明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気付き(32)ビールばっか飲んでんじゃねーよ!、PART2

2020-04-29 19:58:52 | 今日の話題
1、ビールの終着駅、アサヒ「ザ・リッチ」贅沢醸造
病気してからめっきり酒量が落ち込んだ私は、量より質へと華麗に変身を遂げた、というのは嘘だが、今週はふたたび夏に向けて、ビール回帰を狙ってみた。そしたら何と、とうとう最高のビールに巡り合ってしまったのだ!。昨日偶然近所のコンビニの棚に並んでいたので買って飲んでみたのだが、これが実に「たまらん!」位に旨かったのである。値段は133円、第2か第3だかの新しいビールで、ALCは6%と高めになっている。私は本物のビールを知らないので「本当のビールの味」がどういうものなのか全然分からないのだが、これは間違いなく「ビール界のホームラン王」だと確信したのである、バンザイ!

とまあ、ひとしきりリッチの深い味わいをを楽しんだ私だったが、ふと師匠「SN氏」の言葉を思い出した。彼は、最高のビールは「プレモル」だと断言する。そこで今日、改めて350mlのサントリー・プレミアム・モルツとアサヒ・ザ・リッチを買ってきて、セブンイレブンの「うま味広がるうすしお味のポテトチップス」をツマミに合わせ、じっくり飲み比べてみることにした。まずはポテチ、それからザ・リッチをグイッと飲んで、またポテチ、そして徐にプレモルと飲んでみるのだ。果たしてどちらが私にとって「極旨ビール」なのか?

その答えは、次回のPART3に書きます!

2、日本社会は明治維新に立ち返るべき
当時は若い下層武士が中心となって革命のうねりを両肩に担いながら、輝かしい新しい日本の未来を作っていった。その近代化の嵐の吹き荒れる中で、諸々の旧体制は廃棄され、全く新規の「社会の仕組み」が導入されて行く。その怒涛の変革は身分社会の逆転を起こし、幾多の没落の悲劇を生みながら、一方で新たな指導者層を形成してきたのである。それが明治・大正・昭和・平成と変転を経験して次第に固定化するようになり、今また富裕層と貧困労働者層とが「格差社会」を作り出して国家を分断しているのである。これを是正して日本社会を再び活気ある成長過程に引き戻すには、政治・経済の舵取りを「若い人達」の手に委ねることしか方法はない。というか、本来の指導者層は70代80代の老人達ではなく、40から50代の「意欲も知力も体力もある」気宇壮大な、油の乗り切った人物であるべきだ。これが私の考えている事である。

例えば
イギリス「ボリス・ジョンソン、55歳」
フランス「エマニュアル・マクロン、42歳」
カナダ「ジャスティン・トルドー、48歳」
イタリア「ジェゼッペ・コンテ、55歳」
スペイン「ペドロ・サンチェス、48歳」
とまあ日本に比べたら相当に若い年齢で、溌剌として動きも軽快、頼もしいリーダー達である。

それに比べて
ドイツ「アンゲラ・メルケル、65歳」
中国「習近平、66歳」
ロシア「ウラジーミル・プーチン、67歳」
インド「ナレンドラ・モディ、69歳」
こちらは概ね55歳前後に指導者になって、それから10年くらいやって、いよいよ「老獪の域」に入ってきた組である。世界的にも影響力の大きい「超大国」を引っ張って、深謀遠慮・権謀術数の限りを尽くす「くせ者」揃いだ。ここに我らが日本の「安倍晋三、65歳」が入る(ちょっと役不足かも・・・)。

なお、世界の覇権国アメリカは今秋大統領選がある(予定)だが、対抗馬のバイデン候補は77歳と歳がいっているので、多分トランプが勝つだろう。若者に絶大な支持を受けているバーニー・サンダースも78歳だから、やはり年齢的に枠外に落ちたのは妥当だと言える。むしろ8年後の大統領選には、ブティジェッジなんかの方が「その時46歳」になっているので適齢であろう。やはり年齢が40から50くらいがトップには相応しい。

ちなみに
アメリカ「ドナルド・トランプ、73歳」
イラン「ハサン・ロウハーニー、71歳」
イスラエル「ベンヤミン・ネタニヤフ、70歳」と、
紛争国は概して年齢が高い、というのも特徴だ(金正恩は大分若いが、今どうなっているか・・・)。

人間年取ると「守りに入り」やすくなり、既存の社会体制を維持しようとして「時代の流れ」に乗り遅れる傾向がある。安倍首相とチームを組んでいる菅義輝は71歳でまだいいとしても、麻生太郎79歳と二階幹事長81歳に至っては、どう考えても「老境」である。石破茂は63歳だから政治家の中では若い方だが、私の考える首相像から見ると、やはり少し年を取りすぎた感が否めない。これから首相になるとして2期務めると69歳。まあやってやれない年ではないが、これからの日本を背負って立つ首相候補としては、少し動きが重たいのが難点だ。私としては日本はこの辺で一気に若返りを図り、45歳くらいの「やる気ムンムンの若きリーダー」をトップに据えるってのは、どうだろうか。

色んな所で改革を断行していくには、先頭切って旗を振る「猪突猛進の蛮勇」が欲しい。それで一回旧弊をぶっ壊してチャラにして、それから「もう一度再生」を目指すのである。もう老人が過去の栄光に浸って「リビングでのんびりしている」場合ではない(大体、知りもしないSNSなんかに手を出す事自体が、安倍くんは終わってるよね)。咋今のような停滞期には、幕末の維新のように「エイヤッ」と改革に飛び込んでゆく「若者の力」が絶対必要である。坂本龍馬は30歳そこそこで世界に羽ばたこうとしている最中に凶刃に倒れた。西郷隆盛は50歳、鉄血宰相大久保利通は48歳。「月様雨が・・」で有名な桂小五郎は44歳である(この有名な文句は、大川橋蔵扮する月形半平太の名場面だそうな。何故か桂小五郎のエピソードだと誤解していた私の記憶違いである。私の歴史の知識も、この程度のようだ。ああ・・・)。それにしても皆んな若かった。独り幕府側で江戸無血開城に奔走した勝海舟ですら、明治維新の当時は44歳くらいという「若き俊英」なのである。改革は若者の特権かも知れない。コロナで沈没しそうな日本を「一発逆転」で再生させるためには、若い人の「未来を見る目」がどうしても不可欠なのである。誰か若きヒーローよ、出て来てくれー!

って、それが小泉進次郎では、弱い弱い。やっぱ二世はダメだよねー。

3、学年を9月に開始にすると、何が問題なの?
私はこのコロナ禍の真っ只中で学校制度を変えることには、「どちらでもいいんじゃない?」という立場である。どちらかと言うと「生徒が9月にしたければ」、そうするのが筋であろう。別に私は学校教育に無関心なのではない。この問題は「何月にするか」という些末な問題ではない、と考えているからである。つまり本質的には「4月だろうと9月だろうと」、さして大差はない、という考えだ。

日本の子供達は「いい会社に入社する」ために、小ー中ー高と「ひたすら勉強させられ」て、ようやく一発勝負の大学入試に「人生を賭ける」のである。その間、教育とは無関係な「社会に入ったら全く使わない知識を詰め込む試験勉強」を続けて、名門と呼ばれる憧れの大学に、晴れて入学する訳である。9月にするか4月のままでやるか、どちらにしても「本人や親には、大学入試で平等な競争が行われる」ことしか、頭にはない。だから私は平等であるならば「どちらでもいいんじゃない?」という立場である。

学校は学ぶところである。まず、言葉の正しい使い方を学び、自分の考えを正確に表現できて、相手の意見をしっかり聞いて理解することが出来、お互い議論を重ねて「答え」を見つける。こういう「これから出ていく社会でのコミュニケーション」を自在に取れる能力を磨いていくのが、学問の第一なのだ。日本の学校教育は試験勉強に引きづられた結果、肝心な事が分からなくなって、ひたすら「答えを当てる」ことが学問だと勘違いしてしまっている。だから、ちょっとしたことでも意見が噛み合わず、お互い自分の考えを言い合うだけの「議論が出来ない人種」が社会に溢れているのだ(国会は、その最たるところだ)。皆んなして言葉を正しく使えないから、「気持ちを読む」などと言って「忖度」が横行する。

日本人は(日本人に限らないが)、名門大学に入学すれば「いい会社」に入ることが出来る(と思っている)。だから有名大学には入学志望者が殺到して、「苛烈極まる試験競争」になるのは仕方ないと思っている。そこで人生の勝者と敗者が決まるわけだ。だがこれは入社するよりも「ずっと前」のことではないか?。本来は「入社してから」どれだけ頑張るかの筈なのに。しかし会社の人事部も「ちょっとだけ面接したぐらい」では、学生の将来の能力など「分かるはずも無い」のである。当然、有名校出身という保険を掛けて採用するしかない。だから「どの大学に入るか」が人生の分かれ目になるのだ。・・・これじゃ堂々巡りである。この新規採用の「仕組み」を変えない限り、日本の学校教育は永遠に「試験勉強の墓場」になったまま、どんどんと真の学力は「世界から置いてきぼり」にされるだろう。日本の未来よ、さようなら〜。

といっても私も日本人の端くれだから、何とかこの窮状を改善したい。そこで長年温めてきた採用改革を提案したい。

a. まず、学生は中学卒業後「インターン制度」を使い、何年間かアルバイトの資格で「これはという企業」の実習に参加することが出来る。会社の方はインターンの期間を利用して「学生の将来」の可能性を見分けることが出来る。また学生の方は仕事をしていくにつれて「会社の荒い部分が見えてくる」というメリットがある。つまり相互に相手を見定めることが出来るわけだ。気に入った会社であれば、働きながら会社で必要なことを学んでいくことも可能である 。インターンの間は働くも止めるも「完全自由」である。勿論給料は保証される。

b. 人気のある企業は学生が多く集まるから、それぞれ期間を分けて実習させ、何年かのうちに徐々に絞っていき、最終的に選に漏れた学生は「他に行く」ことになる。さて、このままでは期間が伸びるだけで、今の採用方法と五十歩百歩だと思うかも知れない。しかし単なる試験や面接で決めるのではなく、長期に渡って「会社に貢献できる人材かどうか」を見ることが出来るのだから、大学卒業後の短期間に慌てて採用して失敗するよりかは「ずっと現実的」だと私は思う。学生の方も色々みられるから、ブラック企業に騙されることもなくなるであろう。

c. 学生の方は早いうちから、志望の会社を決めてインターンになろうとするから、自ずと勉強も「その職業に合致した内容」を選んで身につけようと努力するはずである。当然、学校はどんな企業に入っても必ず必要とされる「基礎的学力」の習得に力を入れることになる。大体、例えば資生堂に入って化粧品の営業を志すのに、微分・積分とか鎌倉幕府の成立とか知っているかどうかなんて「全く関係ない」知識ではないか。こういう試験勉強の為の知識は、社会に出たら「本棚の肥し」になるのが落ちである。百歩譲ってその手の知識が大好きだというなら、社会に出てから幾らでも趣味でやれば良い。

d. 一方で学問の道を目指すものは、高校・大学と研究に没頭し、就職も一般人とは違うルートを辿ることになる。学問と実業は別々の道なのだ。昔は15で元服・成人し、一人前の職業についたものである。公務員や政治家を目指す場合もインターン制度を利用して、一般企業と同様に学生を選別する。今は出身校やペーパーテストの成績で採用を決めているから、役に立たない官僚が多いのである(公務員の採用要件は、良くは知らない)。まあ、教師だけは専門知識が無いと難しいが、成績一辺倒のカリキュラムをこなすだけの教師では、私のシステムには「不要」だろう。

e. そして最終的に「自分のやりたい職業」を中学卒業時に明確に意識し、その後の自分の人生を左右するインターン期間に「精一杯努力する」ことで、計画的に人生設計をしていく能力を国民全部に身に付けさせるのである。そうしてこの方式を取って2、3年もすれば、遊んでいる大学生などは「この世からいなくなる」であろう(何故なら、大学は研究者の卵しか行かないから)。

以上、ここでは詳しくシステムを説明する余裕は無いが、人間「目標のあるのと無い」のとでは、雲泥の差が出るのは自明であろう。今は目標となっているのが「試験で良い成績」を上げることであり、私のシステムでは目標は「好きな会社の自分にあった部門で、バリバリ働く事」である。どっちが望ましい未来を約束してくれるシステムか、一目瞭然だと思う。それに少子化・人口減が叫ばれて久しいから、若者の労働力も即座に活用できて一石二鳥である。若い人も「コンビニや居酒屋」でアルバイトするよりかは、志望する会社で好きな仕事に熱中するほうが「いい」に決まっている。私の経験から言えば、一般の人にとって勉強はそれほど魅力的な作業では無いのだ。本当は嫌なのは分かっている。だが「いい会社」に入るためには「嫌な勉強をして、試験でライバルに勝つ」ことが求められている。こんな無駄なことに何年もかけている学校教育とは、一体なんだろう?。いい加減に、勉強ができる子=社会で勝ち残る人、という幻想を「教育者も親も」忘れようではないか。教育はロボットを作ることではない。「人を育てる」ことである(これ、私の言葉です!)。

世の中にはつまらない知識は覚えていないけど、「仕事は出来る」という人が一杯いる。私はそういう人が称賛される社会を望む。。

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