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復活の主の姿

2006-04-27 00:15:57 | 日記・エッセイ・コラム

復活のキリストに著しい特徴がある、マグダラのマリヤに現れ、十一弟子に現れ、多数の信徒に目撃されているが、敵対するユダヤ人やローマ人からは目撃された記録がない。

これは何を意味しているのだろうか? 復活の主は、第三者からはそれと見分けのつかない有様に外見を変えて来られたのであろうと、私は思う。

エマオの弟子たちの様に、出会った者達も、外見からはそれと分からず、話していて「心が内に燃える」のを感じて、主を認識したのである。

今日、復活の主はどのような姿で我らと出会われるだろうか。おそらく、いと小さき幼子の姿か、最も貧しき難民の姿か、エイズ孤児か、認知症の老人か、あるいは、公園のホームレスの姿をして来られるのではあるまいか。

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「まことに汝らに告ぐ、わが兄弟なるこれ等のいと小さき者の一人になしたるは、即ち我になしたるなり」(マタイ伝25:40)

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(今日のお弁当)

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