判例百選・重判ナビ

百選重判掲載判例へのリンク・答案例等

労働6事件 ルフトハンザ航空事件その3

2012年02月23日 | 労働百選

第三 争点に対する判断
一 争点1(国際裁判管轄)について
1 本来国の裁判権はその主権の一作用としてなされるものであり、裁判権の及ぶ
範囲は原則として主権の及ぶ範囲と同一であるから、被告が外国に本店を有する外
国法人である場合はその法人が進んで服する場合のほか日本の裁判権は及ばないの
が原則である。しかしながら、その例外として、わが国の領土の一部である土地に
関する事件その他被告がわが国となんらかの法的関連を有する事件については、被
告の国籍、所在のいかんを問わず、その者をわが国の裁判権に服させるのを相当と
する場合のあることも否定しがたいところである。そして、この例外的扱いの範囲
については、この点に関する国際裁判管轄を直接規定する法規もなく、また、よる
べき条約も一般に承認された明確な国際法上の原則もいまだ確立していない現状の
もとにおいては、当事者間の公平、裁判の適正・迅速を期するという理念により条
理にしたがって決定するのが相当であり、わが民訴法の国内の土地管轄に関する規
定、たとえば、被告の居所(民訴法二条)、法人その他の団体の事務所又は営業所
(同四条)、義務履行地(同五条)、被告の財産所在地(同八条)、不法行為地
(同一五条)、その他民訴法の規定する裁判籍のいずれかがわが国内にあるとき
は、これらに関する訴訟事件につき、被告をわが国の裁判権に服させるのが右条理
に適うものというべきである(最高裁判所第二小法廷昭和五六年一〇月一六日判
決・民集三五巻七号一二二四頁)。
2 これを本件についてみると、被告は、ドイツ法に準拠して設立され、ドイツに
本店を有する会社であるが、日本における代表者を定め、東京都内に東京営業所を
有するというのであるから、たとえ被告が外国に本店を有する外国法人であって
も、被告をわが国の裁判権に服させるのが相当である。
二 争点2(準拠法)について
1 雇用契約の準拠法については、法例七条の規定に従いこれを定めるべきである
が、当事者間に明示の合意がない場合においても、当事者自治の原則を定めた同条
一項に則り、契約の内容等具体的事情を総合的に考慮して当事者の黙示の意思を推
定すべきである。
2 そこで、本件各雇用契約の準拠法についての黙示の合意の成立について検討す
る。
 前記争いのない事実等1ないし3、証拠(甲第二〇ないし第二二、第四四、第四
五号証、乙第六、第一八、第二二、第四一号証、証人ドクター・dの証言、原告b
本人尋問の結果)並びに弁論の全趣旨によれば、本件各雇用契約においては、被告
と各原告らとの間で、原告らの権利義務については、社団法人ハンブルグ労働法協
会(AVH)とドイツ被用者労働組合(DAG)及び公共サービス輸送交通労働組
合(OTV)との間で締結された被告の乗務員に関する労働協約に依拠することが
合意されていること、右労働協約により、原告ら被告の乗務員の勤務時間、乗務時
間、飛行時間、休憩時間、休日、給与の支給項目、手当、休暇、定年などの基本的
な労働条件全般が定められ、また、右労働協約に基づく賃金協約により、給与の支
給に関する乗務員の分類・等級、昇給等も定められていること、右労働協約は、労
働協約自治の原則を定めるドイツ労働法に独特の規定に基づくものであり、その内
容もドイツの労働法等の法規範に基づいていること、右労働協約の適用を受ける労
働条件の交渉は、労働協約により援用されているドイツ経営組織法の規定に基づ
き、フランクフルト本社の従業員代表を通じてなされていること、本件の付加手当
等の右労働協約の適用を受けない個別的な労働条件についても、原告らはフランク
フルト本社の客室乗務員人事部と交渉してきたこと、原告らに対する具体的労務管
理及び指揮命令は右客室乗務員人事部が行っており、フライトスケジュールの作成
はミュンヘンの乗務員配置計画部門で行い、東京営業所はこれらの伝達等をするに
とどまり、原告らに対する労務管理や指揮命令を行っていないこと、原告らの給与
は雇用契約上ドイツマルクで合意され、ハンブルグにある被告の給与算定部でドイ
ツマルクにより算定され、これにドイツの健康保険料及び年金保険料の各使用者負
担分が付加されて支給総額が算定され、この中からドイツの所得税、年金保険料、
衣服費を控除した後、残額がドイツマルクで東京営業所に一括して送金され、東京
営業所において国外所得として所得税、住民税及び社会保険料が控除された後、手
取額が日本円で原告らに送金されていること、原告らに対する募集及び面接試験は
日本で行われたが、フランクフルト本社の客室乗務員人事部が東京ベースのエアホ
ステスの募集を決定し、同人事部の担当者が来日して面接試験を行い、採用決定を
したもので、東京営業所のクルーコーディネーターは同人事部が提示した募集条件
を充たす者を書類選考するなど補助的に関与したにすぎないこと、原告a及び原告
cはドイツにおいて雇用契約書に署名しており、原告bは日本において雇用契約書
に署名しているが、署名した雇用契約書は東京営業所を通じて被告のフランクフル
ト本社客室乗務員人事部に返送しており、原告らの雇用契約はいずれも被告のフラ
ンクフルト本社の担当者との間で締結されていることが認められる。
 右に認定した諸事実を総合すれば、本件各雇用契約を締結した際、被告と各原告
との間に本件各雇用契約の準拠法はドイツ法であるとの黙示の合意が成立していた
ものと推定することができる。
3 原告らは、原告らのホームベースの所在地は日本であるから、原告らの労務給
付地は日本というべきであり、また、原告らの指摘する事情に照らせば、本件各雇
用契約に密接に関連するのは日本法であり、したがって、準拠法は日本法と解すべ
きである旨主張する。
しかし、証拠(乙第四一号証、証人ドクター・dの証言)及び弁論の全趣旨によれ
ば、原告らの主たる勤務の内容は搭乗業務であり、成田、フランクフルト等の空港
における勤務は待機時間も含めていずれも約二時間程度であって、原告らの勤務の
大半は被告の航空機内において、多国間の領土上空を通過しつつ実施されているこ
とが認められ、準拠法についての黙示の意思の推定の関係では、原告らの労務給付
地は多国間にまたがっていて、単一の労務給付地というものはないというべきであ
る。また、本件においては、前記のとおり、原告らに対する具体的労務管理及び指
揮命令はフランクフルト本社の客室乗務員人事部で行われていて、東京営業所は原
告らの労務管理を行っておらず、ホームベースは労働協約上も休養時間、休日等の
取得場所としての意味しかないこと(乙第六、第四一号証、証人ドクター・dの証
言)が認められ、ホームベースが日本であることのみでは、原告らと被告との間に
本件各雇用契約の準拠法を日本法とする合意が成立していたと推認するには足りな
い。
 さらに、原告らは日本においてミーティング、QC活動、健康診断、救難訓練、
広報活動等に従事することがあり(甲第二四、第二五証、第二六ないし第二九号証
の各一、二、第四四号証、原告b本人尋問の結果)、給与も一旦東京営業所に送金
され、所得税、住民税及び社会保険料が控除された後、手取額が日本円で原告らに
送金されているが、これは原告らが日本に居住していることから、被告や原告ら各
人の便宜のために実施されているのであって、本件各雇用契約の本質的な要素とは
言いがたく、右のような諸事情をもって、本件各雇用契約の準拠法を日本法とする
合意が成立していると推認することはできない。
三 争点4(ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
1 ドイツの判例
 証拠(乙第三七、第五二号証)によれば、連邦労働裁判所(BAG)に確立した
判例は、以下のとおりであることが認められる。
(一) 撤回留保の合意は原則として有効であるが、撤回の対象が雇用契約の本質
的な要素であり、撤回権を行使すれば雇用契約における給付と反対給付の均衡を損
なう結果となるような場合は、強行法規である「解約保護の回避」に当たり、民法
一三四条(法律上の禁止に反する法律行為は無効とする。ただし、法律によって他
の結果を生ずるときはこの限りでない。)により無効となるので、撤回は雇用契約
の本質に関係しない付加的合意に限定される。そして、賃金の一部の撤回権を留保
した契約条項について、その対象が賃金協約外の付加的給付であるときは、連邦労
働裁判所は一貫して「解約保護の回避」には当たらないとしており、撤回の対象と
なった付加的給付が給与総額の一五ないし二〇パーセントを占める場合においても
撤回留保を有効としている。
 後記のとおり、留保された撤回権の具体的な行使は「公正な裁量」に適合しなけ
ればならないが、その前提として、撤回留保条項に「公正な裁量」の文言あるいは
撤回の具体的要件が明示されていることを要するかについて、連邦労働裁判所は、
これを否定し、撤回留保条項に「公正な裁量」の文言あるいは撤回の具体的要件が
明示されていない場合にも、撤回留保条項自体を無効とするのではなく、撤回留保
は公正な裁量の範囲において有効となるか、又は部分的に有効であり、撤回権は公
正な裁量に基づいてさえいれば行使できるとしている。
(二) 留保された撤回権の行使は、民法三一五条による制約を受け、公正な裁量
に適合する場合にのみ有効であり、具体的な撤回権の行使が公正な裁量に適合して
いるといえるためには、撤回理由が当該付加的給付の支給目的と関連性を有してい
ることを要する。
 また、撤回権の行使により平等な取扱いが実現されることが撤回の許容性の重要
な基準となるだけでなく、平等取扱いの必要性自体が撤回理由になり得る。
2 本件留保条項の有効性
 前記(争いのない事実等4の(一)、(二)及び(四))のとおり、本件の付加
手当は賃金協約外で原告ら東京ベースのエアホステスと個別に合意された付加的給
付であり、付加手当が撤回された当時、原告らの月例給与総額に占めるその割合
は、約一〇ないし一三パーセントであったことからすると、付加手当は雇用契約の
本質的要素とはいえず、付加手当が撤回されたとしても、本件各雇用契約における
給付と反対給付の均衡を損なう結果となり、強行法規である解約保護の回避に当た
るものとは認められない。もっとも、ドイツ民法三一五条一項に照らし、本件留保
条項は、被告に公正な裁量の範囲内における撤回権の行使を認める趣旨と解するの
が相当であり、その範囲において有効というべきである。
 なお、原告bにおいては、付加手当の支給を開始する旨の同原告宛て昭和四九年
一一月八日付けの通知書に本件留保条項が記載されていること、右通知書は被告か
らの一方的意思表示にすぎないが、原告bはその後平成三年八月に付加手当が撤回
されるまでの約一七年間、右留保条項について一度も異議を唱えることなく付加手
当の支給を受けていたことからすると、原告bにおいて、右留保条項を黙示に承諾
したものと認められる。
3 撤回権行使の有効性
 前記(争いのない事実等4の(一))のとおり、本件の付加手当は、日本の空港
の駐車料金、高いガソリン代・食料品代・タクシー代等、東京ベースのエアホステ
スがドイツベースのエアホステスにはない出費を余儀なくされることから、これを
補填する趣旨で導入・増額された経緯があり、付加手当にインフレ手当、すなわち
東京とドイツの生活費等の差異を補填する意味合いがあることは、当事者間に争い
がない。他方で、その支給、増額の経緯からして、割高なタクシー料金を背景に交
通費支給の意味合いを有することも明らかであるが、被告は、ドイツベースのエア
ホステスには交通費を支給していないことから、付加手当の支給目的を交通費に限
定することには一貫して否定的な姿勢をとってきたこと、付加手当は、各人の個別
事情を問うことなく東京(成田)ベースの日本人エアホステスに対して一律に一定
額が支給されていることに照らすと、その支給目的は、交通費そのものの補填では
なく、東京ベースの日本人エアホステスがドイツベースのエアホステスに比べ高額
な生活費の負担を余儀なくされていることから、これを補填し、もってドイツベー
スのエアホステスとの間に給与の実質的平等を確保することにあったものと認めら
れる。
 そして、被告が原告らに対する付加手当を撤回した理由は、前記(争いのない事
実等4の(三))のとおり、原告らの給与所得に対する課税方法の変更により、原
告らの給与の手取額が増加したからであるところ、証拠(乙第五四号証の一ないし
三、第五五ないし第六一号証)及び弁論の全趣旨によれば、付加手当を撤回した後
である平成四年度の原告らの月例給与の手取額(実際額)は、原告らの給与所得に
対する課税方法が変更されず、付加手当五〇〇マルクの支給が継続されたと仮定し
た場合の同年度の原告らの月例給与の手取額(仮定額)より、原告aにつき約四万
九〇〇〇円、原告bにつき約九万四五〇〇円、原告cにつき約六万円それぞれ多い
ことが認められる。
 そうすると、原告らは、課税方法の変更後は、五〇〇マルクの付加手当が支給さ
れなくても、課税方法の変更前に付加手当が支給されていたとき以上の手取給与を
取得することが可能になったのであるから、ドイツベースのエアホステスと比べ原
告ら東京(成田)ベースのエアホステスが負担している高額な生活費を補填し、も
ってドイツベースのエアホステスとの間に給与の実質的平等を確保するという付加
手当の支給目的は、課税方法の変更後は付加手当が支給されなくても充足され、か
つ、付加手当の支給を継続すれば、ドイツベースのエアホステスに比べて東京(成
田)ベースのエアホステスを優遇することになり、平等取扱いの原則に反すること
にもなるから、原告らに対する付加手当の撤回は、公正な裁量に適合しているもの
と評価でき、有効というべきである。
四 結論
 以上によれば、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれ
も理由がないからこれを棄却して、主文のとおり判決する。
(裁判官 萩尾保繁 白石史子 西理香)


労働6事件 ルフトハンザ航空事件その2

2012年02月23日 | 労働百選

       主   文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
       事実及び理由
第一 請求
一 被告は原告a(以下「原告a」という。)に対し、金一三七万五〇〇〇円及び
内金一二六万五〇〇〇円に対する平成五年七月八日から、内金一一万円に対する平
成六年一一月二二日から各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 被告は原告b(以下「原告b」という。)に対し、金四〇九万七五〇〇円及び
内金一四三万円に対する平成五年一〇月二一日から、内金一六万五〇〇〇円に対す
る平成六年一一月二二日から、内金一七三万二五〇〇円に対する平成八年四月二三
日から、内金七七万円に対する平成九年五月一四日から各支払済みまで年六分の割
合による金員を支払え。
三 被告は原告bに対し、平成九年五月から同原告と被告との間の雇用関係が終了
するまで毎月二七日限り一か月金五万五〇〇〇円並びに毎年六月一〇日及び一二月
一〇日限り各金二万七五〇〇円を支払え。
四 被告は原告c(以下「原告c」という。)に対し、金二八六万八二七八円及び
内金一二八万七九四五円に対する平成五年一〇月二一日から、内金八一万〇三三三
円に対する平成八年四月二三日から、内金七七万円に対する平成九年五月一四日か
ら各支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
五 被告は原告cに対し、平成九年五月から同原告と被告との間の雇用関係が終了
するまで毎月二七日限り一か月金五万五〇〇〇円並びに毎年六月一〇日及び一二月
一〇日限り各金二万七五〇〇円を支払え。

第二 事案の概要
 本件は、ドイツ連邦共和国(以下「ドイツ」という。)に本店を置く被告に雇用
され、エアホステス(客室乗務員)として勤務していた原告らが、被告において従
来基本給のほかに支給していた付加手当の支給を一方的に取り止めたのは無効であ
るとして、同手当等の支払を求めている事案である。
一 争いのない事実等
 以下の事実は当事者間に争いがないか、括弧内記載の証拠によって認められる。
1 当事者
(一) 被告は、ドイツ法に準拠して設立され、ドイツに本店を有する航空会社で
あり、日本における代表者を定め、頭書の日本における営業所の所在地に営業所
(以下「東京営業所」という。)を有している。
(二) 原告らは、いずれも日本に住所地を有する日本人であり、次のとおり、被
告と雇用契約を締結し、エアホステスとして勤務していた、あるいは勤務している
者である。
(1) 原告aは被告との間で、昭和六二年一一月二三日、東京において研修契約
を締結し、昭和六三年三月四日、フランクフルトにおいて雇用契約を締結した。そ
して、平成五年六月三〇日付けで被告を退職した。
(2) 原告bは被告との間で、昭和四六年一月、東京において、「研修及び雇用
条件について」と題する書面に署名のうえ被告の東京営業所を通じて被告のフラン
クフルト本社客室乗務員人事部に返送し、研修契約及び雇用契約を締結した(乙第
二二号証)。
(3) 原告cは被告との間で、東京において研修契約を締結し(甲第四五号
証)、昭和六二年二月二七日、フランクフルトにおいて雇用契約を締結した。原告
cは、平成五年五月二七日から病気のため一旦休業した後、平成七年二月九日から
就労を再開した。
2 雇用契約の概要
(一) 原告らと被告との間においては、雇用契約に関する国際裁判管轄及び準拠
法のいずれについても明示の合意はない。
(二) 原告らと被告との間の雇用契約関係の書類は、いずれも英語で記載されて
いる。
(三) 原告らと被告との間の各雇用契約(以下「本件各雇用契約」という。)に
おいては次のとおり、約定されている。
(1) 原告らのホームベースは東京(成田)とする。
(2) 被告は原告らの勤務を極東ルートのみに利用する権利を留保する。
(3) 原告らの権利義務は、後記3記載の「被告の航空乗務員のための労働協
約」、乗務員マニュアル及び会社協定に基づく。
(4) 日独租税条約により、給与はドイツにおいてのみ課税できる。諸税控除後
の給与は国内通貨で東京営業所を通じて支給し、原告らの日本における銀行口座に
振り込む。
(5) 原告らは、日本国法により適当な社会保険料を支払う義務を有する。
(四) 原告らの給与額はドイツマルクで定められている。
3 労働協約(乙第六号証)
(一) 本件各雇用契約において、原告らの権利義務が依拠するとされている労働
協約は、社団法人ハンブルグ労働法協会(AVH)とドイツ被用者労働組合(DA
G)及び公共サービス輸送交通労働組合(OTV)との間で、被告の乗務員に関し
締結されたものである。
(二) 右労働協約は、被告の乗務員の勤務時間、乗務時間、飛行時間、休憩時
間、休日、給与の支給項目、給与は賃金協約に従って支給されること、手当、休
暇、定年などについて定めている。
(三) また、右労働協約にはホームベースに関する規定として、休養時間や休日
は原則としてホームベースにおいて与えられること(四条四項、七項)及び乗務の
都合によりホームベース外で宿泊する場合の費用は被告が負担すること(添付書面
Ⅱの五条)が定められている。
4 付加手当
(一) 付加手当導入・増額の経緯
 被告は、昭和四九年一〇月、東京(羽田)ベースの日本人エアホステスを対象に
付加手当(Additional Payment)の支給を開始した。この付加
手当は、東京(羽田)ベースの日本人エアホステスの有志が、ドイツには空港に従
業員用の無料駐車場やガソリン・食料品等を安く購入できる施設があるのに対し、
羽田空港にはそのような施設がないため、東京ベースのエアホステスはドイツベー
スのエアホステスにはない出費を余儀なくされることを訴えて、被告にこの出費を
カバーされたい旨要求し、被告がこれに応えたもので、インフレ手当の意味合いで
あった。
 付加手当の額は、当初一二〇マルク(月額、以下同じ。)であったが、東京(羽
田)ベースの日本人エアホステスの有志が、東京におけるタクシー代の値上がりの
実態等を訴えて、被告に交通費の支給を要求した結果、昭和五一年一〇月に一〇〇
マルク増額されて二二〇マルクとなった。有志らは、その後も被告にタクシー代を
被告が全額負担するよう要求したが、被告は、ドイツベースのエアホステスには交
通費を支給していないことから、交通費名目で支給することは拒絶し、昭和五三年
一月、付加手当を八〇マルク増額して三〇〇マルクとすることで対応した。
 昭和五三年五月の成田空港の開港に伴い、被告は、同年六月から二年間、成田空
港開港以前に東京(羽田)をホームベースとして入社した日本人エアホステスに対
し、付加手当三〇〇マルクとは別に、成田空港までの往復の交通費の補助として二
〇〇マルクの交通手当(commuters allowance)を支給した
が、成田空港開港後に成田をホームベースとして入社した日本人エアホステスにつ
いては、付加手当三〇〇マルクで据え置いた。
 昭和五五年六月、被告は、東京をホームベースとする日本人エアホステスの中に
羽田ベースと成田ベースの二つのグループが存在することは好ましくないとの考え
から、羽田ベースのエアホステスのホームベースを成田に変更するとともに、二〇
〇マルクの交通手当を撤回し、これに代えて、成田空港開港後に入社したエアホス
テスを含む東京(成田)ベースの日本人エアホステス全員について、付加手当を二
〇〇マルク増額して五〇〇マルクとした。
 なお、昭和六〇年一月以降、東京(成田)ベースの日本人エアホステスの給与
は、一マルク=一一〇円の固定レートで換算されて各エアホステスの口座に振り込
まれることとなった。したがって、それ以降付加手当は五〇〇マルク=五万五〇〇
〇円となったものである(甲第二〇、第二一、第三二、第三三号証、乙第四〇、第
四一、第四四号証、証人ドクター・dの証言、原告b本人尋問の結果。)
(二) 撤回留保条項
 付加手当が支給されるようになった後に入社した東京(成田)ベースのエアホス
テス(本件原告の中では、原告a及び原告c)については、雇用契約書に給与とし
て基本給のほかに付加手当が支給されること及びその額が明示されるとともに、
「被告は付加手当を撤回または削減する権利を留保する。」との条項(以下「本件
留保条項」という。)が記載されている。
 また、付加手当支給前に入社していた原告bについては、付加手当が支給される
ことになった際、被告は原告bに対し、昭和四九年一一月八日付けの書面で、同年
一〇月一日より付加手当一二〇マルクを支給することを通知するとともに、同書面
に本件留保条項を記載していた。
(三) 付加手当撤回の経緯
 被告は、原告らの給与所得に対する課税方法の変更により、平成二年からドイツ
における課税範囲が九・八パーセントに限縮され、残余についてドイツよりも税額
の低い日本で課税されることになった結果、原告らの給与の手取額が増加すること
となったため、付加手当を支給する理由が失われたとして、本件留保条項に基づ
き、平成三年八月以降原告らに対する付加手当を撤回することとし、同年六月一七
日付けの書面で原告らにその旨通知した。
(四) 撤回時の付加手当等の支給内容
 付加手当撤回当時の原告らの給与(両国における課税前の名目額)は、原告aに
ついて基本給三四二九・三八マルク及び付加手当五〇〇マルク、原告bについて基
本給四六八七・二四マルク、家族手当一〇〇マルク及び付加手当五〇〇マルク、原
告cについて基本給三六四一・一一マルク及び付加手当五〇〇マルクであり、原告
らの月例給与総額に占める付加手当の割合は、約一〇ないし一三パーセントであ
る。
 原告らに対する月例給与は、毎月二七日に定額(原告a三五万円、原告b四一万
円、原告c三五万円)が、翌月一〇日に残額が支払われる。
 また、原告らに対する一時金は、毎年六月一〇日及び一二月一〇日に、各々月例
給与基礎額の〇・五か月分が支払われるが、この月例給与基礎額には、平成三年六
月までは基本給のほかに付加手当五〇〇マルクが含まれていた。
5 清算条項
 原告aは、被告を退職するに際し、平成五年三月二四日、被告との間で「退職金
の支払をもって雇用契約から生じる全ての相互の物的及び精神的請求権が全て償わ
れたこととする。」との清算条項(以下「本件清算条項」という。)のある合意書
を作成した。
6 ドイツ民法の規定
 ドイツ民法二四二条及び三一五条の規定は、次のとおりである。
二四二条(乙第五二号証)
 債務者は、信義誠実に、取引の慣習に配慮して給付する義務を負う。
三一五条(乙第七号証)
一項 契約当事者の一方により給付を確定すべき場合において、疑わしいときは、
公正な裁量により確定をなすべきものとする。
二項 確定は、相手方に対する意思表示によりこれをなす。
三項 公正な裁量により確定をなすべきときは、確定が公正な裁量に適合する場合
に限り相手方を拘束する。確定が公正な裁量に適合しないときは判決をもって確定
する。確定が遅滞したときまた同じ。
二 争点
1 国際裁判管轄
2 準拠法
3 日本法を準拠法とした場合の付加手当徹回の有効性
4 ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性
5 原告らが受けるべき付加手当等の額
6 本件清算条項の効力
三 当事者の主張
1 争点1(国際裁判管轄)について
(一) 原告ら
 被告は日本において東京営業所を有し、同営業所及び日本における代表者を登記
しているから、民訴法四条三項を通した条理により日本に管轄権が認められる。
(二) 被告
 国際裁判管轄の配分は、裁判の公正、適正・迅速という裁判の理想とする価値を
出発点とし、当該事件における具体的事実を配慮して決定されるべきである。
 本件についてみると、裁判の公正という点では、受動的に訴えられる被告の立場
を配慮し、被告の保護がはかられるべきところ、被告の本店(ドイツ・ケルン)が
あり、被告の主要業務が行われているドイツに裁判管轄権があるというべきである
し、裁判の適正・迅速という点でも、原告らの給与体系は被告とドイツの労働組合
との間で締結された労働協約に基づくものであり、支給額の算定はドイツ・ハンブ
ルグにある被告の給与算定部で行われていることに照らせば、証拠方法の収集が容
易なドイツが裁判管轄権を有するというべきである。また、法解釈は、準拠法所属
国の裁判所が最も適正になし得るところ、後記(2の(二)の(2))のとおり、
本件の準拠法はドイツ法というべきであるから、この点からもドイツが裁判管轄権
を有すべきである。
 被告は日本において東京営業所を有するが、同営業所は、本件の争点となるよう
な人事、給料の決定、算定に関する業務を担当するものではないから、民訴法九条
にいう当該事件の内容たる主たる業務を担当する「営業所」には当たらず、本件の
国際裁判管轄を決定する要因とはなり得ない。
2 争点2(準拠法)について
(一) 原告ら
(1) 国際労働契約の準拠法について当事者の明示の意思がない場合は、労務給
付地を基準として、法例七条一項により当事者の黙示の意思を探求し、当該契約に
「最も密接(重要)な関連を持つ法」を準拠法とすべきである。そして、国際運送
業務に従事する労働者のように労務給付地が複数国にまたがる場合は、ホームベー
ス(勤務基地)の所在地を労務給付地とみるべきである。仮に、労務給付地が明確
に確定できないとされた場合は、その他の事情から「より密接な関連」を探求する
ことになるが、被告のように国際的に事業を展開する企業がその営業活動に関係す
る国の法律を調査し熟知していることは当然のことであるのに対し、一労働者が母
国法あるいは居住地法ではない外国法の内容を認識したうえで国際労働契約を締結
することは、予め使用者から説明がなされるなど特段の事情がない限り通常は考え
にくいから、「より密接な関連」の有無は、労働者の国籍、居住地など労働者にと
ってより親近性があると思われる要素に比重を置いて判断すべきである。
(2) 本件では、原告らのホームベースの所在地は日本であるから、労務給付地
は日本というべきであり、したがって、本件各雇用契約に最も「密接な関連」を持
つ法は日本法である。仮に労務給付地が明確に確定できないとされた場合でも、原
告らの国籍及び住所地はいずれも日本であること、原告らに対する募集は日本で行
われ、東京営業所のクルーコーディネーターが書類選考し、日本で面接試験が行わ
れたこと、面接試験合格後、被告との契約(原告a及び原告cについては、正式の
雇用契約に先立つ研修契約、原告bについては、研修契約及び雇用契約)は日本で
締結されたこと、ホームベースはそこに生活・居住の基盤があることを指すもので
あること、雇用契約上、被告は原告らを極東ルートのみに利用する権利を留保して
おり、原告らの乗務は日本・ドイツ間に限られていること、原告らがフライトスケ
ジュールを受け取るのは成田空港であること、成田空港には東京(成田)ベースの
日本人エアホステス用の機内免税品販売の売上金金庫があること、原告らの乗務以
外の労務(ミーティング、QC行動、健康診断、救難訓練、被告のPR活動等)は
日本で行われていること、原告らが妊娠した場合は日本での地上勤務となること、
原告らの給与は東京営業所から振り込まれていること、原告らは日本の社会保険に
加入していることなどに照らせば、本件各雇用契約に「より密接な関連」を有する
のは日本法である。したがって、準拠法は日本法と解すべきである。
 原告らは被告との間で、被告の乗務員のための労働協約に依拠する旨合意してい
るが、それは、労働協約を引用して雇用契約の内容を定めているだけのことであ
り、何ら抵触法的な意味を持つものではない。また、付加手当は労働協約とは別に
東京ベースの日本人エアホステスとの間で個別に合意された給与項目であるから、
労働協約の解釈・運用とは関連ない。
(二) 被告
(1) 雇用契約の準拠法についての当事者の黙示の意思は、労務給付地だけでな
く、労務の提供をめぐる諸要素からこれを推認すべきである。
(2) 本件では、原告らは被告との間で、被告とドイツの労働組合との間で締結
された労働協約に依拠することを合意しており、その結果、原告らの給与体系はド
イツ式に定められ、賃金もドイツマルクで合意され、昇給も賃金協約に従ってなさ
れている。これら協約は、労働協約自治の原則を定めるドイツ労働法に独特の規定
に基づくものであるから、当事者間では、ドイツ法の適用が黙示的に合意されてい
たというべきである。
 右の事情に加えて、原告らの募集、採用の手続、決定はフランクフルト本社の客
室乗務員人事部の担当者によるものであること、原告らの労働条件の交渉は、労働
協約により援用されているドイツの経営組織法の規定に基づきフランクフルト本社
の従業員代表を通じてなされ、労働協約の適用を受けない個別の労働条件について
も、直接又は間接にフランクフルト本社の客室乗務員人事部と交渉し、東京営業所
が実質的に関与することはないこと、労働協約によれば、ホームベースはエアホス
テスのフライトスケジュールを立てる際の居住地とみなされる場所であり、休養、
休日、宿泊などに関係する概念であって、労務給付地とは特に関係がないこと、原
告ら東京(成田)ベースのエアホステスが常時労務を提供するところは航空機内で
あり、これが被告に属する以上、労務給付地はドイツというべきであること、原告
らの給与の支給額の算定はハンブルグの給与算定部でドイツマルクによって行われ
た後、東京営業所に送付されること、原告らに対する具体的労務管理及び指揮命令
はフランフルト本社の客室乗務員人事部で行い、フライトスケジュールの作成はミ
ュンヘンの乗務員配置計画部門で行っていることなどの事情に照らしても、ドイツ
法を準拠法とすべきであり、日本法を準拠法とする理由はない。
3 争点3(日本法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
(一) 原告ら
(1) 本件留保条項自体の無効
 賃金は最も重要な労働条件の一つであるから、使用者にその一方的変更権を与え
るような契約条項を無条件に有効と解することはできず、撤回権の留保条項は、撤
回権行使の具体的要件(付加手当の支給目的とそれに対応した撤回理由、撤回、削
減の段階づけ、撤回される付加手当の額等)が明示されていなければ無効というべ
きである。本件留保条項には、撤回権の具体的内容が明示されていないから、賃金
対等決定の原則ないし信義則に照らし、又は公序良俗に反するから、それ自体無効
である。
(2) 撤回権行使の無効
 仮に本件留保条項自体は有効であるとしても、これに基づく撤回権の行使が権利
の濫用にわたる場合は無効であり、撤回が権利の濫用に当たるか否かは、事業運営
の必要性と労働者の被る不利益とを比較衡量して判断すべきである。
 本件では、付加手当は、単なるインフレ手当でもなければ、一般的な生計維持手
当でもなく、交通費等、東京ベースのエアホステスがドイツベースのエアホステス
と比較して、ホームベースを異にすることによる労働条件上の不利益を補填するた
めの手当であって、東京ベースの日本人エアホステスの給与所得がドイツで課税さ
れることによる賃金の手取額の減少を補填するものではないから、ドイツにおける
給与所得に対する課税方法の変更によって原告らの賃金の手取額が増加したからと
いって、付加手当を撤回する理由にはならない。他方、付加手当撤回による減額は
月額五万五〇〇〇円と大きく、労働者の被る不利益は大きい。
 また、賃金の減額は労働者の経済生活に多大な影響をもたらすから、権利濫用の
判断に当たっては、使用者が代償措置や緩和措置のほか、少なくとも不利益の大き
い労働者(空港への遠隔地通勤者など)への経過措置を講じたり、説明や意向の打
診など一定の手続的配慮をすることが要請されるというべきであるが、本件ではそ
のような措置や配慮はなされていないから、権利濫用に当たり、無効である。
(二) 被告
(1) 一般に、手当はその支給目的が消滅した場合、当然撤回・削減されるもの
である。被告は、付加手当の支給目的消滅に伴う撤回・削減を予想して撤回・削減
権を留保したものであって、かつ、これを原告らが承諾している以上、本件留保条
項自体が公序良俗に反し無効となることはない。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回は、後記(4の(一)の(2))のとお
り、合理的理由があった。
4 争点4(ドイツ法を準拠法とした場合の付加手当撤回の有効性)について
(一) 被告
(1) ドイツ法の解釈
 ドイツ民法三一五条は雇用契約についても適用がある。契約条件の一方的変更権
の留保は、「撤回権の留保」として分類され、同条の「給付の確定」の概念に含ま
れると解されているが、雇用契約における撤回権の留保は、法律に定められた「解
約保護」の概念から逸脱する場合は無効となる。解約保護から逸脱が生じるのは、
撤回権の留保によって契約の本質的要素が一方的に変更され、その結果、給付と反
対給付の均衡を失する場合である。
 したがって、原告らに対する付加手当の撤回が有効となるためには、次の三つの
要件を充たしていることが必要である。①撤回権の留保が公正な裁量を条件として
定められていること、②撤回によって雇用契約の本質的要素が一方的に変更される
ことがなく、給付と反対給付の均衡が根本的に変わらないこと、③撤回権を行使す
るに当たって、実際に公正な裁量に基づいて行われたこと。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回が有効であること
 原告らに対する付加手当の撤回は、次のとおり右の三要件を全て充たしており、
有効である。
ア 要件①について
 本件留保条項には、「公正な裁量」という概念は明示されていないが、ドイツ民
法三一五条三項により、公正な裁量の限りにおいて、かつ、その範囲内でのみ使用
者に撤回・削減権を与える趣旨であると解される。よって、この要件は、特別な合
意を待つことなく充足される。
イ 要件②について
 付加手当は、東京ベースのエアホステスに生じたインフレや交通費といった生計
維持費を補うために導入・増額されたものであるが、それは、例えばタクシー代な
どの特別経費に対する特別補償ではなく、特別な名目のない補助的な一般的生計維
持手当であるし、かつ、ドイツ連邦労働裁判所は、基本給の二五パーセントの額の
付加的給付でも雇用契約の本質的要素でないとしているところ、本件の付加手当は
基本給の二〇パーセントを大幅に下回っているのであるから、付加手当は雇用契約
の本質的要素ではなく、公正な裁量の範囲内で行われる撤回・削減は、雇用契約に
おける給付の基本的枠組みを崩すものではない。
ウ 要件③について
 ドイツにおける原告らの給与所得に対する課税方法の変更によって、原告らの税
負担はほぼ半減し、給付の手取額は、撤回された付加手当の額以上に増加した。す
なわち、付加手当を撤回した後である平成四年度の月例給与の手取額(実際額)
と、課税方法が変更されず付加手当が継続されたと仮定した場合の同年度の月例給
与の手取額(仮定額)を比較すると、原告aにつき四万九〇八二円、原告bにつき
九万四五〇五円、原告cにつき六万〇一三六円それぞれ増加した。
 給与の手取額がこれだけ顕著に増加している以上、生計維持費としての付加手当
はもはや給付枠組みの本質的要素とはみなされ得ないし、その撤回が給付の枠組み
を崩すこともない。むしろ、同じ協約賃金で同じ業務に携わっているドイツベース
のエアホステスとのバランスを保ち、エアホステス全体の給付枠組みを維持するた
めに、付加手当の撤回は不可欠であった。
 したがって、原告らに対する付加手当の撤回は公正な裁量にかなっているといえ
る。
(二) 原告ら
(1) ドイツ法の解釈
 原告らに対する付加手当の撤回の有効性は、①撤回権の留保が有効になされたか
否かの問題(内容コントロール)と、これが有効になされたことを前提とする②撤
回権行使の適法性の問題(権利行使コントロール)とを区別して検討しなければな
らない。そして、本件留保条項の内容コントロールは、連邦通常裁判所がドイツ民
法二四二条を通じて一般民事契約における撤回権の留保について発展させてきた約
款規制法理に従って行われるべきである。約款規制法理によれば、撤回権の留保条
項は、撤回権行使の具体的要件が明示されていない限り、無効である。
(2) 原告らに対する付加手当の撤回が無効であること
ア 内容コントロールについて
 本件留保条項は、付加手当の撤回・削減の要件が明示されておらず、撤回理由に
ついては何ら根拠・限定がないから、ドイツ民法二四二条による約款規制法理によ
って無効である。
 仮に、本件留保条項の内容コントロールについて民法三一五条によるとした場合
でも、本件留保条項には「自由な裁量に基づき」という文言はないが、そうである
からといって「公正な裁量」による制限を内包しているということにはならないか
ら、無効である。
イ 権利行使コントロールについて
 仮に、本件留保条項が「公正な裁量」という制限を内包した一応有効なものであ
るとしても、付加手当は、原告らの給与所得がドイツで課税されることによる賃金
の手取額の減少を補填するものではなく、交通費補填の趣旨を含むものであるか
ら、ドイツにおける給与所得に対する課税方法の変更によって原告らの賃金の手取
額が増加したからといって、付加手当を撤回する理由にはならず、撤回権行使の要
件が充たされたことにはならない。
 また、原告らに対する付加手当の撤回は、前記(3の(一)の(2))のとお
り、公正な裁量にかなうものとはいえない。
5 争点5(原告らが受けるべき付加手当等の額)について
(一) 原告ら
(1) 未払賃金
ア 原告a
 平成三年八月分から退職した平成五年六月分までの付加手当合計一二六万五〇〇
〇円と平成三年一二月、平成四年六月、同年一二月、平成五年六月の一時金のうち
付加手当分合計一一万円
イ 原告b
 平成三年八月分から平成九年四月分までの付加手当合計三七九万五〇〇〇円と平
成三年一二月、平成四年六月、同年一二月、平成五年六月、同年一二月、平成六年
六月、同年一二月、平成七年六月、同年一二月、平成八年六月、同年一二月の一時
金のうち付加手当分合計三〇万二五〇〇円
ウ 原告c
 平成三年八月一日から平成五年五月二六日までの付加手当合計一二八万七九四五
円及び平成七年二月九日から平成九年四月末までの間の付加手当合計一四七万〇三
三三円と平成七年六月、同年一二月、平成八年六月、同年一二月の一時金のうち付
加手当分合計一一万円
(2) 将来請求分
 原告b及び原告cは現在も被告に勤務しており、今後被告に就労している限り、
雇用関係が終了するまで、毎月五万五〇〇〇円の付加手当の支払を受ける請求権並
びに毎年六月一〇日及び一二月一〇日限り、各々付加手当の〇・五か月分二万七五
〇〇円の支払を受ける請求権を有しているが、被告は、原告らの請求にもかかわら
ず支払を拒否しているから、将来発生するものについても支払わない可能性が高
い。
(3) よって、原告らは被告に対し、右未払の付加手当及び一時金の合計額並び
に遅延損害金の支払を求めるとともに、原告b及び原告cについては、平成九年五
月分以降の付加手当及び一時金の付加手当相当部分の支払を求める。
(二) 被告
 争う。
6 争点6(本件清算条項の効力)について
(一) 被告
 仮に本件の付加手当の撤回が無効であるとしても、原告aは、本件清算条項によ
り、本件請求に係る未払賃金請求権を放棄した。
(二) 原告a
 原告aの差し入れた本件清算条項のある合意書は、ドイツ語で作成されていると
ころ、同原告はドイツ語を解せず、被告の総務担当者から「保険の文書で、退職に
際し皆サインするものである。」と言われたため、事務的な書類であると誤信し、
内容を全く理解しないまま署名したものであって、本件清算条項についての合意は
成立していない。


労働6事件 国際的労働関係と労働法規の適用 ―ルフトハンザドイツ航空事件

2012年02月23日 | 労働百選

労働6事件 国際的労働関係と労働法規の適用 ルフトハンザドイツ航空事件

 

ルフトハンザドイツ航空

 

http://www.lufthansa.com/jp/ja/Homepage?WT.srch=1&WT.mc_id=SEABRAND

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%88%AA%E7%A9%BA

設立日 1926年(Deutsche Luft Hansa Aktiengesellschaft として)
ハブ空港 フランクフルト国際空港
ミュンヘン国際空港
焦点空港 デュッセルドルフ国際空港
ハンブルク国際空港
マイレージサービス Miles & More
会員ラウンジ HON / Senator Lounge
同盟 スターアライアンス
保有機材数 319機(145機発注中 30機オプション)
就航地 212都市
親会社 Deutsche Lufthansa AG
本拠地  ドイツ ノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン
代表者 クリストフ・フランツ:執行役会会長

ルフトハンザドイツ航空(ルフトハンザドイツこうくう、ドイツ語: Deutsche Lufthansa AG, 英語: Lufthansa)はケルンに本拠を置くドイツ最大の国際航空会社。ドイツのいわゆる「フラッグ・キャリア」とされているが、現在はドイツ国外の航空会社も多数傘下に置いている。

 

http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=18905&hanreiKbn=06

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/E6A60F9F6168DE3A49256A57005AEEA4.pdf

事件番号 平成5()12180 

事件名 ルフトハンザ準拠法 

裁判年月日 平成91001日 

裁判所名 東京地方裁判所  

分野 労働 

 

 


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その7

2012年02月23日 | 労働百選

第二 本件の団体行動は「争議行為」ではない

一、原判決の認定するところによると、被告人らは、昭和三三年一〇月、内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案を衆議院に提出したとき、これに反対するために(一)時間内職場大会を開催すべき旨の指令を全国の支部、分会に発出したほか(二)農林省庁舎前において勤務時間内二時間の職場集会を計画、同省職員に参加方を慫慂し、かくして争議行為をあおつたというのである。そうである以上、この行動は、国会に労働組合の意思を反映せしめ、立法過程において前記改正の動きを阻止しようとしたのであるから、政治的目的に出たものというべく、そして、集会実施中は、時間は長くないにしても、管理者の意思を排除し、一斉に勤務を放棄するというのであるから、世にいう政治ストにあたるわけである。

 しかし、政治ストというのは俗称にすぎず、純然たる政治的目的のための労働組合の統一行動は、たとえそのために業務の阻害を来たしても、労働法上の争議行為たるストライキとは異質なものなのである。例えば、診療報酬の改訂を要求するための医師会のスト(一斉休診)や、入浴料金据置反対のための浴場業者のストなどは、いかなる意味でも争議行為ではないのであるが、いわゆる政治ストも本質的にはこれらと同様であり、法律改正阻止のための、すなわち国会の審議に影響を及ぼし、かつ政府(この場合は統治機関たる政府であつて、使用者たる政府ではない。)に反省を促すための「スト」は、労働法上の争議行為ではないのである。したがつて、労働組合の行動ではあるが、争議権の行使ではなく、憲法二八条の関知せざる

ところというべきである。

 もとより、憲法二八条の保障を受けないからといつて、それだけの理由で、右の「スト」がただちに違法になるものではない。このことは、あえて憲法二一条を引合に出すまでもなく、明らかであろう。大体、労働組合には政治行動をなすについて労働組合なるが故の特別の保障がないだけであつて、一般に組合に対し政治行動が禁止されていると解すべき何らの理由もないからである。

 もつとも、国家公務員については、私企業の労働者の場合と異なり、政治的行為制限の規定(国公法一〇二条)があるが、それをうけて政治的行為の細かい内容を定めた人事院規則には憲法上疑義なしとしないのであつて、右の規定だけに依拠して一切の政治行動が禁圧されているとするのは相当ではない。それにまた、公務員労働組合の法律改正反対運動が議会制民主主義に反するときめつけることにも問題がある(多数意見は、公務員の勤務条件は国会の制定した法律、予算によつて定められるのであるから、勤務条件について公務員が争議行為を行なうことは議会制民主主義に反するという。医師の団体や農業団体が、立法の促進や法律改正の反対などを目的として、国会や政府に強力な圧力をかけていることは日常われわれが見聞するところである。歓迎すべき風潮ではないとしても、当事者としては生活権擁護上やむにやまれずしてとる行動であるかも知れず、また一方、これを禁止する法規があるわけではないから、いうまでもなく合法的行為なのである。労働組合としても別異ではない。労働組合は、本来、使用者との間において、労働条件の維持改善を図ることを主たる目的として結成され、発達してきたのであるが、今日の高度経済成長の時代においては、使用者との角逐に全力をそそぐ必要が次第に少なくなり、さらに広い視野に立つての物心両面における生活の向上に努力する傾向が顕著となつた。労働組合のこの機能の変化は、労働者の生活と意識の変化の反映であり、アメリカ型のビズネスユニオンにおいてさえ、単なる賃上げ組合の域にとどまることはできないのである。したがつて、労働組合が、企業の内部にのみ局せきすることなく、進んで、行政や立法に自らの意思を反映せしめようとするのはまさに時代の要請であり、まことに当然のことなのである。労働組合が国会の審議に影響力を及ぼそうとすること自体は、越軌な行動に出るものでないかぎり、国会の機能に直接、何の障碍をも与えるものではないから、非難に値するわけではあるまい。むしろ考えようによれば、国の最高機関として民衆と隔絶した高きにある国会に、民意のあるところを知らしめることは、議会制をして真の民主主義に近づかしめる方法でもあろう。)。労働組合の政治的行動を一概に否定し排撃することは、労働組合が現に営んでいる社会的役割ないし活動を無視するものというべきである。

 もとよりそれだからといつて、公務員労働組合の政治的行動がすべて適法だというつもりはない。この点は別個に考察されなければならない。公務員労働組合によつてなされた本件におけるような態様の政治的行動がいかなる法律的評価を受けるものであるかは、憲法一五条及び二一条と国家公務員法との比較考量によつてきめられるべきことである。しかし、国家公務員に対する政治活動の規制とは全く関係のない訴因、罰条をもつて起訴されている本件においては、これ以上、立ち入つた考察をする必要はないと考える。

二、いわゆる政治ストが労働法上の争議行為ではないというためには、労働法上、争議行為とは何かということを解明することが必要であるし、国公法九八条五項で禁止されている争議行為(五項前段は全体として争議行為を禁止しているものと解する。「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」も、広義における争議行為の一部である。これを争議行為と別異なものであるとする説もあるけれども、条文上かくのごときまぎらわしい表現になつているのは、占領下における立法過程に通有の、占領軍が作成し日本政府に押しつけた粗雑なドラフトに屈従した結果と見るべく、要するに立法上のミスであつて、後述する判決中で私が詳述した沿革に徴するときは、上述したところ以外の合理的解釈は考えられないのである。)が、労働法上争

議行為とよばれるものと同じであることを論証しなければならないのであるが、この問題については、私がかつて詳しく論じたところ(仙台全司法事件大法廷判決中の私の意見刑集二三巻五号七一五頁以下)であるので、これを引用する。

 結局、原判決には、法律の解釈を誤つた違法があり破棄を免れないというのが私の結論である。

第三 判例変更の問題について

 最後に、一言付加したいことがある。多数意見は、仙台全司法事件についての当裁判所の判例は変更すべきものであるとしたのであるが、法律上の見解の当否はしばらく措き、何よりもまず、憲法判例の変更についての基本的な姿勢において、私は、多数意見に、甚だあきたらざるものあるを感ずるのである。この点に関しては、本判決に、裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の剴切な意見が付せられており、その所説には私もことごとく賛成であるので、その意見に同調し、私自身の見解の表明に代えることにする。

 

 検察官冨田正典、同山室章、同蒲原大輔 公判出席

  昭和四八年四月二五日

     最高裁判所大法廷

         裁判長裁判官    石   田   和   外

            裁判官    大   隅   健 一 郎

            裁判官    村   上   朝   一

            裁判官    関   根   小   郷

            裁判官    藤   林   益   三

            裁判官    岡   原   昌   男

            裁判官    小   川   信   雄

            裁判官    下   田   武   三

            裁判官    岸       盛   一

            裁判官    天   野   武   一

            裁判官    坂   本   吉   勝

 裁判官田中二郎、同岩田誠、同下村三郎、同色川幸太郎は、退官のため署名押印

することができない。

         裁判長裁判官    石   田   和   外


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その6

2012年02月23日 | 労働百選

 裁判官色川幸太郎の反対意見は、次のとおりである。

第一 争議行為の禁止と刑罰

一、多数意見は、要するに、非現業国家公務員(以下公務員という。)については一切の争議行為が禁止されるのであり、これをあおる等の行為をする者は、何人であつても、刑事制裁を科せられるものであるとし、その旨を規定した国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの、以下国公法という。)一一〇条一項一七号は、これに何らの限定解釈を施さなくとも合憲であるというのであるが、私はこれに決定的に反対である。その理由としては、当裁判所大法廷のE事件判決(昭和四一年(あ)第四〇一号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁)及びD事件判決(昭和四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号六八五頁)(但しこれに付した私の少数意見と抵触する部分を除く。)にあらわれた基本的な見解を引用し、これをもつて私の意見とする。なお、多数意見に含まれる若干の論点について、私のいだいた疑問を開陳し、反対理由の補足としたい。

二、多数意見は、公務員の争議行為が何故に禁止されなければならないか、という理由については、縷縷、言葉をつくして説示しているのであるが(私もその所説については必ずしも全面的に反対するわけではない。)、要は、公務員には争議権を認めるべきではないということだけを力説しているにすぎない。しかるに多数意見は、一転ただちに、科罰の是認へと飛躍し、見るべき論拠をほとんど示すことなく、およそ、争議行為の禁止に違反した場合、これに懲役刑を含む刑罰をもつて臨むことを、争議権制限に伴う当然の帰結とするもののごとくであつて、私としては到底納得できないのである。

 思うに、争議行為を制限しまたは禁止する立法例は現に数多く存在する。ひとり公務員の場合だけではない。しかし禁止違反に対し、ただちに、懲役を含む刑罰を加えるべきことが規定されているのは、他に例を見ないところである。公労法一七条は、公共企業体の職員や郵政その他国営企業の現業公務員及びそれらの組合の争議行為を禁止し、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし若しくはあおる等の行為は、してはならないと定めており、その点で国公法九八条と趣旨を同じくしているのであるが、その違反者は、解雇処分を受けることがあるにすぎず、禁止の裏付けとなる罰則は全く存在しないのであるから刑罰に処せられることがない(電電公社その他各企業体にはそれぞれの事業法があり、そのなかには不当に業務を停廃したことに対する処罰規定もおかれているが、これは個別的な秩序違反行為を対象としたものであつて、争議行為に適用されるものではないと解する。)。公共企業体の職員や国営企業の現業公務員に対して争議行為を禁止するのは国民の福祉を擁護するためであるから、国公法が公務員に対し争議行為を禁止する趣旨との間に、格段の径庭があるわけではない。それであるから、公務員の争議権が制約されなければならない理由を単に積み重ねただけでは、科罰の合理性を 論証したことにはなりえないであろう。

三、もつとも多数意見がその点に全くふれていないわけでもない。いま、多数意見のいうところから理由づけと見るべきものを求めると(1)公務員の争議行為は広く国民全体の共同利益に重大な障碍をもたらす慮れがあること、そして(2)あおり等の行為をした者はかかる違法な争議行為の原動力または支柱であること、の二点であろうか。しかし、いずれを取りあげても、科罰の合理性につき人をして首肯せしめるには、ほど遠いもののあることを感ぜざるをえない。

 刑罰を必要とする第一の、というよりはむしろ唯一の、理由は、争議行為が国民全体の共同利益に重大な障碍をもたらす虞れがあるから、というところに帰着する。しかし、一口に公務員といつても、国策の策定や遂行に任ずる者もあれば、上司の指揮下で補助的な作業にあたつたり、あるいは単純な労務に従事するにすぎない者もあり、その業務内容や職種は千差万別である。のみならず、争議行為のために多かれ少なかれ公務の停廃を見るとしても、争議行為の規模や態様には幾多の段階やニユアンスの差異があるのであつて、国民全体の生活に重大な障碍をもたらすか、またはその虞れがあるような争議行為は、過去の実績に徴しても、極めて異例であるといつて差支えない。国民生活上何らエツセンシアル(これについては後にふれる。)でない公務が、ごく小範囲の職場において、しかも長からざる期間、争議行為によつて停廃を見たとしても(公務員労働関係における大半の紛争状態はまさにこれである。)、国民は多少の不便不利益を蒙るだけである。もともと、労働組合の争議行為は使用者に打撃を加えて己れの主張を貫徹しようとするものであるが、企業は社会から孤立した存在ではないから、そこにおける業務の阻害は第三者にも影響を与えないわけにはいかない。その企業が運輸とか医療とかの公益事業であると、業務の停廃による直接の被害者はむしろ一般公衆である。かくのごとく、第三者も争議行為によつて迷惑を蒙ることを免れないが、それが故に争議行為を全く禁止し、または争議行為によつて第三者の受けた損害を当該労働組合などにすべて負担せしめては憲法二八条の趣旨は全うされないことになるであろう。その意味で第三者はある程度の受忍を余儀なくされるのであり、公務員の場合でも本質的には変るところがないというべきである。

 多数意見の立論の基礎は、国民全体の共同生活に対する重大な障碍を与えるという点にあるのであるから、前述のごとき、国民に対し多少の不便をかけるにすぎない軽微な争議行為については、これに刑罰をもつて臨まないとするのが、論理上当然の筋合ではないかと思うのであるが、何故に多数意見は、事の軽重や、国民生活に対する影響の深浅などをすべて捨象度外視して、公務員による一切の争議行為に対し、刑罰を科することを無条件に是認しようとするのであろうか。限定解釈をしてはじめて憲法上科罰が許されると考えている私の到底同調できないところである。

四、つぎに多数意見は、「公務員の争議行為の禁止は、憲法に違反することはないのであるから、」「この禁止を侵す違法な争議行為をあおる等の行為をする者」は、原動力を与える者としての重い責任が問われて然るべきであり、「違法な争議行為の防遏」のためにその者に刑事制裁を科することには「十分の合理性がある」とする。しかしながら争議行為の禁止が違憲でないからといつて、禁止違反に対し刑罰をもつて臨むことまでも、憲法上、当然無条件に認められるということにはならない。憲法は争議権の保障を大原則として宣言しており、公務員もその大部分はかつてその保障下にあつたのである。その後にいたり、国民の福祉との権衡上、やむをえざる例外として制約されるにいたつたものであると解せられるから(多数意見もこの点は同じ見解をとるものであろう。)、禁止違反に対して科せらるべき不利益の限度なり形態なりは、憲法二八条の原点にもう一度立ち帰り、慎重の上にも慎重に策定されなければならないのである。争議行為禁止が違憲でないが故に禁止違反にはいかなる刑罰を科しても差支えない、という説をとるとすれば、これは論理的にも無理というものではあるまいか。多数意見の立論は、公務員の争議行為を禁止ることこそ憲法の要請であり、至上命令だというような途方もない前提(多数意見は憲法一五条を論じて公務員の地位の特殊性を説くが、さすがにかかる議論にまでは発展していない。)でもとらないかぎり、破綻せざるをえまい。

五、さらに、多数意見は、あおり等の行為を罰することに十分の合理性があるという。しかし、いうところの合理性とは「争議行為の防遏を図るため」の合理性、すなわち、最少の労力をもつて最大の効果をえようとする経済原則としての合理性に近似したもののように見受けられる。いいかえれば、憲法二八条の原則に対する真にやむをえない例外である科罰が、いかなる合理的な根拠に基づいて容認されるか、という意味での合理性ではなく、それとは全く縁もゆかりもない刑事政策ないしは治安対策上の合理性をいうもののごとくである。

 わが国にはかつて、争議行為の誘惑、煽動を取り締る治安警察法一七条という規定があり、これを活用した警察が、明治、大正にわたり、あらゆる争議行為の防遏に美事に功を奏したことがある。当時と異なり争議権の保障のある今日、よもや立法者がその故智先蹤にならつたわけではあるまいが、禁止に背いた違法な争議行為に対処するにあたり、参加者全員を検挙し断罪するのは煩に堪えないばかりでなく、単なる参加者よりも社会的責任の重いいわば巨悪を罰すれば、付和随行の者どもは手を加えるにいたらずして争議行為を断念するであろうという計算があつたのかも知れない。もしそうだとすれば、争議対策としてはなるほど合理的ではあろう。しかしこの考え方は、憲法の次元を離れた、憲法的視野の外にある、便宜的、政策的なもので、もとより採ることは許されない。

六、多数意見は、あおり等の行為に出た者は、争議行為の原動力をなす者であるから、「単なる争議行為参加者にくらべて社会的責任が重く」、したがつてその責任を問われても当然だという。これを裏返していえば、単なる争議行為参加者にも、刑事責任追及の根拠となる社会的責任がないわけではない、ただ原動力を与えた者に比べると軽いだけである、とする主張が底流をなしている。多数意見も、別の個所で、違法な「争議行為に参加したにすぎない職員は刑罰を科せられることなく」と述べてはいるが、それは現行法のあり方を説明したにとどまり、憲法上そうでなければいけないのだという趣旨はどこからも窺うことができない。いまもし現行法が改正されて、単なる争議行為参加者をもことごとく処罰するということになつたと仮定した場合、多数意見の立場からは、これをどう受けとめるであろうか。恐らくは、かくのごとき改正も国会みずからが自由にきめうるところであるとし、その規定を適用することに何の躊躇をも示さないことになるのではあるまいか。

七、上述のように、単なる争議行為参加者は処罰されることがないのであるが、これは区区たる立法政策に出たものと解すべきではない。もしそれをしも処罰するとなれば、ただちに違憲の問題を生ずるであろう。いわゆる争議行為参加者不処罰の原則は憲法二八条との関連において確立されているのである。あおり等の行為の意義も、右の基本的な立場に立脚してはじめて正しく理解することができると考える。

 これに対し多数意見はもとより見解を異にするわけであるが、それにしても、単なる争議行為参加者を処罰するものでないことは、多数意見の容認するところである。しかし、あおり等に関する多数意見の解釈はあまりにも広く(多数意見のように、憲法二八条に立脚せず、それとの関係を無視ないし閑却するかぎり、恣意的な解釈で満足するのであれば格別、厳密な態度での合理的な限定解釈を施すことはできる筈がないのである。)もしそれによるとすれば、後に述べるように、単なる争議行為参加者も処罰の脅威を感ぜざるをえなくなるのであつて、多数意見の立論の根拠たる原動力論、すなわち違法な争議行為の原動力をなす者だけを処罰するのだという理論も実は看板だけにしかすぎないことになりおわるのである(多数意見は、わざわざカツコ書きにおいて、単なる機械的労務を提供したにすぎない者、またはこれに類する者はあおりその他の行為者には含まれないとことわつているのであるが、これは争議行為が組合員自身によつて形成され遂行されるものであるという現実を無視した空論なのである。およそ争議行為は、組合員すべてが自己の判断に基づきそれぞれが主体的な立場に立つて参加し行動するのが通例であつて、例えば、末端組合員が普通担当することになるであろうビラの配布、貼付、指令の伝達などにしても、選挙運動の際の日雇労務者などに見られる単なる機械的な労務の提供とはその質を異にする。)。

 国公法一一〇条一項一七号によつて罪となる行為には、以上の他に、「そそのかし」と「共謀」とがあるが、これらの行為類型のどれひとつ取りあげても、もし多数意見にならつて文字通りに解釈するとすれば、自由意思に基づいて争議行為に参加し、共闘するところのあつた組合員は、たとえ平組合員であろうとも刑事責任を追及されかねないことになる。なぜならば、平組合員と雖も、いわゆる総けつ起大会に出席し、執行部のスト提案に熱烈な声援を送つて組合員の闘志を鼓舞したとすれば「あおり」にちがいないし、スト宣言文書やアジビラを積極的に職場その他に貼つたり、撒いたりしたときは「そそのかし」に該当しないとはいいきれない。そればかりではない。組合の争議行為意思の形成に進んで参加し、また、争議手段についての討議に加わる(これは組合による闘争の場合必ず通過する過程である。)ことが、果して「共謀」でないといいうるかどうかさえ疑問になりはしないか。

 もしかかる設例が必ずしも想定できないわけでないとすれば(争議の実情に鑑みると決してありえないことではない。)、指導的立場において原動力たる役割を演じた組合の中枢部だけでなく、ある程度積極的ではあれ、結局は単なる争議参加者にしかすぎなかつた者を、徹底的に検挙することすら易易たる業となるのである。もし仮にそういう事態が生じたとすれば、これは原動力理論を主張する論者にとつてさえ、恐らく不本意ではあるにちがいない。多数意見も「法は公務員の労働基本権を尊重しこれに対する制約、とくに刑罰の対象とすることを最小限度にとどめようとしている」と説いているのであるから。

 もちろん、普通の紛争に見られる程度の事情においては、かかる不合理な結果を来たすような処理はなされないであろうが、法律による何の歯止めもなく、あげてそのことを捜査機関の良識ある裁量に俟つのみとあつては、多数意見の強調する原動力理論も宙に浮く結果となるであろう。

八、多数意見は、ILO九八号条約をひいて、それが公務員に適用されないことをあげ、また、ILO結社の自由委員会の報告中に、「大多数の国において」公務員がストライキを禁止されている旨の記述があるとして、当該個所を引用し、公務員の争議行為に対する制約は、国際的にも是認されるものだと主張する。

 なるほど九八号条約の第六条には、多数意見の引用にかかるような定めのあることは事実であるが、一九七一年に発足したILOの公務員合同委員会(これは日本を含む一六の政府及びそれぞれの国の労働者側からなる二者構成の公的な専門委員会である。)の第一回会議(同年三月二二日ないし四月二日開催)におけるジエンクスILO事務局長の開会演説は、「現在多くの国において、公務員の労働関係に変化が生じており、勤務条件は労使の話合いを通じて決定される傾向がある」ことを指摘しており、また、右委員会における討議の結果採決された決議第一号は 「一九四九年の団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約(第九八号)が、「公務員の地位を取り扱うものではない」と規定しているにもかかわらず、すでに若干の国においては、公務員は同条約の規定の全部又は一部の恩恵を受けているということを認識し

 公務員は、九八号条約の定めるところに従い、労働組合活動の自由を侵害するいかなる行為に対しても適切に保護されるべきであることを考慮し」と述べているのである(なお同条約第六条の英文テキストには、アドミニストレーシヨンに従事するパブリツクサーバンツとある。これは日本訳にいう「公務員」よりもはるかに狭いものがありはしないか。現にILOの条約勧告専門委員会は、一九六七年に、公務員の概念は各国の法律制度の相違に応じてある程度異なるにしても、公権力の機関として行動しない公務員を含まないとの趣旨の報告を提出している。本件では直接この点を問題にするわけではないが、多数意見のいうところが拡張して解釈される虞れもあるので指摘しておく次第である。)。

 さらに、公務員のストライキを禁止している国が、果して世界の大多数を占めているかどうか、またそうだとしても、そのことの示す意味については問題があると考える。なるほど、数だけからいえば、いまだ少なからざる国が公務員のスト禁止法を存しているが、しかし、その大部分は開発途上国か、そうでなくとも農業国なのである。先進工業国としては、僅かにわが国のほか、アメリカ、オランダ、スイスをあげうるにすぎない。しかも、以前から公務員に対するしめ付けのきわめて厳しいアメリカにおいてさえ、近時いくつかの州において禁止を解く立法がつぎつぎに制定されつつあるのである。

 もつとも問題の核心は、実は、その点にあるわけではない。本件においてわれわれが特に関心をもたざるをえないのは、禁止違反に対する刑罰規定の有無なのである。この種の規定が、殊に先進国において、果してどれだけあるのか、多数意見は何らふれるところがない。いうところは、単に禁止立法が多くの国に存在しているとしているだけである。本件をいやしくも国際的視野に立つて検討するのであれば、刑罰を裏付けとする公務員のスト禁止立法の状況にこそ目をくばるべきであろう。

九、わが国はいまだ批准していないけれども、人も知るとおりILO一〇五号条約は、同盟罷業に参加したことに対する制裁としての強制労働を、何らの留保をも加えることなく、一般的に禁止している。もつとも、ILO五二回総会(一九六八年)に提出された専門委員会の報告は、「右条約案を審議した総会委員会において、一定の事情の下ならば違法な同盟罷業に参加したことに対して刑務所労働を含む刑罰を科することができるという合意ができたという事実を考慮することが適当」だと述べているのであるが、この見解には概ね異論がないらしい。それ故、仮に右条約を批准しても(わが国の政府が批准を躊躇しているのはその点を懸念するためでもあろうか。)、国公法一一〇条一項一七号なども右条約には抵触しないとする見解もあるようである。しかし、前示専門委員会が刑罰を容認するのは、「エツセンシヤル」すなわち「必要不可欠な役務」についてのみなのである。そして、「必要不可欠」とは、同委員会によれば、「その中断が住民の全部又は一部の存在又は福祉を危うくするような」場合をさしていることを忘れてはならない。

 のみならず、結社の自由委員会は、一二号事件において、アルゼンチンでの、スト禁止違反に対する刑事制裁規定につき

 「委員会は、公安にかんする(アルゼンチンの)法規に含まれている、ストライキにたいし、これらの規定を適用する必要性をこれまで見出せなかつた旨の(アルゼンチンの)政府陳述に留意するとともに、これらの規定を、職業上の利益を増進擁護するため、労働組合の指導者が自己の通常の任務を遂行した場合に、これに対しては適用することはできないような態度で、上記諸規定を改正することが望ましい旨、(アルゼンチン)政府の注意を喚起するよう、理事会に勧告する。」と述べている。さらに、五五号事件において(これはギリシヤに刑法上のストライキ処罰規定があることを問題にした申立事件である。)、労働者側の申立を却下はしているのであるが、その理由は、右の刑法の規定が今まで実際には適用されたことがなかつたことに「留意」したからであつて、スト禁止違反に対し刑罰を科することをたやすくは是認しないという態度を示しているのである。

 要するにILOの一般的傾向としては、公務員のスト禁止違反に対し刑罰特に懲役を科することには甚だ消極的なのである。

 飜つて、各先進国の現行法制を見ると、アメリカにおいてこそ、連邦公務員のスト禁止違反に対し一〇〇〇ドル以下の罰金又は一年と一日以下の拘禁もしくはこれを併科するという罰則があるけれども、イギリス、ドイツ及びフランスでは、警察官などについては格別、普通の公務員については、ストライキを禁止する規定がそもそもないのであるから、もとより刑罰の脅威が存在するわけではない。

 以上を通観するならば、世界的な潮流は、多数意見の説くところとおよそ方向を異にするものということができるであろう。多数意見は、自らが「国際的視野」に立つているというのであるが、そうであるとしても、わずかに楯の一面を見たにすぎないのではあるまいか。


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その5

2012年02月23日 | 労働百選

 裁判官岩田誠の意見は、次のとおりである。

 国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。)一一〇条一項一七号の規定の合憲性に関する私の意見は、当裁判所昭和四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決(刑集二三巻五号六八五頁)における私の意見のとおりである。

 したがつて、公務員の行なう争議行為の違法性の強弱、あおり行為等の違法性の強弱により国公法一一〇条一項一七号の適用の有無を決すべきでないことは、前記大法廷判決における私の意見のとおりであるけれども、同法条の規定は、これになんら限定解釈を加えなくても、憲法二八条に違反しないとする意見には賛同することができない。

 これを本件について見るに、原判決が罪となるべき事実として確定したところによれば、被告人らは、それぞれ原判示のような農林省の職員をもつて組織するB労働組合(以下、B労組という。)の役員であるところ、昭和三三年一〇月八日内閣が警察官職務執行法の一部を改正する法律案 (以下、警職法改正案という。)を衆議院に提出するやこれに反対する第四次統一行動の一環として、原判示第一、第二の所為に及んだというのであつて、被告人らの右所為は、B労組の団体行動としてなされたものとしても、右は警職法改正に対する反対闘争という政治目的に出たものであつて、B労組組合員の給与その他の勤務条件の改善、向上を図るためのものではないから、憲法二八条の保障する労働基本権の行使ということはできないものである。したがつて、被告人らの所為は、争議行為にいわゆる通常随伴するものであるか否かにかかわらず、それぞれ国公法一一〇条一項一七号にいう争議行為をあおることを企て、または、争議行為をあおつたものとして同条項違反の罪責を免れないものといわなければならない。

 所論は、また、被告人らの所為を国公法一一〇条一項一七号により処罰した原判決および国公法の右規定は、憲法二一条に違反すると主張する。しかし、警職法改正法案に反対する意見を表明すること自体は、何人にも許され憲法二一条の保障するところであるが、その意見を表明するには、争議行為に訴えなくても、他にいくらでも適法な表明手段が存するのであつて、憲法二八条の保障の範囲を逸脱した本件のような争議行為によることを要するものではない。したがつて、前示のように憲法二八条の保障の範囲を逸脱した争議行為のあおり行為等を処罰する旨を定めた国公法一一〇条一項一七号の規定は、憲法二一条に違反するものではなく、被告人らの前記所為を処罰した原判決もまた憲法二一条に違反するものではない。

 そうすると、被告人らの前示所為は国公法一一〇条一項一七号にあたるとして有罪の言渡をした原判決は結局正当であつて、被告人らの本件上告はいずれもこれを棄却すべきものである。

 

 裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の意見は、次のとおりである。

 本件上告を棄却すべきものとする点においては多数意見と同じであるが、その理由は次のとおりであるほか、岩田裁判官の意見と同じであり、多数意見の説く理由には賛成することができない。

第一 多数意見は、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。)九八条五項および一一〇条一項一七号の各規定が憲法二八条に違反する旨の上告論旨を排斥するにあたり、右国公法の規定は、解釈上これに特別の限定を加えなくても憲法の右規定に反するものではないとし、この点につきさきに憲法違反の疑いを避けるために限定解釈を施すべきものとしたいわゆるD事件の当裁判所判決(昭和四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号六八五頁)と相反する見解を示している。この多数意見の説くところは、基本的には右判決における少数意見を若干ふえんし、かつ、詳述したにとどまるものと考えられるが、これを要約すると、

 (1) 公務員は全体の奉仕者であり、その職務内容は公共性をもつているから、公務員の争議行為は、その地位の特殊性と職務の公共性に反し、かつ、その結果多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、国民全体の利益に重大な影響を及ぼすか、またはその虞れがある。

 (2) 公務員の勤労条件の決定は、私企業の場合と異なり、労使間の自由な取引に基づく合意によつてではなく、国会の制定する法律と予算によつて定められるという特殊性をもつているが、公務員が争議行為の圧力によつてこれに影響を及ぼすことは、右の決定についての正常かつ民主的な過程をゆがめる虞れがある。

 (3) 公務員の争議行為の禁止については、これに対応する有効な代償措置制度が設けられている。

というに尽きる。しかし、右の理由は、いずれも公務員の争議行為を一律全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑事制裁を科することの合憲性を肯定するに十分な理由とすることはできない。すなわち、

一、憲法一五条二項の、公務員が国民全体の奉仕者である旨の規定は、主として、公務員が特定の政党、階級など国民の一部の利益に奉仕すべきものではないとする点に意義を有するものであつて、使用者である国民全体、ないしは国民全体を代表しまたはそのために行動する政府諸機関に対する絶対的服従義務を公務に課したものという解釈をすることはできない。このような解釈は、国民全体と公務員との関係をあたかも封建制のもとにおける君主と家臣とのそれのような全人格的な服従と保護の関係と同視するに近い考え方であつて、公務員と国との関係を対等な権利主体間の法律的関係として把握しようという憲法の基本原理と相容れないものである。のみならず、公務員の地位の特殊性を強調する右の考え方は、勤労条件の決定に関する公務員の労働基本権、とくにその争議権に対する制約原理としてよりも、むしろ、その否定原理としてはたらく性質のものであつて、公務員についても基本的には憲法二八条の労働基本権が認められるとする多数意見自体の説くところと矛盾する契機をすらもつものである。すなわち、このような考え方のもとでは、たとえば、公務員の争議行為のごときは、一種の忠誠義務違反として、それ自体を不当視する観念を生じがちであり、この観念を公務員一般におし及ぼすことは、原則として、すべての国民に基本的人権を認めようとする憲法の基本原理と相容れず、とくに憲法二八条の趣旨とは正面から衝突する可能性を有するものである。それゆえ、公務員の争議権を制限する根拠を国民全体の奉仕者たる地位の特殊性に求めるべきではないというべきである。

 次に、公務員の職務内容が原則として公共の利益に奉仕するものであり、公務員の職務懈怠が公務の円滑な運営に支障をもたらし公共の利益を害する可能性を有することは、多数意見のいうとおりであり、これが公務員の争議行為を制限する実質的理由とされていることは、なにびとも争わないところである。しかし、このことから直ちに、およそ公務員の争議行為一切を一律に禁止し、これをあおる等のすべての行為に刑事制裁を科することが正当化されるとの結論を導くことには、明らかに論理の飛躍がある。すなわち、公務の円滑な運営の阻害による公益侵害をもつて争議権制限の実質的理由とするかぎり、このような侵害の内容と程度は争議行為制限の態様、程度と相関関係にたつべきものであつて、たとえば、形式的には一時的な公務の停廃はあつても、実質的には公務の運営を阻害する虞れがあるといいえない争議行為までも一律に禁止し、これをあおる等の行為に対して刑事制裁を科することが正当とされるいわれはないといわなければならない。国の事務が国の存続自体を支える固有の統治活動、すなわち、軍事、治安、財政などにかぎられていた時代においては、これに従事する者も限定されていた反面、それらの者による公務の懈怠が直ちに国家社会の安全に響く虞れがあり、したがつて、そのような理由からこれらの者の争議行為を全面的に禁止することにも合理性があることを否定できなかつたとしても、近代における福祉国家の発展に伴い、国や地方公共団体の行なう事務が著しく拡大し、その大部分が一般福祉行政や公共的性質を有する経済活動となり、これに従事する者も飛躍的に増加して、全公務員の相当部分を占め、しかも、これらの公務員が全勤労者の中でも相当大きな割合を形成するに至つた今日においては、公務の内容、性質もきわめて多岐多様であるとともに、その運営の阻害が公共の利益に及ぼす影響もまた千差万別であつて、そのうちには、公益的性質を有する私企業の業務の停廃による影響とその内容、性質においてほとんど区別がなく、むしろ、後者の方がその程度いかんによつては、国民生活に対してより重大な支障をもたらす虞れのある場合すら存するのである。したがつて、これらをすべて公益侵害なる抽象的、観念的基準によつて一律に割り切り、公務員の争議行為を、その主体、内容、態様または程度などのいかんにかかわらず全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に刑事制裁を科するようなことは、とうてい、合理性をもつ立法として憲法上これを正当化することはできないといわなければならない。

二、公務員に対する給与は、国または地方公共団体の財源使用の一内容であるから、公務員の勤労条件のいかんは、国などの財政、ことに予算の編成と密接な関連を有し、したがつて、その決定につき、国会または地方公共団体の議会の監視または承認を経由する必要があることは、多数意見の説くとおりである。しかし、このことから、右の勤労条件の基準がすべて立法によつて決定されることを要し、その間に労使間の団体交渉に基づく協定による決定なるものをいれる余地がないとする結論は、当然には導かれないし、憲法上それが予定されていると解すべき根拠もない。憲法七三条四号は、内閣が法律の定める基準に従い官吏に関する事務を掌理すべき旨を規定しているが、それは、国家公務員に関する事務が内閣の所管に属することと、内閣がこの事務を処理する場合の基準の設定が立法事項であつて政令事項ではないことを明らかにしたにとどまり、公務員の給与など勤労条件に関する基準 が逐一法律によつて決定されるべきことを憲法上の要件として定めたものではなく、法律で大綱的基準を定め、その実施面における具体化につき一定の制限のもとに内閣に広い裁量権を与え、かつ、公務員の代表者との団体交渉によつてこれを決定する制度を設けることも憲法上は不可能ではない。したがつて、公務員の勤労条件が、その性質上団体交渉による決定になじまず、団体交渉の裏づけとしての団体行動を正当とする余地がないとすることはできないのである。もつとも、公務員の勤労条件の抽象的基準をすべて法律によつて定めることは、憲法上可能であり、わが国においては現にこのような立法政策がとられ、国家公務員法や公務員給与関係諸法律などによつて、公務員の勤労条件の基準に関し詳細な規定が設けられ、しかも、公務員団体に対し団体交渉権が認められているとはいえ、団体協約締結権は否定され、団体交渉により勤労条件が決定される余地や範囲はきわめて狭く、したがつて、公務員の争議権は、団体交渉権の裏づけとしての意味に乏しく、この点において私企業労働者の場合に比し大きな相違が存することは、これを認めなければならない。しかしながら、公務員の争議権が、その実質的効果の点において大きな制約を受けざるをえないからといつて、団体行動による影響力の行使を全く認める余地がないとか、これを全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑罰を科しても差しつかえないとの結論が当然に導かれるわけではない。公務員がその勤労条件に関する正当な利益を主張し、かつ、これを守るために団結して意思表示をし、団体交渉以外の団体行動によつて、立法による勤労条件の基準決定などに対して影響力を行使することは、その方法が相当であり、かつ、一定の限界内にとどまるかぎり、刑罰の対象から除外されてしかるべきものである。勤労者にとつて団体行動は、このような影響力行使の唯一ともいうべき手段であり、公務員の場合といえどもことは同様である。多数意見は、このような目的のもとにされる公務員の争議行為が、立法や予算の決定などについての民主的政治過程を不当にゆがめる危険があることを指摘するが、この議論は、公務員の争議行為を無制限に許した場合の弊害については妥当するとしても、およそ一切の争議行為を禁止し、これをあおる等の行為に対して刑罰を科することを正当とする理由となるものではない。換言すれば、公務員が自己の要求を貫徹するために、国民生活に重大な影響を及ぼす虞れのあるような争議行為を遂行し、かつ、これを継続するような場合には、多数意見の危倶する弊害が生ずるかも知れないが、その程度に至らないものについては、そのような弊害が生ずる虞れはなく、要は、その方法および程度の問題にすぎないのである。更に、多数意見は、政府にいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)による対抗手段がないことを挙げるが、このような対抗手段は、特殊の強力な争議行為に対するそれとしてのみ意味を有するにすぎず、ロツクアウトが利用できないことは、勤労者側におけるすべての争議行為を不当とする理由となるものではない。そればかりでなく、立法や予算とは直接関係のない問題、とくに団体交渉の認められる事柄について団体行動による影響力を行使する必要がある場合も想定されないわけではないのである。このようにみてくると、多数意見の前記(2)の理由も、公務員の争議行為を全面的に禁止し、これをあおる等のすべての行為に対して刑罰を科することを正当づける理由となるものではないというほかはない。

三、現行法上、公務員の勤労条件については、人事院が内閣から独立した機関として設けられ、勧告その他の活動により比較的公正な立場から公務員の正当な利益を守る、いわゆる代償措置に関する制度が設けられていることは、多数意見の指摘するとおりである。しかし、このような代償措置制度の存在は、国民生活全体の利益の保障という見地から、最少限度公務員の労働基本権を制限する場合において、文字どおりその代償として必要とされるものにすぎず、代償措置制度を設けさえすれば労働基本権を制限することができるというわけのものではない。しかも、実際上、人事院の存在およびその活動が、労働基本権の行使と同じ程度に、公務員の勤労条件に関する正当な利益を保護する機能を常に果すものとはいいがたく、とくに、人事院勧告は、政府または国会に対してなんら応諾義務を課するものではないから、政府または国会に右勧告に応ずる措置をとらせるためには、法的強制以外の政治的または社会的活動を必要とし、このような活動は、究極的には世論の支持、協力を要するものであり、世論喚起のための唯一の効果的手段としての公務員による団体行動の必要を全く否定することはできず、また、人事院の勧告の成立過程においても、勧告の内容に対する公務員の要求を表示するために同様の方法をとる場合のありうることも否定できないのである。要するに、代償措置はあくまでも代償措置にすぎず、しかも現代の代償措置制度の運用については、状況に応じた公務員の団体行動による監視、批判、要求、圧力などを必要とする場合もありうべく、単なる代償措置制度の存在を理由として公務員の争議行為を全面的に禁止し、これをあおる等の行為に対して刑罰を科することを正当化することは、とうてい、不可能であるといわざるをえない。

四、なお、多数意見は、その理由中において、前記大法廷の判決が公務員の争議行為禁止およびこれをあおる等の行為の処罰規定について施した限定解釈に対し、それが法律の明文を無視し、立法の趣旨にも反するものであり、また、限定の基準が不明確であつて刑罰法規における犯罪の構成要件の明確化による保障機能を失わせ、憲法三一条に違反する疑いがあると論難している。

 ところで、右の大法廷判決における国公法の規定の限定解釈に関する見解のうち、争議行為およびこれをあおる等の行為中、処罰の対象となるものとそうでないものとの区別の基準について、いわゆる違法性の強弱という表現を用いた部分が、犯罪の構成要件としてその内容、範囲につき明確を欠くという批判を受けたことは否定することができない。しかし、右の見解は、憲法二八条が労働基本権を保障していることにかんがみ、勤労者である公務員の争議行為とこれをあおる等の行為のうち、刑罰の対象とならないものを認めるべきであるとの基本的観点にたち、その基準として、争議行為については、職員団体の本来の目的を達成するために、暴力なども伴わず、不当に長期にわたる等国民生活に重大な支障を及ぼす虞れのないものにかぎつているのであつて、いわゆる違法性の強弱という表現は、以上の趣旨で用いられたものと解されるのである。また、これをあおる等の行為についても組合員の共同意思に基づく争議行為に関しその発案、計画、遂行の過程において、単にその一環として行なわれるにすぎないいわゆる通常随伴行為にかぎり、いずれも処罰の対象から除外すべきものとするにあり、したがつて、争議行為をあおる等の行為が異常な態様で行なわれた場合および組合員以外の第三者または組合員と第三者との共謀によつて行なわれた場合は、通常随伴行為にあたらないものとしているのである。

 それゆえ、公務員の争議行為をあおる等の行為が右の基準に照らして処罰の対象となるかどうかは、事案ごとに具体的な事実関係に照らして判断されなければならないこととなるが、このことは、公共企業体職員または私企業労働者の争議行為が、たまたまそれ自体争議行為の禁止を内容としていない他の刑罰法規の構成要件事実に該当する場合、たとえば、いわゆるA事件(最高裁昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁)のような場合に、憲法二八条ないしは労働組合法一条二項の規定との関係から、労働組合の本来の目的を達成するためにした正当な行為であるかどうかにつき、事案ごとに具体的な事実関係に照らして判断されなければならないのと同様である。ただ、後者の関係では

違法性阻却の問題であり、前者の関係では構成要件充足の問題であるという相違が生ずるにすぎない。

 およそ、ある法律における行為の制限、禁止規定がその文言上制限、禁止の内容において広範に過ぎ、それ自体憲法上保障された個人の基本的人権を不当に侵害する要素を含んでいる場合には、右基本的人権の保障は憲法の次元において処理すべきものであつて、刑法の次元における違法性阻却の理論によつて処理することは相当でなく、また、右基本的人権を侵害するような広範に過ぎる制限、禁止の法律といつても、常にその規定を全面的に憲法違反として無効としなければならないわけではなく、公務員の争議行為の禁止のように、右の基本的人権の侵害にあたる場合がむしろ例外で、原則としては、その大部分が合憲的な制限、禁止の範囲に属するようなものである場合には、当該規定自体を全面的に無効とすることなく、できるかぎり解釈によつて規定内容を合憲の範囲にとどめる方法(合憲的制限解釈)、またはこれが困難な場合には、具体的な場合における当該法規の適用を憲法に違反するものとして拒否する方法(適用違憲)によつてことを処理するのが妥当な処置というべきであり、この場合、立法による修正がされないかぎり、当該規定の適用が排除される範囲は判例の累積にまつこととなるわけであり、ことに後者の方法を採つた場合には、これに期待せざるをえない場合も少なくないと考えられるのである。

 以上の点に思いをいたすときは、前記のいわゆるD事件の判決が国公法一一〇条一項一七号の規定について前記のような趣旨で構成要件の限定解釈をしたからといつて、憲法三一条に違反する疑いがあるとしてこれを排斥するのは相当でなく、いわんや、この点を理由として、右国公法の規定が解釈上これになんらの限定を加えなくても憲法二八条に違反せず全面的に合憲であるとするようなことは、とうてい、許されるべきではない。

第二 以上、公務員の争議権に関する多数意見の見解の不当であるゆえんを述べたが、ひるがえつて考えるに、本件の処理にあたり、多数意見が、何ゆえ、ことさらにいわゆるD事件大法廷判決の解釈と異なる憲法判断を展開しなければならないのか、その必要と納得のゆく理由を発見することができない。

 本件は、B労働組合による警職法改正反対闘争という政治目的に出た争議行為をあおることを企て、また、これをあおつた行為が国公法の前記規定違反の罪にあたるとして起訴された事件であり、このような争議行為が憲法二八条による争議権の保障の範囲に含まれないことは、岩田裁判官の意見のとおりである。それゆえ、この点につき判断を加えれば、本件の処理としては十分であり、あえて勤労条件の改善、向上を図るための争議行為禁止の可能性の問題にまで立ち入つて判断を加え、しかも、従前の最高裁判所の判例ないしは見解に変更を加える必要はなく、また、変更を加えるべきではないのである。

 憲法の解釈は、憲法によつて司法裁判所に与えられた重大な権限であり、その行使にはきわめて慎重であるべく、事案の処理上必要やむをえない場合に、しかも、必要の範囲にかぎつてその判断を示すという建前を堅持しなければならないことは、改めていうまでもないところである。ことに、最高裁判所が最終審としてさきに示した憲法解釈と異なる見解をとり、右の先例を変更して新しい解釈を示すにあたつ

ては、その必要性および相当性について特段の吟味、検討と配慮が施されなければならない。けだし、憲法解釈の変更は、実質的には憲法自体の改正にも匹敵するものであるばかりでなく、最高裁判所の示す憲法解釈は、その性質上、その理由づけ自体がもつ説得力を通じて他の国家機関や国民一般の支持と承認を獲得することにより、はじめて権威ある判断としての拘束力と実効性をもちうるものであり、このような権威を保持し、憲法秩序の安定をはかるためには、憲法判例の変更は軽々にこれを行なうべきものではなく、その時機および方法について慎重を期し、その内容において真に説得力ある理由と根拠とを示す用意を必要とするからである。もとより、法の解釈は、解釈者によつて見解がわかれうる性質のものであり、憲法解釈においてはとくにしかりであつて、このような場合、終極的決定は多数者の見解によることとならざるをえない。しかし、いつたん公権的解釈として示されたものの変更については、最高裁判所のあり方としては、その前に変更の要否ないしは適否について特段の吟味、検討を施すべきものであり、ことに、僅少差の多数によつてこのような変更を行なうことは、運用上極力避けるべきである。最高裁判所において、かつて、大法廷の判例を変更するについては特別多数決による旨の規則改正案を一般規則制定諮問委員会に諮問したところ、裁判官の英知と良識による運用に委ねるのが適当である、との多数委員の意見により、改正の実現をみるに至らなかつたことがあることは、当裁判所に顕著な事実であるが、この経緯は、右に述べたことを裏づける一資料というべきものである。

 ところで、いわゆるD事件の当裁判所大法廷判決中の、憲法二八条が労働基本権を保障していることにかんがみ公務員の争議行為とこれをあおる等の行為のうち正当なものは刑事制裁の対象とならないものである、という基本的見解は、いわゆるA事件の当裁判所判決およびいわゆるE事件の当裁判所判決(昭和四一年(あ)第四〇一号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁)の線にそい、十分な審議を尽くし熟慮を重ねたうえでされたものであることは、右判決を通読すれば明らかなところであり、その見解は、その後その大綱において下級裁判所も従うところとなり、一般国民の間にも漸次定着しつつあるものと認められるのである。ところが、本件において、多数意見は、さきに指摘したように、事案の処理自体の関係では右見解の当否に触れるべきでなく、かつ、その必要もないにもかかわらず、あえてこれを変更しているのである。しかも、多数意見の理由については、さきの大法廷判決における少数意見の理論に格別つけ加えるもののないことは前記のとおりであり、また、右判決の見解を変更する真にやむをえないゆえんに至つては、なんら合理的な説明が示されておらず、また、客観的にもこれを発見するに苦しまざるをえないのである。以上の経過に加えて、本件のように、僅少差の多数によつてさきの憲法解釈を変更することは、最高裁判所の憲法判断の安定に疑念を抱かせ、ひいてはその権威と指導性を低からしめる慮れがあるという批判を受けるに至ることも考慮しなければならないのである。

 以上、ことは、憲法の解釈、判断の変更について最高裁判所のとるべき態度ないしあり方の根本問題に触れるものであるから、とくに指摘せざるをえない。


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その4

2012年02月23日 | 労働百選

裁判官岸盛一、同天野武一の追加補足意見は、つぎのとおりである。

 (一) まず、多数意見は、憲法二八条の勤労者のうちには、公務員(非現業の国家公務員をいう。以下同じ。)も含まれるとの見解にたちながらも、公務員の地位の特殊性とその職務の公共性とを考慮にいれるとき、公務員の勤労関係を規律する現行法制のもとでは、公務員の勤務条件が法定されており、その身分が保障されているほか、適切な代償措置が講じられている以上は、国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下国公法という。) 九八条五項の規定は、いまだ、憲法二八条に違反するものと断ずることはできないとするものである。

 ところで、一般的に勤労者の争議行為を禁止するについて、その代償措置が設けられることが極めて重要な意義をもつものであることは、いわゆるドライヤー報告やI・L・O結社の自由委員会でもたびたび強調されているところであり、その事例を枚挙するにいとまなしといつても過言ではないのであるが、公務員に関してもその争議行為を禁止するについては、適切な代償措置が必要であることが指摘されているのである(結社の自由委員会第七六次報告第二九四号事件二八四項、第七八次報告第三六四号事件七九項等)。ところが、わが国で、公務員の争議行為の禁止について論議されるとき、代償措置の存在がとかく軽視されがちであると思われるのであるが、この代償措置こそは、争議行為を禁止されている公務員の利益を国家的に保障しようとする現実的な制度であり、公務員の争議行為の禁止が違憲とされないための強力な支柱なのであるから、それが十分にその保障機能を発揮しうるものでなければならず、また、そのような運用がはかられなければならないのである。したがつて、当局側においては、この制度が存在するからといつて、安易に公務員の争議行為の禁止という制約に安住すべきでないことは、いうまでもなく、もし仮りにその代償措置が迅速公平にその本来の機能をはたさず実際上画餅にひとしいとみられる事態が生じた場合には、公務員がこの制度の正常な運用を要求して相当と認められる範囲を逸脱しない手段態様で争議行為にでたとしても、それは、憲法上保障された争議行為であるというべきであるから、そのような争議行為をしたことだけの理由からは、いかなる制裁、不利益をうける筋合いのものではなく、また、そのような争議行為をあおる等の行為をしたからといつて、その行為者に国公法一一〇条一項一七号を適用してこれを処罰することは、憲法二八条に違反するものといわなければならない。

 もつとも、この代償措置についても、すべての国家的制度と同様、その機能が十分に発揮されるか否かは、その運用に関与するすべての当事者の真摯な努力にかかつているのであるから、当局側が誠実に法律上および事実上可能なかぎりのことをつくしたと認められるときは、要求されたところのものをそのままうけ容れなかつたとしても、この制度が本来の機能をはたしていないと速断すべきでないことはいうまでもない。

 以上のことは、多数意見においてとくに言及されていないが、その立場からは当然の理論的帰結であると考える。

 (二)つぎに、多数意見は、国公法一一〇条一項一七号について、福岡高等裁判所判決(昭和四一年(う)第七二八号同四三年四月一八日判決)が示した限定解釈は犯罪構成要件の明確性を害するもので憲法三一条違反の疑いがあるというが、われわれは、右の限定解釈は明らかに憲法三一条に違反するばかりでなく、本来許さるべき限定解釈の限度を超えるものであるとすら考えるものである。すなわち、同判決は、国公法の右規定を限定的に解釈して、争議行為が政治目的のために行なわれるとか、暴力を伴うとか、または、国民生活に重大な障害をもたらす具体的危険が明白であるなど違法性の強い争議行為を違法性の強い行為によつてあおるなどした場合に限り刑罰の対象となるというのであつて、いわゆるD事件についての当裁判所大法廷判決の多数意見がさきに示した見解とほぼ同趣旨の見解を示しているのである。

 ところで、憲法判断にさいして用いられる、いわゆる限定解釈は、憲法上の権利に対する法の規制が広汎にすぎて違憲の疑いがある場合に、もし、それが立法目的に反することなくして可能ならば、法の規定に限定を加えて解釈することによつて、当該法規の合憲性を認めるための手法として用いられるものである。そして、その解釈により法文の一部に変更が加えられることとなつても、法の合理的解釈の範囲にとどまる限りは許されるのであるが、法文をすつかり書き改めてしまうような結果となることは、立法権を侵害するものであつて許さるべきではないのである。さらにまた、その解釈の結果、犯罪構成要件が暖味なものとなるときは、いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるものであるかを予め国民に告知することによつて、国民の行為の準則を明らかにするとともに、国家権力の専断的な刑罰権の行使から国民の人権を擁護することを趣意とする、かのマグナカルタに由来する罪刑法定主義にもとるものであり、ただに憲法三一条に違反するばかりでなく、国家権力を法の支配下におくとともに国民の遵法心に期待して法の支配する社会を実現しようとする民主国家の理念にも反することとなるのである。このことは、大陸法的な犯罪構成要件の理論をもたない英米においても、つとに普通法上の厳格解釈の原理によつて、裁判所は、個々の事件について、法文の不明確を理由に法令の適用を拒否する手段を用いて、実質上法令の無効を宣言するのとひとしい実をあげてきたといわれているのであるが、とくに米国では、一世紀も前から法文の不明確を理由としてこれを無効とする理論が芽ばえ、一九〇〇年代にはいつてからは、国民の行為の準則に関する法令は、予め国民に公正に告知されることが必要で、そのためには 法文は明確に規定されなければならないとして、憲法修正五条、六条、一四条等の適正条項違反を理由に不明確な法文の無効を宣言する、いわゆる明確性の理論が判例法として確立され今日に及んでいるのである。

 この法文の明確性は、憲法上の権利の行使に対する規制や刑罰法規のような国民の基本的権利・自由に関する法規については、とくに強く要請されなければならないことは当然である。

 ところで、前記福岡高等裁判所判決は、あおり行為の対象となる争議行為の違法性の強弱を判定する基準の一つとして、「国民生活に対する重大障害」ということをあげている。同様にD事件判決の多数意見は、「社会の通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障」といつている。しかし、国民生活に重大な障害とか支障とかいう基準はすこぶる漠然とした抽象的なものであつて、はたしてどの程度の障害、支障が重大とされるのか、これを判定する者の主観的な、時としては恣意的な判断に委ねられるものであつて、そのような弾力性に富む伸縮自在な基準は、刑罰法規の構成要件の輪郭内容を極めて暖味ならしめるものといわざるをえない。また、D事件判決の多数意見のように「社会の通念に反し不当に長期に及ぶなど」という例示が示されているとしても、どの程度の時間的継続が不当とされるのか、これまた甚だ不明確な要件といわざるをえないばかりでなく、そのうえ「社会の通念に照らし」という一般条項を構成要件のなかにとりこんでいることは、却てその不明確性を増すばかりである。したがつて、かような基準を示された国民は、

自己の行為が限界線を越えるものでないとして許されるかどうかを予測することができず、法律専門家である弁護士、検察官、裁判官ですら客観的な判定基準を発見することに当惑し(いわゆるA事件の差戻し後の東京高裁昭和四一年(う)第二六〇五号同四二年九月六日判決・刑集二〇巻五二六頁参照)、罰則適用の限界を画することができないばかりでなく、民事上、行政上の制裁との限界もまた不明確であつて、法の安定性・確実性が著しくそこなわれることとなる。現に全国の事実審裁判所の判決においても、「国民生活に重大な障害」に関する判断が区々にわかれて統一性を欠いているのが今日の実情なのである。さらにまた、右のような限定解釈は、罰則の適用される場合を制限したかのようにみえるのであるが、それに示されているような抽象的基準では、前記判決が志向したところとはおよそ逆の方向にも作用することがないとも限らない。けだし、法文の不明確は法の恣意的解釈への道をひらく危険があるからである。

 もつとも、右の基準の明確な確立は、今後の判例の集積にまてばよいとの反論もあろう。最近の、カナダの連邦公務員関係法、アメリカのペンシルバニヤ州の公務員労使関係法およびハワイ州公法は、重要職務に従事する公務員についてのみ争議行為を禁止しているのであるが、それらの立法に対する、職務の重要性・非重要性を区別することは困難であるとの批判に対して、裁判所の判例の集積による解決が最も妥当であるとの反論もみられる。しかし、右の諸立法においては、別に第三者機関による重要職務の指定判定の制度があつて、それによつて重要公務の範囲が一応は形式的に明確にされる建前なのであるから、その指定判定に争いがあるとき裁判所の判断をまつということのようである。すなわち、それは、重要職務に従事す

る公務員の範囲を主体の面から限定するものであつて、行為の態様による限定ではないのである。「国民生活に重大な障害」の有無というような行為の態様の基準の明確な確立は、むしろ、判例の集積による方法にはなじまないというべきであろう。

 およそ国民の行為の準則は、裁判時においてではなく、行為の時点においてすでに明確にされていなければならない。また、終局判決をまたなければ明確にならないような基準は、基準なきにひとしく、国民を長く不安定な状態におくこととなる。国民は各自それぞれの判断にしたがつて行動するほかなく、かくては法秩序の混乱はとうてい免れないであろう。

 憲法問題を含む法令の解釈にさいしては、いたずらに既成の法概念・法技術にとらわれて、とざされた視野のなかでの形式的な憲法理解におちいつてはならないことはいうまでもないことであり、また、絶えず進展する社会の流動性と複雑化とに対処しうるためには、犯罪構成要件がつねに客観的・記述的な概念にとどまることはできず、価値的要素を含んだ規範的なものへと深化されることも必要である。さらに、正義衡平、信義誠実、公序良俗、社会通念等々の、もともとは私法の領域で発達した一般条項の概念が、法解釈の補充的原理として具体的事件に妥当する法の発見に寄与するところがあることも否定できない。しかしながら、あまりにも抽象的・概括的な構成要件の設定は、法の行為規範、裁判規範としての機能を失なわしめるものであり、いわんや、安易簡便な一般条項を犯罪構成要件のなかにとりこむことは極力これを避けなければならない。第二次大戦前のドイツ法学界において、一般条項がいともたやすく遊戯のように労働法を征服したとか、一般条項は個々の犯罪構成要件をのりこえてしまう傾向をもつとかと、強く指摘した警告的な主張がなされたことが思いあわされるのである。

 法の規定が、その文面からは一義的にしか解釈することができず、しかも憲法上許される必要最小限度を超えた規制がなされていると判断せざるをえないならば、たとえ立法目的が合憲であるとしても、その法は違憲とされなければならない。しかるに、国公法一一〇条一項一七号についての前記のような限定解釈は、それを避けようとして詳密な理論を展開したのであるが、惜しむらくは、その理論の実際的適用について前述のような重大な疑義を包蔵するうえに、その限定解釈の結果もたらされた同条の構成要件の不明確性は、憲法三一条に違反するものであり、また、立法目的に反して法の規定をほとんど空洞化するにいたらしめたことは、法文をすつかり書き改めたも同然で、限定解釈の限度を逸脱するものといわざるをえないの

である。

 


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その3

2012年02月23日 | 労働百選

 裁判官石田和外、同村上朝一、同藤林益三、同岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の補足意見(裁判官岸盛一、同天野武一については、本補足意見のほか、後記のような追加補足意見がある。)は、次のとおりである。

 われわれは、多数意見に同調するものであるが、裁判官田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の意見(以下、五裁判官の意見という。) は、多数意見の真意を理解せず、いたずらに誇大な表現を用いて、これを論難するものであつて、読む者をしてわれわれの意見について甚だしい誤解を抱かせるものがあると思われるので、あえて若干の意見を補足したい。

一 五裁判官の意見は、多数意見が、公務員を国民全体の奉仕者であるとする憲法一五条二項をあたかも唯一の根拠として公務員(非現業の国家公務員をいう。以下同じ。) の争議行為禁止の合憲性を肯定するものであるかのごとく、また公務員の勤務条件の決定過程の特殊性だけを理由としてその争議行為の禁止を根拠づけようとするものであるかのごとく、さらには代償措置の制度さえ設けておけばその争議行為を禁止しても憲法に違反するものではないとの安易な見解に立つているものであるかのごとく誤解し、多数意見を論難している。しかし、多数意見は、公務員も原則として憲法二八条の労働基本権の保障を受ける勤労者に含まれるものであることを肯定しながらも、私企業の労働者とは異なる公務員の職務の公共性とその地位の特殊性を考慮にいれ、その労働基本権と公務員をも含めた国民全体の共同利益との均衡調和を図るべきであるという基本的観点に立ち、その説示するような諸般の理由を総合して国家公務員法(以下、国公法という。) の規定する公務員の労働関係についての規制をもつて、いまだ違憲と見ることはできないとしているものなのである。さらに、五裁判官の意見は、多数意見をもつて、憲法一五条二項を公務員の労働基本権に対する「否定原理」としているものであるとまで極論したうえ、「使用者である国民全体、ないしは国民全体を代表しまたはそのために行動する政府諸機関に対する絶対的服従義務を公務員に課したものという解釈をする」とか、「このような解釈は、国民全体と公務員との関係をあたかも封建制のもとにおける君主と家臣とのそれのような全人格的な服従と保護の関係と同視するに近い考え方である」とか、さらには憲法二八条の労働基本権を「一種の忠誠義務違反としてそれ自体を不当視する観念」であつて、「すべての国民に基本的人権を認めようとする憲法の基本原理と相容れない」ものであるとか、極端に激しい表現を用いて非難しているのであるが、多数意見のどこにそのような時代錯誤的な考えが潜んでいるというのであろうか。いうまでもなく、多数意見は、五裁判官の意見が指摘するような国家の事務が軍事、治安、財政などにかぎられていた時代における前近代的観点から「抽象的、観念的基準によつて一律に割り切つて」いるものでもなく、また抽象的形式的な公共福祉論、公僕論を拠りどころとしているものでもないことは、多数意見を冷静かつ率直に読むならば容易に理解できることであろう。

二 五裁判官の意見は、公務員の職務内容の公共性がその争議行為制限の実質的理由とされていることはなにびとにも争いのないところであること、また公務員の勤務条件の決定過程において争議行為を無制限に許した場合に民主的政治過程をゆがめる面があることも否定できないことを承認しながら、そのいずれの理由からも一切の争議行為を禁止することの正当性を認めることはできないとして、公務員の「団体交渉以外の団体行動によつて、立法による勤労条件の基準決定などに対して影響力を行使すること」を是認すべきであるといい、また代償措置はあくまで代償措置にすぎないものであるから、「政府または国会に右(人事院の)勧告に応ずる措置をとらせるためには、法的強制以外の政治的また社会的活動を必要とし、このような活動は、究極的には世論の支持、協力を要するものであり、世論喚起のための唯一の効果的手段としての公務員による団体行動の必要を全く否定することはできず、」といつて、およそ争議行為を禁止されている公務員の利益を保障するために設けられた国家的制度としての代償措置の存在をことさらに軽視し、公務員による立法機関または世論に対する直接的な政治的効果を目的とする団体行動の必要性を強調しているのである。ところで、五裁判官の意見がここで指摘している「団体行動」とは、何を意味するかは必ずしも明らかではないが、その前後の論調からすると、単なる表現活動としての団体行動を指しているものとは認められず、明らかに憲法二八条にいわゆる団体行動を考えているものとしか思われない。しかもその団体行動は、「刑罰の対象から除外されてしかるべきものである」と断定していることからすると、罰則規定のある公務員の争議行為な念頭においているものと解さざるをえない。はたしてそうであるとすれば、五裁判官の意見は、立法府または社会一般に対する示威的行動としての公務員の争議行為の必要性を強調するものといわざるをえないのである。もとより、五裁判官の意見は、純然たる政治的目的の実現のための争議行為の必要性を説くものではない。しかしながら、およそ勤労者の団体が行なう争議行為の目的が使用者において事実的にも法律的にも解決しえない事項に関するものであるときは、その争議行為は、憲法二八条による保障を受ける余地のないものであるから、五裁判官の意見がいうところの公務員の団体行動としての争議行為なるものは、その実質において、いわゆる「政治スト」と汎称されるものとなんら異なるところはないのである。ことに、五裁判官の意見が法的強制以外の「政治的活動」の必要性を説くことは、まさに団体行動としての表現活動のほかに、「政治スト」を憲法上正当な争議行為として公務員に認めよということにほかならないのであつて、そのことは五裁判官の意見が本件について政治目的に出た争議行為であるとの理由から憲法二八条の保障の範囲に含まれないとしていることと明らかに矛盾するものであるといわねばならない。なお、付言するに、五裁判官の意見が右のように争議行為としての法的強制以外の「政治的活動」を強調していることについては、いわゆるドライヤー報告書が「日本の労働者の中央組織によつて行なわれてきた政治活動の性格は、真に労使関係を混乱させている一つの主要な要素である。」(二一二七項)と戒めていることをこの際指摘せざるをえないのである。

三 五裁判官の意見は、本件の処理にあたり、多数意見が何ゆえことさらいわゆるD事件大法廷判決の多数意見(昭和四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号六八五頁、以下、単にD事件判決という。) の解釈と異なる憲法判断を展開しなければならないのか、その必要性と納得のゆく理由を発見することができないと論難している。しかし弁護人らの上告趣意には、多岐にわたる違憲の主張が含まれており、また、まさに本判決の多数意見と五裁判官の意見との分岐点をなす中心問題について互に相反する高等裁判所の判決が指摘されて判例違反の主張がなされたのであるから、当裁判所としては、これらに対し判断をするにあたり、当然右D事件判決の当否について検討せざるをえないばかりでなく、五裁判官の意見も、本件上告を棄却するについては、結論的には同意見であるから、上告趣意の総てについて逐一判断を示すべきものである。五裁判官の意見のような、この際D事件判決に触れるべきではないとする考えは、本件の処理上、基本的問題の判断を避けて一時を糊塗すべきであるというにひとしく、とうていわれわれの承服しがたいところである。いま、多数意見がこれに論及せざるをえなかつたその他の理由の二、三をもあわせて指摘し、さらに同判決の判例としての評価について言及することとする。

 (一) まず、第一に、右D事件判決は、憲法解釈にあたり看過できない誤りを犯したということである。すなわち、同判決とその基本的立場を共通にする、いわゆるE事件大法廷判決の多数意見(昭和四一年(あ)第四〇一号同四四年四月二日大法廷判決・刑集二三巻五号三〇五頁、以下、単にE事件判決という。) は、公務員の職務は一般的に公共性が強いものであることを認めながら、なお一部の職種や職務には私企業のそれに類似したものが存在するから公務員の争議行為を一律に禁止することは許されないと説くが、その論ずるところは、公務員の争議行為が行なわれる場合、一般に単なる機械的労務に従事する職務の者ばかりでなく、その職務内容が公共性の強い職員の大多数の者の参加によつて行なわれる集団的組織的団体行動であるという現実を無視した議論であり、しかも、職種、職務内容の別なく公務員に対して一律に保障された、生存権擁護の趣旨をもつ代償措置の現存することについての考慮を払うことなく、また、その判断の結果がはたして実際的に妥当するものであるかについて洞察することもなく、ただただ抽象的に理論を推しすすめるものである。すなわち、同判決は、抽象的、観念的思惟に基づいて、公務員による争議行為を制限禁止した関係公務員法の当該規定は違憲の疑いがあると安易に断定しているのであつて、D事件判決もその論法において軌を一にしているのである。そのような憲法判断の手法は、労働基本権に絶対的な優位を認めようとするに傾きやすく、現実の社会的、経済的基盤の上に立つて国家と国民および国民相互の相反する憲法上の諸利益を調整すべきものであるという憲法解釈の要諦を忘れたものといわなければならない。なお、五裁判官の意見は「一律全面的」な争議行為の禁止は不当であるとして多数意見を論難するのであるが、職種と職務内容の公共性の程度が弱く、その争議行為が国民全体の共同利益にさほどの障害を与えないものについては、労働政策の問題として立法上慎重に考慮されるべきものであることについては、多数意見が指摘しているところである。ちなみに、西ドイツにおいては、公勤務従事者のうち、官吏についてはストライキを禁止されているが、その代り終身任用制度および一種の昇進制度が勤務条件法定主義のもとに行なわれているのに対し、雇員、単純労務職員については、特定の職務内容を限定してストライキを認めており、また、カナダ連邦、アメリカのペンシルバニヤ州やハワイ州では重要でない職務に従事する公務員についてストライキを認めているが、職務の重要性の判定は第三者機関が行なうたてまえとなつているのであつて、D事件判決が示す「国民生活に重大な支障」を及ぼすことの有無というような漠然とした基準によつて公務員の争議行為の正当性を画する立法例は他国には見あたらないのである。なお、カナダ連邦の場合は、仲裁手続とストライキとの選択のもとに、かりにストライキを選択したときでも厳格な調停手続を経ることが条件となつているのであり、この手続を経ないストライキは禁止されているのである。そして、アメリカでストライキの認められている前示二州でも、ほぼこれに似た制度をとつているのであるが、その国情による相違があるとはいえ、重要でない職務の公務員のストライキを認めるについて、無制限にこれを認めることなく、厳格な制約のもとに置かれていることに特に留意すべきである。

 第二に、D事件判決の示した限定解釈には重大な疑義があるということである。すなわち、同判決と基本的に共通の見解に立つている前記E事件判決がいうところは、公務員の職務の公共性には強弱があるから、その労働基本権についても、その職務の公共性に対応する制約を当然内包しているという理論的立場を強調しながら、限定解釈をするにあたつては、一転して職務の公共性をなんら問題とすることなく、「ひとしく争議行為といつても、種々の態様のものがある」として、争議行為の態様の問題へと転移し、争議行為における違法性の強弱という暖味な基準を設定したのである(五裁判官の意見は、多数意見が公務員の争議行為につきその「主体」のいかんを問わず全面的禁止を是認することを非難しているのであるから、当然「主体」による区別をいかに考えるべきかについての明確な基準を示して然るべきものなのである。しかるに、その明示がなされていないことは、現在の公務員制度のもとにおける職員組合の組織と争議行為の現況にかんがみ、そのような区別をたてることは抽象論としてはともかく、実際上はほとんど不可能であることを物語るものであろうか。)。ことに、同判決は、争議行為に関する罰則については、争議行為そのものの違法性が強いことと、あおり等の行為の違法性が強いことを要するばかりでなく、争議行為に「通常随伴して行なわれる行為は処罰の対象とはならないと解すべきものであるとしている。ところで、いわゆるA事件判決の多数意見(昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁、以下、単にA事件判決という。)では、争議行為の正当性を画する基準として、「政治的目的のために行なわれたような場合」、「暴力を伴う場合」、「社会の通念に照らして不当に長期に及ぶときのように国民生活に重大な障害をもたらす場合」をあげ、これらの場合でなければ、その争議行為は、憲法上保障された正当な争議行為にあたると説示されているが、D事件判決では、争議行為の違法性が強い場合の基準として、そのまま右と同様のものが転用されているのである。すなわち、あおり行為等を処罰するための要件として、「争議行為そのものが、職員団体の本来の目的を逸脱してなされるとか、暴力その他これに類する不当な圧力を伴うとか、社会通念に反して不当に長期に及ぶなど国民生活に重大な支障を及ぼすとか」ということをあげている。争議行為が正当であるか否かは、違法性の有無に関する問題であり、違法性が強いか弱いかは違法性のあること、すなわち正当性のないことを前提としたものである。そして、ここにいう正当性の有無は、単に「刑法の次元」における判断ではなく、まさに憲法二八条の保障を受けるかどうかの憲法の次元における問題なのであるから、その保障を受けうるものであるかぎり、民事上、刑事上一切の制裁の対象となることはないのである。しかるに、D事件判決は、A事件判決が憲法上の保障を受けるかどうかの観点から違憲判断を回避するために示した正当性を画する基準と同一のものを、違法性の強弱判定の基準としているのであつて、そこに法的思惟の混迷があると思われるのであるが、それはともかくとして、このような基準の設定は、刑罰法規の構成要件としてもすこぶる不明確であり、そのゆえに、むしろ違憲の疑いを生むのであり、さらに右のような基準の確立が判例の集積になじまないものであることについては、岸裁判官、天野裁判官の追加補足意見の指摘するところである。この点について、五裁判官の意見は、公務員の争議行為をあおる等の行為がD事件判決の判示する基準に照らして処罰の対象となるかどうかは事案ごとに具体的事実関係により判断されなければならないとして、これらの行為が国公法上罰則の対象となりうることを肯定しながら、公務員法違反の場合と公共企業体職員または私企業労働者の争議行為の場合とを対比し、一つは構成要件充足の問題であり、他は違法性阻却の問題であるといい、さらに転じて「刑法の次元における違法性阻却の理論によつて処理することは相当でなく、」 と至極当然のことにわざわざ言及し、あたかも多数意見がその誤りを犯しているかのごとき論難を加えているが、そのいわんとする真意が那辺にあるか理解に苦しむところ

である。

 第三に、D事件判決に見られる憲法解釈の疑点もさることながら、それが惹起している労働・行政または裁判実務上の混乱も、また無視できないということである。すなわち、例えば、E事件判決は、「違法な争議行為を想定して、あおり行為等をした場合には、かりに予定の違法な争議行為が実行されなかつたからといつて、あおり行為等の刑責は免れない。」旨判示する。しかし国公法一一〇条一項一七号の罰則は、あおり行為等に対して結果責任を問うものではないのであるから、行為者が、かりに違法性の弱い争議行為を想定して、あおり行為等をしたが、予期に反し、争議行為が「社会通念に反して不当に長期に及び国民生活に重大な支障」を与えた場合には、D事件判決の見解に従うかぎり、なんらこれに対し刑事責任を問うこと

ができないこととなるであろう。また、争議行為の実態に即して考えて見ても、争議行為は、通常、争議指導者の指令のままに動くものであるから、あおり等の行為自体の違法性が強い場合などはおよそありえないであろう。このことは、同判決の右のような解釈のもとでは、国公法の右規定が現実的には、ほとんど有効に機能しないことを示すものであつて、結局公務員の争議行為が野放しのままに放置される結果ともなりかねないのである。さらにまた、同判決が判示する前記の基準も、それ自体が客観性を欠き、これを捕捉するに極めて困難であり、五裁判官の意見のいうように、右の判決が一般国民の間に定着しているものとはとうてい考えられない。右の基準が暖昧で判断者の主観による恣意がはいりこむ虞れがあるという批判は、本件の弁論において弁護人からも強く指摘されたばかりでなく、すでに、いわゆるA事件判決を支持する論者、これに反対の立場にある論者の双方から強い批判を受けているところである。D事件判決も公務員の争議行為に対するあおり等の行為が罰則の適用を受ける場合のあることを肯定する以上は、その明確な基準を示すべきであつたのである。

 さらに第四に、D事件判決ならびにこれと同一の基盤をもつE事件判決がA事件判決と相まつて公務員の争議行為に関する罰則の適用について一般に誤つた評価を植えつけるにいたつたということである。すなわち、E事件判決は、A事件判決が勤労者の労働基本権に対する、いわゆる内在的制約を考慮する際「一般的にいつて、刑事制裁をもつてこれに臨むべき筋合ではない。」(同判決の、いわゆる四条件中、(3)最高裁刑集二〇巻八号九〇七頁参照。)と判示したことをそのまま踏襲しているのであるが、さらにE事件判決の趣旨を受けついだD事件判決は、国公法一一〇条一項一七号についてこれを限定的に解釈しないかぎり憲法一八条、二八条に違反する疑いがあるといつて、一般に対し「公務員労働者の」「争議行為を刑事罰から解放」したものであるかのごとき誤つた理解を植えつけることとなつたのである。これは、ひつきよう、同判決の不明確な限定解釈と誤つた法解釈の態度とにその原因をもつものといわねばならないのである。(現に五裁判官の意見も公務員の争議行為に対するあおり等の行為が罰則の適用を受ける場合のあることを肯定していながら、しかも、なおかつ、あたかも多数意見のみが、公務員の争議行為に関し仮借のない刑事制裁を是認しているもののような論難をしているのである。) なお、付言するに、ILO第一〇五号条約(わが国は批准していない。) に関する第五二回ILO総会に提出された条約勧告適用専門家委員会の報告書は、「一定の事情の下においては違法な同盟罷業に参加したことに対して刑罰を科することができる

ということ、」「この刑罰には通常の刑務所労働が含まれることがあるということ」その他について合意が成立した旨の、同条約を審議した総会委員会の報告書を引用して「同盟罷業に関する各種の国内立法を評価するに当たり、本委員会は、総会の意図に関する前述したところを十分に考慮することが適当であると考える。」と述べているのである(九四項。なお九五項参照。)。

 (二) つぎに、D事件判決には、真の意味の多数意見なるものがはたして存在するといえるであろうか。同判決において多数と見られる八名の裁判官の意見が一致しているのは、ただ国公法の規定を「限定的に解釈するかぎり」違憲でないと判示する点にかぎられているのである。そして、そのいわゆる限定解釈の内容について見るに、右八名の裁判官のうち、六名の裁判官は、違法性強弱論およびあおり行為等の通常随伴性論の立場をとつているが、他の二名の裁判官は、違法性強弱論には否定的な意見を示しており、しかも、その二名の裁判官の間でも、「通常随伴性」についての考え方が一致していないのである。このように、限定解釈をすべきであるという点では同意見であつても、それだけでは全く内容のないものであり、そのいうところの限定解釈についての内容が区々にわかれていて、過半数の意見の裁判官による一致した意見は存在しないのである。前記のように、行政上および裁判上の混乱を招いたのも、ひつきょう、同判決ならびにその基盤を共通にするA事件判決およびE事件判決のもつ内容の流動性、暖昧性に基因するところが大きく、判例としての指導性にも欠けるところがあつたといわねばならないのである。そして、現在においては、本判決の多数意見は、前記判示のとおり、憲法および国公法の解釈につき一致した見解を示しているものであるのに対し、多数意見に同調する裁判官以外の裁判官の意見は、単に形式上少数であるばかりでなく、内容的にも国公法の解釈について意見が分立しており、ことに五裁判官の意見が本件につき上告棄却の意見であるならば、D事件判決にいう、いわゆる通常随伴性論を今日維持することは背理というほかなく、また通常随伴性論をとるとすれば、結論は、むしろ反対となるべき筋合いであろう。この一点をみても、右五裁判官ら自身、意識すると、しないとにかかわらず、前記の判例の見解を変更しているものにほかならない。したがつて、D事件判決は、今日、もはやいかなる意味においても「判例」として機能しえないものであり、これが変更されるべきことは、自然の成行きといわなければならないのである。五裁判官の意見は、「僅少差の多数によつてさきの憲法解釈を変更することは、最高裁判所の憲法判断の安定に疑念を抱かせ、ひいてはその権威と指導性を低からしめる虞れがある云々」と述べているが、多数意見に対するいわれのない批判にすぎず、強く反論せざるをえない次第である。

 


労働5事件 労働基本権の制限―全農林警職法事件その2

2012年02月23日 | 労働百選

         主    文

     本件各上告を棄却する。

         理    由

 弁護人佐藤義弥ほか三名連名の上告趣意第一点、第三点、第五点について。

 所論は、原判決が国家公務員法(昭和四〇年法律第六九号による改正前のもの。以下、国公法という。) 九八条五項および一一〇条一項一七号の各規定を憲法二八条に違反しないものと判断し、また、国公法一一〇条一項一七号を憲法二一条、一八条に違反しないものとして、これを適用したのは、憲法の右各条項に違反する旨を主張する。

一 よつて考えるに、憲法二八条は、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」、すなわちいわゆる労働基本権を保障している。この労働基本権の保障は、憲法二五条のいわゆる生存権の保障を基本理念とし、憲法二七条の勤労の権利および勤労条件に関する基準の法定の保障と相まつて勤労者の経済的地位の向上を目的とするものである。このような労働基本権の根本精神に即して考えると、公務員は、私企業の労働者とは異なり、使用者との合意によつて賃金その他の労働条件が決定される立場にないとはいえ、勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものである点において一般の勤労者と異なるところはないから、憲法二八条の労働基本権の保障は公務員に対しても及ぶものと解すべきである。ただ、この労働基本権は、右のように、勤労者の経済的地位の向上のための手段として認められたものであつて、それ自体が目的とされる絶対的なものではないから、おのずから勤労者を含めた国民全体の共同利益の見地からする制約を免れないものであり、このことは、憲法一三条の規定の趣旨に徴しても疑いの

ないところである(この場合、憲法一三条にいう「公共の福祉」とは、勤労者たる地位にあるすべての者を包摂した国民全体の共同の利益を指すものということができよう。)。以下、この理を、さしあたり、本件において問題となつている非現業の国家公務員(非現業の国家公務員を以下単に公務員という。)について詳述すれば、次のとおりである。

 (一) 公務員は、私企業の労働者と異なり、国民の信託に基づいて国政を担当する政府により任命されるものであるが、憲法一五条の示すとおり、実質的には、その使用者は国民全体であり、公務員の労務提供義務は国民全体に対して負うものである。もとよりこのことだけの理由から公務員に対して団結権をはじめその他一切の労働基本権を否定することは許されないのであるが、公務員の地位の特殊性と職務の公共性にかんがみるときは、これを根拠として公務員の労働基本権に対し必要やむをえない限度の制限を加えることは、十分合理的な理由があるというべきである。けだし、公務員は、公共の利益のために勤務するものであり、公務の円滑な運営のためには、その担当する職務内容の別なく、それぞれの職場においてその職責を果すことが必要不可缺であつて、公務員が争議行為に及ぶことは、その地位の特殊性および職務の公共性と相容れないばかりでなく、多かれ少なかれ公務の停廃をもたらし、その停廃は勤労者を含めた国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすか、またはその虞れがあるからである。

 次に公務員の勤務条件の決定については、私企業における勤労者と異なるものがあることを看過することはできない。すなわち利潤追求が原則として自由とされる私企業においては、労働者側の利潤の分配要求の自由も当然に是認せられ、団体を結成して使用者と対等の立場において団体交渉をなし、賃金その他の労働条件を集団的に決定して協約を結び、もし交渉が妥結しないときは同盟罷業等を行なつて解決を図るという憲法二八条の保障する労働基本権の行使が何らの制約なく許されるのを原則としている。これに反し、公務員の場合は、その給与の財源は国の財政とも関連して主として税収によつて賄われ、私企業における労働者の利潤の分配要求のごときものとは全く異なり、その勤務条件はすべて政治的、財政的、社会的その他諸般の合理的な配慮により適当に決定されなければならず、しかもその決定は民主国家のルールに従い、立法府において論議のうえなされるべきもので、同盟罷業等争議行為の圧力による強制を容認する余地は全く存しないのである。これを法制に即して見るに、公務員については、憲法自体がその七三条四号において「法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」は内閣の事務であると定め、その給与は法律により定められる給与準則に基づいてなされることを要し、これに基づかずにはいかなる金銭または有価物も支給することはできないとされており(国公法六三条一項参照)、このように公務員の給与をはじめ、その他の勤務条件は、私企業の場合のごとく労使間の自由な交渉に基づく合意によつて定められるものではなく、原則として、国民の代表者により構成される国会の制定した法律、予算によつて定められることとなつているのである。その場合、使用者としての政府にいかなる範囲の決定権を委任するかは、まさに国会みずからが立法をもつて定めるべき労働政策の問題である。したがつて、これら公務員の勤務条件の決定に関し、政府が国会から適法な委任を受けていない事項について、公務員が政府に対し争議行為を行なうことは、的はずれであつて正常なものとはいいがたく、もしこのような制度上の制約にもかかわらず公務員による争議行為が行なわれるならば、使用者としての政府によつては解決できない立法問題に逢着せざるをえないこととなり、ひいては民主的に行なわれるべき公務員の勤務条件決定の手続過程を歪曲することともなつて、憲法の基本原則である議会制民主主義(憲法四一条、八三条等参照)に背馳し、国会の議決権を侵す虞れすらなしとしないのである。

 さらに、私企業の場合と対比すると、私企業においては、極めて公益性の強い特殊のものを除き、一般に使用者にはいわゆる作業所閉鎖(ロツクアウト)をもつて争議行為に対抗する手段があるばかりでなく、労働者の過大な要求を容れることは、企業の経営を悪化させ、企業そのものの存立を危殆ならしめ、ひいては労働者自身の失業を招くという重大な結果をもたらすことともなるのであるから、労働者の要求はおのずからその面よりの制約を免れず、ここにも私企業の労働者の争議行為と公務員のそれとを一律同様に考えることのできない理由の一が存するのである。また、一般の私企業においては、その提供する製品または役務に対する需給につき、市場からの圧力を受けざるをえない関係上、争議行為に対しても、いわゆる市場の抑制力が働くことを必然とするのに反し、公務員の場合には、そのような市場の機能が作用する余地がないため、公務員の争議行為は場合によつては一方的に強力な圧力となり、この面からも公務員の勤務条件決定の手続をゆがめることとなるのである。

 なお付言するに、労働関係における公務員の地位の特殊性は、国際的にも一般に是認されているところであつて、現に、わが国もすでに批准している国際労働機構(ILO)の「団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約」 (いわゆるILO九八号条約)六条は、「この条約は、公務員の地位を取り扱うものではなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」と規定して、公務員の地位の特殊性を認めており、またストライキの禁止に関する幾多の案件を審議した、同機構の結社の自由委員会は、国家公務員について「大多数の国において法定の勤務条件を享有する公務員は、その雇用を規制する立法の通常の条件として、ストライキ権を禁止されており、この問題についてさらに審査する理由がない。」とし(たとえば、六〇号事件)、わが国を含む多数の国の労働団体から提訴された案件について、この原則を確認しているのである。

 以上のように、公務員の争議行為は、公務員の地位の特殊性と勤労者を含めた国民全体の共同利益の保障という見地から、一般私企業におけるとは異なる制約に服すべきものとなしうることは当然であり、また、このことは、国際的視野に立つても肯定されているところなのである。

 (二) しかしながら、前述のように、公務員についても憲法によつてその労働基本権が保障される以上、この保障と国民全体の共同利益の擁護との間に均衡が保たれることを必要とすることは、憲法の趣意であると解されるのであるから、その労働基本権を制限するにあたつては、これに代わる相応の措置が講じられなければならない。そこで、わが法制上の公務員の勤務関係における具体的措置が果して憲法の要請に添うものかどうかについて検討を加えてみるに、

 (イ) 公務員たる職員は、後記のように法定の勤務条件を享受し、かつ、法律等による身分保障を受けながらも、特殊の公務員を除き、一般に、その勤務条件の維持改善を図ることを目的として職員団体を結成すること、結成された職員団体に加入し、または加入しないことの自由を保有し(国公法九八条二項、前記改正後の国家公務員法(以下、単に改正国公法という。)一〇八条の二第三項)、さらに、当局は、登録された職員団体から職員の給与、勤務時間その他の勤務条件に関し、およびこれに付帯して一定の事項に関し、交渉の申入れを受けた場合には、これに応ずべき地位に立つ(国公法九八条二項、改正国公法一〇八条の五第一項)ものとされているのであるから、私企業におけるような団体協約を締結する権利は認められないとはいえ、原則的にはいわゆる交渉権が認められており、しかも職員は、右のように、職員団体の構成員であること、これを結成しようとしたこと、もしくはこれに加入しようとしたことはもとより、その職員団体における正当な行為をしたことのために当局から不利益な取扱いを受けることがなく(国公法九八条三項、改

正国公法一〇八条の七)、また、職員は、職員団体に属していないという理由で、交渉事項に関して不満を表明し、あるいは意見を申し出る自由を否定されないこととされている(国公法九八条二項、改正国公法一〇八条の五第九項)。ただ、職員は、前記のように、その地位の特殊性と職務の公共性とにかんがみ、国公法九八条五項(改正国公法九八条二項)により、政府が代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業、怠業その他の争議行為または政府の活動能率を低下させる怠業的行為をすることを禁止され、また、何人たるを問わず、かかる違法な行為を企て、その遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおつてはならないとされている。そしてこの禁止規定に違反した職員は、国に対し国公法その他に基づいて保有する任命または雇用上の権利を主張できないなど行政上の不利益を受けるのを免れない(国公法九八条六項、改正国公法九八条三項)。しかし、その中でも、単にかかる争議行為に参加したにすぎない職員については罰則はなく、争議行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者についてだけ罰則が設けられているのにとどまるのである(国公法、改正国公法各一一〇条一項一七号)。

 以上の関係法規から見ると、労働基本権につき前記のような当然の制約を受ける公務員に対しても、法は、国民全体の共同利益を維持増進することとの均衡を考慮しつつ、その労働基本権を尊重し、これに対する制約、とくに罰則を設けることを、最少限度にとどめようとしている態度をとつているものと解することができる。そして、この趣旨は、いわゆるA事件判決の多数意見においても指摘されたところである(昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九一二頁参照)。

 (ロ) このように、その争議行為等が、勤労者をも含めた国民全体の共同利益の保障という見地から制約を受ける公務員に対しても、その生存権保障の趣旨から、法は、これらの制約に見合う代償措置として身分、任免、服務、給与その他に関する勤務条件についての周到詳密な規定を設け、さらに中央人事行政機関として準司法機関的性格をもつ人事院を設けている。ことに公務員は、法律によつて定められる給与準則に基づいて給与を受け、その給与準則には俸給表のほか法定の事項が規定される等、いわゆる法定された勤務条件を享有しているのであつて、人事院は、公務員の給与、勤務時間その他の勤務条件について、いわゆる情勢適応の原則により、国会および内閣に対し勧告または報告を義務づけられている。そして、公務員たる職員は、個別的にまたは職員団体を通じて俸給、給料その他の勤務条件に関し、人事院に対しいわゆる行政措置要求をし、あるいはまた、もし不利益な処分を受けたときは、人事院に対し審査請求をする途も開かれているのである。このように、公務員は、労働基本権に対する制限の代償として、制度上整備された生存権擁護のための関連措置による保障を受けているのである。

 (三) 以上に説明したとおり、公務員の従事する職務には公共性がある一方、法律によりその主要な勤務条件が定められ、身分が保障されているほか、適切な代償措置が講じられているのであるから、国公法九八条五項がかかる公務員の争議行為およびそのあおり行為等を禁止するのは、勤労者をも含めた国民全体の共同利益の見地からするやむをえない制約というべきであつて、憲法二八条に違反するものではないといわなければならない。

二 次に、国公法一一〇条一項一七号は、公務員の争議行為による業務の停廃が広く国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れのあることを考慮し、公務員たると否とを問わず、何人であつてもかかる違法な争議行為の原動力または支柱としての役割を演じた場合については、そのことを理由として罰則を規定しているのである。すなわち、前述のように、公務員の争議行為の禁止は、憲法に違反することはないのであるから、何人であつても、この禁止を侵す違法な争議行為をあおる等の行為をする者は、違法な争議行為に対する原動力を与える者として、単なる争議参加者にくらべて社会的責任が重いのであり、また争議行為の開始ないしはその遂行の原因を作るものであるから、かかるあおり等の行為者の責任を問い、かつ、違法な争議行為の防遏を図るため、その者に対しとくに処罰の必要性を認めて罰則を設けることは、十分に合理性があるものということができる。したがつて、国公法一一〇条一項一七号は、憲法一八条、憲法二八条に違反するものとはとうてい考えることができない。

三 さらに、憲法二一条との関係を見るに、原判決が罪となるべき事実として確定したところによれば、被告人らは、いずれも農林省職員をもつて組織するB労働組合の役員であつたところ、昭和三三年一〇月八日内閣が警察官職務執行法(以下、警職法という)の一部を改正する法律案を衆議院に提出するや、これに反対する第四次統一行動の一環として、原判示第一の所為のほか、同第二のとおり、同年一一月五日午前九時ころから同一一時四〇分ころまでの間、農林省の職員に対し、同省正面玄関前の「警職法改悪反対」職場大会に参加するよう説得、慫慂したというのであるから、被告人らの所為ならびにそのあおつた争議行為すなわち農林省職員の職場離脱による右職場大会は、警職法改正反対という政治的目的のためになされたものというべきである。

 ところで、憲法二一条の保障する表現の自由といえども、もともと国民の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉に反する場合には合理的な制限を加えうるものと解すべきところ(昭和二三年(れ)第一三〇八号同二四年五月一八日大法廷判決・刑集三巻六号八三九頁、昭和二四年(れ)第四九八号同二七年一月九日大法廷判決・刑集六巻一号四頁、昭和二六年(あ)第三八七五号同三〇年一一月三〇日大法廷判決・刑集九巻一二号二五四五頁、昭和三七年(あ)第八九九号同三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五六一頁、昭和三九年(あ)第三〇五号同四四年一〇月一五日大法廷判決・刑集二三巻一〇号一二三九頁、昭和四二年(あ)第一六二六号同四五年六月一七日大法廷判決・刑集二四巻六号二八〇頁参照)、とくに勤労者なるがゆえに、本来経済的地位向上のための手段として認められた争議行為をその政治的主張貫徹のための手段として使用しうる特権をもつものとはいえないから、かかる争議行為が表現の自由として特別に保障されるということは、本来ありえないものというべきである。そして、前記のように、公務員は、もともと合憲である法律によつて争議行為をすること自体が禁止されているのであるから、勤労者たる公務員は、かかる政治的目的のために争議行為をすることは、二重の意味で許されないものといわなければならない。してみると、このような禁止された公務員の違法な争議行為をあおる等の行為をあえてすることは、それ自体がたとえ思想の表現たるの一面をもつとしても、公共の利益のために勤務する公務員の重大な義務の懈怠を慫慂するにほかならないのであつて、結局、国民全体の共同利益に重大な障害をもたらす虞れがあるものであり、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するものというべきである。したがつて、あおり等の行為を処罰すべきものとしている国公法一一〇条一項一七号は、憲法二一条に違反するものという

ことができない。

 以上要するに、これらの国公法の各規定自体が違憲であるとする所論は、その理由がなく、したがつて、原判決が国公法の右各規定を本件に適用したことを非難する論旨も、採用することができない。

 同第二点について。

 所論は、憲法二八条、三一条違反をいうが、原判決に対する具体的論難をなすものではなく、適法な上告理由にあたらない。

 同第四点について。

 所論は、要するに、国公法一一〇条一項一七号は、その規定する構成要件、とくにあおり行為等の概念が不明確であり、かつ、争議行為の実行が不処罰であるのに、その前段階的行為であるあおり行為等のみを処罰の対象としているのは不合理であるから、憲法三一条に違反し、これを適用した原判決も違法であるというのである。

 しかしながら、違法な争議行為に対する原動力または支柱となるものとして罰則の対象とされる国公法一一〇条一項一七号所定の各行為のうち、本件において問題となつている「あおり」および「企て」について考えるに、ここに「あおり」とは、国公法九八条五項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えること(昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決・刑集一六巻二号一〇七頁参照)をいい、また、「企て」とは、右のごとき違法行為の共謀、そそのかし、またはあおり行為の遂行を計画準備することであつて、違法行為発生の危険性が具体的に生じたと認めうる状態に達したものをいうと解するのが相当である(いずれの場合にせよ、単なる機械的労務を提供したにすぎない者、またはこれに類する者は含まれない。)。してみると、国公法一一〇条一項一七号に規定する犯罪構成要件は、所論のように、内容が漠然としているものとはいいがたく、また違法な行為につき、その前段階的行為であるあおり行為等のみを独立犯として処罰することは、前述のとおりこれらの行為が違法行為に原因を与える行為として単なる争議への参加にくらべ社会的責任が重いと見られる以上、決して不合理とはいいがたいから、所論違憲の主張は理由がない

 原判決の確定した罪となるべき事実によれば、被告人らは、前記警職法改正に反対する第四次統一行動の一環としてB労働組合会計長ほか同組合中央執行委員多数と共謀のうえ、(一)昭和三三年一〇月三〇日の深夜から同年一一月二日にかけ、同組合総務部長をして、同組合各県(大阪府および北海道を含む。)本部宛てに、「組合員は警職法改悪反対のため所属長の承認がなくても、一一月五日は正午出勤の行動に入れ、(ただし、一部特殊職場は勤務時間内一時間以上の職場大会を実施せよ。)」なる趣旨のB名義の電報指令第六号並びに各県本部(大阪府および北海道のほか東京を含む。)、支部、分会各委員長宛てに、同趣旨のB労働組合中央闘争委員長C名義の文書指令第六号を発信または速達便をもつて発送させ、(二)同月五日午前九時ころから同一一時四〇分ころまでの間、農林省において、庁舎各入口に人垣を築いてピケツトを張り、ことに正面玄関の扉を旗竿等をもつて縛りつけ、また裏玄関の内部に机、椅子等を積み重ねるなどした状況のもとに、同省職員約二五〇〇名を入庁させないようにしむけたうえ、同職員らに対し、同省正面玄関前の「警職法改悪反対」職場大会に直ちに参加するように反覆して申し向けて説得し、勤務時間内二時間を目標として開催される右職場大会(実際の開催時間は午前一〇時ころから同一一時四〇分ころまで、正規の出勤時間は同九時二〇分。参加人員は二〇〇〇名余。)に参加方を慫慂したというのであるから、右(一)の各指令の発出行為は、全国の傘下組合員である国家公務員たる農林省職員に対し、争議行為の遂行方をあおることを客観的に計画準備したものにほかならず、また、右(二)の状況下における反覆説得は、国公法九八条五項前段に定める違法行為を実行させる目的をもつて多数の右職員に対し、その行為を実行する決意を生じさせるような、またはすでに生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えたものというべく、原判決が右(一)につき争議行為の遂行をあおることを企てたとし、(二)につき争議行為の遂行をあおつた行為にあたるとしたのは、正当である。

 同第六点について。

 所論は、原判決は国公法九八条五項、一一〇条一項一七号の解釈、適用を誤り、所論引用の各高等裁判所の判例と相反する判断をしたものであるというのである。

 よつて考えるに、原判決が「同法一一〇条一項一七号の『あおる』行為等の指導的行為は争議行為の原動力、支柱となるものであつて、その反社会性、反規範性等において争議の実行行為そのものより違法性が強いと解し得るのであるから、憲法違反となる結果を回避するため、とくに『あおる』行為等の概念を縮小解釈しなければならない必然性はなく、またその証拠も不十分である」としたうえ、同条項一七号所定の「指導的行為の違法性は、その目的、規模、手段方法(態様)、その他一切の付随的事情に照らし、刑罰法規一般の予定する違法性、すなわち可罰的違法性の程度に 達しているものでなければならず、また、これらの指導的行為は、刑罰を科するに足る程度の反社会性、反規範性を具有するものに限る」旨判示し、何らいわゆる限定解釈をすることなく、被告人らの本件行為に対し国公法の右規定を適用していることは、所論のとおりである。これに対し、所論引用の大阪高等裁判所昭和四三年三月二九日判決、福岡高等裁判所昭和四二年一二月一八日各判決、同裁判所昭和四三年四月一八日判決は、右国公法一一〇条一項一七号または地方公務員法六一条四号については、あおり行為あるいはその対象となる争議行為またはその双方につき、限定的に解釈すべきものであるとの見解をとつており、そして、これらの判決は原判決に先だつて言い渡されたものであるから、原判決は、右各高等裁判所の判例と相反する判断をしたこととなり、その言渡当時においては、刑訴法四〇五条三号後段に規定する、最高裁判所の判例がない場合に、控訴裁判所たる高等裁判所の判例に相反する判断をしたことになるといわなければならない。

 しかしながら、国公法九八条五項、一一〇条一項一七号の解釈に関して、公務員の争議行為等禁止の措置が違憲ではなく、また、争議行為をあおる等の行為に高度の反社会性があるとして罰則を設けることの合理性を肯認できることは前述のとおりであるから、公務員の行なう争議行為のうち、同法によつて違法とされるものとそうでないものとの区別を認め、さらに違法とされる争議行為にも違法性の強いものと弱いものとの区別を立て、あおり行為等の罪として刑事制裁を科されるのはそのうち違法性の強い争議行為に対するものに限るとし、あるいはまた、あおり行為等につき、争議行為の企画、共謀、説得、慫慂、指令等を争議行為にいわゆる通常随伴するものとして、国公法上不処罰とされる争議行為自体と同一視し、かかるあおり等の行為自体の違法性の強弱または社会的許容性の有無を論ずることは、いずれも、とうてい是認することができない。けだし、いま、もし、国公法一一〇条一項一七号が、違法性の強い争議行為を違法性の強いまたは社会的許容性のない行為によりあおる等した場合に限つてこれに刑事制裁を科すべき趣旨であると解するときは、いうところの違法性の強弱の区別が元来はなはだ暖昧であるから刑事制裁を科しうる場合と科しえない場合との限界がすこぶる明確性を欠くこととなり、また同条項が争議行為に「通常随伴」し、これと同一視できる一体不可分のあおり等の行為を処罰の対象としていない趣旨と解することは、一般に争議行為が争議指導者の指令により開始され、打ち切られる現実を無視するばかりでなく、何ら労働基本権の保障を受けない第三者がした、このようなあおり等の行為までが処罰の対象から除外される結果となり、さらに、もしかかる第三者のしたあおり等の行為は、争議行為に「通常随伴」するものでないとしてその態様のいかんを問わずこれを処罰の対象とするものと解するときは、同一形態のあおり等をしながら公務員のしたものと第三者のしたものとの間に処罰上の差別を認めることとなつて、ただに法文の「何人たるを問わず」と規定するところに反するばかりでなく、衡平を失するものといわざるをえないからである。いずれにしても、このように不明確な限定解釈は、かえつて犯罪構成要件の保障的機能を失わせることとなり、その明確性を要請する憲法三一条に違反する疑いすら存するものといわなければならない。

 なお、公務員の団体行動とされるもののなかでも、その態様からして、実質が単なる規律違反としての評価を受けるにすぎないものについては、その煽動等の行為が国公法一一〇条一項一七号所定の罰則の構成要件に該当しないことはもちろんであり、また、右罰則の構成要件に該当する行為であつても、具体的事情のいかんによつては法秩序全体の精神に照らし許容されるものと認められるときは、刑法上違法性が阻却されることもありうることはいうまでもない。もし公務員中職種と職務内容の公共性の程度が弱く、その争議行為が国民全体の共同利益にさほどの障害を与えないものについて、争議行為を禁止し、あるいはそのあおり等の行為を処罰することの当を得ないものがあるとすれば、それらの行為に対する措置は、公務員たる地位を保有させることの可否とともに立法機関において慎重に考慮すべき立法問題であると考えられるのである。

 いわゆるD事件についての当裁判所の判決(昭和四一年(あ)第一一二九号同四四年四月二日大法廷判決・別集二三巻五号六八五頁)は、本判決において判示したところに抵触する限度で、変更を免れないものである。

 そうであるとすれば、原判決が被告人らの前示行為につき国公法九八条五項、一一〇条一項一七号を適用したことは結局正当であつて、これと異なる見解のもとに原判決に法令違反があるとする所論は採用することができず、また、この点に関する原審の判断と抵触する前記各高等裁判所の判例は、これを変更すべきものであつて、所論は、原判決破棄の理由とならない。

 同第七点、第八点、第九点について。

 所論は、いずれも事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 同第一〇点について。

 所論は、要するに、公務員の政治的目的に出た争議行為も憲法二八条によつて保障されることを前提とし、原判決が、いわゆる「政治スト」は、憲法二八条に保障された争議行為としての正当性の限界を逸脱するものとして刑事制裁を免れないと判断したのは、憲法二一条、二八条、三一条の解釈を誤つたものである旨主張する。

 しかしながら、公務員については、経済目的に出たものであると、はたまた、政治目的に出たものであるとを問わず、国公法上許容された争議行為なるものが存在するとすることは、とうていこれを是認することができないのであつて、かく解釈しても憲法に違反するものではないから、所論違憲の主張は、その前提を欠き、適法な上告理由にあたらない(なお、私企業の労働者たると、公務員を含むその他の勤労者たるとを問わず、使用者に対する経済的地位の向上の要請とは直接関係があるとはいえない警職法の改正に対する反対のような政治的目的のために争議行為を行なうがごときは、もともと憲法二八条の保障とは無関係なものというべきである。現に国際労働機構(ILO)の「結社の自由委員会」は、警職法に関する申立につ

いて、「委員会は、改正法案は、それが成立するときは、労働組合権を侵害することとなることを立証するに十分な証拠を申立人は提出していないと考えるので、日本政府の明確な説明を考慮して、これらの申立については、これ以上審議する必要がないと決定するよう理事会に勧告する。」としている(一七九事件第五四次報告一八七項)。国際労働機構の「日本における公共部門に雇用される者に関する結社の自由調査調停委員会報告」 (いわゆるドライヤー報告)も、「労働組合権に関する申立の審査において国際労働機関によつてとられている一般原則によれば、政治的起源をもつ事態が適当な手続による国際労働機関の調査が要請されうる社会的側面(問題)を有している場合であつても、国際労働機関が国際的安全保障に直接関係ある政治問題を討議することは、その伝統に反し、かつ、国際労働機関自体の領域における有用性をもそこなうため不適当である。」(二一三〇項)という一般的見解を表明しているのである。)。

 弁護人小林直人の上告趣意第一一点中、第一ないし第三について。

 所論は、原判決が国公法一一〇条一項一七号について、何んら限定解釈をすることなく、社会的に相当行為たる被告人らの本件行為にこれを適用したのは、憲法三一条、二八条、一八条、二一条に違反するというのである。

 しかし、国公法の右規定について、これを限定的に解釈しなくても、右憲法の各規定に違反するものでないことは、すでに弁護人佐藤義弥ほか三名の上告趣意第一点、第三点、第五点について説示したところおよび同第六点において説明した趣旨に照らし明らかであるから、所論は理由がない。

 同第四について。

 所論は、本件争議行為が、いわゆる政治的抗議ストであるから社会的相当性を有し、構成要件該当性を欠くとの単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 同第五について。

 所論は、本件抗議ストは、憲法二一条の保障する「表現の自由」権の行使として、社会的相当性を具有しているものであるから、国公法一一〇条一項一七号の罰則規定は、被告人らの本件行為に適用される限度において、憲法三一条、二一条に違反し、無効であるというのである。

 しかしながら、国公法の右規定が憲法三一条、二一条に違反しないことは、所論の第一ないし第三について示したところにより明らかであるから、その趣旨に徴し、所論は理由がない。

 被告人ら各本人の上告趣意について。

 所論は、いずれも事案誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

 よつて、刑訴法四一四条、三九六条に則り、本件各上告を棄却することとし、主文のとおり判決する。

 この判決は、裁判官石田和外、同村上朝一、同藤林益三、同岡原昌男、同下田武三、同岸盛一、同天野武一の各補足意見、裁判官岩田誠、同田中二郎、同大隅健一郎、同関根小郷、同小川信雄、同坂本吉勝の各意見、裁判官色川幸太郎の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。