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それでも前へ進む... But I must go on...

劇症肝炎からの奇跡の復活を遂げた主による、闘病と趣味のブログ。

自己分析したいけど…

2015年10月18日 | §日常§
私って、何だろう。

人に言われてもピンとこない。

自分の性格や行動の共通点て、自分ではなかなか気づけないのかな…。

ネットで調べると、「1番簡単なのは周りに聞くこと!」なんて書いてる人が結構いる。
自分でもそうは思うけど…

病気の事もあって、なかなか友人らしい友人も居らず(相手は思ってくれているかもしれないけど)最近ようやく身体が軽くなったから、友達に会いたいけれど、なかなか会い辛くなってきた。

こんなこと、言い訳にしかならないのは百も承知だけど、事実。

知るのが恐いから逃げてるっていうのもあるし、面倒臭いっていうのもある。

でも…


自分を知れないと(目標や目的を含めて)、相手に自分の事を伝える時にとっても困るし、自分の性格を知らないまま動き始めても、結果には結びつかないだろうし…

どうしたものか…

片っ端から診断受けてみようかな…。

夕飯リスト(8/21) 今日から

2015年08月21日 | §日常§
何作ったのか忘れちゃうと、好きなおかずの登場回数激増するから、レシピ増やすために、何作ったのか(作るのか)残す。
続く限りwww


☆今日の献立☆

♪イワシの甘酢あんかけ
♪冷しゃぶサラダ(ドレッシングは好きなもの)
♪茹でインゲン豆


♪おつまみ♪
せせりorホタテor何かw

冥福と祝福

2015年08月16日 | §日常§
-冥福-
先日、中学時代の同級生の訃報を聞き、殆ど話さなかったし同じクラスになった事があるくらいの人だったけど、全く知らない人ではないだけにショックが大きかった。
その人のお通夜が今日、行われた。
私は行けなかったけれど…。

出来るのなら出席して、他の同級生と献杯したかった。
「死ぬには早すぎる」と言う人がいるけれど、人間、明日は我が身でいつ死ぬかわからない。
だから、この悲報を聞いた時、亡くなるには早いなと思った反面、自分が生きている事には感謝しよう、1年でも長くこの肝臓と生きようと思った。

心よりご冥福をお祈りいたします。
安らかに眠ってね…。


-祝福-
同級生の冥福を祈りつつ、高校の後輩で同じパートだった女の子の結婚式の二次会に出席し、二人を祝福させてもらった。
新婦さん(後輩)、とてもキレイで可愛かった。
出席者の中には久々に再会した後輩や同期がいて、とても懐かしく、既に結婚している人が何人かいて、結婚している人もそうでない人も、皆んな幸せになれたら、心から祝福したいと思えた日だった。
自分は生きているうちにそういう人と出会えたらそれで良いと、今は思う。
だって、相手へ与える自分自身のリスクが大きくて、片想いはしてもその先へは踏み出せないから…。

末長くお幸せに♪

誕生日。そして、10年。

2015年07月03日 | §日常§
今年の誕生日は、雨。
しかも、降ったり止んだり。


今日、1つ歳を重ねて思ったこと。
それは、

『人生、ここから』


10年前の秋に移植手術を受けて、生き返り、肝臓に関してだけ言えば、順調に日々を送れている。

大学入って劇症肝炎で人生初の入院と人生初の手術を受けた。
手術して退院して復学出来たと思ったら、極度の貧血症状が出て、再生不良性貧血だと分かった。
検査入院して病名が確定し、治療(根治治療ではない)をして輸血に通い、安定してきたと思ったら腰が悲鳴をあげて神経痛が出始め、床に伏せる日々が続いた。

唯一の気分転換は、母とコンサートに行くことだけだった。

腰が悲鳴をあげて5年。
小康状態が続いていたが、ついに歩けなくなるまで悪化し、入院し、ヘルニア除去手術をちょうど1年前の今日受けた。

術後の麻痺が強く、回復期リハビリ専門の病院へ転院し、リハビリ受けて、再発だけは免れたい一心で、今も毎朝ストレッチ。

退院して半年ほど経って、装具は使っているけれど、近場であれば杖いらずで歩けるようになり、左足に至っては、アンクルベルト(捻挫した時足首を固定するバンド)でも、杖なしとは言えないけれど爪先を上げて歩けるようになった。

左足アンクルベルト、右足装具で歩ける距離を延ばせれば、自分自身、とても楽になる、いろんな意味で。

そうなるにはもう少し時間が必要で、最終的にはリハ病院で診察受けてPTさんや医師に診てもらう必要があるけれど、そうなれば、日常生活を送る上では筋力向上させつつ、"一般の人"と同じ様に働いたり出掛けたりできる気がする。

人生の大きな起伏を越えて、今が、この10年で1番、健康的な日々を送れている。

今を迎えられたから、大学を中退してから1度も就職出来ておらず、同じ障害者枠で就活している人達より壁は厚く高いかもしれないけれど、家業の手伝いをするより、やはり外で働きたい、社会貢献したいと考えられるようになった。

だから、
『人生、ここから』


あと何年生きられるか分からないれど、分からないからこそ、歩んでいきたいと思った、今年の誕生日。

平成26(2014)年振り返り

2015年01月01日 | §日常§
大晦日に振り返ろうと思っていたのに、年を越えての振り返りになりました。


☆1~6月☆

3月の年度末に向けて、LBJの決算処理が始まり、4月に入ったあたりに痛みで眠れなくなる日があり、定期診察の日に先生に相談し、
リハビリ中断。
2週間ほどで調子が上向きになったが、右足親指周辺に痺れが出始めた。痛みの度合いは眠れるまでに治まったので、痺れを様子見。


GW中に祖母の家へ行ったが、その時は痛みの方が気になった。


6月半ばあたりから、坐薬の効きが悪くなり、立ち座りを何度も繰り返さないとまともにご飯を作れないくらい痛みが強くなっていた。
そして6月26日、いつものようにリハビリを受けに行くも、帰りは立ち上がれないほど痛く、しばらく休憩してから帰宅。
翌日に診察が控えていたが、痛みが強くて思うように動けずキャンセル。その翌日に先生はいらっしゃらなかったが診察を受け、とりあえず薬を処方していただく。
この週末、これまでにない痛みと闘い、週明け月曜日までの4日間で1日分(8時間)ようやく眠れた。

月曜日に再度診察へタクシーを呼んで行った。

数十メートル歩くのもやっとで、座るのも辛く、予約外だったが早めに診察していただき、状況を説明しブロック注射をしていただくも効き目を感じられず、そのまま入院するために転院することになった。

6月30日(月) 入院


☆7~12月☆

7月3日の午後4時に手術を受けその日のうちに終了。
消灯時間辺りに麻酔から覚めて、右脚の違和感に気づいた。
この詳細は別途記載しよう。

手術翌日からリハビリが始まり、8月11日にリハビリ専門病院(以下、リハ病院)へ転院。

リハ病院を12月26日に退院するまでに、リハビリスタッフや看護師、同じ病棟の患者さんを含めて様々な人に出会った。
毎日毎日しんどかったけれど、自分の事だしって割り切って、患者同士で喋ったり、リハビリスタッフとくだらない話したりして過ごした。

そして、年末は家で掃除や片づけをした。

---------

今年は、今の身体とうまく付き合っていく方法を見つけ、社会に出られるようにしようと思う。

去年は後半を入院生活で終えてしまったので、今年は外来以外は病院にお世話にはならないようにしよう。

うん

2014年04月05日 | §日常§
自分が1番、非常識。

自分が1番、自己中。

自分が1番、世間知らず。

自分が1番、阿呆。

自分が1番、性格ブス。












もう嫌だ…。

キチンと治して、幹部やらなくても生活出来るようにしよ。

シンドいよ…。

変化に感動

2014年02月26日 | §日常§
最近、と言っても少し前からかんじていたことだけれど…。

少しずつではあるけれど、自分の身体の調子が変わっていることに気が付くようになった。

身体としては、「随分前から変わり出してるわよ!!」と、言いたいかもしれないが、自覚症状が無かったので、許して、私の身体w

それまでは無理だったのに自然と姿勢を良くできたり、遠ざけていた座り方を無意識のうちにしていたり。

この調子がらまた下がって行くなんて思いたくないし、もういい加減、自分に厳しくというか甘くはしたくないから、このまま1ミリずつでも良いから上げて行って、まずは杖を使わずに行動できる余裕と時間を増やす。

もうね、あと数年で10の位が変わるから、そういう意味でもコントロールの仕方が変わってくると思ってるし、難しくなってくるとも思ってる。
だから、そうならないうちに、自分のためにも誰かのためにもしっかりと右肩上がりになり続けるように、日々出来ることをする。

人間、相当気を張らないと無理はきかないから、ストレス発散の意味も込めて、身体を良くして行こう。

夕飯

2014年02月24日 | §日常§
ここ数ヶ月?1ヶ月?くらいの間、ほぼ毎日、平日は夕飯を作ってます。

今日ふと感じたこと。


夕飯作り終わると、作り始めてから1時間経っている。


ということ。

今日は19時過ぎに作り始めて、終わったら、20時過ぎだった。

新しいPTさんに、日常のコツ?みたいなものを教わってから、ヘルニアからの坐骨神経痛(下肢の疼痛)が、夕方になっても昼間と変わらないくらいになり、夜に使う坐薬の効きが良くなったような気がしていて、そのためか、最近は夕飯を作っている最中に、下肢痛が出てしゃがんで休憩をする回数が減りました。
そういう意味では、夕飯を作るのが楽になりました。

だから、上記の事に気付けたのかもしれません。


このまま、症状が落ち着けば良いんだけどなぁ…。

書き込んでみて分かること。

2014年02月01日 | §日常§
今月を含めて、この先の予定や期限を手帳に書き込んでみた。

そこで気付いたこと。

時間決めて仕事しないと、間に合わないじゃん!


今まで、どうしてこういう事をしてこなかったのだろうと、後悔は多少するけれど、今年から自然とするようになった自分を褒めてあげたい(笑)

楽しい事をするためには、辛いこと・嫌なことをキチンと乗り越えなきゃダメだということに、今年28歳になる私は、ようやく気付くことが出来た。

高校卒業後、ガラリと人生が変わってから、今年で10年経つけれど、この10年、無駄になったことと、今思えば経験出来て良かったと思える事と、半々な人生を歩んできたと感じている。

意気込んだ末に体調を崩したり、意気込んだ末に結果的に空回りだったり、自分が何かをしようとすると、周りに迷惑をかけるハメになることがほとんどだった。
自分ではそうでなくても、周りから見たら、やり過ぎ、頑張りすぎ、調子に乗り過ぎ、だったのかもしれない。
ようは、自己満足。

これではダメだとようやく気付くことができた。


さ。月曜日から気を引き締めて、体調と相談しながら、やっていこう。
夕飯のメニューも自分と相談しながら…かな(^◇^;)

エンディングノート

2014年01月28日 | §日常§
今、話題になっている、エンディングノート。
逆のスターティングノートもですが。

お年を召された方の中には既に、何かの節目ごとに書こうと決めて、書かれている方もいらっしゃるかとは思いますが、私のような若輩者でも、書いておこうかなぁと、最近よく思うのです。

この存在を知ったのは数年前になるのですが、昨年の初夏に改めてエンディングノートの大切さを知り、書こうと決めてから早半年、最近になってようやく調べ始めました。


移植して約10年、移植をすることになった原因の劇症肝炎は、突発性のため、医師からは再発はしないと言われました。
いただいた肝臓も、今のところ1度も拒絶反応を起こしてはおらず、肝機能も随分と落ち着いている期間が長くなっています。

しかし、元はドナーが家族であっても他人の臓器に変わりはないので、いつ悪さをし始めるか分かりません。
再生不良性貧血も、今は再発の兆候を見せていなくても、いつまた発症するか分からない病気なので、前向きに過ごせていたとしても、時々、頭を過るのは当然のことなのです。

移植して10年目、再生不良性貧血の治療をしてちょうど7年が経とうとしており、もういつ悪くなってもおかしくないのだろうと、勝手に考えてしまうのです。


だからこその、エンディングノートなのです。

大きな書店に行って、探してみよう。

やっぱり、方法は1つなのかな…

2014年01月10日 | §日常§
今使っている個人用パソコン(初代MacBook)、買ってもらって7年以上経つ。

OSをアップデートしなければならないことを知らずに使っていたら、気付いた時には現在のOSのバージョンからすんなりアップデート出来るバージョンのサポート及びサービスが既に終わっており、買い替えるしかないと気付いてから2年ほど経つ。

Safariもセキュリティシステム?が更新出来ないため、gmailやFBなど、ログインするものは一部を除いてアクセス出来ないので、最近はネットにも繋ぐことが少なくなってきた(携帯電話をスマフォに変えたからというのもある)。
このパソコンを使うのは、専ら表計算や文書を作成する時のみ。
表計算は難しい関数を使うわけではないので、古くても問題はないが、父の仕事部屋のパソコンはWindows7なので、そこで作ったデータをこちらで使おうとすると、開くことすら出来ないことがあるということ(つまり、変換しきれない)が恥ずかしい話、最近になって気付かされる事があった。

そして、それに輪を掛けるように、というか、偶然タイミングが重なっただけなのだが、LBJで使用しているパソコンに厄介な事が起き、今月は私のスケジュールの関係もあって、家で仕事をすることになった。
今月以降は、そのパソコンが直らない限り、私は事務所で仕事が出来ないため、自宅で仕事をすることになった。

父の会社の会計データと、LBJの会計データを、父の仕事部屋にあるパソコン(家族共用)に入れると、そのうちパンクしてしまうし、父も仕事でパソコンを使う事が増えてきたので、早めにパソコンを買い替えた方が良い状況になってきた。

だがしかし…私はクレジットカードを持っていないので、家電量販店のショッピングローンを使う事になるのだが、アルバイトとしての職歴がまだ短く、そこで働いている証明が通用するか分からないため、現金一括でないと買えない。
でも、ノートパソコン1台の金額(10万円くらい)を持ち歩くにも勇気が要る。

普通の身体だったら、こういうことで悩まないと思うのだけれど、何処かに採用してもらうには、まだ少し厳しい身体かなと思っているので、最終手段として、母に力を借りて、それ以降、毎月決まった額を返済する方法をとる他ないかなぁと、これを書きながら思った。

母に相談しよう。




2013年

2013年12月31日 | §日常§
今年も気付けば大晦日。

2013年は、いったい、どんな年だったのだろう…

先ずは病気に関して。
肝機能は1度も悪くなることなく過ごせた。
血球は、血小板が低いかな?という時もあったけれど、それ以外は問題なし。

ヘルニアは、発症して以来、1番良かったかもしれない。
考え方が変わったというのもあるのかもしれないけど、薬を使う時間がそれまでよりも、遅くなった。
夏は21時頃まで使わなくていられるくらい、痛みが出なかった日もあった。

今年の1番の変化は、仕事をし始めたこと。
あとは、アイリッシュダンスやミュージカルを観に行ったこと。

今年はあまりシエナを観に行かなかったなぁ…佼成も。

来年は行こう。


最後に、本年もこのような拙い文章のブログを読んでいただきありがとうございました。
来年も、細細と続けて行きますので、読んでいただけると幸いです。


病院だけど。

2013年12月05日 | §日常§
自分があまりにも阿保なので、記録に残そ。

前日、今日の支度をして、夕方、買い物に行った。別のカバンにお財布と電話だけ入れて。

今朝、起きた時は、財布を持って行くカバンに入れなきゃと分かっていたのに、出る時間を過ぎていたために、入れるのを忘れて出発。

駅に着いて、お財布を忘れたことに気付き、とんぼ返り。

果たして、診療時間に間に合うのだろうか…。