・・・前回の記事より続く。
時は1960年代、排気量1,000㏄以下のバイク部門で、時速300キロオーバーという前人未到の記録を樹立したマシンは1920年製の「インディアン・スカウト」。つまり、40年も前の古いバイクでの快挙ということになる。
1920年というと日本は大正9年、この時代に製造されたバイクが時速300キロ越えを果すなど、当時としてはとんでもない記録だったに違い無い。あれから40数年を経た現在未だに破られていないことから、如何に彼の残した記録が偉大だったかは想像に難くない。
「ボンネビル・スピードウェイ」を疾走するインディアン
この物語はバイクを主としたテーマであるが、人間の老いと情熱そして老人の愛と性、ゲイ、ネイティヴ・アメリカン、ヴェトナム戦争、等々・・・当時の時代考証がさりげなく描かれていて、バイク好きでなくとも楽しめる作品と言えよう(まるで映画評論家のようですな)。
以下、会話の中でオイラが特に印象に残った名言とも言えるバートの台詞を紹介しましょうね。
時速300キロ越えを目前の鬼気迫る表情
物語は主人公バート・マンローが住むニュージーランド・インバカーギルという小さな田舎町から始まる。ちょっと変わり者といった男バート・マンローは、若い頃からの憧れであったアメリカ・ユタ州「ボンネビル・スピードウェイ」を走ることを夢見ていた。
目的を果せぬまま既に初老となったバートは、年金生活で貯えた僅かばかりの所持金と銀行からの借り入れでようやくアメリカ行きを決心するのだが、そんなバートに密かに憧れを抱く隣家の少年トムは、アメリカ行きを目前の彼にこんな質問をする。
トム「事故が怖くない?」
バート「全然、こういうバイクで飛ばす時の5分間はつまらん一生に勝る。一生が凝縮された5分間だ。」
そして旅立ちを前に、家の鍵を預けたトムにこう進言する。
バート「いいか坊主、夢を追いかけない人間はただの野菜だ」
トム「どんな野菜?」
バート「何かな・・・キャベツ・・・そうだキャベツだ」
年金を扱う社会保障関係の仕事に就く初老の婦人フランは、バートからのデートの誘いを受けバートと一夜を共にする仲となるのだが、アメリカへと旅立つ当日、「結果なんかどうでもいいわ」と心配するフランに、バートはセオドア・ルーズベルトの言葉を引用してこう諭す。
「偉いのは評論家じゃない。傍観者としてああでもないこうでもないと批判する者でもない。実際に戦っている者こそ称賛に値する」と。
完走後のバート、25年来の夢が叶った瞬間
目的地ボンネビルへと向かう途中、バイクを牽引する台車の車輪が外れ道路上で立ち往生するのだが、偶然そこへ通りかかったネイティヴ・アメリカンに助けられる。招きに応じ彼の家を訪ねたバートにそのネイティヴは不思議そうな顔で尋ねる。
ネイティヴ「何故あんなモノに乗るんだ?」
バート「ボンネビルで乗ることに意義があるのさ」
ネイティヴ・アメリカンの家を後にしたバートは、台車の修理のためある一軒の家に立ち寄る。その古い家はエイダという名の初老の女性が一人で住んでいて、十数年前に主人を亡くしたと語り独り身の侘しさを吐露する。
泊まっていけとの誘いを受け、バートはこの女性と一夜を共にすることになるのだが、ベッドでのバートの台詞がふるっている。「肝っ玉が据わっていないと歳はとれん」
翌朝、目的地へと出発するバートに、エイダは、帰りにもう一度立ち寄って抱きしめてくれと囁く。
バート「古いバンジョーもまだ鳴らせる」
エイダ「使わなきゃサビるだけ」
因みに、エイダ役は、アカデミー助演女優賞に3度ノミネートされたダイアン・ロッド。名優アンソニーと熟女ダイアンの掛け合いは、互いに老練者だからこその味が出ていて見事と言う他に言葉が見つからない。
バート・マンローの偉大な功績を称え、映画は終了する
お金も名誉も無くその上前立腺肥大と狭心症の持病を抱えながらも夢を追い求めるバートの生き様は、これから迎えるであろう高齢化社会の一つの座標ともなろう。
出走を取り止めるよう説得するボンネビル・スピードウェイの係官や心無い野次馬の誹謗中傷に「外見は皺だらけでも、中身は18歳だ。走りを見れば分かるさ」と語るシーンが特に印象的だ。
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時は1960年代、排気量1,000㏄以下のバイク部門で、時速300キロオーバーという前人未到の記録を樹立したマシンは1920年製の「インディアン・スカウト」。つまり、40年も前の古いバイクでの快挙ということになる。
1920年というと日本は大正9年、この時代に製造されたバイクが時速300キロ越えを果すなど、当時としてはとんでもない記録だったに違い無い。あれから40数年を経た現在未だに破られていないことから、如何に彼の残した記録が偉大だったかは想像に難くない。
「ボンネビル・スピードウェイ」を疾走するインディアン
この物語はバイクを主としたテーマであるが、人間の老いと情熱そして老人の愛と性、ゲイ、ネイティヴ・アメリカン、ヴェトナム戦争、等々・・・当時の時代考証がさりげなく描かれていて、バイク好きでなくとも楽しめる作品と言えよう(まるで映画評論家のようですな)。
以下、会話の中でオイラが特に印象に残った名言とも言えるバートの台詞を紹介しましょうね。
時速300キロ越えを目前の鬼気迫る表情
物語は主人公バート・マンローが住むニュージーランド・インバカーギルという小さな田舎町から始まる。ちょっと変わり者といった男バート・マンローは、若い頃からの憧れであったアメリカ・ユタ州「ボンネビル・スピードウェイ」を走ることを夢見ていた。
目的を果せぬまま既に初老となったバートは、年金生活で貯えた僅かばかりの所持金と銀行からの借り入れでようやくアメリカ行きを決心するのだが、そんなバートに密かに憧れを抱く隣家の少年トムは、アメリカ行きを目前の彼にこんな質問をする。
トム「事故が怖くない?」
バート「全然、こういうバイクで飛ばす時の5分間はつまらん一生に勝る。一生が凝縮された5分間だ。」
そして旅立ちを前に、家の鍵を預けたトムにこう進言する。
バート「いいか坊主、夢を追いかけない人間はただの野菜だ」
トム「どんな野菜?」
バート「何かな・・・キャベツ・・・そうだキャベツだ」
年金を扱う社会保障関係の仕事に就く初老の婦人フランは、バートからのデートの誘いを受けバートと一夜を共にする仲となるのだが、アメリカへと旅立つ当日、「結果なんかどうでもいいわ」と心配するフランに、バートはセオドア・ルーズベルトの言葉を引用してこう諭す。
「偉いのは評論家じゃない。傍観者としてああでもないこうでもないと批判する者でもない。実際に戦っている者こそ称賛に値する」と。
完走後のバート、25年来の夢が叶った瞬間
目的地ボンネビルへと向かう途中、バイクを牽引する台車の車輪が外れ道路上で立ち往生するのだが、偶然そこへ通りかかったネイティヴ・アメリカンに助けられる。招きに応じ彼の家を訪ねたバートにそのネイティヴは不思議そうな顔で尋ねる。
ネイティヴ「何故あんなモノに乗るんだ?」
バート「ボンネビルで乗ることに意義があるのさ」
ネイティヴ・アメリカンの家を後にしたバートは、台車の修理のためある一軒の家に立ち寄る。その古い家はエイダという名の初老の女性が一人で住んでいて、十数年前に主人を亡くしたと語り独り身の侘しさを吐露する。
泊まっていけとの誘いを受け、バートはこの女性と一夜を共にすることになるのだが、ベッドでのバートの台詞がふるっている。「肝っ玉が据わっていないと歳はとれん」
翌朝、目的地へと出発するバートに、エイダは、帰りにもう一度立ち寄って抱きしめてくれと囁く。
バート「古いバンジョーもまだ鳴らせる」
エイダ「使わなきゃサビるだけ」
因みに、エイダ役は、アカデミー助演女優賞に3度ノミネートされたダイアン・ロッド。名優アンソニーと熟女ダイアンの掛け合いは、互いに老練者だからこその味が出ていて見事と言う他に言葉が見つからない。
バート・マンローの偉大な功績を称え、映画は終了する
お金も名誉も無くその上前立腺肥大と狭心症の持病を抱えながらも夢を追い求めるバートの生き様は、これから迎えるであろう高齢化社会の一つの座標ともなろう。
出走を取り止めるよう説得するボンネビル・スピードウェイの係官や心無い野次馬の誹謗中傷に「外見は皺だらけでも、中身は18歳だ。走りを見れば分かるさ」と語るシーンが特に印象的だ。
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