イヨ、サラバ

一日一生〜胃なし生活の記録〜

勝手に片付け

2018年05月28日 | 術後9年~

外来受診日。
体重36.4kg、血圧92/59、いつもと変わらず。

外科、循環器内科共に
「特に変わりありませんか?」
「はい、変わりありません」で終了。
今日は空いている方だったので、薬もあまり待たずに済んだ。
次回また三ヶ月後、もうお盆過ぎか…一年が早い。

さて、
昨夜は遅くまで‘ちょん’と喧嘩
というか、私が一方的に怒っていたので説教か。
‘ぼんこ’は私が口出しすると結構言い返してくるのだが
‘ちょん’はいつもどこか遠慮がち
感情的に訴えてくることは滅多にない。
言いたいことがあるであろうことはわかるんだけれど
言ってもどうにもならないとか
自分が我慢すればいいとか考えているからか
容易に諦めてしまう。
さとり世代とはこういうことだろうか。
私の病気や経済的なことで長年色々我慢してきた結果だとすれば
親として申し訳ないことをしてきたと思う。

明日を夢見る未来ある娘たちに
「明日は必ず来るとは限らない、一日を懸命に生きて」
と言ってもピンとこないだろう。
それでも私は、今日という一日を大切に生きて欲しいと願う。
私だっていつまでも何事もなく明日が来るわけではない。
生きていくために必要はことは自分でできるように
いろいろ学んで欲しい。

でも、私が急ぎすぎているのかな。
毎日の長い通学時間に、休みはバイト。
そのバイト代も半分以上は学費に回して、決して贅沢などしていない。
学生の間くらい家ではゆっくり息抜きしたい気持ちも
考えてみればよくわかる。
‘ちょん’の場合、やればできないわけではないのだし
もうちょっと“こども”でいてもいいのかな。

と思い直し、今日は先週からの“勝手に片付け”の続き。
実習着くらいは自分でアイロンをかけるようにと言ってきたが
たまにはやってあげようか、と
洗濯したままのブラウスやパンツなどもまとめて一通りアイロンをかけた。
せっかくの可愛いブラウスもシワシワじゃお洒落じゃない。
やってあげられることは、やってあげられるうちに。
そうしているうちにいつか、私の方がやってもらう立場になるのかな。

大人でも子どもでもない微妙な年頃。
お互い言い分はあるが
経験を積んできた親の思いは
経験未熟な子供に想像しろと言っても無理がある。
同じ年の頃の自分の気持ちを思い出せば、子供の気持ちは理解できる。
だったら親が一歩引いてみるのが賢明。

先週のあさイチ、中学生の荷物が重い問題が取り上げられて
ルールを決めて置き勉を認め
荷物軽量化に取り組んでいる学校が紹介された。
その学校の先生の言葉を思い出す。
家庭学習がちゃんとできないんじゃないか
ロッカーの管理ができないんじゃないか
と、できないことを心配するより
「子どもたちならできる」と信じることの方が大事なのではないのかと。
生徒も「信じて欲しい」と言っていたし
信じてもらうことで、自発的に活動していた。
私も「きっとできる」と信じて見守ってみようかな。

そして‘ぼんこ’も正に荷物の重い中学生。
部活の道具がないだけまだいいが「重くてヤダ!」とぼやいている。
毎日帰ってからの勉強でお疲れのようだが
今日からは定期テストに向けてのテスト勉強も始まって
「1日4時間以上」と言われているらしい。
4時間!?と驚くが
確かにそれくらいやらないと全教科の復習は追い付かない。
まぁ、やらないと落ち着かないタイプの‘ぼんこ’なら
なんとかやるだろう。
また私が口出しするとヘソを曲げるだろうから
せかさず眺めていようと思う。

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