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いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

7月2日(木):はじめてのシャワー

2009-09-24 23:03:19 | 救命センター入院5週目
[Tの定期メール]

ついにシャワーを浴びることができました。浴室はヌルヌルになったそうです。それでも、まだ体全体の皮がむけています。ちょうど、海水浴に行った後のような感じです。あがってからクリームを塗ってあげました。夜も元気でした。



[Kばあからのメール]

有難う。毎日嬉しいニュースで嬉しいね。しかしベットのほうまだなんだね。完全に回復したこと医学的に確認され、日常生活が支障なく送れる程度のリハビリ受けてから退院するには、転床が必要だと思うがなかなか大変そうだね。お疲れ様。Kばあ



[すいかの弟Jからのメール]

よかった!正直、ちょっと、臭かったので、今度、あったら、言ったろうと思っていました。とにかく、いつもの、にいちゃんに戻っていく感じが、伝わります。たまったあかをいっぱい落として、やって下さい。J



[すいかの弟Kからのメール]

シャワーは気持ち良いよね~ 順調な回復で嬉しいです。K



[すいかの記録]

 この頃の朝食メニューは毎日決まって、おかゆ、炒り卵、麩、佃煮、牛乳である。車いすでトイレに行く。

 リハビリはストレッチと歩行訓練。きつい。喉が渇く。
よぼよぼのばあさんが腰を曲げながらもしっかり歩いているのが信じられない。
平行棒で伝え歩きするだけで腹に力が入らず、まさに腰が抜ける感覚を味わう。

 午後始めて風呂(シャワー)に入る。
男の看護師さんに一通り洗ってもらったが、まだぬるぬるしているのでもっとこすってもらう。
きりがないので、今日はこの辺りで止めときましょうと言われる。
さっぱりした。

 昼食後、夕食後も大便。マグラックスの効果か。

 夕方、暗くなる前(7時前ぐらい)停電。看護師さん達が努めて冷静を装いながらてきぱき動いていた。10分ぐらいだったか?補助電源も正常に作動していたと思うが、ちょっとびびった。



[妻の記録]

シャワーに入ることができ、
夫は文字通り、垢ぬけした。

7月1日(水):鏡に映るわが姿

2009-09-21 23:40:26 | 救命センター入院5週目
いつのまにか、多臓器不全
7月1日(水):鏡に映るわが姿



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[Tの定期メール]

 今日もいつもどうり元気でした。喉をふさいでからはいつもの声にもどりました。あと透析はまだ金曜日にしたっきりまだしていません。以前みたいに週に3回は絶対にしなあかんという状態よりは、かなり改善されてきています。今はいけるとこまで、様子を見ているというところです。



[すいかの記録]

 この頃からメモを付けるようになる。昨夜よく眠れず。うんこが詰まっていたため。
 朝食後、初めて車いすでトイレに行く。快便、すっきりする。大便が出ると小便をしたくなるものだが、出せないというか、違和感がある。そうか、まだ膀胱にチューブが入っているのだ。なお、ここのトイレはウォッシュレットがついていてありがたい。
 引き続き、始めて1階のリハビリ室に行く。車いすで廊下を移動するのは風を切って爽快である。エレベータに鏡があり、初めて自分の全身を見る。がりがりに痩せて老けたオッサンがそこに居た。リハはきついが成果が見えて良い。
 M先生に喉のガーゼ交換をしてもらう。ついでに、尿のカテーテルを抜いてもらう。こちらもすっきりした。なお、喉の穴はピアスの孔のように、放って置いたら塞がるそうだ。へえ、ピアスの孔って塞がるんだ。何度も開け直さないといけないんだ。だけどピアスとは穴の大きさが違うけど大丈夫かな。などと思う。
 昼食はリハビリ直後で全く力が入らず介助してもらう。
 トイレはベッドで尿瓶にする。
 皮膚科のO先生に後頭部の床ずれ痕と全身の発疹を見てもらう。一瞥で日にち薬(放っといたら治る)との診断を受ける。
 母が来る。足湯をしてもらった。
 夕食は魚の煮付けがパサパサして食べられなかった。食後一時的に気分が悪くなる。
 飲んでも良いお茶の量が500cc/日まで増えた。これはありがたい。



[妻の記録]

 尿の管がいきなり取れていた。あれはクリップで留めたりはずしたりして尿だめ感を取り戻してから取るものだとおもっていたが、M先生がスパッととってくれたとのこと。
 つまり、もう管が何もつながっていないので、シャワーに入れるということだ。
 楽しみだ。看護師さんに言う。
 皮膚科の先生が来た。
 こっちはものすごい心配をしているのに、もう薬疹だと分かっている皮疹のことについて少し述べた後、帰りそうになったので、頭の後ろの皮膚トラブルを見てほしいと再度お願いした。

 やっとのことで「ちろっ」とだけ見て
「ああ、これは床ずれだね、何もしなくてよろしい」

 そんな遠くから一瞬眺めただけでわかるなんて、どんな視力してるんや、と思ったが、反論する暇も与えず、それだけ言うとすぐに帰って行った。

 T先生に、皮膚科の先生が「ちろっ」と見て床ずれだと言って帰って行ったと言うと、「しっかりと体の向きも変えていたのに、そんなことはあまりないはずだ」と不満そうだった。ややこしい話だ。
 とにかく、誰も記録を取ってくれないので、私の方でこの時点の頭皮の様子を写真で記録しておいた。

 食事の量が多い。
 重湯がすごい。
 あれを全部食べるというか、飲むのだから、ほとんど少量の水分しか入ってきていなかった胃にはきついのではないかと心配した。
 ときどき、気分が悪くなるようだが、よっぽどのことがない限り完食している。
 なにはともあれ、夫は人一倍生きる力にあふれている。

6月30日(火):2号室へ

2009-09-20 21:00:11 | 救命センター入院5週目
いつのまにか、多臓器不全
6月30日(火):2号室へ


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[Tの定期メール]

 今日は、ひょっとしたら、一般病棟に移っている可能性があるので、会えないかもしれません。だから、ママだけ行きます。
 すいかは散髪しました。病院の理髪師さんが病室まで来てくれて、切ってくれたそうです。穴が空いていた喉もふさぎました。
 しゃべるときと咳をするときには、喉を押さえなさいとM先生から言われまして、それまで思い切りしゃべりまくっていたのが、急におとなしくなりました。ちょっとかわいそうです。メールに添付した写真は、ふさいでもらった直後の不安そうな顔です。笑えといわれ、無理に笑っています。T



[すいかの記録]

 観察室から2号室へ病室移動する。さらに一歩回復した証である。ベッドは置いたまま、車いすで移動した。ベッドはウォーターベッドから普通のベッドになる。床ずれの心配もなくなったというわけである。
 食事は極力一人で食べようとする。ここは看護師さんが来る回数も少なく、いつまでも甘えるわけにはいかないのだ。缶詰の洋なしが非常に硬かった。
 午後、散髪屋に来てもらい茫々に伸びた髪を切ってもらう。その後、洗髪をしてもらいさっぱりする。続いて、M先生に喉のチューブを抜いてもらった。チューブ痕の穴を押さえることで声が出せる。



[妻の記録]
 この日は忙しかった。座るということに本人自信ができてきていたので、ついに散髪をOKする(最初のころはしんどかったせいか、いやだと言っていた)
 K大病院にある散髪屋さんから出張サービス(4000円)をしてくれる。看護師さんを通じてお願いする。
 すぐに来てもらうことになった。そのあとに、頭も洗ってもらうことに。

 散髪の準備をしていたら、M先生が来て、今から気管切開の痕をふさごうと思う、と言われる。
 急いで散髪をしてもらわなければ。なのに、理容師さんが
「隙ばさみを忘れてしまいました、今から取ってきます」とせっかく始めた散髪を片づけ始めた。
それは困る。何でもいいから、はよしてくれ。
 私がその隙ばさみとやらを「取りに行って来ます」と
急いで階段を駆け下り(4F→1F)、店に入り、急いで受け取って、また階段を駆け上がった。
 ちょうど隙ばさみが必要なところまで出来上がっていた。

 途中、急に理容師さんが「あっ!」と声をあげた。
 どうしたのかと思ったら、頭の後ろにかさぶたができていて、その周辺が脱毛していた。今まで抜け毛の量が多いなと思ってはいたが、髪が伸びていたので気づかなかった。
 かさぶたのまわりが黒く変色していることもあって、私の心配が増えてしまった。T先生に言った。皮膚科の先生に診てもらうことになる。
 脱毛している部分をなぞるとちょうど「7」の形と同じだった。
 散髪が終わり、看護師さんに頭を洗ってもらいに行ったあと、またM先生が他の先生と一緒にワゴンに積んだ道具とともにやってきた。
 あの、今頭を洗っています・・・すいません。
「ああ、そうですか」と苦笑いして道具をベッドサイドにおいていった。
 やっと帰ってきた。
 しかし、ほんとうにさっぱりとした。
 再度M先生が来られた。

 切開のあとをふさぐのは、一瞬だった。ベッドの周りのカーテンを引いてほんの数分。

 先生方は撤収し、そのあとベッドに残された夫は不安そうに押し黙っていた。昨日から結構しゃべっていたのに。
 空気が漏れるから、咳をするとき、しゃべる時には切開痕を手で押さえろというのだが、まだ十分に押さえることができない。
 起きていると、手を喉元まで持ち上げることまでしなくてはいけないので、なかなか大変だ。

 食事は自分で食べようと努力しているが、まだ手を十分に持ち上げる力がなく、病院のスプーンが短くて口に届きにくい。それで、以前に介護用の食器を制作している業者が試作品だといってくれたスプーンが役に立った。とても長い柄で、弾力のある素材でできている。

6月29日(月):おも湯と茶こし

2009-09-19 14:37:21 | 救命センター入院5週目


いつのまにか、多臓器不全
6月29日(月):おも湯と茶こし



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[Tの定期メール]

 夜はあまり熱もなく元気そうでした。
 今日の昼くらいからしゃべることができるようになったので、今日はいろいろと今までより会話がはずんでいます。声はまだへんですが、らしいしゃべりかたでした。T



[すいかの記録]

 朝、ジュース3本氷で冷やして飲む。冷たくて飲みやすいし、氷の分だけ水分が取れる。これからずっとこれで行こう。
 回診あり。昼から重湯などの食事になる。せっかくおいしいジュースの飲み方を見つけたのにちょっと残念であったが、重湯が水分たっぷりで実においしい。
 夕食も重湯。両腕が上がらず一人では食べられないので、看護師さんに食べさせてもらう。看護師さんもこういう仕事は好きみたいで楽しそうである。
 母が来る。今は気管切開部からの自然呼吸であるが、冷たい、乾燥した空気を直接気管に送るのはまずい。そこで、茶こしとガーゼを切開部に当てることによって、熱交換をしながら湿り気を与える鼻の代用品と成している。
 あまりに単純な仕掛けに母が感心する。
「いやあ、ほんまに茶こしやわ。」



[妻の記録]

 今まで酸素のドレーンがつながっていた夫の喉元には、両脇のヒモにつながれて、茶こしがガーゼとともに、くっついていた。
 ただのその辺に売っている茶こしなのか、「医療用茶こし」というものが存在するのか未だによくわからない。
 少なくとも救命センターで、まさか治療に普通の茶こしが使われているはずはない、といまだに思っている。

 観察室では、朝日が入る。強い光が差し込むので、朝の面会(7時~8時)ではまずブラインドを調整する。
 それから、いつものように袋から熱いタオルを取り出し、顔を拭く。
 ブラシでしっかりと頭をとかし、ぬれティッシュかタオルで頭をマッサージする。シェーバーでひげをそり、少し話をしている間に朝食が来る。
 食事介助をして、食べ終わると、いつのまにか、ふわーっとリハの先生が現れていることが多かった。ちょうどそれで8時ごろになる。
 観察室に変わって、特に朝はそんな繰り返しになっていた。

 どんどん普通になってくる夫を眺めるのは、楽しい。

6月28日(日):飲める。

2009-09-18 21:17:27 | 救命センター入院5週目
いつのまにか、多臓器不全
6月28日(日):飲める。



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[すいかの弟Jからのメール]

 口から栄養を取れるようになったとは、どういうこと?食べれるようになった?
 流動食はOK?ボンベは、まだ付けていますか?
 食べることが、出来るようになった時、また教えて下さい。J



[TからJへのメール]

 えっと、鼻から入れていた流動食を口からいれているだけです。今晩くらいからはお粥くらいならいけるそうです。
 夜は少ししんどそうでした。意識がもどってからというもの、毎日元気にしていたので疲れがでてきたのかもしれないです。T



[すいかの記録]

 昨日から栄養ジュース(めちゃくちゃ甘くて飲みにくい)を口から飲めるようになる。医者としては誤嚥をされたら困るというのが判断基準で、そのため前日、前々日に水でテストしていたわけである。
 さて、180ccのジュースを朝と昼にそれぞれ3本、夜は2本飲む。
 誤嚥は全くなし。

 お茶の量が300cc/日の制限を受ける。看護師が逐一お茶の量をチェックする。あと100cc飲めると思っても半分しか持ってこない。
 残りはいざという時のためにキープしているようである。
 敵もさるもの財布のヒモが堅いわ。



[妻の記録]

お茶が飲めることは、とても重要だ。
目覚めてからずっと「ドリンク」のことを考えていたようだ。

毎日いろんなことが変わっていく。

6月27日(土):鼻チューブ抜ける。

2009-09-17 21:47:33 | 救命センター入院5週目
いつのまにか、多臓器不全
6月27日(土):鼻チューブ抜ける。



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[Tの定期メール]

 今日は昼くらいに鼻から入っていたチューブが抜けていました。
 これで鼻から直接胃に栄養をおくっていたのを、口から送れるようになりました。
 月曜日に予定していた透析をとばすようです。腎臓のようすを見るためだそうです。あっ、夜も元気そうでした。



[妻の記録]

 今は日々何かが変わっている。
 今日はついに鼻から入っていた栄養チューブが抜けた。これからは、口から100%とることになったのだ。
 今まではチューブから入っていた濃厚栄養が口から飲む。
 ずいぶん前だが、以前に私は一度だけ同様の試供品を飲んだことがある。甘くて飲めなかった。

 夫は勢いよく飲んだ。

 生きるために飲むのだという。

 朝はコーヒー味、昼と夜はりんご味など、一応、変化がある。チューブを抜いた痕が、鼻の穴の際に少しだけ黒く残っている。

 透析は延期になった。
 今は腎臓内科で処置を決めてもらっているようだ。今後もインターバルが長くなれば、透析離脱も見込める。

 夢のようだ。



[すいかの記録]

 鼻のチューブを抜いた。今までチューブが刺さっていたことは知っているが、どこを通っているのか、不快も何も感じていなかった。こういうものは抜いて始めて抜けたと実感できるのである。
 昼ごろチューブを抜いたのだから、夕食は栄養ジュースだったのであろう。うまく飲むためにはコツがある。なるべくいっぱいジュースを口にためて、空気が混ざらないようにして飲み込むのである。大体一回50ccぐらいで、4回で一本飲むというちょっと下品な飲み方である。

6月26日(金):腎臓内科

2009-09-16 21:46:56 | 救命センター入院5週目
いつのまにか、多臓器不全
6月26日(金):腎臓内科


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[妻の記録]

 朝。
 本日午後、腎臓内科の先生と話ができるはず。
 直接話をしたときに、転院ではなくここで見てほしいということをどうやって主張すればいいのか、少し頭が混乱していたので、まずは医療福祉相談室に行った。

 MSWのKさんは、決して「無理です」とかそういうことは言わない。隠しだてもしないし、必ず選択肢を提供してくれる。

 私の仕事関連での相談をかけたことがあるが、そのときから普通のソーシャルワーカーではないなと感じていた。

 今までの話を十分に聴いてもらい、心のこもったアドバイスをもらって、落ち着いた。

 転院とかそういうことなしに、ずっと突っ走ってきて、ここらで心の休養が必要だったのだ。

 午後の面会ではT医師が必要事項を伝えに来たのみだった。
 腎臓内科で退院まで見てもらえることになった。

 安心した。親戚にメールを打った。



[妻から親戚へのメール]

 ここでみてもらえそうです。今日の話によると腎臓数値が初めてよくなりました。腎臓回復の兆しがみえたことや人工呼吸器がとれたことが利いたみたいです。



[妻の母からのメール]

 良かったなあ。何となく、前のメールからO先生が呼吸器さえ取れたら、ここで見れると考えておられるように取れたのでパパが順調にいけばと思っていました。
 パパの頑張りに拍手。そしてあなた達の努力に感謝感激。



[すいかの弟Jからのメール]

 これは、Good News!安心しました。
 とにかく、にいちゃんにも、焦らず、少しづつ治すように、言って下さい。
 今週は、週末も出勤でY市にいますが、何かあれば連絡下さい。J



[Tの定期メール]

夜は暇そうでした。かなり体の状態も戻ってきていて、いまは指で字をかいて会話しています。



[すいかの記録]

 今朝も車いすに乗った。透析の準備もあり、よりいっそうややこしかったが、なんとか車いすに座ることができた。
依然怖かったが、昨日のような恐怖はなかった。初めてと2度目では大違いである。

もちろん障害のある人はこうはいかないだろう。「廃用症候群」のリハビリの特徴かも知れない。良い体験をしたと思う。
父が車いす生活を送っているが、実に頑張っていることがよく分かる。

 ありがたいことに、透析に関しては、この日が最後となる。