いつのまにか、多臓器不全
6月11日(木):水気のないすいか。尿なし、発疹、部屋移動。
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[Tの定期メール]
朝:安定しています。脱水気味だったため透析をいったんはずしていますが、手のシワが減ってきたところを見ると、体に水分が戻ってきているようです。
尿の出はあまり良くない状態が続いています。
数日前より体に発疹が出ていたので、皮膚科の先生にみてもらったそうです。
モニターでは
脈→75~85
血圧→145~150
酸素飽和度→100
呼吸→15回/60秒でした。
「今日は6月11日木曜日だよ」と話しかけると、脈が93まで上がりました。
夕:部屋が、個室から、しきりのない大部屋に移動しました。
本日、通常(慢性腎不全用)の透析開始。12時10分から始まって、3時10分終了。
血圧も下がることなく、問題なし。
筋弛緩剤が打ち切りになって2日目です。麻酔は倍増したけど、意識が戻り掛けている模様。苦しさを感じているのではないかと心配だが、もう少し様子を見るとのことです。
皮疹の検査の承諾書を書きました。皮膚の写真を撮り、組織をとって、調べるそうです。
夜も変わりませんでした。
血圧は最高170前後位で最低60前後でした。脈拍は80前後位でした。
[妻の記録]
大部屋に移った。個室よりは状態が少し良くなったということか。医療機器も、点滴も数・量ともに少しずつ減っている。
大部屋は6つの重体患者のベッドがおかれ、モニター、点滴、人工呼吸器などジャンジャン音がなりまくり、常に騒々しい。個室にいたころは、自分たちだけなのだと錯覚していたが、実は、まわりの人たちも大変だったのだ。
1日3回の面会で、毎回、熱いタオルで顔を拭いている。顔はものすごく脂っぽく、タオルは茶色くなる。なんとも拭きがいのある顔だ。
大部屋に移った日、何か夫自体が「温泉の源泉」を思わせるような
何か不思議な雰囲気を漂わせていた。
ああ、古いものを捨てて新しくなるんだ、エネルギーを貯めているんだと何故かすんなりとそう思った。
[娘の記録]
母は感極まった様子で
「温泉のように生命力がこんこんと出てくるみたい」
と言っていたが
「ウチはもっと早くから気づいてたわい」
意地を張った。(心の中で)
救命センターに来てから1、2日で、ああもう大丈夫、と思ったからだ。
私が能天気だからそう思ったのか?否、これはれっきとした直感である。つまり、たんなる能天気であったかもしれない。
しかし、そうした、"ボンヤリとした正体不明の希望"を胸に抱きつつ、腎臓の数値の悪化を聞いた時には、やっぱり良くなっても人工透析は免れないな、と思った。
部屋が大部屋に変わったが、まわりの患者さんには私と変わらない歳の方(事故で意識不明の重体)もいたことが分かった。毎日通う家族用待合室で、よく一緒になる御夫婦が、その方のご両親だったことも分かった。彼の体には父よりもたくさん管が入っていたと思う。
ほんの10日前、突然の家族の危篤というショックを受けた私たちは、御夫婦と彼のことを考えると本当に自分たちのことのように思えてしまう。
この切なさは言葉では言い表せない。
6月11日(木):水気のないすいか。尿なし、発疹、部屋移動。
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[Tの定期メール]
朝:安定しています。脱水気味だったため透析をいったんはずしていますが、手のシワが減ってきたところを見ると、体に水分が戻ってきているようです。
尿の出はあまり良くない状態が続いています。
数日前より体に発疹が出ていたので、皮膚科の先生にみてもらったそうです。
モニターでは
脈→75~85
血圧→145~150
酸素飽和度→100
呼吸→15回/60秒でした。
「今日は6月11日木曜日だよ」と話しかけると、脈が93まで上がりました。
夕:部屋が、個室から、しきりのない大部屋に移動しました。
本日、通常(慢性腎不全用)の透析開始。12時10分から始まって、3時10分終了。
血圧も下がることなく、問題なし。
筋弛緩剤が打ち切りになって2日目です。麻酔は倍増したけど、意識が戻り掛けている模様。苦しさを感じているのではないかと心配だが、もう少し様子を見るとのことです。
皮疹の検査の承諾書を書きました。皮膚の写真を撮り、組織をとって、調べるそうです。
夜も変わりませんでした。
血圧は最高170前後位で最低60前後でした。脈拍は80前後位でした。
[妻の記録]
大部屋に移った。個室よりは状態が少し良くなったということか。医療機器も、点滴も数・量ともに少しずつ減っている。
大部屋は6つの重体患者のベッドがおかれ、モニター、点滴、人工呼吸器などジャンジャン音がなりまくり、常に騒々しい。個室にいたころは、自分たちだけなのだと錯覚していたが、実は、まわりの人たちも大変だったのだ。
1日3回の面会で、毎回、熱いタオルで顔を拭いている。顔はものすごく脂っぽく、タオルは茶色くなる。なんとも拭きがいのある顔だ。
大部屋に移った日、何か夫自体が「温泉の源泉」を思わせるような
何か不思議な雰囲気を漂わせていた。
ああ、古いものを捨てて新しくなるんだ、エネルギーを貯めているんだと何故かすんなりとそう思った。
[娘の記録]
母は感極まった様子で
「温泉のように生命力がこんこんと出てくるみたい」
と言っていたが
「ウチはもっと早くから気づいてたわい」
意地を張った。(心の中で)
救命センターに来てから1、2日で、ああもう大丈夫、と思ったからだ。
私が能天気だからそう思ったのか?否、これはれっきとした直感である。つまり、たんなる能天気であったかもしれない。
しかし、そうした、"ボンヤリとした正体不明の希望"を胸に抱きつつ、腎臓の数値の悪化を聞いた時には、やっぱり良くなっても人工透析は免れないな、と思った。
部屋が大部屋に変わったが、まわりの患者さんには私と変わらない歳の方(事故で意識不明の重体)もいたことが分かった。毎日通う家族用待合室で、よく一緒になる御夫婦が、その方のご両親だったことも分かった。彼の体には父よりもたくさん管が入っていたと思う。
ほんの10日前、突然の家族の危篤というショックを受けた私たちは、御夫婦と彼のことを考えると本当に自分たちのことのように思えてしまう。
この切なさは言葉では言い表せない。