残念ながらSM社はその後閉鎖となり、私は現代ギター社に誘われ、転職することとなりました。
その時にマイクなどの主な録音機材は買い取り、いずれ自分で録音業務ができるよう準備をしていました。
現代ギター社ではしばらくの間編集やらショップ担当やらで録音業務はできませんでしたが、
その後社内の状況の変化で、録音も担当できるようになりました。
その頃、稲垣さんからCD制作の相談がこちらに来ました。
「もう前のCDを録音してから10年になるんで、そろそろ新しいCDを作りたい、
笹井さんだったら私の演奏をよく知ってるし、安心してお願いできるんだけど…」
ということで、上司と相談し、現代ギター社として稲垣さんのCDを作ることになりました。
収録曲の相談をしていた時に、最初に稲垣さんから提示された曲はどうもバラバラな印象でしたが、
何曲かが“歌”に関係する曲だったので、
「いっそ“歌”をテーマにしたアルバムにしませんか?」と提案、
こちらからも何曲か提示、それを見て稲垣さんからも「じゃあ、これも入れましょう」と数曲追加、
こうしてアルバム「Songs」の曲目が固まりました。
録音は2005年11月1~3日、栃木県のホールを使ってのレコーディングでした。
機材はすべて私の手持ち、録音機材のセッティングからディレクター役まで私1人で対応、
稲垣さんと私の2人だけで3日間ホールに籠もり、神経のすり減る作業を続けます。
(今考えると、何という贅沢な時間だったことでしょう、どうしても時計の針を戻したくなります)
(「Songs」録音風景)
その後、通常より時間をかけてじっくり編集作業をこなし、
2006年9月にようやく「Songs」が発売となりました。
幸い高い評価をいただき、レコード芸術誌では特選盤となり、
濱田滋郎先生からは「なんと美しくまどかなギターの音であろうか。
(略)讃めても讃め足りないディスクとは、このような1枚を指す」と絶賛の言葉をいただけました。
(「Songs」ジャケット写真)
その後、一身上の都合で現代ギター社を退社、実家の京都で現在のCD録音・制作業を始めることとなりました。
この仕事を始めるとき、稲垣さんも喜んでくれて、メールで
「私自身もこの時を待ち望んでいました。
これから笹井さんがCD業界で素晴しい録音(作品)を数多く生み出して行かれますことを心から願っております。
また私とのCD製作の仕事もこれからもどうぞ宜しくお願い致します。
近い内に具体的な構想等お話し合い出来ればと思っておりますが如何でしょうか?」
と、うれしい言葉をかけていただきました。
すぐ、とはならなかったのですが、2010年11月には具体的なCD制作の話を始め、
稲垣さんは「ホールで何日もカンズメになる録音はしんどいから避けたい、
スタジオで細切れに録音でけへんの?」ということと、
コンサートに来たお客さんが気軽にCDを買って帰れるように低価格にしたいということで、
スタジオ録音、テーマ別ミニアルバムをシリーズで制作、のちにまとめてベスト盤にする、という
基本方針をたて、翌年4月には楽譜を持ち寄って具体的な曲目の選定まで行なっていました。
どのスタジオを使うかというところも決め、一度試し録音をしましょう、という話になりました。
稲垣さんは、フランス留学時代からの友人でありギタリスト=作曲家のJ.M.レーモン氏と
その昔、二重奏のLPレコードを発売されていたのですが、
そのレコードをCD化するにあたり、それぞれが数曲ソロの録音を追加する、というプロジェクトがあり、
稲垣さんのソロ部分を、試し録音の時にいっしょに録音してしまいましょう、という話になりました。
2011年10月21日、新大阪にあるスタジオでこの録音を行いました。
曲目はレーモン氏作曲の〈KIZUNA(絆)〉という3曲からなる組曲と〈水面に映る影に寄せて〉、
こちらはスタジオ録音は不慣れなため、スタジオのエンジニアさんと相談しながら、
マイクの選定や位置の調整、ミックスの具合など調整しながらの録音でした。
なんとか録音を終えて録音データを持ち帰り、編集作業に入ります。
(2011年10月21日、スタジオでの録音風景)
この編集作業を進めているところ、録音からわずか2週間あまり後のこと、
稲垣さんから電話が入り、病気のため以降の録音はキャンセル、の旨が告げられました。
病名ははっきり言われませんでしたが、
「もう、これが最後の録音かも…」という稲垣さん、
「何を気弱なこと言ってるんですか。しっかりしてくださいよ!」と私。
その後、この録音の編集チェックのやりとりをして、音源が完成、
稲垣さんを通してフランスのレーモン氏のもとへ送られ、
LPの音源、レーモン氏のソロと合わせて1枚のアルバムとなり
カナダのd'OZ社より「KIZUNA」というタイトルで完成となりました。
2012年9月9日、レーモン氏が来日、神戸でコンサートが開催されました。
現代ギター社にコンサートレポートを依頼され、聴きにいったのですが、
このコンサートのサプライズゲストで、稲垣さんが退院後初めて登場、
レーモン氏との二重奏を数曲演奏されました。
病後でずいぶん痩せられていましたが、変わらぬ美音で演奏されてました。
演奏会後、久しぶりに顔を合わせ、
「元気そうですね、これならまた録音、再開できますね」と声かけていたのですが、
これが稲垣さんに直接お会いした最後となりました。
(演奏会終了後、サイン会での稲垣さんとレーモン氏)
その後の稲垣さんは、一部レッスンもされたり、演奏会にゲスト出演されたりと、
少しずつ活動されているのをネットや雑誌で拝見していたので、
本人が心配するほどのことはない、もうどんどん快方にむかっているんだ、と思っていました。
それが6月26日に突然の訃報…、信じられない思いです。
稲垣さんはその名声に比べ、残された録音は非常に少なく、
こちらがもっと機敏に動いてどんどん録音すれば、もっと名演奏を数多く残せたのにと
忸怩たる想いでいっぱいになっています。
今はただ、稲垣さんのご冥福を祈るのみです。
「Songs」のアルバムは、まだ辛くて聴けていません…。