いつのまにか、多臓器不全
6月22日(月):透析を巡って
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[Tの定期メール]
今日は首の痛みもほとんどないみたいです。元気そうでした。いろんな話しをしていたら本人も笑っていました。
[妻の記録]
今日は天気が悪そうだ。朝方から大雨が降っていて、今も少し雨が残っている。
今日は月曜日なので、下の子どもだけ行く日だ。
しかし6時半近くになっても起きてこないため、起こさずに一人で行くことにする。
疲れているのだ。
準備をしていると、上の子どもが起きてきたので、起こさないでゆっくりねかしておくように言う。
7時半になっても起きてこなかったら学校に遅刻するので起こすようにも言う。
外に出ると雨は降っていなかった。
病院に就くと、昨日の尿が1300ccもあった。
その上、朝からの尿もドレーンからバッグの入口までいっぱいになっていた。
急に出るようになった尿を、私はしばし見とれていた。
夫は終始穏やかだった。のどの痛みがほとんどなくなったようだ。
リハビリの先生が来たので、足の屈伸はやってもよいのか聞いた。褥創防止にもなるので、よいことだと言われた。
昼・・・
今日は体を一緒にきれいにしましょう、と言われた。が、この男性の看護師さんはリズムが合わない。
私は体の清拭よりも、体ほぐしをしてあげる方がいいのではと思う。だって、清拭ははっきりいって看護師さんの方がうまい。
だったら、家族にしかできないことをするほうがいいのではと思う。言わない私も悪いのだが、最初によろこんだので、きっとそれがそのままずっと記録に残っているのだ。
そのうちベッドサイドに主治医のO先生が来られて、尿量はあるが、内容がない、毒素が出ていない、といわれる。
透析だ、シャントの手術だというが、私は腹膜透析の情報もほしいと言った。
先生は、いろんなリスクがあるし、あまりやっている人がいないので、あまり勧めないと言われた。
私は、尿量は今増えてきているし、(血管透析だと腎臓の残存機能が委縮するときいたので)内容が無くても、少なくとも水分管理はしやすく、相当QOLが保てるのではないでしょうか、という話を主張した。
仕事もたくさんしなくてはいけないし、だからこそ、まずは腹膜透析を選択肢としていれたいと言った。
腹膜透析は本人や家族の管理能力が重要らしいですが、なによりも夫は科学者だし、普通の人よりはそういう能力はあるはずだと思います、と。
もちろん本人が話せるようになってから、どうやって腎臓と付き合って透析を生活に組み込んでいくのか、どうやってなるべく現状の生活を維持するのかを
夫と一緒に情報をもらって考えたいと言った。
当然、どうしても必要ならシャントを作ることに異存はないです、とも言い添えた。混合療法もあるときいたからだし、入院中はすくなくとも透析が必要だと思ったからだ。
以前から透析や心臓リハビリが必要かもしれないと言われた時点から、それらについてかなり調べ上げていた。関連書籍も購入していた。
そういう話になったら、どのように医師に返すか、また、夫にどのように説明するか、など準備をしていたこともあったが、命を救ってくれた先生に「はむかう」のは初めてだった。
夫はそのあと、しばらく反応が鈍かった。
ショックだったと思う。
夫にはまだ何も伝えていなかったからだ。
私もショックだった。
尿が出ていればいいとおもったからだ。
しかし、私の言っていることは分かったと思う。
面会時間が終わって、帰る間際になってから、
おもむろに
「仕事は?」
と聞いてきた。
「仕事はできるよ」
と答えた。
たくさん働かなくてはいけないでしょ、
だから、少しでもストレスのない生き方を一緒に考えないといけないの。
といった。
まだ何か聞きたいようだ。
文字盤で、
「び」、
「-」
ま、まさか、
「ら」行にいって、
「ひょっとして、ビール!?」
夫はうなずく。
飲めるよ、大酒しなけりゃ。食べちゃいけないものはないけど、量が問題なんだよ、と答えた。夫は急に嬉しそうになった。
やはり事前の情報収集は偉大だった。
とにかく、夫はビールが飲めるかどうかが心配だったらしい。
[すいかの記録]
昨日はおしっこが良く出ていると喜んでいたが、中身がないらしく喜ぶのは早すぎたようだ。今後、透析が免れないかもしれないらしい。
私が学生の頃いた技官の人がずっと定期的に透析をしていたが、ある時、ドナーが見つかったということで腎臓移植の手術をした。その結果、拒絶反応が生じて死亡。20年以上前の出来事がふっーと頭をかすめる。
6月22日(月):透析を巡って
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[Tの定期メール]
今日は首の痛みもほとんどないみたいです。元気そうでした。いろんな話しをしていたら本人も笑っていました。
[妻の記録]
今日は天気が悪そうだ。朝方から大雨が降っていて、今も少し雨が残っている。
今日は月曜日なので、下の子どもだけ行く日だ。
しかし6時半近くになっても起きてこないため、起こさずに一人で行くことにする。
疲れているのだ。
準備をしていると、上の子どもが起きてきたので、起こさないでゆっくりねかしておくように言う。
7時半になっても起きてこなかったら学校に遅刻するので起こすようにも言う。
外に出ると雨は降っていなかった。
病院に就くと、昨日の尿が1300ccもあった。
その上、朝からの尿もドレーンからバッグの入口までいっぱいになっていた。
急に出るようになった尿を、私はしばし見とれていた。
夫は終始穏やかだった。のどの痛みがほとんどなくなったようだ。
リハビリの先生が来たので、足の屈伸はやってもよいのか聞いた。褥創防止にもなるので、よいことだと言われた。
昼・・・
今日は体を一緒にきれいにしましょう、と言われた。が、この男性の看護師さんはリズムが合わない。
私は体の清拭よりも、体ほぐしをしてあげる方がいいのではと思う。だって、清拭ははっきりいって看護師さんの方がうまい。
だったら、家族にしかできないことをするほうがいいのではと思う。言わない私も悪いのだが、最初によろこんだので、きっとそれがそのままずっと記録に残っているのだ。
そのうちベッドサイドに主治医のO先生が来られて、尿量はあるが、内容がない、毒素が出ていない、といわれる。
透析だ、シャントの手術だというが、私は腹膜透析の情報もほしいと言った。
先生は、いろんなリスクがあるし、あまりやっている人がいないので、あまり勧めないと言われた。
私は、尿量は今増えてきているし、(血管透析だと腎臓の残存機能が委縮するときいたので)内容が無くても、少なくとも水分管理はしやすく、相当QOLが保てるのではないでしょうか、という話を主張した。
仕事もたくさんしなくてはいけないし、だからこそ、まずは腹膜透析を選択肢としていれたいと言った。
腹膜透析は本人や家族の管理能力が重要らしいですが、なによりも夫は科学者だし、普通の人よりはそういう能力はあるはずだと思います、と。
もちろん本人が話せるようになってから、どうやって腎臓と付き合って透析を生活に組み込んでいくのか、どうやってなるべく現状の生活を維持するのかを
夫と一緒に情報をもらって考えたいと言った。
当然、どうしても必要ならシャントを作ることに異存はないです、とも言い添えた。混合療法もあるときいたからだし、入院中はすくなくとも透析が必要だと思ったからだ。
以前から透析や心臓リハビリが必要かもしれないと言われた時点から、それらについてかなり調べ上げていた。関連書籍も購入していた。
そういう話になったら、どのように医師に返すか、また、夫にどのように説明するか、など準備をしていたこともあったが、命を救ってくれた先生に「はむかう」のは初めてだった。
夫はそのあと、しばらく反応が鈍かった。
ショックだったと思う。
夫にはまだ何も伝えていなかったからだ。
私もショックだった。
尿が出ていればいいとおもったからだ。
しかし、私の言っていることは分かったと思う。
面会時間が終わって、帰る間際になってから、
おもむろに
「仕事は?」
と聞いてきた。
「仕事はできるよ」
と答えた。
たくさん働かなくてはいけないでしょ、
だから、少しでもストレスのない生き方を一緒に考えないといけないの。
といった。
まだ何か聞きたいようだ。
文字盤で、
「び」、
「-」
ま、まさか、
「ら」行にいって、
「ひょっとして、ビール!?」
夫はうなずく。
飲めるよ、大酒しなけりゃ。食べちゃいけないものはないけど、量が問題なんだよ、と答えた。夫は急に嬉しそうになった。
やはり事前の情報収集は偉大だった。
とにかく、夫はビールが飲めるかどうかが心配だったらしい。
[すいかの記録]
昨日はおしっこが良く出ていると喜んでいたが、中身がないらしく喜ぶのは早すぎたようだ。今後、透析が免れないかもしれないらしい。
私が学生の頃いた技官の人がずっと定期的に透析をしていたが、ある時、ドナーが見つかったということで腎臓移植の手術をした。その結果、拒絶反応が生じて死亡。20年以上前の出来事がふっーと頭をかすめる。