杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年秋の特別企画「あなたと地酒の素敵なカンケイ」ご案内

2016-08-22 19:44:08 | しずおか地酒研究会

 今日はしずおか地酒研究会20周年アニバーサリー、秋の目玉企画のご案内です。

 20年前の発足年、10月1日の日本酒の日に、浜松で開催された静岡県地酒まつりに合わせ、「女性と地酒の素敵なカンケイ」というパネルディスカッションを開催しました。80名を超える方々にお越しいただき、後日、静岡新聞紙面に記事まで書かせていただきました。当時まだ、女性が日本酒を語るというのはニュースな出来事だったんですね。ちなみにこのとき、当時まだ西武百貨店にお勤めだった松崎晴雄さんに初めてお会いしました。

 

  20年目の今年、10月1日が土曜日ということもあり、ぜひ地酒まつりの前に「女性と地酒の素敵なカンケイ2016」をやろうと、dancyuの里見美香さん、酒食ジャーナリストの山本洋子さんにパネリストの打診もし、駅前の貸会議室も押さえ、開催準備をしていたところ、サールナートホールから話題の映画『カンパイ!世界が恋する日本酒』の公開記念イベントの相談を受けました。

 私自身、8年前から地酒ドキュメンタリーを製作中で道半ばの身。これも何かの天命だろうと話を聞いてみると、10月下旬の公開予定で、できたらその前の10月の週末に先行上映会とキックオフイベントを希望とのこと。「ちなみにうちではこんなのを計画してるんですよ」と10月1日の予定をぶつけてみたら、「ぜひうちの劇場を使ってください」と有難いオファーをいただきました。そんなこんなでテーマを広義の「あなたと地酒」に変更し、『カンパイ!世界が恋する日本酒』にも出演した松崎晴雄さんにも急きょオファーを掛けて、日本を代表する豪華酒類ジャーナリスト3名を迎えての映画鑑賞会&トークセッションを開催することになりました。

 いろんな方々の偶然&必然の出会いやサポートあっての20年だなあと、あらためてしみじみ感激しております。10月1日土曜日、映画を観て、ためになるお話を聞いて、呑み尽くす。地酒ファンのみなさま、ぜひとも静岡駅周辺に集結しましょう!!

 

 

『カンパイ!世界が恋する日本酒』公開記念

先行上映&トークセッション「あなたと地酒の素敵なカンケイ」

 

日時:平成28年10月1日(土)13:30~17:00 

会場:サールナートホール 公式サイトはこちら

料金:2,500円(税込) ※先着200名・全席自由

チケットはサールナートホール窓口で絶賛発売中。

しずおか地酒研究会でも販売いたします。下記へ郵便振替にて代金をお送りください。入金確認後、郵送にてお届けいたします。

00810-4-81568 しずおか地酒研究会 (恐縮ですが振替手数料はご負担ください) 

 

世界と静岡を熱くする日本酒ワールド、映画&トークでお試しあれ!

 ここ数年、日本のみならず世界的にも日本酒がブームです。1970年代前半のピーク時には全酒類の30%近くを占めた日本酒の消費量は、数の上では約7%と激減していますが、これは昔でいう大手の普通酒マーケットが縮小したため。地方の小さな酒蔵がつくる特定名称酒、特に吟醸酒、純米酒の生産量・消費量は右肩上がりです。原料や製法にこだわり、丁寧に醸された蔵独自の味わいが、若者世代、女性、外国人といった新たなユーザーに評価されるようになったのです。

 静岡県の酒蔵にもいち早くその変化が訪れ、酒通の間では「吟醸王国しずおか」と評価されています。酒どころのイメージがなかった静岡ゆえ、地元の飲み手が誰よりも地元の酒を誇りに思えるようになろうと1996年、飲み手主動の地酒愛好会「しずおか地酒研究会」が誕生し、地域密着で活動しています。

『カンパイ!世界が恋する日本酒』は、ここ数年の日本酒のドラスティックな姿を象徴するように、酒蔵に生きる人々のグローバルな活動が紹介されています。しずおか地酒研究会では設立20周年記念事業として、本作品の静岡での先行上映会に合わせ、日本を代表する酒類ジャーナリストの面々をお迎えし、トークセッションを開催します。

 10月1日は日本酒の日。まずは映画館にて視覚と聴覚でたっぷり美酒を味わってみてください。そして当夜に開催される第29回静岡県地酒まつりin静岡2016(注)にもぜひ足をお運びください。

 

 

(注)毎年10月1日に開催される静岡県酒造組合主催の地酒まつり。静岡県内全酒蔵の銘酒が一堂に味わえる。今年はホテルセンチュリー静岡にて18時より開宴。入場料2500円。チケットはイープラスにて発売中。詳細は静岡県酒造組合HP(こちら)へ 。

 

 

プログラム

13:00~開場

【第一部】

13:30~主催者挨拶 鈴木 真弓(しずおか地酒研究会)

13:35~15:15  『カンパイ!世界が恋する日本酒』先行上映 (本編尺95分 + 予告編5分程度)

    

15:10~15:40  映画レビュー「世界と地酒の素敵なカンケイ」

映画に出演した松崎晴雄氏、映画レビュー執筆者の山本洋子氏に作品の魅力をたっぷり伺います!

ゲスト/松崎 晴雄氏(日本酒研究家) 、山本 洋子氏(酒食ジャーナリスト)

聞き手/鈴木 真弓(しずおか地酒研究会)

 

 (10分休憩)

 

【第二部】

15:50~17:00  トークセッション「静岡の酒で広がるカンケイ」

吟醸王国と評される静岡の地酒を、第一線の酒類ジャーナリストが熱く語ります!

登壇/里見 美香氏(dancyu主任編集委員・静岡市出身)

   松崎 晴雄氏(日本酒研究家)

   山本 洋子氏(酒食ジャーナリスト)

   コーディネーター/鈴木 真弓(しずおか地酒研究会)

 

 

 

 

映画『カンパイ!世界が恋する日本酒』

【解説】外国人として史上初めて杜氏となり、新商品を次々と世に送り出しているイギリス人のフィリップ・ハーパー、日本酒伝道師として、日本酒ワークショップや本の執筆などを通して奥深い日本酒の魅力を世界へと発信を続けるアメリカ人ジャーナリストのジョン・ゴントナー、そして、自ら世界中を飛び回り日本酒の魅力を伝えている、震災に揺れる岩手の老舗酒蔵を継ぐ南部美人・五代目蔵元の久慈浩介。まったく異なる背景を持つ3人のアウトサイダーたちの挑戦と葛藤を通し、日本だけにとどまらず、世界で多くの人々を魅了する日本酒の魅力的な世界を紐解いてゆく。

 

●監督:小西未来●出演:フィリップ・ハーパー、ジョン・ゴンドナー、久慈浩介 ほか

●2015年●日本・アメリカ●シンカ配給●95分

10/29()~静岡シネ・ギャラリーでロードショー! 公式サイトはこちら

 

 

 

 

 

◆ゲストプロフィール

 

松崎晴雄氏/酒類ジャーナリスト・日本酒輸出協会会長・『カンパイ!世界が恋する日本酒』出演者

日本酒輸出協会会長として世界に向けて日本酒のイメージ向上、普及啓蒙に努め、各種セミナーや試飲会等の行い、『カンパイ!世界が恋する日本酒』でもその活動ぶりが紹介されている。西武百貨店の酒類バイヤー・売場担当を経て97年に独立し、日本酒を中心とする酒類ジャーナリスト、コンサルタントとして活躍。日本酒に関する著書も多く、連載も数多くこなし、毎月数ヶ所で愛好家向けのセミナー講師も務める。純粋日本酒協会主催のきき酒コンテストでは、通算30回以上名人として認定され、「永久名人」として表彰されている。2001年より静岡県清酒鑑評会審査員を務める。

 

 

山本洋子氏/酒食ジャーナリスト・地域食ブランドアドバイザー

鳥取県境港市・ゲゲゲの妖怪の町生まれ。(株)オレンジページで「素食」「マクロビオティック」「郷土料理」「米の酒」などをテーマにした料理雑誌・編集長を経て独立。身土不二、一物全体を心がける食生活を提案し、「日本の米の価値を最大化するのは上質な純米酒」をモットーに「一日一合純米酒!」を提唱する。地域食ブランドアドバイザー、純米酒&酒肴セミナー講師、ジャーナリストとして全国へ。「感動と勇気を与える地方のお宝さがし」がライフワーク。編集した本に『純米酒BOOK』グラフ社刊、『厳選日本酒手帖』『厳選紅茶手帖』世界文化社刊がある。

 

 

里見美香氏/dancyu 主任編集委員

静岡市七間町生まれ。聖母幼稚園、青葉小学校、城内中学校、静岡高校と18歳まで静岡で過ごし、早稲田大学を経て、暮しの手帖社に入社。NHK朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルで同社創業者の大橋鎮子氏のもと、季刊雑誌『暮しの手帖』編集者として6年半勤務。プレジデント社に移り、食をテーマとする月刊誌『dancyu(ダンチュウ)』に創刊から携わる。99年2月号で初めて第一特集のテーマとして日本酒を取り上げ、以来、毎年冬の定番企画となった。2005年、同誌編集長就任。その後、dancyu別冊編集長として『日本の発酵食』『絶品おかず365レシピ』などを刊行し、築地での食イベント「dancyu祭り」も立ち上げる。

 

 

 

 

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しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その3

2016-08-20 10:41:01 | しずおか地酒研究会

 奈良京都酒造聖地巡礼の続きです。

 8月1日の午前中は、大神神社参拝の後、門前にある『三諸杉』の醸造元今西酒造をのぞいて土産酒をゲット。次いで清酒発祥の地として知られる菩提山正暦寺を訪ねました。個人的には何度も訪れていますが、『菩提もと』と『諸白酒』が生み出されたこの地に、造り手・売り手・飲み手のみなさんと一緒に参拝するのは長年の夢でした。参加者も同じ思いだったようで、静岡県で唯一、菩提もとの酒を醸す『杉錦』の蔵元杜氏杉井均乃介さんに記念碑の前に建ってもらって撮影タイム。拝観可能な福寿院客殿で、ご住職に清酒発祥の地となった歴史を解説していただきました。

 

 

  正暦寺は992年(正暦3年)に一条天皇の勅命によって創建され、当初は堂塔伽藍を中心に86坊もの塔頭が菩提仙川の渓流を挟んで立ち並ぶ壮大な勅願寺として威勢を誇っていました。その後、平家の焼き討ち、度重なる兵火、徳川幕府の厳しい経済制圧によって江戸中期以降は衰退し、大半の堂塔が失われ、今は江戸期に創建された福寿院客殿と護摩堂、大正時代再建の本堂と鐘楼堂などわずかな建物が残っています。紅葉の名所として知られ、11月のシーズンには多くの観光客でにぎわい、1月には菩提もと清酒祭も行われます。

 

 いただいた資料を復習のつもりで書き出してみます。

 

 奈良市の東南山麓、菩提仙川に沿って、苔むした石垣ともみじの参道を登りつめると菩提山正暦寺がある。現在の清酒造りの原点は、ここ正暦寺で造られた僧坊酒に求めることができる。この僧坊酒は『菩提泉』『山樽』などと呼ばれ、時の将軍足利義政をして天下の名酒と折紙をつけさせたと『蔭涼軒日記』に記されている。時代はくだり、1582年(天正十年)5月、織田信長は安土城に徳川家康を招いて盛大な宴を設けた。この時、奈良から献上された『山樽』は至極上酒であったらしく、『多門院日記』に「比類無シトテ、上一人ヨリ下万人称美」したとある。

 本来、寺院での酒造りは禁止されていたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上する御酒として自家製造されていた。そのため、宗教教団として位置づけられながらも、荘園領主として君臨していた寺院では、諸国の荘園から納められる大量の米と、酒造りに必要な広大な場所、人手、そして清らかな渓水、湧き水などの好条件に恵まれ、利潤を目的とした酒造りを始めるようになった。中でも正暦寺の僧坊酒は、発酵菌(酒母・もと)を育成し、麹米・掛け米ともに精白米を使う諸白酒を創製したという点で、酒造史の上で高く評価されている。

 清酒造りにおける酒母(もと)の役割とは、雑菌を無くし、もろみのアルコール発酵をつかさどることにある。単に糖液で培養した酵母菌で酒を造るならば、乳酸菌・バクテリアなどの雑菌が殺されることなく、もろみが腐りやすくなる。

 しかし、正暦寺で創製された酒母(もと)、すなわち『菩提もと』は、酸を含んだ糖液で培養するため、その酸によって雑菌が殺され、しかも、アルコールが防腐剤の役割を果たすという巧妙な手法がとられており、これは日本酒造史上の一大技術革新であった。

 こうして、蒸米と米麹と水からまず酒母(もと)を育成し(酒母仕込み)、酒母が熟成すると米麹・蒸米・水を3回に分けて仕込み(掛け仕込み)、いわゆる三段仕込みの原型が出来上がった。この諸白酒は、後に火入れ殺菌法なども取り入れられ、仕込みも三段仕込みから四段・五段仕込みへと発展し、『南都諸白』の名で親しまれ、17世紀の伊丹諸白の台頭まで一世を風靡し、奈良酒の代名詞ともなった。(清酒発祥の地〈菩提山正暦寺〉より)

 

 昼前に正暦寺を出発し、昼食に立ち寄ったのが京田辺にある酬恩庵一休寺。こちらで禅寺の本格的な精進料理をいただいたのです。次の目的地である京都の松尾大社までの道すがら、ランチの店をいろいろ探したんですが、今回のメンバーは酒食のプロばかり。全員が満足するような店を見つけるのは無理だろうし、かといってファミレスやドライブインみたいなところでも味気ない・・・と悩んだ挙句、以前、駿河茶禅の会(こちらを参照)で訪ねた一休寺で精進料理が食べられることを知って決めたのでした。

 平日月曜日。しかも猛暑の昼過ぎ、ほかに拝観客はなく、我々グループは貸し切り状態で方丈や庫裏を丁寧に案内してもらい、待月軒で精進料理を味わいました。全員汗だくで喉もカラカラ。ダメもとで「ビールありますか?」と訪ねたところ瓶ビールをゲット。調子に乗って「日本酒は?」と訊いたらこちらはNGでした(苦笑)。

 

 松尾大社に到着したのは15時頃。ここはさすがに参拝経験のある人がほとんどで、自由にお詣りしてもらいました。酒造資料館がいつの間にかリニューアルされていて、お休み処としてもベストスポット!

 

 予定ではここで解散でしたが、杉井さんが京都駅南口のイオンモールに新規オープンした取引先の酒販店さんに挨拶に行くというので全員便乗することに。お訪ねしたのはオール純米酒&スタンディングバー併設の『浅野日本酒店』さん。大阪で2年前に新規開業し、はやくも京都に2店舗目をオープンというわけです。日本酒しか扱わないという個人専門店でもコンセプトとデザインがしっかりしていれば、ちゃんと成果が出るお手本のような店でした。

 

 居残り組は、私がこのところ上洛のたびに寄せてもらっている高倉御池の『亀甲屋』で慰労会。京の地酒「京生粋」と汲み上げ湯葉で巡礼ツアーを締めくくりました。この店は30年近く前、京町家をリユースした先駆けの店として地元に愛され続け、なかなか予約が取れない人気店に。直前に、ダメもとで予約できるかお尋ねしたら、運よくキャンセルが出て8人でお邪魔することが出来ました。「亀」つながりで、ご主人と女将さんに初亀の橋本社長をご紹介できたのも何よりも嬉しかった! これもそれも、酒の神様がつなげてくれたご縁に違いありません。藤田千恵子さん、参加者のみなさま、本当にお世話になりました&お疲れ様でした。

 素晴らしい酒縁に、あらためて、感謝乾杯!

 

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しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その2

2016-08-08 10:43:43 | しずおか地酒研究会

 奈良京都酒造聖地巡礼のつづきです。

 8月1日、大神神社はお朔日詣りの日。毎月1日のお朔日詣りは昨年の元旦にお詣りして以来です(こちらをぜひ)。このときは取材執筆中の「杯が満ちるまで」が無事刊行できるようにとお祈りし、今回は無事の刊行に感謝の報告をするお詣り。せっかく門前の宿に前泊したのだから早朝の静寂した時間帯にお詣りしようと、朝風呂に入って身を清め、7時前に出かけたら、参道や境内はお朔日詣りの人々でいっぱい。特別な例大祭でもない月次のお詣りにこれだけ多くの善男善女が集まるとは、この神社がいかに地域の人々に愛されているかが伝わってきました。

 今回のお詣りは、大神神社の分社である岡部の神神社を信仰する「初亀」の蔵元橋本謹嗣さんが、神神社を通じて事前に連絡を入れてくださったようで、焼津ご出身の大神神社権禰宜・神谷芳彦さんが我々一行の巡礼導師となってくださいました。ポケモンGO禁止の貼り紙は今年限定のトピックスかも!と橋本さんをモデルにみんなが記念撮影(笑)。

 

 

 大神神社のご神体は高さ467mの三輪山です。全山が杉、松、ヒノキで覆われ、太古より神が鎮まる聖なる山と仰がれ、大国主命が自らの魂を「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」の名で三輪山に鎮めたと記紀神話に記されています。

 大物主大神は国造りの神であり、農工商すべての産業、方除、医薬、造酒など人間の暮らし全般の守護神。境内には寛文4年(1664)徳川家綱によって再建された拝殿(重要文化財)以下、商売繁盛の「成願稲荷神社」、杜氏の祖先神である「活日神社」、薬の神様である「磐座神社」、知恵の神様「久延彦神社」などさまざまな摂社が点在し、全部をじっくりお詣りしたら丸一日かかってしまいそうでした。

 神谷さんが真っ先に案内してくださったのが、杜氏の神様活日神社(いくひじんじゃ)です。

 日本書紀によると、10代崇神(すじん)天皇の御代、疫病が大流行。天皇は大物主大神のお告げを受け、三輪山大神の祭祀を行い、高橋邑の活日命(いくひのみこと)にお神酒を醸す掌酒(さかひと)の任を命じます。活日命は一夜にして大変な美酒を醸し、天皇に

「この御酒は わが御酒ならず 倭なす大物主の醸みし御酒 いくひさ いくひさ」

という歌を捧げたそう。これによって、三輪の大神は酒造守護の大神になり、活日命は杜氏の祖神になったということです。

 

 神話の世界のお話ですから、いかようにも解釈できると思いますが、国が危機的状況に陥ったとき、酒がどのような存在感を示したのかを想像し、実際に酒造業にかかわる橋本さんや杉井さんはもちろんのこと、我々のような周辺の者もあらためて身が引き締まる思いがしました。

 

 こちらの記事にも書きましたが、大陸から稲作が入ってきて農耕社会が構築された弥生時代、もっとも大切にされたのはその年に最初に実る初穂で、初穂には大いなる霊力があると信じられていました。初穂と、初穂で醸された酒を神々に供え、そのお下がりを収穫祭でいただく。穀霊が宿った酒に対する人々の畏敬の念は計り知れなかったと思います。今の日本人が酒を必要とするのは、国が揺れ動くとき、というよりも、個人の心が(いいほうにも悪いほうにも)揺れる時、かもしれませんが、このような場所をお詣りすると、日本酒が日本人の民族の酒であると強く確信できる。昔から歴史が好きで神社仏閣巡りをしていた自分が、酒を伝える仕事をするのも、ごく自然に日本人たる己のルーツを辿る営みなんだろうと思えてきます。

 

 神谷さんにご案内いただいた最後のお宮が、大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)。三輪の若宮さまとして親しまれているそうですが、パッと見は神社じゃなくてお寺。それも道理で、明治以前は大御輪寺(だいごりんじ)という神宮寺で、仏像ファンならお馴染み天平仏の傑作・聖林寺の国宝十一面観音がご本尊だったそう!明治の廃仏毀釈で大御輪寺は神社に変わり、観音様は多武峰の聖林寺に移されたのです。明治以前、三輪の大神様のご子孫・大直禰子命と十一面観音様が並んでお祀りされていたころは、今でいう凄いパワースポットだったんだろうな…と想像し、日本の神と異教の仏をごく自然に受容していた神仏混合時代の日本人を、どこかうらやましく思いました。

 

 拝殿向拝の大杉玉、11月13日に架け替えられ、翌14日には醸造安全祈願祭(酒まつり)が斎行されます。今年はぜひ参拝したいなと思っています。ご神体の間近にレンズを向けるのははばかられましたので、写真はいただいた資料からコピーさせていただきました。

 

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しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー「藤田千恵子さんと行く奈良京都酒造聖地巡礼」その1

2016-08-05 14:28:57 | しずおか地酒研究会

 7月31日~8月1日、しずおか地酒研究会の設立20周年特別企画として、日本酒ライターの大先輩で敬愛する酒食エッセイスト藤田千恵子さんと、奈良京都に点在する日本酒ゆかりの聖地を巡礼するツアーを催行しました。

 地酒研に藤田さんをお招きしたのは、2003年に東伊豆稲取での宿泊サロン以来。このときは観光地のホスピタリティや地酒の扱われ方について、静岡県の蔵元4人と藤田さんでトークバトルしていただきました(こちらこちらに記録してあります)。今年のお正月、20周年アニバーサリー企画として過去20年間に開催した好評企画にリトライしようと考えていたとき、藤田さんに真っ先に連絡をし、快くご協力いただき、実現できたのです。


 今回廻った聖地は、酒林(酒蔵の軒に吊るす杉玉)発祥の大神神社(奈良県桜井市三輪)、日本清酒(菩提もと)発祥の正暦寺(奈良市)、酒の神様松尾大社(京都市)の3か所。昨年上梓した『杯が満ちるまで』で酒造の起源について執筆したのがきっかけで、大神神社の分社である岡部の神神社を信仰する「初亀」の橋本謹嗣社長、菩提もと再現に取り組む「杉錦」の杉井均乃介社長に同行をお願いしたところ、お2人も快く参加してくださいました。

 行先はこれに加えて、藤田さんが懇意にされる久保本家酒造(奈良県宇陀市)、精進料理をいただいた酬恩庵一休寺(京都府田辺市)、イオンモールKYOTOに新規オープンしたオール純米酒の酒販店「浅野日本酒店」、最後は私が懇意にしている京町家「亀甲屋」でフィニッシュと、1泊2日のドライブ旅行にしてはかなりタイトなスケジュール。もともと20周年アニバーサリー企画を陰日向でサポートしてくれた会員と、車に乗れるだけの人数でこじんまり行くつもりでしたが、藤田さんの酒友を含めた計13名でのにぎやかな珍道中となりました。


 7月31日(日)は車2台で静岡を朝8時に出発。昼過ぎに奈良大宇陀の久保本家酒造に到着しました。旧伊勢街道一帯に広がる城下町として戦国時代から発展し、今も歴史的街並みが残り、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている宇陀松山。その一角にある同蔵も、街並みを象徴するように、切妻造りの桟瓦葺(さんかわらぶき)、白漆喰の外壁に囲まれた堂々たる伝統家屋です。

 敷地内には昨年7月に「酒蔵カフェ」がオープン。水曜日から日曜日(午前11時〜午後4時)の営業で、3種の利き酒セット、酒粕を使ったスイーツ、糀(こうじ)ドリンク、仕込水コーヒーなどが楽しめます。3月に下見にうかがったときは平日午後の訪問で、利き酒セットを頼みましたが、土日にはランチ営業もしているということで、今回は到着後さっそくランチをいただきました。

 ランチは酒蔵らしい発酵食メニューがいっぱい。これで1200円はコスパ高!と全員大喜びでした。

 

 

 食事後は蔵元久保順平さんの案内で仕込み蔵の見学です。久保本家酒造といえば「初霞」「生もとのどぶ」で知られ、南部杜氏の加藤克則さんは生もと造りの名手として注目の人ですが、この時期は当然ながら蔵にはいらっしゃいません。久保さんは「僕なんかの説明ですみません」と恐縮しながら1階の釜場や仕込みタンク、2階の麹室や酒母室を丁寧にご案内くださいました。ちなみに久保さんは加藤さんを杜氏に雇用する前の数年間、ご自身で杜氏を務めた経験もおありです。

 酒蔵の環境や宇陀松山の土地柄についての解説では、さりげなく「万葉集の●●に詠われた」とか「大化の改新のころ」なんてフレーズが出てくる。日本広しといえども大化の改新を語る酒蔵なんて奈良の蔵しかないだろう~とみんなで唸ってしまいました(笑)。

 夏場、杜氏や蔵人不在で、“物置状態”になった蔵をいくつか見たことがありますが、不在中とは思えないほどピカピカで整理整頓が行き届いていました。酒母室の広さと清潔さは、この蔵が酒母造りをいかに重視しているかを体現しているよう。同じく生もとや菩提もと造りを手掛ける杉錦の杉井均乃介社長が、かなり突っ込んだ質問をされていましたが、同業他社の人にも過度なガードを張らず、技術をディスクローズするのが酒造業者のいいところ。逆に言えば、同じ道具・同じ手法で造っても同じ酒にならない酒造業の奥深さを、同業者同士の対話からもどことなく感じました。

 

 

 

 いただいた資料によると、久保本家酒造は元禄15年(1702)の創業。吉野から転居した初代久保官兵衛が「新屋(あたらしや)」という屋号で造り酒屋を始め、この地が交通の要所ということもあって手堅い商売をされていたようです。幕末期、6代目伊兵衛氏の2人の弟は吉田松陰、緒方洪庵、林豹吉郎、福沢諭吉等と親交があり、明治以降は洪庵から譲り受けた天然痘ワクチンを使って地域医療に従事したそうです。

 酒造業は8代目伊一郎氏の時代に大いに発展し、灘(兵庫県)に進出したり、県内初の乗り合いバスの松山自動車商会(現・奈良交通)や銀行(現・南都銀行)を創業。伊一郎氏は衆議院議員を4期務めた実力者で久保家も隆盛を極めたそうです。氏が急逝したとき後継の9代目順一氏はまだ19歳。バス、銀行事業は親戚に譲り、灘の酒蔵も手放し、本家での酒造業に専念するも戦争の時代に入って厳しい経営を余儀なくされます。戦後はいち早く製造復活をはたし、地域に初めて信号機を寄付したり万葉集の歌碑を建立するなど地域貢献に尽力。禅宗を信条にされていた順一氏は、大徳寺長老の立花大亀老師を自宅に招き、知人を集めて毎月禅講義を開催されたそうです。

 

 我々を迎えてくださった久保順平さんは1961年生まれの11代目。10代の頃は祖父の順一氏、父・伊一氏に反発し、大学卒業後は大和銀行(現・りそな銀行)に入行し、ロンドン勤務も経験されたそうです。しかし海外に出て初めて、家業や地域の得難い価値に気づき、1994年に退職してUターン。家業は曾祖父の8代目伊一郎氏の時代をピークに曲がり角に差し掛かり、灘に桶売りをしていた状況でしたが、静岡県の酒蔵が吟醸酒で“自立”の道を切り開いたように、久保さんも地酒蔵の強みを模索し、酒造りの同志を求めて全国を回って、生もと造りの技術を持つ南部杜氏の加藤克則さんと出合います。

  加藤杜氏と二人三脚で新たに確立した「初霞」「睡龍」「生もとのどぶ」は大きな評判を集め、今では生もと造りの銘醸として知られるようになりました。
 



 こちらは2008年、ウォールストリートジャーナルに掲載されたSAKEの特集記事。私が撮影した青島酒造の写真が掲載されたことは、こちらのブログでも紹介済みですが、偶然にも同じ紙面に久保本家酒造が掲載されていたことに気が付いてビックリ。「喜久醉」青島酒造の蔵元杜氏・青島孝さんも久保さん同様、家業継承を嫌って金融の世界に進み、海外で仕事をし、そこで改めて日本の地に足の着いたモノづくりの価値や自身のアイデンティティを見つめ直した人。不思議なご縁を感じます。


 蔵見学の後は、宇陀松山の歴史的街並みを散策し、16時に出発。約30分で宿泊地の桜井市三輪・大神神社門前旅館「大正楼」へ到着しました。夕食時には持ち込ませていただいた静岡の酒をたっぷり味わい、夜は大正楼の前から宿の浴衣のまんま、大神神社おんぱら祭り花火大会を見物しました。私にとってはこの夏初めての花火。なおかつ大好きな酒友たちと旅先で、ほろ酔い気分で見上げる夜空の大輪と打ち上げの音は、いっそう心に沁み渡りました。(つづく)


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しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第4弾「お酒の原点お米の不思議2016」

2016-07-17 14:56:40 | しずおか地酒研究会

  7月3日(日)、しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画第4弾として、静岡県の酒米・誉富士の育種を手掛ける静岡県農林技術研究所作物科三ケ野圃場(磐田市)を訪問しました。研究会発足直後の1996年6月、8月、10月と延べ3回にわたって、県内で本格的に栽培が始まった山田錦の圃場見学を行い、まさに「お酒の原点」である「お米の不思議」をフィールドワークで学んだ20年前を振り返ろうという企画(ちなみに誉富士の開発が始まったのは2年後の1998年)。当時参加したのは蔵元や酒販店など業界関係者だけでしたが、今回は一般参加者がメイン。20年前にも参加してくれたのは片山克哉さん(地酒かたやま店主)、松下明弘さん(稲作農家)の2人だけでしたが、この2人のおかげで交流会も大いに盛り上がり、20年の酒縁のありがたみをひしひしと感じました。

 

 作物科の研究は主に、水稲・畑作物の①新品種育成、②優良品種の選定、③水田の病害虫・雑草などの管理技術研究、④小麦の大敵・ネズミムギの防除技術研究、⑤新しい除草剤の適応性検定、⑥水稲小麦の低コスト&エコ&安定栽培のための新素材研究、⑦水稲小麦の原原種、原種の育成ーの7つ。今回は①②⑦について、研究スタッフの宮田祐二さんと外山祐介さんに丁寧に解説していただきました。

 米の新品種というのは、人工交配や突然変異の誘発(放射線を当てる等)によって優れた特性を作出し、選抜可能な世代まで3~5年間実験と観察を繰り返し、形質が優れた個体を選抜し、遺伝的特性などを系統的に見極めて選抜を進め、純粋な種を取るための『採種用』と、一般栽培特性(収量・食味・耐病性など)を検討する『試験用』に圃場を分けて実験を繰り返します。試験用圃場では、疎に植えたり密に植えたり、さまざまな植え方も実験していました。

 

 約3万6千平方メートルある三ケ野圃場。原原種・原種を育てる『採種用』の田んぼでは飯米用のコシヒカリ、にこまる、きぬむすめ。酒米では誉富士とその親筋にあたる山田錦の原原種が大切に育てられていました。米の原原種は原産地が管理を厳しくしており、兵庫県が原産地である山田錦の原原種を他県で育種する例はまれでしょう。

 宮田さんによると、山田錦の原種は昭和40年代に兵庫から静岡県農業試験場に入ったようで、それを累々と今まで継続して試験用の種を取っており、今年度、原原種を育成するために大規模に採種を始めたとのこと。また昨年度から、岡山県より「雄町」の正式な種子を譲ってもらい、これをベースに新品種の開発をスタートしたとのこと。正式に種子を譲ってもらえたのは望外の喜びだったそうです。
 長年、酒どころのイメージ同様、酒米産地のイメージが薄かった静岡県ですが、多くの研究者の地道な研究活動によって、純正種子を育種できるようになった。そのベースがあって生産者が安心して栽培に臨める。醸造家の手元に来るまでさまざまな人々の知られざる努力があったのです。ふと20年前の見学会を思い起こし、目頭が熱くなりました。 

 左下の写真、真ん中のブルーのポールから右が山田錦、左が誉富士の原種です。静岡県の酒米の生命線ともいえる貴重な田んぼです。

 

 見学会終了後は菊川に移動し、手打ちそば処「だいだい」で交流会。20年前、静岡新聞社より「そばをもう一枚」を上梓された先輩ライターである山口雅子さんがコーディネートしてくれたお店で大いに盛り上がりました。ピリッとわさびが効いたそばがきのまろやかさが、誉富士の軽やかな丸さに調和し、絶妙の味わいでした!

 

 

 しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリーでなんとしてでも実現したかった20年越しの「お酒の原点お米の不思議」。強く願ったきっかけは、昨年上梓した「杯が満ちるまで」での取材でした。

 以下は収録しきれず、大部分を削らざるをえなかった草稿ですが、地元で酒米を育てるー名ばかりの地元米ではなく、真に静岡県の地酒としての酒質・品格を実現できる米作りについて粗削りに書き込んだ内容です。興味のある方はご笑覧ください。

 

 

酒米の王者・山田錦と松下米

 酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占める。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されており、中でも平成12年(2000)以降、新品種に登録された米が36ある。まさに酒米百花繚乱時代であるが、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を凌駕する米は出て来ない。

 大正末期に兵庫県で生まれた山田錦は、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録された。

 酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(注)がクッキリ発現するという特徴がある。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけだ。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕といえる。

 山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが、酵母の作用速度をうまくコントロールするようだ。心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまう。

 山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴で、どういうわけか山田錦を親にして交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきた。

 兵庫県で育成された米だけに、西日本が主産地で、静岡県は栽培適地ではないというのも通説だった。

 山田錦研究で知られた故・永谷正治氏(元国税庁酒類鑑定官室長)は全国各地で栽培適地を発掘する名人でもあった。平成8年(1996)、ちょうど私がしずおか地酒研究会を立ち上げた年、静岡県酒造組合が永谷氏を招聘し、県内を視察するというので研究会も便乗し、山田錦の試験栽培に取り組む開運(掛川)と花の舞(浜松)の契約農家を、永谷氏を先導役に蔵元や酒販店主と廻った。花の舞の杜氏土田一仁さんは「酒造りは装置産業ではない。原料をけちってはいいものは出来ない。山田錦の酒をしっかり造る蔵はファンがちゃんと支持してくれると思う」と、栽培への期待を熱く語っていた。   

 

 この年、藤枝でも一人の稲作農家が山田錦の栽培を始めた。松下明弘さんである。

 背丈の高い山田錦は、田植えの際は間隔を開け、一カ所1~2本という極少量の苗付けが望ましいが、到底、多収穫は期待できない。松下さんが平成8年に初めて有機無農薬栽培で作った山田錦は、永谷さんに言われるまでもなく少量ながら太く健康的で、空に向かってまっすぐ伸びた、それは素晴らしい稲だった。稲刈りを手伝った私も、素人ながら、「稲とはこんなに強く美しいのか」と感激した。山田錦の完全有機無農薬栽培を成功させた生産者は兵庫にもおらず、自分が刈入れを手伝ったあの稲が日本で最初だったということを後で知って、感動もひとしおだった。

 松下さんは、やせた田んぼをあえて耕さず、苗を疎に植えた。1本1本の苗を厳しい土壌でしっかり根付かせ、たくましく育てるためである。田んぼにはタニシや豊年エビが現れた。土や稲が健康である証拠だ。彼は20代のころ青年海外協力隊でアフリカに渡り、人が土に生かされていることを学び、農の根本を考えたという。彼の稲作観については本人が著した『ロジカルな田んぼ』(日経プレミアシリーズ)を参考にされたい。

 松下さんの山田錦=松下米は、「酒米を作りたい」と飛び込みでやってきた彼に、「どうせなら山田錦を作ってみろ」と種子を与えて背を押した喜久醉(藤枝)が引き取った。たとえ失敗してクズ米になったとしても、社長の青島秀夫さんがポケットマネーで全量買い取るつもりだったという。

 今でも忘れられないが、最初の年に仕込まれた精米歩合40%の純米大吟醸を搾った直後に試飲したとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失った。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、永谷氏から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになった。山田錦の酒は春の搾りたてより、ひと夏を越して秋になると味がのってくると言われるが、まさに定説どおりだったのである。 

 松下米は山田錦なのに心白の出現率は全量の3割程度。化学肥料を使った通常の栽培では5割は確実、といわれるため、有機無農薬栽培が何らかの影響を与えているのかもしれないが、はっきり分からないそうだ。ただし杜氏の青島孝さんは「心白の有無は気にしない」という。硬く引き締まった米でよいと。心白がない分、米の中心はでんぷん密度が濃く、麹の菌糸が容易に食い込んでいかない造り手泣かせの米のようだが、慎重で精密な発酵を旨とする静岡吟醸の醸造スタイルにしっくり合うのでは、と想像する。

 現在、喜久醉純米大吟醸松下米40(40%精米)と喜久醉純米吟醸松下米50(50%精米)の2タイプ、この蔵のコンセプト商品として造られる。コンセプトを綴ったしおりの作成を手伝った縁で、私はこの酒を平成8酒造年度から毎年欠かさず、愛飲している。鑑評会の出品経験がないため、全国数多の山田錦の酒の中で、どれだけのレベルなのかは分からないが、私にとっては、山田錦の酒といったら、この酒が基準値になる。

 

注)心白とは細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分

 

<参考文献>山田錦の作り方と買い方/永谷正治、日本の酒米と酒造り/前重通雅・小林信也、山田錦物語/兵庫県酒米研究グループ、酒米ハンドブック/副島顕子、毎日新聞1997年10月30日付「しずおか酒と人」/鈴木真弓、ロジカルな田んぼ/松下明弘

 

 

 

静岡県の酒米・誉富士

 静岡県の『誉富士』は平成15年(2003)にデビューした。山田錦の変異系の品種である。

 山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがある。酒にするには最高だが、農家にとっては作りにくい。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を」と考え、平成10年(1998)、静岡県農業試験場(現・静岡県農林技術研究所)の宮田祐二氏が中心となって育種がスタートした。

 まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。平成12年(2000)以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜した(注)。

 平成15年(2003)より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。平成17年(2005)、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造が行なわれた。結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成26年酒造年度は25社から発注があった。

 誉富士を多く仕入れる『白隠正宗』(沼津)の高嶋一孝さんは「沼津では五百万石を栽培していたが、新潟生まれのせいか、酒にすると線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」と振り返る。宮田氏も「山田錦以外の血は混じっていない米だから、醸造適正は山田錦と同等と考えていいと思う」と自信をのぞかせる。

 誉富士は、残念ながら山田錦の小ぶりな線状心白のDNAを受け継がず、心白が粒全体の9割近くを占める大きさで、並みの精米機で高精白すると胴割れしてしまう。一方、高精白の大吟醸や純米大吟醸が売れていたバブル時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はある。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって注目された。

 各蔵元は「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」とため息をつく。 

 富士山の世界文化遺産登録以降、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていない。

 一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要である。漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり2万円未満。高嶋さんが指摘されたように、酒米では五百万石と同レベルと考えてよい。

 山田錦は一時期、一俵3万円を超える時代もあったが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、現在、平均2万4千円程度に落ち着いている。最近では精米歩合60~70%程度の純米・本醸造クラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場している。価格は頭打ちでも需要が高い分、産地は拡大しており、販路も多様化し、蔵元にとって“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようだ。ちなみに全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭』(山口)は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培面積を増やせないからだ」と政府に直談判し、規制緩和の道筋をつけた。

 誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米だと生産者にアピールされた。実際に試験醸造が始まり、山田錦ではなく五百万石クラスの米だと判ると、誉富士の価格もそれに準ずることになった。結果、「(山田錦並みに)高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していった。

 現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、酒蔵が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を栽培する意欲的な生産者がいた。食用米の価格はここ数年値崩れ気味だが、酒米の価格は下落幅が少なく、誉富士の価格はほとんど下がっていない。そこに着目し、生産者も少しずつ増えてきている。

 稲作ひと筋の人ばかりではなく、野菜や温室メロンの生産者も誉富士栽培に挑戦している。宮田氏は「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育てる」と期待を寄せる。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家だ。

 毎年6月初めには、志太地域の酒米生産者グループ『焼津酒米研究会』が誉富士の田植えイベント、10月には稲刈り体験を行なっている。毎回多くの蔵元や酒販店・飲食店オーナーたちが家族や従業員を伴って参加し、生産者を激励する。他県生まれの山田錦や五百万石では、こういう絆は生まれてこないだろう。

 宮田氏は、稲作の未来について「田んぼでは今、減農薬・減化学肥料という名目で、散布が1回で済むような高性能の農薬や肥料が使われている。稲がいつ肥料をほしがっているのか、いつ頃なぜ虫がつくのかを理解しないまま、作業効率だけを追い求め、坦々とこなす生産者が増えている。日本の稲作技術は先細りしないだろうか」と危惧する。そのためにも、山田錦や誉富士のように、少々手間のかかるやっかいな米に挑む生産者が必要なのだ。

 吟醸酒という大いに手間のかかる酒に市民権を与えた静岡県には、挑戦者を育てる土壌があると思う。河村氏や宮田氏のような、頑固だがトコトン熱い研究指導者がいて、松下さんのような開拓者もいる。静岡県の酒米づくりには、日本の稲作の未来がかかっている、といったら言い過ぎだろうか。

 

(注)現在、静岡県農林技術研究所では誉富士の改良種として『静系(酒)94号』を各蔵で試験醸造中。研究所では『静系(酒)95号』を試験栽培中。

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