いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

6月19日(金) :観察室に移動

2009-09-06 23:12:50 | 救命センター入院4週目
いつのまにか、多臓器不全
6月19日(金) :観察室に移動



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[Tの定期メール]

朝:昨日より元気でした。だからいろいろ話しましたが、やっぱり少ししんどいと言っていました。

夕:今日のどの切開をする予定でしたが、新規患者が3人も入ってきたいたのでバタバタして、できませんでした。まあ新規の患者さんが優先なのでしかたがないです。
切開は明日の午前中の予定です。だから明日麻酔で寝てるかもしれないです。
本人は今日の昼や晩はめっちゃ元気でした。
入院した日に大学から表彰されてもらった盾を、昼に母さんがもって来てと頼まれていたので晩にもっていくと、めちゃめちゃうれしそうにして心拍数が上がっていました。
そして明日KおじさんやJおじさんたちが来るでといったら『盾を自慢して』と頼まれました。握力も30~40はあろうかというくらいでした。
あと『気管切開をいつするん??』と聞かれたので明日の午前中くらいやでといいました。しっかり頷いていました。

あと少しニュースです。すいかが観察室に移動になりました。いままでは隣の人は重傷患者たちばっかだったので、看護師さんたちもバタバタしていましたが、観察室は静かなので夜寝れるかもしれないです。



[妻の記録]

 観察室に移るということは、危篤状態が本格的に解除になったということだ。
 モニターや点滴のアラームが鳴りっぱなしのところから、いっきに静かになった。
 朝日の入る窓もある。
「戦場」から通常の暮らしに近づいたという感じがたまらなかった。

 すいかが一番危なかった、救命センターに運ばれた日に、ちょっとした授賞式が行われるはずだった。
 結局、盾だけ受け取った。
 その盾を再度病室に持ってきて見せた。

 倒れる前から授賞式があるとは聞いてはいたが、実際にどのような賞か私は理解していなかったので、盾を見ながら、
「(すいかが)頑張ったんだね」といった。
 すると、不満そうに
「自分はがんばっていない」という。
「誰ががんばったの?」
と訊くと
「学生」
という。

相変わらず、よくわからないが、そうらしい。


[すいかの記録]

 今日、観察室に移る、と妻がうれしそうに言う。これは一歩出世したようなもので、病状がよくなった証拠だそうである。そういえばここはいつもキンコンキンコンという警報音やらピーピーというモニター音やらが鳴り響いている。これらの切羽詰った雰囲気から解放されるのは確かに有難い。昼ごろベッドごと観察室に移った。
 ちょうどお昼時か、右手方向から「Yさん、ごはんよ。」という声が聞こえる。食事が済み、Yさんが看護師に文句を言っている。ナースコールを押してもすぐに来てくれなかったことが不満らしい。看護師も子供相手のように噛んで説き伏せるが話は堂々めぐりになる。やがて、Yさんのうんこがしたいという声、看護師のうんこをしないといけないという声などうんこ騒ぎが始まる。どうやら観察室ではYさんが人気者のようである。
 観察室で始めての夜も緊張してあまり眠れなかった。やはり、看護師たちが影絵のようにあちこち動き回り、何をしているのか気になる。また、翌日気管切開手術があることも気になっていたかもしれない。
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