杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー第4弾「お酒の原点お米の不思議2016」

2016-07-17 14:56:40 | しずおか地酒研究会

  7月3日(日)、しずおか地酒研究会20周年アニバーサリー企画第4弾として、静岡県の酒米・誉富士の育種を手掛ける静岡県農林技術研究所作物科三ケ野圃場(磐田市)を訪問しました。研究会発足直後の1996年6月、8月、10月と延べ3回にわたって、県内で本格的に栽培が始まった山田錦の圃場見学を行い、まさに「お酒の原点」である「お米の不思議」をフィールドワークで学んだ20年前を振り返ろうという企画(ちなみに誉富士の開発が始まったのは2年後の1998年)。当時参加したのは蔵元や酒販店など業界関係者だけでしたが、今回は一般参加者がメイン。20年前にも参加してくれたのは片山克哉さん(地酒かたやま店主)、松下明弘さん(稲作農家)の2人だけでしたが、この2人のおかげで交流会も大いに盛り上がり、20年の酒縁のありがたみをひしひしと感じました。

 

 作物科の研究は主に、水稲・畑作物の①新品種育成、②優良品種の選定、③水田の病害虫・雑草などの管理技術研究、④小麦の大敵・ネズミムギの防除技術研究、⑤新しい除草剤の適応性検定、⑥水稲小麦の低コスト&エコ&安定栽培のための新素材研究、⑦水稲小麦の原原種、原種の育成ーの7つ。今回は①②⑦について、研究スタッフの宮田祐二さんと外山祐介さんに丁寧に解説していただきました。

 米の新品種というのは、人工交配や突然変異の誘発(放射線を当てる等)によって優れた特性を作出し、選抜可能な世代まで3~5年間実験と観察を繰り返し、形質が優れた個体を選抜し、遺伝的特性などを系統的に見極めて選抜を進め、純粋な種を取るための『採種用』と、一般栽培特性(収量・食味・耐病性など)を検討する『試験用』に圃場を分けて実験を繰り返します。試験用圃場では、疎に植えたり密に植えたり、さまざまな植え方も実験していました。

 

 約3万6千平方メートルある三ケ野圃場。原原種・原種を育てる『採種用』の田んぼでは飯米用のコシヒカリ、にこまる、きぬむすめ。酒米では誉富士とその親筋にあたる山田錦の原原種が大切に育てられていました。米の原原種は原産地が管理を厳しくしており、兵庫県が原産地である山田錦の原原種を他県で育種する例はまれでしょう。

 宮田さんによると、山田錦の原種は昭和40年代に兵庫から静岡県農業試験場に入ったようで、それを累々と今まで継続して試験用の種を取っており、今年度、原原種を育成するために大規模に採種を始めたとのこと。また昨年度から、岡山県より「雄町」の正式な種子を譲ってもらい、これをベースに新品種の開発をスタートしたとのこと。正式に種子を譲ってもらえたのは望外の喜びだったそうです。
 長年、酒どころのイメージ同様、酒米産地のイメージが薄かった静岡県ですが、多くの研究者の地道な研究活動によって、純正種子を育種できるようになった。そのベースがあって生産者が安心して栽培に臨める。醸造家の手元に来るまでさまざまな人々の知られざる努力があったのです。ふと20年前の見学会を思い起こし、目頭が熱くなりました。 

 左下の写真、真ん中のブルーのポールから右が山田錦、左が誉富士の原種です。静岡県の酒米の生命線ともいえる貴重な田んぼです。

 

 見学会終了後は菊川に移動し、手打ちそば処「だいだい」で交流会。20年前、静岡新聞社より「そばをもう一枚」を上梓された先輩ライターである山口雅子さんがコーディネートしてくれたお店で大いに盛り上がりました。ピリッとわさびが効いたそばがきのまろやかさが、誉富士の軽やかな丸さに調和し、絶妙の味わいでした!

 

 

 しずおか地酒研究会の20周年アニバーサリーでなんとしてでも実現したかった20年越しの「お酒の原点お米の不思議」。強く願ったきっかけは、昨年上梓した「杯が満ちるまで」での取材でした。

 以下は収録しきれず、大部分を削らざるをえなかった草稿ですが、地元で酒米を育てるー名ばかりの地元米ではなく、真に静岡県の地酒としての酒質・品格を実現できる米作りについて粗削りに書き込んだ内容です。興味のある方はご笑覧ください。

 

 

酒米の王者・山田錦と松下米

 酒米の代表格といえば山田錦(兵庫県原産)と五百万石(新潟県原産)。この2品種で、全国の酒米作付面積の6割以上を占める。これを筆頭に、現在、約90品種の酒米が栽培されており、中でも平成12年(2000)以降、新品種に登録された米が36ある。まさに酒米百花繚乱時代であるが、栽培上や醸造上の欠陥があって、未だに昭和初期に生まれた『山田錦』を凌駕する米は出て来ない。

 大正末期に兵庫県で生まれた山田錦は、雄町の系統『短桿渡船』を父に、在来種の『山田穂』を母に持ち、昭和11年に命名登録された。

 酒米は食用米に比べ、大粒で、米の中心の心白(注)がクッキリ発現するという特徴がある。心白があると麹米を造るとき、麹の菌糸が中心部まで食い込みやすく、糖化力の強い麹米になる。この糖を栄養にしてアルコールにするのが酵母。酵母の働きを左右する醸造の要を、麹米の糖化力が担っているわけだ。この糖化力を左右するのが米の心白であり、菌糸の食い込みをコントロールするのが杜氏の手腕といえる。

 山田錦の重さは千粒重にして27g(コシヒカリは22g前後)とビッグサイズながら、心白は線状の一文字型でやや小ぶり。線状心白は精白したときに心白の位置が片寄って、部分的に露出することもあるが、この表面から心白までの距離の不均一さが、酵母の作用速度をうまくコントロールするようだ。心白の形状には他に「眼状」「菊花状」等があり、楕円や球形に近いほど高精白すると胴割れしてしまう。

 山田錦の線状心白は、親の山田穂、雄町、渡船から受け継いだ遺伝的特徴で、どういうわけか山田錦を親にして交配しても、線状心白はなかなか子孫にあらわれない。これが、山田錦を超える米がなかなか出てこない理由の一つと言われてきた。

 兵庫県で育成された米だけに、西日本が主産地で、静岡県は栽培適地ではないというのも通説だった。

 山田錦研究で知られた故・永谷正治氏(元国税庁酒類鑑定官室長)は全国各地で栽培適地を発掘する名人でもあった。平成8年(1996)、ちょうど私がしずおか地酒研究会を立ち上げた年、静岡県酒造組合が永谷氏を招聘し、県内を視察するというので研究会も便乗し、山田錦の試験栽培に取り組む開運(掛川)と花の舞(浜松)の契約農家を、永谷氏を先導役に蔵元や酒販店主と廻った。花の舞の杜氏土田一仁さんは「酒造りは装置産業ではない。原料をけちってはいいものは出来ない。山田錦の酒をしっかり造る蔵はファンがちゃんと支持してくれると思う」と、栽培への期待を熱く語っていた。   

 

 この年、藤枝でも一人の稲作農家が山田錦の栽培を始めた。松下明弘さんである。

 背丈の高い山田錦は、田植えの際は間隔を開け、一カ所1~2本という極少量の苗付けが望ましいが、到底、多収穫は期待できない。松下さんが平成8年に初めて有機無農薬栽培で作った山田錦は、永谷さんに言われるまでもなく少量ながら太く健康的で、空に向かってまっすぐ伸びた、それは素晴らしい稲だった。稲刈りを手伝った私も、素人ながら、「稲とはこんなに強く美しいのか」と感激した。山田錦の完全有機無農薬栽培を成功させた生産者は兵庫にもおらず、自分が刈入れを手伝ったあの稲が日本で最初だったということを後で知って、感動もひとしおだった。

 松下さんは、やせた田んぼをあえて耕さず、苗を疎に植えた。1本1本の苗を厳しい土壌でしっかり根付かせ、たくましく育てるためである。田んぼにはタニシや豊年エビが現れた。土や稲が健康である証拠だ。彼は20代のころ青年海外協力隊でアフリカに渡り、人が土に生かされていることを学び、農の根本を考えたという。彼の稲作観については本人が著した『ロジカルな田んぼ』(日経プレミアシリーズ)を参考にされたい。

 松下さんの山田錦=松下米は、「酒米を作りたい」と飛び込みでやってきた彼に、「どうせなら山田錦を作ってみろ」と種子を与えて背を押した喜久醉(藤枝)が引き取った。たとえ失敗してクズ米になったとしても、社長の青島秀夫さんがポケットマネーで全量買い取るつもりだったという。

 今でも忘れられないが、最初の年に仕込まれた精米歩合40%の純米大吟醸を搾った直後に試飲したとき、「何?この水みたいな味も素っ気もない酒・・・」と言葉を失った。ところが同じ酒が、3ヶ月、6ヶ月、1年と熟成していくうちに、米の実力がじわじわ発揮され、永谷氏から「山田錦で醸した酒では最高レベル」と称賛されるまでになった。山田錦の酒は春の搾りたてより、ひと夏を越して秋になると味がのってくると言われるが、まさに定説どおりだったのである。 

 松下米は山田錦なのに心白の出現率は全量の3割程度。化学肥料を使った通常の栽培では5割は確実、といわれるため、有機無農薬栽培が何らかの影響を与えているのかもしれないが、はっきり分からないそうだ。ただし杜氏の青島孝さんは「心白の有無は気にしない」という。硬く引き締まった米でよいと。心白がない分、米の中心はでんぷん密度が濃く、麹の菌糸が容易に食い込んでいかない造り手泣かせの米のようだが、慎重で精密な発酵を旨とする静岡吟醸の醸造スタイルにしっくり合うのでは、と想像する。

 現在、喜久醉純米大吟醸松下米40(40%精米)と喜久醉純米吟醸松下米50(50%精米)の2タイプ、この蔵のコンセプト商品として造られる。コンセプトを綴ったしおりの作成を手伝った縁で、私はこの酒を平成8酒造年度から毎年欠かさず、愛飲している。鑑評会の出品経験がないため、全国数多の山田錦の酒の中で、どれだけのレベルなのかは分からないが、私にとっては、山田錦の酒といったら、この酒が基準値になる。

 

注)心白とは細胞内のデンプン粒密度が粗く、光が乱反射して不透明に見える部分

 

<参考文献>山田錦の作り方と買い方/永谷正治、日本の酒米と酒造り/前重通雅・小林信也、山田錦物語/兵庫県酒米研究グループ、酒米ハンドブック/副島顕子、毎日新聞1997年10月30日付「しずおか酒と人」/鈴木真弓、ロジカルな田んぼ/松下明弘

 

 

 

静岡県の酒米・誉富士

 静岡県の『誉富士』は平成15年(2003)にデビューした。山田錦の変異系の品種である。

 山田錦は稲穂の背が高い。つまり背が高く穂先の重量が重いため、倒れやすいという栽培上のネックがある。酒にするには最高だが、農家にとっては作りにくい。そこで静岡県では、静岡酵母の成功に続き、「山田錦と同等レベルで、山田錦よりも作りやすい(=背が低い)酒米を」と考え、平成10年(1998)、静岡県農業試験場(現・静岡県農林技術研究所)の宮田祐二氏が中心となって育種がスタートした。

 まず山田錦の種子籾に放射線(γ線)を照射させ、翌年、約98,000固体を栽培し、その中から短稈化や早生化など、有益な突然変異と思われる約500個体を選抜。平成12年(2000)以降は、特性が優れた系統を徐々にしぼり込み、穂丈が山田錦よりも低い“短足胴長タイプ”で栽培がしやすく、収穫量も安定し、米粒の形状や外観が山田錦とよく似た『静系(酒)88号』という新品種を選抜した(注)。

 平成15年(2003)より精米試験や小仕込み醸造試験を実施し、一般公募で『誉富士』と命名。平成17年(2005)、県下5地域(焼津市、菊川市、掛川市、袋井市、磐田市)16名の農家が試験栽培を行い、酒蔵7社によって試験醸造が行なわれた。結果は良好で、誉富士を使ってみたいという蔵元は年々増え、平成26年酒造年度は25社から発注があった。

 誉富士を多く仕入れる『白隠正宗』(沼津)の高嶋一孝さんは「沼津では五百万石を栽培していたが、新潟生まれのせいか、酒にすると線が細くて熟成に向かないという欠点がある。山田錦の系統である誉富士の酒は、熟成にも耐えるふっくら感があり、仕入価格は五百万石クラスということで、当社では五百万石使用分をすべて誉富士に切り替えた」と振り返る。宮田氏も「山田錦以外の血は混じっていない米だから、醸造適正は山田錦と同等と考えていいと思う」と自信をのぞかせる。

 誉富士は、残念ながら山田錦の小ぶりな線状心白のDNAを受け継がず、心白が粒全体の9割近くを占める大きさで、並みの精米機で高精白すると胴割れしてしまう。一方、高精白の大吟醸や純米大吟醸が売れていたバブル時代とは違い、マーケットでは低価格酒が主流。静岡県では精米60%クラスの純米・純米吟醸酒でも大吟醸並みの丁寧な仕込みをモットーにしており、コストパフォーマンスの高い良酒であることは飲めば分かる。事実、このクラスが最も売れており、まだまだ伸びる余地はある。蔵元では必然的に誉富士をこのクラスに使うようになり、ご当地米の話題性が追い風となって注目された。

 各蔵元は「誉富士の酒は、春に仕込んでも9~10月には欠品してしまうので、もっと量を増やしたいが、栽培農家が増えてくれないことにはどうにもならない」とため息をつく。 

 富士山の世界文化遺産登録以降、「富士」の名がついた酒に対する人気はうなぎのぼり。蔵元のニーズに対し、栽培が追いついていない。

 一般的な考えとして、生産者を増やすには、誉富士を「高く売れる米」にすることが肝要である。漏れ聞いた価格は1俵(60kg)あたり2万円未満。高嶋さんが指摘されたように、酒米では五百万石と同レベルと考えてよい。

 山田錦は一時期、一俵3万円を超える時代もあったが、山田錦を主原料とする大吟醸クラスの高級酒が市場で低迷し、山田錦の価格も頭打ちとなり、現在、平均2万4千円程度に落ち着いている。最近では精米歩合60~70%程度の純米・本醸造クラスでも山田錦使用を堂々と謳う酒が登場している。価格は頭打ちでも需要が高い分、産地は拡大しており、販路も多様化し、蔵元にとって“高嶺の花”だった時代に比べるとずいぶん買いやすくなったようだ。ちなみに全量山田錦で純米大吟醸を仕込む『獺祭』(山口)は「クールジャパンで海外に日本酒の売り込み攻勢をかけたくても、原料の山田錦が足りない。減反政策が足枷となって栽培面積を増やせないからだ」と政府に直談判し、規制緩和の道筋をつけた。

 誉富士は当初、静岡県では作り難い山田錦に代わる、山田錦レベルの高品質・高価格米だと生産者にアピールされた。実際に試験醸造が始まり、山田錦ではなく五百万石クラスの米だと判ると、誉富士の価格もそれに準ずることになった。結果、「(山田錦並みに)高く売れるなら作ってみようか」という意識の生産者は、一人二人と脱落していった。

 現在、誉富士の主産地である静岡県中部の志太地域(焼津、藤枝、島田)には、酒蔵が集積していることから、もともと山田錦や五百万石を栽培する意欲的な生産者がいた。食用米の価格はここ数年値崩れ気味だが、酒米の価格は下落幅が少なく、誉富士の価格はほとんど下がっていない。そこに着目し、生産者も少しずつ増えてきている。

 稲作ひと筋の人ばかりではなく、野菜や温室メロンの生産者も誉富士栽培に挑戦している。宮田氏は「彼らは稲作初心者だから、砂漠で水をゴク飲みするかのように、こちらの指導を貪欲に聞いてくれる。果菜作りの繊細さが活かされ、丁寧に育てる」と期待を寄せる。こういう人たちは「高く売れる米だから作る」というよりも、新品種と聞けば挑戦せずにはいられないアグレッシブな農家だ。

 毎年6月初めには、志太地域の酒米生産者グループ『焼津酒米研究会』が誉富士の田植えイベント、10月には稲刈り体験を行なっている。毎回多くの蔵元や酒販店・飲食店オーナーたちが家族や従業員を伴って参加し、生産者を激励する。他県生まれの山田錦や五百万石では、こういう絆は生まれてこないだろう。

 宮田氏は、稲作の未来について「田んぼでは今、減農薬・減化学肥料という名目で、散布が1回で済むような高性能の農薬や肥料が使われている。稲がいつ肥料をほしがっているのか、いつ頃なぜ虫がつくのかを理解しないまま、作業効率だけを追い求め、坦々とこなす生産者が増えている。日本の稲作技術は先細りしないだろうか」と危惧する。そのためにも、山田錦や誉富士のように、少々手間のかかるやっかいな米に挑む生産者が必要なのだ。

 吟醸酒という大いに手間のかかる酒に市民権を与えた静岡県には、挑戦者を育てる土壌があると思う。河村氏や宮田氏のような、頑固だがトコトン熱い研究指導者がいて、松下さんのような開拓者もいる。静岡県の酒米づくりには、日本の稲作の未来がかかっている、といったら言い過ぎだろうか。

 

(注)現在、静岡県農林技術研究所では誉富士の改良種として『静系(酒)94号』を各蔵で試験醸造中。研究所では『静系(酒)95号』を試験栽培中。

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ポートランド紀行(その4)ローズフェスティバル

2016-07-10 10:50:53 | 旅行記

 少し間が空いてしまいましたが、6月のポートランド紀行のつづきです。

 6月12日(土)はポートランド市街で開催されたローズフェスティバルのカーニバルを見物しました。なんでも1907年から始まった全米屈指の歴史を誇るお祭りで、この日はフェスティバル最大のクライマックス「グランドフローラルパレード」。全米各地で開催されるパレードやカーニバルの元祖ともいうべきビッグパレードだそうで、偶然居合わせることができてラッキーでした!

 ポートランドは古くからバラの街として知られていて、今回我々は訪問しませんでしたが、市街西側のワシントンパークにあるインターナショナル・ローズテスト・ガーデンでは、560種1万株のバラが栽培されているそうです。

 ローズフェスティバルは1907年当時のハリー・レーン市長が「バラをモチーフにした祭りが必要だ」と提案し、以来、100年余にわたり、毎年5月下旬~6月上旬の3週間にわたって開催されています。100周年を迎えた2007年にはIFEA(国際祭事協会)によって、世界一のフェスティバルに贈られる「グランド・ピナクル・アワード」に選ばれたそうです。期間中には全米最大のローズショーでバラの新品種がお披露目されたり、ドラゴン・ボートレース、花火、コンサート、ハーフマラソン大会、カーレースなどポートランド市全体で様々なイベントが開かれ、世界中から観光客が訪れます。


 そしてフェスティバル最大の見所が、6月12日(土)のグランドフローラルパレード。ダウンタウンの約4.2マイルのコースを可憐な花でディスプレイされた山車やマーチングバンドが約5時間にわたって練り歩きました。我々がダウンタウンに到着したときは、すでにパレードコースのメインスポットは見物客がしっかり場所取り。妹夫婦がパレードの先頭がやってくる時間とコースを調べ、空いていそうな沿道を見つけてくれて、先頭からじっくり見物することができました。

 

 ポートランドのあるオレゴン州には、年間を通してスキーができる万年雪の山、70余の滝を有する渓谷、世界最高のピノノワール・ワインを生産するワイナリーやブルワリーがあります。NIKEやColumbiaといったスポーツ・アウトドアのトップメーカーをはじめ、IT関連やデザイン等クリエイティブな産業拠点もある。中核都市であるポートランドは都市デザインや環境問題に対する先進的なビジョンを持ち、全米で最も住みたい街ナンバーワンといわれているそうです。

 パレードの山車は地元のハイスクール、NPO、メーカー、軍隊など多種多様な団体が活動メッセージを伝えるもの。なるほど、エコや動物保護を意識したデザインが目立っていました。

 

 

 

 

 

 ハイスクールのマーチングバンドでは、先生がパレードの途中で生徒に水分補給しているのが微笑ましかった(笑)。ウマやラバの種類や数もハンパない。バドワイザーのビール樽パレードは、全米の各パレードでも引っ張りだこの人気山車だそうです。スコップとダストボックスを持った山車がちゃんと続いて、動物が路上で粗相をしたときはサッと片付けてました。パレード慣れしてるなあと感心しつつ、私自身はパレード参加者がどこでどういうふうに待機していたのか、バックヤードが気になって仕方ありませんでした(笑)。

 

 昨年のMLS(メジャーリーグサッカー)で年間王者に輝いたポートランド・ティンバース。元日本代表の鈴木隆行選手が一時在籍していましたね。アラスカ航空がメインスポンサーということで、客室乗務員のみなさんもスーツケースを引いてパレード。学会等で全米各地を飛び回っている妹は「アラスカ航空のサービスが全米ナンバーワン」と言ってました。

 

 パレードを1時間ほど見物した後、ダウンタウンをタウンウォッチング。「ポートランドの地図がほしいよー!」とわめいていた私を妹夫婦が案内してくれたのは、ダウンタウンの 1 ブロックが埋まるほどの規模を誇る名物書店「パウエルズ シティー書店」。新品も古書も扱う全米屈指の独立系書店です。私はここで地図プラス、アメリカ人研究家が出版した『ZEN ART BOX』を購入しました。

 A5サイズの禅画(英文解説付きの複製画)40枚セットで9.95ドル。「えっなんでこんな安いの!?」とビックリしてよく見たら元の値段は26.95ドル。2007年の発行なので古本って感じでもないと思うのですが、この書店では新刊を中心とした定価販売本と、日本では古本コーナー扱いになる廉価本が、同じ書棚でちゃんとジャンル別に陳列されていて、利用者にとってはとても買いやすかった。

 独立系書店といわれるからには出版元から直に書販流通できているんでしょうか、日本でも紀伊国屋書店あたりがそういう動きを始めているようです。とにかく、本屋さんは街にはなくてはならない、とくにツーリストにとってはその町を知る拠り所となる存在です。本屋さんを大切にする町=ホスピタリティのある町という認識を広めたいですね!

 

 前の記事でふれたようにポートランド周辺は農作物の種類が豊富で、地産地消の意識が徹底しています。有機食材のレストラン、自家焙煎のコーヒー専門店、ブルーパブ (地ビールパブ)の数はハンパない。市街地は自転車を利用しやすい街づくりが進んでいて、レンタル自転車やMAXライトレール (路面電車)が便利です。我々は1日フリーチケットを購入してMAXを利用しましたが、 駅は自動発券機があるだけで無人かつ改札もない。乗客の性善説で運営してる?とビックリでした。

 

 ダウンタウンのハイセンスなセレクトショップでは日本と北欧のデザインが大人気。アートシーンには音楽も欠かせないということで、アメリカのジャズやポップスをこよなく愛する平野さんは「1か月ぐらい滞在して町中のレコードショップを廻りたい」と吐露していました。

 

 ウィラメット川の沿岸にはパレードにも参加していた米国海軍のLPD27(ドッグ型輸送揚陸艦)が停泊していました。沿岸に広がる公園の一角には「JAPANESE AMERICAN HISTORICAL PLAZA」の記念碑が。日系人が戦時中に体験した様々な艱難辛苦を想像し、今、こうしてアメリカの軍艦をのんびり見物し、アメリカのダウンタウン文化を満喫できる幸せをつくづく実感しました。

 日々、日常で感じるさまざまなストレスの究極な解消方法って、「とりあえず生きていられる」「食べるものがある」「居場所がある」ことを有り難いと再確認することだと思います。楽しい旅の合間にも、こういうことを考える機会が持てて、どこか、ホッとしました。

 

 

 

 5日間では雰囲気観光しかできませんでしたが、ポートランドの魅力については、ポートランド・オレゴン観光協会の古川陽子さんのこちらの記事が参考になりました。機会があったらぜひ訪ねてみてください!

 

  

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ポートランド紀行(その3)ファーマーズマーケット&ワイナリー

2016-06-26 13:10:59 | 旅行記

 ポートランド紀行のつづきです。

 6月10日は、妹夫婦が住むビーバートンの朝市ファーマーズマーケットでモーニングを楽しみました。ビーバートンは、静岡をポートランドにたとえたら藤枝ぐらいのイメージかな。NIKEの本社があることで有名です。妹の家の近くにあるNIKE Campusは広大な社屋&森を有し、市街地のかなりの面積を占める森には入口にガードがあってNIKE社員しか入れないそう。ここで自前のシューズやらスポーツウエアの履き心地&着心地を試しているんだろうかと想像しました。

 

 ビーバートンのファーマーズマーケットは、中心部の図書館&公園の一角で毎週2回開かれ、規模はさほどではありませんでしたが、朝早くから個人経営の生産者や職人さんたちが軒を並べ、ジャズバンドの演奏やウイスキーの試飲コーナーも。今が旬のベリー類をお好みで詰め合わせできるブースには行列が出来ていました。

 この街では、いわゆる八百屋さんとか果物屋さんを個人で営業する店や商店街らしきものを見かけず、大型ショッピングモールがほとんど。個人はこのようなファーマーズマーケットに出店するようです。ポートランド市街では個人のグロッサリーショップもたくさんあるみたいですが、そういう店も必ずファーマーズマーケットに出店し、生産地ツアーなんかもさかんに行っているようです。生産者と都市生活者が直接つながるムーブメントって世界的な潮流なんだと実感しました。

 

 

 

 個人が自分の名前をかけ、こだわり抜いて生産したものを、真剣に商売する。流通業者が介在しない「作って売る」原始的なスタイルに相違ありませんが、その真剣さが、どこか新しい、と感じました。ふだん生産者の顔がみえない巨大な商品売り場に慣れ過ぎているんでしょうか。生産者名や顔写真等をパッケージに入れた商品はたしかに増えているけれど、中間で介在する流通業者が売りやすい&買われやすいように手を加えているのは間違いない。私も、カット済みとか洗わず食べられる野菜を便利でお得だと思ったりする。・・・こういう原始的な市場の売り方が新鮮に思った自分に驚き、ちょっぴり反省しました。

 原始的といっても、野菜や果物のディスプレイはとてもオシャレで、色の配置やデザインをきちんと考えているように見えます。静岡市内で開催中の朝市&フリマも、既存のスーパーマーケットではできない、素材の魅力をドーンと魅せるオシャレで大胆な売り場づくりに挑戦してほしいと思います。

 

 

 この日はワイナリーを2か所訪ねました。最初に訪ねたLEFT COAST CELLARS(サイトはこちら)は、ビーバートンから南西へ車で40分ほどのウィラメットバレーにあります。丘陵地に一見茶畑にも見える広大なワイン畑が広がり、野生のシカが顔を出すほど。

 

 私自身はワインはド素人で、ウィラメットバレーという産地も初めて耳にしたのですが、改めて調べてみると―冷涼で高湿な気候の特徴からピノ・ノワール(赤ワインの代表的なぶどう品種)の名産地として有名。湿度が高い地域でぶどうを成熟させるのは難しいそうですが、醸造家は手間ひまをかけ、クリーンな酸味と完熟果実の芳香で滑らかな口当たりに仕上げる。総じて優しく上品な味わいが特徴。ワイナリーやぶどう園は大小合わせて200軒以上あり、オレゴン州全体の66%を占めています。全米におけるワインの生産量は第3位―だそうです。

 

 

 次いで訪ねたKEELER ESTATE VINEYARD(サイトはこちら)は、ドイツ人のガブリエル・キーラーさんとご主人クレイグ・キーラーさんが1989年に創業したアットホームなワイナリー。テイスティングルームもキーラ―さんちのリビングって感じでゆったりくつろげました。妹夫婦はオレゴン州の地ワインを定期購入するサークルの会員で、ここのワインのヘビーユーザーだとか。日本酒党にとってはピノ・ブラン(白)がすっきりさわやかに飲めたかな。ショーンが平野さんに熱心にピノ・ノワールのテイスティング方法を伝授していました。

 

 この日、朝は肌寒い曇り空で、途中、何度か通り雨があり、ワイナリー滞在中は爽快な青空。でも途中で急に薄暗くなってパラパラまとまった雨。一日のうちで天気がコロコロ変わるのも不思議じゃないそうです。ちなみに夜は9時を過ぎないと暗くなりません。

 

 ウィラメットバレーの解説文によると、この一帯は年間を通して大きな温度差がなく、春季後半から秋季前半には少雨で乾燥しがちだが温暖で柔らかい日照が長く続く。秋季後半から春季前半には雨が多いが氷点下まで冷え込むことはほとんどない。年間では全体的に冷涼で高湿度という環境だそうです。土壌は、PHが高く低酸のジョリー土壌(赤土)と、PHが低く排水性が高いウィラケンジー土壌(灰土)、位置や標高で保水性やPHが異なるローレルウッド土壌(茶土)とさまざま。素人ながら、これだけ多種多様な土壌で日照時間が長く温暖で高湿度ならば、どんな農作物でも育つだろうと想像しました。

 

 妹がファーマーズマーケットで購入した旬のいちごは、びっくりするぐらい美味でした。最近の日本の果物は、どうも糖度に走り過ぎているきらいがするのだけど、こちらの農作物は酸味をバランスよく生かしており、それが本来の、気候や土壌由来の自然の優しい味わいだと思える。ワインを通してそのことを実感しました。

 

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ポートランド紀行(その2)地酒&ファクトリーツアー

2016-06-24 14:21:17 | 旅行記

 ポートランド紀行のつづきです。

 6月8日夕方、ポートランド国際空港に着いて、迎えに来てくれた妹Kaoriに連れられたのが、空港からほど近い郊外のマイクロブルワリー『ECLIPTIC』。レストラン併設の地ビール工房です。Kaori曰く、この店は本格的なフレンチシェフがいるから料理も◎。ビールは12~13種類。リストにはアルコール度数に加え、IBU(ホップの量=苦味の目安)が添えられています。

 ビールを選ぶときは、IPA(India Pale Ale)タイプか、各ビールのIBU数値を基準にします。試してみたいビール5~6種類を少量ずつ頼めるきき酒セットがあって、気に入ったものを次に定量オーダーするというスタイル。

 IPAはかつてイギリスが植民地インドに運ぶ際、腐敗防止のために造ったストロングタイプで、ホップ感が強くアルコール度数も高い。北米のマイクロブルワリーではカスケードというフローラルな香りのホップを使うことが多く、独特の香りが楽しめるというわけです。日本酒にたとえると、カプロン酸系酵母を使った超辛口の山廃or生もとって感じ? 一緒に旅した平野斗紀子さんはビールのヘビードリンカーなので、どんなタイプもウエルカム。私は(ふだんビールは日本酒の合間にチェイサー替わりに飲んでいるので)やっぱりあんまり重辛いタイプは苦手かなー。複雑な素材の個性を生かすか、バランスよく醸すか、醸造家の考え方や腕のみせどころですね。

 

 

 

 翌9日は午前中、ポートランドの南東部にあるオレゴン州ミルウォーキーにある全米有数の製粉メーカー『Bob's Red Mill(ボブ爺さんの赤い製粉工場)』のファクトリーツアーに参加しました。ボブさんが1960年代、カリフォルニアで石臼機械で製粉事業を興し、鉄の臼が主流になる中でも石臼にこだわり続け、オレゴンに移転。1988年に工場を焼失するも、奥様と二人三脚で一から再建し、オーガニックの小麦粉やシリアルを作り続けています。見学コースには創業当時に使っていた石臼機械類が展示されていました。日本の蕎麦や抹茶づくりに使う石臼と構造的には同じですから、どことなく親しみを感じます。

 

 ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースみたいに、ブランドの顔になっているボブ爺さん。てっきり伝説の故人かと思ったら、ご本人登場でビックリ!私たち一般ツアー客ではなく、カナダからやってきたVIP客を直接お出迎えしていた場面に運よく出くわしました。

 

 

 午後はアメリカを代表する伝統的なウールアパレル・ブランケットメーカー『PENDLETON』の工場を見学しました。1863年創業という老舗。オーソドックスなデザインで“アメリカの良心”として知られるブランドだそうです。

 沿革をみると、イギリス生まれの若い織工トーマス・ケイがアメリカンドリームを求め、羊の飼育とウールの生産に最適な、穏やかな気候と豊富な水に恵まれたオレゴンにやってきて、毛織物工場に就職。ナンバー2にまで出世した後、独立起業。ケイの娘ファニーが小売商ビショップと結婚してから製造&小売一貫で発展し、ワシントン州ペンドルトンをベースに高級ウールメーカーとしてブランディングに成功したようです。地名がそのままブランド名になったんですね。

 工場の建物自体は古かったものの、イタリア製の1台数億円という最新式織機がズラッと並んでいました(写真撮影NGでした)。工場併設のアウトレットでは70%OFFの激安や、1枚買うともう1枚サービス、なんて嬉しいサービスも。日本でも取扱店があるみたいです。こちらをご参照ください。

 

 PENDLETONで買い物を済ませた後、ワシントン州ワシューガルにあるマイクロブルワリー『Amnesia Brewing』に立ち寄りました。午後の3時ぐらいでしたが、夕方まで“Happy Hour”でお得に飲めるとあって、ご近所のお年寄りや若い観光客が楽しそうに飲んでいました。ここでもIPAをはじめ、個性的なラインナップがズラリ。

 ポートランドの地ビール文化については、こちらのサイトがとても参考になりました。

 

 9日夜は、妹が店主を紹介したいからといって、ポートランドのダウンタウンから少し離れたところにある居酒屋『Tanuki』に連れて行ってくれました。休業日だったにもかかわらず、妹の卒業祝いのために開けてくれたのだとか。

 女性店主のジャニス・マーティンさんはもともとフレンチの料理人で、日本のサブカルチャーにぞっこん惚れ込み、たった一人でこういうお店を作ったそうです。和食の店ではなく、日本のアニメやB級映画や赤ちょうちん文化を愛するジャニス自身が自分の好みで創り上げたって感じ。いつも予約で満席らしく、この日はほかに予約待ちしてくれている常連客何組かに声をかけたそうで、気が付いたら満席。全員地元の白人さんでした。

 

 料理は沖縄料理のテイストを活かした創作料理。お通しに韓国海苔と、ポップコーンに醤油をかけて炒ったものが出てきて、これがなかなかGOOD。日本酒も、日本でもかなりの地酒通の店クラスの純米吟醸や純米大吟醸がズラッとそろい、ジャニスおすすめの富久長(広島)のほか、伝心(福井)、雪の茅舎(秋田)をチョイスしました。どうしてこういう店を創ったのか聞いてみたかったのですが、一人で忙しそうに切り盛りしていて、声をかけるタイミングを逸してしまいました。

 

 

 妹から、静岡の地酒を持ってきて、とリクエストされていたので、彼女の卒業祝いに乾杯するつもりで持ってきた『喜久醉純米大吟醸松下米40』。妹はそれを開封せずにジャニスにプレゼントしちゃいました。妹曰く「おんな一人で頑張っているジャニスに、最高の日本酒を飲ませてあげたいから」。

 平野さんが指をくわえて名残惜しそうにしていましたが(笑)、この酒がジャニスの手に渡った意味がきっとあるに違いない、と思いました。

 

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ポートランド紀行(その1)オレゴン健康科学大学の卒業式

2016-06-21 11:59:44 | 旅行記

 6月8日から14日まで、アメリカ西海岸のオレゴン州ポートランドへ行ってきました。現地在住の妹Kaoriがオレゴン健康科学大学の大学院博士課程を無事終了し、6月13日に執り行われた卒業式に参列したのです。約30年前、彼女が都内の短大受験のときに泊まりで付き添ったときのことを思い出し、まさか30年後にアメリカの大学院の卒業式に呼ばれるなんて・・・と、本当に感激ひとしおでした。

 

 オレゴン健康科学大学(Oregon Health & Science University; OHSU)はオレゴン州の公立大学で、ポートランドのホームステッド地区南西部にあるマーカムヒル(通称ピルヒル)という静岡でいえば日本平のような小高い丘に、3つの病院とメインキャンパス、ポートランド市郊外のヒルズボロに小規模なキャンパスがあります。オレゴン州内における歯学教育、医学教育、看護学教育の総合大学として1974年に開学。2001年にオレゴン科学技術大学院大学を吸収して現在の名称となったようです。やがてサウス・ウォーターフロント地区にキャンパスが拡張され、2006年にはキャンパス同士を結ぶロープウエイ「ポートランド・エアリアル・トラム」が建設されました。大学のためにロープウエイを作るってスゴイですよね。

 

 そんなキャンパスで、彼女がどんな研究をしたのかはさておき、アメリカの大学の卒業式ってアカデミックドレス(クラシックなガウンみたいなの)を着て、トレンチャーキャップ(角ばった帽子)をかぶり、式が終わったらみんなで帽子を放り投げるってイメージだったので、そんな映画みたいなシーンが見られるのかとワクワク気分。

 会場はポートランド市のコンベンションセンター。周辺に大劇場やアリーナが集積していて、ほかの大学の卒業式も開かれていたため、会場探しに大慌て。アカデミックドレスをまとった卒業生軍団とその家族の晴れやかな姿を目の当たりにし、日本の大学の羽織袴姿の卒業式とは一味違う雰囲気を感じました。クラッシックかつインテリジェンスな卒業生を、普段着、いやバカンスにでも来たようなラフな格好で取り囲む家族や友人たち。卒業式はクリスマスのような、大盛り上がりのファミリーイベントなんですね。妹には夫のショーンしか家族がいないので、日本から私と私の友人の平野斗紀子さんが加わったことで多少のにぎやかしにはなったかなと思いました。一応ちゃんとしたスーツを持参していったのですが、妹から「礼服姿の家族なんていない、恥ずかしい」と却下され、普段着&スニーカーで参列しました。

 

 

 13時から始まった卒業式は、まず全学部合同の式典から。偉い方々の祝辞が続いたあと、来賓のサンジャイ・グプタ博士(Dr.Sanjay Gupta)が記念スピーチを行いました。CNNの医療時事リポーター&コメンテーターとして有名なインド系アメリカ人脳外科医で、オバマ政権で公衆衛生局長官候補にも挙がった方だそうです。スピーチの内容は(もちろん英語なので)理解できませんでしたが、ところどころで会場の聴衆が爆笑し、ウィットにあふれた楽しいスピーチだったようです。

 

 15時からは妹が所属する看護学部(School of Nursing)の卒業式。エルガーの「威風堂々」が流れる中、拍手の渦の中を、博士課程修了者を筆頭に卒業生たちが入場したときは目頭が熱くなりました。「威風堂々」って日本では焼き肉のたれや缶ビールのCMソングにも使われるけど(もとは英国女王の戴冠式のために作曲されたものだし)こういう席にこそふさわしい音楽だと実感しました。

 

 教授陣代表や卒業生代表のスピーチが続いた後、大学院博士課程修了者から順番に名前と研究名を呼ばれて登壇。証書を授与された後、担当教授からストールのようなものを掛けてもらいます。今回、Docter of Philosophy-nursing(Ph.D.=直訳すると『哲学博士』ですがアメリカでは広く学術一般を指すようです)を授与されたのは10人。Kaori以外は全員白人でした。ショーンと平野さんが立ち上がって懸命に拍手する隣で、私は写真を撮るのに必死。席がステージからかなり遠い端っこだったので、寄りのカットはスクリーンに映し出されたものでガマンです。あっという間に終わってしまいましたが、唯一の日本人・アジア人として壇上に立った彼女の姿を、「威風堂々」のBGMとともに日本国中にオンエアしたい!と思わずにはいられませんでした。

 

 

 その後、大学院修士課程、そして大学卒業生の学位授与が17時ぐらいまで続きます。登壇し終わった卒業生たちは楽屋で同級生たちと記念写真を撮ったりした後、ロビーに用意されたケーキパーティー会場で教授や家族と改めてお祝い。家族や友人から花束をもらって記念写真におさまる卒業生たちにまじって、私は日本から島田市金谷の染色画家松井妙子先生の新作『花影』をお祝いに持ってきました。生花の華やかさには負けるけど、一生モノの記念になるはずです。

 ちなみに帽子を放り投げるようなパフォーマンスはなく(ちょっと残念(笑))、とても落ち着いたアットホームな卒業式でした。

 

 日本の大学だと、この後、謝恩会とかゼミ仲間での卒業パーティーとかがあるんでしょうけど、アメリカでは「家族の支えがあって無事卒業できた」ということが第一義。卒業式の夜は家族で過ごすのが定番のようです。私たちもこの日の夜は、予約が取れない人気レストランで有名らしいフレンチ『BEAST』で乾杯しました。

 

 

 実はKaoriにとって大学院の卒業式は2回目。日本でごく普通のOLだった彼女は、ショーンと結婚して彼の勤務地であるイギリスに転居し、現地での保険事務のアルバイトからセカンドキャリアをスタートさせました。

 もともと世話好きだった彼女は事務職よりも実際に体を動かすサービス業のほうが性に合っていると思い、リスクの高い仕事(米国空軍)に就く夫のサポートになればと、一念発起し、アメリカの大学の通信教育等を活用して看護師資格を取得。ショーンの転勤でイギリスからアラスカに移り住むと、アラスカの公立病院に就職し、ハードなICU夜勤業務等を必死にこなしました。努力が認められ、首都ワシントンの国防省系列大学院に推薦をされ、上級実践看護師/advance practice nurses(APNs)の資格を取得しました。

 

 APNsは通常4年の大学教育を受けRN(Registered Nurse)になり,さらに修士課程の約2年を終えて認定試験を通った人たち。CNS(クリニカルナーススペシャリスト)=看護学・麻酔学・産科学(助産師とほぼ同義)の専門知識やARNP(プライマリケア=日本の保健師以上の権限を持つ)についての専門知識をもちます。全米で16~17万人程度の資格者がいるようです。

 詳しいことはよくわかりませんが、アメリカでは看護師という仕事について、本人たちの職業意識はもちろん、医療従事者すべてが、看護師はスペシャリストであるという認識が徹底しているよう。やっぱり大学や大学院を卒業した資格者が多いためだと思われます。

 

 自他ともにスペシャリストであるという認識があるから、結婚や出産で辞めてしまうような人も少ない。努力すれば妹のような外国出身者にもチャンスは与えられる。日本も、そう簡単にはいかないかもしれませんが、看護師や介護士という仕事が専門性の高いプロの仕事であるという認識を徹底させるためにも、高等教育機関やそれに伴う資格制度の整備・充実を図るべきだろうと、素人ながら感じました。

 

 ちなみに大学のサイト(こちら)にも紹介されていますが、彼女の博士論文のテーマは、

「Daily Hassles,Mental Health Outcomes,and Dispositional Mindfulness in Student Registered Nurse Anesthetists」。

 直訳すると「麻酔看護師における日常の不安とその対策のためのマインドフルネス」ということでしょうか。以前、このブログ(こちら)でも妹がマインドフルネスについて研究していると紹介し、その後、坐禅や白隠禅師についての英語本を送ったりして「私を仏教徒にするつもり?」と笑われてしまったこともありましたが(苦笑)、4年ぶりに再会した妹は、どこか穏やかで気分のムラもなく、仏教については学ぶべきことの多い哲学・心理学だとしみじみ語っていました。このような研究テーマはこちらの大学院でも例がないということで(そうでしょうね)、高く評価されたようです。

 

 いつか彼女が日本のナースの卵たちや、修行中の禅僧の前で、命と対峙する職業人にとってのメンタルヘルスについて語る日が来るんじゃないか・・・なんてひそかに夢見てしまいます。

 身内ですが、彼女は今、私が最も尊敬する女性だと言わせてください。

 

 

 

 

 

 

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