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『生命活動の静かなる革命』(福岡伸一著)-『生物と無生物のあいだ』の続編を読む

2017-03-04 23:17:36 | 最近読んだ本・感想

 【 2017年2月27日 記 】

 福岡伸一の著作は2冊目であるが、この人の書く文章は味わいがある。実験に追われる科学者というより思索にふける随筆家という感じだ。


         〇          〇           〇

 最新の生化学の研究課題や成果が綴ってあるが、すべてを追って紹介するのも専門的かつ地道過ぎて説明するのも素人の自分には難しいので、興味深く印象に残ったエピソードを2〜3紹介しよう。 
 
 まずは【視覚】の話。
 人間の《目》の構造が《写真機》の仕組みに似ていることはよく例えられる。《虹彩》が《絞り》で、《水晶体》が《レンズ》で、《網膜》が《フィルム》に-最近は《映像素子》=《CCD》や《CMOS》に代わっているが-相当するということで、ここまでは分かる話だ。しかしその先がややこしい。
 写真機のフィルムならそれを現像して印画紙に焼き付けるなり、映像素子ならパソコンで処理をしてプリンターで紙に出力するか、モニターに映して再現し見ることができる。(これを見るのは最終的には《人間の視覚》が脳のどこかでとらえるのであるが・・・。
 虹彩から入った光が水晶体・ガラス体を通して網膜に映し出された画像は、いったい脳のどこに《映し出され》、どのように認識されるのか?!
 
 そのことで興味深いのが次の記述である。
   私たちの眼底に広がる網膜には約1億個の視細胞が敷き詰められている。だから、デジタルカメラでいえば、ヒトの眼は
  画素数1億のイメージセンサーを持っていることになる。(中略)・・網膜の情報を受け取って脳の奥へ送る神経細胞の数
  はおよそ120万から150万とされる。つまり、平均すると視細胞100個ほどが集めた情報を一つの神経細胞が受け取
  って脳に送っている。
   ・・・ヒトの眼は、およそ画素数1億のセンサーが検出した光情報を、格子が150万個ほどの方眼に切り分けて、ユニ
  ットごとの情報として脳に送っているのだろうか。
   自分の眼が捉えた映像は、そのまま写真のシャッターを切るように網膜に取り込み、それが脳内に投影されることによっ
  て、ありのままの世界が見えていると思っている。でもそれは事実ではないのだ。

   150万個の神経細胞は、平等に写像を切り分けているわけではなかった。

   その後、別の傾きにだけ反応する神経細胞、特定の方向への動きにだけ反応する神経細胞、明暗のエッジに強く反応する
  細胞など、さまざまな反応特性を持った神経細胞が存在することが次々と判明していった。

                               本文:P28〜P30 より抜粋


 この後、「フーリエ変換」だの「アナログからデジタルへのコード化」などというムズカしい言葉が出てくるが、興味は尽きない。
 日々、このようなことを実証する地道な研究をやっている人が居るのだと思うだけでも感動する。


 もう一つは、【消化】に関する話。
 人は、食べ物として様々なものを《口》から取り入れるが、それらはすべて《他の生物》の一部である。だから、それらのタンパク質などには、その生物固有の《DNA》が含まれている。そのようなものを体内に入れて混乱しないだろうかという疑問が起こる。

   ちなみに消化の意味は、大きな物質を小さな物質に分解して吸収しやすくする、ということだけにとどまっているだけ
  ではない。・・・食べ物はもともと他の生命体の一部である。そこには元の持ち主の生体情報がぎっしり書き込まれている。
  ・・・もし、これら他の生体情報が、いきなり私たちの体内に入り込んできたらいったい何が切るだろうか。そのときには
  文字通り、情報の混乱、混線、衝突が起きてしまう。私たちの身体を守ってくれている免疫システムは、・・・細菌やウィ
  ルスのような外敵が攻め込んできたものと勘違いして一斉に攻撃を開始するだろう。・・・(中略)・・・
   つまり、情報の解体こそが消化の本質的意味なのだ。

   膵臓は日々、大量の消化酵素を合成し、それを細胞内の安全な場所に格納している。そして肉などの炭水化物、脂質類な
  どの雑多な食品成分を分解・吸収するために膵臓から消化管に分泌される消化酵素は生体にとって両刃の剣、ある意味、危
  険物でもある。なぜなら私たちの身体もタンパク質、炭水化物、脂質で構成されているからだ。

   消化酵素が食品を消化すると同時に、私たち自身の消化管を消化することもあるだろうか?
   答えはイエス。
                             第3章 (P-151〜P-154) より引用



 上の2つの、生命の秘密に関する科学的な解明の紹介と共に、この本のもう一つの大きなテーマがある。生命科学の研究に関わる著名な研究者5名に対するインタビューの中での【生命とは何か】の「問い」とそれに対するそれぞれの科学者の「回答」である。

 昔、唯物論者は、『生命とはタンパク体の存在様式である』という意味深長な答えを言ったが、この本でそれぞれの研究者たちは次のように答えている。

 【トーステン・ウィーゼル
   『・・人生は楽しむためにあるのです。楽しむといっても、それは自分を発見しようという行為を通じての
    話です。世界、音楽、芸術、文学、科学を探求しなければ、自己発見は出来ません。(中略)私は生命を
    「バランスのとれた生活を送るためのコツ」みたいなものだと思っています。』

 【ポール・グリンガード
   『・・これは哲学者に訊くべき質問であり、科学者に訊く質問ではありません。人はノーベル賞を受賞する
    と、そのとたんに「偉大な人間」、「偉大な哲学者」扱いされ始めます。・・・もしかしたら私たちはこ
    の問いの答えに永遠に到達できないかもしれません。』

 【ポール・ナース
   『生命はひとつの目的をもって機能しているように見える複雑な組織です。そのシステムは、有機体の維持
    と複製(繁殖)のための情報管理に深く関わっています。・・』

 【ブルース・マキューアン
   『・・生命とは何かといえば、それは外界を認識する神経組織や身体機能以外の何かというよりも、それら
    すべてを遥かに凌駕する、何かとても大きなもののことでしょう。それは宗教的体験に近いものだと思い
    ますが・・(中略)・・今この瞬間に、それに気づき、幸運にもそれを感じ、生き、それをありがたいと
    思える感覚そのものだと思います。』

 【船引宏則
   『定義はむずかしいですが、見たらわかっちゃうというのが面白いですよね。・・きれいに組織された、やわ
    らかくみずみずしいものが脈動しているっていう感じでしょうか。わからないです。』

  最後に著者である福岡伸一自身は生命を、
   『絶え間なくエントロピーを汲み出す「動的平衡」だと考える。
  と、述べている。
               ---第2章「ロックフェラー大学の科学者に訊く」(P-65〜)より引用

  ウィーゼルとグリンガードの回答は、【生命とは何か】という生命全般に対する問いへの答えでなく、【人生とは何か】、【「人間の命】とは何かの答のように聞こえるが、それぞれ重みをもった含蓄のある回答のように思えた。


 この本を読んでもう一つ強く感じるのは、科学研究は地道な基礎研究こそ大事で、そこから偉大な発見の糸口がつかめるということだ。

 【実生活にすぐに役立つ研究】や【金になる研究】を追い求めても、本当に価値ある成果は生み出せないということだ。ましてや【軍事研究予算】に飛びつくような研究などもってのほかである。

 
今だけ、金だけ、自分だけ】とは、『食の戦争』を著した農水省にの職員である鈴木宜弘さんが、世界制覇を試みるグローバル企業などに代表される、【姑息で身勝手で容赦のない収奪を行う基本姿勢】を批判的に表現し、風潮を言い表したものであるが、《この言葉の現す考え方》を払いのけなければならない。


 



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