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自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

自分のこと:自分で何かを作ろうとしたか

2017年07月18日 20時49分11秒 | Weblog
自分で何かを作ることは好きだったのか。

母親いわく、好きだったとのこと。
特に絵を描いたり、何かを塗ったりということが好きで、
オリジナルのものもたくさん描いていたそうだ。
確かに小さい頃は何かと絵を描き、壁に貼っていた。

ここでも文章ではなく、やっぱり目にイメージとして飛び込んでくる絵なのか、と。
まあでも子供の頃ってみんな絵を描くのが好きだから、
これも特別自分がどうというよりは、一般の子供の行動のひとつとして、ということだろう。

オリジナルではないが、レゴでもよく遊んでいた。
当時あった「街シリーズ」というものを買い集めては、
自分で街を作っていたと思う。
積み木でも遊んだし、ガンプラやミニ四駆などもやった。
一通り、手を動かして作ることはやったと思う。

ただ、先のエントリーでも書いた、
映画やドラマ、RPGに関係することを何かしていたかというと、
これはほとんどやっていない。
単純に、自分で遊ぶ方を優先していたからだ。
遊ぶ方が楽しかった。
それでいうと先のレゴやガンプラだって、
作ることが楽しかったというよりは、
遊ぶために作っていたというだけだ。
オリジナルで何かを作りたいという願望はなく、
ただただ、お客さんとして遊ぶことが好きだった。

小5ぐらいから将来はゲームクリエイターになりたいと考えていた。
映画やドラマも好きで見ていたが、
やっぱりスクウェアのRPGが一番面白かったので、
将来は自分の好きなことを仕事にしたいと考えたのだろう。
その想いはその後もずっと続いた。

しかし、どんなゲームを作りたいのか、
自分はゲーム作りの中でどういう役割を担いたいのか、
そんなことは一切考えていなかった。
ただ『ファイナルファンタジー』や『クロノ・トリガー』を作りたいと思っていた。
今思えば、それを作りたいのであって、
新しくオリジナルで何かを作りたいわけではなかったのかもしれない。
現に自分の中にオリジナルのアイディアはなかった。
頭にいるのはティナであり、クロノであった。

中1のときに教育実習生に来ていた先生(実は小5のときも来ていた人)に
「ゲームクリエイターになりたいなら数学ができなきゃダメだよ」
と言われてショックを受けたことを覚えている。
昔から算数や数学がまったくできなかったからだ。

でもそれはプログラマーになる場合であって、
自分は絵も描けないからデザイナーにもなれず、
やるならどんなゲームを作るかを企画するプランナーかなと
なんとなく思うようにはなっていた。

中3のときの卒業研究でCGを研究テーマにし、
学校で買ってもらった「アニメーションマスター」というCG作成ソフトを
同級生のIくんといっしょになっていじっていたが、
もともと絵も描けず、ワイヤーフレームも理解できず、
さらに誰も教えてくれる人もいなかったので、
とりあえず解説書を読みながら何か月かいじっていたけれど、
球体がひとつ作れるか作れないかぐらいで、
FFのようなCGには到底たどり着くことは無理だと思った。
当時は『FFⅧ』の圧倒的な美麗CGが世の度肝を抜いており、
そういうのを作りたいという願望もあったにはあったが、
そこにたどり着くまでの膨大な労力を考えてすぐに断念してしまった。

このことからも、プログラマーやデザイナーなどの手に職系ではなく、
やっぱり企画を出すプランナーしかないなと思っていた。

また、当時はテレビ東京で『D's Garage21』という
ゲームやCGの企画や作品を募集する番組もやっており、
CG作成の参考にもしてみたが、レベルが高すぎて無理だった。

ゲームの企画書はいくつか考えたものの、
最後まで行きつくことができず、結局出しはしなかった。
しかし、そのとき自分が思いついたものとまったく同じものが番組に出され、
確か製品化までしたのかな、、、ということもあり、
出したもん勝ちであるということも同時に学んだりもした。

高校生になってもゲームクリエイターになりたいとは思っており、
2年生のとき、ヒューマンアカデミーのゲームクリエイター体験講座にも参加した。
キャラクターを描いたり、シナリオを書いたりといったことを学び、
これはこれで楽しかったのだが、
いっしょにいた人がいわゆるオタク系の人だったということもあり、
こういう人種しか同級生にいないとなると、ちょっとキツイなと感じたのも事実。

将来、ゲームクリエイター以外の道を考えたとき、
専門学校だと選択肢が狭まることを危惧し、
また、小・中が国立でみんな頭よかったというのもあって、
結局、進路を決めるときには、潰しが効く普通の四年制大学を選んだ。
いわゆる安定志向でしかなかったのかもしれない。

一年の浪人期間を経て、大学入学が決まったとき、
Iくんと何か作ろうという話になり、アイディアを持ち寄ったりもした。
簡単に世界観の設定をいくつか作ったけれど、実現はしなかったし、
多分僕もIくんも本気で実現させようとは思っていなかったと思う。

思えば小1ぐらいのときに当時流行っていた
『天才えりちゃん金魚を食べた』という本の作者が自分と同い年ぐらいと聞いて、
当時1歳だった妹をモチーフに丸パクリした本を書こうとしたけど、
何ページか書いてすぐに飽きてしまった。
先の展開がまったく思いつかなかったのだ。

また、中2のとき、『FFⅧ』のエロ小説、、、
というより何行かエロい文章を書いたことがあったけど、
それもあとの展開が思いつかず、すぐにやめてしまった。

結局、何かに触発されて、作ろうとしたことはあったのだ。
過去何回も。
ただ、最後まで行ったことが一度もなかった。
当然、僕の頭がよくないため、展開が思いつかなかったというのもあるだろう。
でも一番のダメポイントは、そういう壁にぶつかったときに、
すぐにめんどくさくなってやめてしまう性格がある。
母親いわく、昔はいろいろ絵を描いたりしていたのに、
中学生ぐらいから「めんどくさい」と言ってやらなくなってしまったとのこと。
当時、何があったのかは覚えていないけれど、
おそらくもっといろいろ簡単にできるんだと思っていたのだ。
でも、実際はそうではなかった。
それなりの苦労が必要だとわかったのだ。

僕が憧れていたのは出来上がったものであり、
実のところ、その過程には興味がなかったのだろう。
本当に作りたいと思う人、または今作っている人たちは、
そういう困難も乗り越えて、必死になってやっているけれど、
僕にはそこまでの気力も覚悟もなかった。
もっと簡単にできると思っていたのだから。

坂口博信さんや堀井雄二さんにも憧れたが、
画面やインタビュー越しに見る彼らへの憧れであって、
必死に作っているその姿ではなかったと思う。
(まあそんな姿は見たことないんだけどw)

本気度が足りないと言えばそこまで。
ただ、興味がないことに本気になれるかというとそれもある。
自分が本当は何に興味があるのか、まだ見定めることができていなかった。
作ることにはそこまで興味がなかったのかもしれない。
ただ、それを認めたくないんだと思った。
好きだったからこそ、作りたいと思って当然だという先入観があり、
それ以外を認めたくなかったのかもしれない。

そして本当に興味があることが何なのか、
割と後になってから判明したので、
それは次のエントリーで書くことにする。

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2 コメント

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ブログを拝見しました (つねさん)
2017-07-20 09:54:42
こんにちは。ブログを拝見させて頂きました。これからもブログの運営頑張って下さい。

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ありがとうございます (ブログ主)
2017-07-21 01:55:40
つねさん、わざわざコメントありがとうございます。
サイト、拝見させていただきますね。
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