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それでも前へ進む... But I must go on...

劇症肝炎からの奇跡の復活を遂げた主による、闘病と趣味のブログ。

GHではなかった。

2013年12月02日 | §日常§
再発していたと思っていた病気は再発しておらず、別の病気だった。

病名はカンジダ膣炎。
膣錠と塗り薬を貰って、それを続けてら1週間ほどで良くなった。

カンジダ膣炎は、疲れたり風邪引いたりして免疫力が低下したり、幹部を不衛生にしたりしていると再発しやすくなる病気らしい。
ネットで調べたら、沢山の人が罹患経験があって、中には何度も再発している人もいた。
罹患経験のある人は、色んな対応策、予防策を持っていて、人によってそれぞれなのだと感じ、私も書いてあった事をいくつか参考にさせてもらっている。

もう、再発したくないし。

GHは再発しても軽いとは聞いているけど、再発していない事がわかったとき、正直ホッとした。


どちらも再発させないように、生活しよう。
気張らずに。


随分と放置してたなぁ…

2013年11月01日 | §日常§
自分の健康管理や、日常のことを残しておこうと思ってやり始めたのに、こーんなに日数が空いてしまった(ノд`@)アイター


どこから話せば良いのか分からないけど、特に変わったことと言えば、またまた病院を変わることになった。
主治医の先生の都合なのだけれど、これを話しても良いのか分からないので、今は伏せておく。

あとは、ヘルニアに関して。
ちょっとずつだけど、体調が上向き?になってきたような気がするし、しない気がするような、いい感じの兆候が見え隠れしている。
まぁでも、私の事を知っていて、これを読んだ後に私に会っても、この事には触れないで欲しい。
あまりハッキリしたことじゃないし、去年の今頃と身体の調子が違うような気がしてる、あやふやで曖昧なことだから。
この微妙な感じの中で、
「体調良くなってるみたいで良かったね♪」
なんて言われたら、私きっと調子に乗って、これ以上良くなろうとしないだろうから。お願いしますm(_ _)m


これくらいかなぁ?

まだあったような気がするけれど、思い出せないから、とりあえずこれだけ。


また更新します♪

もうすぐ8年。

2013年09月27日 | §日常§
まだ丸8年には1ヶ月ちょっとあるけれど、毎年、この時期になると考える。

それ以前と以降の自分の日々について。

何が良いとか悪いとかいう事ではなく、自分が何をしてきて、それを機に自分がどうしようとしているのか、この1年どう過ごしてきたか、この先どうしたいのか。

暴れだしたらもう多分無理だから、それが来るまで、後悔しないようにしようと思うけど、毎年何かしらに後悔してる。
具体的には書けないけど、今年もやはり、自分の進みたい道へ踏み出しきれずに過ごしてしまった。

毎年毎年、後悔ばっかりするし、「自分があの時死んでいれば…」ってものすごーく考える。

毎年意気込むけど、結局は後悔してまた1年を無駄にするんだ。

いい加減、もうやめよう。

自分の人生だもの。
私は私の人生を行くしかないんだ。
人を羨まず、自分の人生、自分の歴史に自信を持ちたい。

死なさない 絶対に‼︎~生体肝移植を選んだドナーと家族の葛藤~

2013年09月22日 | §日常§
「久しぶりに、考えさせられる本に出会った」

この本を読んで最初に率直にそう思いました。



私も生体肝移植の経験者ではありますが、ドナーではなくレシピエント(受ける側)なので、私が意識のない中(肝性脳症で意識障害を起こしていた)で、ドナーになると決心した父や、私の知らないところで私の姿を見ていた母、自分達が知らない間に姉が命の危険にさらされていることを知った弟、妹達。

この本を読むまで、恥ずかしながら、あの時家族や親戚がどんな事を感じ、どんな事を考えていたのかなど、考えようとも想像すらもしてきませんでした。


この本の中には、レシピエントであるお父様の心情を描写した表現(場面)のその殆どを、私も経験していました(そう考えていたことがありました)。


私は、自分が急性肝炎になったと分かった瞬間、かなり落ち込み、入院中はブドウ糖の点滴が痛くてたまらず、初めての入院でとてつもない孤独感に苛まれ、毎晩泣き、常に吐き気が襲い食欲がわかず、食事を摂りたいけれど摂れない日が続き、お見舞いに来てくれた友人達の1人に「食べないと元気になれないよ!」と言われ食事に手を付けるも、内心は「うるさい‼︎私は食べたくないんだ‼︎」と言ってしまいたくなるくらい気持ちが悪くて食欲がわきませんでした。
そんな気持ちの落ち込む私の知らないところで、私の肝臓は次第に悪くなっていっていたようで、入院して10日目あたりで、私は意識がなくなりました。

そこから次に目が覚めるまでの間に、私の周りでは、生体肝移植の話が進み、父がドナーに決定し、転院も残すは転院先の都合のみという段階にまで、話が進んでいました。

私は、ほぼ全てが決まってから、その病院の肝臓内科の偉い(?)先生に話をされ、「移植手術をすれば、元の生活に戻れますから」という言葉を信じ、手術を承諾しました。

そして、この話の1週間強経った頃、私は手術を受けました。

手術を受けてから、色々な裏切りに遭い、色んな人を恨みました。
嘘をつかれたと思いました。
そう思っても仕方ないくらいの乱雑な説明をされ、軽々しく「移植手術をすれば、元の生活に戻れますから」と言われたことにかなりの怒りを覚えました。
今考えると、何てことないことだったのですが、当時は裏切られたと思ってしまったこと、事前に知っておきたかった事を教えてもらえず、好きな物が食べられなくなったことなどが私の中に怒りとして蓄積され、全てが裏切られた事への怒りになったのだと冷静に考えられますが、当時は精神的な打撃が大きく、毎日苛立っていました。

今思い出してみると、手術前後の入院生活で、いい思い出は片手で足りるくらいしかありません。

そんな入院生活で、私は大学の事や部活の事が気になって仕方なく、自分は復学して卒業出来るのか、部活はやり続けられるのかという事がその当時の最大の気がかりでした。


当時は、自分の事を考えるので精一杯で、退院して復学してからは、通院と通学(片道2時間)で体調が上向くことはなく、むしろ、術前よりも体力が落ちたことにより、身体への負担が倍増していました。

それでも、友人達に会いたい一心で大学に通っていました。


そんな矢先に新たな病魔が私を襲い、再び闘病生活に舞い戻ることに。

それが落ち着いたと思ったら、高校の頃に悪くした腰が悲鳴をあげ、私の腰はヘルニアになりました。

物事が落ち着いて頑張ろうとするとどこかが悪くなる自分を自分で恨み、人の優しさに苛立つ日々が続き、家族に対して知らない間に憎悪をむき出しにしていました。


ヘルニアになって丸4年が経ちました。
最初の2年は本当に辛かったです。
突然襲ってくる座骨神経痛に、夕方になるにつれて疲労が蓄積し、薬の効かなくなる脚(足)腰の痛み。
そして、同じく夕方頃には疲労の蓄積によるものなのでしょうか、伸ばしたくても伸びない腰。
コレが自分の中で最大限のコンプレックスになり、色眼鏡で見るような人々の視線に腹立たしさと恐怖を抱くようになり、必要最低限しか外出をしなくなりました。
3年目(昨年)あたりからは、「今の自分は、自分なのだ‼︎」と変な開き直りの精神が芽生えw、外出を増やすように努力しました(そのための図書館通いでした)。
腰が伸びない事には不満がありましたが、それも最近は「仕方が無い」と割り切るようになり、そうしたら、心が軽くなりました。
今年に入ってから、運気が変わったのか何なのか、私を取り囲む環境が色々と変わっていきました。

環境が変わり、家族への接し方も変わり、気持ちに余裕が生まれ、この本に出会い、今改めて当時の事を思い出すと、上に書いたこと以外にも思うことは沢山あるけど、今は今の本の感想を書いているので詳しくは書きません。

そんな事を考えながら読み耽り、涙を流したりクスッと笑ってしまったり、経緯は違えど同じ経験をしたから感じられる気持ちなのかなと思います。

この本に書かれている中には、
「生体移植はあくまでも補完的なものであって、本来の移植医療は脳死移植なのだ」
「ドナーにはNOという権利がある」
など、激しく同意出来る場面が沢山あり、私自身も考えさせられる内容でした。

この本は2004年に書かれているので、今は当時よりも生体移植への考え方が変わってきているかもしれません。
しかし、脳死移植に関しては、あまり変わっていないかもしれません。

この本に出会って、これからの色んなことを考えるきっかけをもらいました。

夏休み~♫

2013年08月22日 | §日常§
17日~21日まで、母方の祖母の家に泊まりに行きました。
滞在記のようなものを簡単に。

☆17日(土)☆
20時過ぎに家を出発し、高速の渋滞もなく、2時間かからずに到着。
到着して、夕飯を食べ、お風呂に入り、就寝。


☆18日(日)☆
朝6時頃起床w
普段ならあと2時間位は寝ているけれど、祖母宅は朝が早いのを子供の頃から知っていたのと、緊張していたのか、早く目が覚めました。

この日は、初めて沼津港へ行きました。
沼津港は、最近テレビでも度々取り上げられているだけあって、結構な台数の車が駐まっていました。

沼津港で最初に行ったのが、沼津港深海水族館です。
その名の通り、海深くに生息している、普段なかなか見ることの出来ない魚達がいました。
名前は忘れてしまいましたが、何枚か写真を撮ったので載せます♪







これ以外にも、今は有名になった、ダイオウグソクムシやチンアナゴ、海の生物以外にも、気持ち悪い陸の生物(虫や両生類、爬虫類など)も展示されていて、中でもバナナナメクジは衝撃でした…( ;´Д`)
あとは、世界最大のGやイモムシ、食べられる虫が展示されていたり…。
気持ち悪い生物ばかりではなく、可愛いのもいるので、見に行ってはいかがでしょうか。
この先、メンダコが漁の解禁になるそうですので、展示されると思いますよ♪

この後、お昼を食べて(味が微妙な海鮮丼屋さん…汗)、沼津みなと新鮮館へ行き、JAがやってるのもあって、野菜を売ってもいました。

そこで、こんな野菜を初めて見ました♪

母も祖母も初めて見たらしく、買ってみようということになり、他の野菜と併せて購入し、これは、天ぷらにして食べました♪



ちなみに、この野菜は四角豆と言い、沖縄で作られている野菜だそうです。

この新鮮館には、干物屋さん以外にも色んなお店が入っていて、中にはお茶っ葉を売ってるお茶屋さんがあり、そこにはかき氷やソフトクリームが売っていて、もちろん抹茶ソフトもあります。
この抹茶ソフトが、甘みの中にお茶の味(静岡茶の味)がしっかり感じられて、とても美味しかったです♪

この新鮮館の入口で、郵便局員さんが記念切手を販売していまして、世界遺産登録記念切手を購入しました♪




切手の後ろに少し見えているクリアファイルと、もう一枚の写真に写っている物をおまけでいただきました。
私が買った切手が最後だったようで、「ありがとうございます。これで帰れます(^^)」
と、局員さんの本音を聞けましたw

帰り際に味の干物を買って、その後、隣の市内にあるショッピングモールに行き、買い物をして帰宅しました。


☆19日(月)☆
6時30分頃起床w

この日は、従兄妹(2人兄妹)の妹(Aちゃん・小2)も加わり、5人で新東名に乗ってみることになりました♪

早々と10時30分頃には家を出て、NEOPASA 駿河湾沼津に行き、そこでは上島珈琲店のカフェソフトやら、地産?の果実サイダーやらを飲んだり食べたりし、Aちゃんと一緒に量り売りのお菓子を買い、再び下り、新清水ICで降りて、エスパルスドリームプラザの寿司横丁内にある回転寿司屋さんでお昼を食べました。

あまりにネタが美味しいので、食べすぎてしまいました…(^_^;)

お昼を食べて、もう少し遊びたかったのですが、Aちゃんの習い事が夕方にあったので、間に合うように帰宅し、彼女が出掛けた後、私と私の両親とで、帰省時の恒例になっているアウトレットショッピング+αへ出掛けました♪

そこでは、母が私の妹達へお土産を買い、私はブレンダーと紅茶を淹れるように珈琲を淹れるポットを買いました。
前者は以前から欲しくて探していて、後者は我が家にドリッパーがないけどインスタントでないコーヒーが飲みたくて、良いのがあったので、半分衝動買い感覚でしたw

たった数時間でしたが、行くところが大抵決まっているので、充分な買い物ができました♪
私の買ったものが1番大きな荷物になっていましたがww


☆20日(火)☆
今回、祖母の家に行ったのは、この日のためでした。

一昨年前から、「題名のない音楽会」の公開録画が河口湖で行われるようになり(河口湖音楽祭の監督が佐渡さんということもあり)今年で3回目の収録です。
初収録の年に応募して当選、翌年は落選、今回も当選し、観に行きました。

内容は言えませんが、9月1日と9月8日に放送される分を撮りましたので、お時間のある方は、見てみてください。

帰路へつく前に河口湖駅へ寄り道してお土産を買い、帰路では雨に降られながら帰宅しました。

この日、私は自分用に梅酒を買いました。
これについては別に書きます。


☆21日(水)☆

相変わらず早起きw

午前中、叔母のレッスン室にあるグランドピアノで、後輩の伴奏をする曲や過去に弾いたことのある曲などを数時間弾き、その後、近所を散歩し、片付けをしていたら帰りのバスに乗る時間に。

祖母宅から最寄りまで叔母の車で送ってもらい、バスに乗車しました。
バスは高速に乗ってすぐに15分の休憩w
その後しばらく走ると想定内の渋滞にはまりました…。

でも、寝ていた時間もあったのであまり実感はありませんw

降車して、電車とバスを乗り継いで帰宅。

地元のバス停に着いた途端、暑苦しかったです( ;´Д`)

家に着いて、荷物を下ろし、母は買い物、私は洗い物などをして、夕飯を食べて、寝ました。



あぁ…長い(ーー;)

最後まで読んでくださりありがとうございました。


ではまた~♪








今年2度目。

2013年08月18日 | §日常§
母方の祖母の家へ来ています。

この家へ来ると、大概は寝ている時間なのですが、何だか寝付けずにいるので、書いてみてます。

今年は既に、春に1度、筍の煮物を目的に、泊まりに来ました。
母が祖母の煮る筍は美味しいのだと言って、久しぶりに食べたいという話になり、泊まりに来ました。

今回の目的は食べ物ではありません。
その事は後々、お話しさせていただきます。

そんなわけで、真の目的はまだ先なので、明日は何処かへ出かけるようです。

はぁ…何時に起きるのかな…

題名、見れるかな?

今までと同じのような、違うような…

2013年08月09日 | §日常§
お仕事をさせていただくようになってから、日々が充実するようになったのは、やる事がない事はなくてもどこか時間を持て余していた感じがあった私にとっては嬉しいことなのですが、ここ何日か、身体は寝ればスッキリするけど、精神的にはどこか息詰まるような、ココロの奥底で何かがグツグツしているような、そんな感じがずっとしています。

たまってるのかなぁ…

悩んだり、不満が溜まったりして、同じ経験は何度もしているけれど、今回はいつもと質が違うような…。
泣きたくても自分の理性が働いて泣けないし、叫びたくてもどこか我慢している自分がいるのです。


どうしたものか…

こんなんじゃ、この先やって行けないしなぁ…


ふぅ…苦しい…

友人の死

2013年07月24日 | §日常§
先週の金曜日、大学で一緒に部活をやっていた友人が亡くなったという知らせを受けました。

私は大学を中退したので、部活も当然そういう事なのですが、先輩の計らいにより途中で辞めた部員にも知らせてくれたため、私も知ることが出来ました。

彼はホルンを担当していて歌も上手く、素敵な声色の持ち主でした。
あまり話すことはなかったけれど、とても紳士的で、同年齢の男性陣の中で1番大人だった印象が今でも頭に残っています。

初めて会った時は、正直同年齢には見えなかったけれど、でも、同い年でしたw


彼には入籍して5ヶ月経つ奥さんがいました。
学生時代から付き合い、結婚に至ったそうです。

彼は、彼女を守るようにして亡くなりました。
彼はスリップする車の中で彼女を庇いながら、こう言ったそうです。

「ごめんね…」

と…。

彼の顔は亡くなっているようには思えないほどきれいでした。
その顔を見た瞬間に、お通夜で遠くから眺めていた遺影からでは信じることの出来なかった彼の死が、棺に眠る彼を見た瞬間に現実感がどっと押し寄せ、胸が苦しくなりました。

彼の死を知って最初に思ったのは、「いい人は早くに亡くなってしまう」と言われていることが本当なんだというでした。
彼の悪いところを聞かれても答えられないと断言できるできるほど、彼は本当にいい人で、音楽が大好きで、友達・仲間思いのある人でした。


そんな彼がこんなにも早くに逝ってしまったことに戸惑い、嘆き悲しみましたが、「一番悲しいのは彼自身なのです」と住職さんが仰った時に「その通りだなと思いました」
住職さんが色々お話をしてくださり、何故だか涙が流れました。
たぶん、彼の死に対するショックと自分が悩んでいたことが私の中の何かを刺激し、涙になったのだと思います。

お通夜が終わった後、彼のお母さまから「お時間がありましたら、後で彼女(奥さん)と話をしてやってください」と言われたこともあり、会場の2階にある広間で、彼の親族や高校、大学の友人や部活の先輩方などが食事を交えながら彼の話をしたり、久々の再会に喜んで良いのかどうなのか微妙な心境でお互いの“現在(いま)”を話したり、過去を懐かしんだりしていました。


一晩経った翌朝、彼のお通夜でいただいた香典返しと、前日の出来事や棺に納まった彼の姿などが脳裏に浮かび、そこで一気に涙が溢れました。
前日泣けなかった理由を帰りながら考えていましたが、涙が溢れて落ち着いた時に、頭が混乱していたのかなと思いました。



彼が亡くなったことで、彼を忘れることはありません。
しかし、これを思い出すと悲しくなるのが分かるし、悲しくなるのに思い出すのも彼に申し訳ないので、彼を思い出すのは大学時代の事を思い出した時だけにしようと思います。



「それが良いとか悪いとかではなく、人はそれぞれの生の流れに乗って生きている。だから、他人(ひと)はどうすることもできない」
住職さんの話の中で、この言葉は1番、心に刺さりました。

必ずしも人生を全うしたとは言えないかもしれないけれど、彼は幸せ者だったと思います。
だって、たくさんの人が彼の死に涙を流してくれたのですから。。。





最後に。

短い間だったけど、あなたと過ごした大学での日々は、苦しくもあり楽しくもあり、今では良いとは言えないけれど大切な思い出です。
あなたが1番悲しく悔しいでしょうね。皆もそう感じています。
でも、あなたはとても幸せ者です。良い家族、良い友人たちに囲まれていたのですから。
私たちはあなたを忘れません。安らかに眠ってください。
今までありがとう。

誕生日と焼うどん

2013年07月04日 | §日常§
昨日は、私の27回目の誕生日でした。
現在、アシスタントとして受講中の傾聴ボランティア養成講座では、私の知らない間に、受講生の方や講師の先生、主催者スタッフとして来ていたLife
Bridge Japan(以下、LBJ)の会長が、メッセージカードを書いてくださっていました。
しかも、短い休憩時間に。

それに加えて、可愛いタオルや、手作りのストラップもいただき、こんなに嬉しいプレゼントは久しぶりだったので、ホント、嬉しい以外に言葉が浮かびません(*>ω


それと、今日は人生初の焼うどんを作りました。
味付けはめんつゆですがw
こんな感じです♪↓↓


物の見事に野菜とベーコンを焦がしました。

また挑戦します…。


それにしても、眠いです

みなとみらいMARK IS

2013年06月25日 | §日常§
みなとみらい駅に直結されたショッピングモール?が先週の金曜日にオープンしし、今日は別件でみなとみらいに行ったので、次いでに見て回ってみました。

お店の種類は、地元に最近オープンしたのとあまり変わりませんでした。

でも、規模はこちらの方が大きいですw

広くて良いのですが、慣れない靴で歩き回ったために、これを書いている時点で足がクタクタです…(ーー;)

明日はLife Bridge Japanの傾聴講座のスタッフという仕事があるのを覚えてはいたのですが、別件が楽しかったのと、どうしても欲しいものがあり、それを探し回ったので、既に足が浮腫んでいます(´ヘ`;)とほほ・・

明日、行けるかどうか際どくなって来ました…
いや、もちろん行きますよ。
せっかく仕事しながら受講できるので。

平日の割に人が多かったのですが、楽しめましたイエ───(σ≧∀≦)σ───ィ

最後に、
今日の外ご飯とデザートです♪



閲覧数にビックリ‼

2013年05月20日 | §日常§
閲覧数88に、ビックリしましたΣ(゜Д゜;) えっ

Gooブログのトップにでも紹介されたのでしょうか。

私が顏本かtwitterに更新の投稿したのか?

昨日の更新は眠気まなこだったので、よく覚えてません( ̄ー ̄;

でも、これだけの方が見て・読んでくださっているのだと思うとかなり嬉しく思います♪ わあい\(^▽^\)(/^▽^)/わあいっ

(*´∀人)ありがとうございます♪

こんな、コアな話の多い日記ですが、これからもよろしくお願いしますm(uωu`*m)


白衣のなみだ(ひとりごと・・・)

2013年04月25日 | §日常§
4月から始まったフジテレビの昼ドラ「白衣のなみだ」。

明日で終わる気がする第1部『余命』は、念願の子供を授かるも、乳がんが再発してしまった女性医師の話です。

家に居るときは、必ず見てるのですが、話の中に出てくる主人公の心の葛藤や、夫との喧嘩、喫茶店のご夫婦や同僚のお医者さん、入院している患者さんの言葉が、「あと何年生きれるか」、「再生不良性貧血は再発しないか」、「ヘルニアがこのまま良くならないんじゃないか」と色々な不安を抱く毎日を送っている中で、「自分と同じだ」と感じ、涙を流さずにはいられませんでした。


8年前の秋、意識を失ってから訳も分からぬ間に移植手術を受け、その半年ほど後に再生不良性貧血になり、命に関わる病気じゃないけど腰椎椎間板ヘルニアも罹患。
こんな短期間にこんなに病気を繰り返す人がいないとは言わないけれど、そうそういるものだとも思えません。

自分のやり方次第なのだろうけれど、いつ肝臓が暴れだすかも分からない中で(肝炎に関しては再発の可能性は低いので)、自分の病状や現状を伝えて他人に理解してもらえるなんて8年経とうとしている今でもなかなか思えない。

ましてや私はまだ学生だったわけで、大学に行きだした途端に休学、復学してもまた別の病気で休学、他の理由もあったけれど勉強する気がなくなってしまったので結局退学してしまった。
それが、再生不良性貧血の治療をした1年程後。

それからは診察の間隔が狭かったことや貧血が良くなったばかりで、遊んではいないけど、何をやりたいのか、これからどうしたいのかが全く見えず、とりあえず気晴らしに楽器をやりに高校や誘っていただいた楽団へ行っていました。

それから更に1年後の春、私は地元のプロサッカーチームのボランティアと医療事務の講座通いをほぼ同時に始めました。
どちらも楽しく、とても充実した心から楽しいと久々に思えた毎日を送っていました。
そんな生活が数ケ月、講座受講も終わりの頃に脚の付け根に違和感を感じ整形外科へ行き、レントゲンと撮っていただいたら白い影が。
どうやら、石灰が溜まっていたらしく、自然に治癒するとのことで痛み止めだけをもらいました。
それから少しして腰に違和感があり、再び受診。その段階では「ぎっくり腰のようなものでしょう」と言われ痛み止めを処方されました。
それからまたしばらくして脚に電気が走ったようなビリビリとした痛みがあり、MRIを撮ることに。
そしたらなんと、「腰椎の4番と5番の間の椎間板が出ています。これは、ヘルニアです」と。
この前年に父がヘルニアになり、しんどそうな姿を見ていて自分はなりたくないと強く願っていたのですが叶わず、自分もヘルニアになってしまいました…orz

再生不良性貧血になった時もそうでしたが、しんどい時は常に自分を責めました。
昏睡状態から目が覚めなければこんなに辛い思いをしなくてすんだのではないかと。

今生きているのは家族が肝臓を分けてくれたおかげであり、今の生活・日々が楽しくないと言ったら嘘になります。
でも、こうなるならあのまま永遠に眠りたかったというのも、正直な気持ちです。


こんな日々を送っていても、家族はただ無関心なのか、言いたいことをあえて言わずにいてくれているのか、家族だからか、何も言いません。
自分のペースでいけるのでホント、ありがたいです。

やりたいことを見つけた途端に別の病気にこれまでなってきたので、これからもそうなるかもしれません。
命に関わる病気になるかもしれない。
でも、やっぱり前に進むしかないし、やりたいと思ったことは、不安を抱えつつも楽しく思いっきりやってやろうと、最近ようやく思えるようになりました。


来月から、お世話になった(なっている)方々が会員や役員として働いているNPO法人で会計の仕事をさせていただくことになりました。
日商簿記3級を取ってから4ヶ月、NPO法人なので会計の科目は似ていても違う部分が色々あるので、勉強しつつ精一杯やろうと思います。
このNPO法人についても、後々ご紹介できればと思っています。


この先、後々は何か起業できるような資格を取って生計を立てられるようになりたいですが、今は1日でも早く痛みの出にくい脚腰を手に入れるために、運動をし、息抜きもして、長い目で3つの病気と付き合っていこうと思います。


p.s.
久々にこんなに長い文章を打ちましたw

ご無沙汰しております。

2012年11月26日 | §日常§
半年ぶりの更新です。。。(^_^;)

暑かった日々が懐かしく思うほど、寒くなってきました。

今日は雨が降っているので寒さを一段と感じています{{ (>_<) }}


更新しなかった半年間は、家業の決算や、資格試験などに負われていました。

病気関連では、ヘルニアの疼痛緩和のための薬(リリカ)が始まりました。
自分自身で痛みを緩和させるため、発症させないためのストレッチや筋トレをやらなければならないのですが、なかなか思うようにいかず、薬に頼った生活を続けております。

肝臓の方は、肝機能もビリルビンも安定していて、NASH(非アルコール性脂肪性肝炎)だと疑われていた肝臓も、1年経って綺麗になっており、ただの脂肪肝だったのだと判明しましたf^_^;

再生不良性貧血も、治療をして5年経ちますが、未だに再発もなく、フェリチンが高い値を示している以外は、血球数等も問題ありません。


これ以外に、バスを乗るために頂いていた、「ふれあい回数券」が、10月からは「ふれあいフリーパス」に変わり、身体も精神も知的も関係なく、市内のバスの乗り降りが更に自由に気軽に出来るようになりました。

障害福祉の面では、制度が変わり、条件に当てはまらず打ち切りのようになってしまった物もありますが、その分、仕事を見つけやすく出来れば問題ないので、今、試験結果を待ちながら、就活をするために、少しずつですが準備をしています。



また更新します。






この先、何年生きられるか分からない。

自ら望んで生き返ったわけではないけれど、心から幸せに思えるコトがあると信じて、日々を歩んでいこう。

私は、きっと、1人じゃないから。

毎晩作ってます。

2012年06月21日 | §日常§
ここ10日ほど、母が会社の実地指導に際しての準備のため、連日帰りが遅くなるというので、ほぼ毎晩夕食を作っています。

最初は何を作ろうか迷ったり、買い物や支度でドタバタしたりしていました。

今もさほど変わらないのですが、自然と何を作ろうか考えるようにはなってきました。


どんなものを作ったかというと…

豚小間で生姜焼き
鶏胸肉のジャンボつくね
鶏ももで生姜焼き
にらとかにかまの卵とじ
そぼろ(ビビンバ丼に乗せました)
厚揚げの煮物
お味噌汁(具は豆腐、大根、えのきだけ、油揚げ など)

覚えている限りでこれくらいです。

作って残ったのを翌日に持ち越していたり、お寿司を宅配していただいたりしているので、疲れた日は楽をして…w


まぁ、レシピも味付けも基本は母から教わったものですので、薄かったり濃すぎたりしない限りは普通に食べられる…はずですww


お昼ご飯は基本、自分+いたとしても妹だけなので、適当に作って食べるのですが、夕飯は父や弟がいるのであまり適当には作れず…だんだんと精神的に疲れてきました

来週から入院するので、とりあえず、あと2~3日乗り越えれば、色々発散できるかな?


頑張ろう!