テキヤの襲名盃:
昭和58年(1983年)3月16日、テキヤ名古屋熊屋六代目の襲名(跡目相続)披露が小牧市内の料亭でとり行われた。
「襲名盃」は、神農盃ともいわれる。神農道を本分とするテキヤ社会のなかでは、もっとも重要な盃事である。
儀式への参列者は、盃を譲る者、盃を受ける者の当事者両人をはじめ、推薦人、媒酌人、取持人、見届人、来賓、身内兄弟衆、それに発起人など50数名。
五段の祭壇がしつらえられる。正面中央に、神農像の画幅をかける。
四段目に、鏡餅を中央に神酒と五穀(米・麦・粟・黍(きび)・豆を三方に盛り分ける)を供える。
三段目の中央に御酒徳利一対、その両脇に鯛二尾と塩日一盛りを供える。この三品が、「盃事」に用いられる。
二段目に海の幸(昆布・するめ・寒天など)、山の幸(栗・椎茸)、野の幸(野菜と果物)と菓子類を供える。
一段目に、中央になは、盃(白磁の平盃)二つに白木の箸が一膳。
とくに、襲名盃の場合は、その脇には譲渡証(目録)が置かれる。目録の内容は、神農像(ふつうは掛軸)一幅、巻物一巻、魂(太刀)一振、末広(扇子)一対、魂旗一流の譲渡が記され、それに先代(盃を譲る者)、取持人、見届人などの承認(署名と捺印)が連記されている。
標準的な祭壇の飾り方として、テキヤ社会では「三品二四品」という言葉を伝えている。大掛かりな儀式でない場合は、五段と最下段を除く、二、三、四段目で上記のような品々を二四品そろえるのが正式のしつらえ、ということになる。ただし、現実には省略化が進んでおり、一五品とか一二品をもって標準とする。
正中に対しては、向かって右側を上位とし、左側を下位とする。ここで注目すべきは、神社祭式とそれに準じる一般的な儀式の上下関係(向かって左側を上位とし、右側を下位とする)と逆の設定をしていることである。
「盃事」の式次第は以下の通り。
1、開式
1、推薦人挨拶
1、取持人挨拶
1、跡目相続盃式
先代挨拶
六代目挨拶
1、六代目親子盃
1、来賓祝詞
1、答辞
1、万歳奉唱
1、閉式
盃事を取り仕切るのは、媒酌人である。このときの媒酌人は、本家熊屋駄知分家六代目の長瀬忠雄であった。
推薦人、取持人の挨拶のあと、媒酌人の長瀬忠雄は、祭壇前に盃事当事者二人を案内、向かい合わせに座らせる。
媒酌人はまず、盃を懐紙で拭う。次いで、神酒(徳利)を一本ずつ、三度おしいただいて拝す。そして、口を切る。左手で徳利を持ち、右手で二本の指(人差し指と中指)で口を切るしぐさを三度行うのである。それには、手刀をもって神酒を祓う意がある。口を切った神酒は盃に注ぐ。左右の徳利をそれぞれから少量ずつ三度に分けて注ぎ、次に二本の徳利を両手に持ち、同時に、これも三度に分けて注ぐ。三度三回、つまり「三々九度」の注酒の作法である。
そして、その酒を満たした盃に鯛と塩を入れる。鯛の頭、腹、尾に三度箸をつけ、それを盃に入れる真似をするのである。塩についても同様、真似をするだけである。そうして酒を注いだ盃は、祭壇に供え、2杯2拍手1拝。簡単な口上を述べる。
盃を受けた新代目は飲み干した盃を両手でうやうやしく掲げて、「たしかにちょうだいいたしました」。その盃は参列者全員にまわさなくてはならない。これが「認知の盃」となる。
そこに立ち会うということは、ただ祝うだけではなく、盃事の約束を見届ける役なのであり、ゆえに、その承認も盃を飲み干すことで示すのである。
♪♪米汁呑忘憂♪♪
昭和58年(1983年)3月16日、テキヤ名古屋熊屋六代目の襲名(跡目相続)披露が小牧市内の料亭でとり行われた。
「襲名盃」は、神農盃ともいわれる。神農道を本分とするテキヤ社会のなかでは、もっとも重要な盃事である。
儀式への参列者は、盃を譲る者、盃を受ける者の当事者両人をはじめ、推薦人、媒酌人、取持人、見届人、来賓、身内兄弟衆、それに発起人など50数名。
五段の祭壇がしつらえられる。正面中央に、神農像の画幅をかける。
四段目に、鏡餅を中央に神酒と五穀(米・麦・粟・黍(きび)・豆を三方に盛り分ける)を供える。
三段目の中央に御酒徳利一対、その両脇に鯛二尾と塩日一盛りを供える。この三品が、「盃事」に用いられる。
二段目に海の幸(昆布・するめ・寒天など)、山の幸(栗・椎茸)、野の幸(野菜と果物)と菓子類を供える。
一段目に、中央になは、盃(白磁の平盃)二つに白木の箸が一膳。
とくに、襲名盃の場合は、その脇には譲渡証(目録)が置かれる。目録の内容は、神農像(ふつうは掛軸)一幅、巻物一巻、魂(太刀)一振、末広(扇子)一対、魂旗一流の譲渡が記され、それに先代(盃を譲る者)、取持人、見届人などの承認(署名と捺印)が連記されている。
標準的な祭壇の飾り方として、テキヤ社会では「三品二四品」という言葉を伝えている。大掛かりな儀式でない場合は、五段と最下段を除く、二、三、四段目で上記のような品々を二四品そろえるのが正式のしつらえ、ということになる。ただし、現実には省略化が進んでおり、一五品とか一二品をもって標準とする。
正中に対しては、向かって右側を上位とし、左側を下位とする。ここで注目すべきは、神社祭式とそれに準じる一般的な儀式の上下関係(向かって左側を上位とし、右側を下位とする)と逆の設定をしていることである。
「盃事」の式次第は以下の通り。
1、開式
1、推薦人挨拶
1、取持人挨拶
1、跡目相続盃式
先代挨拶
六代目挨拶
1、六代目親子盃
1、来賓祝詞
1、答辞
1、万歳奉唱
1、閉式
盃事を取り仕切るのは、媒酌人である。このときの媒酌人は、本家熊屋駄知分家六代目の長瀬忠雄であった。
推薦人、取持人の挨拶のあと、媒酌人の長瀬忠雄は、祭壇前に盃事当事者二人を案内、向かい合わせに座らせる。
媒酌人はまず、盃を懐紙で拭う。次いで、神酒(徳利)を一本ずつ、三度おしいただいて拝す。そして、口を切る。左手で徳利を持ち、右手で二本の指(人差し指と中指)で口を切るしぐさを三度行うのである。それには、手刀をもって神酒を祓う意がある。口を切った神酒は盃に注ぐ。左右の徳利をそれぞれから少量ずつ三度に分けて注ぎ、次に二本の徳利を両手に持ち、同時に、これも三度に分けて注ぐ。三度三回、つまり「三々九度」の注酒の作法である。
そして、その酒を満たした盃に鯛と塩を入れる。鯛の頭、腹、尾に三度箸をつけ、それを盃に入れる真似をするのである。塩についても同様、真似をするだけである。そうして酒を注いだ盃は、祭壇に供え、2杯2拍手1拝。簡単な口上を述べる。
盃を受けた新代目は飲み干した盃を両手でうやうやしく掲げて、「たしかにちょうだいいたしました」。その盃は参列者全員にまわさなくてはならない。これが「認知の盃」となる。
そこに立ち会うということは、ただ祝うだけではなく、盃事の約束を見届ける役なのであり、ゆえに、その承認も盃を飲み干すことで示すのである。
♪♪米汁呑忘憂♪♪