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YAMAKOME

気まぐれ山・旅日記

胆沢ダム

2016-06-17 20:43:00 | Weblog
胆沢ダム
H28.06.16 雨
 実は、恒例の中学の同級会があり、岩手・水沢に行ってきたのだ。2年前に曲がった腰を引きずりながら(?)参加したったが、今回の腰はまっすぐ伸びている。「腰治ったのがぁ?」と。いつまでも腰が曲がったイメージを持たれていても困る。幹事の持ち回り担当地区がわが地区(柳田地区)で、オラは一度もお手伝いをしたことがなく、その罪滅ぼしの意味もある。子供のころの同級会はええなあ!なんぼ偉そうなことを言っても鼻たらしの時代をお互いに知っているのだからなあ。幹事さん!お疲れさま!(写真:胆沢ダム。16日は雨降り。姉のところに立ち寄り(実家には前日立ち寄った)、傘をさして墓参り。徳水園、胆沢ダムと。ほぼ二日酔い状態で、一人、雨の中のレンタカーの旅だった)

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徳水園

2016-06-17 20:39:37 | Weblog
徳水園
H28.06.16 雨
 以前にも記したことがある。胆沢平野は日本3大扇状地に数えられる広大な扇状地だ。昔から農業が盛んなところである。しかし、干ばつ、洪水等水には大変苦労した地域である。夜中に水路を変えたりして水騒動は絶えなかったところでもある。そこで水を均等に分け合う方法として円筒分水工が設けられた。また上流にはダムを造り、大水害も少なくなった。(写真:日本最大級の円筒分水工。徳水園というところにある)
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からかさ松

2016-06-17 20:37:59 | Weblog
からかさ松
H28..06.15 くもり
 「つかのな~♪ つかのいっぽんすぎ しあわせものよ~♪ からかさまつが からかさまつが よめ~にくる~♪・・・」。子供のころこんな歌を歌っていた。家から4キロほどの小学校に通うときはこのからかさ松の下を通ったものだ(当時はこんなに立派道路ではない)。当時はカラカサを開いたようで、とてもきれいであった。ここまで来れば小学校はもうすぐだ、と。今のからかさ松はボロ傘だ。年を取ったものだなあ、お互いに。国道に覆いかぶさり危ないので切られたのであろう。(写真:老いぼれたからかさ松)

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角塚古墳2

2016-06-17 20:34:40 | Weblog
角塚古墳2
H28.06.15 くもり
 古墳からは埴輪なども出土している。7世紀頃のアスカ時代に造られたものと推測されている。誰のものかはわかっていない。この古墳にまつわる伝説がある。昔、長者の強欲な妻が大蛇になり大暴れしていた。これを鎮めるために松浦という国からお姫様(小夜姫:さよひめ)を買い、生贄(いけにえ)としてささげた。四ツ柱に供えられた姫は、お経を読み、お経文を投げつけると大蛇はもとの長者の妻の姿になった。大蛇の角を埋めたのがこの角塚だ、という説だ。これにまつわる地名(住所)が、あちこちにある。(写真: 角塚古墳公園。昔は安藤医院というお医者さんの家であったがなあ。そういえば子供のころ、お雛様を見せてもらいに行ったことがあるなあ! )
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角塚古墳(つのづかこふん)1

2016-06-17 20:25:36 | Weblog
角塚古墳(つのづかこふん)1
H28.06.15 くもり
 岩手、奥州市胆沢区南都田(いさわくなつた)だ。昔は「塚の山(つかのやま)」と言って、子供たちの遊び場であった。しかし、学術調査などにより、日本最北端の前方後円墳であることはわかり、昭和60年に国の史跡に指定され、平成2年に岩手県の指定文化財になった。真ん中に杉の木が植えられており、「一本杉」とも言われていた。そんな重要な言われのあるものとは知らずに、道路を通すのに少々削ってしまっている。(写真:角塚古墳。これは個人の所有する土地であった。この塚の名前は他に「蛇塚」「蝮塚」「長者塚」などとも呼ばれていた)
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