7日の日曜日、天気予報は自信無さげに午後からの降雨を告げていました。
もし降られても「濡れ鼠」になれるのは夏ツーリングの醍醐味と、出掛ける事にします、
でも体温低下は怖いので、雨合羽はバックの奥に忍ばせて西へとステアリングを向けました。
国1バイパスを磐田市で降り北上します。まだまだ暑い夏の日差しを浴びて走り、
古くからの交通の要衝、二俣に到着しました。今回のツーリングはココが出発点なのです、
「ありゃありゃ可愛そうに鉄肝君、残暑にやられてしまいました」
いえいえ違います、今回のツーリングのテーマとしている、
ある物がここ二俣を出発(到着)点にしていたので、その足跡を辿る旅だから出発点なんです。

国152を天竜川に沿って走り、途中から県285→県286を走り繋ぎます。

そして到着したのが“龍山郷土文化保存施設”です。

入場して先ず驚かされるのが、大きな桧の切り株です、樹齢は約350年!年輪にピンでマークし、
その年輪の刻まれた時の出来事が年表で表されています。

その他、流石は林業の盛んな地域です林業の道具や生活用品など様々な展示物が有りました。

中でも私の見たかった物、プロペラ船のプロペラです。

「鉄肝~“ぷろぺらせん”って何だ?」はーい説明させて下さーい。
先ずは、熊野川で就航していた在りし日のプロペラ船を借り物画像ですが御覧下さい。

不思議な船でしょう?プロペラが付いている方向が後方です、プロペラで起こした風を使う、
風力推進の船です。
画像をお借りした撮影者様のサイト「広瀬和彦の鉄道写真集」内「紀勢本線とプロペラ船
」では、
プロペラ船就航当時の瀞峡や、船内の様子が拝見出来ます。
昔々の海外TVドラマで邦題「ジャングル・パトロール」原題「The Everglades」で、
エアボート(Airboat)と呼ばれる同じ原理の船が、マイアミの湿地帯で活躍したのを、
御記憶の方も、いらっしゃるかもしれません。
では日本のプロペラ船は、この影響を受けているのでしょうか?
いえいえプロペラ船は日本オリジナルな船です、大正9年(1920)発明者:鳥居丈之助氏、
協力者:小西正一氏によって熊野川で産声を上げたのです。
天竜川では浜松市天竜区二俣町鹿島~浜松市天竜区佐久間町大井(西渡)、その後、紆余曲折を経て
大正11(1922)年~昭和15(1940)年まで運行されていました。
凄い爆音を立てながら、当時としては信じられないスピードで、水面を滑って行ったそうです。
龍山郷土文化保存施設を後にし、プロペラ船のもう一つの発着点、佐久間町大井(西渡)を
目指して走ります。
県285→国152を走り、天竜・水窪川の合流点に到着しました。

空から雨が落ちて来ました。
濡れながら天竜川に沿って下る私が考えていたのは、ホンダの創業者、本田宗一郎さんの事です、
天竜川でプロペラ船が就航した年には、東京へ修行に行かれた年で、その6年後に浜松にお帰りに
なられています。天竜は宗一郎さんの故郷です、そこにエンジン動力のプロペラ船が就航していれば、
恐らく・・いや、間違いなく見に行かれたと思います、もしかすると乗船された可能性だって有ります。
大粒の雨に激しく体と単車を叩かれながら辿る秋葉街道。
私の生まれる前、龍山郷土文化保存施設に展示されていた、桧の切り株も聞いたプロペラ船の爆音が、
遠くに聞えた気がしたのは・・・空耳だったのかな。
浜松市龍山郷土文化保存施設

静岡県浜松市天竜区龍山町戸倉221-1
地図はこちら↓地図ボタンをクリックで大きな地図を御覧頂けます。
今日の夜から山に入ります、無事に帰りましたら御報告いたしまーす(´ー`)ノ
もし降られても「濡れ鼠」になれるのは夏ツーリングの醍醐味と、出掛ける事にします、
でも体温低下は怖いので、雨合羽はバックの奥に忍ばせて西へとステアリングを向けました。
国1バイパスを磐田市で降り北上します。まだまだ暑い夏の日差しを浴びて走り、
古くからの交通の要衝、二俣に到着しました。今回のツーリングはココが出発点なのです、
「ありゃありゃ可愛そうに鉄肝君、残暑にやられてしまいました」
いえいえ違います、今回のツーリングのテーマとしている、
ある物がここ二俣を出発(到着)点にしていたので、その足跡を辿る旅だから出発点なんです。


国152を天竜川に沿って走り、途中から県285→県286を走り繋ぎます。

そして到着したのが“龍山郷土文化保存施設”です。

入場して先ず驚かされるのが、大きな桧の切り株です、樹齢は約350年!年輪にピンでマークし、
その年輪の刻まれた時の出来事が年表で表されています。

その他、流石は林業の盛んな地域です林業の道具や生活用品など様々な展示物が有りました。



中でも私の見たかった物、プロペラ船のプロペラです。

「鉄肝~“ぷろぺらせん”って何だ?」はーい説明させて下さーい。
先ずは、熊野川で就航していた在りし日のプロペラ船を借り物画像ですが御覧下さい。

不思議な船でしょう?プロペラが付いている方向が後方です、プロペラで起こした風を使う、
風力推進の船です。
画像をお借りした撮影者様のサイト「広瀬和彦の鉄道写真集」内「紀勢本線とプロペラ船
」では、
プロペラ船就航当時の瀞峡や、船内の様子が拝見出来ます。
昔々の海外TVドラマで邦題「ジャングル・パトロール」原題「The Everglades」で、
エアボート(Airboat)と呼ばれる同じ原理の船が、マイアミの湿地帯で活躍したのを、
御記憶の方も、いらっしゃるかもしれません。
では日本のプロペラ船は、この影響を受けているのでしょうか?
いえいえプロペラ船は日本オリジナルな船です、大正9年(1920)発明者:鳥居丈之助氏、
協力者:小西正一氏によって熊野川で産声を上げたのです。
天竜川では浜松市天竜区二俣町鹿島~浜松市天竜区佐久間町大井(西渡)、その後、紆余曲折を経て
大正11(1922)年~昭和15(1940)年まで運行されていました。
凄い爆音を立てながら、当時としては信じられないスピードで、水面を滑って行ったそうです。
龍山郷土文化保存施設を後にし、プロペラ船のもう一つの発着点、佐久間町大井(西渡)を
目指して走ります。
県285→国152を走り、天竜・水窪川の合流点に到着しました。


空から雨が落ちて来ました。
濡れながら天竜川に沿って下る私が考えていたのは、ホンダの創業者、本田宗一郎さんの事です、
天竜川でプロペラ船が就航した年には、東京へ修行に行かれた年で、その6年後に浜松にお帰りに
なられています。天竜は宗一郎さんの故郷です、そこにエンジン動力のプロペラ船が就航していれば、
恐らく・・いや、間違いなく見に行かれたと思います、もしかすると乗船された可能性だって有ります。
大粒の雨に激しく体と単車を叩かれながら辿る秋葉街道。
私の生まれる前、龍山郷土文化保存施設に展示されていた、桧の切り株も聞いたプロペラ船の爆音が、
遠くに聞えた気がしたのは・・・空耳だったのかな。
浜松市龍山郷土文化保存施設

静岡県浜松市天竜区龍山町戸倉221-1
地図はこちら↓地図ボタンをクリックで大きな地図を御覧頂けます。
今日の夜から山に入ります、無事に帰りましたら御報告いたしまーす(´ー`)ノ
昔は 風情が あって いいですね^^
小さな資料館を丁寧に見て回ると素晴らしい歴史を
知る事が出来て感動したりしますよ。
撮影場所 日時等正確な情報が伝わると考えています。 検索サイトで私の画像から貴ブログに直接つながったもので、コメントいたしました。
先ず画像の無断借用をお詫び申し上げます、
申し訳ありませんでした。
無断借用にも関わらず、大変に好意的なコメントを寄せて頂き、
胸を撫で下ろしつつ、嬉しく思っております。
残念な事ですが、天竜川のプロペラ船については、
地元の郷土史に詳しい方以外には、忘れられてしまった歴史であります。
オカズさんのHPのように文章だけでは伝えきれない臨場感を
美しい写真を使って語り継げる熊野川のプロペラ船を
とても羨ましく思います。
お言葉に甘え、トップページとサイト内コンテンツに
リンクさせて頂きました。
御好意に心から御礼を申し上げます、ありがとうございました。