いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

6月25日(木):あっさりと人工呼吸器離脱

2009-09-15 22:35:44 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月25日(木):あっさりと人工呼吸器離脱



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[妻の記録]

 朝。

すいかが、
「ブラシをもってきたか」
と言う。
「持ってきた、シャンプーペーパーも買ってきた」

 シャンプーペーパーで頭をマッサージし、そのあと蒸しタオルで拭いた。最後にブラシで頭を刺激。延々と刺激。すると、

「そのブラシ、おいといてくれ」

といった。

 よほど気持ちよかったのだ。看護師さんが今日は頭をあらいましょうか、と言ってくれたので、それをお願いする。

 昼。
「朝、車いすに乗った」
と言った。
怖かったらしい。

 呼吸器の離脱がいつの間にかアッサリと終わっていた。気道チューブからは酸素が入っていた。
 あれだけ自発呼吸に慣れるまで、すったもんだしたのに、あっけないものだ。


 シャンプーをしてもらいはじめたとき、事務の人がきて、今月分の窓口支払い分について教えてくれた。
 数日前に、早い目に概算を出してくれとクラークにお願いしていたのだ。救命センターの入院というのは間違いなく高額医療費になるからだ。早く自己負担額を知り、手をうたなければならない。
 しかしながら、そうはいっても命の値段としては安い。アメリカだと桁違いになる。お金のない人は救急車も呼べないし、十分な医療が受けられないらしい。つくづく日本に生れて良かったと思う。

 シャンプーが終わって、がっつり横を向いて、痰を出やすくするモードに入った。なぜそうするのかを十分に説明されているので、本人も一生懸命だ。痰がごっそりとれた。
 楽になった~、と喜んでいた。いつもの調子だった。


 観察室の外は廊下で、そこに大きな窓がある。ふと目をやると、隣のYさんが家族の人と話をしながら陽にあたって外を眺めていた。

 うらやましいと思った。
 夫があんなに車いすに座って話せるようになるには、あとどれくらいかかるのだろうか。


 夜。
 看護師さんによると、明日、午後の面会時間に腎臓内科の先生と会えるという。透析に関するリーフレットをもらった。

 かえりぎわに、夫の呼吸がおかしくなり、看護師を呼んだ。吸引をしたり、胸を抑えたりしていたが、担当看護師は、さらにベテランの看護師か医師(看護師も医師も救命センターでは同じ青いコスチュームの場合が多いので、どちらかわからないときがある)を呼びに行った。

 胸の音を聞いたり押さえたり、寝間着やベッドを整えたりしているうちに脈拍もましになってきた。
 看護師(医師?)によると、過呼吸ではないかと言っていた。
 経過観察をしつつ、必要があれば当直の医師にも相談するとのこと。担当看護師はしばらく夫の様子を傍らで経過観察していた。



[すいかの記録]

 前日にリハビリの先生が車いすに乗りたいかって聞いたので、すぐにでも乗りたいと答えたが、今朝、早速乗りましょうと準備をしてくれた。
 点滴が入っているし、鼻から栄養ドリンクのチューブが入っているし、心拍数、酸素濃度などのモニター線も繋がっているので、ベッドから起きて車いすに座るだけで一仕事である。
 この日は初めてでもありリハの先生が2人がかりで身体を起こしてくれた。それまでベッドを精一杯起こしたリクライニング姿勢を取ったことはあったが、ベッドの支持なしに頭を垂直にしたとき、平衡感覚が失われ、目が回ってしまった。
 とても首だけで頭を支えることなどできないと思った。
 ベッドに座るだけでこの体たらくなので、車いすに乗るなんてとてもとても、また明日にしたいと思ったが、そんなことにはお構いなしに、
「さっ、乗ってみましょう。ぐっと頭を前に出して、しっかり支えていますから。」
 尻込みする私、一瞬両足で立ったはずだが全く足に力が入らない。
 それでも次の瞬間車いすに座っていた。
 リハの先生はヤッタという顔をしている。その車いすは背が高く首まで支えることができるタイプで、何とか小一時間ほど座ることができた。

 夜。
 雷が鳴り雨が強かったと思う。家族が帰るとき、呼吸がおかしくなった。
 今や呼吸器が外されているので、息苦しくこのまま逝ってしまうのではないかと思った。生きる目処がついたとき、死の恐怖が甦ったものであろう。
 パニックになっていた。いつの間にか寝ていたが、家族もこのまま帰れず一夜を明かしたという錯覚に陥った。



[Tから、すいかの弟Jへのメール]

 Jおじさんへ O先生は、多分金曜日に夜勤なので土日はいないと思います。
 それと、人工呼吸器を離脱しました。思ったよりも早い離脱でした。
 ですが酸素を首のところからおくっているみたいでした。けど一応、呼吸器からは完全に離脱していました。



[Jからのメール]

 そうですか、ありがとう。
 私の妻のお兄さんのTさん一家から、お見舞の手紙が届くと思います。にいちゃん(すいか)もTさんとアメリカで会ったことがありますよ。では、またメール読んでください。J



[妻の母Yからのメール]

 夜遅くにすいません。明日の昼に腎臓内科の先生が透析のために来られます。人工呼吸器も取れたので、多分転院の話がでるとおもいます。頼みかたとか、何か方法はないでしょうか?
 もうしばらく腎臓内科の先生の監視下でないと。本人も家族も死の恐怖をあじわった、以前のK病院は無理です。
 O先生が、人工呼吸器付けたままでは引き受けられない、と言われたんじゃなかったかな。今はそれが取れたのだから、むしろ受け入れてくださるのでないかなあ。 あくまで精神的ストレスがある、ということを前面に出してお話しした方が良いと思いますが。本当に飛んで行きたい。役に立たない自分がうらめしいよ。Y



[すいかの母からのメール]

どうしても、転院させるのであればK病院以外を紹介して欲しい。K病院は家族みんながトラウマになっているから、絶対避けたい。母
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6月24日(水):転院?

2009-09-13 23:06:08 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月24日(水):転院?



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[妻の記録]

 朝。
 眠っていた。人工呼吸器の設定が低めにしてあるので、ほとんど自発呼吸になっている。以前のように、二酸化炭素が溜まってきてボンヤリしている状態になっているのではないかと心配したが、行くとぱっちり目を開けた。
 眠れなかったらしい。
 やっと先ほどから眠気がやってきたようだが、
「しんどかったの?」
ときくと、
「おなかが痛かった」
と言う。
 便秘なのだ。ただでさえ、便を出すのに時間がかかるのだから、寝たきりではしかたがない気もする。とにかく、呼吸器のせいではなさそうだ。呼吸もしんどいようだが、体調にひびくほど呼吸器の設定が厳しい感じはしない。
 本人にとっての現在での最大の課題は「便」だと思う。気分が悪いようなので、おなかをさすっていると、少し便意を催してきたようなので、看護師さんを呼ぶ。差し込み式の便器で少しできたようだ。
 尿は相変わらずたくさん出ていた。「薄い」そうだが、色を見ているとそんな感じはあまりしない。
 膝をまげて保持する練習をしたいというので、そのように手伝った。どうやらそれは排便をうながせると本人が思った運動のようだった。自分なりのやり方がいろいろあるものだと感心した。
 めがねについて、どれがベッド上で見えやすいかためすために、いままで作った分をすべて持って行った。遠近両用ではあるが、一番最近作ったものなので見えやすいと言うので、それを置いてきた。
 冷えたタオルを額に乗せた。本日は透析。昼間担当の看護師さんはPさん。

 昼。
 本日透析日。夕べ眠れなかったためか、かわいいお顔をして眠っていた。邪魔をしないように、静かにベッドの傍らで顔を眺めていた。
 透析が終わってしばらくして目を覚ました。体を拭いて、着替えをして、手浴をお願いした。ナースコールを握っている手から、ぽろぽろと山のようにアカが出て、キリがない。
 だいぶ体が動くようになり、ベッド上で足をたてて保持しながら、おなかに力を入れて少し腰を浮かせる、ということを盛んにやっていた。きもちいいらしい。
 病室に入る前に、どこかに呼ばれていて移動中のO医師と話をした。

 夜。
 座位をとっていた。字を書きたいという。手元が遠いので、自分の書いている字が見えない。読み取れないというと、見せろ、という。顔に近付けると、自分の字を見て笑った。
「サッキ、ウンコ」
それはわかる。
「ケツノカワガヨワイ・・・」
って何のことかわからない。
「ウォシュレット」
と何の関係か、わからない・・・。
 う~んと唸っていたが、「もういい」そうだ。手の力もだいぶついてきた。
 暑いのか、氷に浸したタオルをほしがった。

 Tは今日学校で起こった野球部の喧嘩の話をし、化学のテストの点が97点だったことを自慢していた。
 「点滴はのどが渇く」らしく、点適が終わったかどうかしきりに気にするが、それは勝手な妄想だと思う。。



[主治医O先生の話]

 今の治療は透析だけになったので、そろそろ転院を考えている。
 当院の腎臓内科のほうに移せたらいいのだが、向こうでは(人工呼吸器の患者は受け入れにくいため)二の足を踏んでいる。こればかりはこちらではどうしようもなく、以前のK病院に戻ってもらうことになるかもしれない。
 尿量は、点滴で入れている量-200ccくらいで、量的には正常。
 心臓は現在不整脈も全くなくなり、当初は軽度の慢性心不全に移行する可能性が高いと思っていたが、それもなくなり、心機能はほぼもとどおり回復し、心臓リハビリの必要もなくなった。
 すいかさんが、普段から動悸があったりしたことを考えると、外来で検査などの必要はあるかもしれないが、入院ということは不要である。
 今出ている微熱は呼吸器が取れてから自分で肺の痰を出しきったら治ると思うが、それでも治らなければ、別の病気を外来で診る必要はあると思う。炎症反応は現在3程度(ほとんどない)。
 呼吸も自発呼吸でほとんどできているので、そのうち呼吸器は離脱できるだろう。



[すいかの弟Jのメール]

 転院の可能性があると聞きました。転院といっても、人工呼吸器が外れるまでは、以前のK病院に行くことはないでしょうね。
 先生に相談して出来るだけここにおいてもらうようお願いしてみましょう。あそこの病院で死にかけたのだから、辛い思い出もよみがえるだろうし、精神的な苦痛が大きいと思います。
 その事情を話せば、医師らも、K病院に戻ることは避けたいとお願いしても理解してくれると思います。
 今週、土曜日の昼、O先生はいらっしゃるか確認出来ますか?
 もし話しが出来るのであれば自分も行きます。Jより



[すいかの記録]

 朝、リハビリの先生が足の運動をしてくれる。その後、「しばらくして戻ってくるので、横向きの体位を保持するように」と言われたのでそれに従うが、なかなか戻ってこない。
 昼頃ふわりと現れたが、きっと忘れていたに違いない。ただこのとき、このような姿勢を取るのは圧迫されている真ん中の肺を開くためであり、肺に残っている痰を集めて取るためであるというような説明してくれた。これは自分の感覚と一致していたので大いに納得したのであった。
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6月23日(火) こっそり水を飲む

2009-09-11 23:07:44 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月23日(火) こっそり水を飲む



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[Tの定期メール]

朝は昨日の晩より少し熱が下がっていたようです。だんだん話がうまく回るようになりました。

昼、点滴が右腕から右足に変わっていました。
足の点滴は痛いらしく(どうしてかな?)、足モミは当分左足だけになりそうです。
人工呼吸器も酸素は40パーセントの設定のままだけど、自発呼吸の設定に戻っていた。
ベッドは極限まで起こして、座位を取っていた。しんどくないかきいたら、
「しんどくない」という。唾を飲み込む練習もしているとのこと。もう(唾液を)取らなくてもいいと言った。
「息苦しくなるのでやりたくない」と嫌がっていた左右を向いて寝る体勢も、看護師さんが充分説明をしたらしく、今は本人も納得しているそうです。
でもやっぱり嫌がるので、本人にとって楽な座位をとって、そのあと右、座位、左という感じで、30分程度の短いタームで細かな体位変換のケアをしてもらっているみたいです。
座ることもとても重要なトレーニング。呼吸の感じも違うといいます。

晩の報告です。
晩はさらに、人工呼吸機の設定が下がっていました。
酸素濃度が30㌫にさがりあとはほとんどが自立呼吸の設定になっていました。
そのせいかやっぱりしんどそうでした。
今呼吸のリハビリ中なので、しんどいけどがんばってほしいと思います。



[妻の記録]

 腎臓内科の先生が、面会時間が終わる4時までにお話しに来られると看護師さんから聞いたので、すいかに伝える。
 洗髪したいことも看護師さんに伝える。

 間もなく腎臓内科の先生が来られた。

 私が本人と先生との間にいるので、本人の話なのに、先生は私に向かって言う。耳が聞こえにくい本人にはとても聞こえない。

 本人は焦って体を揺らし、
「きこえない」という口の動き。
 目が必死だった。
 当然だ。

 私は夫に聞こえるようにお願いします、と言ってベッドに近づいてもらった。

「いままで腎臓が悪いと指摘されたことはなかったということですね。・・・血尿とか子どものころにはあったようですが、それ以外ドックなどで指摘されたことはなかったですか?」

本人が大きく頷く。

「最初の時は無尿状態でしたが、今はどんどんでていますよね。尿の内容はともかく、回復する可能性がありますので、どういう方法で透析を行っていくかということを話すには、まだ早いと思います。」

「腹膜透析をご希望とのことで、当然、(あなたの場合は)おっしゃる通り適応と考えています。それにしても、もう少し治療を続けて、どうしてもだめ、というところまでいってから、選択していただいたらいいと思いますよ。きちんと情報もお持ちしますから。もしなにか、わからないことなどあったらいつでも言ってください。」

とリーフレットなど、情報をいただくことになった。

 なんだか希望がわいてきた。

「すいか、おしっこどんどん 出すんだ」



 看護師さんと一緒に久しぶりに頭を洗う。泡立たない。
 二回目、少し泡立つ。さっぱりした。

 頭を洗い終わって、しばらくしたら、口がどうのこうの、と言い出した。看護師さんが
「うがいをしますか?」
と言ったら、する、という。
楽のみに水を入れて、吐き出すための入れ物を当てて、待っていたら・・・

 飲んでしまった。
 自然に。

「あ!飲んじゃった?」
と看護師さんが言うと、本人は、
「?」

と目に疑問符をまるだしにした。
うそだ、知っていて飲んだんだ、と私は思った。

「飲むんじゃなくて、う・が・いです」
といわれ、
「あーそーかぁ」
という表情。

 うそだ。
 意識が戻ってからずっと水を飲みたいと言っていたから。そのあと、飲んだーという幸せな表情。

 看護師さんはむせないで飲めたんですねえ、と言ってくれた。

 そのあとは本当にうがいをして(それでも看護師さんによるとうがいのふりをして少し飲みこんでいたらしい)一件落着。

 そのあと、本人は、はぁーと幸せな溜息。
 座位をとれるようになって、めがねがほしくなったようだ。晩に持っていく約束をする。



[すいかの記録]

 午前、回診があった。腎臓内科の先生が教授らしき先生と透析の件で打ち合わせている。まだ結論を下すのは早い、もう少し様子を見ようということで合意していた。昨日、妻が噛み付いた効果があったのかも知れない。
 水がおいしい。ここの水は麦芽飲料水でほのかに甘い(おそらく勘違い)。
 看護師が「ちょっと飲んでみない?」という目配せでうがいをさせてくれた。そうか、みんなうがいといって水を飲むのかと合点した。もう少し欲しかったので、今度はうがいのついでに飲ませてもらった。建前と本音の見事な交錯である。
 この頃から座位が取れるようになってきて、観察室の様子が赤ちゃん目線から子供目線で眺めるようになる。
 これはすごいことである。今までいろいろな声が聞こえても天井しか見えず、自分ひとりの世界であったが、周りが見えると、隣にYさんが居り、向かいに座位を取っているおじさんが居り、斜め向かいに寝たきりのばあさんが居り、要するに自分が観察室のメンバーの一人であることが認識できるのである。
 いわゆる病室に居る気がしたものである。
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6月22日(月):透析を巡って

2009-09-10 12:06:43 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月22日(月):透析を巡って


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[Tの定期メール]

 今日は首の痛みもほとんどないみたいです。元気そうでした。いろんな話しをしていたら本人も笑っていました。



[妻の記録]

 今日は天気が悪そうだ。朝方から大雨が降っていて、今も少し雨が残っている。
 今日は月曜日なので、下の子どもだけ行く日だ。
 しかし6時半近くになっても起きてこないため、起こさずに一人で行くことにする。

 疲れているのだ。

 準備をしていると、上の子どもが起きてきたので、起こさないでゆっくりねかしておくように言う。
 7時半になっても起きてこなかったら学校に遅刻するので起こすようにも言う。


 外に出ると雨は降っていなかった。
 病院に就くと、昨日の尿が1300ccもあった。
 その上、朝からの尿もドレーンからバッグの入口までいっぱいになっていた。

 急に出るようになった尿を、私はしばし見とれていた。

 夫は終始穏やかだった。のどの痛みがほとんどなくなったようだ。
 リハビリの先生が来たので、足の屈伸はやってもよいのか聞いた。褥創防止にもなるので、よいことだと言われた。

 昼・・・
 今日は体を一緒にきれいにしましょう、と言われた。が、この男性の看護師さんはリズムが合わない。
 私は体の清拭よりも、体ほぐしをしてあげる方がいいのではと思う。だって、清拭ははっきりいって看護師さんの方がうまい。
 だったら、家族にしかできないことをするほうがいいのではと思う。言わない私も悪いのだが、最初によろこんだので、きっとそれがそのままずっと記録に残っているのだ。

 そのうちベッドサイドに主治医のO先生が来られて、尿量はあるが、内容がない、毒素が出ていない、といわれる。

 透析だ、シャントの手術だというが、私は腹膜透析の情報もほしいと言った。

 先生は、いろんなリスクがあるし、あまりやっている人がいないので、あまり勧めないと言われた。

 私は、尿量は今増えてきているし、(血管透析だと腎臓の残存機能が委縮するときいたので)内容が無くても、少なくとも水分管理はしやすく、相当QOLが保てるのではないでしょうか、という話を主張した。

 仕事もたくさんしなくてはいけないし、だからこそ、まずは腹膜透析を選択肢としていれたいと言った。

 腹膜透析は本人や家族の管理能力が重要らしいですが、なによりも夫は科学者だし、普通の人よりはそういう能力はあるはずだと思います、と。

 もちろん本人が話せるようになってから、どうやって腎臓と付き合って透析を生活に組み込んでいくのか、どうやってなるべく現状の生活を維持するのかを
夫と一緒に情報をもらって考えたいと言った。

 当然、どうしても必要ならシャントを作ることに異存はないです、とも言い添えた。混合療法もあるときいたからだし、入院中はすくなくとも透析が必要だと思ったからだ。



 以前から透析や心臓リハビリが必要かもしれないと言われた時点から、それらについてかなり調べ上げていた。関連書籍も購入していた。
 そういう話になったら、どのように医師に返すか、また、夫にどのように説明するか、など準備をしていたこともあったが、命を救ってくれた先生に「はむかう」のは初めてだった。

 夫はそのあと、しばらく反応が鈍かった。
 ショックだったと思う。
 夫にはまだ何も伝えていなかったからだ。
 私もショックだった。
 尿が出ていればいいとおもったからだ。

 しかし、私の言っていることは分かったと思う。
 面会時間が終わって、帰る間際になってから、
 おもむろに
「仕事は?」
と聞いてきた。

「仕事はできるよ」
と答えた。

たくさん働かなくてはいけないでしょ、
だから、少しでもストレスのない生き方を一緒に考えないといけないの。
といった。

まだ何か聞きたいようだ。
文字盤で、
「び」、
「-」

ま、まさか、

「ら」行にいって、

「ひょっとして、ビール!?」
夫はうなずく。

 飲めるよ、大酒しなけりゃ。食べちゃいけないものはないけど、量が問題なんだよ、と答えた。夫は急に嬉しそうになった。

 やはり事前の情報収集は偉大だった。
 とにかく、夫はビールが飲めるかどうかが心配だったらしい。


[すいかの記録]

 昨日はおしっこが良く出ていると喜んでいたが、中身がないらしく喜ぶのは早すぎたようだ。今後、透析が免れないかもしれないらしい。
 私が学生の頃いた技官の人がずっと定期的に透析をしていたが、ある時、ドナーが見つかったということで腎臓移植の手術をした。その結果、拒絶反応が生じて死亡。20年以上前の出来事がふっーと頭をかすめる。
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6月21日(日):尿量、ますます増える。

2009-09-08 23:03:38 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月21日(日):尿量、ますます増える。



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[Tの定期メール]

朝:今日朝行った時も調子がよかったです。首の痛みも少しましらしいです。
足と手をモミました。足はかなり強く揉むくらいが調度いいらしいです。
あと昨日くらいからかなり尿量が増えていました。チューブがいっぱいだったのでびっくりしました。

夕:夜に行ったときは少し熱が下がっていて厚い布団がかけられていました。
その布団が暑かったらしく、「とって」といっていました。
僕が今日受けに行った模試のことを聞いてきたので、
「化学は7割取れたけど英語は終わったわ」と言うと笑っていました。



[娘の記録]

 尿量の増減に一喜一憂していた。今日は増えたのでバンバンザイだ。もしかしたからこのまま良くなるのかな…と希望を持つが、やはり、慢性腎不全の可能性は忘れていない。母は、透析の情報収集に努めていた。

 すると、慢性腎不全と付き合っていくには3つの方法があるとわかった。
 ひとつめは、血液透析(一番ポピュラーな方法で、一般に想像される透析はこれである)日本は世界でもトップレベルの血液透析技術を持っている。ただ、定期的に病院に通う必要があることや、体への負担を考えると、なかなか大変である。
 ふたつめは、腹膜透析(腹膜に、中レベルの手術が必要)。これは手術が必要だが、しっかりと自己管理能力のある人なら、自宅で透析ができる。さらに、空き時間に行ったり、睡眠時にも行えるなど、時間の融通がきく。
 みっつめは、腎移植。これは最初から選択肢に入っていなかったと思う。

 血液透析と腹膜透析を組み合わせをすることは可能である。腹膜への負担を軽減するため、一時的に血液透析に切り替えるのもアリということだ。
 それを見越すと、すいかの年齢的にも、天寿を全うすることはできるだろうと考えた。


[すいかの記録]

 喉は痛いというより重い。呼吸器のホースの重さを少しでも支えて欲しいと訴えるが、看護師、妻とも不思議そうな顔をする。ビニールの蛇腹ホースである。これより軽いものがないくらい軽い。ああ、また私の勘違いか、と辛抱する。
 家族がやたらにおしっこの出具合を言うので、だんだん気になってきた。が、まずまず良く出ているじゃないの。

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6月20日(土):気管切開

2009-09-07 23:07:51 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月20日(土):気管切開



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[Tの定期メール]

朝:今日の朝も異常なしです。いろいろ話しました。急に「ドリンク飲みたい」と言っていました。

夕:特に異常なしです。尿がかなり出ていたせいか、かなり目が覚めていました。足も手も動いていました。そのせいか、首がかなり痛むらしいです。
僕たちが行った時にはかなり痛そうにしていたので鎮痛剤を打ってもらうの?と聞いたら、いらないと言っていました。
「もし痛みが我慢できなくなったらナースコールを押してな」と言ってから帰ってきました。
痛いのも体が元気に生きている証拠!と前向きに考えるようにしています。
明日また透析の日なのでさらに目が覚めるでしょう。



[妻の記録]

 気管切開の麻酔はすぐに覚めたようだ。午前中の手術で、午後の面会時にははっきりと目覚めていた。そんなに早く覚めるとは思わなかったので、うれしい驚きだった。
 傷はよほど痛いようだ。体中にアレルギー性の皮疹が出ているので、なるべく治療に最低限の薬以外は入れたくないということで、がんばるようだ。

 しかし、なぜ、何か飲みたいというときに、「ドリンク」とか普段使わない言葉を使うんだろうか、と思う。べつに「のみもの」とか「みず」でもいいはずなんだけど。



[娘の記録]

 学校が終わると「気管切開うまいこといったか?」と聞く。
 うまいこといった、もう目覚めてる、と話しを聞いて、びっくりしたけど嬉しかった。
 
 今、すいかはしゃべることができない。首につけかえた人工呼吸器が、声帯より下から挿入されているからだ。すると呼気は声帯を通過しないから、声はでない。
 口からの呼吸器よりずっとラクになったものの、術後の痛み、しゃべることができない、体が思うように動かない、…、相当のストレスがかかっていることは容易に想像できる。
 つもる話もあるけれど、心配をかけるようなことは絶対言わないようにしよう、と皆で決めた。言い返したくても言い返せない、なんてことはないようにしようと。おおよそ笑い話か、YesかNoで答えられる話にしようと思った。



[すいかの記録]

 病室(観察室)に手術用のライトが搬入され、いよいよ気管切開手術が始まるようだ。私はそれほど緊張も何もなかったように思う。点滴からの麻酔だと思うがいつの間にか意識が薄れ、気がつけば手術の後処理を行っているようであった。A先生が結構力任せにのどを押し付けてくる。その後ホックを数箇所止めるような音がして、終了。皮膚が突っ張る感覚がある。私は内心、ちょっとホックがきついで、と思った。
 この麻酔で身体の動きが再び鈍る。今がチャンスとばかりに、A先生がまた、点滴の端子を作る処置を行う。「ちょっとチクッとしますね」痛みは薄い。
 昨日まで少しずつ身体が動かせるようになってきたが、この日の麻酔で、握力はほとんどゼロに戻り、手足も動かせなくなった。首は痛いというか、重くてぐっと押さえつけられているような感覚があった。
 その後、大便意を催したのでナースコールすると電気を当てましょうという。へえ、電気をお尻に当てると便意を促すのかと思ったが、便器の聞き違えだった。結局、出なかったが、動けない身体で排便は重要な問題であろう。
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6月19日(金) :観察室に移動

2009-09-06 23:12:50 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月19日(金) :観察室に移動



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[Tの定期メール]

朝:昨日より元気でした。だからいろいろ話しましたが、やっぱり少ししんどいと言っていました。

夕:今日のどの切開をする予定でしたが、新規患者が3人も入ってきたいたのでバタバタして、できませんでした。まあ新規の患者さんが優先なのでしかたがないです。
切開は明日の午前中の予定です。だから明日麻酔で寝てるかもしれないです。
本人は今日の昼や晩はめっちゃ元気でした。
入院した日に大学から表彰されてもらった盾を、昼に母さんがもって来てと頼まれていたので晩にもっていくと、めちゃめちゃうれしそうにして心拍数が上がっていました。
そして明日KおじさんやJおじさんたちが来るでといったら『盾を自慢して』と頼まれました。握力も30~40はあろうかというくらいでした。
あと『気管切開をいつするん??』と聞かれたので明日の午前中くらいやでといいました。しっかり頷いていました。

あと少しニュースです。すいかが観察室に移動になりました。いままでは隣の人は重傷患者たちばっかだったので、看護師さんたちもバタバタしていましたが、観察室は静かなので夜寝れるかもしれないです。



[妻の記録]

 観察室に移るということは、危篤状態が本格的に解除になったということだ。
 モニターや点滴のアラームが鳴りっぱなしのところから、いっきに静かになった。
 朝日の入る窓もある。
「戦場」から通常の暮らしに近づいたという感じがたまらなかった。

 すいかが一番危なかった、救命センターに運ばれた日に、ちょっとした授賞式が行われるはずだった。
 結局、盾だけ受け取った。
 その盾を再度病室に持ってきて見せた。

 倒れる前から授賞式があるとは聞いてはいたが、実際にどのような賞か私は理解していなかったので、盾を見ながら、
「(すいかが)頑張ったんだね」といった。
 すると、不満そうに
「自分はがんばっていない」という。
「誰ががんばったの?」
と訊くと
「学生」
という。

相変わらず、よくわからないが、そうらしい。


[すいかの記録]

 今日、観察室に移る、と妻がうれしそうに言う。これは一歩出世したようなもので、病状がよくなった証拠だそうである。そういえばここはいつもキンコンキンコンという警報音やらピーピーというモニター音やらが鳴り響いている。これらの切羽詰った雰囲気から解放されるのは確かに有難い。昼ごろベッドごと観察室に移った。
 ちょうどお昼時か、右手方向から「Yさん、ごはんよ。」という声が聞こえる。食事が済み、Yさんが看護師に文句を言っている。ナースコールを押してもすぐに来てくれなかったことが不満らしい。看護師も子供相手のように噛んで説き伏せるが話は堂々めぐりになる。やがて、Yさんのうんこがしたいという声、看護師のうんこをしないといけないという声などうんこ騒ぎが始まる。どうやら観察室ではYさんが人気者のようである。
 観察室で始めての夜も緊張してあまり眠れなかった。やはり、看護師たちが影絵のようにあちこち動き回り、何をしているのか気になる。また、翌日気管切開手術があることも気になっていたかもしれない。
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6月18日(木):元気のないすいか

2009-09-05 22:57:16 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月18日(木):元気のないすいか。



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[Tの定期メール]

朝:熱は昨日より少し下がりました。
けど、まだ微熱があるみたいだったのでそっとしときました。
今、人工呼吸器を酸素濃度の30㌫に設定していますが、呼吸回数は設定されていません。つまり、呼吸自体は全て自発呼吸です。
そして、気管切開のことですが、本人にとっても今より楽になると先生が言っていたので、もしかしたら今週末にでもするかもしれないです。

夕:朝8時 F医師より
(昨日のような元気はなく、汗を大量にかいている。脈拍が110~120くらいまで、呼吸数は30回/分前後。かなり多い。呼吸器を外す痰の吸引をしてもらったが、しばらくしてまた息がしんどいというので、看護師さんに言う。いろいろ本人に聞いているうち、F医師がきて、呼吸器の押し出す設定を5→10に変更した)
現在、完全に自発呼吸の状態で一晩様子を見ているが、二酸化炭素の体内の蓄積量が増えているそうだ。
少し設定を戻したので、9時ごろには良くなっているだろう。
やはり、まだ呼吸をするための筋肉が疲弊している状態で、慣らしていく必要がある。そのため、本人が楽に呼吸器を離脱するには、やっぱり気管切開したほうがよいだろう。ちょうど今はランニングをして息が切れた状態のような感じで心拍数が増えている。二酸化炭素が体にたまっているせいで、一時的にぼーっとした感じになっている。
やっぱり呼吸のトレーニング中なのでしんどそうでした。
足をもんでくれといったので、みんなでもみました。
いつ目覚めるかわかりませんが静脈麻酔も手術の間の短時間しか投与しないらしいです。2日に一回透析をしているので、目覚めるまで、そんなに長くかからないはずです。



[主治医O先生の話]

 昨晩は熱が38度7分出たので、昨日より抗生物質を使用している。
 毎日採血して血の検査をしているが、本日は動脈から直接採血し、細菌検査をしている。呼吸器がはいって、点滴、透析のドレーンが入っているので、感染が起こりやすいためである。
 それで、もし何かが見つかったら、抗生物質の種類を変えて対応することになるかもしれない。体の皮疹は感染症と関係ないと考えている。
 サンプルによる検査結果がまだなので正式なコメントではないが、皮膚科の方でも薬疹だろう、と言っている。
 ウイルス性のもので、出ていないものがあるかもしれないが、すでに時間的に免疫が確立しているはずなので、いまだに出ているのは説明がつかない。
 とにかく明日午前中に、気管切開をしようと思う。それで、じっくりと呼吸器の離脱をすすめていく。
 一気に良くなったかなと思うと、まだ戻るような感じになるが、その波の繰り返しになるだろう。それから、気管切開のときに、静脈麻酔も少し行うので、また覚めるのに時間がかかるかもしれない。
 心不全状態はほとんど解消されているし、肝臓も現在ほとんど問題なくなった。腎臓以外は戻っている。



[妻の記録]

 余計なことをコミュニケーションする余裕がないようだった。まだまだ自発呼吸に任せるには、筋力がついていない。
 ぼーっとするようになって、明らかに良くない。看護師さんに相談していたらF医師が来てくれて、人工呼吸器の設定を元に戻してくれた。二酸化炭素が体にたまりだしているそうだ。「吐く」ことが難しいらしい。1時間くらいで元に戻るだろうとのこと。
 こんなことをごちゃごちゃ繰り返しながら呼吸リハビリは少しずつ進むのだろう。
 熱がよく出る。それでわきの下やそけい部にアイスノンをいれてくれるのだが、夫はそれがとても嫌がっている。


[すいかの記録]

 胸の痰が引っかかり、昨夜から朝まで非常に苦しかった。「ゆっくり大きく息をする」といわれるが、心音にせかされた感じで十分息を吐ききれず、二酸化炭素がたまったらしい。
 この日、男のH看護師が担当になる。これまでも毎日、担当看護師が決まっていたはずであるが、気づかなかった。H看護師は、顔つきや話し方が昨年研究室にいた学生に非常によく似ている。痰の取り方も丁寧で上手である。一口に痰を取るというが、喉にチューブを突っ込むわけで、オエッとなるし涙が出るという、非常に苦しい処置である。その苦しみの度合いが、看護師によって全然違うのである。
 私は呼吸器をくわえたままなので、唾が糊のように口を固めくっ付いてきた。水で口の周りを湿らせて洗浄して欲しいと思い、意思表示する。この一件はA先生が処置してくれた。
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