2002/8/25 倉本聰氏講演より
(3年前の千葉県関宿町での講演です)
ハイダグアイの話の中で、
島に繁っている大きな樹のことを話されていました。
ハイダインディアンは死ぬと、トウテンポールのてっぺんに遺骨を
納められる。長い年月の末、トーテンポールも朽ちて行き、やがて
てっぺんに納められた遺骨は大地に帰るのだ、と。
森の一生でも同じことが起こり、年老いた樹木や、落雷、風雪で
倒れた樹々を苗床として、新しい生命が芽吹く。
これを倒木更新と呼ぶのだ、と。
森は水を蓄え、海に流す。それを結ぶのが川である。
例えば、利根川の河口をつまんで、地図上から引き剥がすとしよう。
すると、川にはたくさんの支流が注いでいることや、沼や水源地が
小芋のようにつながっていることがわかるはずだ。
下流で生活している我々は、水源税を支払うべきである。
また、大気を汚染してしまっている現状に対しては、ガソリン税を
支払わなければならない。
大量生産、大量消費の現代では、生産品の40%が流通外として
捨てられている。
富良野塾では、1日3食を240円で賄っているけれど、それが可能
なのも、この大量廃棄によるところが大きい。
人参などは『アオクビ(青首)、まん丸、二股、チンポ』と言って、どれも
規格外品として出荷されずに捨てられてしまう。
ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、タマネギ。これらを塾生が拾って、
冬の間も室(むろ)の中で保存しておけるので、3食240円と言う予算
で生活できてしまうのだ。
新宿のホームレスから糖尿病患者が出る昨今、拾って生活するのが
実はいちばん豊かなのかも知れない。
富良野塾でも、山部(やまべ)地区にできた粗大ゴミ集積場から家具
から家電製品まで拾ってくるようになり、にわかに生活水準が向上
したらしい。(『北の国から』に出てくる山部山麓デパートですな)
(続く)
(3年前の千葉県関宿町での講演です)
ハイダグアイの話の中で、
島に繁っている大きな樹のことを話されていました。
ハイダインディアンは死ぬと、トウテンポールのてっぺんに遺骨を
納められる。長い年月の末、トーテンポールも朽ちて行き、やがて
てっぺんに納められた遺骨は大地に帰るのだ、と。
森の一生でも同じことが起こり、年老いた樹木や、落雷、風雪で
倒れた樹々を苗床として、新しい生命が芽吹く。
これを倒木更新と呼ぶのだ、と。
森は水を蓄え、海に流す。それを結ぶのが川である。
例えば、利根川の河口をつまんで、地図上から引き剥がすとしよう。
すると、川にはたくさんの支流が注いでいることや、沼や水源地が
小芋のようにつながっていることがわかるはずだ。
下流で生活している我々は、水源税を支払うべきである。
また、大気を汚染してしまっている現状に対しては、ガソリン税を
支払わなければならない。
大量生産、大量消費の現代では、生産品の40%が流通外として
捨てられている。
富良野塾では、1日3食を240円で賄っているけれど、それが可能
なのも、この大量廃棄によるところが大きい。
人参などは『アオクビ(青首)、まん丸、二股、チンポ』と言って、どれも
規格外品として出荷されずに捨てられてしまう。
ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、タマネギ。これらを塾生が拾って、
冬の間も室(むろ)の中で保存しておけるので、3食240円と言う予算
で生活できてしまうのだ。
新宿のホームレスから糖尿病患者が出る昨今、拾って生活するのが
実はいちばん豊かなのかも知れない。
富良野塾でも、山部(やまべ)地区にできた粗大ゴミ集積場から家具
から家電製品まで拾ってくるようになり、にわかに生活水準が向上
したらしい。(『北の国から』に出てくる山部山麓デパートですな)
(続く)