いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

7月9日(木):子は鎹

2009-10-01 22:29:15 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[すいかの記録]

昼過ぎ、ジョアを飲む。
妻来る。
一般病棟に移って、毎日ノートパソコンを持ってきてもらう。
パソコンは1時間程度が限界だったが、メールチェックの作業に明け暮れる。
日に200通に達する迷惑メールが来るので予め妻に削除してもらう。
弟に教えてもらった無料のメールソフト「●ンダーバード」は迷惑メールを端末でより分ける方にオススメである。

喉の穴がふさがったのでテープを除去してもらう。Nさんにお見舞いでもらったざこばの落語DVDを今日はじめてパソコンで見る。子はかすがい(鎹)という噺が面白かった。
心が癒される。



[妻の記録]

気管切開の後しまつは、他の医療行為に比べ、実に「いいかげん」だった。
気道をふさいだあと、一度くらい(?)しか交換してくれなかった。
しかし、このように「いいかげん」でも、きちんとふさがるものだ。
妙に感心した。

部屋の床が汚い。
お掃除の人が妙にきっちりとしていくのに、汚れている。
夫が車いすのタイヤに泥がついているのではないかと気にする。
しかし、汚れていない。

窓から入ってくるのではないかと思い、よくよく見てみると、なぜか少し隙間が開いていた。
病室は5階だったが、窓の外は屋上(?)になっていて、工事の人がおそらく防水工事だと思われる作業を行っていた。その影響で土埃が入ってくるのだろう。
窓をきっちりとしめなおし、冷房が利きすぎるので、頭の上にある吹き出し口の方向を椅子に乗ってつけなおしたりしていた。

いちいち思う。
救命センターではそういうこととは無縁だった。

一般病棟に来てから雑用で結構忙しい。

7月8日(水):エリスロポエチン

2009-09-30 22:36:02 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[Tの定期メール]

今日エリスロポエチンを注射しました。血液検査の結果腎臓の悪化もみられず、貧血以外は快調です。貧血の割に元気でした。




[すいかの記録]

ここは皆早起きで夜明けとともに起床する。

私は個室なので別に早起きしなくても良さそうなものであるが、夜9時に就寝するのでそういうリズムができている。検査があるときは7時前に採血し、朝食となる。

今日は午前にレントゲンとエリスロポエチン注射があった。
注射は昔懐かしの筋肉注射でぐっと薬が押し込まれる。これで貧血が改善されると思う。

 
今日は妻が来て、昨日と同じように病院内の庭園散策に連れ出してもらう。雨が降ったのかちょっと地面が悪かった。

夜、頭痛あり。熱37.8℃。吐き気というか、時々発作的に咳が込んで苦しくなる。いつでも吐けるようにゴミ箱を受けて辛抱する。よだれが出るが結局吐くことはなかった。




[妻の記録]

痰が出し切れていないのがしばしば喉に引っ掛かり、それが嘔吐につながるようだ。
なんせ、痰の量がずいぶん減ったとはいえ、まだ多い。

エリスロポエチンの効果はすぐには出ないようだが、貧血については改善するに違いない。
・・・と思う。
とにかく、貧血以外は問題なさそうだ。

今日は車いすの足をすごく汚してしまった。
外に出たところがぬかるみだった。
病室に帰ってから、車いすのタイヤをずいぶん拭いた。

7月7日(火):氷ポリポリ

2009-09-29 23:23:38 | 救命から一般病棟へ 入院6週目

[Tの定期メール]

今日昼に父に会ってきました。はじめは余り元気が無かったですが、外に連れていったのがよかったらしく、元気になりました。本人も外にでれてよかったといっていました。

今は水分制限がないので氷をいっぱい食べていました。水を飲むのよりいいらしいです。

あと貧血については明日エリスロポエチンという造血を促すホルモンを注射をするらしいです。このホルモンは腎臓から出ているホルモンなので、入院してからずっと腎臓を患っていたため、貧血の原因である可能性があるかららしいです。だからといって透析が必要だとか腎臓が悪化しているということもありません。現に先々週の金曜日からまだ透析はしていません。今後透析を離脱したままいける可能性は大いにあるらしいです。



[すいかの記録]

水分摂取量の記帳は続けなければならないが、制限がなくなった。

喉が渇いたとき、遠慮なく水分を取ることができ、ありがたい。が、水をがぶがぶ飲むより、氷を食う方がましと思う。長持ちするし、水分量が少なくて済む。そこでナースステーションで氷をたくさんもらい、冷蔵庫に備蓄する。

午前、先生の回診があったときも氷をポリポリ食っていた。ちょっと気になったので質問する。

「先生、氷をポリポリ食うのが好きなのですが構いませんか?」
「問題ないですよ」

これで一安心である。
今日は2人の先生が来られていたが、帰り際になにやら小声で確認している。

( 「氷をポリポリ食うような病気などなかったですよね。」
「聞いたことありませんね。」
「ですよね。」 )

とでも言っているかのようである。
私は氷ポリポリ変人のように思われたかもしれない。


そのうちだんだん目が覚めて来た。

 ベッドなどを消毒に来るおばさんが、
「救命にいたんですってねえ。」と話しかけてくる。

「多臓器不全で死にかけましたよ。」などと答えて話をする。
何でも、おばさんの父親、兄さんが多臓器不全で亡くなったそうだ。
いや、世の中、結構多臓器不全でなくなる人がいるものだ。
つくづく私はラッキーだったと思う。

午後、T、Kばあ来る。
二人ともにぎやかで面白い。
車椅子で病院の庭園散策に連れ出してもらう。
夏の暑いさなかであるが、木陰はそうでもない。

風がさわやかに感じられた。

私が意識不明のときに見た夢の話をし、大いに盛り上がる。



[妻の記録]

エリスロポエチンの注射をしてくれることになった。
もともとそのつもりだったのか、申し出てやってくれるようになったのかはわからない。

とにかく、やってくれるのなら何でもよい。
貧血がよくなれば、体調もよくなるし、腎臓の回復も早くなるだろう。


一般病棟に移ったので、面会時間が変わった。
朝がなくなり、2時から夜の7時までが面会となる。

夫は入院してからありえないほど、氷好きとなった。
だから、まず重要なのは氷の確保。

一回ずつもらうのはあまりに不便。
100円均一で安いシールできる保存容器を購入し、そこに氷を多めにもらい、冷凍庫に保存するようにした。

足元がまだ少し不安だが、車いすを使って散歩もできる。

救命センターにいるときには厳重だったのに、
患者が散歩のための外出の許可をもらうため、
詰所で伝えたら、
「はあ?」
いちいち言いにきたんか?
という感じだった。

救命センターと違って、患者の行動は自由らしい。

看護師さんも用事があるとき以外はうろうろしたりしていない。
詰所にごっそりと集まっている。この雰囲気の違いに、少々戸惑う。

救命の看護師さんはみんな常に患者のそばにいて、
座って机に向かっていたりパソコンに向かっていたりする人はごくわずかだ。
手の空いている人はいなかった。


尿量の測定があるが、昔とちがって溜めるのではなく、トイレに置いてある測定器で名前のボタンを押していれるだけで、尿量と比重までわかるようになっている。衛生的だ。


なにはともあれ、
ここは静かでのんびりしている。

転棟だったのに、病院を移ったくらいの違いがあるが、
相変わらず同じPTのN先生はやってくる。
これは本当にありがたい。
ただし、救命の時は朝8時くらいになれば来たのだが、
今は午後のいつに来るかわからない。

夫が良くなるにつれ、200%夫のことばかりだった私の頭の中は、仕事の領域が入り込むようになり、少しずつだがもとどおりの世界に押し広げられつつある。


7月6日(月) 一般病棟へ

2009-09-28 21:53:22 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[妻からの身内向けメール]

本日10時半に腎臓膠げん病内科病棟へ転棟します。5階病棟です。詳しくは午後行ってからまたメールします。●●号室、個室です。



[Tからの定期メール]

本日K大の一般病棟に転院になりました。場所は5階の●●号室です。あと、面会時間は2時~7時までです。今日は貧血がひどいらしく、しんどそうでした。
先生の話だとまず食事療法をとって、血液検査をしながら原因を調べるらしいです。もし治らなければ輸血というかたちをとるらしいです。腎臓内科の話しだとこれだけ大きな病気をしたあとだからしかたないと言っていました。



[すいかの記録]

本日、車いすで転棟。ずいぶん長い廊下を行く。タオル、着替えなどの所持品一式は大きなビニール袋に詰めて運ぶ。
5階病棟の私の部屋は静かな個室で、なにより冷蔵庫があるのが良かった。
主治医はN先生、K先生。

看護師さんが血圧計と体温計、水分チェックの記録紙、電子天秤を持ってきた。
水分摂取量をグラム単位で計測記録し、管理するのである。とりあえず1日500gの制限がある。きびしい。

尚、ここの医師、看護師さんの服は一番普通の白衣である。
救命の医師、看護師さんは水色であった。

昼前だったか、リハビリの先生が「捜しましたよ。」と言ってやってくる。前日、「明日はいつもより遅く来ます。」と言っていたので、てっきり転棟の話が伝わっていて時間をずらしたと思っていたが、そうではなかったようだ。

午後、Hばあ来る。前日の貧血ショックの余韻が残っているためか、だるくてメモも少ない。



[妻の記録]

貧血についてネットで調べたら、これかと思われる内容を見つけた。

腎臓と貧血は大きな関連があった。

腎臓は血液をろ過するほかにいろいろな機能を持っている。
そのひとつが造血ホルモン「エリスロポエチン」の産生分泌だ。
(高校生の息子Tは生物で習ったと言って知っていた)

腎機能が低下したり、人工透析をやっている人は、ホルモンの産出が低下し、腎性貧血になる。
そういう場合、エリスロポエチン製剤ができる以前は、輸血を繰り返すということが行われていたそうだ。クレアチニンが2mg/dL以上の人の多くはこの製剤を必要とするらしい。
夫のクレアチニン値は6月30日の時点で5.24だったが、これが7月5日では3.68で、すごい勢いでよくはなっている。しかし、まだまだだ。

また、腎機能が低下しても、貧血になるには少し時間差があるらしい。
あんなに悪い状態だった時から時期がずれているじゃないかと思うが、
まさに貧血になったタイミングを考えると、それっぽい。

腎臓内科に移ったわけだから、多分そういうことは当然考えられているはずだと思うが、聞かぬは一生の恥。

腎臓内科に移ってから朝の時間帯の面会がなくなったから、先生とお会いする機会が減った。だから、夫になるべく早く、先生に聞いてみるように勧める。
だって、食事をきちんととればなおる、とか、はいそうですか、と納得できるような説明ではなかったからだ。下がり続けている貧血を一刻も何とかしたい。
貧血が改善されれば、リハビリも楽になるし、心拍数が多くなっていることや立ちくらみ、疲れやすさなど、他のいろんな不調もなくなる。

早速、夫は救命センターから腎臓内科へ転棟と同時くらいに先生に聞いたようだ。
「もちろんそれも考えていますが・・・」
とちょっと消極的な返答だったようだ。

乱暴な言い方になるが、
とにかくごちゃごちゃ言わんと、一回打ってほしい。

7月5日(日):貧血

2009-09-27 22:15:48 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[Tからの定期メール]

久しぶりの定期メールになりました。テスト中だったので…。

今日の晩は昼にくらべて少し元気になっていました。
10㍍くらいならは自分で歩けるようにもなりました。

ただ今日貧血になっているといわれて落ち込んでいました。
まだよくわかりませんが腎臓が原因かもしれないです。



[すいかの記録]

病室にいてもつまらないので、観察室の前の廊下まで車いすで行く。
そこに中庭に面した窓があり、見晴らしは全然良くないが、日が差し込み気分転換になる。Y さんもここによく来るようである。
私はここで窓の外を見ながら、立ち上がる練習等、自主リハビリする。そこへT先生がやって来て、血液検査のデータをもらう。

腎臓関係の値は7月1日をピークに徐々に良くなっているので透析は不要とのこと。
HGBヘモグロビンが通常の半分以下で貧血になっている。これは徐々に悪化している。そのうち良くなると思うが、どうしてもしんどくなれば輸血しますとのこと。

私は何もかも良くなっていると思っていたので、貧血にはショックを受けた。


また、時々胃がむかつくので胃薬を処方してもらう(結局服用しなかった)。

米国のTさんに返信手紙を書きかけるが挫折。



[妻の記録]

最初のころは毎日血液検査をしていたのが、観察室に移ってしばらくしてから2日に一回となった。

そしてこの日、K大救命救急センターに入院して
はじめて血液検査のデータを渡してくれた。

もちろん、欲しい、といえばくれたと思う。
しかし、最初のころの検査データは、どうやら見ても仕方ないというくらい
ひどいものだったらしい。

もらったデータは、6月28日から1日おきに検査したものだった。
貧血を示すHGB(ヘモグロビン)が28日に9.6だったものが今日は7.6にまで下がっていた。


最初は生き延びる可能性は3割といわれていたのが
何度か危ない状態に陥りながらも奇跡的に回復し、今は少し自分で歩けるほどになった。透析も必要ないほど腎臓も回復してきた。
だからこそ、貧血が悪化しているという事実は重い。


夫のノートには
「ショック」とよれよれの字で書いてあった。


これは何か腎臓と関係があるのかもしれない。

家に帰って早速調べる。

7月4日(土):救命できなかった夜

2009-09-26 23:59:01 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[すいかの記録]

いつの夜か正確には覚えていないが、
この頃のある夜、廊下で家族の泣き叫ぶ声を実に延々と聞く。
様子を見に行ったりしなかったが、ここに運ばれて助からなかったらしい。

気の毒というか、心が痛む。
廊下に近い左のベッドの20代くらいの若者は、
廊下の声が特に応えたらしく、看護師を呼んでいた。

私はつくづく助かってよかったと思う。


トイレ大小。シャワーに行く。
今日は体調が良いので、Iさん、Yくん、Nさんに手紙の返事を書く。
よれよれながら字が書けるようになってきた。

Iさんは中学の同級生で、35年ぶりの同窓会のお誘いを受けていたが、今回のことで出席できず誠に残念である。

Kばあ来る。



[妻の記録]

昨日はまだできなかったことは今日はできるようになるという感じで、
夫はどんどん体力を取り戻してきている。

波はあるが、先週に比べて「しんどさ」も比較的和らいできたようで、
新聞や専門の雑誌を読めるだけの余裕も出てきている。

夫が中学の同級生のIさんに手紙を書いた。
普段から上手とは言えない字だったが、それに輪をかけて見事な字だった。

かわいい。

「・・・不覚にも肺炎になり、生死の境をさまよいました。・・・」
と書いていた。

医師から言われているのは多臓器不全。
まあ、説明するのも面倒くさいという感じかもしれない。

とにかく生死の境をさまよったのは事実だから。


本日、申請していた限度額適用認定証が送られてきた。
請求書発行に間に合った。
支払いはこれで一安心だ。
病院に急いで持参する。

6月後半から夫の心配以外にこのような事務的なことにも追われていた。
仕事も半日だけ行きながらなので、時間的にかなりタイトになるが、
忙しいのは私自身の社会的なリハビリにもなる。
そのおかげで体調を崩さずに済んでいるのかもしれない。

7月3日(金):救命に運ばれる人

2009-09-25 23:10:03 | 救命から一般病棟へ 入院6週目
[Tの定期メール]

明日やるはずだった透析が、また延期されました。もちろん血液検査をした上での判断です。良いことだと思いました。来週には救命病棟から転棟するかもしれません。筋力が衰えているため、車椅子からベットへ移動するにも一苦労です。じいさんのことを「不自由な辛さが身に染みて分かる。じいさんには頭が上がらんわ」としみじみ言っていました。



[すいかの記録]

 ここに居る人は大半が事故(特に交通事故)で死にかけた人である。
私のように病気で死にかけた人は少ない。最近右のベッドに来た人は、そのどちらでもなく、自殺未遂のようだ。真田広之に似たイケメンで、見舞いの人はみな美しい女性。絶句。

 生活がルーチンになってきた。この日もトイレ大小。リハビリ歩行訓練。頭がボーとしている。昼寝して幾分はっきりしてきた。

血液検査の結果が悪くないので、明日の透析は延期。

昼、シャワー頭を洗う(Y、P)。Hばあ来る。

夕食のオダマキがおいしかったが、腹に力が入らないのは、今から思えばおかゆ食でカロリーが不足していたためである。



[妻の記録]

救命センター内での面会は、
時間が厳格で、まず二重になっているドアの前のインターホンを鳴らして面会が可能かどうか問い合わせることから始まる。

治療優先なので問い合わせてもなかなかOKが出ないときがある。

最も待ったのは、2時間の面会時間で1時間半待ったのが最長だったが、
観察室に移って以降は、そういうことがほとんどなくなった。



面会の可否を待っていると
他の人が出入りするときに中の様子が見えるのだが、
その日は、ドアの開いた瞬間に
車いすに乗って廊下から外を眺める夫の姿が見えた。

自動ドアはすぐに閉まるが、また開いた。

夫は持ち前の高い鼻いっぱいに外光を浴びながら
まっすぐ窓の方を眺めていた。


まだ観察室にいるときに、
Yさんが家族と廊下で車いすにのって話をしているのがうらやましかった。

今、夫はついにそこまで回復したのだ。


私はうれしくて、
急いで手を消毒しマスクをして夫に駆け寄った。

「まさか廊下で車いすに乗って待っているとはおもわんかったわ」
「ちょっとええかっこしてみようと思ったんや」

2時の面会時間に合わせて待ってくれていたのだ。



透析がまた延期になったらしい。
もう透析をしなくても行ける気がする。

歩行訓練はきびしいようだ。
入口からベッドまでくらいの間を歩け、といわれ、
苦しそうにしていたら、
早く行け、早く行けば早く楽になれる!
とスパルタな声掛けをされ、乗り切ったらしい。

ところで、ここのPTのN先生とはとても気が合うようだ。
夫はとても頼りにしている。