Woodnoteな日常

京都発 小さな小さなCD制作スタジオの日々雑感です

ジャミーラ・ベリーダンス・ショー@京都・キエフ

2013年07月20日 | コンサート
今日は、京都・祇園の老舗ロシア料理店「キエフ」にて
ジャミーラさんのベリーダンスショーがあり、
私とカミサンも演奏で参加して来ました。

12:30から食事(昼間ですがディナーコースの内容)、
14:00からショー開始、という内容で、
演奏はウードの加藤吉樹さん、ダラブッカの牧瀬敏さん、
そしてカミサンの二胡と私のギター(デュオ・ササイ)。

最初は二胡&ギターで中国の曲からはじまり、
だんだんモンゴルや中央アジア方面の曲になり、
ダラブッカ、ウードに加わってもらったところで二胡&ギターは終了、
あとはウード&ダラブッカによる演奏でトルコ~エジプトの音楽まで、という
ユーラシア大陸を横断する壮大な(^^ゞ選曲です。

前半、少々緊張しながら演奏する我々です。

この日は民族楽器との共演ということもあり、現代のギターではなく
ちょっと古風な音のする19世紀ギター(パノルモ)を使用しています。

ベリーダンスもはいるとこんな感じです。


ウードの加藤さんとダラブッカの牧瀬さん、
エキゾチックな音楽です。


レストラン内は満員のお客様、
ベリーダンスとエキゾチックな音楽、そして豪華ロシア料理を
大いにお楽しみいただけたようです。

デュオ・ササイは不定期にこっそり、ふにふにと活動中、
次回は10月ころ京都市内某所に出没予定とのこと。


ご注意あれ!

2013年07月16日 | 日々是好日
最近、ネットを見ていると、いきなり別画面でこんなのが現れることがある。


どうみても怪しいし、
URLを見てもマイクロソフトじゃないし、
当然クリックなどせず、ウィンドウを閉じる。
せっかくなので(?)画像をクリッピングしておいた。

こんな古典的な手に乗る人も少ないとは思いますが、
みなさん、ご注意を!

稲垣 稔さんの想い出(2)

2013年07月09日 | その他
残念ながらSM社はその後閉鎖となり、私は現代ギター社に誘われ、転職することとなりました。
その時にマイクなどの主な録音機材は買い取り、いずれ自分で録音業務ができるよう準備をしていました。
現代ギター社ではしばらくの間編集やらショップ担当やらで録音業務はできませんでしたが、
その後社内の状況の変化で、録音も担当できるようになりました。
その頃、稲垣さんからCD制作の相談がこちらに来ました。
「もう前のCDを録音してから10年になるんで、そろそろ新しいCDを作りたい、
 笹井さんだったら私の演奏をよく知ってるし、安心してお願いできるんだけど…」
ということで、上司と相談し、現代ギター社として稲垣さんのCDを作ることになりました。

収録曲の相談をしていた時に、最初に稲垣さんから提示された曲はどうもバラバラな印象でしたが、
何曲かが“歌”に関係する曲だったので、
「いっそ“歌”をテーマにしたアルバムにしませんか?」と提案、
こちらからも何曲か提示、それを見て稲垣さんからも「じゃあ、これも入れましょう」と数曲追加、
こうしてアルバム「Songs」の曲目が固まりました。

録音は2005年11月1~3日、栃木県のホールを使ってのレコーディングでした。
機材はすべて私の手持ち、録音機材のセッティングからディレクター役まで私1人で対応、
稲垣さんと私の2人だけで3日間ホールに籠もり、神経のすり減る作業を続けます。
(今考えると、何という贅沢な時間だったことでしょう、どうしても時計の針を戻したくなります)

(「Songs」録音風景)

その後、通常より時間をかけてじっくり編集作業をこなし、
2006年9月にようやく「Songs」が発売となりました。
幸い高い評価をいただき、レコード芸術誌では特選盤となり、
濱田滋郎先生からは「なんと美しくまどかなギターの音であろうか。
(略)讃めても讃め足りないディスクとは、このような1枚を指す」と絶賛の言葉をいただけました。

(「Songs」ジャケット写真)

その後、一身上の都合で現代ギター社を退社、実家の京都で現在のCD録音・制作業を始めることとなりました。
この仕事を始めるとき、稲垣さんも喜んでくれて、メールで
「私自身もこの時を待ち望んでいました。
 これから笹井さんがCD業界で素晴しい録音(作品)を数多く生み出して行かれますことを心から願っております。
 また私とのCD製作の仕事もこれからもどうぞ宜しくお願い致します。
 近い内に具体的な構想等お話し合い出来ればと思っておりますが如何でしょうか?」
と、うれしい言葉をかけていただきました。

すぐ、とはならなかったのですが、2010年11月には具体的なCD制作の話を始め、
稲垣さんは「ホールで何日もカンズメになる録音はしんどいから避けたい、
スタジオで細切れに録音でけへんの?」ということと、
コンサートに来たお客さんが気軽にCDを買って帰れるように低価格にしたいということで、
スタジオ録音、テーマ別ミニアルバムをシリーズで制作、のちにまとめてベスト盤にする、という
基本方針をたて、翌年4月には楽譜を持ち寄って具体的な曲目の選定まで行なっていました。
どのスタジオを使うかというところも決め、一度試し録音をしましょう、という話になりました。

稲垣さんは、フランス留学時代からの友人でありギタリスト=作曲家のJ.M.レーモン氏と
その昔、二重奏のLPレコードを発売されていたのですが、
そのレコードをCD化するにあたり、それぞれが数曲ソロの録音を追加する、というプロジェクトがあり、
稲垣さんのソロ部分を、試し録音の時にいっしょに録音してしまいましょう、という話になりました。
2011年10月21日、新大阪にあるスタジオでこの録音を行いました。
曲目はレーモン氏作曲の〈KIZUNA(絆)〉という3曲からなる組曲と〈水面に映る影に寄せて〉、
こちらはスタジオ録音は不慣れなため、スタジオのエンジニアさんと相談しながら、
マイクの選定や位置の調整、ミックスの具合など調整しながらの録音でした。
なんとか録音を終えて録音データを持ち帰り、編集作業に入ります。

(2011年10月21日、スタジオでの録音風景)

この編集作業を進めているところ、録音からわずか2週間あまり後のこと、
稲垣さんから電話が入り、病気のため以降の録音はキャンセル、の旨が告げられました。
病名ははっきり言われませんでしたが、
「もう、これが最後の録音かも…」という稲垣さん、
「何を気弱なこと言ってるんですか。しっかりしてくださいよ!」と私。
その後、この録音の編集チェックのやりとりをして、音源が完成、
稲垣さんを通してフランスのレーモン氏のもとへ送られ、
LPの音源、レーモン氏のソロと合わせて1枚のアルバムとなり
カナダのd'OZ社より「KIZUNA」というタイトルで完成となりました。

2012年9月9日、レーモン氏が来日、神戸でコンサートが開催されました。
現代ギター社にコンサートレポートを依頼され、聴きにいったのですが、
このコンサートのサプライズゲストで、稲垣さんが退院後初めて登場、
レーモン氏との二重奏を数曲演奏されました。
病後でずいぶん痩せられていましたが、変わらぬ美音で演奏されてました。
演奏会後、久しぶりに顔を合わせ、
「元気そうですね、これならまた録音、再開できますね」と声かけていたのですが、
これが稲垣さんに直接お会いした最後となりました。

(演奏会終了後、サイン会での稲垣さんとレーモン氏)

その後の稲垣さんは、一部レッスンもされたり、演奏会にゲスト出演されたりと、
少しずつ活動されているのをネットや雑誌で拝見していたので、
本人が心配するほどのことはない、もうどんどん快方にむかっているんだ、と思っていました。
それが6月26日に突然の訃報…、信じられない思いです。

稲垣さんはその名声に比べ、残された録音は非常に少なく、
こちらがもっと機敏に動いてどんどん録音すれば、もっと名演奏を数多く残せたのにと
忸怩たる想いでいっぱいになっています。
今はただ、稲垣さんのご冥福を祈るのみです。
「Songs」のアルバムは、まだ辛くて聴けていません…。

稲垣 稔さんの想い出(1)

2013年07月09日 | その他
ギタリストの稲垣 稔氏が6月26日、逝去されました。
ご病気だったのは存じていたが、最近はレッスンも再開されたり、
コンサートにもゲスト出演されたりと、
少しずつ回復されているようにお見受けしていたので、
この訃報は本当に意外で、1週間以上たっても未だに悪い夢のように思えます。

稲垣さんとはいろいろご縁があって、彼の録音のいくつかに関わることができました。
CD制作については稲垣さんから相談を受けることもあり、
すでに新しい録音についても話が進行していたところでした。
思いつくまま、稲垣さんの想い出を書いてみたいと思います。


1995年のこと、会社員をしていた私は、ふとしたきっかけでCD会社の社長と知り合い、
その社長から「うちに来ないか」と誘われました。
その会社がサウンドマトリクス(以下SM社)という稲垣さんのCD、
当時すでに「ソナチネ」と「ファンタジア」を発売していた会社でした。
アマチュアのギター弾きだった私はもちろん稲垣さんのお名前は存じていて、
そのCD会社に、ということで惹かれるものがありましたがまだ決断しかねていました。
社長から「近く稲垣さんの録音があるから、一度見においで」ということで、
CD「レヴリ」を録音中の所沢のホールに見学に行きました。
(メモを見れば、1995年2月18日のことでした)
録音現場を見るのはもちろん初めてで、静かにモニタールームとなる控え室へ。
ここで初めて稲垣さんとご対面、緊張気味の私ににこやかに応対してくれました。
その日は録音現場で美しい音に直接触れ、この世界に入ることを決断したのでした。

当初SM社では営業として入ったのですが、
当時のディレクターが社長と決別して辞めてしまい、
「じゃ、お前がやれ」とこちらにディレクター役が回ってきました。
アマチュアの音楽好きではありますが、プロを相手に指示などできると思えず、
進行役、交通整理だけですよ、ということで、おっかなびっくりディレクター役を始めました。
それでもいくつかのCDの録音を進め、多少ながら要領もつかめてきました。

SM社は社長がギター好きだったので、ギターの録音が多く、
社長の立案でエチュードのシリーズを制作することとなりました。
現代ギター社の編集長も巻き込んで選曲し、
結局カルカッシ、アグアド、コスト、ソル(全曲、3枚)、タレガの全7枚のシリーズを
幾人かのギタリストに分担してもらって録音、
このうちカルカッシとコストを稲垣さんにお願いすることとなりました。

この「カルカッシ:25の練習曲Op.60」の録音が、私が担当した最初の稲垣さんの録音です。(1995年11月6~8日)
稲垣さんは演奏へのこだわりが非常に強く、たとえこちらがOKを出しても
 私 「はい、じゃ、この曲OKです」
 稲垣「え~、ほんまにちゃんと録れてる~? 使えるの、ある?」
とさらなるテイク収録を要求してきます。
こちらもそれに応えるべく、わずかな演奏のキズも聞き逃さないよう、全神経を傾けてモニターを聴いています。
そんな録音ですから疲れること甚だしいのですが、
おかげでこのカルカッシは高い評価を得て、エチュード・シリーズは好調にスタートしました。

(「カルカッシ:25の練習曲」当初のSM社盤ジャケット)

次の稲垣さんとの録音は翌1996年の4月17~19日、「コスト:25の練習曲」の録音でした。
ロマン派のコストはカルカッシに比べ内容も複雑高度になり、
録音はカルカッシ以上に神経をすり減らす作業でしたが、無事終了。
コストは稲垣さんの音楽性ともよくマッチし、
このアルバムはレコード芸術誌の特選盤にも選ばれました。

(「コスト:25の練習曲」当初のSM社盤ジャケット)

この録音の時だったかどうかは定かでないのですが、
録音終了の打ち上げで社長の家で飲んでいるとき、
興に乗って稲垣さんが古賀メロディーを弾き(たしか〈丘を越えて〉、これがカッコ良い!)
 社長「稲垣さん、こんど古賀メロ、CDにしましょうよ~」
 稲垣「いや~、そのときは覆面かぶって“ミスターX”ということで…」
と笑っていました(ユーモアもある方です)。

※稲垣さんの「ソナチネ」「ファンタジア」「レヴリ」、およびギターエチュードシリーズ全7枚は
 現在は現代ギター社から発売となっています。

※長文のため、(2)へ続く