ワーク衡業(わーくこうぎょう)のブログ

東京の下町江戸川区からトラックスケールトータルソリューションの株式会社ワーク衡業が発信する番外編ブログ

鹿骨・鹿島神社お祭り。

2010年09月28日 | 情報
 第78回

 記録的な猛暑もやっと収まり、関東はどうやら長雨のシーズンに入ったようです。各地から秋祭りの話題も聞こえてきます。
 ワーク衡業のある東京都江戸川区鹿骨町でも、先週お祭りがありました。今年は本祭りだそうで、街中を神輿が威勢良く回り、子供の引く山車がガヤガヤと進んでおりました。







 神輿、結構立派ですね。この辺も下町の端っこですから、こういったお祭りは賑わいます。ナンか凄い方もいらっしゃるようで。





 子供達が引く山車です。私もお菓子欲しさに山車引きをハシゴした覚えがあります。でもこの山車はトラックの上に乗ってました。ちょっと時代を感じます。



 さて、鹿骨町の鎮守様は鹿島神社です。名前からして当たり前のような気になっていましたが、これがさにあらず。思った以上に奥深い歴史がありました。
 鹿島神社の縁起によりますと、

 「神護景雲元年(西暦767年)奈良の春日神社創建に先立ち、鹿島神宮から分霊の御使いとして鹿が送られることになりました。その道中、この鹿骨の地で一匹の鹿が死んでしまって、それを村人が塚を作って祀りました。これが縁で鹿島神社が建てられた。」

 と云うことらしいのですが・・・。
 これには、どうやらもう一歩奥話があって、神社の南にある鹿見塚神社、これが鹿を祀った塚らしいのですが、確かにここから鹿の骨が出たらしい。鹿骨の名の由来もここからきているのだろうと推測も出来ます。ですがこの鹿の骨、埋葬されたのではなく占いに使用されて埋められたのではないか、という話があります。
 弥生時代に動物の骨を焼いて占いをしていたことは良く知られています。鹿見塚の鹿の骨もこれではないかということです。鹿骨町のすぐ北に上小岩遺跡という弥生時代の遺跡もあります。
 鹿骨の鹿島神社の創建は室町時代(500年位前)ということなので、鹿見塚が弥生時代(1800年位前)だとするとこの二者の関係が難しくなります。さて、鹿島神社が先か鹿見塚神社が先か・・・。



 んん、まさか地元にこんな歴史の謎があるとは。灯台下暗しでした。  <影>


 ワーク衡業のホームページはこちら http://www.work-scale.jp


 上の謎について大変いい答えを出していた方がいらっしゃいました。承諾の連絡先がわからないので、ホームページのタイトルのみ紹介させて頂きます。[ GOTO's ROOM ]さんのホームページです。

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