いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

いつのまにか、多臓器不全

2024-07-03 20:36:02 | このブログについて

【ごあいさつ】
50歳の「普通より元気なオッサン」が、単なる風邪がきっかけで多臓器不全にまで陥りました。

「オッサン」こと すいか は、奇跡的な回復をして今では元気です。
しかし、すいかは持病らしい持病もなく、いたって健康でした。
なのになぜ突然多臓器不全に?・・・原因はいまだ不明です。

このブログでは、多臓器不全に至った経緯、闘病記、そして回復したその後のことを書き綴ってきました。
ひととおり書き終えましたので、現在は不定期更新となっております。

【各カテゴリーの説明】
主に、すいか 本人の手記と、私たち家族の看病記を書いています。
では、画面左上部のカテゴリーの説明をします。
「このブログについて」…この記事のことです。
「入院前のこと」…すいかが風邪をひいたところから、急激に悪化するまでの一週間
「入院、転院、最初の一週間」…容態が急変してからの一週間
「救命センター入院1週目」~「救命センター入院5週目」…転院先のK大病院の救命救急センターでのこと
「救命から一般病棟へ 入院6週目」…救命センターから一般病棟へ移ってからのこと
「退院へ」…退院間近のときのこと
「自宅療養」…自宅に帰ってからのこと
「夢か現か」…すいかが、意識のないときに見た夢のこと。よってフィクションです。

※最初から順番に記事をご覧になる場合は、画面左上の「カテゴリー」を上から順に開いて見ていってくださいませ※


【ブログを立ち上げたワケ】

ひとつは、ブログの記事としてネットに出すことによって、同じような状況の方と情報交換ができれば、もしくは医療に携わる方からのアドバイスがいただければと思ったからです。
もうひとつは、記録です。こんなこと、めったにない経験ですから・・・

似たような経験をされた方、そのご家族、
または、医療関係の方々からのコメントをお待ちしています。

by編集担当・すいかの娘


追加:ブログ中に「体が酸性に傾く」と書いているのは、アシドーシス、という状態をさしています。

詳しくは以下のサイトに載っています。

 

 http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec12/ch159/ch159b.html

 

★【2024年の気管支肺炎のできごとをアップしています】

2024年のちょうど15年たった同じ時期に、風邪から気管支肺炎で救急搬送された出来事を追加しています。多臓器不全には陥っていませんので、ご安心ください。

「未然に防いだ多臓器不全」をご覧ください。

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15年になります2

2024-06-10 10:52:39 | このブログについて

さきの「15年になります」は何かの勘違いで、今年が15年目です。

さて、15年目の同じ月日に「あわや再発!」という状況が発生しました。

カテゴリーを別にして詳しく状況を書いていきます。

「未然に防いだ多臓器不全」

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15年になります

2020-06-08 18:41:30 | このブログについて

社会、医療はますます進歩しています。が、まだこのブログは役に立つようです。私もますます元気で時々、編集していきたいと思います。

クレアチニンの値が正常値に戻らず、と言ってとくに自覚症状もなく普通に暮らしています。私の体験はコロナの劇症化とよく似ているかもしれません。他人にうつすようなものではなかったですが・・。ともかく、この出来事で私たちの人生観が一変したことは間違いありません。「普通」ってありがたいことですよ。

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【ごあいさつ】これからのすいかとわたしたち家族

2009-11-22 20:43:17 | このブログについて
[すいかの妻より]

5月末にすいかが急に多臓器不全で危篤状態となり、早くも6か月も経ちました。
入院中は春から夏、退院して夏から秋へと
季節がおどろくほど急ぎ足で過ぎて行きました。

今でも原因は何だったのかわかりません。
昔から「風邪は万病のもと」といいますが、それが発端といえばそうです。
人間のカラダは複雑にできているので、わからないことが多いのだということなのでしょう。


本日は受診日で、2か月前より血液検査はほんの少し良くなり、貧血はほとんど解消されていました。救命センターに転院を交渉してくださったK先生は、療養後半年で9割だと考えてくださいね、と言われていたので、そのとおりに回復しているといえるのでしょう。

わたしとすいか、子どもたち、それぞれの関わりのある人たちの心意気というか、なんだかちょっと「もんやり」とした「温まり」というか、そういうものに助けられたこの半年でした。

今後もそれにこたえられるよう、みんなで精一杯社会に貢献していきたいと思っています。



[すいかの娘より]

一応、このブログの名ばかりの「編集長」である私でありますが、途中から更新サボってすみませんでした。
特にママ、ごめん。

さて、すいかが突然、「いつのまにか、多臓器不全」になって約半年。
「あれは本当にあったのだろうか、まるで夢のようだ」と先日母と話しておりましたが、それくらい時間が経ったのですね。
半年か。

K大病院に転院する前の悪魔の夜、瀕死の父の体を泣きながらさすっているときは本当に不安でいっぱいだったけれど、峠を越えたと知ると、異常なほど冷静な自分がいました。とにかくうまく立ち回って、役に立とう、とひたすら思っていたと思います。

倒れた日は、気が動転しながらも、「父が危篤で」とバイト先に連絡を入れて。しばらく休んだ分のノートを友達に見せてもらったり、何なり、その他大学でいろいろの手続きして。病院通いとなると現金が必要になってくるからお金もおろして。
晩御飯は考えるのが面倒くさい&消化に良いものを、ということで毎日野菜スープだったなあ、とか。
生活がザバッ!と一気に変わったことを一番よく思い出します。

父の意識が戻ってからは、ごっそり入れ替わった我が家の空気(エネルギー?雰囲気?表現はいろいろありますが)は、トントンとゆすっていい位置に戻されていくかのように、着実に落ち着きを取り戻していきました。

今ではすっかりもと通りかといえば、そうではありません。
皆が、この先もずぅっと鉄人28号だと思っていた父を気にかけるようになりました。
人間だもの、病気にもなるよ、と。
あたりまえだけど。
そのあたりまえに気づかされました。

他にも、気づいたことはたくさんあります。
特に医療関係の諸事情なんかは、どうしても他人ごとに思えなくなってきました。

これから、もっとちゃんと考えていきたいです。
いろいろなこと。
父が死にかけたことを無駄にせずに生きていきたいです。

お粗末なあいさつですみません。
健康な人も健康第一で生きていってください。
ありがとうございました。



[Kばあより]※すいかの妻の母です。

闘病記録脱稿おめでとう。そうして、ご苦労様でした。表面上前と変わらない生活に戻ったようで本当に嬉しく思います。

2009年5月29日午前4時半 T君からの電話、今だに耳にこびりついて離れません。

代われるものなら代わってやりたい・・・何度思ったことやら。世間で云う義理の仲やのに、また、貴方の妻である娘や孫が不憫だからそう思ったのだろうか。いや、全然違う。娘も貴方もいまや同感覚なんだなあ。
天国のじいちゃんも、顔をくしゃくしゃにして頷いているよきっと。

何はともあれ、ぎりぎりの所で現世に戻ってこれて、良かった。悲しかったことや辛かったことは、心の奥底に封印しようとしてしまうのに、今回の闘病記録見事でした。

発病してから何日目だったか、病院に行く前にお弁当を買って家に寄ったときのこと、入口から何か刺すような緊張感が漂っていて、入りづらく思ったことがあります。三人とも穏やかに接してくれはしましたが、何か違うのです。少し意味を取り違えているかもしれませんが、病気退散のため、家の整理をし、人には明るく接しようと母子で話し合ったのだろうと思いました。でも、最後まで三人の中に入り込めない壁を感じました。貴方達家族の絆の強さを思い知った気がしたものです。

すいかパパの生命力、生への努力、そうして、貴方を必至で支え続けた娘や孫に感謝。

まあ、親の宿命でしょうが、貴方の病気の間は少しだけ私に近づきかけてくれたものの、今ではまた貴方達4人が更に強固なスクラムを組み私の横を走り抜けどんどん遠ざかっていくような気もします。でも、貴方達の親であること本当に嬉しく思っています。
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その後のすいか

2009-11-07 22:15:26 | このブログについて
入院中の悪夢と妄想をアップする前に、その後のすいかの様子を少しお伝えします。

________

8月26日より職場復帰したのち、当面は週に1回くらいは休暇を取ることにしていた。
体力がまだ十分に取り戻されていないので、かなり負担になるはずだ。
少なくとも8月中は「慣らし」という感じになる。
9月は後半に連休があるから、体力回復のスケジュール的には好都合だ。

仕事にいくと、やはり疲れるようだが、
本人いわく、それこそがリハビリになるという。

土日や休暇を取った日は、ゆっくりと池を散歩する。



うちはお米は一年分を俵で購入する。
近所の知り合いがまとめて購入してくれる。
そのお米の配達の日が9月の連休となった。
友人は、例年と同じようにお米をトラックから降ろして
少ししゃべって行った。

すいかが春に危篤状態に陥って奇跡的に助かり、
(9月下旬では)退院して2カ月たってない、なんて向こうは知らないものだから、
お互いにのんきなことを話す。

そうやって、普通に生きて暮らせることを何度もかみしめる。

退院直後、痩せこけていたすいかは、
今は実にふっくらとして
以前と同じメタボになりそうなのを
何とか努力して標準を維持しようとしている。


すいかが入院中で行けなかった中学校の同窓会が10月の末にあった。
楽しみにしていたので、とても楽しそうだった。
そう、今では飲みにも行ってる。


11月3日、21年目の結婚記念日だった。
祝日に結婚したので、毎年休みとなる。

去年は家族で都会に出かけて、お気に入りの店で沖縄料理を食べたあと、川すじを買い食いをしながらしゃべりながら駅まであるいた。

今年は電車に乗らなくても行ける近場で、行きつけといってもいいDHという洋風居酒屋で乾杯した。
家族みんなでぶらぶらと歩いて行き、ぶらぶらと歩いて帰った。

全てのものに感謝。
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今後のアップの予定・・・

2009-11-03 22:03:05 | このブログについて
現実の闘病記録についてはこれで終わりです。
しかし、まだ残っているものがあります。
「夢か現か」です。これは、読まれる方が現実と混同しないようにアップをやめようかとも思ったのですが、すいかがせっかく思い出したのにもったいないと思いなおし、アップすることにしました。
以下の二部に分けてアップします。(すいかの妻)


第1部 悪夢
 すいかが意識がない間に見ていた夢を少しずつ少しずつ人に話すうちに思い出して書きあげたもの。当然のことながら現実にあったことではない。

第2部 夢か現か
 意識を取り戻しているが、3週間弱眠り続けて、まだ十分にはっきりしない、すいかの頭の中をよぎった現実と妄想が入り混じった毎日を書きとどめる。
これも妄想をであるからすべてフィクションである。
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モンブランすいか

2009-10-19 22:07:16 | このブログについて
みなさんこんにちわ。
すいかの娘です。
最近編集をサボっていましたが、昨日このような写真をとりました。

すいかの頭です。
キュー●ーのような、見事なくり頭になっていたところをパシャリ。
髪の生え方の関係上、手で簡単にセットできるんですね~。モンブラン型に。
闘病中の床ずれで「7」の形にハゲていた後頭部も、だんだん髪が増えてきて目立たなくなってきましたよ!
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ちょこっとお知らせ

2009-09-11 23:38:45 | このブログについて
すいかの娘です。
いつもご訪問ありがとうございます。
(コメントお待ちしていますよ!


さて、記事を見返していて気がついたのですが、
すいかが目覚めた6月14日の記録から、
記事の尾部に、すいか本人による追記を発見しました。

そ、そんな後日に書き加えたりしたって…誰にも見てもらえないよ…
私だって今初めて気づいたよ…

と言いたいのをこらえ、ここでお知らせしておきたいと思います。
6月14日から、すいかの追記がご覧になれます。
(最新の記事には、いったいいつ追記されるんだろう…orz)

今やすいかは仕事に行っておりますから、まあヒマ人の私には文句を言う資格はありません。
しかし、なかなか貴重な、本人による体験談ですので、これまで記事をご覧になってくださった皆様も、6月14日から見直してみてはいかがでしょうか。

これからも、「いつのまにか、多臓器不全」をよろしくお願いいたします!!
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