「明日、君がいない」は2006年にオーストラリアで制作された映画だ。
■粗筋
舞台はオーストラリアの高校。
放課後の廊下に佇んでいた1人の女子生徒が、通りかかった部屋の中の異変を嗅ぎつけドアを乱打する。
何事かと血相を変えて駆けつけた教師は、用務室から鍵を取ってこいと叫ぶ。
だが、時すでに遅し。
施錠されたドアの下から、とめどなく血が流れ出してきたのだ。
誰かが自殺したことを示唆する導入部から、時計の針はその日の朝に巻き戻される。
誰がどのような動機で自殺したのか?
登校から学内で事件が起こる午後2時過ぎまでを、
6人の生徒の視点で時系列を行ったり来たりしながら物語は進む。
時折、6人の生徒が取材に答えるような形でのモノローグ(胸中独白)が白黒動画で挟まれる。
この独白によってその日起こった事象や人間関係が少しずつ氷解してほぐされていくと共に、
一体何のためのインタビューなのかという新たな謎が首をもたげることとなる。
■ネタバレと解説
では、登場人物の6人を簡単に整理することで、
この物語の流れをザックリ説明しよう。
★主要登場人物紹介
①メガネ
先天的に両足の長さが違うため足を引きずり、尿道の神経が鈍いためにたびたび失禁する。
そのため、転校してきた高校でイジメにあって苦しむ。
残り3か月で卒業だと自分自身に言い聞かせて耐えているが、
この日も授業中にチビってしまい他の生徒から罵詈雑言を浴びて凹み、
教師にも「デカい方でなくてよかったな」と皮肉を受け教室から追い出される。
両親や兄弟はメガネの良き理解者だが、心配をかけてはならないという思いからイジメをうけていることを打ち明けられない。
②ゲイ
ゲイであることを公言して以来、学内で煙たがられている。
メガネと違い、言われたらきっちり言い返し全てをあけっぴろげにするタイプ。
この日も授業中、同性婚についての討論会で孤立無援ながら丁々発止のやり取りを演ずる。
両親とりわけ父親からは白眼視されており、
いつかゲイの相方を伴って父に結婚報告をすることであてこすりの意趣返しを画策している。
劇中中盤でマッチョと激しい口論となる・・・
③マッチョ
学業はてんでダメだが、スポーツでは他者を寄せ付けない。
特にサッカーは将来のプレミアリーグ入りを嘱望されるほどの力量を誇る。
容姿端麗なため女子からも羨望の的であり、巨乳の彼女がいる。
だが、マッチョといえばゲイという紋切型通り、
巨乳の彼女はカモフラージュであり、実は「男色家」。
女好きのふりをしているのも偽装工作である。
上記したゲイと肉体関係があり相思相愛の間柄。
だが、世間体を気にして二人の仲は口外無用としているため、
この日もトイレでカミングアウト派のゲイと角逐する。
本人は周りに性癖を隠し通せていると思っているが、
取り巻き達は男色癖を知った上で、マッチョの涙ぐましい偽装活動を胸中で舌を出して小馬鹿にしている。
④巨乳
男なら誰でもその胸に目が行くであろう巨乳女子。
マッチョの彼女だ。
垢抜けていて派手な見た目によらず、仕事よりも家庭を優先させる生き方を志している。
マッチョの優しさをホモ隠しの作りモノだと看破しており、どうすれば彼の愛を得られるか思い悩んでいる。
この日、マッチョと他の女子との浮気騒動が取り沙汰された際、表面上は怒ったフリをするが心中は虚しさで途方に暮れる。
⑤選民男
父は冷徹でやり手の弁護士であり家庭を顧みず働いている。
母も家から離れて放蕩三昧の生活を送っているため、
選民男は妹と一つ屋根の下ほぼ二人で生活している。
父に憧れており弁護士となるため学業に打ち込んでいるガリ勉でクラスメートからはもちろん孤立。
学校生活を楽しんでいる同級生を蔑んでおり、
5年後にはマックで働くか生活保護かの二者択一ばかりだと嘲笑い一人悦に入っている。
妹を強姦し、その実体験を題材にして作文を書き教師に提出する変質者。
⑥拒食女
選民男の妹であり、
兄に強姦されて以来拒食症を患っている。
この日、妊娠検査紙で妊娠が判明。兄の子供をはらんでいることが明るみに出る。
そのことが口から口に広がり学内で噂になる・・・
★解説
自殺したのは、
「ケリー」という女子生徒であることが最終盤で明かされる。
上述した6人の主要人物には入っていないのがミソだ。
筆者は人の名前を覚えるのが苦手なので、
映画を見る際には登場人物にコードネームをつける癖があるのだ。
誠に僭越ながら、登場人物紹介で書いた名前は筆者の空想上のものである。
この作品では、上記した6人にコードネームを付けた。
キャラが立っていたのが6名いたということであり、この6名さえいれば話は成り立つともいえる。
そして、筆者に渾名をつけさせる暇を与えなかったその他大勢いわいるエキストラや群像といわれる端役も数多くこの映画には登場した。
「ケリー」はその端役の一人だ。
巨乳と行動を共にしたり、
選民男に淡い恋心を抱いたり、
怪我をしたメガネに声をかけたり、
確かに劇中に登場はしている。
だが、とてつもなく存在感が薄いのだ。
間違いなく居なくても物語は滞りなく進む。
物語として必要となるのはラストのみだ。
さらに言えば、自殺するのは「ケリー」でなくとも特段問題はない。
ケリーが自殺したから、
そういえばケリーという女性がいたよなと想起することが出来る程度のカヨワイ存在感である。
巨乳と行動を共にしたり、
選民男に淡い恋心を抱いたり、
怪我をしたメガネに声をかけたり、
と先ほど「ケリー」の登場シーンを羅列してみた。
それは「ケリー」が自殺したと解ったからこそ、逆算してそうだったのではないかという筆者の憶測も含まれている。
つまり、この物語の中で「ケリー」は根無し草なのだ。
主要キャラ6名には鮮明に存在意義が描かれている。
メガネはクラスメイトから忌み嫌われ、両親からは好かれている。
マッチョはゲイとツーカーの仲であるが、
それを隠蔽するために彼女である巨乳など様々な人々と交流を持ち、特に巨乳からは強く慕われている。
といったように誰かから良くも悪くも感心を寄せられており、根が他人から伸びているのだ。
根がある人間は簡単には死なない。
だが、「ケリー」は違う。
健気に自分からメッセージを発信しようとはするが、それは恒に片道キップであり、
誰かが「ケリー」を認めたり必要とすることはない。
それはこの映画の視聴者もまた然りだ。
登場人物と視聴者が「ケリー」を必要とするのは、ただ一点においてのみ、
彼女が自殺した為だ。
「ケリー」は自殺して初めて根が生まれたのだ。
自分を殺すことでしか存在意義を生み出せない、
そういった人物こそが自殺するのだと作者は言いたいのだろう。
そして、
「明日、君がいない」というタイトルもピタリとはまっている。
メガネ、マッチョ・・・
主要キャラである彼らがもし死んだならば、明日でも澄まないし、君がいないでも済まされない。
その日のうちに蜂の巣をつついたような大騒ぎになるだろうし、
イジメた人間は自責の念にかられ、将来のプレミアリーグのタレントが一人消える。
しかし、
「ケリー」が死んでも、
世の中は何も変わらないように歩みを続ける。
変化はただ1つ「君がいない」だけなのだ。
「君がいない」という細く浅い根で世の中と繋がる。
それだけの為に自壊が行われるほどに、存在意義を得ることが難しい世の中となってしまったぞよ―
ということを示唆した映画だ。
せっかく素敵な解釈とキャラ付けだから、修正してほしいです。ちゃんと見ないで書いてる?と思っちゃうから。メガネくんの呼び名が、【お漏らし】とかじゃなくて良かった。
「ホモ隠しの作りモノだと看破しており」
「表面上は怒ったフリをするが心中は虚しさで途方に暮れる」
「その実体験を題材にして作文を書き教師に提出する変質者」
て、根拠になるシーケンスがありましたか?
白黒シーンも、インタビューじゃないです。だとしたら最後にケリーが出てくる理由が説明できません。