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それでも前へ進む... But I must go on...

劇症肝炎からの奇跡の復活を遂げた主による、闘病と趣味のブログ。

今の体調。

2024年09月30日 | §日常§
ここ数ヶ月の体調の変化を思い出しながら記載していく。続いている症状に気づいた時点の時期で記すため、正確な日付は不明である。

①生まれてからこの方、寝付きの悪い日が全くなかったわけではないが、寝付きの良さにはある程度の自信があった。しかし、今年の夏頃から寝付きが悪く夜中に覚醒して再び眠る、あるいはほぼ眠れないということが1週間のうち半分以上で起こるようになった。

②①からしばらく経った頃、それまでは食べることが好きだったのにも関わらず、食欲が以前の半分くらいに減った。ひどい時は作るのも買いに行くのもデリバリーすることさえする気が起きない、ということもたまにある。

③泣く頻度が格段に増えた。それまではPMSで涙もろくなるということが定期的にあるくらいで、それ以外は泣くことはほとんどなかった。祖父が亡くなった時でさえ泣かないくらい、泣くことはなかった。しかし、仕事中にも関わらず急に泣きたくなったり、何でもないことで涙が流れたりするようになった。

④特定の人から話しかけられると動悸がしたり呼吸が浅くなったりするようになり、話しかけられることに恐怖を覚えるようになった。

⑤趣味に打ち込めなくなった。ゲーム、料理、コラージュ、読書など、色々と趣味をもっているが、心から楽しいと思えなくなり、やる気力もピーク時が100とすると10くらいまで落ちた。仕事の忙しさもあって物理的に難しい環境なのかもしれないが、気持ちの変化もあったため書いておく。やってもすぐに疲れてしまう。

⑥仕事に対しての集中力や注意力が持続しなくなった。もともと、集中力の持続性が高いわけではないが、周りの音(職場の人たちの会話、周辺の大きな物音など)で気が散ってしまい、目の前の事に集中することが難しくなった。電話対応時に、今までは1度で聞き取れていたことも2度聞くことが多くなった(合っているか不安になり確認することが多くなった)。

⑦好きな動画を見ても何も感じなくなった。好きな動画は何度見ても笑っていたが、ここ数ヶ月はそれがなくなった。好きだから見はするが何も心が動かなくなった。

⑧人から話しかけられることそのものが嫌になることが増えた。特に夜間帯に起きる。誰とも話したくない、放っておいてほしいと思うことが増えた。基本的には寂しがりで、誰かと話すことが好きだったのだが、夜間帯になると急に誰とも話したくなくなり自分の世界に自分以外の声が入ってくることを拒むようになった。

⑨頭痛の発生頻度が増えた。気圧の変化や発熱時など、これまでは起こる要因がはっきりした状況で発症していたが、今は起床して数分後から頭が重く感じることが週の半分以上を占めるようになった。それ故、半日仕事を休むということが増えた。解熱鎮痛剤を常備しているが、それが効きそうな痛みではないため、薬は飲んでない。


彼氏曰く、元気のない日が増えたらしい。元気のない私を見るたび、「なんて言ったらいいか分からないけど…」と前置きをして「心配いらない」とか「俺がいるから」とかかれなりに言葉をかけてくれるが、その言葉がプレッシャーとしてのしかかってしまい、何も返せずに終わる。そして、そういう自分を惨めに感じて自分を責めてしまい、気分が沈む。

体調管理

2024年04月07日 | §日常§
ここ1年、これまでになく体調を崩している。等間隔ではないが、免疫力の低下が著しい。
発熱が3度あり、その度にCOVID-19の抗原検査をしてきたけれど、いずれもnegative。
そして、先月は胃腸炎。恐らくウイルス性。嘔吐はなかったものの、下痢がひどかった。

ウイルス性胃腸炎は発熱を伴うことがあるが、今回は発熱しなかった。
ひどい吐き気もあったが、吐くことにとても抵抗を感じてしまい吐けない体質なので、
とにかく水分を摂って身体を冷やさず、1秒でも早く体外排出されるのを待つしかなかった。
一応、受診は必要だと考えて内科へかかったが、案の定、整腸剤を処方されただけだった。
その整腸剤も1日服用しただったので、受診したころには症状が治まりかけていたのだろう。

発熱時の頭痛や寒気よりも、胃腸炎の時の吐き気と下痢の方が辛い。改めてそう感じた。

体調を崩して気づいたが、最近、自分にご褒美をあげていなかったので、これからは定期的に
自分へのご褒美を与える日を設けていこうと思う。


何かの占いで今年の前半は仕事から自分自身を一時的に開放させることが必要と出ていたので、
それを実行しようと思う。あと数ヶ月のうちに…。

発熱

2023年11月10日 | §日常§
久しぶりに発熱した。
悪寒はそこまで酷くなかったけど、熱は38.4℃まで上がった。

熱以外は、発熱に伴って起こる頭痛だけで、鼻のど咳は一切なし。

何が起こってるのかなぁ…と思った時に尿の色を見たら、ビリルビンか
飲んだジュースのビタミンCかはわからないけど、濃度の濃い尿とは違う色をしていた。
黄疸が出てるかは、未確認。でも、何となく胆管炎な気がしてる。

熱が出る前、出勤途中から身体が怠かったし。


はぁ…働きすぎなのかなぁ…私…

My Birth Day

2023年07月07日 | §日常§
37回目の誕生日を迎えた。

近況も含めて書いていく。

この1年、特に後半は思いもよらぬ出来事があった。今でもまだ信じられずにいる(3ヶ月過ぎたのに)。
15年ぶりというブランクがだいぶ響いている。まだまだリハビリが必要だなと感じている。
彼はとても心配症ではあるが優しい人だ。私が転びそうになるととっさに支えてくれたり(実際に彼の横で転んだことがある)、悩んでいるのが声色で分かるらしく話を聞いてくれたりする。
そこまで人に気を遣ってもらったこと(入院など療養中以外で)がほとんど記憶にない私にとって、こんなにも気遣ってくれる人がいるのかと、逆に申し訳なくなる。でもその分、私も彼を心配するし、
私のできることで返していこうと素直に思える、そういう人である。彼と過ごしていて一番楽しいのは、色んなお酒や肴を一緒に楽しめる時である。お酒が好きな2人だからこそできることだと日々感じている。

趣味に関しても書いていく。
楽器はマイペースに続けている。相変わらずどこにも所属していないが、辞めてはいない。仕事の合間を縫って参加したいものや誘われたものに参加している。
文房具は、愛が再燃してからというもの可愛いと思ったら衝動買いしていた。しかし今は消費すること、何がどこにどれくらいあるのか全体量を把握することに徹している。

忘れてはいけなのは、移植してから現在のこと。あれから17年(18年目)経った。18年前、肝移植して拒絶反応と闘っていた頃は不安しかなく、まさかこんなにも長く生きられるとは思ってもいなかった。
今年、私よりも数年早く生体肝移植を受けた方が亡くなった。なぜ亡くなったのか理由は詳しく知らないが、亡くなる少し前から体調を崩し入退院を繰り返していたと聞いた。コロナ禍であり、体調を崩している免疫の低い人に会う勇気が持てずにいた。しかし、会うか否か悩んでいる間に亡くなってしまった。会いたいと思ったら、お互いの体調が許す限り会いに行くべきだと強く感じた出来事だった。
私自身はというと、服薬コンプライアンス違反をしてから久しいが、管内胆管に石が2つある以外は何の問題もなく過ごせている。この夏から主治医が変わる予定なので、この石の行方も変わってくるかもしれない。早く取り除くに越したことはないようなので、またここに記録として残していこうと思う。

今年1年は、仕事もプライベートも昨年までとはガラっと変わったものになりそうである。
理由として、まず仕事はここ最近、他職種から業務のことで質問されることも増えてきたていて、それに対してのこちらの準備が今以上に必要になりそうだということ(非常勤なのに)。そして、職場が行っている市の事業のメンバーに仲間入りしたことで新しい業務が増えたこと、更に事務業務の手順改善を先頭に立って(非常勤なのに)やっているからである。しかしその反面、他者に対する対応に負われて自分のやるべき業務が疎かになり始めていると感じてもいる。そのため、それをどう改善するかを考えながら仕事をすることになりそうなのである。仕事に関して所々であえて“(非常勤なのに)”と記しているのは、常勤がいるのにも関わらず、私(非常勤)が先頭に立つという立場逆転(?)の状況が起こっているからである。これで良いのか?我が職場…。
プライベートは、彼氏とのこと、趣味のことをどうバランスを取りながらやっていくかを人生で初めて考えることになりそうで、あわよくばこちら(文房具)の世界に引きずり込みたいと考えているからである。もちろん、無理強いさせるつもりはない。

また来年もこれくらいツラツラと内容を残せるように、無理せず過ごしていきたい。仕事とプライベートのストレスをうまく発散することが今年1年の目標(やりたいこと)の1つである。

大型連休

2023年05月07日 | §日常§
コロナ禍という言葉が叫ばれるようになってから、あまり出かけることもなかった。

私自身、仕事の休みがカレンダーどおりなので、本格的な連休は後半の5連休のみ。今日が最終日。

今年は、彼氏の家に泊まった。
家業の毎月の支払い業務が連休明けに控えているため、彼氏の家に仕事の資料を持ち込み仕事をさせてもらった。
人が多いことは予想ができたが、ご飯を食べに行ったり、買い物したりした。
中でも1番楽しかったのは、彼の会社の上司のご自宅でBBQに彼が呼ばれ、私も一緒に行かせてもらえたこと。
子供が2人いて、2人ともとても可愛かった。上司の奥様や社長さん、社長さんの奥さんなど、色んな人と会えた。
人が多いと何を話してよいのか分からなくなるが、このBBQではそれが気にならなかった。お酒が入っていたのも
あると思うけど(笑)

BBQ、最後にやったのは多分10代の頃。病気でそれどころではなく、そもそもインドアなので誘われなければ
自らやることもないので、とても久しぶりだった。
彼の上司が味付けたというスペアリブ、美味しかったな。残りをおすそ分けしていただいて改めて食べたけど、
ほんと美味しかった。また食べたい。

あっという間に連休が終わった。
GWに自宅以外で過ごしたことって、仕事の都合上なかった。だからだと思うが、とてもリフレッシュできた気がする。
そして、資料さえ持ち運べば仕事ができるし、しかも仕事に集中できるのだと気づいた。

色々と収穫のあったよい連休だった。


熱海

2023年04月10日 | §日常§
2023年4月8~9日の1泊2日で熱海に行った。

誰かと2人で行くって、何年も生きてきて1度もなかった。
その初めての2人旅が彼氏と行くことになるなんて、夢にも思わなかった。

10:00に駅で待ち合わせ、「目的地までゆっくり行きたい」という彼の
リクエストに応えて、あえて新幹線を使わないルートを選んだ。
それでも、所要時間が30分ほどしか変わらないのだから、ココから熱海までは
気軽に行ける距離なんだなと、ルートを検索しながら感じた。

お互い、待ち合わせ場所に早めに着いたこともあり予定より早い電車に乗って目的地へ。
乗り換えの駅で予定の電車に乗ることにして、数本遅らせるために駅舎から出た。
駅舎からあまり離れるわけにもいかなかったので、デッキを少し歩いて駅に戻った。

グリーン車に乗り、他愛のない話をしたり昼食を何にするか相談したりしてたら、
あっという間に熱海に着いた。

熱海での1食目(1日目の昼食)は、刺身定食。
駅近くのビルの地下にある食事処で食べた。
なんといっても、定食のご飯(お米)が美味しかった。
彼もそう思っていたらしく、この日の昼食の話は、
「お米が美味しかった」
で、もちきりだった。

昼食の後は、駅からTAXIに乗りMOA美術館へ。
インターネットで熱海の観光スポットのおすすめで
出てきたから行ってみた。
高台にあるから景色も良かったし、展示されていたものもどれも素晴らしかった。
タッチパネルで子供の作品を見られるスペースがあり(現物展示含む)、2人揃って
“書”に釘付けになった。小学生が書いた作品ばかりだったのだが、子供が書いたとは思えないくらい上手なものばかりだった。
美術館内には飲食店やカフェもあったので、カフェで帰りのバスを待ちつつ休憩した。

駅に戻り、「海を見たい」と彼が言ったので見に行くことにした。
久しぶりの砂浜(子供の時以来?)。彼に手を貸してもらいながら歩いた。
彼は「砂浜は仕事で慣れてる」と言いながら私の手をとり余裕で歩いていた。
「砂浜って、こんな感じだったんだな」と、自分が思ったように踏みしめられない
砂の感覚を味わいながら彼と歩いた。

海からホテルへ向かう道中、私の膝が笑っていて自分の体力のなさに辟易した。
自分自身の足をだけで歩きたかったがそれが難しく、結局ホテルまで手をつないで
歩いてもらうことになった。

チェックインして、私の体力が回復するのを待ってもらい、夕飯のお店を探すために
ホテルを出た。海方向に周囲のお店を色々見たが、ホテルから1番近い日本酒と魚料理のお店に入った。
アワビもお刺身も、ホタルイカもどれもおいしかった。もちろん日本酒も。
利き酒師っぽいお兄さんにオススメを教えていただき、3~4種類くらい飲んだ。天虹と喜久酔が特に美味しかったな。
2人で食べたいもの飲みたいものを選びあったり、他愛もない会話したりしてたら、あっという間に
3時間が経っていた。お腹も満たされたので、ホテルへ帰ることに。途中のコンビニで甘いものと水分を買って
ホテルに戻った。

ホテルに戻って寝るまでは、2人きりの特別な時間を過ごした。
甘い甘い時間だった。

緊張していたのか、飲みすぎて喉が渇ききっていたからか、
2時間くらいしか眠れなかった。
途中、彼を起してしまって申し訳ないなと思った。
眠れない私に付き合ってくれて感謝しかなかった。

日の出を部屋から見届けて、お風呂に入った。
彼は大浴場へ、私は月経が重なってしまったので部屋のお風呂でそれぞれ。

支度が終わってから朝食まで時間があったので、散歩を提案した。
ひんやりとした風が吹く中、海まで散歩することになった。
朝の海は、運動したり犬の散歩をしたりしている人がチラホラいた。
砂浜で走り回っている子供たちを見ながら「子供は元気だなぁ」などと思った。

ホテルへ戻り、朝食へ。
寝不足で食欲があまりなかったので少なめに。

2日目は、来宮神社へ。
何のご利益があるのか知らなかったが、MOA美術館と同じ理由で
「行ってみたい」と私が提案した。
神社へはTAXIで行った。来宮駅から歩いても良かったが、私の体力などを心配してくれた彼の提案でそうなった。
神社は、人が多かった。どうやらパワースポットとして有名な神社らしい。国指定の天然記念物である樹齢2000年の大楠や樹齢1000年を超える大木がいくつも茂っていた。
境内にはカフェもあり、天気が良い日は緑を感じながらのんびりと過ごすのも良いかもしれない。

来宮駅まで歩き帰路へ。
熱海駅でお土産を買って電車に乗り、小田急に乗り換えるために降りた小田原で昼食を済ませた。
そのまま、お互いの降りる駅で別れた。

帰宅後、眠気に負けて仮眠。
彼に連絡をするやいなや、淋しさが急にこみあげてきて思わず泣いてしまった。
彼は「泣くくらい好きでいてくれているようで嬉しい」と言った。
私は、この人なしでは生きていけないなと思った。

付き合って1ヶ月も経たないうちの旅行だった。緊張はしたけど、いい思い出になった。
熱海へはまた行きたいと思う。

できれば、これからもずっと…

2023年04月02日 | §日常§
19歳で肝移植をして、20歳で再生不良性貧血のATG療法を受けた。
内服薬の関係で妊娠が難しいこと、再発の危険性が0%ではないという理由から、恋愛とは距離を置いていた。
私のこの状況を理解してくれる人がいないとは思っていたが、そういう人と巡り合うまでの精神力が私にはなかった。

しかし、2人の妹がそれぞれ結婚したり、お付き合いをしている相手がいるという状況が連続して起こり、
私自身は今、恋愛や結婚に対してどう思っているのだろうかと考えた。そして、なんとなく出会い系アプリ(一昔前は良いイメージがなかったもの)を使ってみることにした。

色々な人から“いいね”がきた。“いいね”をくれた人の中で、「これまで“いいね”をくれた人と少し違う雰囲気の人かもしれない」と思う人がいて、その人(Aさん)とメッセージを重ねてみた。LINEを交換し、通話もした。最初の通話で私の中に確信が生まれた。「この人なら…」という確信が。

彼と会話を重ねる中で、私は自分の病気のことを話した。相手にとってリスクになりうることだから。しかし彼は、私の病気(病歴)のこと知っても「そうか…」とあまり驚いている様子はうかがえなかった。この病歴があってなかなか恋愛に踏み込めないでいることも話したが彼は、
「今は元気なんだからそれで良いんじゃない?」
と言ってくれた。

そして、3ヶ月弱の通話でのやり取りが続き、会うことになった。
人見知り故、会ったら緊張すると思っていたが、不思議と何も緊張しなかった。会話が途切れても「話さなければ」と焦る気持ちが湧かず、それもまた今までにないことだったので不思議だった。
2時間ほどお酒と食事を楽しんだ。お酒も食事も美味しくて、とても楽しいひと時だった。

この初対面の場で、告白された。
私は、断る理由がなかったので承諾した。
私に彼氏ができた。実に15年ぶりである。
とても信じられない。数週間たった今でも本当に私を好きなのかと疑ってしまう。
でも、彼はそこまで器用な人には見えない。だから、疑うのはやめようと思った。

彼は私のことをとても好きでいてくれる。
「守らなければ」とまで思ってくれているのだ。
こんな彼氏はもうこの先、現れないだろうと思っている。

彼自身も今までと違う恋愛感情があるようで、この先は同じ事は起きないだろうと思っているらしい。

私たちは、考え方が似ている。そして、波長もどことなく合っている感じがする。
恋愛は、ドキドキするものだと思っていた。全くしないわけではないが、とにかく一緒にいて、話していて
楽なのである。私の恋愛経験上、こういうことは一切なかったのでそれを感じられることがとても楽しい。

この関係が長く続けばよいなと思っている。
そのためには、私自身も精進しなければならないと思っている。

これから先もずっと、彼といられるように…。


姪っ子

2023年04月02日 | §日常§
私には1歳になった姪っ子がいる。

生まれてから何度か会っているが会う度に成長を感じる姪っ子が、今年1歳になった。

1歳の姪っ子があまりにも喋るので、女の子はこんなにもよく喋るのかと驚きを隠せない。

母親である妹が1番驚いているとは思うが、私も同じくらい驚いている。

そんな姪っ子があと数ヶ月で姉になる。弟か妹が生まれる予定なのだ。

お姉ちゃんになる姪っ子をこれからも見守っていきたいと思っている。

ゆく年、くる年

2023年01月01日 | §日常§
前回の記事で今年1年何があったのかサラッと書いてみたが、このコロナ禍においてできる趣味が限られていて仕事と家の往復を実体験していることを改めて感じた。

コロナ禍で買い物も最低限、ネット通販多用、人ごみに行かない(行っても短時間)を徹底し続けている。

高齢者施設に勤めているのと、夏に私自身が罹患して辛かったからもう罹りたくないという一心で生活してきた。

私は、あまりこの件について自分の意見を表に出すことはない。文章で表現することもない。周りを不安にするだけだから。

しかし、最低限の情報発信はした。周りの人が罹患した際に参考になればと…烏滸がましいとも思ったが、それだけはやった。

COVID-19は恐ろしいが、ワクチン接種者が増えているおかげか私の周りは重症化した人はいない。でも、罹患した後、体調が上向かずそのままお亡くなりになった方もいる。
年齢にもよるとは思うが、そういう結果を招くこともあるという意味では怖い感染症だと思う。特に高齢者に関しては。


来年は、どんな年にしようか…と考えながら書いていたら、年が明けた。

マイペースに続けていければと思っていますので、見守っていただけますと幸いです。

最後になりましたが、本年もよろしくお願いいたします。

2022年はこんな年だった。

2022年12月29日 | §日常§
◎1月◎
どこへ初詣に行ったのか、何をしたのかは覚えていません。ただ、業務の時間的余裕が少なくて四苦八苦していたのは覚えています。

◎2月◎
何していたのか、さっぱり分かりません。
ただ、私の堪忍袋がどんどん膨らんでいったのはここからだったと記憶しています。

◎3月◎
姪っ子が生まれました。3日ひなまつりの日に。
彼女の名前は母親のインスピレーションで決まりました。それにすごく驚いたのを記憶しています。

◎4月◎
業界の法改正がありました。前年度に変わった内容の1つが施行されることになりました。

◎5月◎
母の誕生日でした。ケーキ食べました。料理は手巻き寿司だったかな?
記憶が定かではないです。仕事が楽しいのか楽しくないのか苦しくて悩む毎日でした。

◎6月◎
妹の誕生日でした。遠隔で母と妹たちと話したのを覚えています。
なんだか、平和でした。我が家は。

◎7月◎
誕生日!今年は一足先に誕プレ買ったので。
そして、日本手帖の会主催のイベントに初めて参加しました!楽しくて爆買いしました(笑)
そして、あるきっかけから、上司が請求ミスをしていることが分かり、助け合い精神を発動させました。私エラい!!
月末にCOVID-19に罹患しました。熱が最高38.7℃まで上昇しロキソニンとお友達になりました。

◎8月◎
前月下旬から上旬まで隔離生活をしていました。罹患して3日後に母に移しました。月の上旬はとてつもなく忙しいのにも関わらずかかってしまったので、これは休めということだったのではと思っています。買い出しに行くわけにもいかず、uberやwoltをこれでもか!と使い倒しました。
下旬にCOVID Psitiveが施設の利用者から確認され、そこから瞬く間に広がっていきクラスター判定となりました。
「とうとう来たか…」という何とも言えない気持ちになりました。

◎9月◎
クラスターが落ち着かず、異動が予定されていた方はサービスを切り替える事態になりました。
その対応に負われました…。業務内容を見直そうと思い立ったのはこれがキッカケでした。

◎10月◎
初旬、ようやくクラスターが終息し受け入れも通常通りできるようになりました。
2年ぶり(?)のオフ会に参加し、思わぬオファーを受けました。

◎11月◎
10月に受けたオファーの個人練をしにJPCへ2度、通いました。
文具女子博へ参戦しました。この日、雨降ることを知らなかったので傘を持たずに出たら物凄い雨に打たれてしまいました。ストールで雨を凌いでいましたがそれも限界に来た頃、来場者として並んでいた方だったのかスタッフの方だったのか分かりませんが、ビニール傘を譲っていただきずぶ濡れになることなく会場に入ることができました。ほしいものを更に選別してその場の出会いもあり、なんだかんだとてつもない金額の買い物をしました。

◎12月◎
夏に療養棟かと思ったら、今度はデイケアでもクラスターが発生しました。そのため、1週間の臨時休業を余儀なくされました。
なんとなく、マッチングアプリを始めました。たぶん妹たちに触発されたんだと思います。
オフ会でのオファーの練習に参加し、本番を終えました。個人的にはもう少しまとまった演奏がしたかったです。
日本手帖の会の冬のイベントに参加しました。ビンゴで綴じ手帳をゲットしました。何を書くかはまだ決めていません。

◎まとめ◎
今年は、何があったのか覚えていないくらいイベントの参加が少ない年でした(あ。去年もか…)
来年は、もう少し他者と交流する機会を作りたいなと思います。
楽器を叩ける現場を探さなければ・・・・。

COVID-19に罹患して

2022年08月13日 | §日常§
治癒後5日が経った。記憶が鮮明なうちに記録を残しておく。

~2022年7月28日(木)~
夕方から空咳が出始める。息苦しさはあったがこれまでも時々起こっていたため深く考えることもなく、急遽決まった
残業を含めて業務をこなし帰宅。
咳もやや落ち着いたので、そのまま就寝。

~2022年7月29日(金)~(発症0日目)
目覚めると身体が「横になりたい」と訴えているかのように怠くて仕方がなかった。しかし、事前にこの日の事務が私しかいないことは決まっており翌週に係る業務に支障が出てしまうので、起床時と出勤前と体温を計測し平熱だったたことから出勤した。
職場に着き出勤時の体調が明らかに良くなかった。いつも使う非接触型ではなく腋下で体温計測をしたところ起床時(6:30頃)には平熱だったものが38.3℃まで上がっていた。すぐに上長に報告し抗原検査キットを受け取り、帰宅した。
帰宅後、すぐにキットを使用し検査をした。結果は陽性だった。同居の家族が在宅ワーク中だったため隔離部屋から連絡し、
濃厚接触者にあたるため対応してもらった。
検査結果の画像を上長へ送り、10日間の隔離(解熱後72時間経過を含めて)指示となった。
陽性の結果となったところで、かかりつけ医(総合病院)で診てもらおうと連絡したが「発熱外来をやっていない」と言われ、「(検査キットで陽性が出ているなら)最寄りの保健所へ連絡してほしい」とも言われたため、保健所へ連絡した。
保健所への電話はすぐに繋がった。状況を報告すると年齢を聞かれ、「自主療養届を出してもらうか、発熱外来を受診してもらうかだが、発熱外来を受診するのは診療所がオーバーヒートしているので難しいと思う。症状が悪くなったりしてどうしても診てほしいとなったら、オンライン診療も考えた方が良い」といたって冷静に指示をもらった。
自分がコロナかかる前から発熱外来の現状はわかっていたし、中重度に該当する症状もなかったので保健所の方から教わった自主療養届出制度を利用することにした。
この日、10:30(38.5℃)、19:30(38.7℃)の2回解熱鎮痛剤を服用した(SPO2はいずれも99%)。理由は熱により頭痛と関節痛が出ており眠れなかったため。薬の服用後30分で効きはじめそのまま眠ることが出来たが、切れ始めるころに目が覚めた。目覚めた後、薬がまだ効いている隙に食べ物を摂取した。それ以外は水分摂取が精いっぱいだった。

◇神奈川県自主療養届出制度◇

新型コロナ 自主療養届出制度について

このページでは、自主療養届出制度、自主療養中の方への情報(健康観察・体調が変化した際の対応など)、療養証明書(自主療養専用)について掲載しています。 重症化...

神奈川県

 



~2022年7月30日(土)~
深夜2時ころに目が覚めた。薬が切れ始めたからなのか関節痛も出ていた。水分を摂取しそのまま眠ろうと試みるも(なるべく薬は飲みたくなかったので)痛みで寝付けず(脛がピクピクッと痛むため)、結局4:00に体温は38.5℃まで上がり前述の痛みも辛かったため解熱鎮痛剤を服用。

目覚めたとき、薬はまだ効いていたが食欲がわかなかった。何を口に入れても美味しいと感じられなかった。母が作ってくれたうどんも器に盛られた分は食べたが、美味しく感じることが出来なかった。(37.5℃)
そのような状況でも食べられたのは、酸味のあるものやのど越しの良いものだった。アクエリアス(1日分のマルチビタミン)が最高に美味しく感じた。甘味の強いものは、その甘さが口の中にまとわりついて気持ち悪く感じた。しかし、甘いものの中でも隔離部屋にあった「食べっ子水族館」だけは食べることが出来た。甘味がまとわりつかなかったからだと思う。それか最近ハマっていたのが良かったのか?正確な理由は分からない。

この日、熱の上昇は前日よりも落ち着いていて19:00の時点で38.0℃だった。体温は高くなかったが関節痛と脛の痛みがあり、眠りたかったのもあって痛みを抑えるために服用した。


~2022年7月31日(日)~
寝起きの体調が明らかにスッキリしていた。体温を測ったら36.7℃(SPO2:99%)と平熱に落ち着いていた。関節痛も脛の痛みも落ち着いていた。

このまま夕方も熱が上がらなければいいな~と思っていたら、夕方、熱が出た。

この日の日中、母が突然私を隔離していた部屋に入ってきた。何事かと思ったら「発熱した」とのこと。抗原検査キット(私が持ち帰ったものではないもの)で検査したところ陽性だった。日曜日だったこともあり、翌日に発熱外来の受診先を探すことになった。母の症状は私と同じく熱と関節痛だった。一緒に隔離生活を送ることになった。

この日、夕方に熱が出た(37.7℃)が関節痛も頭痛もなかったので薬を服用せず寝た。そして、私と母のデリバリー生活が始まった。

熱はあったが、それ以外の体調不良(咳など)がなかったため、入浴した。久しぶりだったため爽快感がすごかった。
入浴は夜の1番最後に入った。

◎今日のデリバリー◎
D:納豆+海鮮+温泉卵の丼


~2022年8月1日(月)~
起床時体温36.8℃(SPO2:99%)だった。体調も落ち着き食欲も戻り始めた。

母の発熱外来の受診先を探す手伝いをしたり、動画を見たりして過ごした。
前者は案の定なかなか電話がつながらず、最終的に電話とメールを駆使した診察を受けることになった。

夕方、体温を測ったところ朝と変わらなかったため、ここから72時間、発熱がなければ予定通り隔離解除となる。

◎今日のデリバリー◎
B&L:サンドイッチ+ドリンク
D:冷やし中華+春巻き


~2022年8月2日(火)~
起床時体温36.2℃(SPO2:98%)だった。体調は右肩上がり。

母はこの日から抗ウイルス薬を服用することになった(1日2回、5日間飲み切り)。

体調は落ち着いていたものの味覚に異変を感じていた(コーヒーの味と香りが感じにくかった)。

◎今日のデリバリー◎
B:ホットドッグ+カフェラテ
L:納豆+海鮮+温泉卵の丼


~2022年8月3日(水)~
起床時体温36.6℃(SPO2:99%)だった。

母も熱が上がらなくなり、仕事を少しずつ再開した(在宅ワーク)。

母も私も動けるようになり、デリバリーだけでは飽きてしまうので、家にストックしてあったフリーズドライやレトルト食品を
消費していった。

◎今日のデリバリー◎
D:春巻き+サラダ


~2022年8月4日(木)~
起床時体温36.2℃(SPO2:99%)だった。

昼間は妹が買い出しに行ってくれて、そのついでにご飯の買い出しも頼んだ。

この日から私の体調は、入院中でいう所の「Drの許可さえ出れば退院できる!」という状態だったため、時間を持て余していた。
かといって、外出できるわけではなく、体力を使うような作業もできないので、やれることが限られていた。
そのため、COVID-19に罹る前から見ていたアニメを見続けた。あと動画ね。それとお買い物マラソンがこの日の夜から始まったので、いろんなお店で万年筆インクを見て回ったりした。

天気が不安定で夕食のデリバリーを見ていたが、ドライバーが少なかったのかなかなか配達してもらえるお店が見つからず、いろいろと探して見つかったお店にした。ドライバーさんにはチップを贈呈した。

◎今日のデリバリー◎
ハンバーグとハラミステーキのコンボ弁当


~2022年8月5日(金)~
起床時体温36.5℃(SPO2:99%)だった。

体調が落ち着き解熱後72時間経ったので職場へ連絡した。母の状況を伝えたところ、同室ということもあり隔離期間最終日に抗原検査をもう1度やることになった(同室隔離でなければやらなくて済んだのだが…)。

◎今日のデリバリー◎
L:皿うどん+餃子
D:メンチカツ・からあげ弁当
O:総菜パン・菓子パン(翌朝食用)


~2022年8月6日(土)~
起床時体温36.4℃(SPO2:99%)だった。

2度目の週末。しかし、元気な週末。出掛けることができない以外は何ともなかった。

◎今日のデリバリー◎
自らオーダーしたものはなし
L:※チーズ牛丼


~2022年8月7日(日)~
起床時体温36.2℃(SPO2:99%)

どこにも行けない日曜日。アニメ見放題な日曜日。
お昼にデリバリーしたものの量が多かったため、夕食へと流れ込んだわ…。

◎今日のデリバリー◎
L:インドカレー
D:マグロサラダ


~2022年8月8日(月)~
起床時体温36.6℃(SPO2:99%)

抗原検査→Negative

隔離期間最終日。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだった。休みすぎると行きたくなくなるのは本当なのだと改めて感じた日だった。

◎今日のデリバリー◎
L:ロースかつバーガー+オニオンフライ+ポテトフライ
D:海鮮丼+温泉卵

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◆おまけ◆

~2022年8月9日(火)~
職場復帰初日。午前で体力が尽きる。
私が休みの間、業務をフォローしてくださっていたもう1人のパートさんから申し送りを受け、業務を整理するので精いっぱいだった。
夕飯は何も作る気にもなれなかったため、デパ地下でお弁当とサラダを買って帰った。

~2022年8月10日(水)~
職場復帰2日目。午前中で体力が7割消費される。
前日業務と曜日業務をやるので精いっぱい。頭が働かなかったが電話受けは割とまともにできた(と思う。)

夕食は作る気だったが、買い物中に体力が尽きデリバリーした。

◎今日のデリバリー◎
回鍋肉+チャーハン+餃子+春巻き

感染力に脱帽

2022年08月04日 | §日常§
新型コロナウイルスの新規感染者数の報道は、もう見飽きたから、それ以外のこれに関する情報が欲しいと思っていたら発熱し、抗原検査でpositiveになった。

発症0日目は7/29(金)。週末なうえに月末という何とも絶妙なタイミングでの発症…。

今日で発症6日目。発熱なければ72時間経過するので、予定通り8/9に隔離解除となる。

元気になると暇を持て余す。入院と一緒。


熱は発症4日目には引いた。鼻声であるのと、特定の匂いと味が分からないという以外はなんの問題もなく過ごしている。

1年ぶりの更新

2022年05月15日 | §日常§
ふと、ブログのことを思い出しログインしてみたら、去年の5月に更新したきりになっていました。

何をどこまで報告として書いたかわかりませんが、いくつかのブロックに分けて近況をつづりたいと思います。
長くなることは必至です。

【移植肝臓】
何度かココに書いていますが、薬を飲まなくなって、少なくとも3年は経ちます(5年かも?)。
しかし、幸運なことに肝機能の数値は悪くなることなく(脂肪肝になっているようですが…)、仕事を続けることができています。
主治医の話によると、
「免疫抑制剤が必要ないのに服用を続けている人がいることは確かなので、私のケースもそうなのかということを専門家に聞いたため、観察している」
ということで、依然、服薬をせずに生活をしています。
脂肪肝なので、節制するように指導されています。コロナ禍で公共交通機関を使うことを避け、
通勤は晴れた日は自転車を使うようになりました。しかし、それ以外は運動する習慣もなく、
買い物も短時間で済ませたり、公共交通機関を極力使わないようにしていたりするので、歩くことも少なくなってしまったのです。
まぁ、言い訳はいくらでもできますね…。

【肝内胆管結石】
結石が判明してから、半年に1度のペースで超音波の検査をしています。直近では2021年12月に行いましたが、同じ場所に
堂々と鎮座しておりました(笑)
自覚症状があるわけでもなく、私個人としては、取るのが大変なので今はこのまま居座らせておきたいのです。
しかし、主治医は、この石が原因で発がんするリスクが上がること、今の肝臓はドナーからもらったものであるから、
一刻も早く除去したほうが良いと仰います。今現在通っている病院では、私の胆管の形だと除去する手段がなく、
執刀してくださった先生に相談もしています。執刀医の先生も症状がないことで、急ぐ要素が見つからないようで、
主治医からすると、この危機感の温度差に疑問を呈していました。
次回の受診が7月にあり、そこで超音波をまた受ける予定です。

【仕事】
今の事業所に移動して、そろそろ2年が経とうとしています(早い)。
施設なので、人の出入りに合わせて、事務として行う業務がいくつかあります。

入ってくる時は、
・情報収集
・カルテ作成
・ソフトへの基本情報入力
・契約後の確認処理 など

出る時は方向性によって違いはありますが、
・診断書の手配
・カルテ整理
が、主な業務になります。
出る時の準備などは、事務よりも相談員の方がやることは多いです。

施設としての方針が変わってから、出入りが増えて、準備が間に合わないという状況が続いています。
この業務の他にも、提供しているサービスの日々の実績や、週間予定の管理、文書作成、契約書類の管理、
来客対応、電話対応など、細かいことが随時・適宜・適時にやってくるので、それらをこなしながら、
上記の出入りの業務も行うことになり、私の要領が悪いのか、そもそも仕事量が多いのか、ほぼ毎日、
残業です。
こんな仕事の仕方をしているから、週末休みのうち1日は「体が思うように動かない…寝ていたい」と、
いくら睡眠時間を確保してもそのような状況になり、24時間を無駄にしてしまうということもしばしば。
ちょっと、生活スタイルを見直さなければならないなと、ここ半年くらい思っているのですが、果たして
変わるのか…変えないと自分のためにならないのは事実なのですが…。

このコロナ禍であることと、自分の今後のために、今の職種の資格を取ろうと3月から勉強を始めました!!
通信教育の受講料が期間限定で安くなっていたこともあり、申し込みました。
テキストの読み込みは一通り終わり、あとは試験対策をするだけなのですが、まだそれができていません。
今月の末に在宅での試験があるので(2週間後)、問題集をやったり模擬試験をしたりして、当日に臨みます!

【仕事その2】
家業は、飲食店が主なお客様だからか、コロナ禍で飲食店への協力金が出されていることもあり、修繕やはたまた
今だからこその新店舗開拓などで、日々、忙しくしています(社長が)。
1月に抱える案件がとても多く、その分お金も動くので、経理っぽい総務っぽい事務員の私も副業感覚ではいられなく
なっております。
家業を手伝い始めて10数年経ちますが、未だにお金の管理方法を模索しています。
現金よりも、未払い金の管理に頭を悩ませています…。
ここ数年は、やっとやりやすい方法が見えてきたので、続けようと思っていますが、これは、私だからこそ続けられている
ことかもしれないと思うと、私が手放した後は社長自らやることになると思いますので(それか母親)、それはそれで
どうなのか?という疑問がわいています。まぁ、急ぎではありませんが、社長の年齢と体調を考えるといつどうなるか
分からないので、考えながら仕事をしているという状況です。
コロナ禍に収束が訪れると同時に、仕事が激減するのは目に見えているので、今のうちにやれることはやっておかなければと
こちらの仕事については考えています…。

【趣味~楽器演奏~】
ここ1年は、人生のオケトラ(オーケストラのエキストラ)を経験したり、演奏会(団体立ち上げ)の計画をしたりしていました。
9月には1年半ぶりの本番がありました。当初予定していた練習回数が半分に減ってしまっても、本番までの限られた中で
メンバーがそれぞれ努力をして、なんとか形になりました(と思いたい)。古典的な曲目がほとんどだったので、打楽器は
太鼓が中心でメインで鍵盤を2種類使う程度でしたので、体に染みついた経験を呼び覚ませば臨めるものでした。
それ以降は、職業上、あまり好ましくない状況になることが予想されたため、演奏活動はストップしています。
趣味仲間の周辺は、感染対策をして練習に臨んでいる人もいたり、演奏オフ会を開いていたりと楽器生活を充実させている
ようです。
そろそろ、どこかに所属しようかなとも考えますが、それもなかなか踏ん切りがつかずにいます…。
趣味なので、続けたいのですが、なかなかに難しい状況です。

【趣味~文房具収集~】
コロナ禍で楽器演奏もできないから、別の趣味をと思っていたところへ、システム手帳という沼があることを知り、
足は踏み入れようとは思わないけど、ずっとあこがれていたものなので、これ幸いと使い始めたら使いやすさと
奥深さに魅了され、ここ1年で何冊バインダーを買ったか分かりません(笑)
そして、それをきっかけに、文房具屋に何時間もいるほど文房具が好きだったことを思い出し、時間があれば
文房具屋へ行き、気になる万年筆やカラーペン、ボールペン、シールやマステを買いあさっています。
文具にもサブスクリプションがあり、迷わず飛びつきました。
万年筆に使うインクのサブスクリプションもあるのですが、収納場所を考えて今は手を出していません。
収納の都合がつけば、このサブスクにも手を出すと思います(笑)(好きな色なので)

昨年12月には、念願だった文具女子博にも行くことができたので、幸せでした。
職業上、長居はできなかったので、2時間制というシステムが個人的には大助かりでした。
費やした金額がとんでもない額になったことは、想像に難くないと思います。このイベントは、文具好きな
方には1度は行ってみてほしいですが、キャッシュは多めに持っていくことをお勧めします(笑)

【最後に】
長々と読んでくださった方、ありがとうございます。
これと言って書くようなことが思いつかず、足が遠のいてしまい、ここまでの長い内容になってしまいました。

収束というトンネルの出口が見えない中で過ごすことに慣れ始めた自分がいて、ちょっと恐怖を覚えます。
それまでのように外でお酒を飲み、どんちゃん騒ぎできる日が来ることを祈りながら、体調管理をして、
いつも通りに過ごしたいと思います。

楽器が叩けないストレスとCOVID

2021年05月09日 | §日常§
趣味の楽器演奏が思うようにできなくなり1年以上が経過。

体調不良で出来なかった時期は、治すので精一杯で楽器が叩けないことに対しては辛いと感じたことなかった。
聴き専で満足していた時期もあったくらい。楽器に触るのも年に1度あれば良いと思っていたくらい、楽器に触ることにこだわりを持っていなかった(楽器に触れればそれで良かった)。

しかし、2019年に打楽器を本格的に再開して本番も達成すると、次に向けた行動をしたくなる。そんな矢先にcovidー19が猛威を奮い始め、楽器演奏の機会は尽く減っていった。私自身が参加を予定していた演奏会や合奏イベントは尽く延期や中止にすることを余儀なくされた。管楽器においての楽器演奏というものは、飛沫感染のリスクが少なからずあるので、それを極力避ける対策を演奏者も観客もとらなければならない。
その対策を取ることで演奏会を開けることが分かり、1度目の緊急事態宣言が明けた数ヶ月後から、プロアマ含めてコンサートや合奏の活動が徐々に再開され始めた。

私自身はというと、同居の家族や仕事の環境、自分の身体のことを考えるとなかなか大勢の人たちが集まる所へ行くことは極力避けたいので、自分が決めた制限の中で楽器に触れる機会を作っている。とはいえ、なかなかそういう機会があるわけではないので、打楽器に最後に触ってから半年以上が経過している。体調不良の頃にはなかった欲が今生まれているのは心身の体調に余裕があるからなので、それは喜ばしいことなのかもしれないが、いかんせん仕事しかしてないことになるとなかなかにストレスが溜まるもの。これはいつまで続くのだろうか。

医療関係者と高齢者へのワクチンの接種が始まった。ワクチン接種を全国民がしたら、感染拡大前の生活にどのくらい戻れるのだろうか…。

メモを残す習慣

2020年12月07日 | §日常§
先月の中旬から職場の体制が変わった。
同じ事務職の人が異動になり、その空いた席に別の部署へ出向していた人が着任することになった。

体制が変わって半月。
自分自身でもわかっていないことが山ほどあること、体制が変わったことで業務が行いやすくなったり、
またその逆だったりしてなんだか毎日があっという間に過ぎてゆく。

体制が変わったことで、今まで分からないことを聞いていた人がいなくなったので、
分からないことを尋ねられる人がいなくなった。しかし、居なければ居ないなりに
自分で調べられることを自然とやっていたので、頼れる人がいなくなると自然と
どうにかするようになるものなのだと、日々感じながら仕事をしている。

他の記事に残したかもしれないが、10月初旬に左の中足骨を折る怪我をした。
怪我をして週5日通勤するのがとても辛く感じたので、上司に相談し怪我が治るまでは
中日の水曜日をお休みにさせていただいている。
これが私の精神的な休養になっていて、それまでしていたミスが少なくなってきていると、
自分自身では感じているが、客観的に見るとそうでもないようだ。

私にはメモを残す、記録を残すというクセがない。
書くことは好きだが、仕事上の後から振り返られるものを残すことが、この職場に入職
する前からなかった。前の部署はそれでもやってこられた。
この“記録(メモ)を残す習慣がない”ことが災いして、異動してきて数ヶ月経つが未だに
ケアレスミスを起こしている。単純ミスをしたことを書き残さないまでも、深く記憶に
残しておければ良かったのだが、どうやら私はそういうタイプの人間ではないらしく、
同じミスを起こしても過去にも起こしていることに気づかずに日々を過ごしてきていた。
自分の記憶と勘だけでやってきた結果だ。
体制が変わる前に行った面談で指摘されたのもあるが、その時はメモを残すことに違和感を
持っていた。しかし、“言われたからやっている”ことでも、体制が変わってからは、
私自身にまず降りかかってくることが増えて、記憶ではカバーしきれないことがあることに気付き、
やり始めてよかったと思っている。

個人的にはできることなら、メモは一字一句漏らさないように書き残したいのだが、
そんなことをしていると業務に支障が出るし、時間がいくらあっても足りない。
そこで、上司に言われた「メモは記号で残す」ということをやってみている。
記号で残すことで、自分の中の記号化のルールが分かるようになり、メモを見て
多少考えることはあっても、すぐに何のことか思い出すことができる。
記号化の良いところは、個人情報に係ることでも、自分にしか分からないことなので、
周りに知られることはない。ルールを知られてしまったら元も子もないが…。

メモの順番も分かりやすくするようになった。これも上司からの助言で始めたのだが、
メモは日付で区切るという事をやっている。その日に言われた業務での改善点や自分で
気付いたことなど業務のマニュアルになることはその日に言われたことはその日のページに
書くといつ言われたかを何となく思い出すとでもう1度見ることが出来る。
事務職なので業務上、色々な物の作成依頼があるが、依頼されたことはノートにメモをしても
それがすんでしまえば見返すことはないので、付箋に必要事項を書いてパソコンのスクリーンに貼るようにしている。
付箋にメモすることも上司からの助言。

これらをまとめるとこうなる。

~メモの残し方~
・メモの内容は記号化する。
・業務上のミスや良かったことなど自分のマニュアルに残したいこと→日付ごとにノートに残す。
・他社や他部署からの依頼→付箋で色分けしてメモし目に見える所に貼り付けて、終わったら破棄。


メモの癖がついてきたなと感じたのと、これを今残さないと一生このことを記録することはないだろうと思ったので、
ブログに残すことにした。