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恩寵義認

2006-04-30 04:14:58 | 日記・エッセイ・コラム

正義というなかれ、恩恵(めぐみ)と言え。清浄というなかれ、赦免(ゆるし)と言え。

正義・清浄は人にあるなし。これを彼より要求して、我らは失望せざるを得ず。

されども神の恩恵は限りなく存し、その清浄は尽くることなし。神によりて人を救わんと欲すべし、人によりて世を救わんと望むべからず。

人を助け世を救うの道は、単に神の救いの水をして尽きざる河のごとくに流れしむるにあり。(内村鑑三)

「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である」(エペソ書2:8)

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(今日のお弁当)

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SRID懇談会

2006-04-29 12:05:53 | 日記・エッセイ・コラム

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JBIC(国際協力銀行)の呼びかけで国際関係NGOが集う機会があり、一度参加したことがある。草の根援助運動(山中悦子共同代表)やBAJ(新石正弘事務局長)、地球の木、カラバオの会、AMDAなど、立派なNGOを紹介された。

そのご縁でSRID(国際開発研究者協会)の懇談会に誘われる。故大来佐武郎氏の設立で、現在の幹事は不破吉太郎氏。法政大学教授で無教会。矢内原勝の弟子とか。

昨晩は吉田鈴香女史(合資会社スー・インターナショナル代表)の発題とブレーンストーミング。テーマは「平和構築と日本の役割」。参加者は約20名の多彩な面々。

広範な話題で議論は発散。アッと言う間に閉会時刻に。納まらないジャーナリストの菅原秀氏に誘われて不破幹事と3人で延長戦(約2時間)。久しぶりの充実した議論に時の経つのを忘れた。

「おりにかなって語る言葉は、銀の彫り物に金のりんごをはめたようだ」(箴言25:11)

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(今日のお弁当)

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被害者意識

2006-04-28 02:38:19 | 日記・エッセイ・コラム

お役所仕事の問題点は「失敗したら誰の責任か」を第一に考えて仕事をしようというところにある。

自分の「正しさ」を主張し責任を逃れるのには、失敗の原因を他に転嫁すれば良い。すなわち、いつも受身で、「仕方なく」、仕事をして居ればよい。そのため発想がすべて「被害者意識」的になる。

NTT民営化のプロモーター(推進者)新藤恒社長は「お前たちは、少し、加害者意識を持って仕事をする位が丁度良い」と訓示した。責任感を持って働けということだ。

パウロが「我は罪人の頭なり」と言った時、彼は「加害者意識」を抱いていた。ということは、お役所的な「被害者意識」からは解放されていたのである。

「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は確実で、そのまま受け入れるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。(テモテ前書1:15)

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復活の主の姿

2006-04-27 00:15:57 | 日記・エッセイ・コラム

復活のキリストに著しい特徴がある、マグダラのマリヤに現れ、十一弟子に現れ、多数の信徒に目撃されているが、敵対するユダヤ人やローマ人からは目撃された記録がない。

これは何を意味しているのだろうか? 復活の主は、第三者からはそれと見分けのつかない有様に外見を変えて来られたのであろうと、私は思う。

エマオの弟子たちの様に、出会った者達も、外見からはそれと分からず、話していて「心が内に燃える」のを感じて、主を認識したのである。

今日、復活の主はどのような姿で我らと出会われるだろうか。おそらく、いと小さき幼子の姿か、最も貧しき難民の姿か、エイズ孤児か、認知症の老人か、あるいは、公園のホームレスの姿をして来られるのではあるまいか。

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「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なるこれ等のいと小さき者の一人になしたるは、即ち我になしたるなり」(マタイ伝25:40)

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(今日のお弁当)

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蛙の子は蛙

2006-04-26 01:58:01 | 通販・買い物

幼児を歯医者に連れて行く前に、両親の入れ歯をそれぞれに見せて大自慢。「お前もガマンさえ出来れば、カッコいい入れ歯にしてもらえるゾ」。5歳の息子は泣きもせず一生懸命大きな口をあけて歯科医を感心させたものだ。

豚もおだてれば木に登るとか。血液型にかかわらず子どもはおだてに乗り易い。叱るよりも褒める方が、躾には効果があると言う。

ところが、20歳を過ぎた頃からか、息子も娘も「何もかも親の言うとおりに大きな口を空いてはいられない」と思うようになってきた。「あなた自身、20歳過ぎてから、大人の言うことを素直に聞こうと思ったか?」とは上海出身の留学生の鋭い指摘。

子育てカウンセラーの某牧師は、「面と向かって言い聞かせることは決して聞かない。背中を向けてやって見せることは全て真似する」と。誠に至言。今は息子も娘も、皆、こちらに背中を向けて、これまでの我が「悪行」の数々を真似して見せてくれている。

「子をその行くべき道に従って教えよ、そうすれば年老いても、それを離れることがない」(箴言22:6)

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(今日のお弁当)

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