つぶろぐ

息子の成長過程を追っていけたらな。でもその前に自分も成長せねば。。。

倉本聰氏 講演会メモ(4)

2005-07-17 06:36:08 | 美瑛・富良野
2002/8/25 倉本聰氏講演より
(3年前の千葉県関宿町での講演です)

ハイダグアイの話の中で、
島に繁っている大きな樹のことを話されていました。
ハイダインディアンは死ぬと、トウテンポールのてっぺんに遺骨を
納められる。長い年月の末、トーテンポールも朽ちて行き、やがて
てっぺんに納められた遺骨は大地に帰るのだ、と。
森の一生でも同じことが起こり、年老いた樹木や、落雷、風雪で
倒れた樹々を苗床として、新しい生命が芽吹く。
これを倒木更新と呼ぶのだ、と。

森は水を蓄え、海に流す。それを結ぶのが川である。
例えば、利根川の河口をつまんで、地図上から引き剥がすとしよう。
すると、川にはたくさんの支流が注いでいることや、沼や水源地が
小芋のようにつながっていることがわかるはずだ。
下流で生活している我々は、水源税を支払うべきである。
また、大気を汚染してしまっている現状に対しては、ガソリン税を
支払わなければならない。

大量生産、大量消費の現代では、生産品の40%が流通外として
捨てられている。
富良野塾では、1日3食を240円で賄っているけれど、それが可能
なのも、この大量廃棄によるところが大きい。
人参などは『アオクビ(青首)、まん丸、二股、チンポ』と言って、どれも
規格外品として出荷されずに捨てられてしまう。
ジャガイモ、ニンジン、カボチャ、タマネギ。これらを塾生が拾って、
冬の間も室(むろ)の中で保存しておけるので、3食240円と言う予算
で生活できてしまうのだ。
新宿のホームレスから糖尿病患者が出る昨今、拾って生活するのが
実はいちばん豊かなのかも知れない。
富良野塾でも、山部(やまべ)地区にできた粗大ゴミ集積場から家具
から家電製品まで拾ってくるようになり、にわかに生活水準が向上
したらしい。(『北の国から』に出てくる山部山麓デパートですな)

(続く)