いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

6月1日(土) 救急搬送

2024-06-10 11:35:58 | 未然に防いだ多臓器不全

朝から咳がひどく、妻はクリニックに行くことを勧めるが、ハイキングに行くといい、10時半ごろ出発。16時ごろ帰ってくる。咳などのどの調子も午前よりましで、これで風邪を撃退したつもりでいた。ただ、ふろでちょっと体温が上がった感じがあった。18時ごろ夕食後に「寝る」という。そこで熱を測ると38度あり。そこから急に熱が上がってきて(直後38.4℃)、苦しそうな様子が出てきた。本人はそれほど感じていなかったが、むしろ15年前のことが頭をよぎり、これは非常事態と理解した。土曜日なので、休日診療が限られる。妻が病院などに外来にかかれるところを近隣で電話で探すが、発熱は診ないと断られ、しかたなく救急車を呼ぶ(18時半ごろ)。19時ごろK大病院のERに到着、PCR検査の結果インフル、コロナ等感染症は陰性、その他の血液検査、CT検査が行われ、炎症数値は大きくないが、左肺の下部にすりガラス様の影があるので、気管支肺炎との診断。アセリオ点滴で解熱し、レボフロキサシン7日分等を処方され、20時半ごろ帰宅。似たような経過で多臓器不全に陥ったことがあることから、また、急激な高熱や呼吸困難などあれば、すぐに病院に来るよう言われる。この日から夜はほぼ1時間おきに咳で目覚め十分な睡眠が取れていない感が残る。翌日予定していた月参りや業者とのアポをキャンセル。

 

えっ、熱が出ただけで救急車?

「未然に防いだ多臓器不全」のポイントはここ。前3日および当日の行動は風邪を甘く見たもので15年前の多臓器不全と同じコースをたどっていたと思う。ただ、今回は「熱が出ただけで救急車」を呼んだ。ここで前回の教訓が生かされたと思う。

このときもし、そのまま様子を見るだけであったとしたら、翌日、呼吸が苦しく、日曜日なのでやはり救急車を呼んだであろう。ただし、一日遅れなので、肺が真っ白になっていたかもしれないし、意識がなくなっていたかもしれない。想像するだけで恐ろしくまた恥ずかしい。

この日以後は自宅静養というより自宅謹慎の思いで神妙に過ごす。

 

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妻【私だって救急車は呼びたくなかった】

朝、山へ行くという。咳をして、よく眠れぬほどなのに。

Tクリニックに再度行ったほうがいいのではないか、と提案するが、熱もないのだから、山に行くといっていうことをきかない。

山から帰ってきて、食事をしている途中で、夫の体調が急変。

その時点で38度。

せき込み方と急な高熱で、肺炎が疑われる。今日は土曜で、明日は日曜。明日まで待って、肺炎が悪化したら困るので、O府救急医療情報センターに電話をして、医療機関を聞く。直接それぞれ連絡をするが、発熱の急患は受け付けていない、といわれ、断られる。O-S市の消防本部に電話をするが、「O府救急医療情報センターの存在は知っているか」と消防で聞かれるが、すでに電話をして、教えてもらった病院が全部だめだったと伝える。また消防本部でも、同じようにあれこれ病院の番号を紹介され、あれこれ電話をするが、やっぱり発熱のため断られる。だんだん焦りが出てきて、私はひどく汗をかく。コロナ以降、発熱の急患はどの病院も受け入れなくなったのか、と愕然とする。なら、O府救急医療情報センターよ、消防本部よ、発熱してるのに発熱無理っていう医療機関、紹介するなよ!と言いたい。結局時間の無駄だった。

夫の様子を見ていると、熱が上がってきて、胸の奥から出てくるような咳から、もう救急車を要請するしかないと考え、電話する。そこからはスムーズだった。結局、以前に多臓器不全の際に入院した病院に搬送された。

診断は気管支肺炎で、重篤な状況にはまだ至っていなかった。ホッとした。点滴で一気に熱が下がり、少し夫はテンションが妙に高い様子だった。

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