いつのまにか、多臓器不全

普通より元気なオッサンがいきなり多臓器不全!?生死の境をさまよった約2か月間の闘病と、その後。

7月26日(日) 退院

2009-10-23 21:16:26 | 退院へ
[Tからの定期メール]

今日電話が来たと思いますが一応連絡します。
今日無事退院しました。2ヶ月の闘病生活を終えて帰ってきました。
一応定期メールもこれで最後になりますが、また検査の結果等などありましたら連絡します。
以上です。
みんなの協力がとても心強かったといっていました。
どうもありがとうございました。T



[Jからのメール]

T、2ヶ月の間、定期メールありがとう。
その間、送るのが辛いメールも、あったと思います。
受け取る我々はTからのメールに、一喜一憂しながら、
しかし、この定期メールが、日々の状態を知る唯一の情報で、
その情報を通じて、みんなの、想いが、感じられ、
また、すいかにも、我々の気持ちが通じたのだと、思います。ありがとう。J



[すいかの記録]

 9時過ぎに妻が現れ、簡単に荷物をまとめ、退院する。あっけないものである。タクシーで家まで帰る。
 おお、久しぶりの我が家。
目覚めた直後は自宅の間取りも思い出せなかったが、今や何もかも普通である。

普段布団を敷いて寝ていた和室に病院と同じタイプの電動ベッドが置いてある。
 昼、冷麺を食べる。
夕方、フィットネスバイクが届き、組み立てる。
これで自宅リハビリの準備も整った。
本日より、約1ヶ月、自宅療養に入る。



[妻の記録]

5月の末に入院してから2カ月ぶりの帰宅だ。
何度も危ない目にあいながら、生きて帰ってこれたのは高度医療と運、それから夫の「生きる力」のおかげだ。
胸を張ってタクシーに乗り込む。

しかし、一方で同じ救命センターに入院した人のうちで1/4が亡くなり、あるいは救命されても意識を取り戻さないひともいる。
その「この世とあの世の境目」を共有した同じ家族として、
そのやり場のない苦しさも忘れずにしまっておきたいと思う。


家に到着する。
友人のケアマネさんより紹介してもらった自費レンタルベッドを前日には準備していたし、座り心地のよい椅子も購入していた。パソコンを使うときに疲れないためだ。家具をうごかしたり、掃除をしたり、布団をクリーニングに出したりと体の方はあちこちが痛く、かなりガタガタだった。

なにはともあれ、夫の痩せて力の出ない体を何とかしたいと思った。
たくさんの種類の食品を食べさせた。


ところで、私は急激にうつ状態になりかかっている。
つまらないことが、もうこの世の終わりのような気がするくらい
気分が落ち込む。
体も異常に重い。
まるで水中での動作のようだ。

ああ、これはそれだな、あれだけのことを切り抜けてきたのだからしかたないな、
と思いながら、
こんなふうに冷静に自分自身を見守っていられるのも、
年齢を重ねたおかげだと思う。
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7月25日(土) 退院前日

2009-10-22 22:48:58 | 退院へ
[すいかの記録]

 明日、退院である。もう滅多に来ることもないと思い、今日は院内を念入りに散歩する。くたびれてエレベータで病室に戻るとき、駆け込みでエレベータに乗ってきた若い医師がいた。
ふと見ると、救命でお世話になったA先生である。

「これは、どうも、その節はお世話になりました。明日、退院ですねん」
「お元気になられて良かったですね」
「おかげさまで、ありがとうございます」

エレベータはすぐに5階に到着する。
型どおりの挨拶で精一杯だった。

「じゃ、失礼します」

そう言えば今日のA先生は救命センターの水色の衣ではなく、普通の白衣であった。
また、5階より上に用事があるようだった。
A先生は今は救命の先生ではないのかもしれない。

 夕方、妻とともに救命センターの面会所に行く。時間外なので、中には入れない。
インターフォンで妻が

「ここでお世話になったすいかです。明日退院しますのでご挨拶に伺いました。」

と告げるとしばらくして一人の看護師さんが現れる。
我々は前もって用意していたお礼の手紙を渡し挨拶を済ませる。
こちらはヒマなので先生方や看護師さんにお会いしたかったが、そうも行かない。



[妻の記録]

今日はとても忙しかった。

土曜日だが、朝、ほとんどいつもの出勤時間と同じ時間に家を出て、もう一つの職場に。

昼前に終わり、そのまま駅へ直行し、夫の母の家にインターネットにつながらないという問題を解決するために向かう。
そのあと息子の高校で懇談があって先生と話をし、すぐに病院へ向かう。
今日は食事の時間までに救命の方にあいさつに行きたい。
明日は退院なのだから。

夫はそれに向けて手紙を書いていた。
どうせ救命の先生方は忙しいので、お会いできないだろうから、それでは気持ちを伝えずに帰ることになる。
そのための手紙だ。

先日、下書きを見せてもらったが、「助けてもらって本当にうれしい」とか「これからまた頑張れます」とか書いてなかったので、自分の気持ちを書くように勧める。
よい手紙になったと思う。コピーを取っていなかったのが残念だ。


夫とあいさつに行き、取り立ててすごい場面はなかったのだが、何かとてもさわやかな気分になった。

やはり、区切り、というものは重要だ。
救命センターへのあいさつで、日常へもどるための区切りができた。
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7月24日(金):リハビリありがとう

2009-10-21 22:56:42 | 退院へ
いつのまにか、多臓器不全
7月24日(金):リハビリありがとう


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[すいかの記録]

 採血あり。母が来る。
 リハビリは股関節のストレッチ、腹筋、背筋を鍛える運動、自転車こぎなどが基本メニューで、この2,3日は1階のリハビリ室から5階の病室まで階段を歩いて帰る。無事5階に到着すると、N先生は「これなら女性看護師よりも体力ありますよ。」などと励ましてくれる。ここでつい調子に乗せられると「もう一つ上まで行きましょう」などと言われかねないと思い「いや、まだまだです。」と喘ぎながら答える。
 さて、土日はリハビリがないので、今日が最後である。病室まで送ってもらったところで、今後のチェックポイントを尋ね、忘れないようメモを取る。
①足を組んで腰を持ち上げる。
②4つばいで腕立て。
③タオルで肩回し。背中で手をつなげることを目指す。
④スクワット、四股踏み、なるべく前屈みにならない。
⑤ウォーキング早足で1時間くらい。
⑥その他、もも上げ、ジャンプ、つま先立ち、片足など。母もこの話には関心が高いようで熱心に話を聞いていた。
 私のように長い期間寝たきりで筋力が衰えるのを廃用症候群という。これは脳卒中などと異なり基本的に障害がないので、リハビリの効果が目に見えて著しく、精神的に非常に楽で前向きに取り組むことができた。
 リハビリのN先生、どうもありがとうございました。手足も動かせない寝たきり状態から、普通に歩けるようになるまでよくぞ面倒を見ていただきました。まだ貧血があり、息も切れ切れだが、メモを参考に自主リハビリを続けようと思う。



[娘の記録]

 リハビリの効果を思い返すと、凄まじいものである。日に日に良くなっているのがハッキリと分かるのだ。つい2週間~1週間前までは起き上がることすらままならず、ベッドから車いすに移動するのにも恐怖を伴っていたというのに、今では「なんで入院しとんの?」と言いたくなるほどスイスイと動ける。
 動きを制御する部分(脳)に障害が残らなかったことは大きいと思うが、それにしてもすごい。リハビリをしていた期間としては、約3週間~一か月といったところだが、よくもまあここまで回復したものだと、改めて思う。
 担当PTさんは少々スパルタ気味であったとすいかは漏らすが、ここまでぐんぐん回復したのも、このPTさんのおかげだと思う。笑顔がさわやかな、坊主頭のPTさん。
 すいかは、今後の運動についてのアドバイスを真剣にメモしていた。私もその場にいたので、坊主PTさんの実演も交えてのお話に聞き入った。
 ありがとうございました。
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