いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

8月17日(月)から8月25日(火):職場復帰

2009-11-03 21:51:23 | 自宅療養
8月17日(月)

[すいかの記録]

 11時過ぎにO眼科に行くも、O眼科の盆明けで待ち人が一杯であきらめて帰宅。
 夕方、Y歯科に行く。上前歯右方2番目虫歯とのことで、削って詰めてもらう。



[妻の記録]

眼科、しかも夏休みとくれば、殺人的に込み合っている。何時間も待つなんてことは覚悟の上なので、休みをとらなければ、受診できない。
その点、今の夫は好都合だ。

しかし、体力が心配だ。眼科受診も待合室がいっぱいで炎天下の中で外で待ったりしなければならないこともあり、体力がいる。
電話で問い合わせてから行ってはどうかと勧めるが、直接行ったようだ。
大丈夫かなと思ったが、やっぱり見てもらえなかったようだ。

見てもらって処方箋をもらわないと眼鏡が作れない。

歯医者の方は、予約治療なので問題ない。

職場復帰する前に、できるだけ体のメンテを終わっておかなくてはならない。



8月18日(火)

[すいかの記録]

 朝、O眼科に行く。右眼底に一部梗塞あるも、眼の機能に影響ないとのこと。眼鏡の処方箋を書いてもらう。
 夕食後涼しかったので、S池まで小一時間妻と歩いた。


[妻の記録]

眼科も朝早く行けば見てもらえるのだ。

他に行かなくてはならないところがない限り、すずしい時間をねらってS池周辺を歩くのは、退院してからほぼ毎日にちかいくらい行っている。
ここはいろんな人が歩いたり走ったりしている。
池は生活の一部になっている。



8月19日(水)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。

問診で、「もう悪いとこ無いやろう」と言われるので、
「心臓が時々踊りますねん。」と答える。
「それなら涼しくなった頃ホルターをつけよか。今は暑いやろ」と言うので、
「自宅療養の間にお願いできますか。」と答える。
「ほな、今から用意しておくからリハビリに行きなさい」と、

そこへ同席していた看護師さんが
「あの、先生、せっかくならリハビリの前につけた方がよろしいのと違いますか。」と口を挟む。
なるほどその通りと思う。
T先生も「その通りや。」ということで直ちにホルター心電図計装着と相成った。
私はこのT先生と看護師さんの気さくな雰囲気が好きである。

 夕食後、S池まで小一時間妻と歩いた。


[妻の記録]

ホルターで検査をしておいて問題がなければもう検査でやることがない。
あとは造影剤を入れて・・・というのがあるらしいが。

いったい何が原因だったのか、もうこれからもわからないだろう。
わからない、で問題がなければそれでいい。



8月20日(木)

[すいかの記録]

 朝、ホルター心電図計脱着。夕食後、S池まで小一時間妻と歩いた。



8月21日(金)

[すいかの記録]

 今日はちょっと腰が痛い。2時過ぎウコギ+クロレラ各6本、半年分送ってくる。夕食後、S池まで小一時間妻と歩いた。



[妻の記録]

本日、「いつのまにか、多臓器不全」のブログを立ち上げた。

主には情報収集が目的だが、
夫の復職を前にして
この長く、説明の難しい闘病の経過の説明をする手間を省くこともあった。

たくさんの人に心配をかけ、迷惑もかけたので、説明責任がある。

知り合いにはこのブログをネタにして、
命のこと、
医療のこと、
人権のこと、
生きること、
障がいのこと、
そして「強さ」のことも
身近な人と語り合ってもらえたらいいなあと思った。

また、見知らぬ訪問者にはこういう病気になった人もいるんだということを知ってもらいたいし、同じ状況の人には書き込みをしてほしい。
医療関係者の人にはぜひ情報もいただきたいと思う。



8月22日(土)

[すいかの記録]

 朝、診察とリハビリ。まず、ホルターの結果は異常なし。
時々スパイクが出ているが、回数も少なく気まぐれであり、これで異常とは言えないらしい。

採血の結果はヘモグロビンが9.4と回復しているが、まだ13には及ばず、貧血である。なかなかすぐに回復しないものである。

前回と同様、鉄剤+ビタミン3週間の処方を受ける。次回診察は9月12日(絶食で)。午後、眼鏡屋に行き、眼鏡を作る。



8月23日(日)

[すいかの記録]

 朝、娘の運転でE寺まで実に久しぶりにS先生に会いに行く。
アポなしのため、あいにく先生は不在だったので社務所の人と私の病気の話をする。先生も貧血があったそうだが、今はお元気らしい。

 夕食はG寿司に行く。第3回の快気祝いということか。

帰りにTSUTAYAにより、渥美清のDVDを借りて見る。



8月24日(月)

記録なし



8月25日(火)

[すいかの記録]

 職場の病休が90日でそれを超えると休職扱いとなり、給料が減る。本日がちょうど90日目であり、明日出勤する。



[妻の記録]

明日から夫は職場復帰する。
心配ではあるが、そんなことも言ってられない。

職場に行くだけで最初は想像以上にかなり体力を使う。
他の先生方には仕事を引き受けていただいたり
事務の方にも手続きに関していろいろとお世話になった。
ということで、とにかくてみやげくらい持っていかないと、
と、お菓子を持っていくことになったが、買ってみると、

重い。

夫はまだあまり力が回復していない。
ついていこうかと本気で迷った。が、
子離れできていない母親みたいでさすがにそれはできない。



8月26日(水)以降・・・

[すいかの記録]

実際出勤してみると、知らず知らずに体を使うようで、一層体力の回復が早まった。10月に入った現在も体調は良好である。

というわけでブログ日記もここまでである。
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8月8日(土)から8月16日(日):快気祝い

2009-11-01 21:27:10 | 自宅療養
8月8日(土)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。娘がまだ寝ていたので歩いて行く。
そう、O病院は自宅から最も近い病院で、歩いていける距離なのだ。
今後のことを考えるとありがたい。

 夕方は6時にK大病院近くのフランスレストラン「T」で家族で夕食を食べた。
行きは歩きとバスを併用する。フルコースを食べ、赤ワイン2杯飲む。
第1回の快気祝いである。腹ごなしに帰りは皆で歩いて帰った。2キロぐらいの距離である。家族は、毎日看病に通ったことを思い出しているようである。



[妻の記録]

本日は病院に歩いていく。
ゆっくりと歩いていく。
意外と、というか、ものすごく近かった。

いよいよ、今日は入院中から息子Tが「退院したらあそこに食べに行こう」と言っていたフランス料理のレストランに行く。
料理を選び、乾杯をし、
たくさんしゃべった。
贅沢な食材を使っているというわけではないが、
どれも、丁寧に作られている心温まる料理ばかりだった。

入院中、面会からの帰り道、子どもたちとよく歩いて帰った。
話しながら帰ると、癒された。


すでに私が家族で最も背が小さくなって久しいが、
子どもたちは体の大きさに比例して恐ろしく大人であり、
今まではそれに完全には気づいていなかった。

その子どもたちや夫と
不安も苦しさもともに分け合ってきたことを語り、
肩を並べてゆっくり歩く。
今日の「帰り道」は言葉では言い表せないくらい幸せだった。



8月9日(日)

[すいかの記録]

 夕方、Tと2階広場でキャッチボールをした。足元がまだちょっと覚束ない。あまり無理しないでおこうと思う。
 また、この日始めてシャワーでない風呂に入った。入院中はうまく浴槽に入れるかどうか、気にしていたが、別段のこともなかった。



8月10日(月)

[すいかの記録]

 夕方、Y歯科に行き、右奥歯、詰め物が外れたところを詰めてもらう。



8月11日(火)

[すいかの記録]

 N生命Tさんが書類を取りに来る。共済から電話あり。N氏から電話あり。



8月12日(水)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。やや疲れ気味(立ちくらみ、動悸)
 午後、Tの定期メールを整理する。



8月13日(木)

[すいかの記録]

 昨日から疲れ気味だったので、いつもより早め(9時頃)に寝る。



8月14日(金)

[すいかの記録]

 午後、、小一時間昼寝した。夕食は家で焼き肉を食べた。



8月15日(土)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。
 昼、Hばあに来てもらい、U寿司で5千円コースの昼食を食べる。第2回快気祝いである。おいしかったが食べきれず一部お持ち帰り。(カニ、鮪鯛烏賊造り、鮎塩焼き、はも湯引き、はも鍋、天ぷら、茶碗蒸し、枝豆、鮑赤貝鯛鮪すし、フルーツ)ビール中瓶1本飲む。
 夕方、小一時間昼寝した。昼寝の直前にHばあが帰ったが、まっすぐ駅にたどり着けず、駅とは正反対の方向に歩いたらしい。百均から運動公園を経由してN台まで歩いたところでちょっとおかしいと気づき、人に尋ねたらしい。小学校前のバス停からバスに乗って駅に着いたそうであるが、歩き慣れている道なのに、誠に不可解。本人は狐につままれたと言っている。



8月16日(日)

[すいかの記録]

 昼前すずしかったのでS池一周妻と歩いた。午後、小一時間昼寝した。
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8月6日(木)から8月7日(金):忙しい一日。恩人K病院のK先生に再会する

2009-10-30 23:45:16 | 自宅療養

8月6日(木)

[すいかの記録]

 朝、廊下でフラッと立ちくらみ、倒れそうになる。妻に支えてもらった。これで2度目である。私の立ちくらみはソファなどから立ち上がり、その瞬間は何もないのだが、一呼吸おいてから膝から下に血が引いていく感じがしてヨロッとなる。
 そのとき頭を下げると素早く復活し、手で柱などを掴んでじっとしているとゆっくり回復するが、時に倒れそうになるわけである。
これは以前からあった立ちくらみといえるが、今回の入院騒ぎ後はその程度がひどくなっているという感じである。


[妻の記録]

夫が倒れるとき、表情が直前のもののまま、ふんわりと倒れる。
こちらに向かって何か嬉しそうな顔をしながら立ちあがって、その嬉しそうな顔のまま倒れる。
”倒れる”ということは、たとえば苦痛が少しでも現れるとか、ゆがんだり、こわばったりしながら倒れるものだと思っていたが、必ずしもそうではないことが分かった。



8月7日(金)

[すいかの記録]

 朝一番に免許証再交付の手続きのため妻と免許試験所に行く。
病後始めて電車に乗る。
電車を降りる為に立ち上がるとき、立ちくらみをするので要注意。

試験所は免許更新の人でいっぱいである。私は再交付なのでそれほどの列はない。紛失理由を書かなければならないので、受付で並んで待っている間にもう一度思い返していたが、ふと持っている財布が微妙に違うことに気づく。いつも従姉が作る皮のオリジナル財布を持っているが、今持っているのはひとつ前の財布であった。そうか、免許証を財布ごと紛失したのである。その瞬間、免許証に関するあらゆる記憶が鮮明によみがえってきた。


 私は、5月28日に車でK病院に行き、そこで直ちに入院といわれた。そのとき小銭と免許証だけ財布に入れて持ち、後は妻に預けてもって帰ってもらったのである。
免許証はもちろん退院するとき、車を運転するときに必要と思い、わざわざ置いていたのである。免許証を失くしたのは残念だが記憶がつながってよかった。これで紛失事情もはっきり書ける。これは大事なことである。
前に並んでいた人もどこで免許証を失くしたかわからないらしいが、警察はどこで失くしたかできるだけ詳しく書けと言うのでえらく口論していた。こわいこわい。

 一旦、帰宅し、正午に娘の運転でK病院に行く。これはK病院のK先生が(主治医の意見に反して)K大病院に転送する決断を下してくれたお礼を述べるためである。そのおかげで私の一命が救われた。まさに命の恩人である。今日は金曜日なのでK先生が勤務しておられた。ちょうど救急が入り、ちょっと待ったが、そのあとお会いしてK先生は私がすっかり回復しているのを見て、たいへん喜んでくださった。
K先生にお会いすることができたのも、K病院職員のNさんのおかげである。感謝の意を表す。


[妻の記録]

今日は恐ろしく忙しかった。免許試験所に行くのとK先生にお会いするのと同じ日になった。

免許試験所は、夫が職場復帰をするための練習でもある。
電車では、どの程度でめまいがでるか、確かめることができた。

昼ちょうどにK病院に行く。
K病院に勤めている知人のNさんには、連絡調整をしていただいた。
K先生はK大病院の教授でK病院に週1回出向されている。
(K病院とK大病院はイニシャルは同じだが、全く違う病院)
その日が金曜日。夫が最初にK病院に入院し、悪夢の夜を過ごしたのは木曜日の夜から金曜日にかけてだ。金曜日の朝、K先生が病棟に来られて転院の交渉をしてくださった。K大病院の救命センターは救急車の搬送でしか受け入れず、本当に運が良くなければ入れない。最初は断られたようだが、先生が粘ってくれたようだ。このあたりはすでに救命センターの主治医から聞いていた。

私はうれしくてしかたがなかった。
先生は、
夫の手を握って、よかったと心から喜んでくださった。

先生が出向された日が金曜日でなければ、まちがいなく生きられなかっただろう。

もっと生きてきちんと社会貢献しなさい、ということなんだと思う。
そんなことを考えていたら、お礼を言いながら涙がまたあふれてきた。

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8月1日(土)から5日(水):サイトメガロウィルス

2009-10-30 00:05:41 | 自宅療養
8月1日(土)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。リハビリは週2回、水曜日と土曜日である。この日も娘に送り迎えしてもらう。
 午後、ウコギ、ク●レラを持ってKばあ来る。
結構重い荷物で苦労をかけたなと思った。

今日は花火祭りの日で、電車が込むからと言って夕方Kばあが帰る。

夕食は花火を見ながら焼き肉をする。今年は風向きが悪く、花火によって生じた雲ががこちらに流され硝煙の臭いばかりして、花火がほとんど見えなかった。



[妻の記録]

実家の母がク●レラを持ってきた。自分がよいと信じて飲んでいるものだ。
確かに母は元気で、色つやもよい。
花火も見ていけばよかったのに、と思った。
私は仕事だったので会わずだった。

今日は花火の日だ。
雲行きが怪しく、花火自体はさっぱりだったが、
さっぱりでもなんでも、元気で一緒にいられることだけで
他はどうでもよかった。
だから、私は妙にテンションが高い。



8月2日(日)

[すいかの記録]

 体温計用のボタン電池を買いに百均に行く。Tと筋トレをする。スーパーに買い物に行く。こうして家の外を歩く時間が長くなり、足腰もしっかりしてきた。



8月3日(月)

[すいかの記録]

 午前、娘同行で駅前の銀行に歩いて行く。午後、娘からの英語のCDをかける。



[妻の記録]

夫は娘と一緒に駅前までいったらしい。
私と違って、子どもたちは結構放任だ。
疲れたらあかんから、とか言ったりしない。
そういう意味では、自立を促しているのは子どもたちかもしれない。
私とべったり一緒だったら、歩く距離や負荷をかけるのを増やしたりはなかなかできなかったかもしれない。



8月4日(火)

 特に記録なし。



8月5日(水)

[すいかの記録]

 朝、リハビリに行く。
ここはリハビリをする前に必ず、血圧測定と医師の問診を受けることになっている。その際に先週の血液検査の結果を教えてもらう。
検査に1週間ほどかかったのは特別にウィルス検出を試みてもらったためである。

たった3種類のウィルスの有無を調べてもらうという、ダメでもともとの検査であり、どのウィルスを選択するかは長年の経験と勘だという。

T先生は
「見事にひとつ大当たり」と言って、サイトメガロウィルスが検出されたことを告げる。これは水疱瘡と同じ種類のヘルペスウィルスらしい。
今回の病気の原因がこれかも知れないが、今となっては強く断言できるわけではないとのこと。

クレアチニン、ヘモグロビンの値は前回(K大病院)とあまりかわらず。
次回(22日)の検査に期待する。

 午後、免許証用写真を撮りにスーパーまで歩いて行く。
免許証をどこかに失くしたようで、さんざん捜したが出てこないし思い出せなかった。きっとK病院に入院時に失くしたのだろう。
そこでとりあえず再交付手続きのため写真を撮りに行ったのであった。
この際ついでに眼もキチンと検査しておこうと思い、O眼科の様子を見に行くが、O眼科は水曜日の午後休診であった。



[妻の記録]

サイトメガロウイルス、という名前のウイルスが夫にいたらしい。
が、通常は健康な人には何も悪さをしないという。
炎症の数値がひくくても、感染ってあるんかな。

よくわからない。

夫の免許証、本気でなさそうだ。
紛失届を出すという意味でも、早めに再発行に行く必要がある。
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7月29日(水)から31日(金):O病院の初診察

2009-10-27 23:35:26 | 自宅療養
7月29日(水)

[すいかの記録]

 朝、娘の運転で初めてO病院に行く。

レントゲン、心電図を測り、採血した後、リハビリをする。
これはM先生が担当となる。リハビリをしながらしきりに脈を診る。普通より脈が速く、時々不整脈があるようだ。負荷を8割程度に抑えて長く運動し、循環器を鍛える必要があるとのことである。
K大病院での超スパルタなリハビリから一転してスローなリハビリになった。

 内科は、T先生に見てもらう。レントゲン、心電図異常なし。
普通これだけの病気をすれば何らかの痕跡が残るものだが全くきれいだと感心する。とりあえずは貧血対策にと鉄剤を処方される。これは隣の薬局で購入する。さすが鉄剤、ずしりと重い。
帰りも娘に迎えに来ててもらう。
歩いて10分程度の距離だが、用心せよと周りがうるさいこともあるが、真夏のことで歩くには暑い。

午後昼寝する。ちょっと頭が痛い。
足浴をしてシーキン2包飲む。



[妻の記録]

今日はO病院で初診察だ。私も時間休をとって病院でおちあう。
職場から病院は自転車で3分程度だ。

担当になった先生には予測通り、しっかりと驚かれた。
そんなにひどい状況だったのに、今は正直いって、何もありませんね、と。
K大病院からは詳細なデータは送られていなかった。
救命センターでの恐るべき状態は、おおまかな様子しか記載していなかった。
いったん腎臓内科に転棟したためだと思う。
もし送られていたら、もっと驚かれるだろう。
難しいものだ。

とにかく、ここできちんと見てもらうしかない。

ところで、夫の体調は不安定だ。
入院しているときからそうだが、とても波がある。
特に暑さに弱いようだ。
今日の体調の悪さはおそらく病院に行ったからだと思う。
こんなことを繰り返しながら少しずつ体力が付いてくるのだと思う。

風邪っぽいというので、熱めの足浴をする。子どもたちが風邪をひいたときによくしたように、ラベンダーのエッセンシャルオイル入りだ。


7月30日(木)

[すいかの記録]

 足の三里に千年灸を貼る。昼前一眠りして体調良し。この日クーラー入れず風通し良くさわやか。夕方、妻と歩いてスーパーに買い物に行く。



[妻の記録]

以前からそうだが、夫は十分に眠る必要がある。睡眠不足が特に体にこたえる方だ。それから、体を動かすこと。
動かしていないと体調が悪い。
そう考えると、結構条件付きの体だ。
正直なのかもしれない。

仕事から帰宅したころ、ずいぶんすごしやすい気温になったので、一緒に食べたい物を買いに行く。
大丈夫かな、と思いながら、横目で見守りながらゆっくり歩く。
ちょっと疲れた様子。



7月31日(金)

[すいかの記録]

 夕方、コー●ンまで散歩する。



[妻の記録]

コー●ンまでいって大丈夫かなと心配するが、意外と大丈夫だった。


一緒に歩いていることに、幸せをかみしめる。
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7月27日(月)から7月28日(火):すいか、よく倒れる

2009-10-25 22:16:02 | 自宅療養
7月27日(月)

[すいかの記録]

 どうもソファから立ち上がると必ず立ちくらみがある。なるべくソファには座らないようにする。そこへM電化で購入したイスが届く。キャスター付きのオフィスチェアでリビングの床にあまりよろしくない。



[妻の記録]

朝、仕事に行く前に、洗濯ものをハンガーにかけていた。
ふと、廊下を見ると、すいかがこちらを向いて立ちどまっていた。
瞬間「あぶない!」と思い、駆け寄り、グワッと前に倒れこむ夫を正面から受け止めた。もうちょっとで頭を打つところだった。
ハンガーにかけた洗濯物も大量に握ったままだった。手放す余裕がなかった。

私は意外と力持ちだった。

女性は立ちくらみに慣れているので頭を下げてから立ち上がったりするのだが、
すいかはあまりそういう体に慣れていない。
貧血はすぐには治らないから、自分でコツをつかんでもらうしかない。
それと、ベッド上にいた時間が長かったので、体の調節がまだうまくできないようだ。

とにかく、家でできるだけリハビリをしてもらうことと、少しずつ私が外出同行をする必要がある。

幸いにも今の季節は19時ごろまで明るいし、子どもたちも夏休みで、比較的家にいる。娘も車で運んでくれる。
私は当分の間、17時半ちょうどにダッシュで帰るようにする。
昼間は暑すぎて、どうせ外出はできないだろう。

なんとなく、気になって仕事に集中できない。



7月28日(火)

[すいかの記録]

 昨晩あまり眠れず。午前、小一時間昼寝した。

午後、Hばあが仙三七をもって来る。エリスロポエチンの活性に効くと書いてある。
 トイレに行くとき、フラッと倒れる。立ちくらみ。Hばあには心配を掛けた。

夕方ウトウトするも、電話、訪問等で起こされる。9時頃寝る。


[妻の記録]

今日も倒れたらしい。
前に倒れた時よりもまともにいったらしい。
ダメージはなかったようで良かった。

とにかく、食べるものをできるだけ多品目そろえるようにする。
朝は野菜たっぷりのサンドイッチや果物、ヨーグルトなどを意識する。
夫は成長期の子どものように良く食べる。
新聞の広告も、飲食に関するものを選んで穴があくほど見ている。
よほどおなかがすくのだ。

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