聖アンブロジオ(340~397年)ミラノの司教
『詩編解説』
「兄弟が兄弟を贖うのではない。しかし、一人の人が贖うであろう。兄弟は神に償いのいけにえをささげたり、自分の命のために贖いの代価を払ったりしない。※1」 だから[キリストは]言う。「『災いのふりかかる日に、どうして恐れることがあろうか。※2』 私は贖ってくれる人を必要としない。私こそすべての人を贖う者だ。何も私を害することができない。他の人々を解放する私だから、自分自身のためには恐れおののくはずはない。見よ、私は肉親の情愛や慈悲を超えて、すべてを新しくする。※3」同じ母の胎から世に生まれ出た兄弟が、自分の兄弟を贖うことはできないり病に侵された同じ本性を持つからである。しかし、ある人が贖うことができる。その人とは「主は彼らに人を送る。この人は彼らを救う※4」と書かれている人であり、自分自身について、「あなたたちは、真理をあなたたちに語る者であるこの私を殺そうとしている※5」と言われた人である。
キリストは人であるが、だれが彼を知っているのだろうか。なぜだれも彼を知らないのか。それは神が唯一であるように、「神と人との間の仲介者は、人であるキリスト・イエスただおひとりだからである。※6」彼ひとりが兄弟よりも大きな愛を示し、人を贖うのだ。だれも兄弟を救うために自分の血をささげはしない。だが、キリストは身内ではない人のためにご自分の血を流してくださったのである。事実、私たちを罪から贖うために、キリストはご自分の体を惜しまず、「すべての人の贖いとしてご自身をささげられた。※7」彼の真実の証人である使徒パウロが、「私は真実を語り、偽りは言わない※8」と断言したとおりである。
ところで、なぜキリストだけが贖いとなるのだろうか。それは奴隷達のために自分の命を捨てるほどの愛に於いて、彼に匹敵する者はいないからである。また、潔白さにおいても彼に匹敵する者はいない。実際すべての人は罪のもとにあり、あのアダムの堕落に服しているからである。あの古い罪の負い目のない者だけが贖い主として選ばれる。したがって、ひとりの人、主イエスによって贖いがなされる。主はすべての人の罪を自分の肉において十字架に付け、万人を訴えた証書※10をご自分の地で消し去るために、人間性を引き受けられた。
年間第二十金曜日 読書
第一朗読 イザヤ30:1-18
第二朗読 聖アンプロジオ 『詩編解説』
※1 詩編49:8
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。
※2 詩編49:6
災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも どうして恐れることがあろうか
※3 黙示録21:5
すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
※4 イザヤ19:20
それは、エジプトの地において、万軍の主を指し示すしるしとなり、証しとなる。もし彼らが、抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる。
※5 ヨハネ8:40
ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。
※6 1テモテ2:5
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
※7 1テモテ2:6
この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。
※8 ローマ9:1
わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、
聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)
聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm
『詩編解説』

キリストは人であるが、だれが彼を知っているのだろうか。なぜだれも彼を知らないのか。それは神が唯一であるように、「神と人との間の仲介者は、人であるキリスト・イエスただおひとりだからである。※6」彼ひとりが兄弟よりも大きな愛を示し、人を贖うのだ。だれも兄弟を救うために自分の血をささげはしない。だが、キリストは身内ではない人のためにご自分の血を流してくださったのである。事実、私たちを罪から贖うために、キリストはご自分の体を惜しまず、「すべての人の贖いとしてご自身をささげられた。※7」彼の真実の証人である使徒パウロが、「私は真実を語り、偽りは言わない※8」と断言したとおりである。
ところで、なぜキリストだけが贖いとなるのだろうか。それは奴隷達のために自分の命を捨てるほどの愛に於いて、彼に匹敵する者はいないからである。また、潔白さにおいても彼に匹敵する者はいない。実際すべての人は罪のもとにあり、あのアダムの堕落に服しているからである。あの古い罪の負い目のない者だけが贖い主として選ばれる。したがって、ひとりの人、主イエスによって贖いがなされる。主はすべての人の罪を自分の肉において十字架に付け、万人を訴えた証書※10をご自分の地で消し去るために、人間性を引き受けられた。
年間第二十金曜日 読書
第一朗読 イザヤ30:1-18
第二朗読 聖アンプロジオ 『詩編解説』
※1 詩編49:8
神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。
※2 詩編49:6
災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも どうして恐れることがあろうか
※3 黙示録21:5
すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。
※4 イザヤ19:20
それは、エジプトの地において、万軍の主を指し示すしるしとなり、証しとなる。もし彼らが、抑圧する者のゆえに、主に叫ぶならば、主は彼らのために救助者を送り、彼らを救われる。
※5 ヨハネ8:40
ところが、今、あなたたちは、神から聞いた真理をあなたたちに語っているこのわたしを、殺そうとしている。アブラハムはそんなことはしなかった。
※6 1テモテ2:5
神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。
※7 1テモテ2:6
この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。
※8 ローマ9:1
わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、
聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)
聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701
ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm