判例百選・重判ナビ

百選重判掲載判例へのリンク・答案例等

労働12事件 採用内定 大日本印刷事件その2

2012年02月25日 | 労働百選

         主    文
     本件上告を棄却する。
     上告費用は上告人の負担とする
         理    由
 上告代理人和田良一、同西迪雄、同渡辺修、同竹内桃太郎、同成富安信、同美勢
晃一の上告理由一について
 企業が大学の新規卒業者を採用するについて、早期に採用試験を実施して採用を
内定する、いわゆる採用内定の制度は、従来わが国において広く行われているとこ
ろであるが、その実態は多様であるため、採用内定の法的性質について一義的に論
断することは困難というべきである。したがつて、具体的事案につき、採用内定の
法的性質を判断するにあたつては、当該企業の当該年度における採用内定の事実関
係に即してこれを検討する必要がある。
 そこで、本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係は、おおむね次の
とおりである。すなわち、上告人は、綜合印刷を業とする株式会社であるが、昭和
四三年六月頃、D大学に対し、翌昭和四四年三月卒業予定者で上告人に入社を希望
する者の推せんを依頼し、募集要領、会社の概要、入社後の労働条件を紹介する文
書を送付して、右卒業予定者に対して求人の募集をした。被上告人は、昭和四〇年
四月D大学経済学部に入学し、昭和四四年三月卒業予定の学生であつたが、大学の
推せんを得て上告人の右求人募集に応じ、昭和四三年七月二日に筆記試験及び適格
検査を受け、同日身上調書を提出した。被上告人は、右試験に合格し、上告人の指
示により同月五日に面接試験及び身体検査を受け、その結果、同月一三日に上告人
から文書で採用内定の通知を受けた。右採用内定通知書には、誓約書(以下「本件
誓約書」という。)用紙が同封されていたので、被上告人は、右用紙に所要事項を
記入し、上告人が指定した同月一八日までに上告人に送付した。本件誓約書の内容
- 1 -
は、
 「この度御選考の結果、採用内定の御通知を受けましたことについては左記事項
を確認の上誓約いたします
             記
 一、本年三月学校卒業の上は間違いなく入社致し自己の都合による取消しはいた
しません
 二、左の場合は採用内定を取消されても何等異存ありません
 ① 履歴書身上書等提出書類の記載事項に事実と相違した点があつたとき
 ② 過去に於て共産主義運動及び之に類する運動をし、又は関係した事実が判明
したとき
 ③ 本年三月学校を卒業出来なかつたとき
 ④ 入社迄に健康状態が選考日より低下し勤務に堪えないと貴社において認めら
れたとき
 ⑤ その他の事由によつて入社後の勤務に不適当と認められたとき」
というものであつた。ところで、D大学では、就職について大学が推せんをすると
きは、二つの企業に制限し、かつ、そのうちいずれか一方に採用が内定したとき、
直ちに未内定の他方の企業に対する推せんを取消し、学生にも先に内定した企業に
就職するように指導を徹底するという、「二社制限、先決優先主義」をとつており、
上告人においても、昭和四四年度の募集に際し、少なくともD大学において右の先
決優先の指導が行われていたことは知つていた。被上告人は、上告人から前記採用
内定通知を受けた後、大学にその旨報告するとともに、大学からの推せんを受けて
求人募集に応募していた訴外E工業株式会社に対しても、大学を通じて応募を辞退
する旨通知し、大学も右推せんを取り消した。その後、上告人は、昭和四三年一一
月頃、被上告人に対し、会社の近況報告その他のパンフレツトを送付するとともに、
- 2 -
被上告人の近況報告書を提出するよう指示したので、被上告人は、近況報告書を作
成して上告人に送付した。ところが、上告人は、昭和四四年二月一二日、突如とし
て、被上告人に対し、採用内定を取り消す旨通知した。この取消通知書には取消の
理由は示されていなかつた。被上告人としては、前記のとおり上告人から採用内定
通知を受け、上告人に就職できるものと信じ、他企業への応募もしないまま過して
おり、採用内定取消通知も遅かつた関係から、他の相当な企業への就職も事実上不
可能となつたので、大いに驚き、大学を通じて上告人と交渉したが、何らの成果も
得られず、他に就職することもなく、同年三月D大学を卒業した。なお、上告人の
昭和四四年度大学卒新入社員については、同月初旬に入社式の通知がなされ、同時
に健康診断書の提出が求められた。右入社式は、同月三一日に大学新卒の採用者全
員を東京に集めて行われたが、式典は一時間余りで、社長の挨拶、先輩の祝辞、新
入社員の答辞、役員の紹介、社歌の合唱等がなされた。式典に集つた新入社員は、
その日、式典終了後、卒業証明書、最終学年成績証明書、家族調書及び試用者とし
ての誓約書を提出し、東京で約二週間の導入教育を受けたのち、上告人の各事業部
へ配置され、若干期間の研修の後それぞれの労務に従事し、上告人の定める二か月
の試用期間を過ぎた後の同年六月下旬に、更に本採用者としての誓約書を保証人と
連署して提出し、社員としての辞令書の交付を受けた。上告人における大学新規卒
業新入社員の本採用社員としての身分取得の方法は、昭和四四年度の前後を通じて、
大体右のようなものであつた。
 以上の事実関係のもとにおいて、本件採用内定通知のほかには労働契約締結のた
めの特段の意思表示をすることが予定されていなかつたことを考慮するとき、上告
人からの募集(申込みの誘引)に対し、被上告人が応募したのは、労働契約の申込
みであり、これに対する上告人からの採用内定通知は、右申込みに対する承諾であ
つて、被上告人の本件誓約書の提出とあいまつて、これにより、被上告人と上告人
- 3 -
との間に、被上告人の就労の始期を昭和四四年大学卒業直後とし、それまでの間、
本件誓約書記載の五項目の採用内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約が
成立したと解するのを相当とした原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法
はない。論旨は、採用することができない。
 同二について
 本件採用内定によつて、前記のように被上告人と上告人との間に解約権留保付労
働契約が成立したものと解するとき、上告人が昭和四四年二月一二日被上告人に対
してした前記採用内定取消の通知は、右解約権に基づく解約申入れとみるべきであ
るところ、右解約の事由が、社会通念上相当として是認することができるものであ
るかどうかが吟味されなければならない。
 思うに、わが国の雇用事情に照らすとき、大学新規卒業予定者で、いつたん特定
企業との間に採用内定の関係に入つた者は、このように解約権留保付であるとはい
え、卒業後の就労を期して、他企業への就職の機会と可能性を放棄するのが通例で
あるから、就労の有無という違いはあるが、採用内定者の地位は、一定の試用期間
を付して雇用関係に入つた者の試用期間中の地位と基本的には異なるところはない
とみるべきである。
 ところで、試用契約における解約権の留保は、大学卒業者の新規採用にあたり、
採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力その他いわゆる管理職要員
としての適格性の有無に関連する事項について必要な調査を行い、適切な判定資料
を十分に蒐集することができないため、後日における調査や観察に基づく最終的決
定を留保する趣旨でされるものと解され、今日における雇用の実情にかんがみると
きは、このような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯
定することができるが、他方、雇用契約の締結に際しては企業者が一般的には個々
の労働者に対して社会的に優越した地位にあることを考慮するとき、留保解約権の
- 4 -
行使は、右のような解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が
存在し社会通念上相当として是認することができる場合にのみ許されるものと解す
べきであることは、当裁判所の判例とするところである(当裁判所昭和四三年(オ)
第九三二号同四八年一二月一二日大法廷判決、民集二七巻一一号一五三六頁)。右
の理は、採用内定期間中の留保解約権の行使についても同様に妥当するものと考え
られ、したがつて、採用内定の取消事由は、採用内定当時知ることができず、また
知ることが期待できないような事実であつて、これを理由として採用内定を取消す
ことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ社会通念上相
当として是認することができるものに限られると解するのが相当である。これを本
件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、本件採用内定取消事
由の中心をなすものは「被上告人はグルーミーな印象なので当初から不適格と思わ
れたが、それを打ち消す材料が出るかも知れないので採用内定としておいたところ、
そのような材料が出なかつた。」というのであるが、グルーミーな印象であること
は当初からわかつていたことであるから、上告人としてはその段階で調査を尽くせ
ば、従業員としての適格性の有無を判断することができたのに、不適格と思いなが
ら採用を内定し、その後右不適格性を打ち消す材料が出なかつたので内定を取り消
すということは、解約権留保の趣旨、目的に照らして社会通念上相当として是認す
ることができず、解約権の濫用というべきであり、右のような事由をもつて、本件
誓約書の確認事項二、⑤所定の解約事由にあたるとすることはできないものという
べきである。これと同旨の原審の判断は正当であつて、原判決に所論の違法はない。
論旨は、採用することができない。
 同三について
 所論の点に関する原審の判断は、原審が適法に確定した事実関係のもとにおいて
は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用す
- 5 -
ることができない。
 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主
文のとおり判決する。
     最高裁判所第二小法廷
         裁判長裁判官    木   下   忠   良
            裁判官    大   塚   喜 一 郎
            裁判官    栗   本   一   夫
            裁判官    塚   本   重   頼
            裁判官    鹽   野   宜   慶
- 6 -


労働12事件 採用内定 大日本印刷事件

2012年02月25日 | 労働百選

労働12事件 採用内定 大日本印刷事件

大日本印刷株式会社 Dai Nippon Printing Co., Ltd

Toppanngotanda.JPG

http://www.dnp.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8D%B0%E5%88%B7

大日本印刷株式会社(だいにっぽんいんさつ、英語: Dai Nippon Printing Co., Ltd. 、通称DNP)は、世界最大規模の総合印刷会社[1]。東京証券取引所一部上場。
種類 株式会社
市場情報 東証1部 7912
本社所在地  日本
東京都新宿区市谷加賀町1-1-1
設立 1894年(明治27年)1月19日
業種 その他製品
事業内容 出版印刷、商業印刷、IC、データベース、パッケージ、建材、エレクトロニクス、コンサルティング ほか
代表者 北島義俊(代表取締役社長)
資本金 1,144億64百万円
売上高 連結:1兆5,893億円(2011年3月期)
総資産 連結:1兆6,497億円(2011年3月期)
従業員数 連結:40,188人(2011年3月期)
決算期 3月31日
主要子会社 北海道コカ・コーラボトリング
丸善CHIホールディングス
文教堂グループホールディングス
インテリジェント ウェイブ

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=52138&hanreiKbn=02
事件番号 昭和52(オ)94
事件名 雇用関係確認、貸金支払
裁判年月日 昭和54年07月20日
法廷名 最高裁判所第二小法廷
裁判種別 判決 結果 棄却
判例集等巻・号・頁 民集 第33巻5号582頁
原審裁判所名 大阪高等裁判所
原審事件番号 昭和47(ネ)458
原審裁判年月日 昭和51年10月04日
判示事項 

一 大学卒業予定者の採用内定により、就労の始期を大学卒業直後とする解約権留保付労働契約が成立したものと認められた事例

二 留保解約権に基づく大学卒業予定者採用内定の取消事由

三 留保解約権に基づく大学卒業予定者採用内定の取消が解約権の濫用にあたるとして無効とされた事例
裁判要旨 一 大学卒業予定者が、企業の求人募集に応募し、その入社試験に合格して採用内定の通知を受け、企業からの求めに応じて、大学卒業のうえは間違いなく入社する旨及び一定の取消事由があるときは採用内定を取り消されても異存がない旨を記載した誓約書を提出し、その後、企業から会社の近況報告その他のパンフレツトの送付を受けたり、企業からの指示により近況報告書を送付したなどのことがあり、他方、企業において、採用内定通知のほかには労働契約締結のための特段の意思表示をすることを予定していなかつたなど、判示の事実関係のもとにおいては、企業の求人募集に対する大学卒業予定者の応募は労働契約の申込であり、これに対する企業の採用内定通知は右申込に対する承諾であつて、誓約書の提出とあいまつて、これにより、大学卒業予定者と企業との間に、就労の始期を大学卒業の直後とし、それまでの間誓約書記載の採用内定取消事由に基づく解約権を留保した労働契約が成立したものと認めるのが相当である。

二 企業の留保解約権に基づく大学卒業予定者の採用内定の取消事由は、採用内定当時知ることができず、また、知ることが期待できないような事実であつて、これを理由として採用内定を取り消すことが解約権留保の趣旨、目的に照らして客観的に合理的と認められ、社会通念上相当として是認することができるものに限られる。

三 企業が、大学卒業予定者の採用にあたり、当初からその者がグルーミーな印象であるため従業員として不適格であると思いながら、これを打ち消す材料が出るかも知れないとしてその採用を内定し、その後になつて、右不適格性を打ち消す材料が出なかつたとして留保解約権に基づき採用内定を取り消すことは、解約権留保の趣旨、目的に照らして社会通念上相当として是認することができず、解約権の濫用にあたるものとして無効である。
参照法条 労働基準法第2章労働契約
全文  http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120517339508.pdf


 


労働11・13事件 採用の自由・試用期間 三菱樹脂事件その2

2012年02月25日 | 労働百選

         主    文
     原判決を破棄する。
     本件を東京高等裁判所に差し戻す。
         理    由
 上告代理人鎌田英次、中島一郎の上告理由について。
第一、本件の問題点
 一、本件は、被上告人が、東北大学在学中昭和三七年上告人の実施した大学卒業
者の社員採用試験に合格し、翌年同大学卒業と同時に上告人に三か月の試用期間を
設けて採用されたが、右試用期間の満了直前に、上告人から右期間の満了とともに
本採用を拒否する旨の告知を受け、その効力を争つている事案である。被上告人に
対する右本採用拒否の理由として上告人の主張するところによれば、被上告人は、
上告人が採用試験の際に提出を求めた身上書の所定の記載欄に虚偽の記載をし、ま
たは記載すべき事項を秘匿し、面接試験における質問に対しても虚偽の回答をした
が、被上告人のこのような行為は、民法九六条にいう詐欺に該当し、また、被上告
人の管理職要員としての適格性を否定するものであるから、本採用を拒否するとい
うのであり、さらに、被上告人が秘匿ないし虚偽の申告(以下、秘匿等という。)
をしたとされる事実の具体的内容は、(1)被上告人は、東北大学に在学中、同大学
内の学生自治会としては最も尖鋭な活動を行ない、しかも学校当局の承認を得てい
ない同大学川内分校学生自治会(全学連所属)に所属して、その中央委員の地位に
あり、昭和三五年前・後期および同三六年前期において右自治会委員長らが採用し
た運動方針を支持し、当時その計画し、実行した日米安全保障条約改定反対運動を
推進し、昭和三五年五月から同三七年九月までの間、無届デモや仙台高等裁判所構
内における無届集会、ピケ等に参加(参加者の中には住居侵入罪により有罪判決を
受けた者もある。)する等各種の違法な学生運動に従事したにもかかわらず、これ
らの事実を記載せず、面接試験における質問に対しても、学生運動をしたことはな
く、これに興味もなかつた旨、虚偽の回答をした、(2)被上告人は、上記大学生活
部員として同部から手当を受けていた事実がないのに月四、〇〇〇円を得ていた旨
虚偽の記載をし、また、純然たる学外団体である生活協同組合において昭和三四年
七月理事に選任されて、同三八年六月まで在任し、かつ、その組織部長の要職にあ
つたにもかかわらず、これを記載しなかつた、というのである。
 二、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)は、上告人と被上告
人との間に締結された試用期間を三か月とする雇傭契約の性質につき、上告人にお
いて試用期間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは、それ
だけの理由で雇傭を解約しうるという解約権留保の特約のある雇傭契約と認定し、
右留保解約権の行使は、雇入れ後における解雇にあたると解したうえ、上告人が被
上告人の解雇理由として主張する上記秘匿等にかかる事実は、いずれも被上告人の
政治的思想、信条に関係のある事実であることは明らかであるとし、企業者が労働
者を雇傭する場合のように一方が他方より優越する地位にある場合には、その一方
が他方の有する憲法一九条の保障する思想、信条の自由をその意に反してみだりに
侵すことは許されず、また、通常の会社においては、労働者の思想、信条のいかん
によつて事業の遂行に支障をきたすとは考えられないから、これによつて雇傭関係
上差別をすることは憲法一四条、労働基準法三条に違反するものであり、したがつ
て、労働者の採用試験に際してその政治的思想、信条に関係のある事項について申
告を求めることは、公序良俗に反して許されず、応募者がこれにつき秘匿等をした
としても、これによる不利益をその者に課することはできないものと解すべきであ
るとし、それゆえ、被上告人に上告人主張のような秘匿等の行為があつたとして
も、民法九六条の詐欺にも該当せず、また、上告人において、あらかじめ応募者に
対し、申告を求める事項につき虚偽の申告をした場合には採用を取り消す旨告知し
ていたとしても、これを理由に雇傭契約を解約することもできないとして、本件本
採用の拒否を無効としたものである。
 三、上告論旨は、要するに、憲法一九条、一四条の規定は、国家対個人の関係に
おいて個人の自由または平等を保障したものであつて、私人間の関係を直接規律す
るものではなく、また、これらの規定の内容は、当然にそのまま民法九〇条にいう
公序良俗の内容をなすものでもないのに、これと反対の見解をとり、かつ、上告人
が被上告人に申告を求めた事項は、被上告人の過去の具体的行動に関するものであ
つて、なんらその思想、信条に関するものでないのに、そうであると速断し、右の
ような申告を求め、これに対する秘匿等を理由として雇傭関係上の不利益を課する
ことは、上記憲法等の各規定に違反して違法、無効であるとした原判決には、これ
らの法令の解釈、適用の誤りまたは理由不備もしくは理由齟齬の違法があり、ま
た、上告人との間にいまだ正式の雇傭契約の締結がなく、単に試用されているにす
ぎない被上告人の地位を雇傭関係に立つものと解し、これに対する本採用の拒否を
解雇と同視して、労働基準法三条に違反するとした原判決には、法律の解釈、適用
の誤りまたは理由齟齬の違法がある、というのである。
第二、当裁判所の見解
 一、まず、本件本採用拒否の理由とされた被上告人の秘匿等に関する上記第一の
一の(1)の事実につき、これが被上告人の思想、信条に関係のある事実といいうる
かどうかを考えるに、労働者を雇い入れようとする企業者が、労働者に対し、その
者の在学中における右のような団体加入や学生運動参加の事実の有無について申告
を求めることは、上告人も主張するように、その者の従業員としての適格性の判断
資料となるべき過去の行動に関する事実を知るためのものであつて、直接その思
想、信条そのものの開示を求めるものではないが、さればといつて、その事実がそ
の者の思想、信条と全く関係のないものであるとすることは相当でない。元来、人
の思想、信条とその者の外部的行動との間には密接な関係があり、ことに本件にお
いて問題とされている学生運動への参加のごとき行動は、必ずしも常に特定の思
想、信条に結びつくものとはいえないとしても、多くの場合、なんらかの思想、信
条とのつながりをもつていることを否定することができないのである。企業者が労
働者について過去における学生運動参加の有無を調査するのは、その者の過去の行
動から推して雇入れ後における行動、態度を予測し、その者を採用することが企業
の運営上適当かどうかを判断する資料とするためであるが、このような予測自体
が、当該労働者の過去の行動から推測されるその者の気質、性格、道徳観念等のほ
か、社会的、政治的思想傾向に基づいてされる場合もあるといわざるをえない。本
件において上告人が被上告人の団体加入や学生運動参加の事実の有無についてした
上記調査も、そのような意味では、必ずしも上告人の主張するように被上告人の政
治的思想、信条に全く関係のないものということはできない。しかし、そうである
としても、上告人が被上告人ら入社希望者に対して、これらの事実につき申告を求
めることが許されないかどうかは、おのずから別個に論定されるべき問題である。
 二、原判決は、前記のように、上告人が、その社員採用試験にあたり、入社希望
者からその政治的思想、信条に関係のある事項について申告を求めるのは、憲法一
九条の保障する思想、信条の自由を侵し、また、信条による差別待遇を禁止する憲
法一四条、労働基準法三条の規定にも違反し、公序良俗に反するものとして許され
ないとしている。
 (一) しかしながら、憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権
の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と
平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規
律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。
このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲
法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。のみならず、こ
れらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係に
おいてこそ、浸されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれ
ども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合
に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整
は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方
に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、
法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、こ
の点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点か
らの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互
間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえ
た解釈ということはできないのである。
 (二) もつとも、私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一
方が他方に優越し、事実上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があり、こ
のような場合に私的自治の名の下に優位者の支配力を無制限に認めるときは、劣位
者の自由や平等を著しく侵害または制限することとなるおそれがあることは否み難
いが、そのためにこのような場合に限り憲法の基本権保障規定の適用ないしは類推
適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することはできない。何となれ
ば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、規模等に
おいてさまざまであり、どのような場合にこれを国または公共団体の支配と同視す
べきかの判定が困難であるばかりでなく、一方が権力の法的独占の上に立つて行な
われるものであるのに対し、他方はこのような裏付けないしは基礎を欠く単なる社
会的事実としての力の優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上の区別が存す
るからである。すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に
対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しう
る限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能
であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一
条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の
原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由
や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。そして
この場合、個人の基本的な自由や平等を極めて重要な法益として尊重すべきことは
当然であるが、これを絶対視することも許されず、統治行動の場合と同一の基準や
観念によつてこれを律することができないことは、論をまたないところである。
 (三) ところで、憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時
に、他方、二二条、二九条等において、財産権の行使、営業その他広く経済活動の
自由をも基本的人権として保障している。それゆえ、企業者は、かような経済活動
の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するに
あたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、法律
その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができ
るのであつて、企業者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもつて雇い入れ
ることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできないのである。憲法一四条
の規定が私人のこのような行為を直接禁止するものでないことは前記のとおりであ
り、また、労働基準法三条は労働者の信条によつて賃金その他の労働条件につき差
別することを禁じているが、これは、雇入れ後における労働条件についての制限で
あつて、雇入れそのものを制約する規定ではない。また、思想、信条を理由とする
雇入れの拒否を直ちに民法上の不法行為とすることができないことは明らかであ
り、その他これを公序良俗違反と解すべき根拠も見出すことはできない。
   右のように、企業者が雇傭の自由を有し、思想、信条を理由として雇入れを
拒んでもこれを目して違法とすることができない以上、企業者が、労働者の採否決
定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事
項についての申告を求めることも、これを法律上禁止された違法行為とすべき理由
はない。もとより、企業者は、一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した
地位にあるから、企業者のこの種の行為が労働者の思想、信条の自由に対して影響
を与える可能性がないとはいえないが、法律に別段の定めがない限り、右は企業者
の法的に許された行為と解すべきである。また、企業者において、その雇傭する労
働者が当該企業の中でその円滑な運営の妨げとなるような行動、態度に出るおそれ
のある者でないかどうかに大きな関心を抱き、そのために採否決定に先立つてその
者の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的
労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請する
ところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている
社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠く
ものということはできない。のみならず、本件において問題とされている上告人の
調査が、前記のように、被上告人の思想、信条そのものについてではなく、直接に
は被上告人の過去の行動についてされたものであり、ただその行動が被上告人の思
想、信条となんらかの関係があることを否定できないような性質のものであるとい
うにとどまるとすれば、なおさらこのような調査を目して違法とすることはできな
いのである。
   右の次第で、原判決が、上告人において、被上告人の採用のための調査にあ
たり、その思想、信条に関係のある事項について被上告人から申告を求めたことは
法律上許されない違法な行為であるとしたのは、法令の解釈、適用を誤つたものと
いわなければならない。
 三、(一) 右に述べたように、企業者は、労働者の雇入れそのものについては、
広い範囲の自由を有するけれども、いつたん労働者を雇い入れ、その者に雇傭関係
上の一定の地位を与えた後においては、その地位を一方的に奪うことにつき、肩入
れの場合のような広い範囲の自由を有するものではない。労働基準法三条は、前記
のように、労働者の労働条件について信条による差別取扱を禁じているが、特定の
信条を有することを解雇の理由として定めることも、右にいう労働条件に関する差
別取扱として、右規定に違反するものと解される。
   このことは、法が、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の
段階との間に区別を設け、前者については企業者の自由を広く認める反面、後者に
ついては、当該労働者の既得の地位と利益を重視して、その保護のために、一定の
限度で企業者の解雇の自由に制約を課すべきであるとする態度をとつていることを
示すものといえる。
 (二) 本件においては、上告人と被上告人との間に三か月の試用期間を付した雇
傭契約が締結され、右の期間の満了直前に上告人が被上告人に対して本採用の拒否
を告知したものである。原判決は、冒頭記述のとおり、右の雇傭契約を解約権留保
付の雇傭契約と認め、右の本採用拒否は雇入れ後における解雇にあたるとし、これ
に対して、上告人は、上告人の見習試用取扱規則の上からも試用契約と本採用の際
の雇傭契約とは明らかにそれぞれ別個のものとされているから、原判決の上記認
定、解釈には、右規則をほしいままにまげて解釈した違法があり、また、規則内容
との関連においてその判断に理由齟齬の違法があると主張する。
   思うに、試用契約の性質をどう判断するかについては、就業規則の規定の文
言のみならず、当該企業内において試用契約の下に雇傭された者に対する処遇の実
情、とくに本採用との関係における取扱についての事実上の慣行のいかんをも重視
すべきものであるところ、原判決は、上告人の就業規則である見習試用取扱規則の
各規定のほか、上告人において、大学卒業の新規採用者を試用期間終了後に本採用
しなかつた事例はかつてなく、雇入れについて別段契約書の作成をすることもな
く、ただ、本採用にあたり当人の氏名、職名、配属部署を記載した辞令を交付する
にとどめていたこと等の過去における慣行的実態に関して適法に確定した事実に基
づいて、本件試用契約につき上記のような判断をしたものであつて、右の判断は是
認しえないものではない。それゆえ、この点に関する上告人の主張は、採用するこ
とができないところである。したがつて、被上告人に対する本件本採用の拒否は、
留保解約権の行使、すなわち雇入れ後における解雇にあたり、これを通常の雇入れ
の拒否の場合と同視することはできない。
 (三) ところで、本件雇傭契約においては、右のように、上告人において試用期
間中に被上告人が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特
約上の解約権が留保されているのであるが、このような解約権の留保は、大学卒業
者の新規採用にあたり、採否決定の当初においては、その者の資質、性格、能力そ
の他上告人のいわゆる管理職要員としての適格性の有無に関連する事項について必
要な調査を行ない、適切な判定資料を十分に蒐集することができないため、後日に
おける調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨でされるものと解されるので
あつて、今日における雇傭の実情にかんがみるときは、一定の合理的期間の限定の
下にこのような留保約款を設けることも、合理性をもつものとしてその効力を肯定
することができるというべきである。それゆえ、右の留保解約権に基づく解雇は、
これを通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、前者については、後者の場合
よりも広い範囲における解雇の自由が認められてしかるべきものといわなければな
らない。
   しかしながら、前記のように法が企業者の雇傭の自由について雇入れの段階
と雇入れ後の段階とで区別を設けている趣旨にかんがみ、また、雇傭契約の締結に
際しては企業者が一般的には個々の労働者に対して社会的に優越した地位にあるこ
とを考え、かつまた、本採用後の雇傭関係におけるよりも弱い地位であるにせよ、
いつたん特定企業との間に一定の試用期間を付した雇傭関係に入つた者は、本採
用、すなわち当該企業との雇傭関係の継続についての期待の下に、他企業への就職
の機会と可能性を放棄したものであることに思いを致すときは、前記留保解約権の
行使は、上述した解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存
し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解するのが相当で
ある。換言すれば、企業者が、採用決定後における調査の結果により、または試用
中の勤務状態等により、当初知ることができず、また知ることが期待できないよう
な事実を知るに至つた場合において、そのような事実に照らしその者を引き続き当
該企業に雇傭しておくのが適当でないと判断することが、上記解約権留保の趣旨、
目的に徴して、客観的に相当であると認められる場合には、さきに留保した解約権
を行使することができるが、その程度に至らない場合には、これを行使することは
できないと解すべきである。
 (四) 本件において、上告人が被上告人の本採用を拒否した理由として主張する
ところは、冒頭記述のとおり、被上告人が入社試験に際して一定の事実につき秘匿
等をしたこと、なかんずく、被上告人が東北大学在学中に違法、過激な学生運動に
関与した事実があるのにこれを秘匿したということであり、上告人は、このような
被上告人の秘匿等の行為に照らすときは、信頼関係をとくに重視すべき上告人の管
理職要員である社員としての適格性を欠くものとするに十分であると主張するので
ある。
   思うに、企業者が、労働者の採用にあたつて適当な者を選択するのに必要な
資料の蒐集の一方法として、労働者から必要事項について申告を求めることができ
ることは、さきに述べたとおりであり、そうである以上、相手方に対して事実の開
示を期待し、秘匿等の所為のあつた者について、信頼に値しない者であるとの人物
評価を加えることは当然であるが、右の秘匿等の所為がかような人物評価に及ぼす
影響の程度は、秘匿等にかかる事実の内容、秘匿等の程度およびその動機、理由の
いかんによつて区々であり、それがその者の管理職要員としての適格性を否定する
客観的に合理的な理由となるかどうかも、いちがいにこれを論ずることはできな
い。また、秘匿等にかかる事実のいかんによつては、秘匿等の有無にかかわらずそ
れ自体で右の適格性を否定するに足りる場合もありうるのである。してみると、本
件において被上告人の解雇理由として主要な問題とされている被上告人の団体加入
や学生運動参加の事実の秘匿等についても、それが上告人において上記留保解約権
に基づき被上告人を解雇しうる客観的に合理的な理由となるかどうかを判断するた
めには、まず被上告人に秘匿等の事実があつたかどうか、秘匿等にかかる団体加入
や学生運動参加の内容、態様および程度、とくに違法にわたる行為があつたかどう
か、ならびに秘匿等の動機、理由等に関する事実関係を明らかにし、これらの事実
関係に照らして、被上告人の秘匿等の行為および秘匿等にかかる事実が同人の入社
後における行動、態度の予測やその人物評価等に及ぼす影響を検討し、それが企業
者の採否決定につき有する意義と重要性を勘案し、これらを総合して上記の合理的
理由の有無を判断しなければならないのである。
第三、結   論
  以上説示のとおり、所論本件本採用拒否の効力に関する原審の判断には、法令
の解釈、適用を誤り、その結果審理を尽さなかつた違法があり、その違法が判決の
結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は、この点において理由があ
り、原判決は、その余の上告理由について判断するまでもなく、破棄を免れない。
そして、本件は、さらに審理する必要があるので、原審に差し戻すのが相当であ
る。
  よつて、民訴法四〇七条にしたがい、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決
する。
     最高裁判所大法廷
         裁判長裁判官    村   上   朝   一
            裁判官    大   隅   健 一 郎
            裁判官    関   根   小   郷
            裁判官    藤   林   益   三
            裁判官    岡   原   昌   男
            裁判官    小   川   信   雄
            裁判官    下   田   武   三
            裁判官    岸       盛   一
            裁判官    天   野   武   一
            裁判官    坂   本   吉   勝
            裁判官    岸   上   康   夫
            裁判官    江 里 口   清   雄
            裁判官    大      喜 一 郎
            裁判官       辻   正   己
            裁判官    吉   田       豊


労働11・13事件 採用の自由・試用期間 三菱樹脂事件その1

2012年02月25日 | 労働百選

労働11・13事件 採用の自由・試用期間 三菱樹脂事件

三菱樹脂株式会社 Mitsubishi Plastics, Inc.

三菱樹脂ビル
種類 株式会社
市場情報 東証1部 4213 1961年6月〜2007年7月29日
大証1部 4213 1961年8月〜2007年7月29日
 
本社所在地  日本
〒103-0021
東京都中央区日本橋本石町一丁目2番2号(三菱樹脂ビル)
設立 1943年(昭和18年)1月15日(亀戸ゴム工業株式会社)
業種 化学
事業内容 合成樹脂製品の製造及び販売
代表者 吉田 宏(取締役社長)
資本金 215億03百万円(2007年9月28日現在)
売上高 連結:3,462億円
単独:2,411億円(2009年3月期)
総資産 連結:2,892億円 単独:2,372億円(2009年3月31日現在)
従業員数 連結:6,713名 単独:3,072名(2009年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 (株)三菱ケミカルホールディングス 100%
http://www.mpi.co.jp/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E6%A8%B9%E8%84%82

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=51931&hanreiKbn=02
事件番号 昭和43(オ)932
事件名 労働契約関係存在確認請求
裁判年月日 昭和48年12月12日
法廷名 最高裁判所大法廷
裁判種別 判決
結果 破棄差戻し
判例集等巻・号・頁 民集 第27巻11号1536頁
原審裁判所名 東京高等裁判所
原審事件番号 昭和42(ネ)1590
原審裁判年月日 昭和43年06月12日
判示事項 
一、憲法一四条、一九条と私人相互間の関係

二、特定の思想、信条を有することを理由とする雇入れの拒否は許されるか

三、雇入れと労働基準法三条

四、企業者が労働者の雇入れにあたりその思想、信条を調査することの可否

五、試用期間中に企業者が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特約に基づく留保解約権の行使が許される場合
裁判要旨 一、憲法一四条や一九条の規定は、直接私人相互間の関係に適用されるものではない。

二、企業者が特定の思想、信条を有する労働者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない。

三、労働基準法三条は、労働者の雇入れそのものを制約する規定ではない。

四、労働者を雇い入れようとする企業者が、その採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者からこれに関連する事項についての申告を求めることは、違法とはいえない。

五、企業者が、大学卒業者を管理職要員として新規採用するにあたり、採否決定の当初においてはその者の管理職要員としての適格性の判定資料を十分に蒐集することができないところから、後日における調査や観察に基づく最終的決定を留保する趣旨で試用期間を設け、企業者において右期間中に当該労働者が管理職要員として不適格であると認めたときは解約できる旨の特約上の解約権を留保したときは、その行使は、右解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものと解すべきである。

参照法条 憲法14条,憲法19条,民法1条,民法90条,労働基準法3条,労働基準法第2章
全文 http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120410223227.pdf


労働10事件 契約締結上の過失 ―日新火災海上保険事件その2

2012年02月24日 | 労働百選

主   文
一 原判決を次のように変更する。
1 被控訴人は、控訴人に対し、金一〇九万六九二四円及び内金九万六四九五円に対する平成六年六月二九日から支払済みまで年六分の、内金四二九円に対する平成一〇年七月二八日から支払済みまで年六分の、内金一〇〇万円に対する右同日から支払済みまで年五分の各割合による金員を支払え。
2 控訴人のその余の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを八分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。
三 この判決の主文一1項は仮に執行することができる。
       事実及び理由
第一 控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、金九一七万〇八七六円及び内金一八八万七七八九円に対する平成六年六月二九日から、内金七二八万三〇八七円に対する平成一〇年七月二八日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
 本件事案の概要は、次のように補正するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」の記載と同一であるからこれを引用する。
1 原判決三頁二行目から末行までを次のように改める。
「 本件は、控訴人が被控訴人に対し、①被控訴人と控訴人との間に、控訴人と大学卒業年次が同じで卒業と同時に被控訴人に入社した者(以下「新卒同年次定期採用者」という。)の中間点の格付(以下「平均的格付」という。)による給与を支給することを内容とする雇用契約が成立したのに、被控訴人が控訴人に対し平均的格付を下回る格付による給与を支給したとして、平均的格付による給与と実際に支給を受けた給与との差額の未払賃金(うち時間外手当については付加金を含む。)の支払、②控訴人と被控訴人との間に合意が成立したと主張する住宅手当の額と実際に支給を受けた住宅手当との差額の支払、③時間外手当の支給においてその額の算定に誤りがあるとしてこれによるその支給額の不足分及びこれについての付加金の支払、④被控訴人が控訴人に対し、新卒同年次定期採用者より低い格付をしたほか、昇給や配置転換等における不当な取扱いをしたとして、不法行為に基づく慰謝料の支払をそれぞれ求める事案である。」
2 原判決四頁四行目の「工学部」を「理工学部」に改める。
3 原判決五頁三行目の「Ⅰ類からⅣ類」から五行目末尾までを「Ⅰ類からⅣ類までに区分され(Ⅰ類は一般職員、Ⅱ類は主任、Ⅲ類は課長、支社長、主査等、Ⅳ類は部室店長、調査役、次長等に対応するものとされる。)、各類はEからAまでの号(ただし、EはⅠ類、Ⅱ類のみ。A1、A2、B1、B2のように区分される類もある。)に区分される。Ⅱ類はEからAまでに区分される(Eが下位、Aが上位である。)。事務給職員の給与は、この類及び号と年令(期首(四月一日)の年令に従って加算がある。)とによって
その額が定まる。」に改める。
4 原判決七頁一行目の「も同様の」を「新卒同年次定期採用者と同待遇で処遇する、その平均的給与からスタートするとの」に、三行目の「、被告は原告に」から五行目末尾までを「本件雇用契約が成立したところ、右によれば、その契約は、被控訴人が控訴人に対しその新卒同年次定期採用者の平均的格付により定まる給与を支給することを内容とするものである。」にそれぞれ改め、五行目の次に行を改めて次のように加える。
「 なお、a課長ら被控訴人担当者が、真意は控訴人に対し右平均的格付による給与を支給する意思がなかったとしても、控訴人に対しその趣旨の採用条件を被控訴人から与えられた権限に基づき提示したものであるから、民法九三条本文により、その意思表示は有効である。」
5 原判決七頁八行目の「(なお」から一〇行目の「格付である。)」までを削る。
6 原判決一四頁六行目の次に行を改めて次のように加える。
「3 時間外手当及び付加金
(一) 控訴人の主張
 仮に前記1に関する控訴人の主張が採用されない場合においても、控訴人に支給された時間外手当には、以下のとおり支給額の不足分がある。
(1) 被控訴人においては、午後四時四五分(ただし平成八年四月以降は午後五時)から午後六時までの勤務を労働基準法三七条の適用のない時間外勤務(以下「法内超勤」という。)、午後六時以降の勤務を同条の適用のある時間外勤務(以下「法適用超勤」という。)とし、これらの勤務に対し、前者については基準給与日額の時間当たり単価(以下「時間単価」という。)により、後者については時間単価に二五パーセントを割増した単価により算出した時間外手当を支給しているところ、控訴人がしたこれらの時間外勤務の時間は、別紙「時間外賃金差額一覧表」記載のとおりである。なお、同表記載の法内超勤時間(一六時四五分から一八時までの欄に記載の時間)のうち平成六年(一九九四年)三月までについては、その記載の時間数に一・五分の一・二五を乗じた時間数が実働時間数である(例えば、一・五とあるのは一・二五と、四・五とあるのは三・七五と読み替える。)。
(2) 時間外手当の計算の基礎とすべき賃金額は、①本給、②類別加算給、③役職手当、④住宅手当、⑤付加給、⑥定額付加給、⑦社会保険料補助を加算したものとすべきである。
(3) しかるに、被控訴人は、平成四年六月分までは、右⑤、⑥、⑦を、同年七月分以降も⑤を、それぞれその計算基礎から除外している。
(4) 右①から⑦までの賃金費目を加算した月額給与を月の所定労働時間(一四〇時間)で除した控訴人の給与の時間単価及びその基礎となる①から⑦までの賃金費目の月額は、各期間毎に次のとおりである。
 平成四年一月から同年六月まで 二八六八円 (①二三万二七〇〇円、②七二〇〇円、③四二〇〇円、④二万六〇〇〇円、⑤六万一〇二五円、⑥五万二九〇〇円、⑦一万七五四〇円)
 平成四年七月から平成五年六月まで 三〇三二円
 (①二四万四二〇〇円、②七二〇〇円、③四二〇〇円、④二万八〇〇〇円、⑤六万三九〇〇円、⑥五万九五〇〇円、⑦一万七五四〇円)
 平成五年七月から平成六年三月まで 三二五二円
 (①二六万五四〇〇円、②七二〇〇円、③四二〇〇円、④二万八〇〇〇円、⑤六万九二〇〇円、⑥六万三七〇〇円、⑦一万七五四〇円)
 平成九年五月から同年七月まで 三三九四円
 (①三〇万七四〇〇円、②八三〇〇円、③四七〇〇円、④四万九五〇〇円、⑤一万六〇二〇円、⑥六万五七〇〇円、⑦二万三五〇〇円)
(5) 右により被控訴人が支給すべき時間外手当の要支給額、控訴人が現実に受給した実支給額及びその差額(未払額)は、それぞれ別紙時間外賃金差額一覧表記載のとおりであり、その未払額合計は一四万〇一八八円となる。
(6) よって、右未払額及び労働基準法一一四条に基づきこれと同額の付加金の支払を求める。
(7) 被控訴人は、法内超勤についての基礎賃金の額は、別に定めさえすればどのような額でも構わない旨主張するが、労働条件を改善して八時間を下回る所定労働時間を定めたのに、所定労働時間を超える八時間までの労働に対しては所定労働時間の対価より低額な賃金で労働させることになって、その不当であることが明らかである。
 次に、付加給は、労使協議により毎年その額に変動があるにしても、社員給与細則によってあらかじめ
毎月支払われるものとしてその額が確定されているのであるから、臨時に支払われた賃金又は一か月を超える期間ごとに支払われる賃金に当たるものということはできず、これを時間外手当の算定基礎賃金に加えないことは、労働基準法三七条、同法施行規則二一条に違反するものである。
(二) 被控訴人の主張
(1) (一)(1)、(3)、(4)の各事実及び同(5)のうち控訴人に対する実支給額については、認める。
(2) (一)(2)の主張は争う。
 被控訴人は、時間外手当の算定基礎となる賃金費目を労働組合との協議・協約に基づく社員給与細則により定めているところ、法内超勤については、労働基準法上の割増賃金に関する規定の適用はないのであるから、その算定基準額が著しく低額であるなど特段の事情がない限り、右社員給与規則に基づきその算定基礎から⑤、⑥、⑦の賃金費目を除外しても、何ら違法の問題を生じない。
 次に、法適用超勤について、まず、付加給は、本来六月及び一二月に会社の業績その他を勘案して臨時に支給すべき臨時給与と同じ性質のものを、運用上分割して支払っているのに過ぎず、実際にも毎年臨時給与、賞与と同様に団体交渉によりその算定方法、支給時期、支給額等を確定しているものであるから、その実体は一か月を超える期間ごとに支払われる賃金にほかならない。また、社会保険料補助は、家族手当と同様に個人的事情に基づくものであるから、時間外手当の算定基礎から除外しても、労働基準法に違反しない。
 したがって、時間外手当についての未払分はない。」
7 原判決一四頁七行目の「3」を「4」に改める。
8 原判決の別紙のうち「未払賃金明細表」中期間欄最上段の「93.1~3」を「92.1~3」に改める。
第三 当裁判所の判断
一 本件雇用契約の内容及び未払賃金の請求について
1 前記当事者間に争いのない事実等及び証拠(甲一、二、四ないし八、一七、二三、三〇、三一、三九、乙一、二、七ないし九、一二、二〇、二六ないし三一、四四(枝番のあるものはその全てを含む。)、証人b、同a、同c、控訴人本人)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 控訴人は、昭和五六年に、早稲田大学理工学部を卒業して日産自動車株式会社に入社し、自動車エンジンの設計、品質管理、市場クレーム対策等の業務を担当してきたところ、平成三年ころから、仕事の幅を広げてゼネラリストを目指すべく、就職情報誌等により転職に関する情報を収集するなどして、希望にかなう転職の機会を窺っていた。
(二) 被控訴人は、従業員の人材の量的確保及び質的拡充が不可欠である一方採用環境が年々厳しくなっていること、今後の業務の拡大の中で他業種経験者からの人材確保が有用であることなどの認識に基づき、それまで臨時的に行ってきた中途入社者の採用を計画的に実施し拡充するとの方針を立て、平成三年四月、これを労働組合(全損保日新支部)に提案し、その運用基準等について協議した。その結果、同年七月八日、運用基準について合意に達してその実施につき組合の了解を得ることができたので、運用基準に基づき計画的な中途入社者の採用(以下「計画的中途採用」という。)を実施することを決定した。
(三) 運用基準(乙七)においては、その基準適用者を三〇歳以上の者とし、職種、勤務地域限定の者(地域限定職型)以外の者(総合職型)の初任給の決定は、「当該年齢の現実の適用考課の下限を勘案し、個別に決定する」ものとされた。また、その昇給考課の運用については現行のあり様を基本とするとされたが、最長滞留制度(同一格付に滞留する年数に限度を設ける制度)等の適用はしないものとされた。これらは、計画的中途採用が既存の新卒採用者の雇用条件に悪影響を及ぼすことを懸念する労働組合との関係をも考慮し、新卒入社後一定の年数内であれば同時入社者の間に格付の差がほとんどないが、一定の年数を超えると同時入社者間に格差が生ずるところ、中途入社者の初任給の格付を新卒同年次定期採用者の中位の者と同等に位置づけることは、社員全体の公平感、モラールを損なうおそれがあるとの判断によるものであった。なお、この運用基準の策定及び労使交渉には、a課長が中心的立場で関わった。
(四) 右労使間の合意が成立する直前、被控訴人は、計画的中途採用のため、就職情報誌「Bーing」平成三年六月二七日号に求人広告を掲載した。
 その求人広告(甲一の一)には、「キャリアを活かした転身もよし。」、「新卒としてやり直すもよし。」、「住みなれた土地で落ちつくもよし。」との見出しの下に、「時代の変化、消費者のニーズの変化に対して、事業の多角化や企業内改革で次々と柔軟で弾力的な革新を行ってきた、日新火災海上保険。その一環として今
年から、本格的な中途採用をスタートさせました。」、「キァリアを活かした転職。業界経験、職種経験をフルに発揮して、もっと満足できる環境のなかで能力を磨きたい。そんな方には、きっと納得していただけるような待遇を用意してお待ちしております。」、「第二新卒としてやり直してみたい方。八九、九〇年既卒者を対象として、もう一度新卒と同様に就職の機会を持っていただく制度があります。もちろんハンディはなし。たとえば八九年卒の方なら、八九年に当社に入社した社員の現時点での給与と同等の額をお約束いたします。」などの記載がされた。
(五) 控訴人は、右記事を見て、その希望にかなうものと考え、右求人に対し総合職型社員として応募することとし、同年八月二六日d人事部次長及びb人事部課長による第一次面接を受け、次いで、同月三〇日被控訴人の役員や人事部長等による第二次面接を経て、同年九月初めころ被控訴人から入社予定日を平成四年一月一日とする採用内定の通知を受けた。そして、平成三年一一月五日に会社説明会が行われ、初めに総合職型と地域限定職型の両応募者が一緒に、後半は両者各別に説明が行われたところ、総合職型には控訴人外一名が出席し、aから雇用条件、就業規則等の内容の説明を受けた。その際、「本給・手当項目」と題する書面(甲二の5)が示され、同書面には、各種手当の額が表示されていたが、本給については「別紙のとおり」とのみ記載されただけで、その別紙として本給テーブルその他その具体的な額を示す資料は提示されなかった。控訴人は、同年一二月二五日ころ、採用通知を受け、これに対し誓約書、身元保証書等を提出して、そのころ、被控訴人と控訴人との間に平成四年一月一日を入社日とする本件雇用契約が成立した。
(六) 平成四年一月当時、その年度の期首(平成三年四月一日)における満三三歳(控訴人の入社時の年齢)の事務給職員三八名の格付分布は、Ⅱ類B八名、同C二四名、同D六名であった。そこで、被控訴人は、運用基準に基づき、被控訴人の初任給をその下限であるⅡ類D(平成三年度の本給テーブルにおけるその本給の額は二三万二七〇〇円)に格付することとし、平成三年一二月二五日労働組合と交渉
してその合意を得た。
(七) 控訴人は、平成四年一月六日から出社し、同月九日に、採用年月日を同年一月一日、勤務部署を安全サービス部サービス課、本給を二三万二七〇〇円、職位を主任とする本給通知書(甲二の7)の交付を
受け、これにより自己の本給額を初めて知らされた。
(八) 被控訴人は、前記中途採用に次ぐ計画的中途採用のため、平成四年五月二八日号の「Bーing」に再度求人広告を掲載したが、その広告(甲一の三)には、「正社員定期中途採用も二年目を迎えました。」、「同年次新卒者の給与からスタート。」との見出しの下に、「これは当社の正社員として入社し、当社幹部をめざしていただくための募集です。去年四月に約五〇名の新入社員を迎えましたが、それと同様に昨年一年間で定期中途入社者を約三〇名迎えました。」、「全く異職種の方を迎える「定期採用」に当たって私たちは二つのことを用意しました。一つは給与面で新卒同年次入社者の平均給与からスタートしてもらうこと。もう一つは新卒と同様にきちんとした研修プログラムを用意することです。去年入社した三〇名は(中略)今では自分の経験を現場で生かし、新卒組を刺激してくれる存在になっています。」などと記載した。
 なお、被控訴人は、平成四年の採用をもって、計画的中途採用を中断した。
(九) 控訴人は、平成五年三月に、上司から本給テーブルの等級が同年四月一日付けをもってⅡ類DからⅡ類Cに上がる旨を告げられた際に、その格付が新卒同年次定期採用者よりも遅れていることを初めて知らされ、そのことを契機に労働組合から資料を得るなどして調査した結果、右Ⅱ類Dの格付は新卒同年次定期採用者の下限に位置付けられたものであることを知った。そこで控訴人は、平成四年の求人に応じて中途入社し控訴人と同様に中途入社者の格付に不満を持っていたcに相談するなどするとともに、安全サービス部の上司に対し平均的格付への格付の変更を陳情したが、平成六年一月にb(当時人事部次長)から、「採用時には下限にすることが決まっている。しかし努力すれば上がっていく。」旨の被控訴人側の回答と説明を受けた。
(一〇) 控訴人は、右の回答に納得せず、被控訴人との対決姿勢を採ることに意を決し、平成六年二月初め、被控訴人の中途入社者の採用方法につき、採用前に本給額が示されていないこと及び求人広告の内容と実際の雇用条件とが異なることに問題があるとして、労働省の窓口に相談した上、同月二一日に三田労働基準監督署に被控訴人に対する是正措置の発動を求め、同監督署は、これに基づき、同年三月九日被控訴人に対し、本給通知書の雇用契約前の交付がないこと及び平成四年五月にされた就職情報誌「Bーing」掲載の求人広告(甲一の三)中の「同年次新卒者の給与からスタート」との記載部分が実際の運用と異なることをそれぞれ指摘して、その是正を求める行政指導をした。
(二) 控訴人は、平成六年三月二四日、同年四月一日付けでの総務部総務課印刷室への配置転換の通告を受けたが、右印刷室での仕事が印刷物の上げ下ろし等の肉体労働業務であることから、肝機能障害、腰痛等の病気があること及び入社時の採用条件と異なることを理由にこれを拒絶し、このため、右四月一日付けで自宅待機を命じられ、そのまま同年七月二五日まで経過した。その間、控訴人は、自己の健康状態に関し肉体労働を不適とする診断書を提出し、同年六月一五日本件訴訟を提起し、同年七月五日労働基準法違反で被控訴人及びその担当者を労働基準監督官に刑事告訴するなどした。控訴人は、同月二六日から浦和本社総務部の印刷室で製本、印刷等の業務に従事し、平成七年四月一日から総務課内の資料センターへ配置換えとなって、図書の管理、新聞の整理等の業務に従事し、平成九年四月一日付で本店業務部へ配置転換となり、以来、郵便メールの仕訳等の業務に従事している。
2 右認定事実を踏まえて判断するのに、まず、控訴人は、本件雇用契約が給与に関し控訴人主張の内容をもって成立したとする根拠として、前記1(四)認定の求人広告(甲一の一)の記載を挙げ、控訴人本人も、その記載を見て、新卒同年次定期採用者と同等の給与待遇を受けるものと理解した旨を供述する。
 しかしながら、求人広告は、それをもって個別的な雇用契約の申込みの意思表示と見ることはできないものである上、その記載自体から、八九年及び九〇年既卒者について同年次新卒入社者と同等の給与額を支給する旨を表示したもので、それ以前の既卒者についてこれと同様の言及をするものでないことを十分に読み取ることができるものというべきであって、その他には「納得いただける待遇」との表現があるのみであるから、その記載をもって、本件雇用契約が控訴人主張の内容をもって成立したことを根拠づけるものとすることはできないというほかない。
3 次に、控訴人の応募に対する被控訴人側からの採用(給与)条件に関する説明の内容につき、控訴人は、その供述証拠(甲一七、控訴人本人)において、「平成三年八月二六日の第一次面接において、dは、控訴人の質問に対し、中途採用者に対するハンディはないことを明言し、そこで控訴人は、自分が新卒同年次定期採用者と同一の待遇を受けるものと理解した。また、同年一一月五日の会社説明会において、aは、控訴人の質問に対し、新卒同年次定期採用者と同待遇で処遇し、平均給与からスタートしてもらう、中途採用者のハンディはないと回答した。」旨を供述する。
 これに対し、a及びbは、その供述証拠(乙二七、二八の各一、証人としての証言)において、控訴人の右供述のような発言があったことを全面的に否定するとともに、右会社説明会において、aは、運用基準に基づき、中途採用者の初任給は当該年齢の現実の適用考課の下限を勘案し、個別に決定するとの趣旨を明瞭に説明した旨供述する。
 右面接及び会社説明会における発言の内容については、右供述証拠以外に客観的証拠はないから、この点の認定は、右各供述証拠の信用性のいかんに依拠するほかない。
(一) そこで、まず、a及びbの右供述証拠について考えると、次のような事情に照らせば、運用基準に基づいて中途採用者の初任給は当該年齢の現実の適用考課の下限を勘案し個別に決定するとの趣旨を説明したとの点については、これらの証拠を採用することはできないというべきである。
(1) 前記1(二)に認定のように、被控訴人においては、当時採用環境が採用側にとって厳しい状態になっていることを認識しつつ、有為の中途入社者の採用を切望していたのであり、このことに照らせば、運用基準で定めたとおり中途採用者の初任給が当該年齢者の現実の適用考課の下限に位置づけられることを明示した上で適切な人材の採用を得ることは客観的にみても困難な状況にあったことは明らかであるというべきであって、そのことは、aら被控訴人の人事担当責任者も十分に承知していたものと考えられること。
(2) 被控訴人が就職情報誌「Bーing」に平成三年六月及び平成四年五月に掲載した求人広告(甲一の一ないし三)の記載に照らせば、被控訴人は、中途採用者として有為の人材を得るため、応募者に対し、同年次新卒者と差別しない処遇を訴える姿勢を採っていたものと認められること。
(3) 被控訴人は、控訴人に対し、その採用前に本給テーブルその他初任給又はその本給の額を具体的に示す資料を提示していないこと。また、もしaらが供述するように、適用考課の下限を勘案して決定するとの趣旨を説明したとすれば、その説明を受けた控訴人らから、「下限」の意味を問われないはずがないと考えられること。
(4) 前記1(九)に認定の事実に照らせば、控訴人が平成五年三月に上司から知らされるまで新卒同年次定期採用者に劣らない格付がされているものと信じていたことは、これを認めることができるものというべきこと。
(二) 他方、控訴人の右供述証拠についても、右面接及び会社説明会において被控訴人側から、初任給を新卒同年次定期採用者の平均的格付によるものとするとの明確な説明があったとの趣旨においては、これを採用することはできないというべきである。aら被控訴人の人事担当責任者は、「当該年齢の現実の適用考課の下限を勘案し、個別に決定する」との運用基準が、労使の交渉により定まったもので、これによる運用が動かし難いものであることを熟知していたのであるから、同人らにおいて、有為の中途採用者を得るため控訴人ら応募者に対し処遇上同年次新卒者と差別しないとの趣旨を抽象的な表現をもって説明したとしても、初任給を新卒同年次定期採用者の平均的格付によるものとするとの運用基準と明確に矛盾する説明を明確な形ですることは考え難いところというほかないからである。
 また、この観点に照らせば、被控訴人が平成四年五月に「Bーing」誌上でした求人広告の内容から見て、同人らにおいて控訴人主張のような説明をしたはずであるとの控訴人の主張も、採用することはできないというべきである。
(三) そこで、以上判示したところを総合して判断すると、被控訴人の人事担当責任者が右面接及び会社説明会において控訴人に対し説明した内容は、これを厳密に明らかにすることはできないけれども、少なくとも、給与条件につき新卒採用者と差別をしない(ハンディはない)との趣旨の抽象的な説明をしたものと認めるべきであるが、しかし、新卒同年次定期採用者の平均給与を支給するとか、それの平均的格付による給与を支給するなど、控訴人の給与の具体的な額又は格付を確定するに足りる明確な意思表示があったものと認めることはできないというべきである。
(四) そうとすれば、第一次面接及び会社説明会における被控訴人の人事担当責任者の説明によって、被控訴人と控訴人との間に、本件雇用契約上、新卒同年次定期採用者の平均的格付による給与を支給する旨の合意が成立したものということはできない。
4 
以上によれば、控訴人の人事担当責任者による控訴人への説明は、内部的に既に決定している運用基準の内容を明示せず、かつ、控訴人をして新卒同年次定期採用者と同等の給与待遇を受けることができるものと信じさせかねないものであった点において不適切であり、そして、控訴人は、入社時において右のように信じたものと認めるべきである(もっとも、「同等」といっても、そこにはある程度の幅があり得るものであることを否定することはできない。)が、なお、被控訴人と控訴人との間に、本件雇用契約上、新卒同年次定期採用者の平均的格付による給与を支給する旨の合意が成立したものと認めることはできない。
 そうとすれば、控訴人主張に係る右内容の雇用契約が成立したことを前提とする控訴人の本件未払賃金の請求は、後に判断する住宅手当及び時間外手当の点を除いては、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないというべきである。
 なお、控訴人は、入社時の給与の格付のみならず、その後平成一〇年七月に至るまでの給与についても、新卒同年次定期採用者の平均的格付と同様に昇格し、昇給すべきものとする合意が成立しているとして、これに基づく賃金の差額を請求しているが、右に判示したところによれば、この点も理由がないことが明らかというべきである。
二 住宅手当について
1 証拠(甲二の5、乙一、二)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人は、就業規則に基づくものとしての社員給与規程及びそれに基づく社員給与細則を定めているところ、控訴人の入社当時において効力を有する同規程(乙一)において、社宅等社有施設以外に居住する社員に対し住宅手当を支給するものとし、その支給額を世帯区分により区分し、単身独立生計者はこれを所得税法上の扶養親族を有する者と有しない者とに区分し、所得税法上の扶養親族を有する者とは、本人と同居し扶養している場合(生計を一にする証明書を添付すること)である旨を定め(一八条)、同細則(乙二)において、その支給額を、単身独立生計者で所得税法上の扶養親族を有する者については二万九五〇〇円、それがない者については二万六〇〇〇円と定めている(九条)ことが認められる。
 そして、証拠(控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、控訴人は、母を扶養者としているが、母と同居していなかった者であると認められ、そうすると、右規程等上控訴人に支給されるべき住宅手当の額は二万六〇〇〇円である。
2 前記1(五)に認定した平成三年一一月五日の会社説明会において控訴人に示された「本給・手当項目」と題する書面(甲二の5)の住宅手当の欄には、単身者で自宅を有し、扶養者がいる者については月額二万九五〇〇円、扶養者がない者については月額二万六〇〇〇円を支給する旨の記載があるところ、控訴人は、その本人尋問において、右説明会の席上aから、単身者で扶養親族がある控訴人の住宅手当が月額二万九五〇〇円となる旨を確認した旨供述し、控訴人と被控訴人との間に同額の住宅手当を支給する旨の合意が成立した旨主張する。
 これに対し、aは、その供述証拠(乙二七、証人a)において、右説明会では、諸手当について住宅手当を含めその概要を説明しただけであり、控訴人との間でその供述するような具体的な応答があった記憶はない旨供述している。
3 ところで、給与の内容を成す各種手当の支給区分、額等について就業規則に基づくものとして給与規程が定められている場合には、雇用契約締結時において当事者間でこれと異なる内容によるものとして別段の合意をするなどのことがない限り、その支給額はその規程の定めるところによるものとして雇用契約が成立するものというべきであるところ、右説明会においてaが右書面(甲二の5)に基づいてした説明は、前記社員給与規程及び同規則の定めるところを説明する趣旨でしたものであることは明らかというべきである。したがって、その説明において、細部の説明を欠き、正確性に欠けるところがあり、又は誤りがあったことなどにより、控訴人において正しい理解を持つことができず、右規程等の定めるところと異なる認識を持つに至ったとしても、(労働基準法一五条二項の問題が生ずる余地があるとしても、)そのことから直ちに、その際の説明内容又は控訴人が認識したところのとおりの別段の合意が成立したものと認めることはできないといわなければならない。他に、右規程等の内容と異なる別段のものとして控訴人主張の合意が成立したものと認めるべき事由を見いだすことはできない。
4 よって、住宅手当の未払分の請求は、理由がない。
三 時間外手当について
1 被控訴人において、時間外手当算定上の賃金基礎額に、平成四年六月までは付加給、定額付加給及び社会保険料補助を含めないものとし、同年七月以降も付加給を含めないものとしていることは、当事者間に争いがないところ、争点は、法内超勤及び法適用超勤のそれぞれにつき、これらの賃金費目をその基礎額に加えないことの適法性いかんである。
2 法内超勤の時間外手当について
 労働基準法三六条一項に規定する労働時間の範囲内でのいわゆる法内超勤については、同法三七条の適用がないから、その労働に対する手当の額をどのように定めるかは、基本的に雇用契約に定めるところによるものというべきである。しかるところ、証拠(乙一ないし六、証人b)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人においては、就業規則に基づくものとしての社員給与規程及びこれに基づく社員給与細則を労働組合との協議を経た上で定めており、同細則によれば、右1のとおり付加給等の賃金費目を含めないものとしてその基礎額を定めていることが認められ、これが被控訴人と控訴人との雇用契約の内容となっているものと認められる。そして、右は労使の協議を経て定められているものである上、本件証拠上、その定められた基礎額が労働契約上の信義則に照らし不当に低額に過ぎると判断すべき事情を認めることもできない。
 したがって、法内超勤に関する限り、右付加給等の賃金費目をその基礎額に加えないことをもって違法と評価し、雇用契約外の規範をもってこれを補充しなければならないこととする根拠はないというべきである。
 よって、法内超勤に係る時間外手当の未払額及びこれに関する付加金の支払を求める請求は、理由がない。
3 法適用超勤の時間外手当について
 労働基準法三六条一項に規定する労働時間を超える労働に対する割増賃金の基礎となる賃金について、同法三七条四項は、家族手当、通勤手当その他命令で定める賃金は算入しないと定め、この規定に基づく同法施行規則二一条は、右賃金に算入しない賃金として別居手当、子女教育手当、臨時に支払われた賃金及び一か月を超える期間ごとに支払われる賃金を定めているところ、これらの規定は、算入しない賃金をこれらの賃金に限定する趣旨と解すべきであるから、右1の付加給、定額付加給又は社会保険料補助が、これら列挙された賃金と実質的に見て同視すべきものということができるかどうかの観点から検討すべきである。
 そこでまず、付加給についてみると、証拠(乙一ないし六、四〇ないし四二、四五、四八の1、証人b)によれば、被控訴人は、その社員給与規程において、付加給につき、期首五四歳以前の社員に対しては臨給分割払分を付加給として支給する旨(乙一の二三条等)、臨時給与につき、臨時給与は会社の業績その他を勘案し必要に応じて支給する、臨時給与の支給期、支給額、支給要件等についてはその都度定める旨(乙一の三九条等)を定めていること、付加給は、通常毎年六月と一二月に支給される臨時給与の一部を分割して毎月支給する趣旨で設けられたものであること、そのため、その支給額(算定基礎額に対する比率、臨時給与との按分等)は、毎年、臨時給与の額の決定とともに、労使協議を経て個別に決定されてきたこと、付加給を割増賃金の基礎に加えないことにつき(定額付加給及び社会保険料補助を除外していた当時においてこれらの賃金費目を加えないことについても)、これまで被控訴人の労働組合から異論が提起されたことがないことがいずれも認められる。これによれば、付加給は、その内容の実質において、臨時給与、すなわち一か月を超える期間ごとに支払われる賃金と同じものと評価することができる。
 しかしながら、一か月を超える期間ごとに支払われる賃金を割増賃金の基礎から除外することとした前記規則の規定の趣旨は、家族手当や通勤手当等が労働の質や量と無関係な労働者の個人的事情に応じて支給されるものであることに基づくのとは異なり、それが労働に対する対価であることは否定し得ないものの、計算技術上割増賃金の基礎とすることが困難であるとの理由に基づくものと解されるから、付加給が臨時給与とその内容において同質のものであるとしても、その支給月額が毎年あらかじめ定められ、これにより月毎に支給されるものである以上、これを一か月を超える期間ごとに支払われる賃金と同視して、割増賃金の基礎から除外することはできないものと解すべきである。
 次に、定額付加給及び社会保険料補助については、証拠(証人b)によれば、平成四年七月からこれらの賃金費目を基礎額に加えることとしたのは、労働基準監督署からの改善指導によったものであると認められるところ、これらの賃金が家族手当等と同様に労働の質や量と無関係な個人的事情に応じて支給されるものに当たり、その他前記除外賃金と同視すべき賃金に当たるものと認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被控訴人は、労働基準法三七条一項に基づき、控訴人の法適用超勤の労働に対し、右付加給、定額付加給及び社会保険料補助の額を加算した基礎額に基づく割増賃金を支払う義務があるものというべきところ、控訴人がした法適用超勤の時間、控訴人の給与の時間単価、その基礎となる各賃金費目の額等に関する前記第二の二3(一)(1)、(3)、(4)の事実及び同(5)のうち控訴人の現実の受給額については、当事者間に争いがないから、これにより算出される法適用超勤に係る時間外手当の額と現実に支給した額との差額は、別紙「法適用超勤の時間外手当不足額」記載のとおり、合計九万六九二四円(うち平成六年三月分まで九万六四九五円、平成九年五月から七月分まで四二九円)となる。
 なお、被控訴人は、時間外手当の請求につき消滅時効の主張をするものかどうか必ずしも明らかでないが、仮にその主張をするものとしても、本件訴状の記載によれば、その中に右時間外手当の請求を含むことが明らかであるところ、同訴状による本件訴えの提起が平成六年六月一五日にされたことは本件記録上明らかであり、かつ、証拠(甲四の1ないし3)によれば、控訴人は被控訴人に対し、同年二月二一日到達の書面をもって未払賃金(時間外手当を含む。)の請求をしていることが認められるから、その主張は理由がない。
4 付加金について
 控訴人は、右時間外手当の未払分について労働基準法一一四条の規定による付加金の支払を求めるが、右3判示のとおり、その支払不足額は、主として付加給を基礎額に加えなかったことによるものであるところ、その内容の実質が一か月を超える期間ごとに支払われる賃金と同じものであること、付加給等を基礎額に加えないことについて被控訴人の労働組合からこれまで何らの異論が提起されたこともなかったこと及びその不足額が小額であることに照らし、その不払の違法性の程度は低いものというべきであることにかんがみ、当裁判所としては、これに対し付加金の支払を命じないこととするのが相当であると判断する。
四 慰謝料の請求について
1 前記一に判示のとおり、被控訴人は、計画的中途採用を推進するに当たり、内部的には運用基準により中途採用者の初任給を新卒同年次定期採用者の現実の格付のうち下限の格付により定めることを決定していたのにかかわらず、計画的中途採用による有為の人材の獲得のため、控訴人ら応募者に対してそのことを明示せず、就職情報誌「Bーing」での求人広告並びに面接及び社内説明会における説明において、給与条件につき新卒同年次定期採用者と差別しないとの趣旨の、応募者をしてその平均的給与と同等の給与待遇を受けることができるものと信じさせかねない説明をし、そのため控訴人は、そのような給与待遇を受けるものと信じて被控訴人に入社したものであり、そして、入社後一年余を経た後にその給与が新卒同年次定期採用者の下限に位置づけられていることを知って精神的な衝撃を受けたものと認められる。
 かかる被控訴人の求人に当たっての説明は、労働基準法一五条一項に規定するところに違反するものというべきであり、そして、雇用契約締結に至る過程における信義誠実の原則に反するものであって、これに基づいて精神的損害を被るに至った者に対する不法行為を構成するものと評価すべきである。
 また、前記一1(七)及び(九)に認定の事実に照らせば、控訴人は平成四年一月の入社以来平成五年三月に上司から新卒同年次定期採用者との間に給与上の格差があることを聴かされるまでは、配属先の安全サービス部サービス課において格別の問題もなく勤務してきたものと推認される。しかるに、控訴人は、同(九)及び(一〇)認定の事実経過を経て、同(二)認定のとおり平成六年四月一日付けで総務部総務課印刷室への配置転換の通告を受けたのであるが、同室の業務内容は印刷物の製本、運搬等の肉体的単純労働を中心とする業務であるところ、控訴人の被控訴人への入社の意図及び被控訴人の控訴人採用の趣旨等に照らしてその配置転換の必要性、必然性を首肯するに足りる合理的理由を見いだすことは困難というべきであるから、右配置転換は、控訴人が被控訴人に対し給与上の格付を不当として新卒同年次定期採用者の平均的格付をするよう要求し、その要求が入れられなかったことなどから被控訴人に対する対決姿勢を採るに至り、被控訴人の中途採用者の採用方法につき労働基準監督署に対し告発行動をとるに至ったことなどの被控訴人の行動をその主たる理由とするものと推認するほかないものというべきである。そして、右のような控訴人の行動が前示採用の過程における被控訴人の不適切な説明に由来するものであることにかんがみれば、この点の被控訴人の控訴人に対する行為もまた、雇用契約上の信義誠実の原則に反する違法な行為に該当し、これに基づいて控訴人が受けた精神的損害に対し不法行為を構成するものと評価すべきである。
 そして、右に判示したところと証拠(控訴人本人)によれば、控訴人は、右に指摘した被控訴人の行為により、少なからざる精神的苦痛を被ったものと認めることができる。
 なお、前示のとおり、控訴人は、その後平成七年四月一日に総務課内の資料センターへ配置換えとなるとともに、給与の格付においてⅡ類Cから同Dに降格され、平成八年四月一日付けで更に同Eに降格され、平成九年四月一日付けで本店業務部へ配置転換されるなどの処遇を受けているところ、これらの配置換えや降格は、右の控訴人と被控訴人との間の抗争の延長線上のものではあるけれども、証拠(乙一七ないし二三)によれば、控訴人の平成六年四月の前記配置転換後の勤務状況は、遅刻・早退が多く、勤務時間中の怠業行動も少なくないものであると認められるから、これらの措置をもって独自の不法行為を構成するものと認めることはできないというべきである。
2 したがって、被控訴人は、控訴人に対し、被控訴人と控訴人との雇用契約締結の過程における説明及び平成六年四月一日付けの配置転換の点において不法行為を行ったものと認めるべきであるところ、前記一1に認定した事実その他本件に現れた一切の事情を総合考慮して、被控訴人の右不法行為により控訴人が被った精神的苦痛を慰謝すべき金額としては、金一〇〇万円をもって相当と認めるべきである。
五 結論
 以上のとおりであるから、控訴人の本件請求は、時間外手当九万六九二四円及び内金九万六四九五円に対する平成六年九月二九日から、内金四二九円に対する平成一〇年七月二八日から各支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金並びに慰謝料一〇〇万円及びこれに対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであり、その余は理由がないから棄却すべきである。
 よって、これと一部異なる原判決を右の範囲において変更することとして、主文
のとおり判決する。
東京高等裁判所第二二民事部
裁判長裁判官 濱崎恭生
裁判官 田中信義
裁判官 松並重                      

 


労働10事件 契約締結上の過失 ―日新火災海上保険事件その1

2012年02月24日 | 労働百選

10事件 契約締結上の過失 日新火災海上保険事件

 

日新火災海上保険株式会社

Nisshin Fire and Marine Insurance Co., Ltd. 

種類 株式会社 

市場情報 非上場 東証1部 8757 2006926日上場廃止 

略称 日新火災 

本社所在地 〒101-8329

東京都千代田区神田駿河台二丁目3番地 

設立 1908年(明治41年)610日(帝国帆船海上保険株式会社) 

業種 保険業 

事業内容 損害保険及び保険関連事業 

代表者 宮島 洋(取締役社長) 

資本金 20,389百万円(2008331日現在) 

売上高 168,952百万円(20083月期) 

総資産 481,808百万円(20083月期) 

従業員数 2,745人(2008331日現在) 

決算期 331日 

主要株主 東京海上ホールディングス株式会社 100% 

http://www.nisshinfire.co.jp/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%96%B0%E7%81%AB%E7%81%BD%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E4%BF%9D%E9%99%BA

 

 

 

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=18832&hanreiKbn=06

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/55A81AB3E4382DBF49256DD60029DC2F.pdf

 

 

事件番号平成11()1239 

事件名日新火災海上保険賃金等請求 

裁判年月日平成120419日 

裁判所名東京高等裁判所  

分野労働 


労働7事件 人材スカウトと職業紹介 ―東京エグゼクティブ・サーチ事件その2

2012年02月24日 | 労働百選

         主    文

     本件上告を棄却する。

     上告費用は上告人の負担とする。

         理    由

 一 上告代理人高橋正明、同上林博の上告理由第一及び第二の二について

 1 原審が適法に確定した事実関係の大要は、次のとおりである。

  () 上告人は、企業の依頼に応じてその求める人材を探索し、勧奨して、求人企業に就職させるいわゆる人材スカウト等を目的とする会社であり、有料職業紹介事業を行うことにつき、職業安定法三二条一項ただし書に基づく労働大臣の許可を得ている。被上告人は、「メルズクリニック」の名称で内科及び婦人科の診療所を経営する者である。

 () 上告人は、昭和六二年七月一〇日ころ、被上告人に対し、右診療所の院長として勤務することのできる内科又は婦人科の医師を探索し、紹介する旨を約し、同月一三日ころから医師の探索を始め、数人の医師を被上告人に紹介したが、被上告人と右医師らとの間で契約成立に至らず、平成元年二月一五日ころ、被上告人に対し、A医師を紹介した。その結果、被上告人は、A医師との間で、同年四月一日から同医師を右診療所の院長として年俸一〇〇〇万円で雇用する旨の契約を締結した。

 () 被上告人は、上告人に対し、平成元年三月三〇日ころ、A医師の就職に至るまでの上告人の業務(以下「本件業務」という。)の対価として、調査活動費の名目で五〇万円、報酬の名目で一五〇万円の合計二〇〇万円を同年六月三〇日限り支払うことを約した。

 () 被上告人は、本件業務は、一体として職業安定法五条一項、三二条一項ただし書の規定する職業紹介に当たるから、その報酬額は、同条六項、同法施行規則二四条一四項、別表第三により、A医師の六か自分の賃金の一〇・一パーセント相当額である五〇万五〇〇〇円が最高額であり、これを超える金額については支払義務がないと主張して、右最高額を超える部分の支払を拒むに至つた。

 2 職業安定法にいう職業紹介におけるあつ旋とは、求人者と求職者との間における雇用関係成立のための便宜を図り、その成立を容易にさせる行為一般を指称するものと解すべきであり(最高裁昭和二八年(あ)第四七八七号同三〇年一〇月四日第三小法廷決定・刑集九巻一一号二一五〇頁)、右のあつ旋には、求人者と求職者との間に雇用関係を成立させるために両者を引き合わせる行為のみならず、求人者に紹介するために求職者を探索し、求人者に就職するよう求職者に勧奨するいわゆるスカウト行為(以下「スカウト行為」という。)も含まれるものと解するのが相当である。けだし、同法は、労働力充足のためにその需要と供給の調整を図ることと並んで、各人の能力に応じて妥当な条件の下に適当な職業に就く機会を与え、職業の安定を図ることを目的として制定されたものであつて、同法三二条は、この目的を達成するため、弊害の多かつた有料の職業紹介事業を行うことを原則として禁じ、公の機関によつて無料で公正に職業を紹介することとし、公の機関において適切に職業を紹介することが困難な特別の技術を必要とする職業に従事する者の職業をあつ旋することを目的とする場合については、労働大臣の許可を得て有料の職業紹介事業を行うことができるものとしたものであるところ(最高裁昭和二四年新(れ)第七号同二五年六月二一日大法廷判決・刑集四巻六号一〇四九頁参照)、スカウト行為が右のあつ旋に当たらず、同法三二条等の規制に服しないものと解するときは、以上に述べた同法の趣旨を没却することになるからである。この理は、スカウト行為が医師を対象とする場合であつても同様である。

 また、同法にいう職業紹介に当たるというためには、求人及び求職の双方の申込みを受けることが必要である(同法五条一項)が、右の各申込みは、あつ旋に先立つてされなければならないものではなく、例えば、紹介者の勧奨に応じて求職の申込みがされた場合であつてもよい。

 以上を本件についてみるのに、前記1の事実関係の下において、A医師に対するスカウト行為を含む本件業務が一体として同法にいう職業紹介におけるあつ旋に当たるものとした原審の判断は、正当として是認することができる。また、前記1の()のとおり、上告人において医師を探索し、被上告人にA医師を紹介し、その結果、被上告人と同医師との間に雇用契約が成立した旨を認定する原判決は、上告人が被上告人に同医師を紹介する以前に、同医師から上告人に対する求職の申込みがされたことを認定し、判示しているものというべきであるから、原判決が同医師の求職の申込みを認定していない旨の論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものというべきである。論旨は、いずれも採用することができない。

 二 同第二の三について

  職業安定法三二条六項は、有料職業紹介の手数料契約のうち労働大臣が中央職業安定審議会に諮問の上定める手数料の最高額を超える部分の私法上の効力を否定し、右契約の効力を所定最高額の範囲内においてのみ認めるものと解するのが相当である。けだし、同法の前記一の2のとおりの立法趣旨にかんがみ、同条項は、右手教科契約のうち所定最高額を超える部分の私法上の効力を否定することによつて求人者及び求職者の利益を保護する趣旨をも含むものと解すべきであるからである。

  したがつて、本件報酬契約のうち同法施行規則二四条一四項、別表第三所定の紹介手数料の最高額を超える部分の効力を否定した原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

 三 その余の上告理由について

  前記一の1の事実関係の下においては、所論のその余の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、違憲をいう点を含め、独自の見解に立つて原判決の法令違背をいうものにすぎず、採用することができない。

 四 よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

     最高裁判所第二小法廷

         裁判長裁判官    根   岸   重   治

            裁判官    中   島   敏 次 郎

            裁判官    木   崎   良   平

            裁判官    大   西   勝   也


労働7事件 人材スカウトと職業紹介 ―東京エグゼクティブ・サーチ事件

2012年02月24日 | 労働百選

労働7事件 人材スカウトと職業紹介 ―東京エグゼクティブ・サーチ事件

 

東京エグゼクティブ・サーチ

http://www.tesco.co.jp/index.html

http://career.nikkei.co.jp/bnk_office_info_office/220/302/0/

 

社名 東京エグゼクティブ・サーチ株式会社

Tokyo Executive Search Co., Ltd.

※会社の略称として(TESCO)テスコを使用

 

本社所在地〒102-0084 東京都千代田区二番町11-5 番町HYビル6

 

関連会社 テスコプレミアム・サーチ株式会社

 

海外提携ファーム ビジネスパラダイム ロンドン拠点

 

得意な分野

管理職/エグゼクティブ   

1975年創業以来、各業界に有能なエグゼクティブを送り出してきました。その実績と経験を活かし、きめ細かなサポートをさせていただきます。 

金融   銀行・証券・保険と金融業界のあらゆるポジションを幅広く手がけています。 

ベンチャー企業   チャレンジ精神旺盛な若いエグゼクティブをベンチャー企業に次々と送り出しています。 RLDWIDE 世界10サーチファーム/20都市拠点

 

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=18986&hanreiKbn=06

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/43C2F437C553A40E49256A57005AF15A.pdf

 

事件番号 平成3()1943 

事件名 人材スカウト報酬金等請求(東京エグゼクティブ・サーチ

裁判年月日 平成60422日 

裁判所名 最高裁判所第二小法廷  

分野 労働 


労働6事件 ルフトハンザ航空事件その3

2012年02月23日 | 労働百選

第三 争点に対する判断
一 争点1(国際裁判管轄)について
1 本来国の裁判権はその主権の一作用としてなされるものであり、裁判権の及ぶ
範囲は原則として主権の及ぶ範囲と同一であるから、被告が外国に本店を有する外
国法人である場合はその法人が進んで服する場合のほか日本の裁判権は及ばないの
が原則である。しかしながら、その例外として、わが国の領土の一部である土地に
関する事件その他被告がわが国となんらかの法的関連を有する事件については、被
告の国籍、所在のいかんを問わず、その者をわが国の裁判権に服させるのを相当と
する場合のあることも否定しがたいところである。そして、この例外的扱いの範囲
については、この点に関する国際裁判管轄を直接規定する法規もなく、また、よる
べき条約も一般に承認された明確な国際法上の原則もいまだ確立していない現状の
もとにおいては、当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念により条
理にしたがって決定するのが相当であり、わが民訴法の国内の土地管轄に関する規
定、たとえば、被告の居所(民訴法二条)、法人その他の団体の事務所又は営業所
(同四条)、義務履行地(同五条)、被告の財産所在地(同八条)、不法行為地
(同一五条)、その他民訴法の規定する裁判籍のいずれかがわが国内にあるとき
は、これらに関する訴訟事件につき、被告をわが国の裁判権に服させるのが右条理
に適うものというべきである(最高裁判所第二小法廷昭和五六年一〇月一六日判
決・民集三五巻七号一二二四頁)。
2 これを本件についてみると、被告は、ドイツ法に準拠して設立され、ドイツに
本店を有する会社であるが、日本における代表者を定め、東京都内に東京営業所を
有するというのであるから、たとえ被告が外国に本店を有する外国法人であって
も、被告をわが国の裁判権に服させるのが相当である。
二 争点2(準拠法)について
1 雇用契約の準拠法については、法例七条の規定に従いこれを定めるべきである
が、当事者間に明示の合意がない場合においても、当事者自治の原則を定めた同条
一項に則り、契約の内容等具体的事情を総合的に考慮して当事者の黙示の意思を推
定すべきである。
2 そこで、本件各雇用契約の準拠法についての黙示の合意の成立について検討す
る。
 前記争いのない事実等1ないし3、証拠(甲第二〇ないし第二二、第四四、第四
五号証、乙第六、第一八、第二二、第四一号証、証人ドクター・dの証言、原告b
本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、本件各雇用契約においては、被告
と各原告らとの間で、原告らの権利義務については、社団法人ハンブルグ労働法協
会(AVH)とドイツ被用者労働組合(DAG)及び公共サービス輸送交通労働組
合(OTV)との間で締結された被告の乗務員に関する労働協約に依拠することが
合意されていること、右労働協約により、原告ら被告の乗務員の勤務時間、乗務時
間、飛行時間、休憩時間、休日、給与の支給項目、手当、休暇、定年などの基本的
な労働条件全般が定められ、また、右労働協約に基づく賃金協約により、給与の支
給に関する乗務員の分類・等級、昇給等も定められていること、右労働協約は、労
働協約自治の原則を定めるドイツ労働法に独特の規定に基づくものであり、その内
容もドイツの労働法等の法規範に基づいていること、右労働協約の適用を受ける労
働条件の交渉は、労働協約により援用されているドイツ経営組織法の規定に基づ
き、フランクフルト本社の従業員代表を通じてなされていること、本件の付加手当
等の右労働協約の適用を受けない個別的な労働条件についても、原告らはフランク
フルト本社の客室乗務員人事部と交渉してきたこと、原告らに対する具体的労務管
理及び指揮命令は右客室乗務員人事部が行っており、フライトスケジュールの作成
はミュンヘンの乗務員配置計画部門で行い、東京営業所はこれらの伝達等をするに
とどまり、原告らに対する労務管理や指揮命令を行っていないこと、原告らの給与
は雇用契約上ドイツマルクで合意され、ハンブルグにある被告の給与算定部でドイ
ツマルクにより算定され、これにドイツの健康保険料及び年金保険料の各使用者負
担分が付加されて支給総額が算定され、この中からドイツの所得税、年金保険料、
衣服費を控除した後、残額がドイツマルクで東京営業所に一括して送金され、東京
営業所において国外所得として所得税、住民税及び社会保険料が控除された後、手
取額が日本円で原告らに送金されていること、原告らに対する募集及び面接試験は
日本で行われたが、フランクフルト本社の客室乗務員人事部が東京ベースのエアホ
ステスの募集を決定し、同人事部の担当者が来日して面接試験を行い、採用決定を
したもので、東京営業所のクルーコーディネーターは同人事部が提示した募集条件
を充たす者を書類選考するなど補助的に関与したにすぎないこと、原告a及び原告
cはドイツにおいて雇用契約書に署名しており、原告bは日本において雇用契約書
に署名しているが、署名した雇用契約書は東京営業所を通じて被告のフランクフル
ト本社客室乗務員人事部に返送しており、原告らの雇用契約はいずれも被告のフラ
ンクフルト本社の担当者との間で締結されていることが認められる。
 右に認定した諸事実を総合すれば、本件各雇用契約を締結した際、被告と各原告
との間に本件各雇用契約の準拠法はドイツ法であるとの黙示の合意が成立していた
ものと推定することができる。
3 原告らは、原告らのホームベースの所在地は日本であるから、原告らの労務給
付地は日本というべきであり、また、原告らの指摘する事情に照らせば、本件各雇
用契約に密接に関連するのは日本法であり、したがって、準拠法は日本法と解すべ
きである旨主張する。
しかし、証拠(乙第四一号証、証人ドクター・dの証言)及び弁論の全趣旨によれ
ば、原告らの主たる勤務の内容は搭乗業務であり、成田、フランクフルト等の空港
における勤務は待機時間も含めていずれも約二時間程度であって、原告らの勤務の
大半は被告の航空機内において、多国間の領土上空を通過しつつ実施されているこ
とが認められ、準拠法についての黙示の意思の推定の関係では、原告らの労務給付
地は多国間にまたがっていて、単一の労務給付地というものはないというべきであ
る。また、本件においては、前記のとおり、原告らに対する具体的労務管理及び指
揮命令はフランクフルト本社の客室乗務員人事部で行われていて、東京営業所は原
告らの労務管理を行っておらず、ホームベースは労働協約上も休養時間、休日等の
取得場所としての意味しかないこと(乙第六、第四一号証、証人ドクター・dの証
言)が認められ、ホームベースが日本であることのみでは、原告らと被告との間に
本件各雇用契約の準拠法を日本法とする合意が成立していたと推認するには足りな
い。
 さらに、原告らは日本においてミーティング、QC活動、健康診断、救難訓練、
広報活動等に従事することがあり(甲第二四、第二五証、第二六ないし第二九号証
の各一、二、第四四号証、原告b本人尋問の結果)、給与も一旦東京営業所に送金
され、所得税、住民税及び社会保険料が控除された後、手取額が日本円で原告らに
送金されているが、これは原告らが日本に居住していることから、被告や原告ら各
人の便宜のために実施されているのであって、本件各雇用契約の本質的な要素とは
言いがたく、右のような諸事情をもって、本件各雇用契約の準拠法を日本法とする
合意が成立していると推認することはできない。
三 争点4(ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
1 ドイツの判例
 証拠(乙第三七、第五二号証)によれば、連邦労働裁判所(BAG)に確立した
判例は、以下のとおりであることが認められる。
(一) 撤回留保の合意は原則として有効であるが、撤回の対象が雇用契約の本質
的な要素であり、撤回権を行使すれば雇用契約における給付と反対給付の均衡を損
なう結果となるような場合は、強行法規である「解約保護の回避」に当たり、民法
一三四条(法律上の禁止に反する法律行為は無効とする。ただし、法律によって他
の結果を生ずるときはこの限りでない。)により無効となるので、撤回は雇用契約
の本質に関係しない付加的合意に限定される。そして、賃金の一部の撤回権を留保
した契約条項について、その対象が賃金協約外の付加的給付であるときは、連邦労
働裁判所は一貫して「解約保護の回避」には当たらないとしており、撤回の対象と
なった付加的給付が給与総額の一五ないし二〇パーセントを占める場合においても
撤回留保を有効としている。
 後記のとおり、留保された撤回権の具体的な行使は「公正な裁量」に適合しなけ
ればならないが、その前提として、撤回留保条項に「公正な裁量」の文言あるいは
撤回の具体的要件が明示されていることを要するかについて、連邦労働裁判所は、
これを否定し、撤回留保条項に「公正な裁量」の文言あるいは撤回の具体的要件が
明示されていない場合にも、撤回留保条項自体を無効とするのではなく、撤回留保
は公正な裁量の範囲において有効となるか、又は部分的に有効であり、撤回権は公
正な裁量に基づいてさえいれば行使できるとしている。
(二) 留保された撤回権の行使は、民法三一五条による制約を受け、公正な裁量
に適合する場合にのみ有効であり、具体的な撤回権の行使が公正な裁量に適合して
いるといえるためには、撤回理由が当該付加的給付の支給目的と関連性を有してい
ることを要する。
 また、撤回権の行使により平等な取扱いが実現されることが撤回の許容性の重要
な基準となるだけでなく、平等取扱いの必要性自体が撤回理由になり得る。
2 本件留保条項の有効性
 前記(争いのない事実等4の(一)、(二)及び(四))のとおり、本件の付加
手当は賃金協約外で原告ら東京ベースのエアホステスと個別に合意された付加的給
付であり、付加手当が撤回された当時、原告らの月例給与総額に占めるその割合
は、約一〇ないし一三パーセントであったことからすると、付加手当は雇用契約の
本質的要素とはいえず、付加手当が撤回されたとしても、本件各雇用契約における
給付と反対給付の均衡を損なう結果となり、強行法規である解約保護の回避に当た
るものとは認められない。もっとも、ドイツ民法三一五条一項に照らし、本件留保
条項は、被告に公正な裁量の範囲内における撤回権の行使を認める趣旨と解するの
が相当であり、その範囲において有効というべきである。
 なお、原告bにおいては、付加手当の支給を開始する旨の同原告宛て昭和四九年
一一月八日付けの通知書に本件留保条項が記載されていること、右通知書は被告か
らの一方的意思表示にすぎないが、原告bはその後平成三年八月に付加手当が撤回
されるまでの約一七年間、右留保条項について一度も異議を唱えることなく付加手
当の支給を受けていたことからすると、原告bにおいて、右留保条項を黙示に承諾
したものと認められる。
3 撤回権行使の有効性
 前記(争いのない事実等4の(一))のとおり、本件の付加手当は、日本の空港
の駐車料金、高いガソリン代・食料品代・タクシー代等、東京ベースのエアホステ
スがドイツベースのエアホステスにはない出費を余儀なくされることから、これを
補填する趣旨で導入・増額された経緯があり、付加手当にインフレ手当、すなわち
東京とドイツの生活費等の差異を補填する意味合いがあることは、当事者間に争い
がない。他方で、その支給、増額の経緯からして、割高なタクシー料金を背景に交
通費支給の意味合いを有することも明らかであるが、被告は、ドイツベースのエア
ホステスには交通費を支給していないことから、付加手当の支給目的を交通費に限
定することには一貫して否定的な姿勢をとってきたこと、付加手当は、各人の個別
事情を問うことなく東京(成田)ベースの日本人エアホステスに対して一律に一定
額が支給されていることに照らすと、その支給目的は、交通費そのものの補填では
なく、東京ベースの日本人エアホステスがドイツベースのエアホステスに比べ高額
な生活費の負担を余儀なくされていることから、これを補填し、もってドイツベー
スのエアホステスとの間に給与の実質的平等を確保することにあったものと認めら
れる。
 そして、被告が原告らに対する付加手当を撤回した理由は、前記(争いのない事
実等4の(三))のとおり、原告らの給与所得に対する課税方法の変更により、原
告らの給与の手取額が増加したからであるところ、証拠(乙第五四号証の一ないし
三、第五五ないし第六一号証)及び弁論の全趣旨によれば、付加手当を撤回した後
である平成四年度の原告らの月例給与の手取額(実際額)は、原告らの給与所得に
対する課税方法が変更されず、付加手当五〇〇マルクの支給が継続されたと仮定し
た場合の同年度の原告らの月例給与の手取額(仮定額)より、原告aにつき約四万
九〇〇〇円、原告bにつき約九万四五〇〇円、原告cにつき約六万円それぞれ多い
ことが認められる。
 そうすると、原告らは、課税方法の変更後は、五〇〇マルクの付加手当が支給さ
れなくても、課税方法の変更前に付加手当が支給されていたとき以上の手取給与を
取得することが可能になったのであるから、ドイツベースのエアホステスと比べ原
告ら東京(成田)ベースのエアホステスが負担している高額な生活費を補填し、も
ってドイツベースのエアホステスとの間に給与の実質的平等を確保するという付加
手当の支給目的は、課税方法の変更後は付加手当が支給されなくても充足され、か
つ、付加手当の支給を継続すれば、ドイツベースのエアホステスに比べて東京(成
田)ベースのエアホステスを優遇することになり、平等取扱いの原則に反すること
にもなるから、原告らに対する付加手当の撤回は、公正な裁量に適合しているもの
と評価でき、有効というべきである。
四 結論
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれ
も理由がないからこれを棄却して、主文のとおり判決する。
(裁判官 萩尾保繁 白石史子 西理香)


労働6事件 ルフトハンザ航空事件その2

2012年02月23日 | 労働百選

       主   文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
一 被告は原告a(以下「原告a」という。)に対し、金一三七万五〇〇〇円及び
内金一二六万五〇〇〇円に対する平成五年七月八日から、内金一一万円に対する平
成六年一一月二二日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 被告は原告b(以下「原告b」という。)に対し、金四〇九万七五〇〇円及び
内金一四三万円に対する平成五年一〇月二一日から、内金一六万五〇〇〇円に対す
る平成六年一一月二二日から、内金一七三万二五〇〇円に対する平成八年四月二三
日から、内金七七万円に対する平成九年五月一四日から各支払済みまで年六分の割
合による金員を支払え。
三 被告は原告bに対し、平成九年五月から同原告と被告との間の雇用関係が終了
するまで毎月二七日限り一か月金五万五〇〇〇円並びに毎年六月一〇日及び一二月
一〇日限り各金二万七五〇〇円を支払え。
四 被告は原告c(以下「原告c」という。)に対し、金二八六万八二七八円及び
内金一二八万七九四五円に対する平成五年一〇月二一日から、内金八一万〇三三三
円に対する平成八年四月二三日から、内金七七万円に対する平成九年五月一四日か
ら各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
五 被告は原告cに対し、平成九年五月から同原告と被告との間の雇用関係が終了
するまで毎月二七日限り一か月金五万五〇〇〇円並びに毎年六月一〇日及び一二月
一〇日限り各金二万七五〇〇円を支払え。

第二 事案の概要
 本件は、ドイツ連邦共和国(以下「ドイツ」という。)に本店を置く被告に雇用
され、エアホステス(客室乗務員)として勤務していた原告らが、被告において従
来基本給のほかに支給していた付加手当の支給を一方的に取り止めたのは無効であ
るとして、同手当等の支払を求めている事案である。
一 争いのない事実等
 以下の事実は当事者間に争いがないか、括弧内記載の証拠によって認められる。
1 当事者
(一) 被告は、ドイツ法に準拠して設立され、ドイツに本店を有する航空会社で
あり、日本における代表者を定め、頭書の日本における営業所の所在地に営業所
(以下「東京営業所」という。)を有している。
(二) 原告らは、いずれも日本に住所地を有する日本人であり、次のとおり、被
告と雇用契約を締結し、エアホステスとして勤務していた、あるいは勤務している
者である。
(1) 原告aは被告との間で、昭和六二年一一月二三日、東京において研修契約
を締結し、昭和六三年三月四日、フランクフルトにおいて雇用契約を締結した。そ
して、平成五年六月三〇日付けで被告を退職した。
(2) 原告bは被告との間で、昭和四六年一月、東京において、「研修及び雇用
条件について」と題する書面に署名のうえ被告の東京営業所を通じて被告のフラン
クフルト本社客室乗務員人事部に返送し、研修契約及び雇用契約を締結した(乙第
二二号証)。
(3) 原告cは被告との間で、東京において研修契約を締結し(甲第四五号
証)、昭和六二年二月二七日、フランクフルトにおいて雇用契約を締結した。原告
cは、平成五年五月二七日から病気のため一旦休業した後、平成七年二月九日から
就労を再開した。
2 雇用契約の概要
(一) 原告らと被告との間においては、雇用契約に関する国際裁判管轄及び準拠
法のいずれについても明示の合意はない。
(二) 原告らと被告との間の雇用契約関係の書類は、いずれも英語で記載されて
いる。
(三) 原告らと被告との間の各雇用契約(以下「本件各雇用契約」という。)に
おいては次のとおり、約定されている。
(1) 原告らのホームベースは東京(成田)とする。
(2) 被告は原告らの勤務を極東ルートのみに利用する権利を留保する。
(3) 原告らの権利義務は、後記3記載の「被告の航空乗務員のための労働協
約」、乗務員マニュアル及び会社協定に基づく。
(4) 日独租税条約により、給与はドイツにおいてのみ課税できる。諸税控除後
の給与は国内通貨で東京営業所を通じて支給し、原告らの日本における銀行口座に
振り込む。
(5) 原告らは、日本国法により適当な社会保険料を支払う義務を有する。
(四) 原告らの給与額はドイツマルクで定められている。
3 労働協約(乙第六号証)
(一) 本件各雇用契約において、原告らの権利義務が依拠するとされている労働
協約は、社団法人ハンブルグ労働法協会(AVH)とドイツ被用者労働組合(DA
G)及び公共サービス輸送交通労働組合(OTV)との間で、被告の乗務員に関し
締結されたものである。
(二) 右労働協約は、被告の乗務員の勤務時間、乗務時間、飛行時間、休憩時
間、休日、給与の支給項目、給与は賃金協約に従って支給されること、手当、休
暇、定年などについて定めている。
(三) また、右労働協約にはホームベースに関する規定として、休養時間や休日
は原則としてホームベースにおいて与えられること(四条四項、七項)及び乗務の
都合によりホームベース外で宿泊する場合の費用は被告が負担すること(添付書面
Ⅱの五条)が定められている。
4 付加手当
(一) 付加手当導入・増額の経緯
 被告は、昭和四九年一〇月、東京(羽田)ベースの日本人エアホステスを対象に
付加手当(Additional Payment)の支給を開始した。この付加
手当は、東京(羽田)ベースの日本人エアホステスの有志が、ドイツには空港に従
業員用の無料駐車場やガソリン・食料品等を安く購入できる施設があるのに対し、
羽田空港にはそのような施設がないため、東京ベースのエアホステスはドイツベー
スのエアホステスにはない出費を余儀なくされることを訴えて、被告にこの出費を
カバーされたい旨要求し、被告がこれに応えたもので、インフレ手当の意味合いで
あった。
 付加手当の額は、当初一二〇マルク(月額、以下同じ。)であったが、東京(羽
田)ベースの日本人エアホステスの有志が、東京におけるタクシー代の値上がりの
実態等を訴えて、被告に交通費の支給を要求した結果、昭和五一年一〇月に一〇〇
マルク増額されて二二〇マルクとなった。有志らは、その後も被告にタクシー代を
被告が全額負担するよう要求したが、被告は、ドイツベースのエアホステスには交
通費を支給していないことから、交通費名目で支給することは拒絶し、昭和五三年
一月、付加手当を八〇マルク増額して三〇〇マルクとすることで対応した。
 昭和五三年五月の成田空港の開港に伴い、被告は、同年六月から二年間、成田空
港開港以前に東京(羽田)をホームベースとして入社した日本人エアホステスに対
し、付加手当三〇〇マルクとは別に、成田空港までの往復の交通費の補助として二
〇〇マルクの交通手当(commuters allowance)を支給した
が、成田空港開港後に成田をホームベースとして入社した日本人エアホステスにつ
いては、付加手当三〇〇マルクで据え置いた。
 昭和五五年六月、被告は、東京をホームベースとする日本人エアホステスの中に
羽田ベースと成田ベースの二つのグループが存在することは好ましくないとの考え
から、羽田ベースのエアホステスのホームベースを成田に変更するとともに、二〇
〇マルクの交通手当を撤回し、これに代えて、成田空港開港後に入社したエアホス
テスを含む東京(成田)ベースの日本人エアホステス全員について、付加手当を二
〇〇マルク増額して五〇〇マルクとした。
 なお、昭和六〇年一月以降、東京(成田)ベースの日本人エアホステスの給与
は、一マルク=一一〇円の固定レートで換算されて各エアホステスの口座に振り込
まれることとなった。したがって、それ以降付加手当は五〇〇マルク=五万五〇〇
〇円となったものである(甲第二〇、第二一、第三二、第三三号証、乙第四〇、第
四一、第四四号証、証人ドクター・dの証言、原告b本人尋問の結果。)
(二) 撤回留保条項
 付加手当が支給されるようになった後に入社した東京(成田)ベースのエアホス
テス(本件原告の中では、原告a及び原告c)については、雇用契約書に給与とし
て基本給のほかに付加手当が支給されること及びその額が明示されるとともに、
「被告は付加手当を撤回または削減する権利を留保する。」との条項(以下「本件
留保条項」という。)が記載されている。
 また、付加手当支給前に入社していた原告bについては、付加手当が支給される
ことになった際、被告は原告bに対し、昭和四九年一一月八日付けの書面で、同年
一〇月一日より付加手当一二〇マルクを支給することを通知するとともに、同書面
に本件留保条項を記載していた。
(三) 付加手当撤回の経緯
 被告は、原告らの給与所得に対する課税方法の変更により、平成二年からドイツ
における課税範囲が九・八パーセントに限縮され、残余についてドイツよりも税額
の低い日本で課税されることになった結果、原告らの給与の手取額が増加すること
となったため、付加手当を支給する理由が失われたとして、本件留保条項に基づ
き、平成三年八月以降原告らに対する付加手当を撤回することとし、同年六月一七
日付けの書面で原告らにその旨通知した。
(四) 撤回時の付加手当等の支給内容
 付加手当撤回当時の原告らの給与(両国における課税前の名目額)は、原告aに
ついて基本給三四二九・三八マルク及び付加手当五〇〇マルク、原告bについて基
本給四六八七・二四マルク、家族手当一〇〇マルク及び付加手当五〇〇マルク、原
告cについて基本給三六四一・一一マルク及び付加手当五〇〇マルクであり、原告
らの月例給与総額に占める付加手当の割合は、約一〇ないし一三パーセントであ
る。
 原告らに対する月例給与は、毎月二七日に定額(原告a三五万円、原告b四一万
円、原告c三五万円)が、翌月一〇日に残額が支払われる。
 また、原告らに対する一時金は、毎年六月一〇日及び一二月一〇日に、各々月例
給与基礎額の〇・五か月分が支払われるが、この月例給与基礎額には、平成三年六
月までは基本給のほかに付加手当五〇〇マルクが含まれていた。
5 清算条項
 原告aは、被告を退職するに際し、平成五年三月二四日、被告との間で「退職金
の支払をもって雇用契約から生じる全ての相互の物的及び精神的請求権が全て償わ
れたこととする。」との清算条項(以下「本件清算条項」という。)のある合意書
を作成した。
6 ドイツ民法の規定
 ドイツ民法二四二条及び三一五条の規定は、次のとおりである。
二四二条(乙第五二号証)
 債務者は、信義誠実に、取引の慣習に配慮して給付する義務を負う。
三一五条(乙第七号証)
一項 契約当事者の一方により給付を確定すべき場合において、疑わしいときは、
公正な裁量により確定をなすべきものとする。
二項 確定は、相手方に対する意思表示によりこれをなす。
三項 公正な裁量により確定をなすべきときは、確定が公正な裁量に適合する場合
に限り相手方を拘束する。確定が公正な裁量に適合しないときは判決をもって確定
する。確定が遅滞したときまた同じ。
二 争点
1 国際裁判管轄
2 準拠法
3 日本法を準拠法とした場合の付加手当徹回の有効性
4 ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性
5 原告らが受けるべき付加手当等の額
6 本件清算条項の効力
三 当事者の主張
1 争点1(国際裁判管轄)について
(一) 原告ら
 被告は日本において東京営業所を有し、同営業所及び日本における代表者を登記
しているから、民訴法四条三項を通した条理により日本に管轄権が認められる。
(二) 被告
 国際裁判管轄の配分は、裁判の公正、適正・迅速という裁判の理想とする価値を
出発点とし、当該事件における具体的事実を配慮して決定されるべきである。
 本件についてみると、裁判の公正という点では、受動的に訴えられる被告の立場
を配慮し、被告の保護がはかられるべきところ、被告の本店(ドイツ・ケルン)が
あり、被告の主要業務が行われているドイツに裁判管轄権があるというべきである
し、裁判の適正・迅速という点でも、原告らの給与体系は被告とドイツの労働組合
との間で締結された労働協約に基づくものであり、支給額の算定はドイツ・ハンブ
ルグにある被告の給与算定部で行われていることに照らせば、証拠方法の収集が容
易なドイツが裁判管轄権を有するというべきである。また、法解釈は、準拠法所属
国の裁判所が最も適正になし得るところ、後記(2の(二)の(2))のとおり、
本件の準拠法はドイツ法というべきであるから、この点からもドイツが裁判管轄権
を有すべきである。
 被告は日本において東京営業所を有するが、同営業所は、本件の争点となるよう
な人事、給料の決定、算定に関する業務を担当するものではないから、民訴法九条
にいう当該事件の内容たる主たる業務を担当する「営業所」には当たらず、本件の
国際裁判管轄を決定する要因とはなり得ない。
2 争点2(準拠法)について
(一) 原告ら
(1) 国際労働契約の準拠法について当事者の明示の意思がない場合は、労務給
付地を基準として、法例七条一項により当事者の黙示の意思を探求し、当該契約に
「最も密接(重要)な関連を持つ法」を準拠法とすべきである。そして、国際運送
業務に従事する労働者のように労務給付地が複数国にまたがる場合は、ホームベー
ス(勤務基地)の所在地を労務給付地とみるべきである。仮に、労務給付地が明確
に確定できないとされた場合は、その他の事情から「より密接な関連」を探求する
ことになるが、被告のように国際的に事業を展開する企業がその営業活動に関係す
る国の法律を調査し熟知していることは当然のことであるのに対し、一労働者が母
国法あるいは居住地法ではない外国法の内容を認識したうえで国際労働契約を締結
することは、予め使用者から説明がなされるなど特段の事情がない限り通常は考え
にくいから、「より密接な関連」の有無は、労働者の国籍、居住地など労働者にと
ってより親近性があると思われる要素に比重を置いて判断すべきである。
(2) 本件では、原告らのホームベースの所在地は日本であるから、労務給付地
は日本というべきであり、したがって、本件各雇用契約に最も「密接な関連」を持
つ法は日本法である。仮に労務給付地が明確に確定できないとされた場合でも、原
告らの国籍及び住所地はいずれも日本であること、原告らに対する募集は日本で行
われ、東京営業所のクルーコーディネーターが書類選考し、日本で面接試験が行わ
れたこと、面接試験合格後、被告との契約(原告a及び原告cについては、正式の
雇用契約に先立つ研修契約、原告bについては、研修契約及び雇用契約)は日本で
締結されたこと、ホームベースはそこに生活・居住の基盤があることを指すもので
あること、雇用契約上、被告は原告らを極東ルートのみに利用する権利を留保して
おり、原告らの乗務は日本・ドイツ間に限られていること、原告らがフライトスケ
ジュールを受け取るのは成田空港であること、成田空港には東京(成田)ベースの
日本人エアホステス用の機内免税品販売の売上金金庫があること、原告らの乗務以
外の労務(ミーティング、QC行動、健康診断、救難訓練、被告のPR活動等)は
日本で行われていること、原告らが妊娠した場合は日本での地上勤務となること、
原告らの給与は東京営業所から振り込まれていること、原告らは日本の社会保険に
加入していることなどに照らせば、本件各雇用契約に「より密接な関連」を有する
のは日本法である。したがって、準拠法は日本法と解すべきである。
 原告らは被告との間で、被告の乗務員のための労働協約に依拠する旨合意してい
るが、それは、労働協約を引用して雇用契約の内容を定めているだけのことであ
り、何ら抵触法的な意味を持つものではない。また、付加手当は労働協約とは別に
東京ベースの日本人エアホステスとの間で個別に合意された給与項目であるから、
労働協約の解釈・運用とは関連ない。
(二) 被告
(1) 雇用契約の準拠法についての当事者の黙示の意思は、労務給付地だけでな
く、労務の提供をめぐる諸要素からこれを推認すべきである。
(2) 本件では、原告らは被告との間で、被告とドイツの労働組合との間で締結
された労働協約に依拠することを合意しており、その結果、原告らの給与体系はド
イツ式に定められ、賃金もドイツマルクで合意され、昇給も賃金協約に従ってなさ
れている。これら協約は、労働協約自治の原則を定めるドイツ労働法に独特の規定
に基づくものであるから、当事者間では、ドイツ法の適用が黙示的に合意されてい
たというべきである。
 右の事情に加えて、原告らの募集、採用の手続、決定はフランクフルト本社の客
室乗務員人事部の担当者によるものであること、原告らの労働条件の交渉は、労働
協約により援用されているドイツの経営組織法の規定に基づきフランクフルト本社
の従業員代表を通じてなされ、労働協約の適用を受けない個別の労働条件について
も、直接又は間接にフランクフルト本社の客室乗務員人事部と交渉し、東京営業所
が実質的に関与することはないこと、労働協約によれば、ホームベースはエアホス
テスのフライトスケジュールを立てる際の居住地とみなされる場所であり、休養、
休日、宿泊などに関係する概念であって、労務給付地とは特に関係がないこと、原
告ら東京(成田)ベースのエアホステスが常時労務を提供するところは航空機内で
あり、これが被告に属する以上、労務給付地はドイツというべきであること、原告
らの給与の支給額の算定はハンブルグの給与算定部でドイツマルクによって行われ
た後、東京営業所に送付されること、原告らに対する具体的労務管理及び指揮命令
はフランフルト本社の客室乗務員人事部で行い、フライトスケジュールの作成はミ
ュンヘンの乗務員配置計画部門で行っていることなどの事情に照らしても、ドイツ
法を準拠法とすべきであり、日本法を準拠法とする理由はない。
3 争点3(日本法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
(一) 原告ら
(1) 本件留保条項自体の無効
 賃金は最も重要な労働条件の一つであるから、使用者にその一方的変更権を与え
るような契約条項を無条件に有効と解することはできず、撤回権の留保条項は、撤
回権行使の具体的要件(付加手当の支給目的とそれに対応した撤回理由、撤回、削
減の段階づけ、撤回される付加手当の額等)が明示されていなければ無効というべ
きである。本件留保条項には、撤回権の具体的内容が明示されていないから、賃金
対等決定の原則ないし信義則に照らし、又は公序良俗に反するから、それ自体無効
である。
(2) 撤回権行使の無効
 仮に本件留保条項自体は有効であるとしても、これに基づく撤回権の行使が権利
の濫用にわたる場合は無効であり、撤回が権利の濫用に当たるか否かは、事業運営
の必要性と労働者の被る不利益とを比較衡量して判断すべきである。
 本件では、付加手当は、単なるインフレ手当でもなければ、一般的な生計維持手
当でもなく、交通費等、東京ベースのエアホステスがドイツベースのエアホステス
と比較して、ホームベースを異にすることによる労働条件上の不利益を補填するた
めの手当であって、東京ベースの日本人エアホステスの給与所得がドイツで課税さ
れることによる賃金の手取額の減少を補填するものではないから、ドイツにおける
給与所得に対する課税方法の変更によって原告らの賃金の手取額が増加したからと
いって、付加手当を撤回する理由にはならない。他方、付加手当撤回による減額は
月額五万五〇〇〇円と大きく、労働者の被る不利益は大きい。
 また、賃金の減額は労働者の経済生活に多大な影響をもたらすから、権利濫用の
判断に当たっては、使用者が代償措置や緩和措置のほか、少なくとも不利益の大き
い労働者(空港への遠隔地通勤者など)への経過措置を講じたり、説明や意向の打
診など一定の手続的配慮をすることが要請されるというべきであるが、本件ではそ
のような措置や配慮はなされていないから、権利濫用に当たり、無効である。
(二) 被告
(1) 一般に、手当はその支給目的が消滅した場合、当然撤回・削減されるもの
である。被告は、付加手当の支給目的消滅に伴う撤回・削減を予想して撤回・削減
権を留保したものであって、かつ、これを原告らが承諾している以上、本件留保条
項自体が公序良俗に反し無効となることはない。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回は、後記(4の(一)の(2))のとお
り、合理的理由があった。
4 争点4(ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
(一) 被告
(1) ドイツ法の解釈
 ドイツ民法三一五条は雇用契約についても適用がある。契約条件の一方的変更権
の留保は、「撤回権の留保」として分類され、同条の「給付の確定」の概念に含ま
れると解されているが、雇用契約における撤回権の留保は、法律に定められた「解
約保護」の概念から逸脱する場合は無効となる。解約保護から逸脱が生じるのは、
撤回権の留保によって契約の本質的要素が一方的に変更され、その結果、給付と反
対給付の均衡を失する場合である。
 したがって、原告らに対する付加手当の撤回が有効となるためには、次の三つの
要件を充たしていることが必要である。①撤回権の留保が公正な裁量を条件として
定められていること、②撤回によって雇用契約の本質的要素が一方的に変更される
ことがなく、給付と反対給付の均衡が根本的に変わらないこと、③撤回権を行使す
るに当たって、実際に公正な裁量に基づいて行われたこと。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回が有効であること
 原告らに対する付加手当の撤回は、次のとおり右の三要件を全て充たしており、
有効である。
ア 要件①について
 本件留保条項には、「公正な裁量」という概念は明示されていないが、ドイツ民
法三一五条三項により、公正な裁量の限りにおいて、かつ、その範囲内でのみ使用
者に撤回・削減権を与える趣旨であると解される。よって、この要件は、特別な合
意を待つことなく充足される。
イ 要件②について
 付加手当は、東京ベースのエアホステスに生じたインフレや交通費といった生計
維持費を補うために導入・増額されたものであるが、それは、例えばタクシー代な
どの特別経費に対する特別補償ではなく、特別な名目のない補助的な一般的生計維
持手当であるし、かつ、ドイツ連邦労働裁判所は、基本給の二五パーセントの額の
付加的給付でも雇用契約の本質的要素でないとしているところ、本件の付加手当は
基本給の二〇パーセントを大幅に下回っているのであるから、付加手当は雇用契約
の本質的要素ではなく、公正な裁量の範囲内で行われる撤回・削減は、雇用契約に
おける給付の基本的枠組みを崩すものではない。
ウ 要件③について
 ドイツにおける原告らの給与所得に対する課税方法の変更によって、原告らの税
負担はほぼ半減し、給付の手取額は、撤回された付加手当の額以上に増加した。す
なわち、付加手当を撤回した後である平成四年度の月例給与の手取額(実際額)
と、課税方法が変更されず付加手当が継続されたと仮定した場合の同年度の月例給
与の手取額(仮定額)を比較すると、原告aにつき四万九〇八二円、原告bにつき
九万四五〇五円、原告cにつき六万〇一三六円それぞれ増加した。
 給与の手取額がこれだけ顕著に増加している以上、生計維持費としての付加手当
はもはや給付枠組みの本質的要素とはみなされ得ないし、その撤回が給付の枠組み
を崩すこともない。むしろ、同じ協約賃金で同じ業務に携わっているドイツベース
のエアホステスとのバランスを保ち、エアホステス全体の給付枠組みを維持するた
めに、付加手当の撤回は不可欠であった。
 したがって、原告らに対する付加手当の撤回は公正な裁量にかなっているといえ
る。
(二) 原告ら
(1) ドイツ法の解釈
 原告らに対する付加手当の撤回の有効性は、①撤回権の留保が有効になされたか
否かの問題(内容コントロール)と、これが有効になされたことを前提とする②撤
回権行使の適法性の問題(権利行使コントロール)とを区別して検討しなければな
らない。そして、本件留保条項の内容コントロールは、連邦通常裁判所がドイツ民
法二四二条を通じて一般民事契約における撤回権の留保について発展させてきた約
款規制法理に従って行われるべきである。約款規制法理によれば、撤回権の留保条
項は、撤回権行使の具体的要件が明示されていない限り、無効である。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回が無効であること
ア 内容コントロールについて
 本件留保条項は、付加手当の撤回・削減の要件が明示されておらず、撤回理由に
ついては何ら根拠・限定がないから、ドイツ民法二四二条による約款規制法理によ
って無効である。
 仮に、本件留保条項の内容コントロールについて民法三一五条によるとした場合
でも、本件留保条項には「自由な裁量に基づき」という文言はないが、そうである
からといって「公正な裁量」による制限を内包しているということにはならないか
ら、無効である。
イ 権利行使コントロールについて
 仮に、本件留保条項が「公正な裁量」という制限を内包した一応有効なものであ
るとしても、付加手当は、原告らの給与所得がドイツで課税されることによる賃金
の手取額の減少を補填するものではなく、交通費補填の趣旨を含むものであるか
ら、ドイツにおける給与所得に対する課税方法の変更によって原告らの賃金の手取
額が増加したからといって、付加手当を撤回する理由にはならず、撤回権行使の要
件が充たされたことにはならない。
 また、原告らに対する付加手当の撤回は、前記(3の(一)の(2))のとお
り、公正な裁量にかなうものとはいえない。
5 争点5(原告らが受けるべき付加手当等の額)について
(一) 原告ら
(1) 未払賃金
ア 原告a
 平成三年八月分から退職した平成五年六月分までの付加手当合計一二六万五〇〇
〇円と平成三年一二月、平成四年六月、同年一二月、平成五年六月の一時金のうち
付加手当分合計一一万円
イ 原告b
 平成三年八月分から平成九年四月分までの付加手当合計三七九万五〇〇〇円と平
成三年一二月、平成四年六月、同年一二月、平成五年六月、同年一二月、平成六年
六月、同年一二月、平成七年六月、同年一二月、平成八年六月、同年一二月の一時
金のうち付加手当分合計三〇万二五〇〇円
ウ 原告c
 平成三年八月一日から平成五年五月二六日までの付加手当合計一二八万七九四五
円及び平成七年二月九日から平成九年四月末までの間の付加手当合計一四七万〇三
三三円と平成七年六月、同年一二月、平成八年六月、同年一二月の一時金のうち付
加手当分合計一一万円
(2) 将来請求分
 原告b及び原告cは現在も被告に勤務しており、今後被告に就労している限り、
雇用関係が終了するまで、毎月五万五〇〇〇円の付加手当の支払を受ける請求権並
びに毎年六月一〇日及び一二月一〇日限り、各々付加手当の〇・五か月分二万七五
〇〇円の支払を受ける請求権を有しているが、被告は、原告らの請求にもかかわら
ず支払を拒否しているから、将来発生するものについても支払わない可能性が高
い。
(3) よって、原告らは被告に対し、右未払の付加手当及び一時金の合計額並び
に遅延損害金の支払を求めるとともに、原告b及び原告cについては、平成九年五
月分以降の付加手当及び一時金の付加手当相当部分の支払を求める。
(二) 被告
 争う。
6 争点6(本件清算条項の効力)について
(一) 被告
 仮に本件の付加手当の撤回が無効であるとしても、原告aは、本件清算条項によ
り、本件請求に係る未払賃金請求権を放棄した。
(二) 原告a
 原告aの差し入れた本件清算条項のある合意書は、ドイツ語で作成されていると
ころ、同原告はドイツ語を解せず、被告の総務担当者から「保険の文書で、退職に
際し皆サインするものである。」と言われたため、事務的な書類であると誤信し、
内容を全く理解しないまま署名したものであって、本件清算条項についての合意は
成立していない。