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毎日の読書 「教会の祈り」

私たちはキリストの体の一部 「聖務日課(読書)」より

聖アンプロジオ 心の輝きで体の美しさを照らす方

2013-12-13 07:25:09 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340頃から397年)ミラノの司教、教会博士
『処女性論』
 あなたは民の一人、民衆の一人、おとめたちの一人であり、心の輝きで体の美しさを照らす方。あなたは夜、自分の部屋に閉じこもって、常にキリストを思い、絶えずその到来を期待し続けなさい。

 キリストはそのようなあなたを望み、そのようなあなたを選んだのである。したがって、戸が開いていれば、キリストは入って来られる。来ると約束した方は偽ることがない。したがって求めていた方を抱擁しなさい。彼に近づきなさい。そうすれば、あなたは照らされる※1。彼を引き留め、早く帰らないように願い、立ち去らないように求めなさい。神のことばは走るからである※2。飽きっぽい人はそれを把握することができず、怠ける人はそれをとらえることが出来ない。その呼びかけに応じて、あなたの魂は主を迎えに行きなさい。そして、天の話の余韻を味わいなさい。ことばは、早く過ぎ去ってしまうから。

 そこで、おとめは何と言うだろう。「求めても、あの方は見つかりません。呼び求めても、答えてくれません。※3」そのように早く立ち去ってしまったのは、呼び求め、戸を開けたあなたが、彼の気に入らなかったからだとは考えないようにしなさい。彼は、しばしば私たちを試みに遭うままにさせておくのである。立ち去らないようにと願う群衆に向かって、福音の中で彼は何と言っているだろう。「ほかの町にも神のことばの福音を伝えなければならない。わたしはそのために遣わされたのである※4。」彼が立ち去ったように思われても、出て行って、再び探しなさい。

 キリストを捕らえておく方法を、聖なる教会以外にだれがあなたに教えてくれるだろう。あなたが自分で読む次のことばを理解するのなら、教会はすでにあなたに教えたはずである。「彼らに別れるとすぐに、恋い慕う人が見つかりました。つかまえました。もう話しません※5。」


2月13日 聖ルチアおとめ殉教者 1 記念日
ディオクレティアヌス帝によるキリスト教迫害の間に、おそらくシチリア島のシラクサで亡くなった。ルチアに対する崇敬は、古代から全教会に広まり、ローマ典礼文(第一奉献文)にその名前が入れられた。

第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖アンブロジオ 『処女性論』

※1 詩編34:6(ウルガタ訳)
主を仰ぎ見る人は光と輝き辱めに顔を伏せることはない。(新共同訳)

※2 詩編147:15参照
主は仰せを地に遣わされる。御言葉は速やかに走る。

※3 雅歌5:6
戸を開いたときには、恋しい人は去った後でした。恋しい人の言葉を追って/わたしの魂は出て行きます。求めても、あの人は見つかりません。呼び求めても、答えてくれません。

※4 ルカ4:43
しかし、イエスは言われた。「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない。わたしはそのために遣わされたのだ。」

※5 雅歌 3:4
彼らに別れるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。つかまえました、もう離しません。母の家に/わたしを産んだ母の部屋にお連れします。



聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ すばらしい弁舌によって人々を捕らえなさい

2013-12-07 00:00:00 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジ(340頃から397年)ミラノの司教、教会博士
手紙
 あなたは祭司の務めを授けられて、教会の船尾に座り、波の中で舟を操ります。信仰の梶棒を握りしめ、この世の激しい嵐によって船路を乱されないようにしなさい。海は実に大きく果てしなく広がっていますが、恐れてはなりません。主ご自身が、教会の基(もとい)を「大海の上に置き、諸々の[潮の]流れの上にそれを築かれた※1」からです。

 したがって、使徒の礎の上に立てられた主の教会が、逆巻く荒波の中で動揺することなく、怒り狂う海の中で毅然としているのは不思議ではありません。この世のことがらは、しばしばぶつかり合って大騒ぎを起こしますが、教会は労苦している人々を受け入れる事ができる最も安全な救いの港を持っています。しかし、教会は海で波に揺られているとはいえ、諸々の[潮の]流れと共に走ります。それらはむしろ、「諸々の流れは声を上げた※2」と言われているあの流れのことではないのでしょうか。キリストから飲み物を与えられ、神の霊を飲んだ者のうちからあふれ出る諸々の流れがあります※3。これらの流れは、霊の恵みにあふれると、声を上げるのです。

 また、洪水の流れのように聖なる人々の中に流れ込む川もあり※4、穏やかで静かな魂に喜びを与える川もあります※5。福音記者ヨハネのように、またペトロとパウロのように、この満ちあふれる川の恵みを受けた者は声を上げます。そして、使徒達が福音宣教の声を世界のすみずみまで鳴り響かせたように、この人もまた主イエスの福音を宣べ伝えます。

 あなたの声も響くように、キリストから受けなさい。キリストの水、主を賛美する水を集めなさい※6。預言者をかたどる雲がまき散らす水を、各地から集めなさい。

 山々から水を集めて、それを自分のもとに寄せる人、泉から水をくむ人は、雲のように水をまき散らすことができます。ですから、あなたの心をこの水で満たしなさい。そうすればあなたの土地は潤いを保ち、自分の泉から水を受けます。

 したがって、多くを読み、理解する人は満たされます。満たされた人は他の人々に注ぎかけます。「雨が雲に満ちれば、それは地に滴る※7」と聖書に書かれているとおりです。

 あなたの話が豊かで、清らかで、明らかでありますように。道徳の教えに際しては、徴収の耳に快さを吹き入れ、すばらしい弁舌によって人々を捕らえなさい。そうすれば、人々はあなたの導く所にすすんでついて来るでしょう。

 あなたの話が知恵に満ちたものでありますように。「知恵ある人の唇は知性の武器※8」とソロモンは言っています。また別の箇所で、「あなたの唇は意味に結ばれていますように※9」とあります。それは、あなたの話は理路整然として、意味は明確であり、論述は他人からの補強を必要とせず、自らの武器で自分を守り、意味のない無駄な言葉が口から出ることが無いと言うことです。


12月7日 聖アンブロジオ司教 教会博士 記念日
第一朗読 当週当曜日
第二朗読 聖アンブロジオ 手紙
※1 詩編24:2
主は、大海の上に地の基を置き 潮の流れの上に世界を築かれた。

※2 詩編93:3
主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。

※3 ヨハネ7:38-39参照
わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。

※4 イザヤ66:12参照
主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう 平和を大河のように 国々の栄えを洪水の流れのように。あなたたちは乳房に養われ 抱いて運ばれ、膝の上であやされる。

※5 詩編46:5参照
御言葉におののく人々よ、主の御言葉を聞け。あなたたちの兄弟、あなたたちを憎む者 わたしの名のゆえに あなたたちを追い払った者が言う 主が栄光を現されるように  お前たちの喜ぶところを見せてもらおう、と。彼らは、恥を受ける。

※6 詩編148:4参照、 ダニエル・アザルヤの祈り37、54-55
天の天よ 天の上にある水よ主を賛美せよ。
37 天の上のすべての水よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。
55 海と川よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。
54 泉よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。

※7 コレヘト11:3
雨が雲に満ちれば、それは地に滴る。南風に倒されても北風に倒されても/木はその倒れたところに横たわる。

※8 箴言 14:3
無知な者の口には傲慢の杖。
知恵ある人の唇は自分を守る。

※9 箴言 16:23
知恵ある心は口の言葉を成功させ
その唇に説得力を加える。



聖アンブロジオ
 340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンプロジオ キリストの死を体にまとおう

2013-11-09 12:10:45 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教
『死の善について』
 「世は私に対し、私は世に対してはりつけにされている※1」と使徒パウロは言う。なお、今行きつつある命にも死があること、しかもよい死があることを私たちが認識するように、「いつもイエスの死を私たちの体にまとう※2」ことを勧めている。自分の中にイエスの死を味わった者は、自分の体の中に主イエスのいのちをもつからである。

 したがって、私たちの中に死が働くがよい。いのちが働くことになるからである。よい命は死の後に来る。すなわち、よいいのちは勝利の後、戦いが終わってから来る。そのとき、もはや肉の法則は心の法則と戦う※3ことがなく、死と体の間の戦いもなく、体に対して死が勝利を収めたことになる。ところで、私たちはこのような死が、いのちよりも強力であるような気がする。確かに「私たちの内には死が働き、あなた方の内には命がはたらいている※4」という使徒パウロの主張は、私たちにそのように思わせる。一人の死が、どれほど多くの民にいのちをもたらしたことだろうか。それで、この世で生きている私たちは、キリストの死が私たちの体の中に輝き出るような死、「私たちの『内なる人』が新たにされ※5」、「私たちの地上の住みかが滅びて※6」天上の住まいが開かれるために、外なる人が衰える※7というような幸いな死を望むべきであると使徒パウロは教えている。


年間第三十一土曜日 読書
第一朗読 1マカバイ9:1-22 ユダの死
第二朗読 聖アンプロジオ 論述『死の善について』
※1 ガラテヤ6:14
しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

※2 2コリント4:10

※3 ローマ7:23参照
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

※4 2コリント4:12
こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。

※5 2コリント4:16
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。

※6 2コリント5:1
わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。

※7 2コリント4:16
だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。


聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ キリストとともに生きるために

2013-11-02 00:00:21 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教
『弟サティロの死について』
死は利益で、命は苦しみだ。このことははっきりわかる。だからパウロは、「私にとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのである※1」と言う。キリストは体を死なせる方であり、いのちをもたらす霊なのである。したがって、キリストとともに生きるために、キリストとともに死ぬように努めよう。日ごとに、いわば死ぬことを習い、死の心構えをもとう。それは、こうした離脱によって私たちの魂が肉の欲を脱却し、欲情が近寄ることも引きつけることもできないほどの高みに達して、死の姿を身に受けるためである。そうすれば、その魂は罰としての死を被ることがないだろう。実に、肉の法則は心の法則と戦い※2、心を誤謬の法則に引き渡そうとする。私たちを助けるどんな薬があるのだろうか。「死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるだろうか。私たちの主イエス・キリストによる神の恵みだ※3。」

 私たちには医者がいる。薬を使おう。私たちの薬はキリストの恵である。死に定められた体は、この私たちの体である。だから、キリストから離れていくことがないように、体から離れよう。体をもって生きるとしても、体が欲することに従わないようにしよう。骨肉の愛の務めを果たしながらも、やはり恵の賜物をより大切にしよう。


11月2日 死者の日
 諸聖人の祭日の翌日にすべての死者を記念する習慣は998年にクリュニー修道院のオディロンによって始められ、クリュニーの修道士たちの影響によって十一世紀には広く行われるようになった。ローマ教会には1311年の暦に初めて記されているが、それ以前からローマでもこの記念が行われていたと思われる。

第一朗読 1コリント15:12-34
第二朗読 アンブロジオ 『弟サティロの死について』

※1 フィリピ1:21
わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。

※2 ローマ7:23
わたしの五体にはもう一つの法則があって心の法則と戦い、わたしを、五体の内にある罪の法則のとりこにしているのが分かります。

※3 ローマ7:24-25
わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。
わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。このように、わたし自身は心では神の律法に仕えていますが、肉では罪の法則に仕えているのです。


聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm

聖アンブロジオ 教会全体のために特に祈るべき事

2013-10-07 23:11:46 | 聖アンブロジオ
聖アンブロジオ(340-397) ミラノの司教
「カインとアベルについての講話」
 「賛美を神にいけにえとしてささげ、いと高き神に誓いを果たしなさい※1。」神を賛美するとは、誓いをたてることであると同時に、それを果たすことです。だから、主の命令によって他の九人とともにらいをいやされた後、ただ一人キリストのもとに引き返して神をたたえ、感謝をささげたあのサマリア人を、主は他の九人よりも優れた者となされました。イエスは彼について言われました。「『この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。』」それからイエスはその人に言われました。『立ち上がって、息なさい。あなたの信仰があなたを救った※2。』」

 主イエスは、よいものをお与えになる父※3の善良さについての尊い教えを示して、このよい父によいものを願うよう諭されました。主は心をこめてたびたび祈るよう勧めていますが、長々と退屈な祈りをするのではなく、熱心にしばしば祈るよう忠告されました※4。多くの場合、長い祈りは空虚なものになりますし、祈りをやめると怠慢に陥るからです。

 さらに、主は自分の罪のゆるしを神に願うときは、その願いを行いで裏付けるために、まず自分が人をゆるすべきであると諭しておられます※5。使徒パウロも、祈りが乱れず、また中断されないようにするためには、怒らず争わず祈らなければならないと教えています。さらにパウロは、どこでも祈るべきであるということも付け加えます※6。事実、救い主は、「自分の部屋に入って祈りなさい※7」と言っておられます。

・・・

 また、民のため、すなわち、あなたの母なる教会全体のため、そのすべての肢体のために特に祈るべきことを、あなたは学ばなければなりません。そこにこそ相互愛のしるしがあります。事実、自分のために祈るなら、自分のためだけに祈ることになります。各自が自分のためだけに祈る事になります。各自が自分のためだけに祈るとすれば、それは一人の罪人の祈りにすぎず、互いのための取りなしの祈りと比べて、劣ったものになるからです。各自が皆のために祈っているので、皆の祈りもそれぞれのためになるのです。

・・・


年間二十七月曜日 読書
第一朗読 一テモテ2:1-15 祈りへの招き
第二朗読 聖アンブロジオ司教のカインとアベルについての講話

※1 詩編50:14
告白を神へのいけにえとしてささげ/いと高き神に満願の献げ物をせよ。

※2 ルカ17:18-19
この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」
それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

※3 マタイ7:11
このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。

※4 マタイ6:7
また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。

※5 マタイ6:14
もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。

マルコ11:25
また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。

※6 1テモテ2:8
だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。

※7 マタイ6:6
「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。



聖アンブロジオ
340年頃、ドイツのトリールでローマ人の家庭に生まれる。ローマで勉学に励み、シルミウムで執政官になる。374年にミラノ在住の折、突然同市の司教に選出される。12/7に司教叙階を受けた。司教の職務を誠実に果たし、すべての人に大きないつくしみを示し、信者たちを見事に指導し、教えた。また、教会の権利を皇帝に対して力強く擁護し、アレイオス派に対して著作と行動で正統信仰を守った。397年の聖土曜日にあたる4月4日に死去。
正教会・非カルケドン派・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会の聖人(聖アンブロジウス、聖アムブロシイ)

聖アンブロジオ(女子パウロ会の聖人カレンダーへ)
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint50.php?id=120701

ベネディクト十六世の「使徒の経験から見た、キリストと教会の関係の神秘」についての連続講話でアンブロジオについて話されました。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/benedict_xvi/bene_message256.htm