忠告されました※4。多くの場合、長い祈りは空虚なものになりますし、祈りをやめると怠慢に陥るからです。

・・・
また、民のため、すなわち、あなたの母なる教会全体のため、そのすべての肢体のために特に祈るべきことを、あなたは学ばなければなりません。そこにこそ相互愛のしるしがあります。事実、自分のために祈るなら、自分のためだけに祈ることになります。各自が自分のためだけに祈る事になります。各自が自分のためだけに祈るとすれば、それは一人の罪人の祈りにすぎず、互いのための取りなしの祈りと比べて、劣ったものになるからです。各自が皆のために祈っているので、皆の祈りもそれぞれのためになるのです。



年間二十七月曜日
第一朗読 一テモテ2:1-15 祈りへの招き
第二朗読 聖アンブロジオ司教のカインとアベルについての講話

※1 詩編50:14
告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献げ物をせよ。

※2 ルカ17:18-19
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

※3 マタイ7:11
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。



聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)
聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 主において常に喜びなさい

2012-10-05 00:00:21 | 聖アンブロジオ
聖アンプロジオ(340~397年) ミラノの司教
『フィリピの信徒への手紙講話』
愛する兄弟たちよ、今聞いた朗読(フィリピ3:17~4:9参照)の中に、使徒パウロの言葉として「主において常に喜びなさい※1」とあったように、神の慈愛は私たちの魂の救いのために、永遠の幸福の喜びへと私たちを招いています。世間的な喜びは永遠の悲しみに導くものですが、主のみ旨にかなう喜びは、その喜びを持ち続ける者を永遠の喜びに導きます。使徒パウロは「重ねて言います。喜びなさい※2。」と言っています。

神をますます喜びとし、神の掟を果たすことをますます喜ぶよう、パウロは励ましています。それは、この世で神の掟に従うよう努力すればするほど、来世において私たちはより幸福になり、神の前により大きな栄光を得られるからです。

「あなたがたのつつましさが、すべての人に知られるようにしなさい※3。」すなわち、あなたがたの聖なる生活が、神の前ばかりでなく、あなたがたとともに地上に住むすべての人の前に、謙虚と質素の模範として、また神と人々の前によい思い出として現れるようにしなさい、という意味です。

「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい※4。」真実に、正しい信仰、固い希望、完全な愛をもつて、主を呼び求める人々の近くに、主は常におられます※5。主は願う前からあなたがたに必要なものをご存じなのです※6。主は忠実に使えるすべての人に、あらゆる必要に際して、常に助けの手を差し伸べる用意をしておられます。したがって、災いが迫っても大きな不安を抱く必要はありません。守護者である神が、私たちの近くにおられることを知るべきだからです。「主は心のうちひしがれた者の近くにおられ、心の謙虚な者を救われます。正しい者には災いが重なりますが、主がそのすべてから救い出してくださるのです※7。」神がお命じになったことを守り、果たすよう私たちが努めるなら、神は約束を果たすことを遅らせたりはなさらないのです。



年間第二十六金曜日
第一朗読 フィリピ3:17~4:9 主によってしっかり立ちなさい
第二朗読 聖アンプロジオ 『フィリピの信徒への手紙講話』

※1 フィリピ4:4 
主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

※2 フィリピ4:4

※3 フィリピ4:5
あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。

※4 フィリピ4:5-6
主はすぐ近くにおられます。
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

※5 詩編145:18参照
主を呼ぶ人すべてに近くいまし、まことをもって呼ぶ人すべてに近くいまし

※6 マタイ6:8参照
彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。

※7 詩編34:19-20(ウルガタ訳)
主は打ち砕かれた心に近くいまし悔いる霊を救ってくださる。
主に従う人には災いが重なるが主はそのすべてから救い出し(新共同訳)



聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ キリストは自らの血によって世を神と和解させた

2012-08-25 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340~397年) ミラノの司教
『詩編解説』
キリストは世を神と和解させたのであるから、当然、キリストご自身は和解を必要としなかった。事実、何の罪も犯さなかった彼が※1、自分の罪を償うとは考えられないのである。ユダヤ人から律法に従って、罪のために神殿に支払うことになっていた銀貨を要求されたとき※2、キリストはペトロに言われた。「『シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供達からか、それとも他の人々からか。』ペトロが、『他の人からです』と答えると、主は言われた。『では、子供達は治めなくて良いわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として治めなさい。※3』」

こうして主は自分のためには罪を償う必要がないことをお示しになった。神の子が罪の奴隷ではなく、どんな過ちも犯さなかった自由な者だったからである。事実、奴隷は罪に束縛されているが、御子は人々を自由にするのである。御子は何の罪によっても束縛されていなかった。むその血は全世界のあらゆる罪を贖うために有り余るほどの代価であったが※4、自分の魂のためには贖いの代価を支払う必要はなかった※5。 自分には何の負債もない者こそ、他の人々を解放することができるのである。

さらに付け加えよう。キリストは自分を贖うための代価を支払ったり、自分の罪を償ったりする必要がなかっただけでなく、どんな人間についても、各自が自分のことを償う必要がないと言えるのである。それは、キリストがすべての人の罪を償ういけにえであり、万人の贖いだからである。

キリストがすべての人の購いのために自分の血を流されたからには、どんな人の血がその人の購いのために役立つというのか。人の血でキリストの血に比べることのできるようなものがあるとでも言うのか。キリストがご自分を償いのいけにえとしておささげになったこと以上の償いを、自分のためにささげることが出来るような強力な人間がいるだろうか。キリストのみがご自分の血によって世界を神と和解させたのである。すべての人の罪のために自ら償いとなり、購いとしてご自分のいのちを捨てた方よりももって有能な弁護者、もっと高価ないけにえ、もっと貴重なささげものが他にあるだうか※6。



年間第二十土曜日
第一朗読 イザヤ37:21-35
第二朗読 聖アンブロジオ 『詩篇解説』

※1 2コリント5:21
罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

※2 マタイ17:24
一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。

※3 マタイ17:24-27
一行がカファルナウムに来たとき、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て、「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と言った。
ペトロは、「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言いだされた。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」
ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言われた。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。
しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」

※4 1ヨハネ2:2
この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。

※5 詩編49:8
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。

※6 1ヨハネ2:1  マタイ20:28 参照
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。


聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm