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それでも前へ進む... But I must go on...

劇症肝炎からの奇跡の復活を遂げた主による、闘病と趣味のブログ。

3週間

2020年10月24日 | §日常§
骨折してから3週間が経過した。

まだまだギプスが外れるまでには時間がかかりそう。
素人目には前回(先週)の診察時よりは骨の隙間が髪の毛一本分くらい狭くなっているようなきがした。
 
先生からは「もう少しギプスが必要だね」と言われたけど、“もう少し”ってどれくらいだろ?全治3ヶ月だもんねぇ…

4年くらい前に右足を骨折した時は、全5指の中足骨と立方骨を骨折してた。その時のDrからは「リスフラン関節骨折まではいかないけど、リスフラン関節骨折だったら一生治らないものだったよ」って言われたのを今も鮮明に覚えてる。
この時は、折った方を地面に付けて一瞬負荷をかけるだけでも痛みがあって出来なかった。松葉杖と腕で身体を支えるのがものすごく下手だったから家で過ごせなくて、結局1ヶ月くらい入院した。退院する頃には松葉杖も使えるようになってて(毎日体幹と脚の筋トレがんばった)、その後は通院してて、最後の診察は怪我をしてから5ヶ月後だった。CRPS(複合性局所疼痛症候群)も出た。

それに比べて今回は、第5指1本で松葉杖も折った方を地面に着けて歩いて良いとDrから言われてるし、なんとか仕事もできてる(いっそ休んだ方が良かったのか…?)。
だから、精神的には軽いけど、怪我は重い。

来週、再診する。
今回の写真は素人目には若干良くなっているように見えたから、来週はもう少し良くなってると良いな。

治るまでの“今”だから出来ること探そう。
そして、足りないものを買う。家にあるもので出来そうなものはないか工夫しよう(使いきれないものありすぎて勿体ない)。

先月は病気、今月は怪我

2020年10月08日 | §日常§
先週末、階段を踏み外した時につま先の小指から足をつき尻もちをつき転倒しました。

足を挫いただけかなと思っていたそばから、みるみる足が腫れ上がりました。
この時、「これは診てもらわなければ」と思ったので救急情報センターへTELし、開いている整形外科を紹介していただきそのクリニックへ連絡した上でそこへ向かいました。

歩くことは難しいかったのでTAXIを手配し、問診票を記入後、10分としない間に呼ばれてレントゲンを撮った結果、先生から「折れてるね〜。しかも粉砕してるよ」と言われ、折れてる箇所を教えていただきました。1本のはずの骨が3つに分かれていました。言葉が出ませんでした。

今回のこの骨折は第5指中足骨粉砕骨折というそうです。
この第5指中足骨骨折は、下駄骨折(下駄履き骨折)とも言われ、サッカー選手に多いケガとのことでした。
治るのに難儀するらしく、数年前に右足を骨折した時に懲りたはずなのにまた骨折してしまい、自分で自分を恨みました。

全治までにどれくらいかかるのか、今現在は両松葉ですが片松葉になるのはいつなのか、まだ分かりません。
通勤は、しばらくは都合が合えば家族に送迎をお願いしつつ、タクシーでの通勤になりそうです。
バスと電車を乗り継いで行く勇気が出るまでは…。


んー…もう踏んだり蹴ったりです…。

私の罹患歴

2020年09月10日 | §日常§
病歴を改めてリストアップしてみる。

◇病歴◇
2005年10月 急性肝炎発症し入院(St.M HP)/人生初CT検査:造影
同年11月 劇症肝炎に病変し生体肝移植を受ける(TMCH HPへ転院)(同年12月下旬退院)
2006年1月 原因不明の発熱で入院
同年3月 胆管瘻抜去のため入院
同年年8月 再生不良性貧血発症
同年9月 再生不良性貧血に係る検査入院(期間:1ヶ月)/人生初骨髄穿刺
2007年1月 ATG療法を受ける(同年2月下旬退院)
2009年8月 腰椎椎間板ヘルニア発症(鎮痛薬とリハビリによる保存療法)
2010年 人生初肝生検のため入院(NASHが判明)(ETM HP)
2014年7月 椎間板ヘルニア悪化により抜去術を受ける(S HP)
同年8月 術後後遺症により回リハ専門病院へ転院(NYR HP)(同年12月退院)
2017年9月 右中足骨・立方骨骨折のため入院(同年10月退院)
2019年6月 肝生検のため入院(1泊2日)(St.M HP)
2020年6月 肝内胆管結石症が判明
同年8月 ERCPのため入院(急性胆管炎発症、同年9月退院/15泊16日)(T HP)←NEW!!
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外来は短い間隔で週1、長くて3ヶ月に1度。
2005年~2012年までの間、通院先が4回変わった(IMSグループ3ヶ所、他2ヶ所)。
2013年~St.M HP(主治医変更)、2020年~T HP

2019

2019年12月31日 | §日常§
今日は大晦日なので、今年1年を振り返ってみたいと思います。

1月〜5月
入職して初めての年越し。
体調を崩すことなく仕事を淡々とこなす日々が続きました。
家業と掛け持つことになったことで、確定申告をせねばならず、初めてのことなので税務署へ行き手ほどきを受けながら手続きしました(2時間待ちました…)
4月上旬に体調を崩し発熱するも、月初は国への請求業務があり休めないため、初めて解熱剤を飲んで出勤しました(外国人が見たら顰蹙買うやつです…)おかげで、体調不良が1ヶ月続きました。


6月〜12月
ある作曲家に絞って合奏をするというイベントに参加し、ココから私の日々の過ごし方が変わっていきました。
このイベントを主催した団体の演奏会出演にエントリー(2020年1月5日開催)し、8月から月2〜3回のペースで組まれた練習に参加しました(遅刻した日もあったけど皆勤賞<12/31現在>)。イベントに参加し、演奏会に出演することになってから、楽器界隈の人脈が広がっていきました。そして、私の楽器に対する考え方も変わっていき、自分に合ったマレット探しの旅が始まりました。
9月と10月に台風が襲来し、演奏会の練習が1回中止になったり、雨風の音でなかなか眠れず寝不足の状態で出勤したり(通勤途中のバスの中で寝ました)、後半は人と気候により充実したものになりました。

年明け早々に久しぶりに楽団員として演奏会を行います(来週)。
悠々と何処かへ行っていると何かに罹りそうなので、必要最低限にします。

では、皆さま良いお年をお迎えください。


これ以上は

2018年10月04日 | §日常§
お久しぶりです。

体調は、すこぶる良好です。
脂肪肝気味だそうなので、これ以上増やすなと言われました。

ですが、入職してから半年で約10キロ落ちたのは、家業従事以外に仕事を始めた賜物だと思っています。

さ。減量頑張ろっと( ˙-˙ )

1年かかった

2018年02月15日 | §日常§
祖父が亡くなって、明日で1年になります。

気づけばあっという間の1年でした。

祖父が亡くなるまでの1年くらいは病気が病気だっただけに、亡くなる日は遠くないと思っていて、実際に亡くなった時も、「じぃちゃん、今までありがとう。お疲れさま」と思うくらいで、涙は1滴も出ませんでした。
お葬式の時も、祖父の棺を囲んでお花を手向けいる姿や祖父を偲んで泣いてくれている人達をカメラにおさめるのに必死で、周りが泣いていたのもあって泣けませんでした。

今思うと、あの時泣けなかったのは、亡くなる事が分かっていたのもあるとは思いますが、心のどこかで祖父の死を拒絶していたのかもしれません。大好きだった祖父がこの世に居ないと、1年が経とうとしている今、ようやく実感し、祖父のことを思い出す度に涙が出るようになりました。

本当は泣きたくないので、今だけ思う存分泣いて、それから先は1年に1度思い出して祖父に近況報告しに行こうと思います。

あの人は今…

2017年12月28日 | §日常§
前回の記事から進捗率10%まで進んだ原稿を昨日昼に似たタイトルのファイルと間違えて消してしまい、あまりのショックにその日の夜になるまで1文字も書けなかった原稿。何を書きたいかは変わらないけど、どうやって書き始めていたかどうやって切り返そうと考えていたかが全く分からなくなってしまったので、1から書き直すことにした。

そしたら何のことはない。ものの数時間で30%書き上げた。かなり雑だけどw
夜になるとやる気が出るのは、夜行性という事なのだろうか…?
あと2日強で7割書き上げなければならないのだが、消してしまったものをあっさりと割り切って今書いている原稿を進められている私。
消えたデータに未練も何もないのは薄情かもしれないが、その程度の満足度だったのだと自覚した。

この原稿を書いていて、思い出したことがあったので、ここに残しておく。


あれは、肝移植を受けてからしばらく経ったある日のこと。
Yahoo!アカウントを作ったばかりの私は「Yahoo!掲示板」(現在は閉鎖)に足を踏み入れてみることにした。
手術を受けてから、私の他に同じ生体間の移植手術を受けた人の話が聞きたいと思っていて、タイミングよくこのサービスを発見し、スレッドを作成した。そこへ、1人の女性(話していてそうだろうと予想)がレスポンスをくださった。
その方は、旦那さんが私と同じ時期に肝臓の生体間手術を受けていた。話をしていくうちに同じ病院で受けたことを知り、しかも私はこの方の旦那さんに手術の順番を譲っていただいていたという。私の方が症状が重篤だったからという理由なのだが、まさか掲示板を通して出会えるとは思っていなかった。このやりとりの後、私は掲示板を訪れることがなくなり、気づいたら掲示板サービスごとなくなってしまっていたので、確認することはできないのだが、あの時やり取りをしていた方の旦那さんが今どうしているのか、元気にしているのか気になる。

これを読んでくださっているという奇跡が起こってくれたら、こんなに嬉しいことはない。



書きたいことは書けたので、原稿に戻る。

コツコツと地道に~1年を振り返る~

2017年12月27日 | §日常§
1年をザックリ振り返ってみよう!

1月

・恒例となった首都圏ぶらつきツアー w/親戚(今年はスカイツリー周辺)<3日>

・米寿祝いをしようと思っていたが祖父が入院→家族総出でお見舞いにいく<8日>

・某SNS合奏団スペシャル合奏会<9日>



2月

・参加者公募型コンサートに出演!【悲報】次年度は開催しないらしい<4・5日>

・ネット友達向けのプレゼント企画を実施(ネット生活史上初!)<~5日 & 14日他>

・祖父亡くなる享年88歳<16日>→葬儀<21日>


3月

・国鉄車両 115系列車を見る小旅行

・手作りアップルパイを友人にプレゼント

・LBJアート展へ行く



4月

・花見@六実

・ニコニコ超会議 初参戦!!


5月

・アンサンブル & BBQオフ会

・体調を崩す<6日~>


6月

・理事会及び会員総会<3日>

・吹奏楽(DBO) 定期演奏会鑑賞<4日>

・オーケストラ(MSO) 定期演奏会鑑賞<18日>

・カフェにて生演奏BGMランチ


7月

・決算月

・女声コーラスグループ(ORM) 定期演奏会鑑賞<15日>


8月

・同級生と再会!<10日>

・年金セミナー(某生命保険会社主催)に参加→友人とランチ<17日>

・侍BRASS コンサート鑑賞<27日>



9月

・月次と決算の締め切りに追われる

・某専門SNS合奏団お泊り合奏会@千葉県<16・17日>

・友人とランチ


10月

・友人に誘いを受けてイベントに参加@市内某ビル川崎駅→ランチ

・プチ同窓会(高校)@自由が丘

・友人とランチ

・個人年金を契約


11月

・クラウドファンディングに登録してみる

・臨時の検査(エコー)を受ける→結果:まだらな脂肪肝

・友人とランチ



12月

・友人(Y)とごはん@小杉<12日>

・佐渡×シエナ 鑑賞@シビック<13日>

・佐渡×シエナ 鑑賞@鎌倉<21日>

・LBJエッセイ集の原稿締め切りに追われる

・大掃除(出来るところだけ)


~1年を通して~

毎月3つくらい書くことがあって、なかなか充実していると感じた。

夏に友人と再会したことをきっかけに、誰かとランチをする機会が増えてディナーも一緒に行けて、良い再会だった♪
来年は共通の他の友人ともご飯に行ったりアンサンブルできたらいいなぁ♪

プライベート充実してるからホント仕事増やそう。個人年金にも入ったことだしね。

今年は継続と再会の年だったね♪

来年は、会いたい人がいっぱいいるんだ!!会えるといいな♪

自分に対して「もう勘弁してください」と…

2017年12月26日 | §日常§
作業達成率1.5%は笑えない。今月末締めの作業があるのだが、なかなか手が動かず気づけば残り6日(今日を含む)。
心のどこかに「“まだ”6日あるじゃん!(余裕)」という気持ちがあって焦る気持ちが全くわかないのだとしたら、自分で自分を非難したい。この焦らない性格…こういう時にはホント困る

作業効率を上げるのも下手なのに、焦ることもしないって…マイペースにもほどがあるよ

「自分のペースが備わっていて周りに流されないのは良いけれど、他人からの頼まれごとにまでこれを押し通すのはどうなのさ
と、自分に問いたい。
こういうことがある度に改善策を考えてみては試すことを繰り返しているけれど、全く成果が得られないから開いた口が塞がらない
改善したい気持ちはあるけれど、こういう事態にならないと改善策を探そうとも思えないから参ってしまう。どうしたものか…。

自分を締めるものがない中で普段から仕事をしていることでこの悪循環が生まれていると考えられるから、こうなったら自分の中で“締める何か”を作り出すしかないのだろうか、多少の嘘であっても。


とりあえず、作業する。やってみる。

自分の中の覚悟

2017年05月17日 | §日常§
他の方のブログ記事を拝読していて、ふと思い立ったので書くことにしました。

平成29年2月16日、祖父が亡くなりました。

昨年(平成28年)2月に大きな病気が見つかりましたが、喘息発作があったり慢性的に心臓が弱くなっていたり、そもそも当人が無理な治療を望まなかったため治療をせず、経過観察だけを続けていました。

見つかってから亡くなるまで、月に1度のペースで入退院を繰り返し、自宅と病院を往復する日々でした。
同居していた祖母は入院するたびに祖毎日着替えを届けに病院へ足を運び、祖父の通院にも付き添っていました。
私も通院には付き添うことがありましたが、家業の決算期はどうにも時間を作れず行けなくなってしまった矢先に怪我をしてしまったので、結局、次に祖父に会えたのは、入院している病室でした。

祖父は1月が誕生日で、今年は米寿の祝いということもあり、「皆でご飯を食べに行ってお祝いしよう!」と話していた矢先に「また入院した」と祖母から連絡があり、お祝いをしようと言っていた日に皆で祖父の顔を見に行きました。
まぁ、痩せてました。見つかって半年後くらいから「食事が苦行だ」と私に言い、硬いものを一切食べなくなったと、通院に付き添っていた時に祖父は言っていました。体重の減少傾向が著しくなってから、本人もそれをずっと嘆いていました。
体重減少と筋力の低下で、動くこともしんどくなってからは布団から起き上がるのは必要最低限になっていたそうです(祖母談)

誕生日前後の入院から一時的に退院はしたものの、家で生活すると祖母自身の通院や日常生活がままらななくなるため、再度入院しました。
そこから2週間ほどたった頃に“療養型病院”への転院を勧められ、MSさんに何軒か病院を紹介していただき、祖母や祖父母の友人などを含めてどこにするか相談し転院先を決定、転院先の病院へ見学と面談も済ませてあとは希望した日に転院するだけとなっていたところで祖父が危篤状態になり、そのまま息を引き取りました。

最後に会いに行ったのは、亡くなる2週間~10日ほど前でした。
1月のその日に会いに行った時よりもさらに痩せてしまい、目もうつろで声をかけて反応はするけれど話すのも一苦労という状態でした。


葬儀の際、色々良くしてもらったし、大好きだったから泣くのかなと思っていましたが、泣きませんでした。
他に泣いている人がいると自分が冷静になって泣けないという人もいますが、そういうわけでもありませんでした。
葬儀の後、亡くなったことに対して悲しくはなりましたが、涙は出ませんでした。
四十九日が過ぎた頃、ふと祖父のことを思い出しましたがやはり涙が出ず、どうしてだろうと考えた末に1つの結論に至りました。

それは、
「祖父が亡くなることに対しての“覚悟”がいつの間にか自分の中にあったのではないか」
ということです。

病気が発覚した際に先生から話を聞き、それ以来、通院に付き添ったり、入院中に会いに行ったりしていて、心のどこかで祖父が近いうちに亡くなることを受け入れていたため、哀しみはあったけれど悲しくはならず、冷静に葬儀に参列し送ることができたのだろうと。


人はいつか亡くなるけれど、その人の死までの日々を見ていると、感情が溢れてくるけれど心はどこか客観的に、冷静になっていくものなのかなと、祖父の死を通して感じました。


誰かが亡くなった時は涙を流したかったけれど、今回は自分があまりにも冷静に事態を受け入れていて泣けませんでした。というお話しでした。

免疫力低下とストレス

2017年03月10日 | §日常§
ここ1ヶ月、なんとなーく体がだるくて、寝起きも寝付きもあまり良くありません。

原因は、思い当たる節があるから、精神的なものだろうなと考えてはいます。

今月の生理が遅れてるのも、それが原因かなと(ストレスや疲れがたまると遅れるものなので)勝手に考えております。

なんとなーく体の怠さを感じ始めた頃から、帯下に異変が出始めて、最初はあまり気にしてなかったんだけど、自己治癒力じゃ治りそうにないので婦人科へ行ってきました。

先生の話によると、免疫下がるとカンジダに感染しやすくなるのだそう。その時のような帯下ではないけれど、原因は免疫力が下がっていることでしょうとのことでした。

ストレスの根源をどうにか払拭するか自分の中で割り切ったり切り替えたりしないと、治るものも治りそうにないのです。
しかし、今回ばかりは難しいかなと感じています。
ストレスの原因は対人関係で、一発ドカーンと言い放って解決する相手ではないので、困っています。
だから、せめて切り替えたいのです。
その人に会う時の頭と心を。
その人(たち)が話す言葉を今は極力聞きたくないのです。でも、近い人だから難しいのです。

この溜め込む性格を上手くコントロールしたいものです。


なんか、最後に愚痴っぽいこと書いてしまいましたが、婦人科の件に関しては、処方された薬を使い切ったら、また受診します。生理が来たらその間使えないので。

私、まだまだやることいっぱいあるなぁ…。

粉瘤が爆発

2017年01月11日 | §日常§
背中にあったモノ、炎症を起こし始めたけど年末で病院行けずで様子を見ていたら、三が日が明けた途端、堪忍袋の緒が切れるかのように爆発し、直ぐに皮膚科へいきました。

先生の開口一番

「これは、切った方が良かったやつだね〜。まぁ、もう破けたから切る必要なくなったけどね」

と。

私は
「ですよねぇ( ̄▽ ̄;)」

と思いましたが言えませんでした…。


爆発して1週間、だいぶ落ち着きました。
抗生剤をあと3日間服用して、傷が治ればそれで良いとのことでした。
あとは私がこの袋をどうしたいかどうかのようです。

ただの炎症で良かったです。

2016年を簡単に振り返り

2016年12月31日 | §日常§
こんばんは。

今日は大晦日です。

しかし、今年は大晦日という感じが全くしません(謎)


年が変わる前に簡単に振り返ってみたいと思います。


今年は、2月の一般公募型演奏会に参加したり、
知人の楽団にエキストラ及びスペシャルバンドメンバーとして出演させていただいたり、
夏にはもう恒例となった楽器仲間との合奏会に参加したりと、吹奏楽に濃く染まった
1年になりました。

肝臓も、昨年の秋から高くなっていた数値が、減量を始めたのが功を奏したのか、スッと
落ち着き、フェリチンの値もだいぶ許容範囲に近づいてきました。

今年の後半は、ネットを通して実に様々な方と知り合うことができ、年齢や在住地が違う方と話すことで、
考え方や捉え方を変えることができました。年齢によるものもあるとは思いますが。

だからと言って、キャラクターが変わったかというとそうでもないのですが…。


その後半、人生で初めて骨を折りました。
足の指の骨(中足骨)を5本とも折ったのは、自分でもビックリしました。
入院がまさか1ヶ月になったことも驚きでした…。


今年は、総じて良くも悪くも自分の中に変化のある1年でした。

来年も、肝臓が変わらず無事でいてくれるように精進したいと思います。
そして、いい加減、リア充になりたい…(´・ω・`)


今年も、沢山の方にこんな拙いブログを読んでいただき、ありがとうございました。
来年も引き続き、細々とではありますが、続けていきますので、読んでいただけると幸いです。

最後になりましたが、皆さん、よいお年をお迎えください。